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    ものみの塔 1961 | 3月15日
    • 結婚の譽を支持する

      「すべての人は結婚を重んじるべきである。結婚の床を汚してはならない。神は淫行する者と姦淫する者をさばかれる」。―ヘブル 13:4,新世。

      1 (イ)結婚が有益なものであるためには,どのようにそれに近づき,それを保つべきですか。(ロ)結婚している夫婦が何をするなら,神の祝福を受け成功しますか。

      結婚するなら,結婚は神がつくり給うた取りきめとして,誉のうちに保たれねばなりません。結婚にはまた誉のうちに近づかねばなりません。結婚は重大な責任を伴う事がらであって,結婚の始められたエデンの楽園外では結婚についての問題がたくさん生じました。誉ある仕方で結婚に近づくことは,有益な影響をもたらすはずです。それは結婚を成功させる助けになるでしょう。実際,夫と妻は結婚によって,愛の御心を持ちたもう天の御父なる神をあがめるようにつとめねばなりません。神はこの結婚を準備されました。結婚がもし楽園内でつづけられたなら,それは全く祝福にみちたものであったでしょう。神をあがめる夫婦の結婚を,神が祝福すると期待するのは当然です。しかも,幸福な結婚に対する神の律法と規則が無視されて破られるなら,神は祝福を与えず,かえってさばきを執行するでしょう。不幸と苦しみは必ず来ます。神は御自分のつくりたもうたすべてのものを支配する律法をつくりました。同様に神は,結婚という特権の取りきめを支配する律法をもつくりました。結婚した夫婦,および結婚を考えている人々は,聖書中に記録されている神の律法と規則を考慮することにより神をあがめます。そうすることによって神の祝福を得,成功することができます。

      2 イエス・キリストは地上で結婚しましたか。神の民の中に結婚についての彼の態度は何でしたか。

      2 神の天的な子は,罪人アダムの子孫である娘のひとりと結婚するために人間イエス・キリストになったのではありません。それはイエスに対する神の御心ではなかったのです。しかし,イエスは神の民のなかの結婚を重んじました。ガリラヤのカナの結婚式の招待をうけて出席したとき,彼は地上で最初の奇跡を行なわれました。結婚式のよろこびに貢献するため,彼は水を最上等のぶどう酒に変える奇跡を行なわれました。(ヨハネ 2:1-11)彼は,人間の幸福のために神がつくりたもうたこの取りきめを十分重んじました。そして,「神が合わせられたものを,人は離してはいけない」と言われたのはイエスです。(マタイ 19:6,新口)彼は理想的な人間の結婚を提唱し,それを御自分に従う者たちに対する規則にしました。

      3 パウロは結婚について,彼の見解をどのように言い表わしましたか。そして,彼はクリスチャン会衆がキリストとの結婚に近づく接近を,どのように描写しましたか。

      3 クリスチャン使徒パウロは,神の御子,主イエス・キリストと同じく,結婚を重んじていました。パウロは次のように語っています,「すべての人は結婚を重んじるべきである。結婚の床を汚してはならない。神は淫行をする者と姦淫する者をさばかれる」。(ヘブル 13:4,新世)パウロは象徴的な言葉を用いて,クリスチャン会衆が霊的な花婿,栄化された天的なイエス・キリストとの結婚に近づくことについて言及しています。このクリスチャン会衆の成員にあてたパウロの言葉は次のようです,「夫よキリストが会衆を愛してそのために御自身をささげられたようにあなたの妻を愛しつづけなさい。それは会衆をきよめ〔神の〕御言葉によって水で洗いきよめるためである。しみも,しわも,そのたぐいのものがいっさいなく,清くて疵のない栄光にかがやく会衆を御自分に迎えるためである」。(エペソ 5:25-27,新世)イエス・キリストと14万4000名の忠実な会衆の結婚という最大の結婚にたいするその接近はなんと誉にみちたものでしょう!

      4 パウロは,クリスチャン会衆の結婚の成功について憂慮したことをどのように言い表わしましたか。

      4 使徒パウロは,結婚についての適当な準備と接近について懸念しました。そして,彼は会衆にあてて次のように書いたのです,「わたしは神の熱情をもって,あなたがたを熱愛している。あなたがたを,きよいおとめとして,ただひとりの男子キリストにささげるために,婚約させたのである。ただ恐れるのは,エバがへびの悪巧みで誘惑されたように,あなたがたの思いが汚されて,キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである」。(コリント後 11:2,3,新世)さらに,パウロはこの点についての個人的な行動に言及して,次のように書きました,「神の御こころとされることは,あなたがたがきよい状態を保って,淫行を避けることである。あなたがた各自は,自分のうつわを清く保ち,ほまれの中に持つことを知り,神を知らない諸国民のように強い性欲をほしいままにするべきではない」。―テサロニケ前 4:3-5,新世。

      5 少年少女の肉体的な発育において,どんな傾向が生まれるのが普通の人間生活ですか。

      5 普通正常には,男性と女性が結婚するのが人間生活です。その目的は自分のかたちとさまに似た子供たちを産み出すためです。(創世 5:1-3)少年が13歳から16歳になり,少女が11歳から14歳になると,その生殖器は成熟します。少年少女はいわゆる思春期に達し,それぞれの役割をはたして子供を世に産み出すことができます。

      6 性器は,どのように正しく考慮されねばなりませんか。子供が清い結婚にはいることを妨害する権利を持つ人がいますか。

      6 神の目的は,人間各自が子供をつくる能力を備えて,結婚生活を楽しみ,そして完全で敬虔なおとなによって地がまったくみたされる時まで,結婚の目的を行なわせることでした。(創世 1:26-28)したがって,神は男と女をつくったとき,神の御心に一致するすばらしい目的をはたすために性器を人間に備えられました。それで,性器は遊びに使われるべきでなく,また,濫用誤用してもならず,悪用してもなりません。性器の正しい取扱いは,結婚前と結婚後の両方に適用します。それは,円満な結婚,幸福な結婚をするためです。遠い先のことまで考えるとき,子供の将来の結婚に対する健全な,正しい準備は,実際には子供が産まれる前から始まります。たしかに,その面においては重い責任が両親に課されています。両親は,自分の子供だけでなく,自分の孫のことも考えねばなりません。両親であろうと,両親でない別の人であろうと,きよい,ほまれのある結婚にはいる子供の機会,特権および自然の権利をそこなおうなどとのぞむべきでなく,またそうする権利を持ちません。

      7 もし私たちが結婚することについての私たち自身の権利を重んじ,また結婚する他の人の権利を重んずるなら,私たちの行いはどのようなものですか。

      7 結婚することについての自分自身の権利と特権を正しく重んずるなら,わたくしたちは誉のうちに結婚する準備をします。少年にせよ少女にせよ,男にせよ女にせよ,私たちは他の人の権利も,重んじます。つまり価値のあるほまれの仕方のうちに結婚する他の人の権利を正しく重んじます。こういう意味です,すなわち私たちは自分自身と他の人々をけがして堕落させるのをのぞまないということです。そうするなら,結婚という誉のある状態にはいるとき,けがれた状態にいることでしょう。

