-
不完全な状態下の結婚ものみの塔 1956 | 12月1日
-
-
です。神はアダムを頭に任じました。彼は神よりの任命を尊重し,頭のごとく振舞つて決定をつくつたエバの行を抑止すべきでありました。
結婚義務の不履行による悪い結果
7 アダムがエバの提供した実を拒絶したならば,彼は何を示したことになりますか。その実を受け取ることにより,何を示しましたか。
7 アダムが自分自身を愛し,また,自分と自分の子孫の生命を愛したなら妻の手によつてすすめられたこの禁断の実をうけとらなかつたことでしよう。アダムは拒絶することにより正しい道をエバに示し得たはずです。なぜなら,エバはアダム自身の肉だつたからです。彼が自分自身や妻を愛する以上に神を愛したならば,アダムは妻のすすめを断つて,神のいましめを守つたでしよう。神と分れるよりは,自分の妻と分れる方を望んだでしよう。アダムは,真実の夫の責任を果し,神より任命された自分の頭の地位を尊重して,自分と家族のために正しい決定をつくつたことでしよう。そして,力のあることを示して,自分の責任を遂行し,神に対する忠実を守つたことでしよう。しかし,アダムは神のことを考えなかつたのです。彼は実をさし出している自分の妻を見ました。いまや,彼女に対する欲望を感じました。アダムは,エバを産めよ殖えよ,と言われた神の命令を成就するための自分の援助者または補助者と見なさず,むしろ自分の肉の思を満足させる手段に見なしたのです。アダムはその欲望に誘われました。彼は神のいましめに従うよろこびに思と注意を払うよりも,その欲望に多くの思と注意をかたむけたため,心が弱まりました。彼は夫としての自分の頭の地位を否認して棄てました。彼は神の声に耳を傾けず,自分の妻の声に耳を傾けたのです。彼は禁断の実を受け取つて,食べました。
8,9 アダムが自分の神よりも妻を好んだ結果は何でしたか。彼らはどのように神に答えましたか。
8 彼は,たしかに悪しき事柄において妻にかたくつきましたが,自分の父である神とは分れました。アダムは惑わされたのでなく,故意に蛇である悪魔サタンに加わつて神に反逆したのです。聖書は,必然的に生じた精神的な葛藤や感情のことを述べていませんが,簡潔にこう記しています,『(女)これを己とともなる夫に与えければ,彼食えり。』このようにして,両人は罪を犯しました。しかし,アダムの罪はエバの罪よりも重いものでした。彼には多くの責任が課せられていたからです。両人は,もはや清い自然の仕方でお互を見ることができなくなりました。『ここにおいて,彼らの目ともに開けて彼らその裸なるを知り,すなわち無花果樹の葉をつづりて裳をつくれり。』― 創世 3:6,7。
9 無花果樹の葉をつづつたもの,ということからも示されるように,アダムとその妻とのあいだには障壁がつくられたのです。妻の前に立つて自分は潔白であるとは感じなかつたアダムは,神の御前に立つても潔白であるとは感じませんでした。アダムは,神と話をすることにもはやよろこびを感じなくなりました。アダムは,神と話をすることを熱心に待望むどころか,いまでは逃げてかくれてしまいました。それで,見えない状で神の近よるのを聞いたアダムとエバは,木のうしろに身を隠したのです。神は,アダムの妻を呼ばずアダムを呼びました。アダムは,神の前に身を表わせない,と神に告げました。それはなぜですか。アダムは禁ぜられていた実を食べましたか。その木から直接に実を取つて食べたわけではありませんが,妻の手からその実を受け取つて,妻をよろこばす為に食べました。すると,なぜ女は禁ぜられた木から直接実を取つて食べましたか。女は,自分の行の愚かであつたことを認めました。こう語つています,『蛇われを誘惑して,我食えり。』(創世 3:8-13)その結果がこのようになる,とはエバはすこしも考えなかつたのです。
