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  • 力は励ましから生まれる
    ものみの塔 1963 | 10月15日
    • ではなく,たましいに戦いをいどむ敵です。もし私たちがゆるすなら,この敵は私たちの生活の中にずるずると入りこんできて,最後に私たちの生命,すなわちたましいを滅ぼしてしまいます。ですから私たちにはこのような励ましが必要です。そしてエホバは,使徒を通して初期クリスチャンたちにお与えになったと同じように,現代のご自身の崇拝者たちにも,励ましを与えて下さいます。―ペテロ前 2:11,12,16; 4:3-5,新口。

      14 圧制的な主人に雇われて働いている人々のために,どんな励ましの言葉が述べられていますか。今日でもこの助言は,どのように多くの人の益になりますか。

      14 ペテロはまた,兄弟たちが直面する,そして彼らの崇拝に影響する勇気をくじくような家庭内の問題や雇用の問題を励ましの手紙の中でとり上げています。たとえば,ある者は,主人が苛酷なために苦しんでいました。主人の所有物としてのどれいだったある人々は,神の御旨を行なうことを望んだために,ひどく虐待されたようでした。彼らは「神に対する良心」のゆえに苦しんでいました。それは,今日多くの人々が,キリスト教の信仰をもつゆえに,この世の雇主から差別待遇を受けるのと同じことでした。彼らはそういう事態をどうみるべきでしたか。「善を行なって苦しみを受け,しかもそれを耐え忍んでいるとすれば,これこそ神によみせられることである」とペテロは書きました。そしてひきつづき,彼らの状態とキリストご自身の状態とを比較してこう述べています。「あなたがたは,実に,そうするようにと召されたのである。キリストも,あなたがたのために苦しみを受け,御足の跡を踏み従うようにと,模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず,その口に偽りがなかった。ののしられても,ののしりかえさず,苦しめられても,おびやかすことをせず,正しいさばきをするかたに,いっさいをゆだねておられた」。従うべきそういう模範があることは,ほんとうに大きな励ましになります!―ペテロ前 2:18-23,新

      15 (イ)ペテロはクリスチャンの妻たちへの励ましとして,彼女たちの注意を何に向けさせていますか。(ロ)夫たちには,励ましとしてどんな助言が与えられましたか。(ハ)お互いに力づけ合い,助け合いたいなら,夫と妻の両方が何に心をそそがねばなりませんか。

      15 クリスチャンの妻なら,神を信じない夫と結婚している人でも,この同じ服従の立派な模範に従うようにすすめられています。なぜならペテロは,妻たちへの助言を始めるまえに,「同じように」という表現を用いて,服従にかんする前述の言葉に彼女たちの注意を引いているからです。彼女たちもやはりキリストを模範にすることができるのです。そして,現在でも第1世紀におけると全く同じく,彼女たちの模範となります。忍耐の結果について彼女たちを励ますために,ペテロはこう助言しています。「夫に仕えなさい。そうすれば,たとい御言に従わない夫であっても,あなたがたのうやうやしく清い行いを見て,その妻の無言の行いによって,救に入れられるようになるであろう」。夫たちも,彼ら自身の問題をもっていて,励ましを必要とします。そこで,既婚者であり,またエホバの聖霊に動かされたペテロは,彼らが直面していた問題について論じ,理解をもって妻に対するようにつとめること,また妻を「自分よりも弱い器で,かよわい者」であることを認めるように夫たちにすすめています。ですから夫は妻に男と同じ感情的反応を期待したり,男と同じように働くことを期待すべきではありません。夫と妻の両方が,常に心に留めておかなければならないほんとうに大切なことは,神と彼らとの関係です。そして,永遠の生命という賞を捕えるために互いに助け合うという気持が家庭のいざこざで弱くなるようなことが,絶対にあってはならないわけです。なんという実際的な助言でしょう! すべての人が,自分のもっているむずかしい問題を取りあげてもらえたこと,導きになるキリスト教の原則を指摘してもらえたこと,また困難な状態の下にいながら彼らの忠実さによって成し遂げられていた善いことが強調されたことは,すべての人にとってどんなに大きな助けになったことでしょう! 霊感によって書かれたこの同じ手紙は,困難の多いこの時代に住む私たちにとっても力になります。―ペテロ前 3:1-9。

      16 ペテロ前書 5章では,どんな事柄が監督たちと論じられていますか。なぜですか。

      16 ペテロの手紙には,監督たちのことも述べられていて彼らは励ましなどいらないかのように見のがされてはいません。それどころかペテロは,彼らが特に感謝するであろう事柄について彼らと論じました。奉仕に対する正しい見方,神と兄弟たちに対する関係,むずかしい問題や迫害に対処する方法などがそれです。「神の資産である」「あなたがたにゆだねられている群れを牧しなさい」とペテロは言いました。いまでも,自分の監督の下にある会衆内の人々が,神のものであることを思い起すとき,深く感動しない監督はいません。問題をこのように見るなら,監督は『群れの上に権力を振う』こともなければ,ごうまんになることもなく,かえって次の助言に注意します。「だからあなたがたは,神の力強い御手の下に,自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから,自分の思いわずらいを,いっさい神にゆだねるがよい」。自分ひとりで全部の荷を負わなくてもよい,ということを知るのは,けんそんな監督にとってほんとうに大きな励ましです。監督は,問題の処理について神の導きに頼り,自分の思いわずらいをいっさい神にゆだね,神の御言葉を調べて導きを求め,祈りのうちに神をさがし求めるようにすすめられています。またサタンの世から迫害される時でも監督はひとりではありません。なぜならペテロが次のように言っているからです。「同じ苦難は,全世界にいるすべての兄弟にも降りかかっていることを知り…なさい。しかし,あなたがたを,キリストにある永遠の栄光に招き入れてくださったいつくしみ深き神は,あなたがたのしばらくの苦しみの後,あなたがたの訓練をご自身で終わらせて,あなたがたをかたくし,強くされるであろう」。(ペテロ前 5:1-10,新口,新世)監督は勇気を出すよい理由があります。

      17 それで実際にはだれが偉大なる力の与え主ですか。なぜそう言えますか。

      17 エホバご自身が,その民に勇気を与えるかたであることは疑問の余地がありません。エホバこそ,私たちがいままで検討してきた励ましの言葉を書くように霊感を与えたかたです。神ご自身の御言葉である聖書にのせられている御約束こそ,私たちを希望で満たすものです。エホバは私たちが,生活の諸問題に首尾よく対処できるように,私たちを教えてこられました。エホバが後援してくださるのですから,たとえ世界の反対に面しても,私たちは自分の立場を固守することができます。ですから私たちはダビデと共に言います。「エホバはわが力わが盾なり,わが心これに依頼みたれば我たすけを得たり,然る故にわが心いたくよろこぶ,われ歌をもてほめまつらん。エホバはその民のちからなり」。―詩 28:7,8。

  • 他のひとびとを励ます
    ものみの塔 1963 | 10月15日
    • 他のひとびとを励ます

      1 他の人を励ますのはなぜクリスチャンの責任と言えますか。この点においてどんな立派な模範がありますか。

      ほかの人々を励ます機会はだれにでもあります。そしてその機会を有効に用いるなら,どんなに感謝されることでしょう! エホバは,だれにもまして励ましを与えるかたです。私たちの弱点をゆるし,私たちの希望を強くし,また試みに

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