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結婚のための立派な土台を置くあなたの家族生活を幸福なものにする
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2章
結婚のための立派な土台を置く
1-3 マタイ 7章24-27節によれば,人生における真の成功は何によって決まりますか。
家にせよ,生活にせよ,あるいは結婚にせよ,そのいずれも拠って立つところの土台の強さに全く依存しています。イエスはあるたとえ話の中で,堅い岩の上に家を建てた賢い人と,砂の上に家を建てた愚かな人のことを話されました。あらしになって大水と風がそれらの家に激しく打ち当たったとき,堅い岩の上の家はびくともしませんでしたが,砂の上の家はすさまじい音をたてて倒壊しました。
2 イエスは人々に家の建て方を教えておられたのではありません。立派な土台の上に生活を築くことの必要を強調しておられたのです。神の使者として,イエスはこう言われました。「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな」,堅い岩の上に家を建てた人のようであり,一方,「わたしのこれらのことばを聞いてもそれを行なわない者はみな」,砂の上に家を建てた人のようです。―マタイ 7:24-27。
3 注目すべき点は,賢明な助言を聞いて何をすべきかを知るというだけの問題ではないということを,イエスが両方の場合に教えておられる点です。成功するか失敗するかは賢明な助言を実行するかどうかによって決まります。「これらのことを知っているのなら,それを行なうときに,あなたがたは幸福です」― ヨハネ 13:17。
4 最初の人間男女の結婚からわたしたちが学べるものは何ですか。(創世 2:22–3:19)
4 このことは確かに結婚についても言えることです。結婚生活を岩のようなしっかりした土台の上に築くなら,生活の重圧に耐えられます。しかし,そのような立派な土台はどこで得られるのでしょうか。それは,結婚の創始者であられるエホバ神がくださるのです。エホバは,最初の一組の男女を夫婦にして結婚を創始され,それから,ふたりの益のために賢明な指示をお与えになりました。その賢明な指示に従うかどうかによって,ふたりにとこしえの輝かしい将来があるか,あるいは将来が全くないかが決まりました。ふたりとも神の指示を知っていました。しかし,残念なことに,利己心に妨げられて,それらの指針に従いませんでした。ふたりは助言を無視することを選び,その結果,ふたりの結婚も命も,砂の上に建てられた家があらしに襲われて倒壊するようにくずれ去りました。
5,6 結婚をしている人々,また,結婚を考えている人々のために,神はどんな助けを与えてくださっていますか。
5 エホバ神はその最初の男女を結婚によって結びつけられましたが,今日,人々をご自分でめあわせることはなさいません。しかし,幸福な結婚のための神の賢明な助言は依然として有効です。その助言に従うかどうかを決めるのは,今結婚を考えている個々の人に任されています。神の言葉はまた未来の配偶者を選ぶ際に賢明な決定を下せるよう神に助けを求め得ることを示しています。―ヤコブ 1:5,6。
6 もとより,地域によって事情は大いに異なります。今日,多くの土地の人々は,男性も女性も結婚の相手を自分で選びます。しかし親が,時にはなこうどを通して,結婚を取り決めることをしきたりとする地域の人々も,世界人口のかなりの部分を占めています。かと思うと,男性が女性の親に“花嫁金”を払わなければ妻をもらうことができない所もあります。その額によっては結婚は,とうてい手の届かないものにさえなるでしょう。しかし,事情がどのようであろうと,聖書が与える助言は,結婚を成功させ永続させる助けになります。
まず,自分を知る
7-10 (イ)結婚を考える人は,自分自身について何を知る必要がありますか。どのようにすればそれがわかりますか。(ロ)結婚する理由の妥当性について聖書は何と述べていますか。
7 あなたは結婚に何を求めているでしょうか。身体的,感情的,霊的にあなたが必要としているものは何ですか。あなたはどんな価値基準や目標を持っていますか。また,どんな方法でその目標を達成しますか。こうした質問に答えるには,自分を知っていなければなりません。自分を知るということは意外に難しいことです。感情的に円熟していて自分を調べることはできても,本当の自分というものを知りつくすことは不可能です。クリスチャンの使徒パウロは,コリント第一 4章4節でそのことを次のように述べています。「わたし自身,責められるようなことは何も意識しない(の)です。でもそれによって,わたしは義にかなっていると証明されているわけではありません。わたしを調べるかたはエホバなのです」。
8 ある時創造者は,人間ヨブに彼が理解していなかった幾つかの事実を悟らせようとして,こうおっしゃいました。「わたしはあなたに尋ねてみたいので,あなたはわたしに知らせよ」。(ヨブ 38:3,新)質問をすることは,自分を知り,動機を見つけるのに役立ちます。ですから,結婚に対する自分の関心について自問してみてください。
9 あなたは,衣食住といった物質面の必要を満たすために結婚を望んでいるでしょうか。「命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」と聖書にあるとおり,衣食住はわたしたちが基本的に必要とするものです。また,性的な必要も感じますか。それも正常な欲求で,「情欲に燃えるよりは結婚するほうがよい」のです。(テモテ第一 6:8。コリント第一 7:9)あるいは親しい交わりを得るためですか。それは,神が結婚の取り決めを設けられた主な理由の一つでした。もう一つの理由は,ふたりが力を合わせて働くことでした。(創世 2:18; 1:26-28)良い仕事を成し遂げるなら満足感が生まれ,また報いが得られます。「人はすべて食べ,実に飲み,自分のすべての勤労について善を見るべきことをも。それは神の贈り物である」― 伝道 3:13,新。
10 昔から,恋人たちはハートを自分たちの恋愛感情の象徴とみなしてきました。ところが聖書は,「だれがそれを知り得るだろうか」という気がかりな疑問を,心に関して投げかけています。(エレミヤ 17:9,新)あなたは自分の心の中にあるものを確かに知っているでしょうか。
11 結婚したなら,感情面のどんな基本的な必要が満たされるべきですか。
11 身体的な魅力に捕らわれて,感情面における他の必要に盲目になるのはよくあることです。配偶者を探すに際して,あなたは,自分が理解や親切や同情心を示してもらう必要のあることを十分に重要視しているでしょうか。わたしたちがだれでも基本的に必要としているのは,親密で,何でも話せ,傷付けられるという心配をせずにありのままの自分を示せる人,「優しい同情の戸」を閉じてわたしたちを入れないようにすることのない人です。(ヨハネ第一 3:17)あなたは自分の配偶者のこうした欲求をすべて満たすでしょうか。また,相手の人もあなたの欲求を満たしてくれますか。
12 幸福な結婚生活を送るには,身体面と感情面の必要が満たされるだけでは不十分ですが,その理由はどこにありますか。
12 イエスは,「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです」とおっしゃいました。(マタイ 5:3)あなたの霊的な必要は何でしょうか。それは出世の道,富,物質の財産を追い求めることと関係がありますか。そうしたものの追求から心の平和や満足が得られるでしょうか。たいていの場合得られません。ですからわたしたちは,身体的な必要がすべて満たされた後でさえなくならない霊の飢えがだれの内にもあるということを,認識する必要があります。わたしたちの霊は個人としての自分を知ること,つまり,自分がだれで,どのような者であり,なぜ存在しているのか,またこれからどうなるかを知ることを切に望みます。あなたはそうした霊的な必要と,それを満たす方法を知る必要を自覚しておられますか。
性格が合うこと
13 幸福な結婚のためには,自分自身の必要に加えて何を悟らなければなりませんか。
13 自分の身体的,知的,霊的必要をすべて理解したとしても,未来の配偶者もそれらを理解しているかどうか分かっていますか。幸福な結婚をするためには自分が特に必要としている事柄を知るだけでなく,配偶者が必要としている事も悟らねばなりません。配偶者も幸福であってほしいと願うのは当然です。ひとりが不幸になれば,ふたりとも不幸になります。
14 多くの夫婦が性格の不一致を経験しているのはなぜですか。
14 性格が合わないために不幸に終わる,つまり離婚に至るケースは少なくありません。性格の不一致とは穏やかならぬ言葉ですが,結婚生活においてはそれはいっそう重大な意味を持ちます。ふたりが組としてぴったりと息が合っていないなら,難しい形勢が生じるかもしれません。そのような状況を想像するときに頭に浮かぶのは,作りや力の異なる二匹の動物をひとつのくびきにつないで動物を苦しめることを禁じた,モーセの律法のあわれみある規定です。(申命 22:10)そのことは,よく合わないのに結婚して一緒になった夫と妻についても言えます。夫婦の関心事が異なり,友人や娯楽に関してもふたりの好みが違い,共通点がほとんどないなら,その結婚のきずなは非常に緊張した状態になります。
15,16 未来の配偶者と話し合うべき事柄にはどんなことがありますか。どのように話し合うべきですか。
15 「内密の話し合いのないところでは計画はざ折する」と聖書は述べています。(箴 15:22,新)結婚することを考えているなら,日常的な諸問題についての話し合いが行なわれてきたでしょうか。男性の側の仕事は結婚生活にどう影響するでしょうか。その仕事によって,住む場所や,必需品をまかなう収入の額が決まります。それでその仕事はふたりの結婚にどのように見合っているでしょうか。だれが家計を扱いますか。妻が働く必要がありますか。それは望ましいことですか。姻戚,とくに夫と妻双方の親との関係はどうなるでしょうか。ふたりはそれぞれ,性,子供,子供の訓練についてどう考えていますか。一方が他方を支配したいと考えていますか。それとも,親切な思いやりがふたりの関係を支配するでしょうか。
16 これらの問題やそのほかの問題について,穏やかに,筋を立てて話し合い,ふたりとも気持ちよく暮らしてゆけるように話をまとめることができるでしょうか。問題が起きたなら共にこれに当たって解決することができますか。また話し合いの道を常に開いておけますか。これは幸福な結婚生活の生命線です。
17-19 家庭的な背景は,なぜ夫婦の性格の一致と関係がありますか。
17 よく似た背景を持つふたりの人は,そうでない人たちよりも仲良くやっていけるのが普通です。「聖書理解の助け」と題する本(英文)の1114ページには,聖書時代の結婚について次のように述べられています。
「男は自分の身内もしくは部族の中で妻を探すのが一般的な習慣だったようである。この方式は,ラバンがヤコブに言った,『[娘]をほかの人にやるよりは,あなたに上げるほうが勝っています』という言葉に示されている。(創世 29:19,新)このことは特にエホバの崇拝者の間に見られた。アブラハムはそのよい例である。彼はカナン人に囲まれて住んでいたが,カナン人の娘たちの中から息子イサクの嫁を取ることをせず,むしろ故郷の親族のもとへ人をやって嫁を求めさせた。(創世 24:3,4)」。
18 むろんこれは,今日でも近親結婚のほうが望ましいという意味ではありません。近親結婚は遺伝的な問題を生み,奇形児の生まれる恐れがあるからです。しかし,家庭的な背景は,人々が持つ価値基準にたいへん深い関係があります。幼年期から青年期にかけて,人の行動や感情は自然と家庭の雰囲気に影響されます。当事者双方の背景が似ていると,「同じ土壌で育ち,同じ環境の中で繁る」のがたいてい容易です。もっとも,特にふたりが感情的に円熟している場合は,異なる背景と生いたちの人同士が結婚してもうまく合わせていくことができます。
19 未来の配偶者の家族のことを何か知ることができれば都合がよいことは言うまでもありません。しかし,その人と家族 ― 両親,兄弟姉妹 ― との関係をも知る必要があります。その人は年長の人にどのような態度で接しますか。あるいは幼い子供たちとはどのようにやっていっているでしょうか。
20,21 配偶者を選ぶ場合,相手の人の欠点をどう見るべきですか。
20 念には念を入れたとしても,ふたりの人の性格が完全に合うということは決してないことを覚えていなければなりません。どちらにもそれぞれ欠点があります。結婚する前にわかる欠点もあるでしょうし,結婚した後で気づく欠点もあるでしょう。では,どうしたらよいでしょうか。
21 結婚が失敗に終わる原因は欠点そのものにあるのではなく,ふたりが欠点をどう感じるかにあります。長所が短所を補って余りあると考えますか,それとも悪い点ばかりを考えて,それをくどくどと述べたてますか。自分が大目に見てもらうことを必要とし,また望んでいるように,あなたも融通をきかせて大目に見ることができますか。使徒パウロは,「愛は多くの罪を覆う」と述べました。(ペテロ第一 4:8)あなたは自分が結婚を考えている人に対してその種の愛を抱いているでしょうか。もしその愛がないなら,その人と結婚しないほうがよいでしょう。
『わたしは彼を変えてみせる』
22-24 自分のやり方を変えるという相手の約束に基づいて,あるいは相手を変えるつもりで結婚するのは,どうして賢明ではありませんか。