10 (イ)サタンは,どんな結婚を破ることができませんか,そしてなぜですか。(ロ)神は,サタンとその裔に対して何を定めましたか。
10 それで,神は大いなる蛇,悪魔サタンに注意を向けられました。この悪魔サタンは,アダムとエバの結婚を極めて難しいものにしたのです。しかし,蛇なる悪魔サタンが,ヱホバの『女』― つまりヱホバの独り子の支配下にあつたヱホバの天的な宇宙的な制度,― とヱホバ神の結婚を破れる,などと一瞬でも思うなら,それは全くの間ちがいです。大いなる夫ヱホバ神は,サタン悪魔を詛い,サタンは塵だけを食べて生きて行くような卑しい存在をしなければならぬ,と言われました。そして,そのときに御自分の『女』のことを述べられたのです。ヱホバの定めにより,ヱホバの女はエバの取つた行とは違う行をします。ヱホバは次の言葉を言われました,『我なんじと女のあいだ,および汝の裔と汝の裔のあいだに怨恨をむかん。彼はなんじの頭をくだき,なんじは彼の踵をくだかん。』(創世 3:14,15)ヱホバの天的な制度的な妻は,ヱホバを愛して,ヱホバにかたくつき従うでしよう。しかし,欺瞞者なる蛇,すなわちサタン悪魔を憎みます。彼女の子孫である子供たちは,惑しを行う蛇の子孫,すなわち裔に反抗するでしよう。彼女の子孫が大いなる蛇にくわえる傷は,蛇が彼女の子孫にくわえる一時的な跛行という傷よりも,はるかに悪いものです。その傷は,一番の急所になされるのであつて,サタンの頭は打砕かれ,サタンの裔はみな亡ぼされてしまいます。神の制度的な妻である『女』は,その夫なるヱホバの御名を負う実を永遠にわたつて結びます。
11 それ以後の人間の結婚に対して,神は何を予言しましたか。女の地位は,なぜ特に難しくなりますか。
11 このとき以後の,人間の結婚には難しい問題がくわわり,夫婦は『その身に苦難』をうけるであろう,とヱホバは予言しました。結婚における女の立場は,特に難しくなりました。ヱホバがそれについてエデンで語つたことは,6000年の経験から照らして真実である,と証明されています。『女に言たまいけるは,我大になんじの懐妊のくるしみを増すべし。なんじは苦みて子を産ん。また汝は夫をしたい,彼はなんじを治めん。』(創世 3:16)夫が妻を治めたいという欲望を感じて,また,妻がよろこんでそれに服従したいというときだけに夫が妻を治めるものではありません。妻が懐妊のくるしみを増して,苦しんで子を産むのと同じように,夫は,たしかに妻を治めるのです。このすべてのことにもかかわらず,女は夫を持ちたいと切望します。夫を持たないことは,気まずいことであり,恥ずかしいことである,と女は考えます。もし子供を産まないなら,女性の目的が失敗して駄目になり,自分自身と自分の夫に失望をもたらす,と考えます。夫を所有者,支配者にしてまでも女は結婚と子供を切望します。
12 自分の妻をよろこばせよう,と努めたために,アダムにはどんな結果が生じましたか。
12 神は『なんじその妻の言葉を聴きて,』と語ることにより,アダムに死の宣告を述べられました。それは,任命された夫婦の頭にとつてなんと面目のないことだつたのでしよう。たしかに,すべてのことは,これに起因したのです。彼は,善悪を知るの木の実を食べてはいけない,と命じた創造主の言葉に聴き従わず,つくられたものの言葉に聴き従いました。夫であるアダムは,自分の妻を失いたいとは思わず,妻をよろこばせようと努めた結果,反つて妻を悲しませる事柄をしてしまつたのです。アダムは,妻から立派に思われ,尊敬されるものと確信していました。彼に智恵の欠如していたことは,その結果に表われました。彼は妻の故に楽園の住居を失い,または神の御旨にかなつた子としての立場を失いました。故に,惑わされた女である妻のために神に取なしを願うこともできず,妻に対する情状酌量をお願いすることもできなくなつたのです。今後の惑や,サタン悪魔の目論む悪い支配に対して,アダムは十分な保護を妻に与えることができなくなりました。もしエバが先に死なないなら,アダムは死んでエバを,夫がいない未亡人にするでしよう。神より否認された状態で死ぬために,エバはアダムといつしよにエデンの園から追払われました。―創世 3:17-24。
