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結婚は神の始めたものものみの塔 1956 | 12月1日
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結婚は神の始めたもの
『だから,神が合わせられたものを,人は離してはならない。』― マタイ 19:6,新口。
1 (イ)結婚とは何ですか。(ロ)誰が結婚の主体ですか,誰がその副ですか。そして,誰が結婚のことを最初に考えましたか。
結婚は,ふたりのあいだの密接な結合です。結婚の主体は夫と呼ばれます。その副にあたるものは妻と呼ばれます。副なるもの,すなわち妻が,ひとりの人の場合か,あるいは,ふたりかそれ以上のもので構成されているひとつの制度の場合もあります。制度が多くのもので構成されるにしても,制度は多数の妻たちを形成するものではありません。それは只ひとつの制度的な妻を形成します。なぜなら,制度のすべての成員は,ひとりの夫にひとつに結ばれているからです。ひとりの妻を娶る,またはひとつの制度的な妻を娶る,というすばらしい結婚についての考えは,人間が考えて行つたものではありません。また,人間以前につくられた下等動物によつて考えられ,行われたものでもありません。創造主が先づ結婚ということを考えて,設立し給うたのです。創造主は,人間の造り主であられ,また番となる動物や植物をつくられました。創造主は,見えるもの見えないものを含めてこの全宇宙をつくり給うた神であられます。
2,3 (イ)神はどんな言葉を述べられることにより,結婚の義務をたしかに自認していますか。(ロ)これらの言葉は,実際には誰にむかつて述べられましたか。
2 創造主は,結婚関係をたしかに承認し,自認しておられます。そして,御自身も結婚した者と述べられ,そのことを記録に書きしるしています。また,結婚の正しい義務を遂行し,その結婚から多くの子供を産ませる,と誓われています。この驚嘆すべき記録は,次の通りです,『なんぢを造り給える者はなんぢの夫(ボエル,すなわち所有者)なり。その名は万軍のヱホバ,なんぢを贖い給うものは,イスラエルの聖者なり。全世界の神と称えられ給うべし。ヱホバ汝をまねき給う。棄てられて心うれうる妻また若きとき嫁ぎてさられたる妻をまねくがごとしと,こはなんぢの神のみことばなり。……このこと我にはノアの洪水のときのごとし。我むかしノアの洪水をふたたび地にあふれ流るることなからしめんと誓いしが,そのごとく我ふたたび汝をいきどおらず,再びなんぢを責めじと誓いたり。山はうつり岡は動くとも我が仁慈はなんぢより移らず,平安を与うるわが契約はうごくことなからんと,こは汝を憐みたもうヱホバのみことばなり。……又なんぢの子らはみなヱホバに教えをうけ,なんぢの子らのやすきは大ならん。』― イザヤ 54:5-13。
3 これらの言葉は,昔のエルサレムの都にいたか,或はその近くにいた予言者イザヤの口から語られ,その手によつて書かれました。しかし,それらの言葉は,天にいるヱホバ神が予言者に霊感して与えたものであつて,実際には天にいる妻のごときもの,すなわち妻のごとき制度にむかつて述べられたものでした。その言葉は,この妻の益の為だけを図つて語られたのでなく,地上にいる子供たちの益の為にも語られたのです。この妻とは,いつたい誰ですか。その子供のひとりであるクリスチャン予言者パウロは,彼女の子供たちである他のクリスチャンたちに宛てて,次のような手紙を書き送つています,『今のエルサレム……は子たちと共に奴隷となつているからである。しかし,上なるエルサレムは,自由の女であつて,私たちの母をさす。』それから,パウロは,イザヤの予言の同じ章に録されている彼女に対する神御自身の言葉を引用しています。パウロは,彼らが神の天的な妻すなわち『女』の子たちであることを証明していますが,その証明の終りに次の言葉を述べています,『だから兄弟たちよ,私たちは女奴隷の子ではなく,自由の女の子なのである。自由を得させるために,キリストは私たちを解放して下さつたのである。だから堅く立つて,二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。』― ガラテヤ 4:25より5:1,新口。
4 地的なエルサレムまたはシオンは何でしたか。天的なエルサレムは何で構成されていますか。