22 わたしは『彼を』あるいは『彼女』を『変えてみせる』と,あなたは言うでしょうか。では,あなたが恋しているのはだれですか。現在の彼または彼女ですか,それともあなたが変化させる努力を払った後の彼または彼女でしょうか。自分自身を変えることさえ難しいのですから,まして他の人を変えるのは容易なことではありません。しかし,神のみ言葉の強力な真理に従うとき,人は自分自身を変えることができます。思いを活動させる力において新たにされ,「古い人格を捨て去る」ことができます。(エフェソス 4:22,23)しかし,未来の配偶者があなたのためにすぐ変化すると約束しても,それを真に受けるべきではありません。悪い習慣をきょう正し,改めることはできますが,それには時間が,それも幾年もの長い時間がかかるでしょう。また次の事実も無視できません。つまり,わたしたちは受け継いだ性向や環境によって,わたしたちが独特の気質を持つようになり,またその影響を受けながら特定の方法で人格を形成し他と区別される人間になったということです。真の愛は,弱点を改善し克服するために互いに助け合うようわたしたちを動かしますが,配偶者を新しい不自然な型にむりやり押し込めて,その人格を押しつぶさせるようなことはありません。
23 ある人々は自分の理想像を心に抱いていて,一時的に夢中になった相手の人をみなその理想像にはめようとします。むろん,実現不可能な夢にかなう人などいません。しかし,夢中になっている人はいつまでもあきらめず,相手にむりやり夢を実現させようとします。そして,それに失敗すると幻滅を感じ,実際にはいない理想の人を求めて他の所を探します。しかし,そのような人は理想の人を決して見いだせません。想像の中にしかいない幻の人を探しているからです。そうした考え方の人は結婚するのにふさわしい立場にあるとは言えません。
24 もしかしたらあなたもそうした夢を描いたことがあったかもしれません。たいていの人は人生のある時期にそれを経験します。多くの若い人がそうです。しかし,感情面で円熟するにつれ,そうした夢のような考えは非現実的なものとしてかたずける必要のあることが分かります。結婚生活で重要なのは現実であって,単なる空想ではないからです。
25 真の愛と盲目的な愛情にはどんな違いがありますか。
25 真の愛は,多くの人が考えるほど盲目ではありません。真の愛は多くの欠点を覆いはしますが,それに気づかないわけではありません。盲目で,他の人が予見できる問題を見ようとしないのは,愛ではなくて盲目的な愛情です。盲目的な愛情は絶えずわき起こる疑念を飲み込みはしますが,後になって,心配していたことが必ず表面化するのです。求愛期間中に不快な事実に目をつぶるなら,結婚してから必ずそれに直面することになります。わたしたちは自然の傾向として,喜ばせたい,心を引きつけたいと思う人の前では自分を一番良く見せるものです。しかし,やがてほんとうの姿がはっきり表われます。ですからあせらずに,相手の人のありのままの姿が分かるまで待つことです。そしてあなたも本当の自分というものを正直に表わさねばなりません。コリント第一 14章20節に記されている,使徒の次の勧めは,配偶者を探す際にも適用できるでしょう。「幼子となってはなりません。……理解力の点では十分に成長した者となりなさい」。
結婚の誓い
26 聖書によると,結婚のきずなはどれほどの拘束力を持つものですか。(ローマ 7:2,3)
26 結婚の誓いは厳粛に考えるべきものです。どちらか一方の誓いが強固でないなら,その結婚は不安定な土台の上に立つことになります。今日,世界のいたる所で,結婚はすぐに離婚に終わっています。それは多くの場合,結婚する人々が,結婚の誓いを,履行すべき道徳的義務のあるものとは考えず,「うまくいかなければ,解消しよう」という考えでいるからです。そういう考えがあるなら,結婚は最初から失敗に終わることが決まっているようなもので,幸福をもたらすかわりに,心痛を生むのが普通です。それに反して,聖書は,結婚が生がい続く関係であることを示しています。神は,最初の夫婦に関して,ふたりは「一つの肉体とならなければならない」と言われました。(創世 2:18,23,24,新)男にとってほかの女性はあるべきではなく,女にとってほかの男性はあるべきではありませんでした。神のみ子はそのことを再び肯定して,「彼らはもはや二つではなく,一つの肉体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」と言われました。結婚のきずなを断つための唯一の正当な根拠は,不忠実な性行為です。―マタイ 19:3-9。
27-29 (イ)女性が未来の夫に何を求めるのは良いことですか。(ロ)賢明な男性は未来の配偶者に何を求めることが考えられますか。
27 結婚の重大さを考えると,幸福な結婚を願う女性が,尊敬できる男性,安定していて平衡が取れており,健全な判断力を持ち,責任を遂行する能力があって,有益な批評を受け入れられるほど円熟している男性とのみ結婚するのは良いことです。それで,次のように自問してください。相手の男性は家族をよく養えるでしょうか。結婚して授かるどの子供にも良い父親となるでしょうか。結婚の床を清く保って汚さないことをふたりして固く決意できるほどその人の道徳水準は高いものでしょうか。慎み深く謙そんですか。それとも自慢家で独断的であり,頭の権をふるうことを望んでいて,自分は常に正しいと考え,物事を論じ合おうとしないでしょうか。結婚する前に相手の男性と十分長く交際するなら,そして特に聖書の原則を判断の基準とするなら,そうした事柄を見分けることができます。
28 同様に,結婚に成功することを真剣に考えている男性も,自分の体のように愛せる妻を得ようとするでしょう。妻は,家庭を築くうえでのパートナーとして夫を補う人であるはずです。(創世 2:18)良い主婦であるということは,様々な責任を伴う,そして多くの事を求められる仕事です。料理人,装飾家,経済家,母親,教師としての才能やほかの多くの才能を発揮することが求められます。主婦の役割は,個人として成長し,また物事を成し遂げる機会の多い,創造的で意欲をそそるものとなり得ます。立派な夫と同様,良い妻も働き者です。「彼女は家の者の状態を見守っており,怠惰のパンを食べない」― 箴 31:27,新。
29 そうです,ふたりとも,自分の目に映るものをよく考えて,次のような点を確かめるのは良いことです。身なりは清潔できちんとしているかどうか。勤勉な人か,それとも怠惰な人か。道理をわきまえていて思いやりがあるか,それともがんこで利己的か。倹約家か浪費家か。会話を楽しいものにし,霊的に人を富ませるのに役立つ思考力があるか,それとも,精神的に怠惰か。精神的怠惰は,生活を,ほとんど日常の身体的な必要を満たすだけの単調で決まりきったものにします。
30,31 求愛期間中の不道徳な行為が,楽しい結婚生活を送る妨げとなり得るのはなぜですか。
30 互いに誠実な敬意を示し合うことは,結婚を成功させる肝要な要素です。このことは求愛期間中の愛情の表現にも当てはまります。度を超えたなれなれしさや激しい情熱は,結婚前の関係を安っぽいものにする危険があります。性の不道徳は結婚生活の良い土台ではありません。それは,相手の人の将来の幸福に対する利己的な無関心の表われです。切れることのないきずなを生むと一時は思える激しい情欲はたちまちさめて,数週間あるいは数日のうちに結婚がもろくも崩れ去ることがあるのです。―タマルに対するアムノンの恋情について,サムエル後書 13章1-19節に記録されていることと比較してください。
31 求愛期間中に情欲を表わすなら,後になって結婚の真の動機を疑われる原因を作ることになるかもしれません。つまり,情欲のはけ口を得るために結婚したのだろうか,それとも,人としてのその価値を高く評価し愛している人と,人生を共にする目的で結婚したのだろうか,という疑いです。結婚前の自制心の欠如は結婚後の自制心の欠如,およびその結果としての不実と不幸の前ぶれとなる場合が少なくありません。(ガラテア 5:22,23)結婚前の不道徳な行ないが残したいやな思い出は,新婚時代の結婚生活に対する感情面での円滑な適応を妨げることがあります。
32 求愛期間中の不道徳な行為は,当事者と神との関係にどう影響しますか。
32 さらに重大なことに,そうした不道徳な行為はわたしたちと創造者との関係を損ないます。しかし,わたしたちは創造者の助けを切に必要としているのです。「というのは,これが神のご意志であるからです。すなわち,あなたがたを神聖なものとし,あなたがたが淫行を避けることです。……また,だれもこの点で兄弟[もしくは,当然のこととして,姉妹]の権利を害するようなことをせず,またそれを侵さないことです。……それゆえ,無視する者は,人間ではなく,ご自分の聖霊をあなたがたの中に入れてくださる神を無視しているのです」― テサロニケ第一 4:3-8。
岩のような土台
33,34 配偶者を選ぶ際に,どんな資質のほうが身体的な魅力よりもはるかに大切なことを聖書は示していますか。
33 あなたの家,あなたの家族は岩の土台の上に立っていますか。それとも,砂の土台の上に立っていますか。それは,配偶者を選ぶ際にどれほど知恵を働かせるかによってある程度左右されます。美しさや性だけでは十分ではありません。それらが精神的,霊的不一致を消し去ることはないからです。神のみ言葉の中にある助言こそ,結婚生活の土台となるものです。
34 聖書によれば,内なる人は外見よりも大切です。霊感によって書かれた箴言には,「麗しさは偽り,美しさは空しいものであろう。しかしエホバを恐れる女こそ,自分のために賛美を得る」とあります。(箴 31:30,新)結婚していた使徒ペテロは,「心の中の秘められた人」,「もの静かで柔和な霊」を「神の目に大いに価値のある」ものとしています。(ペテロ第一 3:4)神は『人の外見に支配』されません。わたしたちも,未来の配偶者の外見だけに不当に影響されないように気をつけることにより,エホバの模範から益を受けられます。―サムエル前 16:7。
35,36 (イ)神と神のみ言葉に信仰を持っている人と結婚するのはなぜ大切ですか。(ロ)あなたは,その信仰をどの程度表わしていることを未来の配偶者に期待するでしょうか。
35 賢王ソロモンは人生を深く考え,「真の神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めの全体だからである」という結論に達しました。(伝道 12:13,新)神の律法に従う契約下にあったイスラエル人たちは,特に,彼らと同じ崇拝形式を持たない人々と結婚してはならないと命じられていました。そうした結婚によって真の神から引き離されるようなことがないためです。「彼らと婚姻関係を結んではなりません。あなたの娘を彼の息子に与えてはならず,彼の娘をあなたの息子のためにめとってはなりません。彼はあなたの息子をしてわたしに従うことをやめさせ,彼らはきっと外の神々に仕えるようになるからです」― 申命 7:3,4,新。
36 同様の理由で,神の「新しい契約」の下にいる人々,すなわちクリスチャン会衆内の人々は,「主にある者」とだけ結婚するようにと忠告されました。(エレミヤ 31:31-33。コリント第一 7:39)この忠告は知恵と愛を動機とするもので,偏狭な信念から出たものではありません。ふたりがおのおの創造者に献身していることほど,結婚のきずなを強めるものはないのです。神とそのみ言葉を信じ,自分と同じようにそれを理解している人と結婚するなら,共通の権威に助言を求めることができます。このことは重要に思えないかもしれませんが,「惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣をそこなうのです」。(コリント第一 15:33)もっとも未来の配偶者が,クリスチャン会衆内の人であってもこの世の態度やならわしの方に大きく傾いていながらキリスト教の境界線近くで生きようとしている人でなく,神に心を込めて仕えている人であることを確かめるのは良いことです。神と共に歩みながら,この世と共に走ることはできないからです。―ヤコブ 4:4。
37,38 (イ)なぜ性急に求愛や結婚をすべきではありませんか。(ロ)結婚を考えている人々がだれの助言に耳を傾けるのは良いことですか。
37 イエスはこう質問なさいました。『あなたがたのうちのだれが,塔を建てようと思う場合,まず座って費用を計算し,自分がそれを完成するだけのものを持っているかどうかを調べないでしょうか。そうしないなら,その人は土台を据えてもそれを仕上げることができないかもしれません』。(ルカ 14:28,29)同じ原則は結婚にもあてはまります。神は結婚関係を生がいの結び付きとみなしておられますから,確かに配偶者の選択は慎重であるべきです。そして,自分が始めたことを成し終える用意が自分にあることを確かめてください。求愛でさえ,ゲームのように軽々しく扱うべきものではありません。相手の人の感情を戯れにもてあそぶのは残酷なことであり,それは相手をひどく傷付け,相手の心に,長い間いえないようないたでを負わせかねません。―箴 10:23; 13:12。
38 結婚を考慮中の若い人が慎重で,年長の人々,特に自分の最善の益を心にかけてくれている人々の助言に耳を傾けるのは良いことです。ヨブ記 12章12節の次のような問いかけは,そうすることの価値を気づかせてくれます。「老人の中には知恵があるのではないか。また,長い日々には理解力が」。こうした経験から出る言葉に耳を傾けてください。とりわけ,『心を尽くしてエホバにより頼んでください。自分の理解に頼ってはなりません。あなたのすべての道において彼に注目してください。そうすれば自らあなたの行路を直くしてくださるでしょう』― 箴 3:5,6,新。
39 聖書は,すでに結婚している人々にどのように役立ちますか。
39 これらの言葉を読む人々の中には,すでに結婚しておられる方も多いかもしれません。そうした方々はすでにある程度土台を据えておられるでしょう。しかし聖書は,必要なところに調整を加える助けになり,報いの多い結果をもたらします。結婚生活がどのような状態にあろうと,幸福な家族生活のための創造者の助言をさらに考慮するなら,状態はいっそう良い方向に向かうでしょう。
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結婚式がすんでからあなたの家族生活を幸福なものにする
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3章
結婚式がすんでから
1 伝道之書 4章9,10節に述べられているような協力があれば,結婚生活にとってどんな益がありますか。
