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    ものみの塔 1977 | 12月15日
    • 家族生活を幸福にするために自分の役割を果たす

      「あなたがたひとりひとりも,それぞれ自分を愛するように妻を愛しなさい。一方,妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」。―エフェソス 5:33。

      1,2 結婚に関しては何が望まれ,また何を避けることが望まれますか。多くの人はだれに助けを求めますか。

      幸せな結婚! 神がつくられた取り決めであるこの結婚をする人で,幸せを願わない人がいるでしょうか。不完全で悲しみに満ちたこの世の中でも,結婚生活に真の幸せを見いだせた人々がいます。その人々は,今日の世界に多い分裂,問題,心痛を経験しないでくることができました。それにしてもどうしてそれができたのでしょうか。数多い結婚相談員の助言に従ったからですか。彼らの広く異なる意見は今日至るところで広められています。

      2 幾世紀もの昔賢人は,『多くの本を作ることには終わりがない』と書いていますが,確かに結婚とそれに関係した問題について本を書くことには終わりがないようです。(伝道 12:12,新)心理学者,精神病医,医師などが,どうすれば幸せな結婚生活を送れるかについて意見や反対意見を述べます。新聞や雑誌には愛を失った人たちに助言を与える欄がいつも載っています。それでも問題は増え,結婚と離婚に関する統計は,相当数の人が結婚に幸せを見いだせないで別居か離婚をしていることを示しています。しかし,問題を抱えている人も勇気を出すことができます。結婚の創始者は,どうすれば分裂した世界においてさえこの神聖な取り決めの中で満足のいく幸せを見いだせるかを,わたしたちに告げておられます。

      3 結婚に関してどんな質問が行なわれていますか。助けるものについてはどんな提案がされていますか。

      3 あなたの結婚生活は幸せですか。生涯の伴侶と共に,期待していた喜びを見いだしましたか。結婚して何年にもなるのにやはり,『あなたの若い時の妻を楽しんで』いますか。(箴 5:18,口)それとも,あなたはいろいろな問題を抱えていますか。もし抱えているとすれば,健全な助言をもって本当に助け得るものを知りたいと思うにちがいありません。もちろんそれは,あなたがこの不完全な世界の中で経験するかもしれない困難な問題をすべて除去することはできませんが,問題に対処する助けにはなります。またそれは,あなたが自分の結婚生活を向上させるために個人として何をすることができるかを教えます。そのものとは神の言葉である聖書です。聖書のページには,その導きに従って生きようとする人々を助ける助言や忠告がのっています。それで,現代の結婚に見られる問題を幾つか取り上げ,人がその問題に対処して家族という取り決めの恩恵に浴するのに,神の言葉がどのように助けになるかを考えてみましょう。―詩 19:7,8。

      頭の権

      4 (イ)結婚という取り決めにおける男子の頭の権について,多くの女性はどう感じていますか。(ロ)頭の権に伴う男子の責任を聖書はどのように見ていますか。

      4 今日,多くの女性が腹にすえかねる一つの点は,結婚という取り決めの中で男子に与えられている支配的な地位です。一部の女性にとってそれは「男のショービニズム」,すなわち女の頭としての自分の地位に対して男が持っているうぬぼれた,あるいは誇張した見方です。しかしまず最初に,男のショービニズム,あるいは家族の中における夫のうぬぼれた態度は,聖書の教えの所産ではない,ということを述べておきましょう。創世記 3章16節に,女は自分の夫を慕い求め,夫は妻を支配するとあっても,神の意図は,女が男に隷属することではなかったことを聖書は明示しています。むしろ夫は頭,すなわち妻と,また二人の間に生まれるであろう子供たちとを監督する責任を負う者としての地位を占めるべきでした。聖書がその歴史について多くを述べている古代ヘブライ人の時代に,気はくと能力を持つ敬虔な婦人たちは,頭である夫に従う一方,広い行動の範囲と自由を有し,自分の持ち場に満足し,エホバ神に対して特別の奉仕を行なうべく神によって用いられるという祝福にあずかっていました。聖書に出てくる多くの忠実な妻の例としては,サラ,リベカ,ルツ,ハンナ,エステル,エリサベツ,そしてイエスの母マリアなどが挙げられます。