4 パウロが19世紀前に書いた地的なエルサレムは,後になつて亡ぼされました。しかし,その亡びるときには,100万人以上の人々がその都の内にいたのです。それは都の制度でした。自由の『上なるエルサレム』も制度です。奴隷状態であつた地的なエルサレムも,その中にあつた丘の名前から,シオンとも呼ばれていました。『上なるエルサレム』も,神御自身の言葉である聖書の中でシオンと呼ばれています。天的なシオンは,決して亡ぼされません。なぜなら,天的なシオンに対するヱホバの仁慈は決して移らず,平和を与えるヱホバの契約はうごくことがない,とヱホバ神は誓われているからです。ヱホバの天的な妻である女,すなわち『上なるエルサレム』は,全宇宙にわたる天的な見えざる制度であり,宇宙的な制度です。ヱホバは,御自分の妻である女の造り主であつて,その宇宙的な制度は,すべての天的な被造物によつて構成されます。彼らは,その創造主なるヱホバに従つています。そして,ひとつの制度として彼らはヱホバと結ばれており,決して終ることのない聖なる契をむすんでいます。
5 ヱホバの存在について聖書は何と述べていますか。
5 宇宙的な制度を創造し始める以前のヱホバは,広大な空間でただ御一人だけでありました。この天的な制度が存在し始める以前から,ヱホバは神であられ,永遠永久の存在者であられました。それですから,ヱホバは始めもなければ終りもなく,つねに至福であられる御方です。イスラエルの王であるダビデが,次のように祈つた言葉は,決して誇張したものでありません,『イスラエルの神ヱホバは,永遠より永遠まで讃むべきかな。』(詩 41:13)地球創造の記録を書いた予言者モーセは,主ヱホバにこう言うことができました,『山いまだ生りいでず,汝いまだ地と世界とをつくり給わざりしとき,永遠よりとこしえまでなんぢは神なり。』― 詩 90:2。
6 (イ)神はなぜ妻の必要を感じませんでしたか。(ロ)それでは,神はなぜ創造しましたか。
6 ヱホバは,妻すなわちヱホバと聖なる契をむすぶ生ける制度を必要としましたか。答は,否!であります。ヱホバは,そのような妻の必要を感じたことがあるでしようか。答は,否!であります。御ひとりでいることは,ヱホバにとつて良いことでしたか。そうです。ヱホバによろこびと幸福を与えたすべてのものは,ヱホバ御自身のなかにありました。ヱホバは,どんな種類のものにせよ,必要というものを感ぜられず,御一人で居られても,害せられるとか,孤独な感じを持つ,というようなことはありませんでした。永遠から御一人で居られても,ヱホバが悪い影響をうけるとか,また自己本位になつて自分のことだけを考えるというようなことはなかつたのです。そして御一人でいたために,ヱホバが創造物との交りを楽しむことができなかつた,などというようなことは決してなかつたのです。ヱホバは,子供たちをつくるための助けとなる妻を必要としませんでした。創造の力は,みなことごとくヱホバ御自身のなかにありました。ヱホバの子供を要求し得る妻はひとりも居らず,また子供を生ませる義務をヱホバに課すことのできる妻はひとりもいません。それでは,永遠から御一人で居られたヱホバは,なぜ創造し始めましたか。なぜなら,ヱホバは愛だからです。ヱホバは,その愛を表わし示して,被造物にヱホバの愛を楽しませる方法を視られました。ヱホバは,外部のものによつてはすこしも影響されませんでしたが,御自身の完全な愛という動機から,創造しようという御気持になられました。ヱホバの天的な被造物は,いまやこの事実を知つており,ヱホバにこう語つているのです,『私たちの神なるヱホバよ,あなたこそは,栄光とほまれと力とを受けるにふさわしい方である。あなたは万物を造られました。御旨によつて,万物は存在し,また造られたのです。』― 黙示 4:11,新世。デリッチ訳。
妻を創造する
7,8 (イ)神の創造した最初の者は誰でしたか。その者は,どういう意味で初めであり,終りでしたか。(ロ)この者と神との関係はどんなものでしたか。そしてなぜですか。
7 全能の神ヱホバの創造し給うた最初の者は,自分自身のことを語り,自分がどんな者であるかを私たちに示されています。それですから,それについてはすこしの疑問もありません。その方は,いまから1900年のむかしにこの地上に居られた方で,今ではイエス・キリストと知られています。その方は,愛し給うた地上の使徒ヨハネに,天から幻の中でこう語られています,『私は初め(最初に生まれたもの,アレキサンドリア写本)であり,終りであり,また生きている者である。私は死んだことはあるが,見よ,世々限りなく生きている者である。……アーメンたる者,すなわち忠実で真の証者,また神による創造の最初の者はこう言う。』(黙示 1:17,18; 3:14,新世)『初めであり,終りであり』そして『神による創造の最初の者』? そうです,御一人であられた神ヱホバは,何の援助もうけずに御自分でこの者を『初めて』創造せられました。また,この者はヱホバ神が他の何ものの援助をも受けずに創造した『終り』です。このようにして,彼は神によつて造られたものの最初でした。しかし,神の創造を始めた者ではありません。神によつて最初に造られたこの方は,人間になり,人間の犠牲として死にましたが,死人の中からよみがえされ,天に戻りました。それで,彼は他の者の援助を受けない神の直接の力によつてよみがえされた最初の者です。またそのようにしてよみがえされた最後の者です。神はいまや彼を用いて,墓にいる他のすべての死人を復活せられるからです。このようなわけで,彼は神の『新しくつくられた者』の最初でした。―コリント後 5:17,新口。