結婚式が終わり,あなたは配偶者と新世帯を持ちます。あなたは申し分なく幸福でしょうか。あなたはもう,一人ではなく,何でも打ち明けられる,そして喜びや苦労を共にすることができる相手がいます。あなたは伝道之書 4章9,10節(新)の次の言葉が自分に当てはまる,と思われますか。「二人は一人に勝る。なぜなら,彼らは自分たちの勤労に対して良い報いを得るからである。もしそのうちの一人が倒れるようなことがあれば,他の者がその仲間を起き上がらせることができるからである。しかしたった一人の者が倒れ,彼を起き上がらせる他の者がいない場合はどうであろうか」。あなたの結婚生活はそうした協力が惜しみなく行なわれる生活ですか。ふたりの生活がそのようにうまくとけ合うまでには,ふつう,ある程度の時間と努力が必要です。しかし残念ながら多くの人の結婚生活はそのようになっていきません。
2,3 (イ)結婚式の後,生活のどんな現実に直面しなければなりませんか。(ロ)結婚後調整の必要なことを予期するのはなぜ道理にかなっていますか。
2 恋物語では多くの場合,問題が愛し合っているふたりを結び付け,その後ふたりはいつまでも幸福に暮らします。しかし,現実の生活においては,その後くる日もくる日も幸福に暮らすことは大きな挑戦となります。結婚式後は,朝早い起床,通勤,買物,食事の支度,皿洗い,家の掃除など決まりきった日常の生活になります。
3 結婚関係は調整を必要とします。夫と妻は両方とも,実際や現実とはややかけ離れた期待や夢を少なくともいくらか抱いて結婚しています。それがかなえられないと,最初の数週間でやや失望を感じるかもしれません。しかし,あなたは自分の生活が大きく変化したことを忘れないようにしなければなりません。あなたはもう,一人で住んでいるのでも,これまでずっといっしょに暮らしてきた家族と生活しているのでもありません。あなたは新しい人といっしょに暮らしているのです。ですから思っていたほどよくは知らなかったのだ,ということがだんだん分かってくることもあるかもしれません。あなたの予定は新しく,仕事も新しいかもしれません。生活費も違ってきますし,新しい友人や親族とも顔なじみにならなければなりません。結婚に成功し幸福になるかどうかはあなたが進んで考え方を調整するかどうかにかかっています。
あなたには順応性がありますか
4 どんな聖句は,結婚した人が調整を行なうのに役立ちますか。(コリント第一 10:24。フィリピ 4:5)
4 誇りがあるために順応するのが難しい人がいます。しかし,聖書が述べているとおり,「誇りは災いに先立ち,高ぶりは倒れに先立ち」ます。(箴 16:18,新英訳聖書)イエスは,人があなたの「内衣」を欲しがるなら,「その者には外衣をも取らせなさい」,人があなたに「一マイル」行くことを求めるなら,「その者といっしょに二マイル行きなさい」と言って,自分の方から折れ譲ることを勧められました。身近な人と言い争うよりも,「なぜむしろだまし取られるままにならないのですか」と使徒パウロは問いかけています。(マタイ 5:40,41。コリント第一 6:7)クリスチャンが互いの平和を保つためにそこまで行なえるのであれば,結婚して愛し合っているふたりが,新しい関係を成功させるために考え方を調整することは確かにできるはずです。
5 人は配偶者に関してどのような積極的な,あるいは消極的な見方をすることが可能ですか。
5 幸福になるか不幸になるかの機会はいたる所にあります。あなたはどちらに敏感になるでしょうか。積極的な面に注意を向けますか,それとも消極的な面にこだわりますか。新妻はこう考えるかもしれません。『結婚はしたけれど,おもしろい場所へ連れて行ってつきあってくれたあのロマンチックな男性はどこへ行ったのかしら。彼もやっぱりお決まりの型に納まってしまったわ。わたしがいるのはあたりまえくらいに考えてかまってくれない。以前の彼とはまるで違う』。それとも新妻は,今や夫が家族を養う良い働き手として一生懸命に働いていることを理解し,感謝しているでしょうか。また夫の方は,妻が料理に掃除によく立ち働き,時にはひどく疲れたり魅力的に身を飾る時間が取れなかったりすることに気づいているでしょうか。それとも心の中で,『ぼくが結婚したあのきれいな女の子はどうなってしまったんだろう。彼女は変わってしまった。亭主をものにしたからな』と言うでしょうか。
6 夫婦が結婚を成功させるために本当に努力するなら,それは夫婦相互の関係にどんな影響がありますか。
6 夫も妻も,結婚する前にしていた事を全部する時間や体力はないということを認め,円熟した見方を持たねばなりません。今こそ順応性を示して,結婚生活を良いものにし深い満足感の伴う責任を担うべき時です。結婚生活を台無しにするのは一人ででもできますが,結婚生活を送るには二人が必要です。幸せな結婚生活を営むのは一つの業績であり,業績とは問題を克服して何事かを成し遂げることです。その努力を二人がいっしょにするなら,それぞれの役割がとけ合ってその業績を生むのです。そのように,共通の目標を持っていっしょに努力することは二人を近付け,しっかりと結び合わせ,二人を一体にします。やがてそれは,結婚を前にして抱いていた愛をはるかにしのぐ愛のきずなを生みます。一体となる幸福を経験するとき,違うところをお互いに合わせていくことは喜びとなります。
7 何かを決めるとき,譲るのが良いのはどんな場合ですか。
7 愛が深まるにつれて誇りは消えます。原則が関係していなくて個人的な好みの問題である場合,たとえば家具類の購入や休暇の過ごし方などの問題では,与えることばかりか折れること,つまり譲ることも喜びになります。相手の幸せを考えていることが表面に現われるようになるなら,ふたりは使徒パウロの次の言葉を行なう夫婦になり始めているのです。「自分の益をはかって自分の事だけに目をとめず,人の益をはかって他の人の事にも目をとめなさい」― フィリピ 2:4。
性に対する平衡の取れた見方
8,9 聖書は夫婦間の親密な行為をどのように見ていますか。
8 聖書は性交に関して取りすましてはおらず,夫婦が性交から得る深い喜びを詩的に表現しています。また聖書は,性が夫婦間にのみ許されるべきものであることを強調しています。そのことは箴言 5章15節から21節(新)に次のように書かれています。
「自分の水溜より水を,自分の井戸の中より滴りを飲みなさい。あなたの泉が戸の外に,あなたの水の流れが公共広場にまき散らされてよいだろうか。それはただあなただけのものとなり,共にいる見知らぬ人たちのためとなることのないように。あなたの水の源が祝福されたものとなるように。そして,あなたの若い時の妻と共に歓びなさい。彼女は愛らしい雌鹿また優美な野やぎである。その乳房が常にあなたを酔わせるように。その愛をもって絶えず陶酔するように。ではなぜ,わが子よ,見知らぬ女と陶酔に浸ったり,異国の女の胸を抱擁したりしてよいだろうか。人の道はエホバの目の前にあり,彼はそのすべての道筋を思いはかっておられるからである」。
9 しかしながら,結婚生活の成功のかぎは夫婦の性生活にあるかに思えるほどに,また夫婦関係の他の面での深刻な欠陥を補い得るかに思えるほどに性を重要視しすぎるのは,誤りでしょう。主に性欲をかきたてることを意図した性を扱った書籍や映画や宣伝がはんらんしているので,性がそのように重要視されるようになっています。しかし,それとは違って,神のみ言葉は生活のあらゆる面で自制を働かせることを勧めています。結婚生活においてさえ抑制が全くないなら,結婚関係を安っぽいものにする事柄を行なうようになりかねません。―ガラテア 5:22,23。ヘブライ 13:4。
10 夫婦が性生活に順応するうえで,どんなことを考慮するのは助けになりますか。
10 性生活への順応は難しい場合が多く,結婚後しばらく時間がかかるでしょう。それは,ふつう,知識がなかったり,相手の必要がわからなかったりするためです。尊敬されている既婚の友人に前もって相談するのは助けになるでしょう。男性と女性は造りが異なるばかりでなく,感じ方も異なります。女性はやさしく扱われることを必要としている点を考慮することは大切です。しかし,誤った慎み深さや上品ぶった態度を示したり,性行為をなにか恥ずべき行ないのように考えたりすべきではありません。また,男性の中には性行為を征服する機会とする人がいますが,そういうこともすべきではありません。聖書は,「夫は妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい」と述べています。それを行なう際に当てはまる聖書の原則は,「おのおの自分の益ではなく,他の人の益を求めてゆきなさい」という原則です。そうした愛や相手を喜ばせようとする気持ちがあるなら,調節はうまくいくでしょう。―コリント第一 7:3; 10:24。
意見が違う場合でも,ふきげんになるのを避ける
11-13 意見の相違があるとき,それが深刻な不和にならないように,どんなことを心に留めておくべきですか。
11 世の中には二人として全く同じ人間はいません。ひとりひとりがはっきり異なっています。それは二人の人間がすべての点で同じ意見を持つことはあり得ないということでもあります。見解の相違といっても多くは取るに足りないものかもしれませんが,中には重大なものもあることでしょう。意見が合わないと,すぐに大声を上げたり,押したり,たたいたり,物を投げたりする家庭があります。あるいは夫か妻のどちらかが出て行って何日も何週間も家に帰らなかったり,お互いに口をきかなくなったりする場合もあります。意見が違っても,そういう事態を招かないようにするのはそれほど難しいことではありません。ではどうすればよいのでしょうか。それにはある基本的な真理を直視することです。
12 わたしたちはみな不完全で欠点があり,善意でしていても弱点が表われます。使徒パウロは自分の場合もそのようであることに気づきました。「自分の願う良い事がらは行なわず,自分の願わない悪い事がら,それが自分の常に行なうところとなっているのです」。(ローマ 7:19)わたしたちは人間の最初の両親から罪を受け継いでいます。完全になることはわたしたちの力の及ばないことです。ですから,『だれが,「わたしは自分の心を清めた。わたしは自分の罪から浄くなった」と言いうるでしょうか』― 箴 20:9,新。詩 51:5。ローマ 5:12。
13 わたしたちは自分自身の弱さを認め,その言い訳をします。では,配偶者の弱さも認めて許すことはできないでしょうか。確かにわたしたちは自分が罪人であることはすぐに認めますが,ある特定の罪に対しては守勢をとって,それを認めたがらないのではないでしょうか。そのように間違いを認めたがらないのは,配偶者を含め人間の常であることを理解するだけの洞察力が,わたしたちにあるでしょうか。そしてそれを大目に見るでしょうか。霊感によって記された箴言には,「人の洞察力は確かに自分の怒りを遅くする。違犯を過ぎ越すことはその人の美である」とあります。あなたもきっと,他のほとんどすべての人たちと同様に,「黄金律」の原則には賛成されるに違いありません。イエスは有名な山上の垂訓の中で次のように言われました。「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」。たいていの人は口ではそう言いますが,ほとんど実行しません。黄金律に誠実に従うなら,結婚関係を含め人間関係の諸問題は解決することでしょう。―箴 19:11,新。マタイ 7:12。
14,15 (イ)他の人と比較して,自分の配偶者のほうが劣っていると言うなら,どんなことになりかねませんか。(ロ)時々,どんな事柄に関してそういう賢明でない比較をしてしまうことがありますか。
14 わたしたちはみな,それぞれ別個の人間として考えられ,扱われることを好みます。自分がだれか他の人と比較されて資質や能力が劣っていると見られたら,わたしたちはどう反応するでしょうか。たいていは感情を傷つけられるかまたは憤慨します。実際に,“しかし,わたしはあの人ではない。わたしはわたしだ”と言います。わたしたちは理解ある扱いを望みますから,そうした比較は一般に励ましとはなりません。
15 その点を例を挙げて考えてみましょう。夫であるあなたは,妻が準備した食事を感謝するでしょうか。それとも,妻が自分の母親ほど料理がうまくないことをこぼしますか。ではあなたのお母さんが結婚したばかりのときに料理がどれほど上手だったか,あなたにわかるでしょうか。もしかしたらあなたの奥さんは新婚当時のお母さんよりも料理が上手かもしれません。新しい仕事に慣れ,腕を上げる機会を奥さんに与えてあげてください。一方,妻であるあなたは,ご主人が父親ほど多くの給料をもらわないと言ってこぼしますか。あなたのお父さんは,結婚したばかりのときにどれほどの収入があったのでしょうか。しかしそれさえも問題ではありません。問題なのは,あなたがご主人の助け手となっているかどうかです。ご主人の努力を支え感謝していることをご主人が感じるように,あなたはご主人が出勤する前に起きて朝食を作りますか。どちらかが姻せきの人のことで口論をしかけたり,友だちとの交際や娯楽のことで反対意見を述べたりしますか。このほかのことについても意見の相違は生じるかもしれません。あなたはそれをどのように処理するでしょうか。
16 問題を解決するには大げんかをするのがよいという説はどこが間違っていますか。
16 現代の心理学者の中には,問題解決にはけんかも役立つ,と唱える人たちがいます。欲求不満がつのって圧迫が生じ,ついにはそれが爆発して大げんかになる,というのがその人たちの説です。激しい怒りをぶつけ合うと長い間たまっていたうっぷんが急にぶちまけられて解消する,というわけです。そうなるまでに欲求不満は内部でぐつぐつ煮えています。そしてついにはがまんできなくなって怒りだします。しかし,かっとなったときには,心にないことを言ったり,いえることのない傷を負わせたりする重大な危険があります。相手をあまりにもひどく傷つけるなら,あとで取り除くことのできない壁ができることもあります。そのことを,箴言 18章19節(新)はこう警告しています。「違犯を犯される兄弟は強固な町以上である。居住の塔のかんぬきのような口論もある」。聖書には,「争いが起こらないうちにやめよ」という健全な助言が記されています。―箴 17:14,改訂標準訳。
意思の疎通を図りなさい!
