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  • 聖書に出てくる名前の背後にある意味
    ものみの塔 1971 | 9月1日
    • 生まれるときに,兄エサウのくびすをつかんでいたからです。―創世 25:26。

      時には,生まれた時の赤ん坊の外見も名前に関係しました。イサクの長男は生まれたとき,なみはずれて毛深かったのでエサウ(「毛深い」)と呼ばれました。―創世 25:25。

      神の指示によってつけられた名前にはとくに預言的な意味がありました。たとえば,神のみ子の場合,「イエス」という名前は「エホバは救い」を意味し,救い主としての彼の役割,またはエホバの救いの手段を予示しました。―マタイ 1:21。ルカ 2:30。

      また子どもたちにつけられる名前にはよく,神に相当することば(エル),または神の名前エホバの省略形と結びつけられたものがありました。そのような名前は両親の希望を表わすか,または子孫を恵まれたことに対する感謝を反映しました。エデヤ(「ヤハが喜びを与えられますように」),エベレキヤ(「ヤハは祝福する」),ヨナタン(「エホバは与えた」)そしてダニエル(「神は[わたしの]さばきびと」)などはその例です。

      子どもたちは動物や植物の名前をつけられることもありました。デボラ(「みつばち」),ヨナ(「はと」),スザンナ(「ゆり」)などはそういう名前でした。

      動物・植物・場所の名前

      エホバ神は最初の人間アダムに,動物に名前をつける特権を与えられました。(創世 2:19)その名前はたしかにその動物をよく描写するものであったにちがいありません。いくつかの動物のヘブル語名,そして植物のヘブル語名でさえそのことを暗示しています。「穴を掘る動物」はキツネの名前のようです。「飛ぶもの」または「はねるもの」はカモシカに当てはまるようです。「目をさまさせるもの」は扁桃の木をさします。おそらく,まっさきに花を咲かせる木のひとつだからでしょう。

      自然の地勢が場所,山,川などの名称の基礎になっていることもありました。ゲバとギベア(どちらも「丘」を意味する)の町は丘の上にあったので,そういう名前を得たにちがいありません。ヨルダン(「くだるもの」という意味)川は高い所を急降下します。それでこのことがおそらくその名前の基礎になっているでしょう。また,町や都市は井戸や泉や牧場の近くにあったので,「ベール」(「井戸」という意味),「エン」(「泉」),「アベル」(「牧場」)などの接頭語のついた名称のものがたくさんあります。

      ほかの場所には,そこで起きた事件にちなんだ名前がつけられています。ひとつの例はバベル(「混乱」)です。ここは人間のことばが乱された場所です。(創世 2:9)大きさ,職業,産物など,その土地の特色からきた名前もあります。ゾアル(「小さい」),ベッサイダ(「魚をとる家または場所」),ベツレヘム(「パンの家」)といった名称はそれを表わしています。

  • 彼らは神を偽っている
    ものみの塔 1971 | 9月1日
    • 彼らは神を偽っている

      堅い約束をしておきながら,後になって取り消す人をどう思いますか。このようなことになるとは知らなかった,とその人が言い訳をする場合,あなたはその人を許しますか。

      アメリカではそうしたことが毎年75万回以上行なわれています。1年に50万件以上の離婚が法律的に認められ,また遺棄のケースは25万件にのぼっています。4組の夫婦につき1組は離婚に終わります。この比率は他の国々においても上昇しており,キリスト教世界の国々はその先頭に立っています。

      知られているかぎりのどの社会でも,結婚は成人間の愛を表現し家族を設ける,正常で認められた方法とされています。大昔から,婚姻契約は宗教的かつ道徳的見地から拘束力を持つと考えられてきただけでなく,容易に破ることのできない法的状態または関係を設定するものとみなされてきました。

      今日,誓いを立てることは行なわれなくなりつつありますが,1969年7月4日付の「タイム」誌はこう報じました。「今日の結婚式には常軌を逸する傾向を持つものもあるが,儀式の必要は根強く残っている」。したがって大半の人は,愛,誉れ,尊敬を示し,健康状態にかかわりなく,つまり「良きにつけ悪しきにつけ」配偶者に忠節を尽くすという誓いを立てることを今なお行ないます。その結婚がどのような形態であれ,事実上,それは一種の契約です。実際,公式の結婚式を挙げること自体結婚を契約となすものであり,その場の証人たちはその成就を見守っています。

      したがって,要求されている事柄を守る意図もなく軽々しく結婚するのは偽り者にすぎません。また婚姻契約を破ったり,あるいは配偶者に愛・誉れ・尊敬・いつくしみを示し,また堅く付くという結婚の要件を犯す人々は偽り者です。そういう人は結婚は自分が考えていたよりはるかにむずかしかったとたとえ言い訳をしても,配偶者を偽わり,配偶者をあざむいたことに変わりありません。

      キリスト教世界は神を偽ることに率先している

      しかしもっと悪いことに,そうした人々は神を偽っているのです。キリスト教世界のいく百万という人々は神のしもべであるクリスチャンだと主張しながら,離婚・別居・遺棄・背信の点で世界において先導的な立場を占めており,それゆえに最悪の偽り者であるといえます。

      それらすべての人が神を偽っているとどうしていえるのですか。彼らにとってそれはどんな意味がありますか。その多くの人たちは教会で挙式する際に誓いを立てます。神を証人また自分たちの誓いに対する忠実を保たせるかたとして認めます。さらに,民間で結婚式をする場合でも,多くの人は誓いが神の前になされたものとみなします。結婚の問題に関して神をはっきり認めない人々も神の前に責任を負っています。なぜなら,彼らは神の被造物であり,人間が地を満たすための手段として神が制定された結婚にあずかっているからです。