      5,6 (イ)コリント第一 11章3節によると,頭の権はどのように生じますか。(ロ)夫の頭の権をどう行使すべきかについて,使徒パウロと使徒ペテロは何と述べていますか。

      5 クリスチャン・ギリシャ語聖書の文書は,結婚という取り決めの中で男子が有する頭としての役割に,多くの光を投げかけています。それでまず最初にその資料を読むことにしましょう。そうすれば,今日見られる結婚の問題に立ち向かううえで,それをどのように適用するかをよりよく理解することができます。

      6 コリント第一 11章3節を見ると,使徒パウロがコリントの会衆に次のように書き送っていることが分かります。「あなたがたに次のことを知って欲しいと思います。すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神なのです」。ここでパウロは,クリスチャン会衆における権威が,エホバからキリストに,男に,そして女に流れ下っていることを示しています。しかし,男のその頭の権はどのように行使すべきものでしょうか。エフェソス 5章28節を見ると次のように記されています。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします」。使徒ペテロはさらにこうつけ加えています。「夫たちよ,同じように,知識にしたがって妻とともに住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい」― ペテロ第一 3:7。

      7 ある妻は自分の夫について時々どう感じますか。夫は自分の頭の権についてどんなことを自問してみることができますか。

      7 ではこれは,夫たる者に対する聖霊の助言で,夫の頭の権の下にある妻を扱うことに関して与えられたものです。これは非常に簡単なことに思えます。しかし大きな問題は,不完全さと,もって生まれた利己主義とが原因して,夫が,家族の頭でありたいと思いながらも,弱い器である妻に対して必要な愛と思いやりを示さないことが時々あるということです。夫に愛されていないように感じる,自分自身が楽しみ満足することが夫の唯一の関心のようだ,と妻が夫のことを言う場合がしばしばあります。それでクリスチャン会衆内では,夫が自分自身を評価してみて,現実を直視することが大切です。次のように自問してみましょう。私は自分を愛するように妻を愛しているだろうか。弱い器である女性として妻に誉れを配しているだろうか。それとも,自分が満足すること,また自分が望むことだけに関心を示す者だっただろうか。妻の必要や希望を考慮に入れるだろうか。物事を決定するとき,妻の言うことに耳を貸すだろうか,それとも妻が持っているかもしれない希望を無視して,すべての決定を下すだろうか。

      8,9 夫は自分がどのように頭の権を行使しているかを,どんな分野で考慮してみるのがよいでしょうか。

      8 頭の権が正しく行使されなければ結婚の幸福を減ずる種々の問題が生じてくる分野を幾つか検討してみましょう。夫も妻も共にクリスチャンとしての希望を持ち,至高の神エホバの,献身しバプテスマを受けたしもべであるかもしれません。夫であるあなたは,自分の親族ばかりでなく妻の親族とも一緒に時間を過ごすことにしていますか。それとも,妻の親族が訪問するとき,あるいはあなたが妻の親族を訪問するとき,妻にみじめな思いをさせますか。事情の許す限り,自分の側の家族と分け合うことを妻に望むのと同じ程度に,自分も妻の側の家族と分け合いますか。

      9 また一緒にくつろぐ時はどうでしょうか。家族がすることは,いつでもあなたがしたいと思うことですか。独断で決めずに,妻にもどのようにしたいか聞いてみますか。夫が権威を行使して妻に相談もせずに決めるよりも,夫と妻が一緒に座り,どこで数日休暇を過ごすか計画を練るほうがどんなに楽しいか考えてみてください。

      10 子供の養育については,クリスチャンの夫はどんなことを念頭においているべきですか。

      10 家族の中の子供の養育に頭の権がどのように適用するかも検討してみましょう。夫であるあなたは,子供たちを懲らしめることを全部妻にまかせていますか。子供たちが良い子の時は自分の子供で,それほど良くない時には妻の子供ですか。子供の養育に払われる努力が共同の努力であるなら,家族という取り決めにおける真の幸福と喜びはさらにどれほど増すことでしょう。使徒パウロはエフェソス人に,「子どもたちよ,主と結ばれたあなたがたの親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです」と書き送っています。(エフェソス 6:1)この命令が,片方の親だけでなく両親に従いなさいという命令であることにあなたはお気づきでしょう。エフェソス人にさらに与えられた助言は次の通りです。「また,父たちよ,あなたがたの子どもをいらだたせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。「現代英語新約聖書」ではこの節は,「父たちよ,あなたの子供を過度に懲らしめないように,つまり子供が戒めに従うのをむずかしくしないようにしなさい。キリストの教えとキリストの懲らしめとをもって育てなさい」となっています。―エフェソス 6:4。