17 爆発点に達するまで不満を心の中で育てないようにするにはどうすればよいでしょうか。
17 意見が合わないとき,爆発点に達するまで不満を心の中で育てるよりもはるかに良いことは,話し合うことです。気に障る言葉をくよくよ考え込むと,必ずと言っていいほど実際より悪く取るものです。ですからその場で話し合うか,さもなくば忘れてしまうことです。それは何の気なしに言った言葉にすぎないでしょうか。では気に留めないことです。それは話し合いを必要としますか。配偶者はあなたの心を苦しめるようなことを何かしたでしょうか。その場合ぶっきらぼうにとがめ立てるのはよくありません。質問の形で問題点を浮き彫りにするか,または話し合いの糸口となるような提案を試みます。例えば,『あなた,わたしには少し理解できないことがあるんですけれど,教えていただけませんか』と言うこともできるでしょう。そう言ったなら,相手の言うことに耳を傾け,相手の見方を理解するように努めなければなりません。箴言 18章13節(新)の次の忠告に留意することが大切です。「聞く前にある事柄に対して返答しているなら,それはその者の愚かさ,また恥である」。わたしたちはだれしも,自分について誤った結論を性急に下されるのを好みません。ですから,すぐに反応しないで,むしろある行為の背後にある意図や動機を見分けるように努めるべきです。箴言 20章5節(新)の次の助言を実行してください。「人の心の中にある計り事は深い水のようだ。しかし識別力のある者,彼はそれをくみ上げる」。
18 消極的な気分をなくするのにどんなことが役立ちますか。
18 あなたは気分に左右されますか。むら気の人といっしょに暮らすのはやさしくありません。気分は,脳の化学物質に左右されるのだから自分ではどうにもならないとしきりに主張する人々がいます。その真偽はともかく,気分は伝染しやすいものです。わたしたちは周囲の人たちによって元気付けられたり,憂うつにさせられたりするものです。音楽もわたしたちの内にいろいろな気分を醸し出します。物語からも同様の影響を受けます。頭の中で考えていることが気分に影響するのです。消極的な事柄をくよくよ考えるなら,ふさいだ気分になります。しかし,意志を働かせて積極的で楽観的な考えを抱くように自分を仕向けることができます。積極的な事柄を考えつづけることです。(フィリピ 4:8)それがむずかしいなら,体を激しく動かす活動を何か行なうとよいでしょう。くわを振る除草作業,床みがきなどの骨折り仕事,戸外での駆け足,森の中の散歩,さらに良いこととしてだれかほかの人のためになるような仕事を見つけるなど,ともかくあなたの注意や活力をどこかほかへ向ける事をすることです。悪感情を抱くよりも,良い感情をはぐくむほうがずっとましです。そのほうがあなたにとってずっと楽しいでしょうし,ましてあなたの配偶者にとってそのほうがずっと楽しいに違いありません。
19 配偶者の気分に,理解をもってどう対応できますか。
19 しかし,非常に悲しい出来事に遭ったり,重い病気や痛みに苦しんだりするときもあります。あるいは妻の場合は月経周期や妊娠などで,神経組織と感情に影響を与える強力なホルモンの分泌が大きく変化します。女性は月経前になると自分では意識していなくても緊張していることがあります。これは夫が心に留めておくべき大切なことです。これを心に留めていれば,夫は憤慨するかわりに洞察力を示せます。そういう特別な状況の下では,夫も妻も感情の変化の原因を悟り,建設的な方法で対応すべきです。「賢い者の心はその口に洞察力を示させ,そのくちびるに説得力を添える」。「真の伴侶はいつも愛するものであり,苦難がある時のために生まれる兄弟である」。―箴 16:23; 17:17,新。
20-22 (イ)不当なねたみはなぜ避けるべきですか。(ロ)配偶者に安心感を与えるために何ができるでしょうか。
20 あなたの配偶者はしっと深いですか。人が自分の評判に,また結婚生活に気を配るのは正しいことです。アドレナリンが心臓の鼓動を再び始めさせるように,ねたみは大事にしているものを守るよう人を奮い立たせます。ねたみの反対は無関心です。わたしたちは自分の結婚生活に無関心であるべきではありません。
21 しかし,別の種類のねたみがあります。それは不安から生まれ,想像によってふくらんだねたみです。そうした不条理で所有欲過剰なねたみは,結婚生活を信頼と真の愛の存続し得ない不快なろう獄にしてしまいます。愛は,そうした形では『ねたみ』ません。また,妄想によるねたみは「骨の腐れ」です。―コリント第一 13:4。箴 14:30,新。
22 配偶者がしっと心から不安を感じる正当な理由を持っているなら,その理由をただちに取り除かねばなりません。もし本当の理由がないなら言葉によって,もっと重要なことは行ないによって,しっと深い配偶者に自信を持たせるためにできる限りのことをします。その心に達しなければならないのです。
23 夫婦間の問題を解決するのに第三者の助けを求めようとする場合,どんなことを考慮するのは有益ですか。
23 夫婦の不和を解決するのに,第三者は助けになるでしょうか。助けになることもあるでしょう。しかし,夫婦双方が同意しないかぎり,第三者を呼ぶべきではありません。まず,「仲間の人間に対し自分の訴えを弁護しなさい。他人の内密の話を明かしてはならない」。(箴 25:9,新)姻せきに仲裁に入ってもらうのは特に危険です。そういう人たちはおそらく公平を欠くでしょう。賢明にも聖書はこう述べています。『男は父と母を離れる。そして,自分の妻に堅く付かねばならない』。(創世 2:24,新)同じことは,両親と夫に関し妻にも当てはまります。両親や姻せきに仲に入って自分の味方をしてもらうよりも,夫婦はそれが自分たちふたりの問題で,いっしょに解決する必要のあるものであることを認め,離れ離れにならずに結束すべきです。相手の同意を得ずに第三者に訴えるなら,その夫婦は他の人の前で品位を落とすことになります。ふたりが率直かつ正直に,そして愛情をこめて話し合うなら,問題を自分たちで解決できないはずはありません。他の円熟した人に助言を求めることはできますが,最終的に解決しなければならないのは,あなたとあなたの配偶者です。
24,25 夫婦の問題を解決するのに誇りが邪魔になっているなら,どうするのがよいでしょうか。
24 「うぬぼれる,つまり自分自身をあまり重視してはなりません」と使徒パウロは助言しています。(ローマ 12:3,新英訳聖書)さらに,「互いを敬う点で率先しなさい」とも述べています。(ローマ 12:10)時に誇りが傷つけられる場合,自分は実際にそれほど偉くはないんだと思うと気が楽になります。確かに,わたしたちは地球に比べれば小さなものです。そして地球は太陽系の中のほんの一点に過ぎず,その太陽系は宇宙内では微々たる存在です。エホバの目からすれば,『すべての諸国民は無きもののようです。彼らは無なるもの,また実在しないもののようにみなされています』。(イザヤ 40:17,新)そのように考えると,物事を全体的に見ることができ,結局,意見の衝突の原因も大して重要なことではないことがわかります。
25 時には,ユーモアのセンスを働かせることも,自分のことを深刻に考え過ぎないようにするのに役立ちます。自分自身のことを笑えるのは円熟のしるしであり,それによって生活上の多くの不快な事柄を和らげることができます。
「水の上にパンを投げよ」
26,27 不和を穏やかに解決しようと努力しても,配偶者が答え応じてくれないなら,聖書のどんな原則を適用すべきですか。なぜですか。
26 あなたが不和を穏やかに解決しようと努力しても,配偶者がそれに答え応じてくれないならどうしますか。「だれに対しても,悪に悪を返してはなりません」という聖書の助言に従ってください。イエスはわたしたちが見倣うべき手本です。「彼は,ののしられても,ののしり返したりしませんでした」。人々の間で一般に行なわれるのは,同じように仕返しをすることです。しかし,そのようにするなら,あなたは他の人々があなたを形造る,つまり,あなたをそのような人間にするがままになっているのです。実際,その人たちは,あなたを彼らのような者にしています。そのようにさせるのは,あなた自身,あなたが支持しているもの,大切にしている原則を否定することです。それよりもむしろ,現在の自分に忠実で,周囲の人々の弱さによって変わることのないイエスを見倣ってください。『たとえわたしたちが不忠実でも,彼は引き続き忠実です。彼は自分を否むことができないからです』。―ローマ 12:17。ペテロ第一 2:23。テモテ第二 2:13。
27 もしあなたに,善をもって悪循環を終わらせるだけの強さがあれば,良い循環を始められます。『答えは,柔和であれば,激怒を遠ざけます』。(箴 15:1,新)穏やかな答えは弱さから出るのでなく,強さから出ます。配偶者はそのことを感じ取るでしょう。非常に多くの人が,悪に返すに悪をもってするので,善をもってそれを突破すれば悪循環を良い循環に転じることができるかもしれません。幾つかの聖句はそのことを示しています。「他の人たちに惜しみなく水を注ぐ者は,自らも惜しみなく水を注がれる」。「あなたがたが量り出しているその量りで,今度は人びとがあなたがたに量り出してくれるのです」。「水の上にパンを投げよ。多くの日の後にそれを見いだすからである」。(箴 11:25,新。ルカ 6:38。伝道 11:1,改訂標準訳)あなたが善を行なった報いを配偶者から刈り取るのに時間のかかることがあります。今日種をまいて,明日刈り取るということはありません。しかしながら,「なんであれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。……それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです」― ガラテア 6:7-9。
28 聖書の箴言の書の中には,幸福な結婚生活を促進するのに役立つどんな優れた原則が記されていますか。それはどのように役立ちますか。
28 次に,夫と妻が考慮すべき幾つかの聖句と質問を掲げます。
箴 14:29,新: 「怒ることに遅い者は識別力に富む。しかし短気な者は愚かさを高めている」。時間をかけてゆっくり考えてみると,腹を立てるほどの理由などないことに気づくことがよくありませんか。
箴 17:27,新: 「自分の言う事柄を控える者は知識を所有している。識別力のある者は霊が冷静である」。あなたは冷静さを保ち,配偶者を怒らせるようなことを言わないようにしますか。
箴 25:11,新: 「時にかなった言葉は,銀の彫り物の中にある金のりんごのようだ」。ある場合にふさわしい言葉でも,別の時にはふさわしくないことがあります。あなたは時に応じて何がふさわしい言葉であるかを識別できますか。
箴 12:18,新: 「剣で刺すように無思慮に話す者がいる。しかし賢い者たちの舌は癒しである」。あなたは話す前に,その言葉が配偶者にどんな影響を与えるか考えてみますか。
箴 10:19,新: 「言葉の多いところに違犯は免れない。しかし自分のくちびるを制している者は思慮深く行動している」。感情を害すると,時として自分が思ってもいないことまで言ってしまい,後で後悔するものです。あなたはそうしないように気をつけていますか。
箴 20:3,新: 「人にとって議論をやめるのは栄光である。しかし愚かな者はすべてその中へ飛び込んで行く」。ふたりいなければ議論はできません。あなたは,議論を終わらせる側になるほど円熟していますか。
箴 10:12,新: 「憎しみは口論を引き起こすものである。しかし愛は,あらゆる違犯を覆う」。あなたは古い議論を絶えず蒸し返しますか。それとも,それらを水に流せるほど配偶者を愛していますか。
箴 14:9,「新英訳聖書」: 「愚かな人はあまりにもごう慢で仲直りしようとしない。廉潔な人は,和解の意味するところを知っている」。あなたはあまりにも誇り高いために歩み寄って結婚生活の平和を求めることが難しいですか。
箴 26:20,新: 「木がなければ,火は消える」。あなたは議論をやめることができますか。それともやり込める言葉を口にしなければ気がすみませんか。
エフェソス 4:26,「あなたがたが怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい」。あなたは意見の不一致のことをくよくよ考えて,自分自身と配偶者の両方をいつまでもみじめな気持ちにさせておきますか。
29 幸福な結婚生活を維持しようと努めるとき,どんな基本的な事柄を心に留めておくべきですか。
29 賢明な助言は,それが実行に移されて初めて益になります。それを試してください。同様に,あなたの配偶者の提案も積極的に試し,うまくいくかどうかをみてください。何かがうまくいかなかったら,どちらの責任でしょうか。それは重要なことではありません。大切なのは,どうすれば物事を正せるかということです。融通性を示し,意見の違いをはっきりさせてそれを十分に話し合い,自分のことを深刻に考え過ぎないようにしなければなりません。意思の疎通を図ることが大切です。あなたが『配偶者を自分自身のように愛する』なら,結婚関係に順応して結婚生活を幸福なものにするのは難しいことではありません。―マタイ 19:19。
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深く尊敬される夫あなたの家族生活を幸福なものにする
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4章
深く尊敬される夫
1,2 尊敬はどのようにして得られますか。そのことはイエス・キリストの場合にどのように例証されていますか。
尊敬は,自分を尊敬するようだれかに命令すれば得られるというものではありません。話し方や振舞い,人柄などによって得なければならないものです。
2 その良い例はキリスト・イエスの場合です。イエスが教師として尊敬を得たのは,その教え方によりました。イエスが山上の垂訓を終えると,「群衆はその教え方に驚き入って」いました。イエスはなぜそのような尊敬を得たのでしょうか。それは他の人間の見解ではなく,神の言葉聖書を導きとしておられたからです。イエスにとって唯一の権威は,エホバ神とその真理のみ言葉でした。イエスは当然得るべくして,友人からも敵からも尊敬を得られたのです。―マタイ 7:28,29; 15:1-9。ヨハネ 7:32,45,46。
3 エフェソス 5章33節によれば,妻にはどんな義務がありますか。したがって,夫には何が求められますか。
3 エフェソス 5章33節には「妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」という教えがあります。しかし,夫は深い敬意に価するよう努力する必要があります。そうでなければ,妻がその教えに従うことはたいへん難しくなります。では夫はそういう尊敬を得るよう,聖書にあらまし説明されている夫の役割をどうすれば果たしてゆけるでしょうか。
頭の権を正しく行使することによって
4 聖書によれば,夫はどんな立場にありますか。
4 聖書は,夫を結婚関係における頭に定め,次のように述べています。「妻は主に対するように自分の夫に服しなさい。夫は妻の頭だからです。それは,キリストが会衆の頭であり,この体の救い主であられるのと同じです。そうです,会衆がキリストに服しているように,妻もすべての事において夫に服しなさい」。(エフェソス 5:22-24)この取り決めは家族の幸福に本当に役立つでしょうか。女性の中には,一部の男性が女性との関係における自分の地位について抱いているごう慢でうぬぼれた考えを男の狂信的排他主義と呼んで抗議する人たちがいます。しかしまず最初に述べておきたいことは,聖書の教えはそのような男の狂信的排他主義を認めるものではないということです。
5 夫は頭の権に関して何を認めるべきですか。そして,だれの模範に従うべきですか。
5 聖書は,女性だけでなく,男性も頭の権の下にあることを強調しています。聖書のコリント第一 11章3節を見ると,使徒パウロはコリントの会衆へ次のように書き送っています。「あなたがたに次のことを知って欲しいと思います。すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神なのです」。男にはキリストという頭がいます。したがって,夫であるあなたは,神とキリストを模範とし教師として頭の権の用い方を学ばねばならないのです。
6 夫たちはエホバ神とイエス・キリストから頭の権に関して何を学べますか。