13,14 エデンの外における彼らの生活はなぜ幸福なものでありませんか。このことに対する原因は何でしたか。
13 神の言葉は,エデンの楽園外におけるアダムとエバの結婚生活について殆ど述べていません。それが幸福な生活でなかつたことはたしかです。お互に見つめ合いこの悲しい結果をもたらした各自の行を想い起したとき,両人のどちらも幸福に感じなかつたのです。アダムは,完全な自制力を失いました。エデンの園から追出されてから初めてアダムは妻と性関係を持つたのです。長男を産む際の妻の出産の苦痛を見て,アダムは決して幸福に感じませんでした。この子,カインは殺人者になり,自分の兄弟を殺しました。カインは,ヱホバの最初の証者,忠実な人間アベルを暗殺したのです。カインは,アベルが証を立てた神の呪をうけるようになりました。カインは,神御自身によつて処刑され,亡ぼされるしるしをうけたのです。カインは,自分の姉妹の中の一人と結婚していましたが,さすらいの地における結婚生活は,幸福なものでありませんでした。―創世 4:1-17。ヨハネ第一書 3:12。ヘブル 11:2,4; 12:1。
14 アダムとエバは長生きして,自分たちの不完全な結婚生活によつて生じた多くの悪い結果を目撃しました。子孫たちの結婚生活の中で,ひとつとして完全に幸福なものはなかつたのです。このすべてのことに対する責任は何でしたか。先ず第一に,最初の男と女が一致した愛を神に捧げず,またお互同志を愛する以上に神を愛さなかつたことによるのです。神にたいする愛が不足していたことと,またその結果のために,両人とも結婚の取極内における夫と妻という神の定め給う立場を尊重することに失敗し,かつその立場の責任と義務に沿う生活をし得なかつたのです。頭であつたアダムは,すべてのことに対して一番重い責任を持ちます。彼らの害われた結婚の結果に生まれた私たちには,罪や死が伝えられました。裁き主なる神の言葉は,このすべてのことの主要な責任者はアダムである,と指摘しています,『ひとりの人によつて,罪がこの世にはいり,また罪によつて死がはいつてきたように,こうして,すべての人が罪を犯したので,死が全人類にはいり込んだのである。アダムから……死の支配を免れなかつた。』(ロマ 5:12-14,新口)最初に神の設立し給うた結婚の取極を不適当に取扱つたため,害がひき起されました。その害の影響は極めて大きく,災をもたらすものです。
15 (イ)ヱホバご自身の結婚については,どう言えますか。(ロ)人類の結婚についてのヱホバの目的は何でしたか。ノアの日に,しるしとしてヱホバは何をしましたか。
15 ヱホバ神の制度的な妻,すなわち天にある宇宙的な制度と結ばれていたヱホバ神御自身の結婚は,破れることなく幸福な状態を保ちつづけました。そして,悪意を持つ結婚妨害者のなすあらゆる企みにもかかわらず,最も多くの実を結んだのです。ヱホバの女の裔は生み出されました。そして間もない中に蛇の頭を砕き,最高の神の宇宙的な至上権を正しく証明するでしよう。ヱホバ神は御自身の結婚に幸福を見出されていることから,地上にいる御自分の忠実な息子や僕たちの結婚生活も『身に苦難』をうけないよろこびに充ちるように,という目的を最初立てられました。しかし,今ではどの夫婦も不完全になつており,また悪魔サタンを神とするこの世の組織制度に生活している故に,『身に苦難』をうけることは避けられないものになつています。(コリント前 7:28,新口)そのことを示すものとして,ヱホバ神はノアの日のとき腐敗して暴力に充ちていた『その時の世』に属するすべての夫婦を亡ぼされたのです。ヱホバ神は,丸1年のあいだ山をも覆つた世界的な洪水の中に,彼らを沈められました。当時には,『ノアが箱舟にはいる日まで,人々は食い,飲み,めとり,とつぎなどしていた。』しかし,神はヱホバの証者であつた4組の夫婦だけを洪水から救われました。すなわちノアとその妻,そして妻を一人ずつ持つていたノアの3人の息子たちでした。―ルカ 17:26,27,新口。