      11 頭の権の問題である夫はどんな失敗をし,妻からどんな不平を言われる原因を作っていますか。

      11 クリスチャンの家族の中の夫が真剣に考慮すべきもう一つの点は,神から与えられた頭の権を執るということです。夫は自分では何も決めようとせず,全部のことを私にさせる,と妻たちが不満をもらすことがよくあります。もちろん,そのほうが一番たやすく,最も抵抗の少ない方法であることも時にはあるでしょう。しかし,クリスチャンの夫の皆さん,それは神から与えられた責任をエホバのみ前で回避することです! クリスチャンである夫は,事物の神権的な取り決めの中で任命された者として率先して事を行なうことを,神とそのみ言葉によって要求されているのです。

      12 (イ)家族の中で頭の責任を果たすことが女性に幸せをもたらさないのはなぜですか。(ロ)これは女性の地位を下げ,妻を夫よりも劣ったものにしますか。

      12 夫がすべてのことを成り行きにまかせ,決定を下す努力をしないために,妻がその責任を引き受けなければならないなら,不幸な結果になります。夫を失い,そのために夫の代わりに家族を導かねばならない女性もありますが,まず女性というものは,家族の頭としての役割を引き受けるよりも,妻として助けるほうがはるかに良くできるものです。神は女をそのようにお造りになったのです。最初から女は男を補うもの,男の伴侶として創造されました。ですから女性にとってはこのほうが喜びのある役割なのです。男が地の他の被造物の中に自分の仲間が一人もいないのを知ったとき,エホバがなんと言われたかを覚えていますか。記録には,「ついでエホバ神は,『人が独りのままでいるのは良くない。わたしは,彼を補うものとして,彼のために助け手を造ろう』と言われた」とあります。(創世 2:18,新)ですから女は男の助け手となるべき者でした。それは女が占めるべき高い地位です。箴言は,知恵という称号で存在しておられた人間になる前のイエスについて語る際に,彼は「優れた働き手」としてエホバの傍らにおられた,と述べています。(箴 8:30,新)ですから,夫の皆さん,貴重な助け手であるあなたの奥様と一緒に働き,奥様に相談し,その見方や意見を知り,しかるのち家族に率先して重要な決定を下すようにしてください。そうすれば結果として結婚は真に幸福なものとなるでしょう。これはあなたがすべてのことを自分でしなければならないという意味ではありませんが,あなたの家族が,何をだれがすべきかについて指示を求めるのは,頭のあなたに対してである,ということを忘れないでください。共に働くなら,頭の権も服従も,結婚を幸せにするものとなるでしょう。

      妻の服従

      13 聖書が述べている妻の夫に対する服従は屈辱的な隷従ですか。答えの理由を述べてください。

      13 さて次は,夫に対する妻の服従という少し扱いにくい主題になりますが,まずパウロがこの問題についてエフェソスの会衆に語った言葉に注意を向けてみましょう。「妻は主に対するように自分の夫に服しなさい」とパウロは言いました。また使徒ペテロは,「同じように,妻たちよ,自分の夫に服しなさい」と書きました。(エフェソス 5:22。ペテロ第一 3:1)女性解放運動の行なわれている現代の世界では,こうした言葉は多くの女性にとって「抵抗を感じさせる言葉」です。しかしそういうものである必要は全くありません。もし妻が心から夫を愛し,夫がこの記事の中でも少し取り上げられている(決して事態のあらゆる面を検討したわけではないが)クリスチャンの夫の資格にかなっているなら,夫に従うことは妻にとって喜びとなるのです。それは屈辱的な隷従ではありません。むしろ神から与えられた役割を果たすことであって,妻はそれから幸せと喜びを得る結果になります。ではクリスチャンの妻は,結婚を幸せなものにするために,何をすることができるでしょうか。

      14 (イ)なぜある妻は,聖書に従って夫に服従する点で問題を持っていますか。(ロ)ペテロ第一 3章2節のペテロの助言はなぜ信者の夫を持つ女性にも当てはまりますか。