6 キリストに対するエホバの頭の権の行使はいつくしみに満ちたものであり,それに対するキリストの反応は,「あなたのご意志を行なうことを,ああ,わたしの神よ,わたしは喜びました」でした。(詩 40:8,新。ヘブライ 10:7)イエスの頭の権も愛に富んでいます。ご自分の弟子になる人々に対してイエスは次のように言われました。「わたしは柔和で,心のへりくだった者だからであり,あなたがたは自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう」。(マタイ 11:29)聖書はキリストの会衆を花嫁になぞらえていますが,その会衆の成員たちはキリストの頭の権の下で,確かにさわやかなものを見いだしました。キリストは彼らを食いものにするのでなく,深い愛ゆえにご自分を犠牲にしてこられました。夫が妻に対して行使するのもこの種の頭の権です。『夫は,妻を愛しつづけてください。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を渡されたのと同じようにです。……このように,夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします。キリストが会衆に対してするようにです。……あなたがたひとりひとりも,それぞれ自分を愛するように妻を愛してください。一方,妻は夫に対して深い敬意を持つべきです』。(エフェソス 5:25-29,33)夫がキリストの頭の権に服して模範を示すなら,妻が夫の頭の権に深い敬意を示すのは難しいことではなく,かえって喜びとなります。
7,8 夫たちが時として,頭の権を正しく行使することに失敗する点を幾つか挙げなさい。
7 大きな問題は,家族の頭として尊敬されたいと願いつつも,不完全さと持って生まれた利己心のために,夫が必要な愛や思いやりを妻に示せないことが時々あることです。夫の愛が感じられない,夫の関心は自分が楽しみ満足することにしかないと妻はよく言います。また,夫が暴君だとこぼす妻もいます。それは,妻が夫の頭の権を侵害しようとしたため,夫がそれに抵抗した結果かもしれません。あるいは,その男性は多くの夫が横へいで暴君であるのを見て育ったとも考えられます。どんな理由にせよ,頭の権のそうした誤用はだれからも尊敬されません。
8 そうかと思うと,頭の権を誤用するのでなくそれを放棄する夫がいます。つまり,あらゆる決定を妻に任せてしまうのです。あるいは,“せき立てるのはよしてくれ”と妻に言っていつまでもぐずぐずしているために,家族の福祉が損なわれる,ということもあります。そういう夫は,体を動かす点では怠惰でも無精でもないかもしれません。しかし,精神的な努力をいとうなら,箴言 24章33,34節に次のように描かれている人と同じ結果を得ることになるでしょう。「『少し眠り,少しまどろみ,手をこまねいて少し休む』,すると貧しさが盗人のように,乏しさが武装した男のようにあなたに襲う」。―改訂標準訳。
9,10 家族に影響のある決定をする場合,夫はだれの考えを考慮に入れるべきですか。
9 堅実で力強く,決断力のあることを示すなら,夫は妻の尊敬を得ます。しかしそれは,家族の中のだれかほかの者に相談すべきでないとかたまたま自分の意見とは違うからといって妻の意見を十分考慮しなくてよいということではありません。聖書の初めのほうに,アブラハムとサラの家族に起きた,ある深刻な問題が記述されています。それは息子イサクと,奴隷女ハガルの子供にかかわるものでした。サラが勧めた解決策は,その問題に対するアブラハムの感情と一致しないものでした。しかし神はアブラハムに,「その声を聴き入れなさい」とおっしゃいました。―創世 21:9-12,新。
10 このことから,夫はどんな時でも妻の願いをいれるべきなのだと結論するのは早計です。しかし,家族に影響する事柄を妻と話し合い,考えや気持ちを自由に話すように妻を励ますのは有益です。話し合いの道をいつも開いておき,常に近付きやすくあり,決定に際しては妻の好みをよく検討します。いばった,横暴な態度を取るのではなく,むしろ謙そんな態度で頭の権を行使します。夫も完全ではありませんから失敗をすることもあるでしょう。そのときには,妻の理解を必要とします。そういう事態が起きたとき,誇りの強い人の妻より,謙そんな人の妻のほうが頭の権を尊重しやすいでしょう。
一家の良い働き手となることによって
11,12 (イ)生活に必要な物を備える点で夫にはどんな責任がありますか。(ロ)そういう必要な物を手に入れることは,実際にはふたりが協力して行なうことであるとどうして言えますか。
11 家族のために生活に必要な物を備えるのは夫の責任です。テモテ第一 5章8節はそのことをこう述べています。「当然のことですが,自分に属する人びと,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです」。今日,多くの国で生活費が非常に高くなっています。夫は,その必要をどうまかなうかを左右する決定を下さねばなりません。それに恐らく,働いて得たお金を家に持って帰ることに加えて,妻といっしょに,ふたりの納得のゆく予算を立てる必要のあることに夫は気づくでしょう。それはつまり,支出を制御するための取り決めを設けるということです。そうすれば,収入の範囲内で生活することが容易になります。またそれは給料日の前にお金がなくなるために起こりがちな言い争いを避けるのに大いに役立ちます。
12 一家を支えるお金を得るのはほとんどの場合夫ですが,しかしそれは協力してもうけたものであることを忘れるべきではありません。自分ひとりで収入を得ているように考えている夫があるなら,その人は,買物をする人,料理人,皿洗い,掃除婦,室内装飾者,看護人,その他を雇えばどれほどの費用がかかるか計算してみるとよいでしょう。通常,妻はそうした仕事をして経費を省いています。むろん,それをすることは,配偶者である妻が果たすべき分です。そしてもし妻が繁雑な家計簿をつけているなら,先のリストに“会計士”を加えることができます。「人は良い妻を見いだしたであろうか。その人は良いものを見いだしたのである」という箴言 18章22節(新)の言葉は正に真実です。
13 物質のことについて,夫婦はどんな見方を避けるべきですか。それはどのようにふたりのためになりますか。
13 生活物資を手に入れるにあたって,夫と妻に絶えずつきまとう危険は,人生観や人生との取り組み方がしだいに物質主義になってゆく危険です。これほど,家族の幸福の土台をむしばむものはありません。聖書の筆記者パウロは次のように述べています。「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできない(の)です。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです。しかし,富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥り,それは人を滅びと破滅に投げ込みます。金銭に対する愛はあらゆる有害な事がらの根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」。物質的な生き方をしてどれほどの持ち物を得ようとも,それは,家族のきずなが弱まって崩壊するのを見る悲しみの埋め合わせにはなりません。物質的に得るものは,霊的また感情的な損失に比べてはるかに少ないのです。―テモテ第一 6:7-10。
14 物質的な事柄が個人の生活において過度に重視されるかどうかは何によって決まりますか。
14 物質主義とは,単に物質の財産を持っているということではなく,物を愛することです。貧しくても物質主義的な人もあれば,富んでいても霊的な思いを持っている人がいます。ですから,問題はその人の心がどこにあるかということです。イエスはこうおっしゃいました。「あなたがたは自分のために地上に宝を蓄えるのをやめなさい。そこでは蛾とさびが食い尽くし,また盗人が押し入って盗みます。むしろ,自分のために宝を天に蓄えなさい。そこでは蛾もさびも食わず,盗人が押し入って盗むこともありません」― マタイ 6:19-21。
15,16 幸福な家族生活を維持するためには,夫は,物質上の必要物を十分に備えることに加えて何を行なうべきですか。
15 一家の良い働き手である夫は,そうした聖書の訓戒をよく考え,必要な物資を備えるだけにとどまらず家族のために霊的なものを備えることにも時間を当てます。家族を霊的に強くするための十分な時間と体力が残らないほど,世俗の仕事に多くの時間を費やして生活物資を得ることにどれほどの益があるでしょう。生活の諸問題に首尾よく対処する知恵を得るには,正しい原則をしっかり守ろうとする精神を,時間をかけて家族に植え込まなければなりません。神の言葉をいっしょに朗読したり話し合ったりすることを生活の中に取り入れるとき,それは,心を合わせて祈るときと同様に,成し遂げられます。そのことに率先するのは,家族の頭である夫の責任です。それがもたらす益は,それに費やす時間と努力を補って余りあります。神の次の約束が果たされずに終わることはありません。「あなたのすべての道において彼に注目しなさい。そうすれば彼ご自身があなたの行路を直くしてくださるであろう」― 箴 3:6,新。
16 自分の歩みの導きを神に求める夫は,伝道之書 7章12節(新)の,「知恵は金が身の守りであるのと同じく身の守りである。しかし知識の利点は,知恵がその所有者たちを生き長らえさせることである」という助言が,平衡の取れた助言であることを悟っています。ですから,一家の良い働き手として,家族の物質面の必要を満たすために精を出して働きますが,その希望は『不確かな富にではなく,神』に置いています。そして,自分と妻が共に「真の命をしっかりとらえる」ために,霊的な事柄に重きをおく点で模範を示します。(テモテ第一 6:17-19)そのように,物質面でも霊的な面でも必要なものを備えるよう努力する夫は,神を恐れる妻の尊敬を勝ち得ます。
妻に誉れを与えることによって
17-19 妻に「誉れ」を配しなさいという聖書の助言は,性関係にどう適用されるでしょうか。
17 使徒ペテロは,夫たちに彼らの妻に関する事柄を話し,「弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい」と命じています。(ペテロ第一 3:7)同じ節でペテロは,夫が妻とともに住み,「知識にしたがって」妻に誉れを配すべきであることを指摘しています。
18 このことは確かに性関係に当てはまります。多くの妻に見られる不感症は,往々にして,夫が女性の身体的感情的な造りに無知なことに原因しています。「夫は妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい」,しかし,「知識にしたがって」それをなし,「弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい」と神のみ言葉は助言しています。(コリント第一 7:3)ほんとうに『妻に誉れを配する』なら,妻が非常に疲れていたり,月ごとの体の変化で憂うつになっていたりするときに,荒々しいわがままな態度を取って,自分の欲望を満足させることだけを考えるようなことはしないでしょう。(レビ記 20章18節と比較してください)また,実際に性行為を行なうときに,自分自身の喜びを求めるあまり,妻の必要を無視することをしません。この面での女性の反応は男性ほど速くありません。女性はやさしさや愛情を特に必要とします。聖書は,「妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい」と夫に命じて,受けることよりも与えることを強調しています。
19 そのようにして与えることは,むろん,自分の配偶者のみに限らねばなりません。なるほど,今日多くの男性は他の女性と“関係”を持ちます。しかし,その結果何を得るでしょうか。自分の家庭の幸福を台無しにするだけです。そのような男性は妻に『誉れを配する』ことをしていないために,妻から尊敬される理由がありません。そればかりか,神が創始された結婚という取り決めそのものを侮辱しています。それによって生じるあらゆる心痛を考えると,ヘブライ 13章4節が次のように勧めている理由が理解できます。「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです」。
20 エフェソス 5章28節に示されているとおり,他のどんな面で妻は誉れを配されるべきですか。
20 妻に誉れを与えることは性関係だけで終わるのではありません。真に尊敬される夫は,他の様々な事柄においても,妻を重んじていることを示します。それは妻を崇拝して妻の奴隷になるということではなく,むしろ,先に出てきたエフェソス 5章28節の言葉を実行することです。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです」。これを行なう夫は,妻を劣った人間であるかのように扱うことはないでしょう。食事のときに,自分の体は食物のいちばん良いところを全部取るだけの価値があるが妻は残り物でいいというようなことは考えないでしょう。もし本当に妻を「自分の体のように」愛しているならば。自分の外見についても自己中心的にならずに妻が自分の服装に満足を感じられるようにできるだけのことをして,妻の外見にも自分と同様の,あるいはそれ以上の気遣いを示します。何かが思いどおりにいかなかったときに,自分の体をたたく人はいません。クリスチャンの夫も,妻が自分の期待にこたえられないことがあっても,そのために妻をたたいたりはしません。それとは全く反対に,だれかが自分の妻を虐待するなら,心から妻を助けるでしょう。夫は妻を自分の体のように愛しているからです。
21,22 妻がその役目を喜んで果たせるように,夫はどんな助けを与えられますか。
21 妻に『誉れを配する』には,ふたりの必要が似ている分野を知る一方,ふたりの間の心理的な違いも理解する必要があります。基本的にいって女性は,権威が正しく行使されるなら,そのひごの下で働くことを好みます。エホバ神は女性をそのように創造されたのです。女は,『男を補うものとして,男のための助け手』となるべく作られました。(創世 2:18,新)しかし,監督があまりにも細部にわたるために,自分が率先して事を行なって能力を発揮する余地が全くないなら,妻は生活から楽しみが絞り取られていると感じて,怒りをつのらせるかもしれません。
22 注意を要するもう一つの大切な要素は,必要な存在と思われたいという,妻の自然の欲求です。ほとんどの妻はよく手伝ってくれる夫に感謝します。しかし,妻をわきへ押しのけてさい配を振るう夫は,益をもたらすどころか害をなしていることに気付くでしょう。しかし,もし夫が親切で妻の働きをよく認め,妻がなくてならない存在であること,また妻を尊敬していること,ふたりがチームとして働いていること,そして,「わたしたち」,「わたしたちのもの」であって,「わたし」,「お前」,「わたしのもの」,「お前のもの」ではないということを妻に知らせるようにするなら,それは妻の誠意を得るうえで大いに力があります。あなたは,妻にどれほど感謝し,妻をどれほど必要としているかを,本人に本当に伝えておられるでしょうか。それは妻に賃金を払ってできるものではありません。ですから他のいろいろな方法で示さねばなりません。
妻が持つ女性の特質をよく知る
23 一般的に言って,男性と女性は感情面でどのように違いますか。
23 ある女性心理学者は,「基本的にいって,女は感じ,男は考える」と書いています。この特質そのものは,一方が他方に勝っているわけではありません。両者はただ異なっているだけです。わたしたちは鈍感な人を好みませんが,考えのない人も好みません。明らかに女性は感じる能力も考える能力も持っています。男性も同じです。しかし一般的に言って,女性の感情のほうが容易に表面に表われます。男性は,問題との道理にかなった取り組み方と考えられることのほうに重きをおいて,感情を抑えようとするのが普通です。むろん例外はありますが,これも夫と妻を互いに補い合うものとする男女間の相違です。女性は,基本的により感情的な性質をしているうえに,人々に強い関心を持っているので,しばしば,男性よりもよく話します。したがって話し相手を必要としています。この点で妻の期待にそわない夫は少なくありません。
24 夫が妻の言葉に耳を傾け,妻と話すのはなぜ大切なことですか。
24 あなたは妻に話し掛けるでしょうか。自分の仕事のことだけでなく,妻の仕事のことも話されますか。妻の仕事のことに関心がありますか。そして関心があることを本人に示されるでしょうか。妻の一日はどうだったでしょうか。子供たちにはどんなことがありましたか。家に帰ると,“夕食は何だい”と聞くだけで,食べ終わってからは新聞を広げて顔を隠し,妻がしきりに話しかけても気のない返事をする,というようなことはいけません。妻自身に対して,また妻の考えや活動や物事に対する感じ方に対して関心を持ってください。妻が計画を実行するように励まし,また成し遂げたことをほめてください。自分がしたことをほめられると,さもなくばなおざりにしたかもしれないほかの仕事もし始めるかもしれません。あら捜しは,知らぬ間に作用する毒物や抑制剤の働きをする恐れがあります。当然受けるに値するときに,心から与えられるほめ言葉は,心をいやす薬であり,精神を高揚させる刺激剤です。―箴 12:18; 16:24。