      良い道徳

      8 (イ)それでは,両親はせんさくずきな,知りたがる子供たちについて,何をするべきですか。そして,その面で,最善の援助を与える本は何ですか。(ロ)いま両親はどんな特権のために子供たちを準備させますか。

      8 わたくしたちは良い道徳を育成することが必要です。子供の両親あるいは後見人は,生命の事実を子供たちに教えなければなりません。両親は,清い仕方,正しい建ておこす仕方で,このことをすることができます。あるお医者さんの考えにかかわりなく,「下品な路次」で少年少女は生命の事実あるいは性の悪用,誤用,堕落および性崇拝を学ぶべきではありません。幾千年という年月のあいだ,創造者御自身の本である聖書は,おとなと子供に生命の基礎的な事実を教えるのに地上でいちばん良い本です。聖書は,私たちがアダムとエバからどのようにうまれてきたものか,なぜ男性と女性があるのか,そして現在の人間家族を存続させ拡大させるために,私たちは自分たちの分をどのように敬虔な仕方で果たすか,などの基礎的な生命の事実を教えています。両親や後見人は,賢明にも聖書を用いて,成熟しつつある子供たちの詮索的な心に,貴い生命の事実を告げ知らさなければなりません。そのようにするなら,「下品な路次」の汚い影響に対処することができます。このようにして,子供のうちから後日の結婚に対する正しい接し方を教えることができます。神の預言的な御言葉は,ハルマゲドンの宇宙的な戦争に生きのこる者がいるという希望をさしのべています。それで,今日の両親はハルマゲドンを生きのこって神の正義の世,地上に復興された楽園にはいる子供たちの結婚を準備する,というすばらしい大きな特権があるのです!

      9 平和を追い求めるクリスチャンは,たえず何を見守る必要がありますか。不敬虔な世にいるクリスチャンに対して,パウロは何をすすめましたか。

      9 敬虔な生活を愛して神の御国のもとに良い日を永久に見たいとのぞむ人々,そしていま平和を追い求める人々は,自分の道徳をたえず見守る必要があります。世界の状態について発表された報告によると,人類がこれほどまで堕落した世に生活したときはいまだかってありません。すくなくとも,ノアの日の大洪水前の不道徳な世以来一度もありません。淫行,姦淫,男色,そして獣姦は,恐ろしいほど多くなされているのです。いまから1900年のむかし,使徒パウロは異教の世における不道徳について注解し,クリスチャンの身を守る手段をすいせんしました。彼はギリシャのコリントにいた仲間の信者たちにこう書きました,「さて,あなたが書いてよこした事について答えると,男子は婦人にふれないがよい。しかし,不品行に陥ることのないために,男子はそれぞれ自分の妻を持ち,婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい」。(コリント前 7:1,2,新口)パウロは誉ある結婚をすすめました。

      10 今日,人は結婚前と結婚後にどんな質問に面しますか。今日,不道徳に対するどんな提供が,ひろくなされていますか。

      10 しかし,今日の「不品行」を見るとき,結婚前に淫行を避けるだけでなく,結婚後でも姦淫を避けるということが問題であります。今日,多数の魅力的な婦人は自分の体を売るか提供して,不道徳な男子の性欲を,不法な仕方でみたさせようとしています。今日,自分の体を売って女性的になる少年や男子はたくさんいます。彼らは「男娼となる者」で,女と寝るような仕方で男と寝ることを好む男子たちの欲情をみたさせます。それは「憎むべきこと」です。(コリント前 6:9。ロマ 1:27。レビ 18:22,新口)神の御言葉は,その警告のなかで,不道徳の恐ろしい結果を示しています。

      11 (イ)隣人への愛は不道徳のうちに表わされますか。あるいは何ですか。(ロ)他の人の不道徳に身をゆだねることは,どのように終りに達しますか。

      11 このことに関連して,使徒パウロは愛の意義を私たちに次のように説明しています,「人を愛する者は,律法を全うするのである。『姦淫するな……』など,そのほかに,どんな戒めがあっても,結局『自分を愛するようにあなたの隣りの人を愛せよ』というこの言葉に帰する」。(ロマ 13:8,9,新口)淫行,姦淫,あるいは男色を行なうとき,隣り人への愛は示されません。それは燃える情欲で身をやきつくし,その後に肉体的にも,社会的にも,また霊的にも多くの害をのこします。さらに,良心も影響をうけるのです。神の御言葉はきわめて明白に,職業的な淫売婦に注意せよと御自分の民に警告しています。そして,一時だけ遊女のようになって男子を籠らくしようとする娘や女に対しても注意するように命じています。不道徳な人の欲望の犠牲者になるなら,ついに死に終ってしまうでしょう。それは肉体的な死と霊的な死になるでしょう。神の御言葉がこのことについて述べている理由は,次のとおりです。

      12 箴言 2章16-19節によると,神の言葉がこのことについて述べている理由は何ですか。

      12 「あなたを遊女から救い,言葉の巧みなみだらな女(神から離れている女)から救う。彼女は若い時の友を捨て,その神に契約したこと(もし彼女が神に献身していて,神の民とむすばれた新しい契約の下にいるなら)を忘れている。その家は死に下り,その道は陰府におもむく。すべて彼女のもとへ行く者は帰らない,また命の道にいたらない」。―箴言 2:16-19,新口。

      13,14 (イ)なぜ不道徳は,真実の生活に達する道ではありませんか。会衆の成員である私たちは,誰に警戒すべきですか。(ロ)私たちは,どんな未経験の青年のようであってはなりませんか。

      13 放縦な人々は,不道徳によって人の「角がとられる」と呼び,かつ世俗的に賢明になると言います。しかし,それは汚れのない清い知恵,生命を与える知恵に達する道ではありません。それは真実の生活に達する道ではありません。不道徳な者たちと交際する者たちは,永遠の生命に達する者の道を決して得ることができないでしょう。おそかれ早かれ,それらの者たちは戻ることのできない所,再帰不能なところ,すなわち人類の共通の墓ショールにはいってしまいます。あるいは,それよりももっと悪い永遠の滅亡のところ,ゲヘナにはいってしまうでしょう。このペニシリンの時代の世慣れた人々が,そのことをすこしも気にかけずに無関心に冷笑にふしてしまう事がらではありません。長い期間記録されて,明白に述べられた天的な知恵に照らし合わせてみるとき,成長しつつある者も,大人も処女も独身者も,結婚している者もすべての人々が十分に思いをめぐらさなければならぬ事がらです。不道徳な人々に気をつけなさい。神の民の制度外にいる不道徳な人,神の民の制度についているが,あるいは制度内にしのびこんで,表向きはしっかりした立場を取るように見せかける不道徳な人に気をつけなさい。不道徳な欲望をもちそれを育成してはなりません。経験のない左記の青年のようになってはいけません。この人は良い心,道徳的な心,良い動機,清い動機に欠けていたので,不道徳の奴隷にやすやす近づかれてしまったのです。

