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  • 結婚の取決めに欠陥があるのですか
    目ざめよ! 1979 | 1月22日
    • 近年になって,そのような研究結果が表面に出てきたとしても,それは驚くに当たりません。実際のところ,それは予期された事柄でした。結婚という取決めは,単に人々の便宜のために「進化」したものではないからです。結婚は男と女を創造された方に起源を有するものです。そして,神が人間を造られたのですから,どんな関係にあれば人間が一番成功するかを神はご存じです。神の定められたわく組みの中で人間が各々その役割を果たせば,最善の結果を得られます。―創世 1:26-28; 2:18-25。

      男女間の人間の愛を表現し,安心感と永続性をもたらし,子供を育ててゆくために,結婚に代わるものはありません。

      欠陥があるのは結婚ではありません。基本的に言って,誤った仕方でその取決めを用いている人間に欠陥があるのです。

      ですから,満足感を得たいと思う人は,誤った哲学に圧倒されて,結婚そのものに責むべき所があるかのように,それを堕落させたり,消滅させたりする道を模索しようとすべきではありません。結婚を向上させ,維持するのに役立つ道,つまり結婚生活上の諸問題を解決するのに役立つ道のほうを模索する必要があります。

  • 結婚のきずなが弱くなりつつある理由
    目ざめよ! 1979 | 1月22日
    • 結婚のきずなが弱くなりつつある理由

      この世の結婚カウンセラーは,現代において結婚のきずなが弱くなりつつある原因として,数多くの理由を挙げます。しかし,そのようなカウンセラーのほとんどは,最も根本的な原因を考慮に入れていません。

      この根本の原因を考えに入れないなら,彼らの助言は有益であるとはいえ,多くの場合十分とは言えません。事実,意見が余りにも異なっているため,その助言が矛盾することさえあります。

      この事態は,歯が痛むのでアスピリンを服用する人の状況になぞらえることができます。それは痛みを和らげるのに役立つかもしれませんが,問題の根本原因を正すものとはなりません。根本的な原因が明らかになり,正しい処置が施されれば,痛みは除かれます。

      同じように,結婚生活上の諸問題についても,その根本原因を正さねばなりません。そうすれば結婚という取決めそのものを除き去らなくても,諸問題を解決できます。いわば,“産湯と共に赤ん坊を捨てる”ような必要はないのです。

      しかし,根本原因を分析する前に,今日の結婚が失敗に終わる,より表面的な理由の幾つかを,簡単に調べてみましょう。

      若過ぎる結婚

      熟さないうちにもぎ取った果物は,苦い味のするものです。同様に,若過ぎるのに結婚する人は,苦い味を刈り取ることが少なくありません。結婚の失敗の例は,非常に若い夫婦,特に十代の若者の間に高い率で見られます。その夫婦が若ければ若いほど,危険率も高くなります。

      オーストラリアのウイメンズ・ウイークリー誌は,その点を率直にこう述べています。「18歳で結婚するのは愚にもつかないことである。若過ぎて,まだ生活経験に乏しい。自分がどんな人間か分からないため,未熟な決定を下すことが多い。そのころ重要に思えるささいな事柄は,後になれば重要ではなくなる」。そうです,自分を知るようになるには時間がかかりますし,自分の配偶者になろうとする人を知るのにも時間がかかります。

      若いころの“愛”のほとんどは,本当の愛などではなく,のぼせた状態,肉体的な誘引力です。しかし,それだけでは結婚生活を営んではゆけません。これは,結婚前に情欲をほしいままにし,少女が妊娠する場合にも見られます。そのカップルは結婚しますが,結局すぐに離婚する破目になります。

      フランスでは,「結婚してから二年しないうちに離婚する夫婦の85%は,結婚前にその最初の子供を妊娠している」と,「離婚アラカルト」という本は述べています。性的魅力も,赤ちゃんも,結婚のきずなをつなぎ止めておくのに十分ではありませんでした。

      非現実的な期待

      愛,性,そして結婚について非現実的な概念を抱いている人は少なくありません。それは,テレビ,映画,本,雑誌,友人,あるいはその人自身の空想に源を有するのかもしれません。こうした概念が結婚で実現できないと,その人は誤った期待を責めるのではなく,むしろ配偶者や結婚という取決めを責めるのです。