25,26 (イ)贈り物は妻にどんな言葉を伝えますか。(ロ)どんな種類の贈り物は妻にとって非常に大切ですか。
25 あなたは妻に時々贈り物をなさるでしょうか。必ずしも高価な物でなくても,“あなたのことを思っています”という気持ちを伝えるささやかな物でもかまいません。そして特別なときだけでなく,そうしたい気持ちになったという以外に何の理由もないとき,あなたの愛情の自然の発露としてその贈り物をなさいますか。妻があなたの好きなごちそうを作ってあなたを驚かせるとき,あなたはうれしくないでしょうか。驚きには驚きを返して,妻を喜ばせてください。愛から出たささやかな贈り物は,義務感から ― もしかしたら惜しみながら ― 機械的に渡される高価な贈り物よりもはるかに意味があります。「神は快く与える者を愛されるのです」。(コリント第二 9:7)妻たちもそうです。たとえ,食事が特別なごちそうでなくても,「野菜の料理でもそこに愛のある方が,飼い葉おけで肥育された牛とそれに伴う憎しみより良い」ということを思い出しましょう。―箴 15:17,新。
26 与えることで最も重要なのは,あなた自身を与えること,あなたの時間,活力,注意,考え,とりわけあなたが心の中で一番大切にしている考えを与えることです。そうするのを難しく感じる男性は少なくありません。愛情を表現するのは愚かな感傷主義で,なんとなく男らしくないと思えるかもしれません。しかし,妻を愛している人なら,ちょっとしたまな差しや言葉,体に手を触れることが妻にとって大きな意味を持つことを心に留めているでしょう。一方,そうしたものが欠けると,妻はふきげんになり,疲れ,喜びを失うことが多いのです。ですから,聖書の雅歌に書かれている模範にならってください。他の人への気づかいや愛情を表現することは,それをする人の益になります。人々は温かい人にいや応なく引き寄せられるものです。では,温かい人とはどんな人でしょうか。自分が心に掛けている人々に対して感情や熱意を吐露する人です。そうした温かさは人に伝染しますから,与えた人に返って来ます。―雅歌 1:2,15。ルカ 6:38。
27,28 (イ)夫は,自分が頭の権を正しく行使しているかどうかを判断するために,どのように自問できるでしょうか。(ロ)こうした事柄に関心を払うのはなぜよいことですか。
27 夫である方はこう自問してみてください。わたしの頭の権は妻にとって敬意を示しやすいものだろうか。わたしは妻を自分自身のように愛しているだろうか。それとも,自分自身を満足させることや自分に必要なものに主な関心を注いでいるだろうか。妻の必要をどれほど考慮しているだろうか。家族に関係した事柄を決定する前に,妻の考えを聞いたり,妻の意向を考慮したりするだろうか。わたしの決定は妻の福祉を考えてなされているだろうか。より弱い器である女性として妻に誉れを配しているだろうか。妻と会話をし,自分の胸中を妻にすっかり明かしているだろうか。
28 夫はこうしたことを完ぺきに行なうことはできないかもしれません。しかし,もしたゆまず謙そんに努力するなら,それは,妻の深い尊敬と神の是認を得る夫となるうえで大いに助けとなることが確信できるでしょう。
[49ページの図版]
ささやかな物でも大きな意味を持つ
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深く愛される妻あなたの家族生活を幸福なものにする
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5章
深く愛される妻
1-4 時折,女性は,自分に対する夫の愛情の表現のことでどんな不平を言いますか。
ある女性がほかの女性にこんなぐちをこぼしました。『主人がわたしを愛してくれていることはわかるんだけど,そのことを決して言おうとはしないの。わたしが無理に引き出すようにすれば,たまには言うこともあるわ。でも,わたしがそんなことをしなくても,愛していると言ってくれたら,そのほうがどんなにうれしいかわからないわ』。
2 相手の女性は答えました。『わかるわ。でも男の人ってそういうものよ。わたしも主人に,あなたはわたしを愛してくださっているの,と聞いたことがあるの。そうしたら主人はこう言ったわ。「ぼくは君と結婚しただろ。君を養っているし,君といっしょに暮らしている。もし君を愛していなければ,そんなことしないよ」』。
3 そして,少し間をおいてから,次のように続けました。『でも,このあいだの晩,とても感激したことがあったの。昼間,主人の書斎をお掃除していたとき,机の引出の中にスナップ写真があるのを見つけたの。それはわたしの実家の家族の写真をはった古いアルバムにあった写真で,七歳の水着姿のわたしが写っていたのね。わたしはそれを主人に見せたことがあったの。ところが主人はそれをアルバムから抜き取って,自分の机の引出にしまっていたのね』。
4 彼女はほおえみを浮かべて思い出を語りながら友だちを見ました。『その晩,主人が仕事から帰ったとき,わたしはその写真をさっと主人の前に出して見せました。主人はそれを手に取るとにっこりして,「この女の子をかわいがっているんだ」と言いました。それから写真を置き,両手でわたしの顔をはさむようにして「その子が大きくなった今の君も愛しているんだよ」と言って,やさしくせっぷんしてくれたの。わたしは泣いてしまったわ』。
5 夫の深い愛を得るには,妻はどのように振る舞うべきですか。
5 夫に非常に愛されていることを知っている妻は,ほのぼのとした気持ちを持ち,心の平安を感じます。神のみ言葉は,妻をそのように愛することを夫たちに助言しています。『夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします。……ふたりは一つの肉体となります』。(エフェソス 5:28,29,31)すでに取り上げたとおり,妻は夫を深く尊敬しなければなりませんが,夫はその尊敬を得るような振る舞いをしなければなりません。妻を愛し,いつくしむようにという夫に対する助言についても,そのことは言えます。つまり,妻は,夫が心から愛し大事にせずにはいられないように振る舞うべきなのです。
あなたは夫を支えますか
6,7 (イ)創世記 2章18節で,エホバは女をどんな役割のために作ったと述べておられますか。(ロ)夫の真の助け手となるために,妻には何が求められていますか。
6 妻が深く愛されるには,夫の頭の権にただ服従するというのではなくそれ以上のことが求められます。でなければ,男性はよく手なずけた馬か犬を持ってもよかったでしょう。エデンの園でアダムの周りには動物がいました。そして,動物たちはアダムに服していました。しかし,人間としては,アダムは依然ひとりぼっちでした。アダムは,自分を補い助けて共に働いてくれる,理性を持つ人間の仲間を必要としていました。エホバ神はおっしゃいました。「人が独りのままでいるのは良くない。わたしは,彼を補うものとして,彼のために助け手を造る」― 創世 2:18,新。
7 夫が必要としているのは,自分を愛し尊敬してくれるだけでなく,自分が下した決定を支持して真の助け手となってくれる妻です。いっしょに話し合って合意の下に決定がなされる場合,そうすることは難しくありません。しかし,相談を受けなかったり,たまたま同意できなかったりすると,夫の決定を支持することはそれほど容易ではないでしょう。そのような場合,あなたはご主人を忠実に支持できるでしょうか。それが違法な行為や非聖書的な活動でない限り,ご主人の決定した事柄が順調に運ぶように最善を尽しますか。それとも,ご主人が失敗するのを見て『わたしが言った通りでしょ』と言えるように,がんこに非協力的な態度を取る傾向がありますか。あなたが,不安を感じながらも,企てを成功させるようにけん命に努力するなら,あなたのそうした忠実な支持を見るご主人が,あなたに対する愛をいっそう深めるとは思いませんか。
8 妻は,頭の権を正しく行使するよう夫をどのように励ませますか。
8 わけても,夫の頭の権を横取りしようとするようなことはいけません。それに成功したなら,あなたは夫をきらいになるでしょう。また,ご主人はあなたをきらいになり,自己嫌悪に陥りもするでしょう。また率先すべきところでそうしないかもしれません。あなたは,率先して物事を行なおうとするようにご主人を励ませるでしょうか。先に立って事を行なおうとするご主人の努力に,感謝の気持ちを表わしますか。夫がそうした精神を幾らかでも示すとき,ご主人に協力し,ご主人を励ましますか。それとも,あなたは間違っているとか,その計画はうまくいかないとかと言うでしょうか。夫が先立って物事を行なわない場合,妻にも責任のある場合があります。例えば,妻が夫の考えを見くびったり,夫の努力に逆らうなら,あるいは,企てがうまくゆかないときに,わたしが言ったとおりでしょ,というような態度を示す場合です。妻がそうした態度を取りつづけるなら,夫はやがて頼りない優柔不断な人間になってしまうかもしれません。逆に,妻の忠実さと支持,夫に対する信頼と確信は,夫を強め,夫の成功に寄与します。
「有能な妻」
9 箴言 31章10節は有能な妻について何と述べていますか。
9 深く愛される妻になるには,家庭での妻の責任をりっぱに果たすことも必要です。そういう女性について聖書は「その価値は,さんごのそれをはるかにしのぐ」と述べています。(箴 31:10,新)あなたはそのような妻ですか。あなたはそうであることを願っているでしょうか。
10,11 妻は,自分が箴言 31章15節の描写に当てはまることをどのように示せますか。
10 箴言の書は,「有能な妻」の働きについて,「彼女はまた,まだ夜のうちに起き,家の者に食物を……与える」と述べています。(箴 31:15,新)母親が料理の仕方を教えなかったために,不利な条件を背負って結婚生活を始める若い女性は少なくありません。しかし,そういう人たちも自分で習えます。賢明な女性は,上手に料理する方法を身につけます。料理は一種の芸術です。上手に作られた料理はおなかを満たすだけでなく,人の心を動かします。
11 食事を整えることに関して学べることはたくさんあります。家族の健康を守るために栄養に関する基本的な事柄を知っておくのは有益です。しかし,栄養のある食事を出しさえすれば,必ず夫の賛辞が得られるというものではありません。聖書によれば,イサクの妻のリベカは,夫の好みに合わせて「美味な」料理を作る方法を知っていました。(創世 27:14,新)多くの主婦はリベカの模範から益を得られるでしょう。
12 主婦は箴言 31章14節に書かれているような,どんなことも行ないますか。
12 世界を見ると,主婦が毎朝市場へ行き,その日に必要な品物を買う所もあれば,一週間に一度ぐらい買い物をし,いたみやすい物を冷蔵庫に入れておく所もあります。いずれにしても,夫は,お金を注意深く使い,家計をよく考える妻に感謝しないわけにはいきません。食物にせよ衣類にせよ,良い品を見分けられる,また良い品物の価値を知っている主婦は,最初に見た品物を買うようなことはあまりしません。むしろ,箴言 31章14節(新)にある通り,『彼女は商人の船のようになっています。はるか遠くから自分の食物を持ち入れます』。
13 箴言 31章27節によれば,有能な妻には家事をどのように行なうことを期待できますか。
13 主婦の仕事に対する良心的な関心は,家の中の状態にも反映していなければなりません。箴言 31章27節(新)には,有能な妻であることはどんなところからわかるのか,さらにこう述べられています。「彼女は家の者の状態を見守っており,怠惰のパンを食べない」。そのような妻は,朝寝坊するのを習慣にしたり,近所の人たちといつまでもたわいないおしゃべりをしたりしません。病気になったり,予期していなかった事が起きたりして,時には家事がたまることがあっても,有能な妻の家はだいたいいつもよく整っていて清潔です。夫は,友人が訪ねて来ても家がちらかっていてきまりの悪い思いをするようなことはない,という自信が持てます。
14,15 聖書は婦人の服装と装飾品に関してどのように助言していますか。
14 女性に向かって,容姿に注意を払うのも大切だと言うことは,たいてい必要でありませんが,中には,そう言ってもらう必要のある女性もいます。自分自身のことをあまり気にかけていないような身なりの女性に愛情を感ずるのは,やさしいことではありません。聖書は女性が『よく整えられた服装をし,慎みと健全な思いとをもって身を飾る』ことを勧めています。もっとも,聖書は,自分に過度に注意を引くような髪型や宝石や高価な衣装を重視しないようにとも助言しています。―テモテ第一 2:9。
15 そうした飾りよりもはるかに価値のあるのは,それを身に着けている人の性質です。使徒ペテロはクリスチャンの妻たちに,「もの静かで柔和な霊……は神の目に大いに価値のあるものです」と述べています。(ペテロ第一 3:3,4)また,箴言は,有能な妻の特性を挙げて,「彼女は自分の手のひらを悩める者に伸べ,その手を貧しい者に差し出した」,そして,「愛の親切による律法がその舌にある」と述べています。有能な妻は利己的でもなければ意地悪でもなく,寛大で親切です。(箴 31:20,26,新)その記述はこう続いています。「麗しさは偽り,美しさは空しいものであろう。しかしエホバを恐れる女こそ,自分自身に賛美を得る」― 箴 31:30,新。
16 認識のある夫は,そうした妻のことをどう感じますか。
16 そうです,そのような女性は,創造者の見方を自分の見方とする夫の深い愛を得るでしょう。箴言の作者が述べたように,夫は妻に対して「有能さを示した娘は多くいる。しかしあなたは ― あなたはそのすべての者たちをしのいだ」と感じることでしょう。(箴 31:28,29,新)何度も促されなくても,夫はそう感じていることを妻に知らせたい気持ちになるでしょう。
性に対する見方も影響する
17,18 性に対する妻の見解は,妻に対して夫が抱く感情にどんな影響を与えることがありますか。
17 多くの結婚問題の根底には,不満足な性関係があります。それは,妻の身体的感情的な必要に対して夫が思いやりと理解を欠いていることが原因している場合もあれば,妻が身体的にあるいは感情的に夫と交わろうとしないために起こる場合もあります。夫と妻が進んで,また温かい気持ちで行なう性行為は,互いに対する愛情の親密な表現であるはずです。
18 夫に思いやりがないために妻が不感症になることがありますが,妻の冷淡さも夫を傷つけます。嫌悪感を示されると,夫は性的能力を失うかもしれず,他の人に魅力を感じることさえあり得ます。妻がどうでもいいというような態度でただ従うだけであれば,夫はそれを,妻が自分を嫌っている証拠だと考えるかもしれません。性的な反応は感情に左右されます。したがって,反応を示さない妻は,性に対する自分の態度を振り返ってみる必要があるでしょう。
19 (イ)配偶者に対し,長期間にわたって性関係を拒むことは良くないことを,聖書はどのように教えていますか。(ロ)夫婦の性行為がふさわしいものかふさわしくないものかを第三者に決めてもらう必要がないのはなぜですか。
19 聖書は夫と妻の両方に,「互いにそれを奪うことがないようにしなさい」と助言しています。妻が何週間も,あるいは何か月も夫を拒み続ける場合のように,配偶者に罰を加えたり憤りを表現したりする手段として性を利用することを,神のみ言葉は許していません。夫が「妻に対してその当然受けるべきものを与え」なければならないように,妻も「夫に対して同じようにし」なければなりません。(コリント第一 7:3-5)といってもこれは,妻が道徳的に忌まわしい変態的な行為にも従わねばならないということではありません。妻を愛し尊敬している夫なら,妻にそのようなことを要求しないでしょう。『愛はみだらなふるまいをしません』。(コリント第一 13:4,5)夫婦間の行為がふさわしいものかふさわしくないものかを第三者に決めてもらう必要はありません。聖書はコリント第一 6章9節から11節で,エホバ神の崇拝者に禁じられている常習的な行為をはっきりと挙げています。それはすなわち,不品行,姦淫,同性愛です。(レビ記 18章1-23節とも比較してください。)実際には不道徳にほかならない“新しい道徳”を実践している現代の自由主義者の中には,それら禁じられた性行為のあるものが容認されることを叫び求めている人たちがいます。一方,非常に保守的な人たちはこれらに加えてさらに多くのことを禁じます。しかし聖書は平衡の取れた見方を示しています。一般的に言って,結婚生活の他の関係がすべて良いなら,愛,尊敬,意思の疎通,そして理解があるなら,性が問題になることはほとんどありません。