      14 「彼はちまたを過ぎ,女の家に行く曲りかどに近づき,その家に行く道を,たそがれに,よいに,また夜中に,また暗やみに歩いていった。見よ,遊女の装いをした陰険な女が彼に会う……ある時はちまたにあり,ある時は市場にあり,すみずみに立って人をうかがう。この女は彼を捕えて口づけし,恥しらぬ顔で彼に言う……女が多くの,なまめかしい言葉をもって彼を惑わし,巧みなくちびるをもって,いざなうと,若い人は直ちに女に従った,あたかも牛が,ほふり場に行くように,雄じかが,すみやかに捕えられ,ついに,矢がその内臓を突き刺すように,鳥がすみやかに網にかかるように,彼は自分が命を失うようになることを知らない」。―箴言 7:7-23,新口。

      15 その比較と一致させつつ,不道徳な者に誘惑されるとき私たちは,自分自身をどのように想像すべきですか。誘惑に屈する私たちはどこに自分自身を見出しますか。

      15 不道徳な人の誘惑をうけるなら,鼻に針を通されてか,あるいは鼻環をひっぱられて急にほふり場にひかれる牛を想像してごらんなさい。その光景はおかしいですか。御自分を笑いますか。「盗んだ水は甘く…」(箴言 9:17)とさそいかける不道徳な者の言葉は,多分数分間だけ実現して心地良い性の満足を感ずるでしょう。しかし,あなたはどこにいるのですか。鳥のように死の罠にかかってしまうのです! ああ,死の矢があなたの肝臓に突き刺さって,あなたに大きな苦痛を与えるのです。悲しみも来ます,その後には致命的な苦痛も来るのです。また,良心の苛責をも感ずるでしょう!

      16 矢が不道徳な者の肝臓に突き刺さると述べている聖書は,どのように医学的に正しいと示されますか。

      16 霊感をうけて書かれた箴言の書は,致命的な矢が不道徳な者の肝臓に突き刺さると言っていますが,それは絶対に正しい言葉です。肝臓は病菌の目標物です。医者たちは,実験室でつぎのことを発見しました。すなわち恐ろしい性病と関係のある小さなコルク抜のようなかたちの梅毒菌は,肝臓の細胞内でしばしばたくさん見つけ出されています。梅毒菌は,肺臓,脾臓および心臓の細胞内でも発見されています。淋病と呼ばれる他の恐ろしい病気の場合は,病気の原因である淋菌は,人体の血管内にはいり,体内にまわります。そして,生殖器を害するだけでなく,人体のあらゆる器官に影響をおよぼし人体のいちばん大きな腺である肝臓の内層の粘膜や,頭脳,脊髄,心臓,および他の器官にも影響をおよぼします。それで,聖書は医学的にも正しいのです。

      17 人が意識的に不道徳な行為を求めるときその人は何と戯れていますか。その人は何を感染させられますか。

      17 情欲に燃える人が意識的に不道徳な行為を求めるなら,その人は死と戯れていることになります。不適当な状態下で情欲の燃えるにまかせ,不道徳をすすめる口あたりの良い,たくみな言葉や,淫欲をそそる言葉と衝動に屈するとき,その人は恐ろしい危険に落ちこんで行くということを身に沁みて感じていないのでしょう。その人は病気の道,そうです,安心と平和のない道,人類の共通の墓,ショオールへの道に落ちこんでいるのです。その人は,恐ろしい梅毒を感染させられるということをすこしも気にしないか,あるいは忘れてしまうか,または知らないのです。梅毒は,アルコール中毒と結核とともに,今日の人類を苦しめる3大病気のひとつにかぞえられています。

      18 なぜ梅毒の第3期は,私たちの人体に最大の影響をもたらしますか。

      18 梅毒の第3期は,脳,目,肝臓,その他をおかすので人体に最悪の影響をもたらします。この場合,脳と脊髄の病害は,その頻度と重大性において第一位を占めます。いちばん恐ろしいことは,神経中枢がおかされることです。それはひいては運動失調,全身麻痺,局部麻痺,あるいは体の半身が麻痺するようになります。それ以外には,生まれてくる子供に遺伝的な影響をおよぼします。

      19 なぜ梅毒ほど,子孫に殺人的な影響をおよぼす病気はないのですか。

      19 「梅毒ほど子供たちに恐ろしい影響を与える病気はない」と言われています。父親と母親の両方が梅毒患者なら,子供の梅毒感染はまず避けられません。最初の妊娠は,流産になるでしょう。早産になるか,あるいは子供は生きて生まれても,すぐに死んでしまうでしょう。先天性梅毒の子供は,体も弱く,生命力もすくなく,肉体的にも精神的にも発達がおくれ,多くの場合頭が悪くて,白痴であり,奇形児ができます。将来の誉ある結婚にそなえて子供を準備するなんという仕方なのでしょう!

      20 なぜ梅毒にかかっている人は,他人に対して危険の源ですか。性病である梅毒にかかっている人は,なぜ結婚することがよくありませんか。

      20 梅毒を持つ人に近づくことは,危険なことになります。その人と近い関係にある妻や,夫や,また子供は,危険です。新聞紙や雑誌を取りあげたり,梅毒の人のつかったタオルで手を拭くのも,また梅毒の人の近くで泳ぐのもこわくなります。「アメリカナ百科辞典」(英文)は,結婚に関連して次のように言っています,「特に,結婚に関連して,性病である梅毒の弊害には,最大の利害と重要性が含まれている。……梅毒を持つ人は,妻に感染させて,梅毒の子供を生ませるかぎり,結婚すべきではない。……梅毒の人は,その病気の結果として危険に直面する。そのため,その人は家族のかしらという責任ある地位につくことができず,また家族を扶養することもできない。結婚の問題を考えるとき,そのような失格の状態が存在していることを考慮に入れるべきである」。―1929年版の26巻,180頁。

      21 1960年に発表されたアメリカの国家的な研究は性病がどの程度まで増加していると示しましたか。

      21 あなたがた両親たち,および子供たち,ここに全地における性病の蔓延程度を示す統計報告があります。アメリカ合衆国中で行なわれた研究によると,性病はアメリカで増加しているということが1960年に発表されました。10歳代の者たちは,ますます「性愛」に起因する病気にかかっています。13歳か14歳の一少女は,恥じる気もなく彼女と性関係をむすんだ80人の男性の名前を述べました。その報告によると,1957年と1958年の2年間に,10歳から14歳までの年齢層の子供たちで,伝染性の性病を持っている者の数は,2443名から2793名まで,つまり14.3パーセント増加しました。15歳から19歳までの年齢層の子供たちの場合は,11.4パーセント増加しました。社会保健協会の一理事によると,報告されていない計算不能の数を入れると,実際に6万の新しい梅毒患者がおり100万の新しい淋病患者がいます。1960年2月24日,ニューヨーク・タイムス紙。