8 全能の神は,この最初のものをつくられてからは,この者に力を与え,かつこの者を用いて他のすべての者をつくりました。(ヨハネ 1:2,3。コロサイ 1:15-18)神はこの者を用いて他のすべてのものを創造された,というのであるなら,最初につくられたこの者は神の天的な妻でしたか。答は,否です! 彼は神の子でした。しかも,それは他の被造物のひとりとして与り得ない関係だつたのです。彼は神の『独り子』でした。つまり,なんの径路をも用いずに神が直接に生命を与え給うた唯一人の最初の者ということです。(ヨハネ 3:16; 5:26; 6:57)子であると共に共働者であつた彼は,神とひとつであつて,神に反対する行は決してしなかつたのです。かつて,『私と父とは一つである。』と言われたのは,そのわけなのです。(ヨハネ 10:30)彼は天的な父とひとつであつたために,いつも父に従い,父の御意に逆うことは1度もなかつたのです。
9 神の制度は,どのように存在するようになりましたか。どういう意味で神はその制度と結婚しましたか。
9 どの位の期間かは分りませんが,しばらくのあいだ,父と独り子は共にいて互に大きなよろこびを見出していました。それから父なるヱホバは,彼を用いて天の他の被造物を創造しよう,と思われました。それで,この共同の創造の業は行われ,時が経つにつれて御使の大軍勢が創造せられました。彼らはみな神の子たちです。なぜなら,生命の力は『生命の泉』である神から与えられたからです。(詩 36:9)このすべての者に対して,ヱホバ神は独り子を通して語られました。そのわけで,独り子は『神の言葉』すなわち他のすべての子らに対する神の代弁者になりました。彼らは神の天的な家族になり,そして神は独り子の下に彼らをみな組織しました。それは,つまり,彼らお互いがみな大創造主の御意を行うためであり,また各自が自分の割当てられた分を尽くして,かくしてお互同志,および霊的な父である創造主と共に協力して良く働き得るためだつたのです。そのようにして,神はこれらの霊的な子をみな創造して後,彼らを一つの制度すなわち宇宙的な天的制度にいたしました。それは生きていて全宇宙で運営しているからです。神はこの宇宙的な天的制度を娶り,御自分の共働者なる援助者として,断ち切ることのできない密接な契を結び給うたのです。忠実な独り子はこの制度内の主要なものでした。そしてこの制度的な妻は,愛の気持から神に献身して神に従い,神との一致を保つであろう,と神は信じておられました。造り主なるヱホバは彼女の頭,彼女の神であり,彼女はヱホバの制度的な妻になりました。しかし彼女は,後になつて地上の人々が崇拝した『天后』なる女神になつたのではありません。―エレミヤ 44:17-19,25; 7:18。
10 人間を創造する以前に,何時,どこで,そしてどのように神は性別を生ぜしめられましたか。それは,どんな目的のためですか。
10 予定の時になると,ヱホバの制度的な妻は,幸いにもこの結婚の原則が,新しい方法により,新しい場所,すなわちこの地上で実施されるのを見ることができました。創造主が,良い目的のために独り子を用いてこの地の基礎を置かれたとき,神の他の子たちはみなよろこびの叫びをあげました。この地を準備した創造の第3日に,神は植物を特定な形式で雄と雌とに分け,そして,或る植物の場合にはその類を繁殖するための接合を必要ならしめました。このことをなされた神の知恵を見て,神の子たちは非常な興味を感じたのです。第5日には,神の子たちは,神が数多くの魚や海の生物を創造するのを見ました。それらは,子孫を生むために雌雄に分けられていたのです。また,多くの種類の空を飛ぶ生物や鳥が創造せられました。結婚の原則を適用することは,さらに創造の第6日にも行われ,神は地より動物や,獣や家畜や,匍う生物を,『その偶と共に』つくり出されました。(創世 1:11-13,20-25。イザヤ 34:15,16)植物や動物のこれらの結合には,ひとつの共通の目的を成しとげるための雄と雌の取極がありました。すなわち,たがいを結び合わせるために働く性の誘引力です。『性<セックス>』という言葉は,いろいろの種類の生物を雄と雌に分ける,という意味です。それは,実際には『切る,もしくは分ける』という意味のラテン語から来ました。しかし,性別する目的は,分裂を生ぜしめるためでありません。むしろ,一致を生ぜしめるためです。つまり,力を結集して結合の結果を生ぜしめるためです。性は,異性がないなら完全ではありません。どの性も異性を誘引して,特定の機能を行うようにつくられているのです。或る生物体には雌雄の別がありませんが,それでも繁殖します。