      ある人の場合,結婚したいという欲望が,本当に似合いの配偶者を見付けるという必要に打ち勝ってしまいます。そうした人は,自分の結婚相手はそれほど似合いの相手ではなくても,『どうにかやっていける』と考えます。そして,どんな結婚でも,結婚するほうがしないでいるよりはましだと思います。あるいは,結婚してから相手の性格を変えてやろうと考えます。

      しかし,離婚に関する驚くべき統計は,そうした期待が非常に多くの場合,非現実的であることを示しています。『どうにかやっていけ』ない場合が少なくないのです。当てにしていた性格の変化は起きず,夫婦は『どんな結婚でも』しないよりはましだなどと言えないことに気付きます。そうした人々が後日抱く離婚したいという願望は,結婚がうまくゆかないと,結婚しないでいるよりも悪い,と彼らが考えていることを示しています。

      背景

      多くの場合,人がどのように育てられたかによって,その人の結婚生活のたどる進路が左右されます。家庭の雰囲気がよくないと,将来の結婚生活は脅かされるでしょう。親のよくない行為を軽べつしていても,後日,自分もそのよくない行為を模倣していることに気付く人も少なくありません。この点に関して,一人の主婦はこう語っています。

      「母はよく父を批判し,怒ると父に向かって物を投げ付けたものです。自分でもいやでたまらないのですが,私には夫にがみがみ小言を言い,腹を立てると物を投げる傾向があります。それはあたかも,そうした仕方で夫と生活するよう母が『教えて』くれたようなものです。夫との間に問題を作り出すのではなく,それを解決する方法を教えてくれればよかったのにと思います」。

      夫婦の背景の別の面は,二人の関心事が余りに異なっている点と関係があります。最初のうち,そのような相違は興味深く思えるかもしれません。しかし,結婚してから時間がたって,そうした相違の目新しさが消え失せると,それは摩擦の種になりかねません。食べ物の嗜好,服の趣味,あるいは仕事,金銭,政治,宗教などに対する態度など,好き嫌いに相違があればあるほど,結婚後それについて言い争う可能性も大きくなります。

      正反対の人間は最初のうち引き付け合うかもしれませんが,後で互いに反発する場合があります。初めから共通点が多ければ,結婚してから後に対立する分野もそれだけ少なくなります。

      雇用および金銭面の圧力

      夫が仕事に夢中になりすぎ,職場の人との付き合いにうつつを抜かすようになると,妻を顧みなくなります。妻はそれに憤慨するようになり,家庭と子供を顧みなければならないことに制約を感じるかもしれません。

      一方,経済上の必要のためではなく,生活を『もっと面白く』するために働きに出る妻は,夫を憤慨させることもあるでしょう。夫は,妻が夫の関心事,家庭,そして子供の養育をなおざりにしていると感じるかもしれません。

      物価の高くなった昨今,家計を助けるために働きに出る主婦も少なくありません。そのような状況の下では,夫が妻に相変わらず家事一切を切り回すよう期待する場合に問題が生じます。妻はそれを不公平であると考えますが,それももっともなことです。こうして,二人の関係は緊張するのです。

      夫が家族に不自由のない暮らしをさせるのに,ふさわしい勤め口を見付けられないと,問題の起きることもあります。こうした状況下で,夫は自尊心を失うようになり,あげくは大酒を飲むようになるかもしれません。それは良くない事態をさらに悪化させ,妻はいよいよ失意を深めます。

      夫婦間の不和の主な原因になっている財政問題は,多くの場合人々が不必要な物に対する欲望を制御しないために生じます。そうした人々の欲望は必要をはるかにしのぎ,自分たちの資力を超えた買い物をします。

      このことは,しばしば宣伝されている物や年長の人が愛用している物を見て,それを欲しがる若い夫婦の多くに当てはまります。そうした夫婦は,それら年長の人々はその物を入手するために長年働かねばならなかったということを忘れています。こうして若い夫婦は大きな借金を抱え,自分たちの稼ぐよりも多くのお金を使います。その生活様式を支えるために共働きをしなければならないかもしれず,大抵の場合,それでも収入は足りません。また,まさにその時,妻に子供ができて,働けなくなるかもしれません。こうして請求書の支払いを済ませるだけの資金にも事欠き,苦々しさや粗捜しがそれに続きます。