      22 伝染性の梅毒の増加について,アメリカ合衆国連邦の一専門家は,1960年に何と言いましたか。

      22 1960年4月5日,アメリカ合衆国連邦の一専門家は,この国の伝染性梅毒患者の数は,1959年の下半期に1958年の下半期より42パーセントも増加したとのことです。その増加は,特に大都市において「実におそろしいものである」と言われました。―1960年4月6日,ニューヨーク・タイムス紙。

      23 なぜ,今日ペニシリンを使用しても,性病にかかることを避けることができませんか。なぜ淋病にかかることは,平和にみちた幸福な結婚に貢献しませんか。

      23 不道徳な考えをいだく者がペニシリンの力に頼るなら,性病にかからないと思い,一か八かやってみるなどと考えるのは愚かなことです。今日ペニシリンは容易に求めることができます。しかし,それにもかかわらず,異教の性愛の女神ビーナスの名にちなんでつけられたこの病気は,増加しているのです。これらの病気を軽くあしらうことはできません。むしろ,厳重に警戒すべきであります。むかしは淋病は,無害なもの,とるに足らない病気と考えられていました。しかし,そのような見方はもはや医学界にはありません。いまの医学界は,淋病を現代の最もおそろしい性病のひとつと考えています。不道徳によってこの病気にかかることは,平和にみちた,円満な幸福な結婚にすこしも貢献しません。片親が淋病であるなら,その子供の視力は一部分あるいは全く失われるでしょう。新しく生まれた子供の場合,盲目の子供の10パーセントから20パーセントは,淋菌と呼ばれる顕微鏡的なばい菌の感染によります。

      24 女性の場合,淋病はどのくらい重大なものになりますか。それで不道徳な行いをして淋病をうつされることに対して,どのくらいの価を払いますか。

      24 婦人が淋病にかかると,子供を産む希望がすっかり絶たれるほど重大な結果をひきおこします。淋病は,婦人の不妊症のいちばん多い原因のひとつになっています。淋病のため,男性側にも不妊の原因をひき起こします。男性の配偶者が淋病にかかっている場合,それは子供のない結婚の45パーセントの原因であると信じられています。女性が不妊である原因の70パーセント以上は,夫が妻に淋病をうつしたためです。報告によると,毎年幾千という若い,潔白な妻たちは,淋病をうつされているということです。それで,夫たちは,多くの場合,知らぬ間に自分の結婚配偶者の健康と生活をこわしています。それで,妻は半分廃人同様になり,歩くこともできず,他の面でもくるしみをうけます。最後に,外科手術をして苦痛をとってもらわねばならぬとまで感ずるでしょう。そして,神から与えられた生殖器官を切り取らねばならないでしょう。もし,この責任の重い病気が結婚配偶者のひとりか両方の不道徳な行動に起因するものであるなら,神の律法を破って瞬間的な楽しみを得たことに対して,実に高い価を払うことになります。

      「結婚する方が良い」― いつ,なぜその時?

      25 (イ)自分の独身を断念する人は,いつ良い行いをしますか。(ロ)なぜ,結婚している人でも,近ごろは注意を払わねばなりませんか。

      25 淫行や姦淫がかつてないほどさかんに行なわれているいまの世では,使徒パウロの助言によると,結婚配偶者を持って罪を犯さないようにすることは,知恵のない道ではありません。そのとき,自分の独身を断念する者は,良い行いをしたことになります。パウロは,独身者について次のように述べています,「もし自制することができないなら,結婚するがよい。情の燃えるよりは,結婚する方が,よいからである」。(コリント前 7:2,8,9,38,新口)もし結婚しようと決定するなら,神の律法と天的な知恵を尊重しつつ全き誉のうちに結婚すべきです。そして,淫行などをせず,清い罪を持たぬ状態で将来の配偶者に近づかねばなりません。もし人が結婚している男なら,その人は結婚の床を重んじて姦淫を避けねばなりません。有名なドイツの医者で著者でもあるマックス・エス・ノルドーは次のように言いました,「特定な人をどんなに深く愛していても,性の影響をこうむらないようにすることはできない」。多くの夫婦を見るとき,この医者の言葉は確証されそうです。それで,結婚している者も,結婚していない者も,すべての人が今日注意を払わねばなりません。結婚している男あるいは結婚しようとしている男に対して,箴言 5章15-23節は次のように述べています。

      26 箴言 5章15-23節は,結婚している男と,結婚しようとしている人に,何と言っていますか。

      26 「あなたは自分の水ためから水を飲み,自分の井戸(すなわち,自分の合法の結婚配偶者は,性的な幸福と楽しみの井戸の泉)から,わき出す水を飲むがよい。あなたの泉(性的の満足)を外(遊女が待ちかまえるところ)にまきちらし,水の流れ(性的な楽しみ)を,ちまた(淫売婦が体を売るところ)に流してよかろうか。それを自分だけのもの(あなたの結婚配偶者ととも)とし,他人を共にあずからせてはならない。あなたの泉〔あなたの性的な満足の源〕に祝福〔神からの呪でない〕を受けさせ,あなたの若い時の妻を楽しめ。彼女は愛らしい雌じか,美しいしかのようだ。いつも,その乳ぶさ〔不道徳な女の乳ぶさでない〕をもって満足し,その愛をもって常に喜べ。わが子よ,どうして遊女に迷い,みだらな女の胸をいだくのか。人の道は主の目の前にあり,主はすべて,その行いを見守られる。悪しき者は自分のとがに捕えられ,自分の罪のなわにつながれる。彼は,教訓がない〔自分をこらしめず,教訓を受けいれない〕ために死に,その愚かさの大きいことによって滅びる」。

      27 (イ)クリスチャンは,何でもって自分の妻と置きかえたいとのぞむべきではありませんか。なぜですか。(ロ)クリスチャンの秘密なあやまちは,どのような結果になり,そのあやまちが彼を捕えたことを示しますか。

      27 結婚しているクリスチャンは,自分のひとりの妻から満足を得ねばなりません。もし献身したクリスチャンが女性を持ちたいとのぞむなら,彼女と誉ある結婚をしなければなりません。結婚しているクリスチャンは,クリスチャン会衆内の他の女性や,会衆外の他の女性によって自分の妻と置きかえることなどのぞむべきではありません。そうすることは,性的よろこびを得るためのかめ,井戸,泉,あるいは水の流れを「外に〔自分の家の外〕」「ちまたに」まきちらすことになります。不貞な結婚配偶者は,秘密に,くらやみでそのことを行なおうとするでしょう。しかし,そのような人は,献身したクリスチャンの道が「エホバの目の前」にあり,エホバは「すべで,その行いを見守られる」ことを記憶すべきです。裁き主なるエホバの目をのがれるものはひとつもありません。クリスチャンの秘密のあやまちは,悪しき者である彼を捕えるとエホバは警告しています。彼はおそらく,恥ずかしい病気が体内に表われた時,生殖力が消滅した時,あるいは彼の妻が不妊になったり,または月足らずの子供,めくらの子供,不具の子供,あるいは病気の子供が産まれるとき,そのことを認識するでしょう。