11 (イ)神の地的な創造の最高潮は何でしたか。これは何時創造されましたか。(ロ)彼はなぜ下等動物を支配することができましたか。
11 創造の第3日から第6日にいたるまでの幾千年という年月のあいだ,植物と動物の生命をこの地上に保つために,性の取極は大きな役割を果しました。神は,このすべてのものは善い,と見られました。しかし,それは地に対する神の目的の終りではなかつたのです。それは実際には準備の事柄であり,最高潮に導くものでした。創造の第6日である7000年が終りに近づいたとき,ヱホバ神は独り子,すなわち地的な創造の業の共働者に向つて,こう語られました,『神言い給いけるは,我らに象りて我らの像のごとくに我ら人を造り,これに海の魚と天空の鳥と家畜と全地と地に匍うところのすべての昆虫を治めしめんと。』(創世 1:26)『人間』と呼ばれるこの生物,すなわちアダムは,それ以前につくられたすべての意識を持つ生物よりも高等でした。人間は高等であつて,これらの下等動物を支配することができましたが,それは人間が,神とその独り子に象りて,その像のごとくにつくられたからです。この子自身も,『見えない神のかたちであつて,すべての造られたものに先だつて生れたかたである。』(コロサイ 1:15,新口)これは,地にとつて新しいことでした。
12 神は人間の為にどんな種類の場所を準備しましたか。人間はどのように創造されましたか。
12 最初に神はこの人間のための住居を準備しました。神は,他の裁植者とはまつたく異り,その住居をパラダイス,すなわち広大な園にしました。それは,下等動物が動き回つて,死ぬ前に子孫を繁殖していた地上の他の場所よりもずつと良いところだつたのです。下等動物の創造とは別の創造で,神は最初の人間であるアダムをつくりました。『それからヱホバ神は土(アダマ)の塵から人間(アダム)をつくられ,人間の鼻に生命の息を吹き入れられた。そして,人間は生ける魂になつた。』― 創世 2:7,新世。
13 アダムはどんな特権と義務を頂きましたか。どんな重大な面で,彼は下等動物と異つていましたか。
13 創造主は,見えないところから人間に話しかけました。そして人間は『エデンの園を治めて守るために』創造され,そしてその中に置かれたのである,と創造主は語りました。このことは,恐らく『善悪を知るの樹』を管理することを意味したものでしよう。しかし,人間であるアダムは,その木の実を食べてはならぬ,と命ぜられており,その木の実を食べることは,神に対する不従順でありました。それで,それは罪であつて,そのような罪に対する罰は次のようです,『なんぢ之を食う日には,必らず死べければなり。』(創世 2:15-17)それから,神は,人間の支配をうける鳥や動物を人間アダムに親しませました。神は,人間にそれぞれの名前をつけさせましたが,みなその名前となりました。アダムはこれらの生物を興味深く調べました。そして,それらの生物は人間の肉とは違うものであることを知りました。また,それらの生物がどのように雌雄に配合されて,性交を行い,そして子供を産むか,さらにどのように寿命を生存らえて死んで行き,自分の種族を保存する為に子孫を残して行くか,ということをも見ました。しかし,アダムには死ぬ必要がなかつたのです。アダムには,自分の種族である人間種族を存続せしめるために子孫を産む必要はなかつたのです。もし,アダムが自分の創造者を神として忠実に崇拝し続け,かつ善悪を知るの木の実を食べてはならないといういましめをも含めて,神から与えられたすべてのいましめに従うなら,彼は永遠に生きることができます。そして,楽園を治めると共に,下等動物をいつも支配するでしよう。―創世 2:19,20。
人間の結婚は楽園で始まる
14-16 (イ)アダムは,何が欠如しているのに気づきましたか。アダムの必要を供給するために,神は何を為し得ることができますか。(ロ)アダムに欠如しているものを神はどのように供給しましたか。さらにどんな目的の為でしたか。
14 アダムは性の欲望をすこしも感じなかつたのです。完全な人間アダムは,平衡がとれていて,性について心が分れることはありませんでした。しかし,アダムは自分と同じような仲間を持つのでしようか。どのようにしたならば,彼はそのような仲間を持てますか。それは神の目的内のことであり,人間が神に助言したり,指示したりすることはできません。しかし,神は御自分の像と状に似ている被造物を有して居られました。先づ神の独り子と他の天的な子たちがいましたが,彼らはみな神の制度的な妻を構成しました。人間種族のアダムを一人だけにしておくのは,神の目的だつたのでしようか。