      意思疎通の欠如

      このありふれた理由は,結婚当事者が冷静かつ率直な仕方で互いに話し合おうとしないことを中心としています。それは結婚生活の様々な面に取り返しのつかない影響を及ぼします。

      大抵の場合,妻は,自分の考えや言動に夫が関心を抱いていないと感じるものです。夫は自分の意見に耳を傾けてくれない,と妻はこぼすかもしれません。それで,妻は孤独を味わい,愛されていないと感じ,伴侶(夫がその伴侶であるべきなのに)がいないように思うのです。こうして,夫婦の間が疎遠になってしまいます。

      しかし,多くの場合に,意思疎通の欠如は問題の原因ではありません。それは結果なのです。何か別の点がうまくゆかなくなり,その一つの表われとして,夫婦間の健全な会話がいよいよ少なくなってゆくのです。

      アルコール中毒

      家庭を破滅に追いやる主要な原因の一つはアルコール中毒です。世界中には幾千幾百万人ものアルコール中毒者がおり,アルコール中毒になりかけている人がさらに幾百幾千万人もいます。

      人が飲酒にふけるのは,“楽しみたい”とか“いい気分になりたい”からでしょう。しかし,それは,人が対処するのに苦労していて,飲酒によって和らげたり,逃避したりしようとする別の問題の結果でもあるかもしれません。しかし,大酒にふければ,当初の問題が何であれ,それを悪化させることは請け合いです。

      余り飲まない人は,大抵,よく飲む配偶者を不快に思うものです。離婚のうち,配偶者の側のアルコール中毒をその主要な原因としているものはかなりの割合を占めています。

      残念なことに,アルコール中毒の親を持つ子供は,後日,自らも飲酒の問題を抱える率が高くなります。こうした幼いころからの家庭での“訓練”あるいは“慣れ”は結婚生活にまで持ち込まれ,飲み過ぎのためにその親たちの経験した数多くの問題を自分たちが経験することになります。

      性の問題

      結婚が破たんをきたす別の主要な理由は,性の不一致です。夫は,妻が自分と同じほど性関係に関心を示さないので不満を表わすかもしれません。妻は,夫は利己的で妻の感情的な必要を考慮してくれないとこぼします。

      性を大目に見る今日の態度は何の役にも立っていません。男性の場合特に,自分の持つあらゆる性欲を満足させる権利を与えられて然るべきだと考え,妻がその欲望を満たしてくれないと,外部に相手を求める人が少なくありません。それに対して妻は,もっと思いやりがあると自分の考える人との不義の関係を求めます。しかし,こうした家庭外の不貞行為は,やがて結婚をだいなしにしてしまいます。

      浮気をし,場合によっては私生児をもうけることさえ男らしさの表われとみなされる土地は少なくありません。夫は家族の資金の多くをそうした情事につぎ込み,妻や嫡出子の使える資金が少なくなることもあります。妻は普通,こうした事態に強い怒りを表わすものです。

      簡単になった離婚

      近年になって,法律が改正された結果,離婚はずっと容易になりました。今では,離婚したいという願い以外に理由を必要としない,“請求があれば離婚を認める”ような土地もあります。

      そのような簡単な離婚法がますます一般化するに従って,少なからぬ人は,『結婚がうまくゆかなければ,いつでも離婚できる』という考えを抱くようになります。しかし,まさにその態度が有害なものとなりうるのです。そうした態度があるために配偶者の選び方について,よりぞんざいになるのです。また,結婚生活で困難が生じても,それを解決するために一生懸命努力しようとする意向が少ないことも十分に考えられます。

      それで,これまでに挙げたのは,近年になって結婚の失敗する例が増大している理由のうち,比較的ありふれたものの幾つかで,もちろん,このほかにも理由はあります。こうした問題に対処するのを助けるために,この世の結婚カウンセラーは様々な助言を与えます。中には優れた助言もありますが,不適当な助言,矛盾する助言,そしてただひどいとしか言いようのない助言もあります。

      こうした混乱が見られるのはなぜですか。なぜなら,そうしたカウンセラーのほとんどは問題の根本原因を把握するに至っていないからです。根本原因を把握し,ふさわしい解決策を当てはめるまで,結婚生活の失敗という脅威は消え去りません。