      14 それには,ちょうど夫がいくらか変化しなければならないかもしれないのと同じく,自分の性格をいくらか変える必要があるかもしれません。自立的なところがあって,十分に自活できる女性であるならば,夫への服従をそうたやすいことには思わないかもしれません。自分の分を尽くして結婚を幸福なものにするためには,そういう人は自分の考えを幾分調整しなければ,人によっては大きく変えなければならないでしょう。妻の望んでいる思いやりを今まで一度も示してくれたことのない夫を持つ人の場合は,それの改善に努力する機会があります。信者でない夫を持つ妻は,貞潔な行状と深い敬意をもってクリスチャンにふさわしく夫に従うとき,自分の配偶者を助けることができる,と使徒ペテロは言いました。(ペテロ第一 3:2)ですから,夫が献身しバプテスマを受けたクリスチャンで,妻と共にエホバに奉仕している場合に,その問題ははるかに扱いやすいはずです。

      15 妻はどうすれば主婦としての自分の役割において夫の是認を得ることができますか。

      15 妻が夫を味方に引き入れる方法はたくさんあります。家の整え方によってもそれは可能です。もし家がいつもきれいできちんと片付いているなら,自分の役割を正しく果たすよう夫を励ますのに大いに役立つでしょう。あなたは主婦としての自分の役割に喜びを持っていますか。ご主人の友達が訪問するとき,ご主人はその友を招じ入れる家を誇りにしていますか。これは考えてみなければならないことです。もし家の中が乱雑で,きのうからの汚れた皿が流しに入れっぱなしになっていたり,家具にほこりがうず高く積っていたりして,いつもだらしない様子が訪問者の目に映るようであれば,結婚生活の幸せは減るかもしれません。夫自身が物をきちんとしておくことによってこうした問題で助けになる時があることは言うまでもありません。しかし今のところわたしたちは,ご主人があなたを愛情の深い献身的な妻として誇れるように,ご主人を助ける方法について話しています。

      16 もし家計を任されたなら,妻の責任は何ですか。

      16 また考えなければならない家族の生活費というものがあります。あなたは自分の経済力の範囲内でやってゆくように努力しますか。ご主人から,食品の購入や勘定の支払いなど家計を任されているなら,必要な場合はまた主人が出してくれるからいくら使ってもいいなどと考えないで,予算以内でやっていくように心掛けますか。この場合も,夫が家族の生活費を十分に用意すべく努力しなければならないことは言うまでもありません。そしてある程度の節約を必要とするところでは,結婚関係にある当事者双方が,家族の共通の益のために力を合わせて努力すべきです。―箴 31:10-31。

      17 妻はどんな方法で(夫が秘密にしておかねばならない分野にまで立ち入ってせんさくすることなく)夫の責任に関心を示し,話し合える状態を常に保っていることができますか。

      17 夫と話し合える状態を常に保っていることも大切です。これもやはり妻だけにかかっているのではなく,夫婦双方が努力しなければならないことです。しかし,妻にできるそれに役立つある事柄があります。それは,夫が会衆内で責任ある立場にあっても個人的な性質のものかもしれない問題を探るようなことをしないでできる事柄です。その日の夫の仕事,もしかしたら妻に話せるような問題について,夫と話し合えるように仕向けることができます。また自分も,子供たちと過ごした家庭での一日について,あるいは王国に関する証言活動について夫に話すことができます。互いの生活に対するこの関心こそ喜ばしいものとなり,家族に幸せをもたらします。―箴 16:24。

      18 家族の一致を妨げる問題でさらに検討できる他の問題を幾つか挙げなさい。

      18 以上でわたしたちは家族の一致を促進するための二つの主要な領域,すなわち神の物事の取り決めに基づく夫の頭の権,および妻たちのために聖書中に概説されている,妻の正しい服従について検討しました。しかし家族生活に関して検討する際にわたしたちが注意を向ける必要のある領域はほかにもたくさんあります。例えば,口やかましい配偶者の問題,子供を懲らしめること,また夫と妻がその親密な生活において当然互いに与え合うべきものを与えること,と使徒パウロが言った夫婦関係などがそれです。(コリント第一 7:3-5)こうした問題を考慮するのも有益でしょう。それでこの後につづく記事では,わたしたちのために,こうした点がさらに詳しく取り上げられています。