16 (イ)結婚に関して見るとき,洪水直後の状態はどのようなものでしたか。(ロ)神は生残者たちにどんな祝福を与えましたか。これはいまに至るまで何を意味しましたか。
16 4組の夫婦がアララテ山上に止まつた箱船から出て,清められた地における新しい生活を始めようとしたとき,洪水前の世は全く過ぎ去つていました。その時の状態は,アダムとエバがエデンの中にいたのと殆ど同じようでした。エデン外の地上には,人はひとりも住んでいなかつたため,神はアダムとエバを祝福し,そして子供を産んで地を子供で充たせ,という命令を与えられたのです。アララテ山上の4組の夫婦以外には,人間は地上にひとりもいませんでした。神は地に対する御自分の最初の目的を証明ずけられるために,洪水を生残つた4組の夫婦を祝福しました。それは彼らが乾いた地でヱホバ神の崇拝を再興した後です,『神ノアとその子らを祝してこれに言たまいけるは,生よ増殖よ地に充よ……汝ら生よ,増殖よ,地に多くなりてその中に増殖よ。』(創世 9:1-7)このことは,今日にいたるまでの幾千年ものあいだに多くの結婚が行われる,ということを意味しました。その結果,今日では地は人々で充ち,結婚は増加し続けています。夫婦の不完全さが多くなるばかりでなく,生活のいろいろな状況ということからも,こみ入つた結婚問題がたくさん生ずるようになりました。ヱホバ神をよろこばすと共に,結婚に関係している人々に永続の平和をもたらす方法によつて,これらの事柄をどのように取扱いますか。新しい世の社会内にあつて,これらの事柄をどのように取扱うかは,次の『ものみの塔』の中で詳細に説明されます。
-
-
韓国の素晴らしい大会ものみの塔 1956 | 12月1日
-
-
韓国の素晴らしい大会
韓国の御国の業は,まつたく大進歩をとげています。1956年の4月には,1506人の伝道者たちは大都市や孤立した多くの地区で熱心に伝道していました。新しく興味を感ずる人々は,ひつきりなしに会衆に来て,業のことを知ろうと欲し,またヱホバの証者がそんなにも異つている理由は何であるかを知ろう,と欲しています。人々は,アメリカ人の宣教者が家から家に伝道して,韓国語で人々に話すことに,たいへん驚いていますが,同時に深い感謝の念を抱いています。キリスト教国の牧師,特に韓国内で一番強い勢力を持つ教会(長老派とメソヂスト派)の牧師が,ヱホバの証者の業を非難するとき,人々はかえつて好奇心を持つようになつています。不信仰な人々でさえも,聖書には尊敬を払つています。路を歩く人々の手中に聖書がある,というような光景は,珍らしいものでありません。このような理由の故に,韓国における業は極めて多くの実を結んでいるのです。
韓国にいるヱホバの証者は,みな4月27日から29日まで行われる京城の大会を幸福な気持で待つていました。兄弟たちは熱心に働き,いろいろな取極をテキパキと終了させました。本当に兄弟たちはすべてのことを敏速にいたします。韓国語でしばしば使われる表現は『時間がない』と『早くしなさい』という二つです,兄弟たちは,日曜日の公開講演以外のすべての集会用に学校の講堂を借りました。大群衆が集まると見こまれていたために,京城競技場内にある水泳競技場をも借りたのです。京城内のどの市電にもポスターがつけられ,市内のいたるところに窓ポスターがはられました。何日も前から姉妹たちは多量の御飯や,魚や,いろいろな韓国の料理を忙しく準備していました。取極めがはかどるにつれて,興奮も高まり,兄弟たちの話は,大会
-