      これまで,結婚が失敗に終わる理由のうち,より表面的なものを見てきました。しかし,もっと根深い原因があります。では,結婚生活の諸問題の根底にあるものは何ですか。また,結婚の取決めに幸福を見いだすには何が必要ですか。

      [13ページの図版]

      あなたの結婚は損なわれていますか……

      ……財政問題で

      ……沈黙で

      ……アルコール中毒で

  • 結婚が失敗に終わる根本原因
    目ざめよ! 1979 | 1月22日
    • 結婚が失敗に終わる根本原因

      わたしたちの時代に,結婚の失敗する例が増大している根本原因はどこにありますか。今日,結婚そのものがこうした危機の渦中にあるのはなぜですか。

      その答えは,次のような例えを用いて説明できるでしょう。複雑なコンピューターが故障した場合,それを修理するためにだれが呼ばれますか。別のコンピューターではありません。むしろ,より高度の頭脳,専門のコンピューター技師,願わくはその設計者か製作者,つまり本当に機械に精通している人が呼ばれるでしょう。

      では,結婚における人間関係が破たんをきたした場合,“修理”のためにだれを呼ぶべきでしょうか。同じように限られた知識しか持ち合わせていない,別の人間ですか。いいえ,コンピューターの故障の場合と同様,より高度の頭脳,本当に物事に精通している方,願わくはその設計者か製作者に助言を求めるほうがはるかに分別のあることです。

      それはだれですか。人間を創造された方で,結婚の創始者であられるエホバ神です。エホバ神は人類を創造し結婚を取り決められたのですから,破たんの生じる理由や人間関係を円滑にしておくのに必要とされる事柄をだれよりもよくご存じのはずです。

      根本原因

      それでこのことから,わたしたちは結婚が失敗に終わる最も基本的な原因,つまりその根本原因を理解することができます。すなわちその根本原因は,人間を造り,結婚を創始した方,つまりエホバ神の定めた幸福な結婚のための律法と原則を,結婚当事者の一方,あるいは双方が無視することにあります。

      夫婦がそれら賢明で実際的な律法と原則の枠内で協力すれば,その後,結婚関係はうまくいくはずです。しかし,そうした律法と原則を無視すれば,もめ事がすぐ後に控えています。

      幸福な結婚のためのそうした公式は,わたしたちの想像に任されているわけではありません。それは,創造者がわたしたちの益のために著わされた手引き書,つまりみ言葉である聖書の中に収められています。

      様々な異議

      しかし,多くの人は『でも,聖書も神への信仰も,いわゆる“キリスト教”の国々に昔からありましたが,それは結婚の失敗を防げなかったではありませんか』と言って異議を唱えます。

      確かにその通りです。とはいえ,キリスト教であると称える国に住んでいるというだけで,その国がキリスト教的になるわけでも,そこに住む人々がクリスチャンになるわけでもありません。聖書を持っているというだけで,その人が聖書の規準に従って生活していることにはなりません。実を言えば,聖書を持っている人のほとんどは,その律法や原則を実践していないのです。

      中には,別の面から次のような異議を唱える人もいます。『しかし,夫婦のどちらも聖書を手引きとして用いず,神を信じていなくても,幸福な結婚生活を送っている人がいるのではありませんか』,と。

      確かにその通りです。では,その幸福はどのようにしてもたらされるのでしょうか。その幸福は,意識的にではないにしても,結婚当事者が聖書に示されている規準と似た規準に従っている結果にほかなりません。知ろうと知るまいと,そうした人々は,神から与えられた良心に従って,結婚に関する神の律法と原則に調和した生き方にもっと近い生き方を自分のものにしてきたのです。―ローマ 2:14,15。

      しかし,結婚の正しい手法を偶然に自分のものにすることを当てにするのは,かじも航海士もなしに出帆し,偶然に目指す目的地に漂着するのを期待するようなものです。起こり得ないことではありませんが,それを当てにするのは賢明ではありません。経験豊かな航海士の乗り組む,かじの付いた船のほうが,正しい航路を取り,その目的地に到達する可能性ははるかに高いでしょう。