  • 協力し合って家族の一致を図る
    ものみの塔 1977 | 12月15日
    • 協力し合って家族の一致を図る

      1 (イ)クリスチャンの家族はどんな表現や態度を避けるべきですか。(ロ)コロサイ 4章6節にはどんな良い助言がありますか。

      「それみろ,言った通りだ!」,「私の言うことをちっとも聴かないからだ!」,「そうなるって言わなかった?」 これは,夫婦や子供たちなど,家族の間のやりとりで非常にしばしば口にされる表現です。何かがうまくいかなかったとき,そしてそれが相手の考えであったとき,うんざりした調子でこうした言葉を口にします。賢人は,「口やかましくて短気な妻と一緒にいるよりは,一人で荒野に住むほうがましだ」と書いています。(箴 21:19,新英語聖書)口やかましくて短気な夫と共に住むことについても同じことが言えます。英語の辞典は「ナギング(口やかましい)」という語を,「欠点を見つけ出して悩ませる; 絶えず叱っていらだたしい気持ちにさせる」ことと定義しています。クリスチャンの家庭には,この種のいらだちが占める場は確かにありません。夫婦双方がこの点に注意すべきです。コロサイの会衆に対する使徒の言葉には,わたしたちすべてに役立つ助言が見られます。「あなたがたの発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけられたものとし,ひとりひとりにどのように答えるべきかがわかるようになりなさい」。(コロサイ 4:6)配偶者に対してそういうふうに答えることは,確かに双方のためになるでしょう。

      2 過去において,親切に関するどんな時宜を得た情報が当誌の読者に提供されましたか。

      2 先ごろこの雑誌に,親切のことを取り上げた記事が載りましたが,その記事にはとりわけ次のことが述べられていました。「クリスチャンであると公言する人なら,神のしもべと称していない人が時折示す親切……よりも自分の親切のほうが劣るということのないようにしたいと願うはずです。……わたしたちは,神の献身したしもべと称する人々の中のある人々よりももっと親切と言えるかもしれない,非常に人間味のある親切な行為を見たり,そういう行為について読んだりします」。もしエホバの献身した崇拝者から成る自分の家族の中で,お互いを親切に扱わないとすれば,それはなんと悲しいことでしょう。

      3 「同じように」という語は,夫が妻を扱うべき方法にどのように当てはまりますか。

      3 使徒ペテロは,夫たる者に対して,妻に正しい関心を示すことにつきこの立派な助言を与えています。「夫たちよ,同じように,知識にしたがって妻とともに住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい。あなたがたは,過分の恵みとしての命を妻とともに受け継ぐ者でもあるからです。そうするのは,あなたがたの祈りが妨げられないためです」。(ペテロ第一 3:7)ペテロが「同じように」と言っている事柄は,彼の手紙の2章から始まる,その前の彼の言葉の中で概説されています。そこでは彼は正しい服従とそれに関係した問題に関して助言を与えています。主イエス・キリストについて述べるに当たっては,イエスはその追随者たちに彼らが従うべき模範を残されたとペテロは書きました。イエスについて彼はこう述べました。「彼は,ののしられても,ののしり返しませんでした。苦しみを受けても,脅かしたりせず,むしろ,義にそって裁くかたに終始ご自分をゆだねました」。(ペテロ第一 2:23)それは本当に親切な行ないでした。それは夫が同じようにして従うべき真に価値のある模範でした。

      4 妻はどのようにして「同じように」親切を示しますか。

      4 もちろんペテロは,妻も「同じように」従うべき賢明な助言を持っていました。「神の目に大いに価値のある」「もの静かで柔和な霊」を持つ婦人たちのことをペテロは語りました。それは確かに,エホバまたキリスト・イエスのしもべと称する妻たちにふさわしい親切の示し方です。―ペテロ第一 3:1-4。

      5 ペテロの助言が親切を実行する点ですべての人にどのように当てはまるかを示しなさい。

      5 しかしそれだけではありません。家族という範囲の中でその種の親切心を示すということになると,口やかましく言うことやあらさがしを慎むように求められるのは両親だけではありません。ペテロはさらにこう言いました。「最後に,あなたがたはみな同じ思いを持ち,思いやりを示し合い,兄弟の愛情を実践し,優しい同情心に富み,謙遜な思いをいだきなさい」。この助言に従うことから得られる益についてはペテロは数節あとでこう述べています。「エホバの目は義人の上にあり,その耳は彼らの願いに向けられるからである」― ペテロ第一 3:8,12。