      28 結果として生ずる苦痛により,彼は自分と不道徳を行なった女について何を認識するようになりますか。

      28 彼は痛ましくも,一つの肉となったその不道徳な女について次のことを認識せざるを得ないでしょう。「しかしついには,彼女はにがよもぎのように苦く,もろ刃のつるぎのように鋭くなる。その足は死に下り,その歩みは陰府の道におもむく。彼女はいのちの道に心をとめず……あなたの終りが来て,あなたの身と,からだが滅びるとき,泣き悲しんで言うであろう,『わたしは教訓をいとい,心に戒めを軽んじ,教師の声に聞き従わず,わたしを教える者に耳を傾けず,集まりの中,会衆のうちにあって,わたしは,破滅に陥りかけた』と」。―箴言 5:3-14,新口。

      29 (イ)不道徳な悪い行いをしたクリスチャンは,肉体的な苦痛以外に,結婚生活に何をもたらしますか。(ロ)彼はどんな道にはいりますか。彼はどんな非難の的になりますか。

      29 不道徳なことをするクリスチャンは,自分自身の肉の上に,彼とひとつの肉になっている妻の上に,そして彼の子供たちの上に病気と苦痛をもたらします。しかし,さらに彼はその結婚生活に不一致,不信,および平和のない状態をもたらします。しかし,これよりもさらに悪いことは,彼は霊的な死を彼自身の上にもたらします。彼は神からの不賛成という価を払います。神の目は彼の道と行いに注がれていたのです。この天の裁き主が,この悪しき者のあやまちで彼をつかまえさせ,彼の罪の縄によって彼をしばるとき,エホバは彼を御自分の地的な会衆,すなわちクリスチャンの集まりの前で彼を裁きます。神とその会衆に恥をもたらした彼は排斥され,不名誉にも会衆から出されて,この死んだ世に渡されます。箴言 22章14節(新世)は次のように警告しています,「見知らぬ女の口は,深い穴である。エホバにより否認される者は,それに落ちこむ」。エホバ神が誰を否認するかを知っていながら,不道徳な女か男の甘い言葉にそそのかされて,不道徳という深い穴に落ちこみ,エホバから否認されるのをのぞみますか。エホバの清い,是認されている制度から追い出されるのをのぞみますか。

      30 (イ)私たちは神に献身している故,望みもしない不道徳が私たちの前に開かれるとき,何を記憶すべきですか。(ロ)パウロは,この点に関しキリストにいいなづけされているクリスチャンに何と言いますか。

      30 私たちが欲しなくても,道徳的にきたない道は私たちの前に開いて,私たちを誘惑するかもしれません。そのとき,エホバ神に献身している私たちは,自分が誰であるかを記憶しましょう。もしあなたが,御子イエス・キリストの天的な花嫁の一部を形成するよう神によって召された献身しているクリスチャンであるなら,そしてキリストに許嫁されている者であるなら,パウロはあなたに向かって次のように言います,「あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを,知らないのか。それだのに,キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。それとも,遊女につく者はそれと(遊女)一つのからだになることを,知らないのか。『ふたりの者は一体となるべきである』と(創世記 2章24節の創造の記録)あるからである。しかし主につく者は,主と一つの霊になるのである。不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は,からだの外にある。しかし不品行をする者は,自分のからだに対して罪を犯すのである」。―コリント前 6:15-18,新口。

      31 キリストは,彼の霊的なからだの肢体と何をすることを同意しませんか。自分自身の肉に対して不道徳的な罪を犯すことは,どんな致命的な結果をもたらしますか。

      31 それで,キリストの霊的な体の一員が,男にせよ,女にせよ,異性の者と不道徳なことを行なうならその者はキリストの体の肢体をとって,不道徳な者と淫行や姦淫を行ない,その者とひとつの肉になります。キリスト・イエスは,遊女あるいは姦淫をする者とひとつになることに同意すると,あなたは思いますか。そのようなことは,一瞬といえども考えられません。道徳的に汚れた者とひとつの肉になっていながら,同時に主なるイエス・キリストと「ひとつの霊」であることはできません。道徳的に汚れた者と性的にひとつの肉になることにより,人は自分自身の肉に対して罪を犯しています。汚い,不正な肉的な結合によって,おそろしい病気がうつされると共に,肉体に致命的な他の影響をおよぼすでしょう。それで,クリスチャン会衆はその不道徳な者をサタンに引き渡して,「彼の肉が滅ぼされて」清い会衆の霊が主の日に救われるようにします。パウロは,当時のコリント会衆にいた近親相姦の者に対して,そうしました。「その悪人を,あなたがたの中から除いてしまいなさい」と使徒は権威をもって命じました。―コリント前 5:4,13,新口。

      32 同様に,献身しているがキリストの「体」の者でない人は,不道徳をする前に何を考えるべきですか。不道徳な者に対して,新しい世の社会は何をしなければなりませんか。

      32 たとえあなたが霊的な「キリストの体」の成員でなくても,神に献身している者で正義の新しい世に希望を持っているなら,不道徳をする前に自分がどんな者であるかを考えなさい。エホバの証者の新しい世の社会に属しているあなたの肉を,不道徳な者と「ひとつの肉」にすることを考えなさい! 新しい社会は,あなたが淫行者または姦淫をする者と「ひとつの肉」になる,つまり一体になることを許しますか。ぜったいにありません! もしあなたが新しい世の社会とその良い名前を尊重しないなら,神の御霊は,それをして不道徳を行なうあなたを尊重させないでしょう。それはあなたをその一部にかぞえることができません。なぜなら,あなたはそれと,それのになう神の御名に非難をもたらすからです。それで,あなたは他の者たちに対してつまずきの石になります。

      33 誰がこのことを真剣に考えるべきですか。どんな道で不道徳の結果を学ぶことをのぞんではなりませんか。

      33 このことは,外国の任命地に派遣されている宣教者の姉妹たちが真剣に考えねばならぬ事がらです。なぜなら,その外国の地の如才のない青年や男たちは,それらの姉妹たちを熱心に追い求め,宣教者たちがもたらした聖書の音信に興味を持つ振を示しますが,それから不道徳な提案を申し出て,宣教者の姉妹たちを軟化させようとつとめるからです。このことは,結婚適齢期に達し,ハルマゲドンの戦いの前か後に,神の祝福のもとに幸福で円満な結婚を夢みている献身したクリスチャン青年男女たちが,真剣に考えねばなりません。このことは,献身した新しい世の社会の成員全部が,誘惑にみちるこの堕落した不道徳な世界において,考えねばならぬ事がらです。このような世界にいて,私たちは神に道徳的な忠実を保たねばなりません。「つらい道」を学ぶことなどに努力してはなりません。