      同じようなことですが,あなたなら次のどちらを選びますか。道路地図なしに,危険で見ず知らずの道路を通って広い荒野を車でドライブしますか。それとも,道路を造った技師の作成した道路地図,旅行をした他の多くの人々にとって信頼性が証明されている地図を使いますか。

      神は,結婚に関する偉大な航海士であり,ご自分のみ言葉の中に手引きとなるかじを備えました。神は結婚の偉大な技師であり,成功へ至る道を造りました。そして,信頼の置ける道路地図を出しておられるのです。

      致命的な欠陥

      結婚は人間に源を有し,人間の必要を満たすために,長い年月をかけて,いわば進化してきたと考える人は少なくありません。また,創造者を信ずると言いながら,その方の意志を知るための努力をほとんど,あるいは全く払わない人もいます。ですから,これら大勢の人々すべての致命的な欠陥は,人間の知恵だけを自分たちの結婚の導きにしていることにあります。彼らは,一番よく知っておられる方,結婚の創始者に由来する,より優れた知恵を無視します。

      自分の導きとして人間の知恵だけに頼る人は,聖書の中で,「荒野に育つ小さな木」になぞらえられています。「何も良いことの来るのを見ない」という点で似ているのです。しかし,自分の造り主に導きを求める人は,「水のほとりに植えた木のようで,その根を川にのばし,暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く,ひでりの年にも憂えることなく,絶えず実を結ぶ」と言われています。―エレミヤ 17:6,8,口。詩 1:1-3。

      しかし,自分たちの生活の中に神の介在を望まない人も少なくありません。彼らは,“独力でやる”ことを望むのです。そうした人は事実上,ヨブ記 21章14節から16節に描写されている人々と同じようなことを言います。「邪悪な者は,自分たちを構わないでおくようにと神に告げる。彼らは自分たちの人生に対する神の意志を知りたいと思わない。彼らは神に仕える必要はないと考え,神に祈っても何の益もないと考える。彼らは自分の力で成功すると言い張る」―「現代英訳聖書」。

      しかし,本当にそうですか。結婚の破たんという残骸で混乱している人間社会を見れば,そうではないと言わねばなりません。そして,その残骸は,神からの知恵を無視した結果生じたのです。そのわけで聖書は,「人が見て自ら正しいとする道でも,その終りはついに死に至る道となるものがある」と述べているのです。―箴 14:12,口。

      むしろ,神の助言はこうです。「心を尽くしてエホバに拠り頼みなさい。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において彼を認めなさい」。そうです,「エホバに対する恐れは知恵の始まり」なのです。―箴 3:5,6; 9:10,新。

      現実を直視する

      西アフリカの一政府職員は「聖書の原則に対する敬意のみが結婚を成功させる」と述べましたが,これは結婚を成功させるというこの問題に関する真理を言い当てていると言えるでしょう。

      わたしたち人間はそのように造られているのです。神に源を有するそうした原則を無視すれば,その結果は当然良いものではありません。それは,人間を支配する他の原則,つまり法則を無視する場合に似ています。例えば,引力の法則を無視して高い所から飛び降りるなら,その結果としてけがをするか,死にます。また,食物や水や空気の摂取を求める,身体の自然の法則を無視するなら,やはり代償を払わねばなりません。同様に,結婚に関する神からの原則 ― 精神的にも,感情的にも,身体的にもわたしたちの造りに適した原則 ― を無視すれば,失敗という代償を払うことになります。

      わたしたちは自分のまくものを刈り取ります。(ガラテア 6:7)もし小麦を刈り取りたいのなら,雑草をまくことはできません。本当に幸福な結婚を望むなら,成功させるために神が与えてくださった律法や原則に反した生き方をすることはできません。そして,結婚の造り主の備えてくださった青写真に近付けば近付くほど,わたしたちは幸福になります。

      確かに,神の規準に忠実に従えば,結婚が全くの失敗に終わることは決してありません。その証拠は,そうした規準に本当に従い,結婚生活において今日理性的に期待し得る最大限の幸福を見いだしている,数多くの夫婦の生活に見られます。

      ところで,聖書に収められている,その律法や原則は一体どのように作用するのですか。幸福な結婚生活を送るには実際のところ何が必要とされますか。

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