15 アダムの名づけたすべての動物の中で,アダムの仲間の物,すなわち(ヘブル語の)イシと名づけられたものはひとつもなかつたのです。人間はアダム一人だけでした。アダムは,すべてのことを自分一人で行わねばなりません。アダムと会話を交える者といえば,霊界にいる神,すなわち神の天的な代表者だけでした。―アダムにとつては,なにものにもまさる,すばらしい,よろこびの経験でした。創造されたアダムは,人間的な『神の子』でした。(ルカ 3:38)神はひとりの人間的な「神の子」を地上に置くことで満足したでしようか。神は先見して,前もつて御存知であられたように,いまや実際の状態を見て知りました。『アダムには,これに適う助者みえざりき。』アダムは,すべての下等動物とは異つていました。彼には,自分の種族を産むための配偶がいなかつたのです。神は,アダムの場合と同じように,土の塵から他の人間をつくり出すことができます。そして,それらの人間は,それぞれアダムとはちがう異つた者で,みな神によつて直接に創造されるものです。しかし,そうするならば地上の他の種類の生物が有している生活の型とは似ないことになります。地上の生物の生活の型と一致すると共に,かつ人間についての神の目的を成就するためには,人間がひとりでいるのは最善でありませんでした。『ヱホバ神言たまいけるは,人ひとりなるは善らず,我彼に適う助者を彼のために造らんと。』(創世 2:18-20)ヱホバ神は,どのようにそうしましたか。
16 ヱホバ神は,痛みを感じない最初の手術とも言うべきものを行いました。『ここにおいてヱホバ神アダムを深く睡らしめ,睡りしときその肋骨のひとつを取り,肉をもてそのところをふさぎたまえり。ヱホバ神アダムより取たる肋骨をもて女をつくり,これをアダムのところにつれきたり給えり。』アダムは,その天的な御父の手から女を頂いてたいへんよろこびました。そして自分のものであることを示すために,彼女に名前をつけました。『アダム言けるは,これこそ我が骨の骨,わが肉の肉なれ。これは男(または,イシ)より取たる者なれば,これを女(またはイシーシャ)と名くべしと。』(創世 2:21-23)神はいまアダムより女性的な性質を取り分けられ,それをこの女なるイシーシャに入れられ,かくして人間の両性をつくられました。ヱホバ神は,いまや夫婦となつた2人に慈愛の充ちた祝福を与えました。その祝福の中で,神は2人に対する仕事を述べられています。神は,仕事を一緒にする権威を両人に与えました。聖書にこう書かれています,『神その像のごとくに人を創造たまえり。すなわち,神の像のごとくに之をつくり,これを男と女につくりたまえり。神彼らを祝し,神彼らに言たまいけるは,生よ繁殖よ地に充てよ。これを服従せよ。又海の魚と天空の鳥と地に動くところのすべての生物を治めよ。』『アダムの伝の書はこれなり。神人をつくりたまいし日に神に象りてこれを造りたまい,彼らを男女につくり給えり。彼らのつくられし日に,神彼らを祝してかれらの名を人と名づけたまえり。』(創世 1:27,28; 5:1,2,新世)それで,人間の結婚は神の取極めたもので,聖なるものと見なされねばなりません。
17 神は,エバを創造した仕方によつて,キリストとその花嫁についての予表をつくりませんでしたが,その理由は何ですか。
17 ヱホバ神は,アダムを深く眠らせて,その肋骨一本を取り,それを基にしてアダムの妻をつくられました。そのとき,ヱホバ神は将来の事柄,4000年後の事柄を予表していたのでしようか。答は否です。ヱホば神は,次のことを予表したのではありません。すなわち御子イエス・キリストは他のアダム,『終のアダム』になり,14万4000人の弟子で構成される自分の『花嫁』である会衆のために,人間の犠牲として死の眠りにつくということ,また全能の神は彼をその深い死の眠りからよみがえし,そして,後になつて,天的な栄光につつまれる彼の霊的な『花嫁』すなわち忠実な会衆を彼に与える,ということです。(コリント前 15:45。エペソ 5:25-27。黙示 21:2,9)神がこのことをしたなら,神はアダムの将来を見透したことになり,またアダムが禁ぜられていた善悪を知るの樹の実を食べて罪を犯す,ということを先見されたことになります。そのようであるならば,アダムが神の律法を破つて,死の宣告をうけ,そして,イエス・キリストが御自分の弟子となる14万4000人をアダムの子孫の中から救うために,贖となつて死なねばならないということを神は運命づけたことになります。贖としてのイエスの死によつて,14万4000人は花嫁の制度,すなわち天にいるイエス・キリストの妻になることができるのです。ヱホバ神が罪を犯すことをアダムに運命づけるならば,アダムの罪に対してヱホバ神が責任を負うことになります。しかし,神は罪に対してすこしの責任をも持たず,罪に対する犠性的な贖をする義務は負わされていないのです。