      子供に対して正しい関心を払う

      6 (イ)子供に関心を払う点で,父親と母親はどのように責任を負わねばなりませんか。(ロ)子供のしつけについて聖書はどんな助言を与えていますか。

      6 さらに,家族という範囲の中には,子供の人格を築き上げるという問題があります。このことを論じた前の記事の中でわたしたちは,主の懲らしめと精神の規整とをもって子供を育てる重い責任が父親にあることについて読みました。(エフェソス 6:4)しかし母親にも,家族のこの重要な役目に心を配る責任が大いにあることは言うまでもありません。(箴 6:20。エフェソス 6:1,2)非行のはびこっている,そして児童や十代の子供の犯罪の統計に暴力という恐ろしい様相が現われている世界にあって,クリスチャンの両親が子供を訓練するかどうかが生死の問題となりかねないことは,すぐに分かることです。両親が信者であるならば,子供のしつけに関し,神の言葉の賢明な教えを適用する点で協力し合うことができます。―箴 13:24; 22:6。

      7 子供を懲らしめる点で意見が食い違っている場合,父親と母親はそれをどう扱うべきですか。なぜですか。

      7 子供に愛の懲らしめを与える際の両親の一致した行動は,家族のふんいきを楽しくするのに大いに貢献します。子供の懲らしめについて意見が食いちがっていれば,両親は二人だけの時,子供の耳に入らない時に,話し合うことができます。そして一緒に健全な結論を引き出すなら,それは子供の益になるでしょう。子供たちは両方の親の助言と懲らしめを尊重しながら成長するように励まされ,子供の時代に生ずる問題をめぐって両親を分裂させようとすることなどないでしょう。

      8 (イ)子供を育てるにあたって,どんな点を直視すべきですか。(ロ)したがって両親は何をすることに努めねばなりませんか。

      8 神の言葉の真理に心から応ずることをしない若者がいるのは事実です。カイン,エサウその他の場合と同じく,ある子供は真理に答え応ずることを拒みます。真理を生活の導きとして家族の和合に寄与することをしません。これは,信者である父母に大きな悲しみをもたらします。『わたしたちのどこが間違っていたのだろう』と父母は言うでしょう。聖書の助言と懲らしめを適用し,義の道に沿って子供を訓練するために両親は可能なことをすべて本当に行なってきたのに,子供は反抗的になり,神の従順な子供になろうとしない場合が時々あります。その場合,箴言 17章21,25節(新)の言葉は意味深長です。その中で賢人はこのように書いています。「分別のない子の父は歓ばない。愚鈍な子はその父のわずらい,これを産んだ母の苦渋」。ですから,子供に当然させるべき人生の良い出発をさせるよう,親が自分の力の及ぶ限りのことをするのは,なんと重要なことでしょう! これは,子供の養育に関する聖書の助言に従うことによって行なえます。(申命 6:4-9)それは,家族の一致のために共に払う努力の重要な部分です。

      9 (イ)子供と聖書を勉強するだけでなく,それに加えてさらに何が必要ですか。(ロ)どんな分野で両親は子供に関心を示せますか。

      9 次のことを記憶しておくのは賢明です。つまりエホバの精神の規整によって子供をしつけ育てていくことには,子供とただ聖書を勉強するのではなくそれ以上のことが含まれているということです。聖書の原則を実際に適用することが是非とも必要です。子供を持つ人は賢明な親として,勤勉さの点で子供に立派な模範を示すべきです。母親が子供たちに,自分で朝食を取り,学校へ行く支度をし,そしてでかけるようにさせ,その間自分は寝ているというのは賢明でしょうか。病気その他の正当な理由がないかぎり,一致した家族を目ざして努力しているクリスチャンの親は,朝子供たちと一緒に起き,学校に行く支度をさせ,適当な朝食を準備し,服装が整っているかどうかを見てやる努力をすべきです。学校での成績,また子供たちの行状がいつも,よく訓練された,行儀の良いエホバのしもべのそれであるかどうかに,関心を払わねばなりません。また年長者を敬い,他人の財産を尊重する心を子供に植え付けねばなりません。こうした事柄や他の多くの事柄はすべて,両親の心のわずらいとならない子,創造者には誉れとなり,父母には満足を与えるものとなる子に育てる助けになります。