      34 それで,私たちは詩篇記者のどんな祈りをささげたいと感じますか。

      34 この事がらの重大性を深く考えてみるとき,なげかわしい道徳的なまちがいを犯した後に詩篇記者が述べた祈を,私たちもささげたいと感じます,「神よ,わたしのために清い心をつくり,わたしのうちに新しい正しい霊を与えてください」。―詩 51:10,新口。

  • 譽の中に結婚する
    ものみの塔 1961 | 3月15日
    • 譽の中に結婚する

      1 結婚の取極めについて,最近どんな質問が起きましたか。そしてどんな結婚の事実が考慮されますか。

      最近つぎのような質問が起きています。すなわち今日のインドとか昔のイスラエルの場合のように,両親が子供たちの結婚を取りきめる方が,息子や娘が自分の結婚配偶者を自分勝手に選ぶよりも,良い結果がえられるでしょうかという質問です。たとえばインドでは離婚はほとんど知られていせん。アメリカ合衆国では,ビーナスの息子,少年「キューピッド」が結婚を取りきめると言われています。しかし,全部の結婚の4分の1は合法的な離婚に終っているのです。合法的な別居,非合法でない別居はもちろん行なわれています。

      2 一つの国の結婚の取極めを他の国のクリスチャンたちに課すということについては,聖書的な例から判断して何と言えますか。

      2 献身したクリスチャン達について私たちは何と言えますか。アメリカ合衆国や欧州で行なわれている結婚の取極めの標準を,それとちがう結婚の習慣が行なわれている別の国の献身したクリスチャンたちに課さねばならない,と私たちは言うことができません。クリスチャン・ギリシャ語聖書中に書かれているものは,ユダヤ人の習慣を破っておらず,また禁じていません。イエス・キリストと最初のクリスチャンたちは,このユダヤ人たちから来たのです。ユダヤ人たちの習慣は,両親が子供たちの結婚を取り極めました。イサクの父アブラハム ― イサクは彼といっしょに生活してきました ― が,イサクのために神を恐れかしこむ花嫁を得たのは,イサクが実に40歳のときでした。イサクの息子ヤコブは,めくらの父親から彼に行先を教えられ,妻を得よと告げられたとき,77歳でした。しかし,ヤコブと双子の兄エサウは,40歳のとき自分勝手な結婚の取極めをもうけて,異教の妻たちと重婚をしました。しかし,従順なヤコブは,イサクからアブラハムの祝福をいただきました。

      3 両親についてパウロは子供たちに何を助言しませんでしたか。結婚についてパウロはクリスチャンの両親たちのどんな権利を否定しませんでしたか。

      3 結婚の助言を与えた使徒パウロは,両親を無視せよと子供たちに告げていません。彼は次のように述べました,「次に,未婚者たちとやもめたちとに言うが,わたしのように,ひとりでおれば,それがいちばんよい。しかし,もし,自制することができないなら,結婚するがよい」。(コリント前 7:8,9,新口)忘れてはなりません,やもめたちは結婚の取りきめを独立してつくることができる人々でした。彼らのためにパウロには次の言葉をつけ加えました,「情の燃え」て,淫行をするよりは「結婚する方が,よいからである」。それで,クリスチャン会衆内の「若いやもめ」たちについて,彼は次のように語りました,「彼女たちがキリストにそむいて気ままになると,結婚をしたがるようになり,初めの誓いを無視したという非難を受けねばならないからである。〔性の衝動に支配され,それを彼らとキリストの間に入れたため〕その上,彼女たちはなまけていて,家々を遊び歩くことをおぼえ,なまけるばかりか,むだごとをしゃべって,いたずらに動きまわり,口にしてはならないことを言う。そういうわけだから,若いやもめは結婚して子を産み,家をおさめ,そして,反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。彼女たちのうちには,サタンのあとを追って道を踏みはずした者もある」。(テモテ前 5:11-15,新口)両親の律法下にいないやもめの場合はのぞいてクリスチャンであるユダヤ人やギリシャ人の両親が子供たちのために結婚の選択と取りきめを設ける権利をもはや持たないなどとパウロは論じているのではありません。

      4 しかし,クリスチャンの両親は自分たちの権利を行使する際に,何を守るためにどんな原則に従って制御されねばなりませんか。

      4 しかし,キリストを通して神に献身している両親は息子や娘の結婚配偶者を選ぶという地方的な習慣や律法に従う権利を行使する際に,クリスチャン原則によって支配されねばなりません。アブラハムのように神の規則に服従しなさい。アブラハムは,エホバ神の崇拝者をイサクの妻にえらんで,アブラハムの約束の相続者である自分の息子の福利を守りました。そのようにして,彼は釣りあわぬくびきという重荷をイサクに負わせませんでした。

      5 (イ)サムソンは,ペリシテ人との結婚を取極めるよう父親に願いましたが,それはなぜ神の結婚の規則を破るものではありませんでしたか。(ロ)クリスチャンの父親は,自分の権利を不適当に行使するため,会衆の監督になる資格を持たない者とどのように証明しますか。

      5 今度は,イサクは神を恐れたヤコブが不信者の異教の女と結婚することを禁じ,彼を祖父ベトエルの家に行かせて花嫁を得させました。強い人サムソンは,不服の父親マノアに,異教のペリシテ人の女と彼との結婚をゆるすようにと主張しました。それはサムソンがペリシテ人の制度にはいって,これらの圧迫者たちに神からの報復を執行するためでした。それで,「それはエホバのはかられたものであった」。(シシ 14:1-4,新世)サムソンを支配したものは性でなく神が述べたもうた目的でした。すなわち,「彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。(シシ記 13:5,新口)それで,結婚をとりきめる地方的な権利にしたがうクリスチャンの両親たちは,エホバの神権制度内にいる献身したクリスチャンたちだけに自分の子供を結婚させねばなりません。かくして,これらの者たちを平等のくびき,神権的な夫婦のくびきの下に入れます。それ以外の他のどんな仕方のうちに,父親は子供たちを怒らせるのを避け,「ヱホバのこらしめと権威ある助言に従って子供を育て」つづけることができますか。(エペソ 6:4,新世)信者である息子や娘を献身していない不信者に結婚させて,不釣合なくびきを負わせるクリスチャンの父親は,クリスチャン原則についてはたいへん未熟であって,利己的な,物質的な収益を求めている人です。そして自分の家を良く治めることができず,クリスチャン会衆を監督するのにふさわしくない人です。―テモテ前 3:2-5。コリント後 6:14-16; 7:1。

      6 この両親の権利は,献身した子供に,重大な問題をどのように課すことがありますか。このことに関連して献身した子供は,分裂した家族からの迫害をどのように受けることができますか。