20 妻が性を駆け引きの手段にするならどんな結果になりますか。
20 深く愛される妻は,性を売り物にして駆け引きするようなことはしません。確かに女性という女性がみな性を駆け引きに利用するわけではありませんが,中にはそれをする妻がいます。夫の賛成を得るために性を巧妙に利用するのです。それはどんな結果になるでしょうか。あなたは自分に服を売りつける人に優しい愛情を感じるでしょうか。夫も,自分の賛成を得るために性を売り物にする妻に優しい愛情を感じません。そのようなことをする女性は物は得るかもしれませんが,感情的,また霊的なものを失います。
泣く妻,小ごとを言う妻
21-23 サムソンの例が示しているように,女性が泣くことや小ごとを言うことはどのように幸福を損なう恐れがありますか。
21 サムソンは強い人でしたが,泣いたり小ごとを言ったりして自分を押し通そうとする女性の圧力に耐えることができませんでした。ある時,サムソンは,自分の妻になる女の泣き落としにかかりました。士師記 14章16,17節(新)には次のように記録されています。女は「彼にすがって泣きながらこう言った。『あなたはただわたしを憎んでいるのであって愛してなどいないのです。あなたがわたしの民の子らに掛けたなぞがありますが,わたしにそれを教えてはくれなかったのです』。これに対して彼は言った,『どうしてなのだ,わたしの父や母にさえ話してはいないのだ。それをお前に話すべきだろうか』」。サムソンが道理に訴えてもむだでした。感情が高ぶっている時に,それはまず役に立ちません。「彼らのための宴会が続いた七日のあいだ彼女は彼にすがって泣き続けた。そして七日目になって彼はついにそれを教えた。彼女が圧力をかけたためである。それで彼女はそのなぞについて自分の民の子らに教えた」。
22 あなたの思い通りにさせてくれないときがあるからといって,夫は自分を愛していないなどと考えないでください。サムソンの婚約者は,自分を愛してくれないとサムソンを責めましたが,実際には,彼女の方こそサムソンを愛していませんでした。もうこれ以上耐えられないというところまでサムソンに圧力をかけました。サムソンからなぞの説明を聞くと,サムソンの信頼を裏切り,その秘密を知らせるべくサムソンの敵のもとに走りました。そして,結局,彼女は別の男の妻になりました。
23 後にサムソンはデリラという名前の別の女性に引かれました。デリラは容姿は魅力的であったかもしれませんが,サムソンが深く愛せる女性だったでしょうか。デリラは,言葉巧みにサムソンから情報を手に入れ,それを自分のために利用しようと考えて,しつこく小ごとを言う戦術を採りました。次のように記録されています。「そして彼女が終始言葉で圧迫してしきりに彼を促したため,彼の魂もこらえ切れず死なんばかりになった」。その最終的結果は悲惨なものでした。―士師 16:16,新。
24-27 (イ)妻が口やかましいとどうなるかについて箴言は何と述べていますか。(ロ)聖書がとりわけ女に対してこうした助言を与えているのはなぜですか。(ハ)妻のために特別良いことをしたいと夫に思わせるのは多くの場合何ですか。
24 泣くことや小ごとを言うことは賢明ではありません。それは結婚生活を損ない,夫を離れさせます。聖書はそうしたことをならわしにしないように警告しています。例えば,「新英訳聖書」からの引用ですが,次のような聖句があります。「事をくどくど言う者は友情を損なう」。「口うるさい妻は絶え間なくしたたる水のようだ」。「口うるさくて怒りやすい妻と共にいるよりは,砂漠に独りで住むほうがよい」。「雨の日の絶え間ない雨もり,口うるさい妻はそのようなものだ。彼女を抑えるのは風を抑えるようなものであり,指の間に油を捕らえるようなものだ」― 箴 17:9; 19:13; 21:19; 27:15,16。
25 聖書がとりわけ妻にこうした助言を与えているのはなぜでしょうか。一般に女性は感情的になりやすく,特に当惑している時には感情に負けやすいからだと思われます。また,それが唯一の武器だと考える女性もいるからです。家の頭である夫が,勝手に自分を通すなら,妻は,感情的な圧力を掛けざるを得ないと感じるかもしれません。妻はそうした戦術をほしいままにするべきでなく,夫も妻にそうせざるを得ないような気持ちにさせるべきではありません。
26 確かに,気分のすぐれない時もあるでしょう。泣きたくないと思っても涙が止まらないかもしれません。しかし,それは,自分を通そうとして,非常に激しい感情的な場面を演じることとは異なります。
27 真に妻を愛している夫はほとんど例外なく,個人的な好みが関係している場合に自分よりも妻を喜ばせるものです。ご主人を喜ばせてください。そうすればご主人はおそらくあなたを喜ばせる機会を捜されるでしょう。
「黙っている時と話す時」
28-35 (イ)夫が妻と話すのを難しくする恐れのある会話の習慣を述べなさい。(ロ)夫婦の会話を改善するのにどんなことができますか。
28 多くの妻は,「主人はわたしに決して話し掛けてくれない」とこぼします。夫に非があるのかもしれません。しかし,多くの場合,夫は妻と話したいと思っています。ところが,そうするのを妻が難しくしているのです。どのようにしてでしょうか。女性という女性がみな同じだというのではありません。しかし次の点のどれかに思い当たるふしがないかどうか自問してみてください。
29 まず最初は,近所の他の女性とは何の問題もなくおしゃべりをする女性です。そのような女性の話し方はどうでしょうか。相手の人が息をつくために話をやめると,すぐに割り込みます。2,3の質問を投げかけるか,あるいは全く別のことについて話し出します。間もなく,話をさえぎられた方の女性が割り込んで,ひとしきり話を独占します。そしてふたりとも,こうした飛び入り勝手な会話を気にしていないようです。
30 さて,この女性の夫が帰宅します。夫は妻に知らせるニュースを持っていて,家にはいると,『きょうは会社でとても変わったことがあってね……』と話し始めます。しかし次の言葉を言わないうちに妻がその話の腰を折り,『どこでコートにしみをつけたの。歩くところに気をつけてね。床を掃除したばかりなんですから』と言います。これでは夫は話の先を続ける気になれないかもしれません。
31 あるいはふたりが友人たちを交えて話をしていて,夫が何か経験を話しているかもしれません。しかし夫は細かな点をいくつか言い落とすか,または正確でないところが時々あります。すると妻が口をはさみ,まず誤りを正してから詳しく話します。間もなく夫は深いため息をつき,『君が話せばいいさ』と言います。
32 夫に話させようとするタイプの女性もいます。そういう女性は何気ない様子をしながらも,好奇心にかられて,『どこにいらっしゃったの』,『そこにだれがいたの』,『どんなことがあったの』といった質問をします。彼女に関心があるのは,月並な事柄ではなくて,内密にされていそうな事柄なのです。こまぎれの情報を拾い集め,足りない部分は想像で補います。その中には夫がもらすべきでなかった情報があるかもしれず,妻と話し合うのは差し支えなくても内密に保つべき情報もあるかもしれません。妻がそのことを他の人々に話すなら,秘密は知られてしまいます。「他人の内密の話を明かしてはならない」と箴言 25章9節(新)は警告しています。しかし,妻がそういうことをするなら,問題が起こりかねません。夫はそれから先,本当に気を許して妻と話せる,と考えるでしょうか。
33 しかし,三番目のタイプの女性は,自分自身が無口な人です。必要な家事の仕方は知っていますが,数語以上話すことはめったにないというタイプの女性です。その人と会話をしようとする人は,自分ばかり話をしなければなりません。このタイプの女性は恐らく内気なのか,あるいは子供のときに教育を受ける機会があまりなかったのかもしれません。理由はともかく,その女性と話そうとする努力は全く効を奏しません。
34 しかし,変化は可能です。会話の技術は学べるものです。主婦が家事だけでなく,健全な読書や他の人々への親切な行ないをするなら,夫と話し合える建設的な話題が持てます。じょうずに会話をするには自分もそれに加わることが必要です。また敬意を示すことも大切です。夫に最後まで話させるだけの,夫に自分の好きなように話させるだけの,そして,どんなときに物事を内密にしておくべきかを知るだけの敬意が必要なのです。伝道之書 3章7節(新)には,「引き裂く時と縫い合わせる時,黙っている時と話す時」があると述べられています。
35 ですから,主人はめったに話し掛けてくれないとこぼす代わりに,ご主人が話を楽しめるように努めてはいかがですか。ご主人のすることに関心を持ってください。ご主人が話すとき,熱心に聞いてください。ご主人に対する温かい愛と深い敬意のこもった反応を示してください。あなたが主に話す事柄はぜひとも積極的で築き上げる性質のものであるようにしてください。そうすれば,やがて,会話がふたりにとって楽しいものになっていることに気づかれるでしょう。
『ことばによらずに引き寄せられる』
36-38 仲間の信者でない夫の心を動かすにはどんな方法がありますか。
36 時には,言葉よりも行状のほうが雄弁です。神のみ言葉を信じている仲間でない夫の場合は特にそうです。使徒ペテロはそういう夫について「ことばによらず,妻の行状によって,つまり,深い敬意のこもったあなたがたの貞潔な行状を実際に見て引き寄せられるためです」と述べています。(ペテロ第一 3:1,2)妻が絶えず自分に「伝道する」とこぼし,そのことを憤慨する未信者の夫は少なくありません。それとは対照的に,神のみ言葉の真理によって妻が変化したのを見て信者になった夫もいます。人々は説教を聞くよりも,それが実践されているところを見ることによって心を動かされるものです。
37 未信者の配偶者に話すときには,聖書に述べられているように,「あなたがたの発することばを常に慈しみのあるもの」,「塩で味つけられた」味わいのあるものとしてください。話すにも時というものがあります。「時宜にかなって話される言葉は,銀の彫り物の中にある金のりんごのようだ」と聖書は述べています。ご主人は何かのことで気落ちしておられますか。職場でうまくいかないことがあったのかもしれません。今あなたが2,3の理解ある言葉をかけるなら,それはご主人にとってとてもうれしいことかもしれません。『快いことばはみつばちの巣です。魂に甘く,骨の癒しです』。(コロサイ 4:6。箴 25:11; 16:24,新)あるいは,状況によっては,ご主人の手をそっと握るだけで,わたしにはわかっています,わたしはあなたの味方です,わたしにできることならご援助します,という気持ちがすべて伝わるでしょう。
38 たとえご主人が自分と信仰を同じくしていなくても,神のみ言葉によれば,あなたは夫に服さねばなりません。あなたの良い行状はやがてご主人を引き寄せ,ご主人も信仰を持つようになるかもしれません。それはどんなに喜ばしい日になることでしょう。その日が来たなら,ご主人は,あなたを愛すべきさらに多くの理由に気づかれるでしょう。なぜなら,あなたの献身的な愛は正しいと信ずる事柄に対する確固たる態度と相まって,ご主人が「真の命」をとらえる助けになるでしょうから。―コリント第一 7:13-16。テモテ第一 6:19。
39,40 テトス 2章4,5節に挙げられているどんな資質を持つ妻は,夫ばかりか神にとっても貴重ですか。
39 聖書は,夫が信者であろうと未信者であろうと,クリスチャンの妻たちに次のような励ましを与えています。「夫を愛し,子どもを愛し,健全な思いを持ち,貞潔であり,家事にいそしみ,善良で,夫に柔順である」べきであり,「こうして神のことばがあしざまに言われることのないようにするためです」。―テトス 2:4,5。
40 妻であるあなたが,このことを精一杯行なうなら,あなたはご主人からだけでなく,エホバ神からも深く愛されるでしょう。
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「有能な妻……その価値は,さんごのそれをはるかにしのぐ」― 箴 31:10,新。
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サムソンの人生に登場した女たち
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愛,「結合の完全なきずな」あなたの家族生活を幸福なものにする
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6章
愛,「結合の完全なきずな」
1-6 (イ)夫婦がそれぞれ自分の感情にとらわれすぎるとどんなことになりかねませんか。(ロ)どんな聖書的な原則に留意するなら,深刻な口論にまでエスカレートするのを防げますか。
『ぼくたちはどうして時間通りに夕食ができないんだ』と,一日の激務に疲れ切った夫は待ちくたびれてどなります。
2 『がみがみ言わないでよ。もうほとんどできてるのよ』,妻はかっとなって言い返します。妻の一日も楽ではなかったのです。
3 『だって,おまえはいつも遅いじゃないか。いったいどうして時間通りにできないんだ』。
4 『そんなことないわ。でも,いつかあなたが子供たちの世話をしてごらんなさいよ。そしたらそんなにがみがみ言わないでしょうよ。あの子たちはあなたの子供でもあるんですからね』と,妻は叫びます。
5 こうして,夫婦間のこのもぐら塚のようなちょっとしたことは山のように大きくなり,ふたりとも腹を立てたまま口をきかなくなります。売り言葉に買い言葉を返しているうちに,とうとうふたりとも傷付き憤慨し,全く不愉快な晩になってしまいます。どちらか一方が,そこまでエスカレートするのを防げたはずです。しかし実際には,ふたりとも自分の感情にとらわれすぎて相手の感情のことを少しも考えませんでした。緊張した神経が急に耐えられなくなってしまいました。
6 こうした問題はいろいろな面で起こり得ます。金銭に関する場合もあるでしょう。あるいは,妻の所有欲が強すぎて他の人々との交友を楽しませてくれない,と夫が感じる場合もあるかもしれません。妻の方は,自分が無視され,いるのがあたりまえとみられているように感じるかもしれません。大きな問題や,幾つかの小さな問題が原因で緊張が生じることもあるでしょう。いずれにしても,今わたしたちが考えたいのは,そういう状況にどう取り組むかということです。夫婦のどちらか一方が,進んで『他のほほを向け』,『悪に悪を返す』のではなく,むしろ『善をもって悪を征服する』ことに率先するなら,問題が大きくなるのを食い止めることができます。(マタイ 5:39。ローマ 12:17,21)それには自制と円熟性が必要です。クリスチャンの愛が求められます。
愛の本当の意味
7-9 (イ)コリント第一 13章4-8節には愛がどのように説明されていますか。(ロ)それはどんな種類の愛ですか。
7 エホバ神は,愛がどういうものでありどういうものでないかを,コリント第一 13章4節から8節に霊感によって書き記させ,愛を定義づけられました。それは次のとおりです。「愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,みだらなふるまいをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいらだちません。傷つけられてもそれを根に持たず,不義を喜ばないで,真実なこととともに喜びます。すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべてのことを希望し,すべての事を忍耐します。愛は決して絶えません」。
8 愛は,身体的な魅力,家族関係,あるいはいっしょにいることがどちらにとっても楽しいといったことなど,多くの事柄に根差していることでしょう。しかし,聖書は,愛が真の価値を持つには,愛情すなわち相互に感じる魅力を超越し,愛している人の最善の益になる事柄に支配されるものでなければなりません。その種の愛には戒めや懲らしめを与えることも含まれています。親が子供を,あるいはエホバ神がご自分の崇拝者を戒め懲らしめるのがすなわちそれです。(ヘブライ 12:6)むろん,真の愛には情緒や感情もありますが,しかしそれにおぼれて,他の人々を扱う際に賢明な判断や正しい原則を曲げるようなことはしません。そのような愛は,すべての人を,思いやりと公正という優れた基準に従って扱うよう人を動かします。
9 そのような愛がわたしたちの家族生活をどう益するかを一層深く認識するために,コリント第一 13章4-8節に示されている定義をさらに掘り下げて考えてみましょう。
10,11 辛抱強く親切な配偶者とはどんな人ですか。