18 エバの創造は,何を地上で写し行つたものですか。
18 ヱホバ神はエバを創造することによつて,或物を予表したり,運命づけたりしたのではありません。エバの創造のときに,ヱホバ神は御自分の大いなる天的な型を地上で写し行われたのです。エバがアダムからつくられて,実際にはアダムの骨の骨,肉の骨であつたように,ヱホバの宇宙的な制度,ヱホバの天的な制度的の妻は,ヱホバ御自身からつくられました。それは,何の痛みをも伴わずにヱホバ御自身からつくられたものです。最初にヱホバの言薬である独り子がつくられ,遂には天にいる聖なる御使が全部つくられました。ヱホバは,それらの者たちで成立つこの聖なる制度を御自分の『女』,御自分の『妻』になさいました。そして,ヱホバは彼女を決して離縁しないでしよう。悪魔が如何なることを為そうとも,彼女は決してヱホバから遠ざからないからです。
19 (イ)どんな事実と聖句は,夫が自分の妻に密接であることを示しますか。(ロ)それで,夫のいるべき正しい場所は何処ですか。
19 最初の女は,最初の男からつくられたのであつて,独立した創造ではありません。その故に,最初の女は最初の男とひとつの肉であつただけでなく,2人から産まれた人間家族全部もひとつの肉です。この事実から,彼女は地上において彼といちばん密接な関係を持つようになりました。このわけで,彼は彼女にかたくつかねばなりません。地上における2人の人間の関係の中で,この夫と妻の絆は最も密接なものである,と神は言われました。それは親子の関係よりも密接なものです。それですから,夫は,自分に最も密接な者,すなわち自分の妻と共に居なければなりません。神は,エデンの園でアダムとエバを結婚させて後にこう言われました,『この故に人はその父母を離れてその妻に合い,二人一体となるべし。』(創世 2:24)このことから幾千年の後になつて,自ら賢いと自惚れていた或る人々は,エデンの楽園で行われた理想的な人間の結婚についてのこの真実の記録を排除しました。それで,神の子は彼らにこう語られました,『あなた方はまだ読んだことがないのか。創造者は初めから人を男と女とに造られ,そして言われた,「それ故に,人は父母を離れ,その妻と結ばれ,ふたりの者は一体となるべきである。」彼らはもはや,ふたりではなく,一体である。だから,神が合わせられたものを,人は離してはならない。』(マタイ 19:4-6,新口)クリスチャン使徒パウロは,自分の論議の中にその聖句を引用して,『ふたりの者は一体となるべきである』と言うことにより,この結婚の記録の真実なることを証明しました。(コリント前 6:16,新口)故に結婚した男のいるところは,父や母のところでなく,また自分の仲間や社交的な倶楽部でもありません。彼は最も密接な仲間なる自分の妻とともにいるべきです。彼は自分の妻にかたくつき,妻を実家に戻し,自分に妻を与えたその父親のところに返すべきでありません。彼は,自分と妻との間に第三者の入るのを禁ずるべきです。
20 (イ)エバを創造せられた神は,何を意味しませんでしたか,そしてどんな結果を得ることを目的とされましたか。(ロ)アダムとエバが結婚しても,不均衡な不具の子供が生まれないのは,なぜですか。
20 アダムには最初,男性と女性の特質,すなわち性質が平衡のとれた状態で結合されていました。神がその男性と女性の性質を取つて,それぞれを両性に分けた時,神はエデンの楽園の中で両性の戦を始めさせたわけではありません。また,両性のあいだに競争的な共存を始めさせたわけでもありません。男のアダムから女性の特質が取られて,それが彼の妻に体現されても,アダムは完全でありました。アダムは神の像と状であつたのです。女性の特質により支配されていたエバは,同じく完全でしたが,しかし,彼女はアダムとひとつの肉でした。ひとつの肉は,自分自身を害しません。ひとつの肉は,自分自身と戦いません。肉の生きている細胞は,大いなる組織者ヱホバ神の律法によると,いろいろな器官や組織で結合し,接合します。同じことは,両性についても言えます。なぜなら,それは実際にはひとつの肉だからです。両性は互に補い合い,他方の必要と感ずるものをお互に補給し合います。神は両性についてそう組織しました。それで,両性は互に協力して天的な御父の完全な意志を行つたとき,最大の幸福と満足を見出したのです。アダムの骨と肉からつくられた女がアダムと結婚しても,どこか均衡が整わず,そして異常な特質や不具を示す奇妙な子共たちが産まれるわけではありません。男も女も,両人は完全でした。完全と完全が結合すれば,完全が生じます。アダムとエバの完全な子が,同じ両親の完全な娘と結婚すれば,完全な子供が産まれます。