      夫婦関係

      10,11 どんな行為が今日人々の間で一般化してきていますか。ある人々はどんな論法を用いますか。

      10 また,夫と妻の間の親密な行為に関係したいつも存在している問題があります。世間では,過去数年間にこの面に関することが多く書かれ,その中には,神の言葉の良い助言に直接反するものもありました。人々が正式に結婚せずに同棲するのは今日では普通のことのようになっています。もちろん同棲は事新しいことではありませんが,このように多くの人がそれを「気のきいた」ことと考えているらしいのは,そして他人の感情や神の言葉の道徳的教えを意に介せずにおおっぴらにそれを口にするようになったのは,わたしたちの時代になってからです。

      11 キリスト教国と思われている国々においてさえ,いわゆる「信心深い」人々が,公に誓うことや,あなたは婚姻によってだれだれと結ばれたと書かれている一片の紙切れなどほとんど無意味だ,と言って正式に結婚せずに同棲しています。また,次々と容赦なく相手を変えて,多くの人とおおっぴらに同棲する人々も少なくありません。そのために性病,生活の破壊,非行少年が増加したことは言うまでもありません。それでも多くの人は,自分の利己的な欲望が満たされるかぎり,意に介さないようです。

      12 クリスチャンの夫婦はそういう生き方をどのように見なければなりませんか。

      12 もとより,そのような生き方は神が非とされることですからクリスチャンの夫婦には禁じられています。そして彼らも,神を喜ばせ神のご意志を行なうことこそ自分たちの生活の中の最重要事であることを知るだけの良識を有しています。そのことは神の祝福をもたらします。しかしそれでもクリスチャンの夫婦は,自分たちの夫婦関係が不自然な習慣,すなわち神の言葉の原則に反する習慣によって堕落したものにならないように気をつけなければなりません。結婚の取り決めにおける当事者双方が,性関係の問題において,配偶者のクリスチャンとしての感情を考慮に入れる必要があります。

      13 夫は妻を愛していることをどのように示せますか。

      13 わたしたちの創造者は,結婚によって親しく温かい親密な関係を楽しむように男と女を造られました。そういう理由で女は男を「補うもの」として創造されました。つまり女は男を完全なものにするよう助けるのです。夫と妻は「一体」であるべきです。(創世 2:18,21-24,口)この取り決めが,二人の親密な関係において,配偶者双方のために満足のいく働きをするよう,両者にはそれぞれ自分の果たすべき役割があります。例えば使徒パウロは次のように書いています。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします」。(エフェソス 5:28,29)妻が真に幸福であるためには,妻は自分が望まれている,愛されているということを感じる必要があります。夫と妻の親密な生活においては,もし二人が家族の一致と理解を促進することを望むなら,この愛を表現する必要があります。

      14 夫婦としての関係においてどんなことを避けねばなりませんか。なぜですか。

      14 夫と妻がそれぞれの責任を果たす際の行動は,神の言葉に基づいたものでなければなりません。(コリント第一 7:3-5)夫と妻は夫婦関係において互いを,また親密さを楽しみますが,男色,口腔交接といった不自然な行為は避けなければなりません。「不自然」であると言うのは,創造者が男と女を,そういう行為をするように造っておられないことが明白だからです。それに創造者の言葉も,世を特色づける不潔な習慣を避ける必要のあることを力説しています。―レビ 18:1-30。ローマ 1:24-27。テサロニケ第一 4:3-8。

      15 新しい人格を着けたいなら何を避けるべきですか。(ユダ 7節を参照)

      15 クリスチャンが住みかつキリスト教というわく内で自らを律してゆかねばならないのは,この腐敗した事物の体制の中においてですから,わたしたちは間違った行ないを提唱する人々の考えや見解に染まらないようにしなければなりません。どこでもあらゆる種類のセックスが,売り買いする商品のような感があります。真理の知識を得るようになった人の多くは古い体制の中に住んだ経験があり,過去においては古い体制の考えによって自分の生活を支配していました。しかし現在はその体制から出て,神がつくられた物事の取り決めの下にあります。彼らはその思いをつくり変え,新しい人格を着け,正しい規準と神の言葉の原則に一致して人生を送ることを望んでいます。―エフェソス 4:19-24。