      6 結婚を取りきめる両親の権利が行使されることは,ある子供たちにとって重大な問題をひきおこすかも知れません。これは,父や合法の後見人がエホバの献身した証者でなく,息子か娘がエホバに献身している場合です。父か後見人が,エホバにささげた子供の献身を尊重せず,子供をエホバの証者の新しい世の社会の献身した成員以外の者と結婚させようとするとき,献身した息子または娘は反対を申し出ることができます。エホバの献身した証者が献身していない不信者と結婚することはエホバ神の律法と御こころに反する,と説明することができます。すくなくとも,親孝行な子供は,エホバの証者の新しい世の社会のなかから結婚配偶者を見出してもらいたいと,誠心誠意をこめて両親に願うことができます。良心にしたがう子供が献身していない不信者との結婚を拒絶するなら,家族からの迫害があるかも知れません。しかし,忠実なクリスチャンは,分裂した家族からそのような迫害をうけても,自分の良心を守るために耐え忍びます。―マタイ 10:34-37。ペテロ前 2:19。

      7 クリスチャンの子供に配偶者を選ぶ自由が許されているところでは,その自由はどの程度までのものですか。それは,どのように安全な自由になりますか。

      7 息子や娘が,自分たちの配偶者を選んでも良いと,両親にゆるされているなら,献身しているクリスチャンの息子か娘は,自分ののぞむ者,しかし「主にある者」のみと結婚せよ,という使徒の指示,すなわち自分と同じく,主にある者と,結婚せよという使徒の指示に服します。(コリント前 7:39)それで,エホバの献身した証者が配偶者を選ぶ自由は,比較的な自由です。これは安全な自由です。それは平和と幸福をもたらし,また結婚生活をしている夫婦間に宗教的な平等をもたらします。

      8 子供は,「主にある者とのみ」結婚することによりクリスチャンの両親に何を示しますか。それで,彼は何を起こさせるのを避けますか。

      8 もし両親が献身したクリスチャンであるなら,子供たちが主にある者とだけ,すなわち主によって是認されているものと結婚してほしいという両親の神権的な願いを尊重することにより,子供たちは父母を敬えという使徒の指示に従うことになります。(エペソ 6:1-3)このように,主にあって結婚する子供は,家族にとって「心の痛み」にならず,「嫌悪」な気持を起こさせないでしょう。しかし,エサウは,不敬にも『聖なる事がらを認識し』なかったので,両親のイサクとリベカの「心の痛み」になり,「嫌悪」を感じさせました。―創世 26:34,35; 27:46; 28:1。ヘブル 12:16,17。

      9 結婚がクリスチャンのあいだで重んぜられるなら,結婚している者はどんな内心の反応を持ってはなりませんか。そして結婚の記録は正しくどこの綴りに入れられるべきですか。

      9 使徒パウロは,ヘブル人のクリスチャンたちに手紙を書きおくり次のように語りました,「すべての人は,結婚を重んずべきである」。(ヘブル 13:4,新口)もしヘブル人のクリスチャンのあいだ,および献身した他のエホバの証者全部のあいだで結婚が重んじられるなら,結婚することに恥ずかしいことはひとつもないはずです。そのようなことはないはずであり,またあってはなりません。その結婚は記入され,その記録は結婚している者が交わっている会衆の正式の綴りに保たれねばなりません。

      10 (イ)合意結婚とは何ですか。それが広く行われている国々では,それは合法的な生活として会衆の綴りの中に入れることができますか。(ロ)聖書はそれを何と述べていますか。

      10 合法的な夫婦のごとく,いっしょに生活しているすべての夫婦は,会衆の綴りの内に結婚している者と記録されますか。もし彼らが合法のクリスチャンの結婚をしていないなら,彼らは記録されません。ある国々では,男と女はいっしょに生活して夫婦同様の最も密接な関係をむすぶことに同意しますが,合法の認可も登録も持っていません。これは,いわゆる「合意結婚」と呼ばれています。これはある場所では許されており,近所の人に認められるかも知れません。しかし,神の御言葉は,それが淫行であり,もしこのような生活をしている片方がすでに結婚しており,正しい理由にしたがって離婚されていないなら姦淫であると,明白に述べています。

      11 なぜ不文法結婚と言われるものは,クリスチャンの持つべき正しい立場でありませんか。

      11 他の国々では,「不文法結婚」と呼ばれるものが行なわれています。それは,権威をもつ国の役人による正式の結婚式なしで,男女が同意によって成立する結婚です。この結婚は,書きもの,書類あるいは男女2人の周知の行動によって証明可能のものです。国内のある州またはある郡では,そのような不文法の結婚は合法です。しかし,同じ国内の別の州では,そのような不文法の結婚は,合法ではありません。もし,この男女ふたりが,不文法結婚を合法にしている州からそれを合法にしていない州に移る場合,あるいは大会に一時だけ出席するというような場合でも,その州のある人々は彼らを淫行あるいは姦淫の罪を持つ者たちと見なすかもしれません。それで,同じ国内のすべての場所において,両人は同じ尊敬と承認をうけません。不文法結婚では子供たちに資産を遺言によって残すということについて法的な問題がおこります。またその他の問題もあるのです。これは,クリスチャンの持つべき非の打ちどころのない立場でないことはたしかです。

      結婚を合法的なものにする必要

      12 なぜクリスチャン会衆は,合意結婚や不文法結婚をしている者たちを会衆内にいれることができませんか。そのような結婚生活をしている者たちは水の洗礼をうける前に,何が必要ですか。

      12 神の御言葉は,淫行と姦淫を悪と示している故,地上にある神の献身した民の会衆は合意結婚で生活している夫婦を認めることができません。神の会衆は,会衆内の良い立場を持つ成員として,また会衆の代表者として彼らをうけいれることはできません。不文法結婚は,すべての場所で認められ,是認されておらず,ふたしかな立場を持っています。それで,新しい世の社会は不文法結婚をしている夫婦を,キリストを通し神に真の正しい献身をささげる象徴としての洗礼をうけるにふさわしい者たちと考えることができません。彼らが神にうけいれられる献身をして,水による洗礼をうけるにふさわしい者と考えられる以前に,不文法結婚の生活をしている者たちが,必要な証人たちの前で,国家の認可を持つ代表者たちにより正式な結婚式を行なって,その結婚を合法のものにすることが必要です。合意結婚している者たちは,神の御言葉の見地から判断して淫行あるいは姦淫の状態から出たいなら,その結婚を合法なものにしなければならなぬという同じ要求が必要になります。1956年12月15日号の「ものみの塔」476頁,20節に述べられている取極めは,あわれみにみちる処置であって,その取りきめはいまでもゆるされます。

      13 以前に合意結婚や不文法結婚をしていた者たちは,合法的な結婚により,一般的な福利のため何を達成しますか。彼らの結婚はどこで記録につけられますか。

      13 証者たちの前における合法の結婚により,夫婦はたがいに対する誓を厳粛に言い表わし,結婚の責任をことごとく受けいれます。彼らは,神の律法に従い,また国家の法律に従って,子供たちに正しい立場を与え,合法の特権と権利を与えます。彼らは,そのように夫婦という結合に誉のある立場を与え,かつ道徳的に清められた状態になったので,神に献身し,新しい世の社会内での立場を得ることができます。新しい世の社会内では,結婚は誉のうちに行なわれ結婚の床は汚されてはなりません。なぜなら,「神は淫行する者と姦淫する者とをさばかれる」。そのような誉のある状態下では,彼らの結婚は国家の記録につけられ,彼らが会合して伝道する会衆の綴りの記録の中につけられます。