21 どんな面で女は補助者なる助者(たすけ)になりましたか。なぜアダムは,釣合のとれたように見えましたか。
21 アダムを分けて,男性と女性の両性をつくられたのは,神の御意であつて,神は,アダムのために妻をつくられた時に,そのことを述べました。神は,次のように言われています,『我彼に適う助者を彼のために造らん。』神はアダムに支配者なる頭を与える,とは言わなかつたのです。アダムは,すでに頭を持つていました。彼の創造者なる神は彼の頭であつて,他の頭を必要としませんでした。補助者は頭ではありません。神の創造の記録を記した言語,ヘブル語の中では,『補助者』という言葉は,人の前にあるもの,前に立つているごとく人の視界内にあるものという意味です。それは,反対するものではなく,対をなすもの,適合するもの,具合良く適宜に行われるもの,そして良い釣合となるものです。女だけが,アダムに満足を与える配偶者となり,アダムの補助者になることができたのであつて,下等動物の雌は,とうていなることができません。(レビ 18:23)特に,女には彼の子たちを産む器官が備えられていたのです。女は彼の子たちの体を備える卵子をつくります。しかし,夫婦の頭である男が生命の精を伝えて,始めて卵子の中に生命が始まるのです。最初に男が人間の生命を持ちました。彼の妻は,男の肋骨からつくられることにより,その生命を受けました。その故に,男が自分の子たちに生命を伝え続けることは適当です。男には男の機能があり,そして女には女の機能があります。女は夫に従つて夫に依存します。それで,神の御意によると,女は夫の『助者』にならねばなりません。助者は支配者でも,独裁者でも,または命令者でもないのです。助者は命令を聞いて,その援助を受ける人といつしよに働きます。エバは必要な援助をアダムに提供し,子供を多く産んで完全な人間家族で全地に充ちよ,という両人に対する神の命令をなしとげることができます。エデンにいた堂々たる雄獅子と牝獅子の側に立つても,また番になつているどんな動物の側に立つても,アダムはもはや不均一とか,不備であるように見えませんでした。なぜなら,彼の完全な配偶者,彼の補助者,助者である妻が彼の側に立つていたからです。すべてのものは,釣合が取れていました。その光景は美しく,創造者の目から見て良いものでした。
22 (イ)何時アダムは,自分の妻と最初の関係を持ちましたか。このことは,最初の結婚が何時完了したかについて,何を示していますか。(ロ)完全な状態にいた2人は,互にどんな態度をとりましたか。
22 ヱホバ神がこの完全な女を,エデンの中で目を覚ました男のところに連れて行き,そして両人に祝福を述べて共同の義務を示されたとき,ふたりの結婚は完了しました。その結婚を完了するために,2人のあいだの最初の性交は必要でなかつたのです。もし結婚を真実に正しく,絶対的なものにする為に,性交は第一に必要なものである,というならば,アダムとエバはエデンの中で結婚しなかつたことになります。時経て2人がエデンの外に追出されて後になつて,始めて『アダムはその妻エバと交接し,エバはみごもつて,カインを生んだ。』と記されているのです。(創世 4:1,新世)性交の目的は,子供たちを産むことである,とアダムとエバは知つていました。それで,完全な2人は,完全な自制力を有しており,自分たちが裸でいてもすこしの羞恥心をも感ぜず,また一糸も身につけていないお互の体を見てもなんの欲情も起らず,エデンにいるあいだは性交をつつしんで子供をはらまなかつたのです。しかし,彼らは正しく結婚していたのであつて,愛と信頼の気持の中にたがいに結ばれていたのです。結婚設立者である神,ヱホバは,2人を結び合わせられました。2人を分け離し得る被造物はひとつもありません。
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不完全な状態下の結婚ものみの塔 1956 | 12月1日
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不完全な状態下の結婚
1 結婚は人間に何をもたらし,また何を達成すると,神は思われましたか。