      16 (イ)クリスチャンは自分の道徳上の行為を考慮するにあたって,どういうことを警戒しなければなりませんか。(ロ)ノアの日やソドムとゴモラの時代の出来事は,この問題とどういう関係がありますか。(ハ)この点で,ローマ 2章12-16節を適用することの価値を示しなさい。

      16 闇から神の驚くべき真理の光の中に呼び出されたわたしたちは,どのように考え,どのように行動するかを真剣に考える必要が大いにあります。わたしたちは神が罪とされることを大目に見るようなことをしません。自分にはある程度の権利があり,また自分が望めば自分で決定を下せることもあるのだと考えて,悪行すれすれのところに近づけるだけ近づくようなことをすべきではありません。また,ある疑わしい行状について,聖書にはそれを正確にかつ極めて詳細に取り上げてはっきり書いている箇所はない,と言って弁解すべきでもありません。ノアの時代には,み使いたちが人間の娘たちと一緒に住んでいましたが,彼らがそのように行なっていたことを罪とする成文法があったという証拠はありません。それでもその行ないは間違いであり,不道徳なことであり,邪悪なことでした。神は地が堕落し暴虐で満ちたのをご覧になりました。そしてその邪悪な世を滅ぼし,義なる魂八人だけをお救いになりました。(創世 6:11,12。ペテロ第一 3:19,20)後ほど神は,男色という邪悪な行ないのゆえにソドムとゴモラの町を滅ぼされました。しかし,そのような行為をはっきり禁ずる,書面に記された成文法を,当時の人々が神から与えられて持っていたことを示すものは何もありません。(創世 13:13; 19:24,25)神は最初から良心を人間の中に入れておられました。人間は,何が正しくて何が間違っているか,どんな行ないは悪で神に非とされているかを基本的には知っています。(ローマ 2:12-16)神が男と女に生殖力をお与えになったときに意図しておられたこと,そして両者の性的結合によって子孫を産み出すようにされたことを,人間は基本的には知っています。したがって姦淫,淫行,同性愛行為その他に加えて,男色も間違いであり,口腔交接も間違いであり,獣姦も間違いであることを人間は基本的には知っています。だからこそ,家族の一致を促進するためには夫と妻の両方が,神の言葉の原則に基づいた敬虔な考えをもって行動しなければなりません。これは家族に永続的な喜びと幸せをもたらす結果になります。

      17 結婚のちぎりの中で避けねばならない別の落し穴を挙げなさい。

      17 また結婚のちぎりの親密な関係を,何か利己的な事柄のために,あるいは単に自分自身の利益のために,配偶者に対して武器のように用いるべきでないことも心に留めていなければなりません。使徒パウロは,『夫は妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい。互いにそれを奪うことがないようにしなさい。ただし,相互に同意した場合は別です』と助言しています。配偶者はそれぞれ相手の必要を考慮すべきです。パウロは,「おのおの自分の益ではなく,他の人の益を求めてゆきなさい」と書いています。―コリント第一 7:3,5; 10:24。

      18 結婚および結婚を誉れあるものに保つことについての助言をわたしたちはどこで得ますか。

      18 エホバの見える地的組織は,結婚している人々が考慮すべき有用な,また彼らの祝福となる資料をたくさん提供してきました。この助言と忠告はほかでもないエホバご自身がそのみ言葉を通して与えてくださるものです。使徒パウロは,結婚は「すべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです」と書いたとき,まさにその通りの意味で言いました。ですから共に幸せな喜ばしい結婚生活を送ることに関心のある人は,パウロがヘブライ人のクリスチャンに与えた良い助言に従うとき,そのような結婚生活をすることができます。―ヘブライ 13:4。

      19 結婚,家族の一致,神のしもべたちの間の平和などに関係してさらにどんな問題が検討されますか。

      19 ここではわたしたちは,夫と妻が両方とも献身しバプテスマを受けたクリスチャンで,同じ目標を目指して努力し,同じ事柄に関心を持っている場合の幸せな結婚について検討しました。しかし,エホバのしもべたちで不信者と結婚している人は少なくありませんし,配偶者と別居している人もいるでしょう。そういう立場にあって,これから育てていく子供のある人,また幸せな生活を送りたい人は,多くの問題とどのように取り組めばよいでしょうか。エホバのそのしもべたちに対して神の言葉はどんな助言を与えているでしょうか。次の記事はこれらの点を検討します。

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