      14 これに関連して,なぜイエスは彼の地的な両親と先組について恥ずかしく思う必要がありませんでしたか。なぜ御使たちは彼の誕生を証するのに恥ずかしく感じませんでしたか。

      14 イエスの地的な両親と先祖たちの結婚は,村の記録所に記録されていました。そのわけでイエスは肉によると真実にメシヤであり,アブラハムの子ダビデ王の子であると私たちは知ります。イエスは,エホバ神がアブラハムとむすんだ約束の相続者,そして神がダビデ王とむすんだ永遠の王権についての契約の相続者になる合法の資格を持っていたのです。このことは,間接的に養父ヨセフの系統の場合でも直接に彼の地的な母マリヤの系統の場合でも真実でした。それで,使徒マタイはヨセフの家系の記録を得,ルカはマリヤの家系の記録を得ることができたのです。イエスの地的な先祖たちの結婚は,誉あるもので,公共の記録にのせられ,合法的に確証されました。この面においてイエスには恥ずかしいことがひとつもなかったのです。天の御使たちは,ベツレヘムにおける彼の誕生を証するのに恥ずかしいと思いませんでした。イエス・キリストにならって従う者であり,イエスがかしらである会衆に交わる者たちである私たちは,彼の先祖たちの結婚の場合と同じく,誉のある結婚をするべきです。

      15 ヨセフとマリヤとの性関係については,何が言われねばなりませんか。一時のあいだ,彼は彼女がどんな罪を持ち,彼女を離婚すべきであると考えましたか。

      15 マリヤは大工ヨセフと婚約していました。このヨセフは,彼女の息子の養父になったのです。しかし,両人の婚約期間中ヨセフは,婚約者マリヤと性関係をむすびませんでした。彼は御使の命令に従って,妊娠していたマリヤを受けいれた後でも,性関係をむすばなかったのです。彼は,彼女がイエスを産むまで待ちました。(マタイ 1:18-25)マリヤの懐妊は奇跡的なものであったので,ヨセフは最初マリヤが結婚契約の誉を破ったと考えました。彼は「彼女のことが公になることを好まず」「ひそかに離縁しようと決心した」。彼女のことが公になると,道徳的に不貞であったという理由の故に,彼女は石打ちされて殺されるでしょう。

      16 ヤコブとラケルは,結婚に対してどのような誉ある仕方で近づきましたか。

      16 ヨセフの先祖,族長ヤコブは,美しいラケルと7年間婚約の間柄でした。しかし,彼が花嫁料金を払うために働いたこの7年中,彼は彼女と性関係をむすびませんでした。その婚約期間が終ったときになって,彼は彼女の父ラバンに彼女を戴きたいと願い出ました。それは両人が正式に結婚して,彼が彼女と誉ある仕方で関係を持つことができるためでした。それでヤコブとラケルは,自分たちの結婚にたいして,誉ある仕方で近づきました。―創世 29:20-30。

      17 婚約期間中に男女が性関係をむすぶことは,聖書的に言うと,どんな行為ですか。会衆は,この行いをした両人をどのように罰することができますか。

      17 今日エホバの献身した証者たちが婚約するとき,証者たちの前で正式に結婚し,その結婚の登録が正しく行なわれる以前に,両人は性交してはなりません。もしふたりが自制を行使せず,まわりに誰もいないところで,両人が互に刺激して,情欲に屈し,性交をするなら,両人は淫行をします。たとえ,彼らが婚約していても,その行いは不道徳,淫行であって,言訳は立たないのです。そのような汚れた行いをする彼らは,クリスチャン会衆から追い出されます。この両人が排斥されて後,そして会衆に復帰する以前には,クリスチャン奉仕者は,自分の良心上の権利に従って両人の結婚式の司会を拒絶することができます。この両人は国家の公僕によって結婚することができるかも知れません。

      18 結婚する前,そして幸福な結婚にするため,両人は自分自身について,つつみかくさず何を知らさなければなりませんか。

      18 結婚を確実に幸福なものにするため,両人は互のことを良く知らねばなりません。各人は,相手の者の結婚と再婚が聖書的に自由であるかどうかを知らねばなりません。各人はまた,相手の者が身体的に結婚するのにふさわしいか,あるいは結婚の分を果たすとき,危険をすこしもともなわずむしろ快感とのぞましい結果をもたらすか,どうかをも知らねばなりません。ふたりの両親が,結婚の取りきめをつくらず,また正しい調査をしないなら,婚約中の両人はつつみかくさず,しかしも恥ずかしい気持をいだかずに,真剣にそのことをしなければなりません。結婚する前,そして結婚証明書をもらう前に,血液検査をうけ,そして他の必要な身体検査をうけるのは全く当然です。

      19 なぜ両人は,結婚しようと決定する前にたがいについての事実を学ぶべきですか。どんな実例は,この行いの緊急性を示しますか。

      19 すべてを当り前のものと考えるべきではありません。事実を学びなさい。そうするなら,結婚の夜あるいはその後に,恍惚のよろこびがあっても,戦慄というようなものはないでしょう。ラテン・アメリカの,神に献身しているひとりの娘は,彼女の知っている花婿の一友人のすすめをうけて結婚しました。ところが,彼女は未報告のらい病患者と結婚した,と知って驚きましたが,それは遅すぎました。自分の持つ恐ろしい病気をかくしていたこのらい病の男は,クリスチャン愛を示しませんでした。この結婚を黙許して,何も知らないこの娘に事情を知らせなかったこの花婿の友は,兄弟愛を示しませんでした。この不幸な結婚をした娘のために,その事がらがものみの塔協会に通知されたとき,協会は,彼女をその恐ろしい結果から救うことはできませんでした。彼女は結婚前に調査をして,分別のある決定をくだす,ということをしなかったため,このような恐ろしい結果になってしまったのです。これはほんとうに不幸なことといえます。なぜなら病気は離婚のできる聖書的な理由ではないからです! 聖書的な理由にもとづく離婚なら,再婚しても姦淫を犯すことになりません。結婚に対するそのような盲目の,無知な接近は,結婚に平和をもたらしません。

      20 どんな状況のもとに結婚生活にはいることは,むくいの多い祝福をもたらしますか。既婚者に対する最善の指導の本は何ですか。

      20 クリスチャンが事情を良く知り誉ある行為をもって,結婚に接近するとき,そして誉ある仕方で結婚生活にはいるなら,その結婚にはむくいが多く,よろこび,特権,そして祝福が与えられます。それは,結婚の天的な設立者である神をあがめます。しかし,このことや誉ある結婚についての大切な責任についての討議は既婚者に対する最善の指導の本,聖書にしたがいつつ次の記事に掲載されます。

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