10 「愛は辛抱強く,また親切です」。あなたは配偶者に対して辛抱強いでしょうか。雲行きが悪くなってきて,不当な非難を浴びせられるような場合でも,自分を制しますか。エホバはわたしたちすべてに対して辛抱強くあられ,『神の温情が人々を悔い改めに導こうとしています』。辛抱強さも親切も神の霊の実です。―ローマ 2:4。ガラテア 5:22。
11 愛は悪行をよしとはしませんが,ささいなことに“うるさく”はありません。愛は短気ではなく,情状酌量の余地ある事情を考慮に入れます。(ペテロ第一 4:8。詩 103:14; 130:3,4)また,重大な問題の場合でも,愛は許すことにやぶさかではありません。使徒ペテロは,「兄弟がわたしに罪をおかすとき,わたしはその人を何回ゆるすべきでしょうか。七回までですか」とイエスに尋ねたとき,自分は辛抱強いと考えていたにちがいありません。イエスはこうお答えになりました。「七回までではなく,七十七回までです」。(マタイ 18:21,22。ルカ 17:3,4)愛は何度も許し,どこまでも親切です。あなたはそうですか。
12,13 ねたみはどのように現われることがありますか。それを常に抑える努力をしなければならないのはなぜですか。
12 『愛はねたみません』。全く根拠がないのにしっとする配偶者と生活するのは容易ではありません。そういうしっと心は疑い深く,所有欲の強いものです。そして子供じみていて,相手が他の人々の間で自然に,親しく振る舞えないようにしてしまいます。人の幸福は惜しみなく与えることにあるのです。
13 「ねたみの前にはだれが立ち得よう」と,聖書は述べています。ねたみは不完全な肉の業の一つです。(箴 27:4,新。ガラテア 5:19,20)あなたには不安な気持ちからいろいろなことを想像してしっとするような徴候が何か見られますか。他人の欠点は容易に見つけられるものです。しかし,自分を吟味することにはもっと多くの益があります。「ねたみや闘争心のあるところには,無秩序やあらゆるいとうべきものがあるからです」。(ヤコブ 3:16)しっと心は結婚生活を台なしにしかねません。配偶者を引き止めるものは,しっとから設けたいろいろな制限ではなく,やさしい心づくしや思いやりや信頼です。
14,15 (イ)自慢することはなぜ愛の欠如を示しますか。(ロ)配偶者をけなすかわりに,何をすべきですか。
14 愛は『自慢せず,思い上がりません』。自慢する人は確かにたくさんいますが,自慢話を聞くのが好きな人はまずいません。実際,自慢する当人をよく知っている人ならだれでもその自慢話を聞くといやな気持ちになるでしょう。ある人々は自分のことを誇らしげに話すことによって自慢しますが,別の方法でこれをする人たちもいます。つまり他の人々を批判し,けなすわけですが,それはとかく批判者が批判される人と自分とを比較して自分を高めることになりがちです。比較してみると,とかく批判した人が批判された人より高められがちです。ですから,人は他の人を低めることによって自分自身を高めることもあるのです。配偶者をけなすことは実際には自分を誇る方法のひとつです。
15 あなたは人前で配偶者の欠点を言いふらしたことがありますか。それを知ったなら,あなたの配偶者はどんな気持ちになると思いますか。もしあなたの方が,欠点を言いふらされる側だったらどうでしょうか。どんな気持ちがするでしょうか。愛されていると感じますか。そうではないはずです。愛は,自分をほめたり他の人をけなしたりして『自慢することはない』からです。配偶者のことを話すときには建設的であってください。そうすればふたりのきずなは強くなります。そして自分について何を話すかに関しては,箴言 27章2節の次の賢明な助言に従ってください。「自分の口にではなく,ほかの者にあなたをほめさせよ。自分の唇にではなく,見知らぬ者に」― 改訂標準訳。
16 愛のある人であれば避けるみだらな振る舞いにはどんなものがありますか。
16 愛は『みだらなふるまいをしません』。姦淫,酔酒,かんしゃくを起こすことなど,はなはだしくみだらな行為はたくさんあります。(ローマ 13:13)愛とは著しく対照的にそうした行為はいずれも結婚のきずなを害します。体を清潔にしないことばかりでなく,粗野なこと,下品な話や行ないなどもみな,人間としての品位に欠けていることを示します。あなたはこの点で配偶者に不快な感じを与えないように,どれほど気をつけているでしょうか。思いやりと敬意をもって,礼儀正しく接しますか。こうした事柄はすべて,結婚生活を幸福で永続的なものにするのに寄与します。
17 自分自身の益を求めない人は,争いをどのように避けることができますか。
17 愛は「自分の利を求めず,刺激されてもいらだちません」。愛は自己中心的ではありません。この章の初めに登場した夫婦がもし自己中心的でなかったなら,事情はもっと違っていたことでしょう。夫は,夕食が遅いからといって妻をどなりつけたりしなかったでしょうし,妻もかっとなって言い返したりしなかったでしょう。夫は疲れも手伝っていらいらしているのだということを洞察していたなら,妻は腹を立てずにこう答えたかもしれません。『食事はほとんどできています。お仕事たいへんだったでしょう。すぐに出しますからそれまで冷たいジュースでも召し上がっててくださいませんか。今差し上げますから』。あるいは,夫にもっと理解があったなら,自分のことだけを考えずに何か手伝えることはないか,と聞いたかもしれません。
18 愛は,人が腹を立てるのをどのように防げますか。
18 あなたは配偶者の言うことや行なうことにすぐ腹を立てますか。それとも言葉や行ないの背後にある意図を悟るように努めるでしょうか。それは不用意だっただけで悪気はなく,怒らせるつもりはなかったかもしれません。あなたに愛があるなら,『怒り立ったまま日が沈むことはないでしょう』。(エフェソス 4:26)配偶者が欲求不満を感じていて,気にさわることをわざと言ったりしたりするならどうでしょうか。あなたは感情が静まるまで待ってから話し合うことができますか。ふたりの最善の益を心に留めて事態に臨むなら,適切なことが言えるでしょう。『賢い者の心はその口に洞察力を示させます』。「違犯を覆う者は愛を求め」,争いに油をそそぐようなことはしません。(箴 16:23; 17:9,新)議論を続けて自分の正しさを証明しようとする衝動を押し静めるなら,愛のきずなを保つ点で勝利を得ることができます。
19 (イ)『不義を喜ぶ』ことにはどんなことが含まれますか。(ロ)なぜそれを避けるべきですか。
19 真の愛は「不義を喜ばないで,真実なこととともに喜びます」。時間やお金の使い方についてであろうと,あるいは交わりについてであろうと,真の愛は配偶者を欺くことを利口なやり方だとは考えません。また,正しく見せかけるために半分だけ本当のことを話すような手を使うこともしません。不正直は信頼を台なしにしてしまいます。真の愛が存在するには,夫婦双方が真実を語ることを喜びとしなければなりません。
真の愛には強さや忍耐力がある
20 愛はどのように(イ)『すべての事に耐えますか』。(ロ)『すべての事を信じますか』。(ハ)『すべてのことを希望しますか』。(ニ)『すべての事を忍耐しますか』。
20 愛は「すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべてのことを希望し,すべての事を忍耐します」。愛は結婚生活がもたらすストレスや緊張に耐えます。その間に,夫婦という親密な関係にあるふたりは融通をきかせることや,お互いに相手に合わせることを学びます。愛は,神のみ言葉に述べられているすべての助言を信じ,たとえ状況が不利に見えても,それらの助言に誠実に従います。不正直なことをする人々にだまされやすいわけではありませんが,過度に疑い深くもありません。むしろ,愛は信頼を示します。そのうえ,最善を希望します。その希望は,聖書の助言に従うとき可能な限りの最善の結果が得られるという堅い確信に基づいています。したがって,愛は積極的に,楽観的に,また前向きになれます。さらに,愛は気まぐれでなく,一時的な盲目的愛情でもありません。真の愛は忍耐強く困難なときにも問題に立ち向かいます。愛には持久力があります。また強さもあります。しかし,それほどの強さがあるにもかかわらず,愛は親切でやさしく,融通性があり,共に暮らすのが楽です。
21,22 愛が決して絶えないことを示す例を挙げてください。
21 そういう「愛は決して絶えません」。不景気のためにふたりが財政困難に陥ったなら,どうなるでしょうか。どこか他の場所にもっと楽な生活を求めることを考えるかわりに,真の愛を持つ妻は夫に忠実に寄り添って,倹約することに努め,また夫の収入を補おうとするでしょう。(箴 31:18,24)しかし,妻が何年も治らない病気になったならどうでしょうか。真の愛を持つ夫は,妻に必要な世話をし,妻ができない家事を行ない,引き続き献身的な愛を抱いていることを確信させるために,できるだけのことをします。神ご自身はその面で模範を示しておられます。ご自分のしもべがどんな事態に陥ろうと,『何ものも神の愛から彼らを引き離すことはできません』― ローマ 8:38,39。
22 そのような愛に打ち勝てる問題が一体あるでしょうか。あなたの結婚生活にはそのような愛がありますか。あなた個人はそのような愛を実践しておられるでしょうか。
愛を成長させる
23 わたしたちが愛のある行ないをしようとするかどうかを決めるのは何ですか。
23 愛は,筋肉のように,働かせると強くなります。一方,愛は,信仰と同様,業がないなら死んだものです。わたしたちの内奥の感情を動機とする言葉と行為は,心から出るもので内面の動機を表わすと言われています。『心に満ちあふれているものの中から口は語ります。善良な人は自分の良い宝の中から良いものを出します』。しかし,内に持っている感情が邪悪であれば,「心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,冒とくが出て来ます」。―マタイ 12:34,35; 15:19。ヤコブ 2:14-17。
24,25 愛を示す動機はどのようにして強めることができますか。
24 あなたは心の中でどのような考えや感情を培っているでしょうか。神がどのように愛を示してこられたかを日々黙想し,その模範に見ならおうとするなら,立派な動機を強めることができます。この愛を実践すればするほど,そしてこの愛に調和した言動をすればするほど,愛はあなたの心にいっそう深く刻み込まれます。小さな事にでも日々この愛を実践するなら,それは習慣になるでしょう。ですから,たまに大きな問題が生じても,その愛はそこにあってゆるぎないものになっているので,問題に対処する助けになります。―ルカ 16:10。
25 あなたは配偶者にほめるべき点があるのに気づいていますか。それを口に出してください。親切にしたいという衝動を感じますか。ではその衝動に従ってください。愛を刈り取るには愛を示さねばなりません。これらの事柄を実践するならあなたとあなたの配偶者はいっそう引き寄せられ,ふたりが一つとなり,お互いの愛は成長します。
26,27 物事を共にすることはどのように愛を増し加えますか。
26 愛を豊かにするには,それを分かち合わねばなりません。最初の人間アダムは楽園に住んでいました。物質的な必要物すべては豊かに備えられていて,最初から美しいものに囲まれていました。草原や花,森や小川のほかに,地の管理者アダムの支配に服する種々様々な動物がいました。このようにすべてが備わっていたにもかかわらず,一つ欠けていたものがありました。その美しい楽園に住む喜びを共にする人間がいなかったのです。あなたはひとりで華やかな夕焼け空をうっとりとながめながら,愛する人がそばにいてこれをいっしょにながめることができたらどんなにいいだろう,と思ったことはありませんか。あるいは,胸を躍らすすばらしいニュースがあるのに,それを話す相手がだれもいないというような経験をしたことはありませんか。エホバ神はアダムの必要をよく知っておられて,アダムが自分の考えていることや感じていることを話し合える配偶者をお与えになりました。考えや感情を共にすることはふたりの人を結び付け,愛が根を降ろして成長するのを助けます。
27 結婚は分け合うことです。部屋のあちらとこちらで愛情のこもったまなざしを送るとか,触れ合うとか,やさしく話しかけるとか,何も言わずにふたりでのんびりと腰を掛けているといったこともあるでしょう。ベッドを整えること,皿洗い,予算がないので買いたいものがあっても言わないで少しずつ貯金すること,夫婦のどちらかがためてしまった仕事をもう一方が手伝うことなど,すべての行ないは愛の表現となり得ます。愛は,仕事や娯楽,苦しみや喜び,成功や失敗,頭で考えていることや心に感じていることを共にすることを意味します。共通の目標を持ち,共にそれに達するようにします。それこそふたりを一体にし,愛を成長させるものです。
28 仕えることはどのように愛を豊かにしますか。
28 配偶者に仕えることは,配偶者に対する愛の成熟を助けます。普通,妻は料理をし,寝床を整え,掃除や洗たくをし,家の仕事をして仕えます。夫はたいてい,妻が料理する食料,妻が整える寝具,妻が掃除する家,妻が洗たくする衣類を備えることによって仕えます。このように仕え,このように与えることこそ,幸福を生み,愛を育てるのです。イエスがおっしゃったとおり,受けるより与えるほうが幸福です。言い換えれば,仕えられるよりも仕えるほうが幸福です。(使徒 20:35)またイエスは弟子たちに,「あなたがたの中で最も偉い者はあなたがたのしもべでなければなりません」と言われました。(マタイ 23:11,新英訳聖書)この見方はどんな競争心をも排除して幸福に寄与します。人に仕えるとき,わたしたちは自分が必要とされていることを感じ,一つの目的を果たしています。そして,そのことはわたしたちに自尊心と満足感を与えてくれます。結婚生活には,仕えることによってそうした満足感を得る十分の機会が夫婦双方にあります。こうしてその結婚生活は愛によってさらに強固にされます。
29 愛は,神のしもべでない人々の心にも訴える力があるのはなぜですか。
29 夫婦の一方が神のしもべで,こうした聖書の原則を実践するクリスチャンであり,他方がそうでない場合はどうでしょうか。それによってクリスチャンとしての振る舞い方は変わるでしょうか。基本的には変わりません。クリスチャンである配偶者は神の目的についてそれほど多く話さないかもしれませんが,その振る舞いは同じです。未信者の配偶者が基本的に必要としているものは,神の崇拝者が必要としているものと変わりませんし,ある点についてはどちらも同じような反応を示します。そのことはローマ 2章14,15節に次のように述べられています。「律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法中の事がらを行なう場合,その者たちは律法を持っていなくても,自分自身が律法なのです。彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,その良心が当人とともに証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです」。クリスチャンの立派な振る舞いはたいてい感謝され,愛を成長させます。
30 愛は劇的な事態が生ずるときだけ表わすものですか。あなたの答えの理由を述べてください。
30 愛は,劇的な事態が生ずるのを待ってはいません。いくつかの点で愛は服に似ています。服は何によってその形をなしているでしょうか。太い綱を結び合わせた数個の大きな結び目で服の形になっていますか。それとも,無数の細かな糸の縫い目によってでしょうか。無数の細かな糸の縫い目です。そのことは,文字通りの服についても,霊的な「外衣」についても言えます。わたしたちが「身につける」そしてわたしたちがどんな者かを明らかにするのは,日常のちょっとした言葉や行ないの積み重ねです。そうした霊的な“服”は,物質の衣服のようにすり切れることも価値を失うこともありません。聖書が述べている通り,それは「朽ちない装い」です。―ペテロ第一 3:4。
31 コロサイ 3章9,10,12,14節には愛に関してどんな優れた助言が記されていますか。
31 あなたは,結婚生活が「結合の完全なきずな」で結ばれていることを望まれますか。では,コロサイ 3章9,10,12,14節の次の勧めを実行してください。「古い人格をそのならわしとともに脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい。……優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さを身に着けなさい。……愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。
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