      神が最初の結婚の制定者であり執行者であることは,イエス・キリストのことばから裏付けられます。したがって,すべての結婚は神が備えられたゆえに存在するのです。神は結婚したふたりの監視者としての関係を持ち,ご自分の前で表明された,あるいは暗黙のうちに行なわれた誓いをふたりが守るかどうかを見ておられます。―マタイ 19:4-6。

      神の見地

      人,特にクリスチャンであると自認する人によって結ばれた契約がどれほど拘束力を持っていると,神はお考えになるのでしょうか。神のことばは,『違約を行ふ』者は「死罪に当るべき」であると述べています。そうした人が悔い改めず,自分の考えや行動を変えて許しを求めないなら,非常に危険な立場に自分を置くことになります。―ロマ 1:31,32。

      約束を約束とも心得ないそうした偽り者に対するエホバの態度は,昔のユダの王ゼデキヤに対する処置によって示されています。この王は,神のお名前にかけて誓い,バビロンの王に仕える契約を結びました。その契約は異教の王と結ばれたものだったとはいえ,ゼデキヤは確かに神の前で偽りを犯しました。なぜなら,その誓いを破って反逆したからです。そのため,神は彼にこう言われました。『我は活く 彼はバビロンに死ぬべし 彼その王の誓言を軽んじその契約を破りたるなり』。―エゼキエル 17:16。歴代下 36:13。

      クリスチャンであると唱え,自分の配偶者に愛・誉れ・尊敬を示し,忠実に堅く付くことを誓っておきながら,後にその誓いに無関心を示す人は,神の名前によって偽りを誓っていることになり,神から燃えるような怒りを招きます。(レビ 19:12)神は偽り者を憎まれ(箴言 6:16,17),悔い改めない偽り者を次のように,永遠の滅びを受ける者たちの中に連ねておられます。「されど臆するもの,信ぜぬもの,憎むべきもの,人を殺すもの,淫行のもの,咒術をなすもの,偶像を拝する者および凡て偽る者は,火と硫黄との燃ゆる池にてその報を受くべし,これ第二の死なり」。―黙示 21:8。

      ですから,他の人と結んだ契約,あるいは誓約,特に結婚の誓約は神から拘束力のあるものとみなされています。イエスは,結婚を解消した人がそれで事が済むと考えてはならないことを指摘してこう言われました。「われ汝らに告ぐ,おほよそ淫行の故ならでその妻をいだし,他に娶る者は姦淫を行ふなり」。(マタイ 19:9)したがって配偶者を捨てる男女,あるいはそうすることをはかっている男女は,配偶者に対してそうした恐ろしい事柄を行なう者を神が有罪とされることを知って,行動を起こす前にまず考えるべきです。神は申し開きを求められます。―ヘブル 4:13。

      その他の偽り者

      見え透いた口実を設けて離婚する人が多い一方,ともに住みながらも互いを尊敬し,尊ぶことをせず,自らを偽り者とする夫婦があります。そうした人々は,自分たちが単に共に住むのではなく,互いに愛し合うことを誓った事実を無視しています。夫は妻以外の女性により大きな敬意を示し,注意を払いますか。妻は夫を尊敬し,夫に従いますか。それとも,かえって夫を傷つけたり,他の男性にもっと関心を示したりしますか。双方とも外部の人に相手の悪口を言いますか。夫は妻を正しく扶養するためにできるだけのことをしますか。妻は食事を整えたり,すぐ着られるように衣服を清潔にしてアイロンをあてておくなど,夫の身の回りの事柄に適切な注意を払いますか。大声でけんかをしたり,争ったりしますか。徳を高め,励ましや愛を示すことばではなく,皮肉・不平・批判さらには敵意を表わすことばをいつも口にしますか。夫婦は結婚を成功させ,結婚を制定されたかたに誉れを帰すよう,誠実でひたむきな努力を実際に払っていないのであるなら,ふたりは神に偽りを言ったことになります。

      神を偽る者とならないよう注意する

      神が結婚の取り決めとその誓いを重視しておられることを考えるなら,神を喜ばせ,神の取り決めのもとで命を得たいとの願いをいだく結婚した人は,おのおの自分の立場を再評価し,次のように自問すべきです。「わたしは配偶者に対してほんとうの愛を示しているだろうか。深い尊敬を表わしているだろうか。事態の良し悪しにかかわりなく,つまり『良きにつけ悪しきにつけ』そうしているだろうか」。

      神の前に約束を守る人は現在大きな幸福を見いだすとともに,誓いを忠実に守る者として命の贈り物を得ます。

  • 「与えることのほうに幸福は多い」
    ものみの塔 1971 | 9月1日
    • 「与えることのほうに幸福は多い」

      親が子どもといっしょに読む特別な記事

      わたしはあるひけつを知っています。あなたはそれを聞きたいと思いますか。それは幸福のひけつです。幸福でない人は大ぜいいます。そうした人たちはほとんどいつも悲しそうにしています。その人たちは,ほかの人々から何かをしてもらわなければ幸福になれない,という場合がたいへん多いのです。だれかに何かよいものをもらうと幸福になります。でも,それらの人はたいてい得られそうもない物が手にはいるようにと待ちながらくらしています。

      さて,ここにひけつがあります。偉大な師はこう言われました。「受けることより与えることのほうに幸福は多い」。(使行 20:35,新)それで,

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