不完全の故に,結婚は多くの圧迫と負担をうけるようになりました。不完全は罪に起因します。罪とは,ヱホバ神の完全な律法に対する不義,不従順です。エデンにおけるアダムとエバの結婚は,完全なものでした。なぜなら,すべての行は完全で,すべての道は公正であるヱホバ神によつて,その結婚が遂行されたからです。(申命 32:4)アダムから1本の肋骨が取られ,そしてそれと共に,最初アダムにあつた女性の特質が取られても,アダムは不幸に感じませんでした。神はそれらのものを,アダムの妻となる完全な女という形でアダムに戻しました。これによりアダムは以前には知らなかつた幸福を感じたのです。エデンにおいて,アダムの結婚した日は最も幸福な日でありました。エデンで始まつた結婚は,常に仕合わせなものであり,そして完全な子供を沢山産むという,言葉では言つくせない幸福に導くはずでした。2人を結び合わせられた神御自身も,このことに幸いを感ぜられるでしよう。なぜなら,こうすることによつて,地を創造した目的,すなわち地を『人の住所』にする目的は成就されるからです。―創世 1:26-28。イザヤ 45:18。
2 (イ)何が最初の人間夫婦の全き幸福を中断しましたか。(ロ)アダムはどのように自分の妻を教えましたか。彼は,何をすることによつて神と彼女への愛を示しますか。
2 それでは,何が人間の結婚の完全な幸福を中断し,人間の結婚を不完全な状態にもたらしましたか。先づ最初に,神の設立し給うた夫婦間の正しい関係を認めることに失敗したことと,そしてその関係を守ることを拒絶したことです。アダムとエバは,丁度頭と体がたがいに属するように,互に属しました。『なぜなら,アダムがさきに造られ,それからエバが造られたからである。』(テモテ前 2:13,新世)アダムはエバを教えました。アダムは,自分の良く知つていたエデンの楽園の中にエバを周遊させました。また,動物に与えた名前をエバに告げたのです。しかし,一番大切なことは,アダムは,ヱホバ神の特別ないましめをエバに告げました。これによつて,完全な人類の母親として,エバはこのよろこびの楽園でどのように永遠に生き得るか,ということをアダムから告げられたのです。このいましめは,特別なものであつて,生物全部の食物について2人に与えられた神の指示に先だつものでした。(創世 1:28-30)アダムがまだ一人だけであつたときに,神の特別ないましめはアダムに与えられました,『園のすべての木の実は汝こころのままに食うことを得。されど善悪を知るの樹は汝その実を食うべからず,汝これを食う日には必らず死べければなり。』(創世 2:16,17)このいましめは,エバにも適用しました。彼女は彼の一部であつて,彼とひとつの肉だつたからです。アダムはエバにこの神の命令を救えましたが,また彼女の頭としてこの生命を守る律法を施行することはアダムの責任でした。もしアダムがエバを愛するなら,この律法を施行するでしよう。なぜなら,そうすることはまた自分自身を愛することになるからです。エバはアダムの骨と肉の一部でした。アダムが自分の骨と肉を憎むようなことはあり得ません。この律法を施行することにより,アダムは貴重な生命の授与者,ヱホバ神を特別に愛することになります。アダムもエバも,自分自身やお互を愛する以上にヱホバ神を愛すべきでした。
3 (イ)法律違反者がエバのところに現われるまでのエバの行は何でしたか。(ロ)サタンはどんな目的を達成する為に何をしましたか。
3 しばらくのあいだ,エバは自分の夫の頭の地位に服従しました。彼女は,神の律法を破ることに対する刑罰を疑問に思わなかつたのです。また,この律法を破ることについて述べた神の言葉に,自分の夫が欺かれていた,などとも考えなかつたのです。そして,何が善であり,何が悪であるかについて,自分で決定し自分で規則を設けねばならぬ,とも考えなかつたのです。彼女はアダムの真実の助者であり,アダムの生活にぴつたり適合し,かくして安全と幸福を見出しました。ところが,彼女が一人だけでいるとき,法律違反者である結婚妨害者がエバのところに来ました。エデンの園にいた一匹の蛇を用いて,その者は彼女に問うたのです。エバは,夫から聞いたことをその者に語りました。すると,その蛇,すなわち蛇によつて語つた見えざる者は,つまらぬことを話したり,嘘をくり返すというような噂話をしなかつたのです。その者は,イエス・キリストの言われた通りのことをなし,あからさまな嘘を述べて,自らあらゆる嘘の父になりました。(ヨハネ 8:44。コリント後 11:3)その者は,アダムがエバに告げたこと,そして神が最初にアダムに告げたことと,全く反する矛盾したことを直ちに語りました。『蛇女に言けるには,汝らかならず死る事あらじ。』それから,その禁ぜられた木についての事実をあたかも知つている振をした彼は,次のように言葉をつづけました,『神汝らがこれを食う日には,なんじらの目開け,汝ら神のごとくになりて,善悪を知るに至るを知りたもうなりと。』(創世 3:1-5)このように神に反対して,神をそしつた蛇なるサタン悪魔の真実の目的は,ヱホバ神とその制度的な妻,すなわちヱホバ神の『女』との結婚関係を破り始めることでした。ヱホバ神の『女』とは,聖なる被造物で成立つているヱホバの宇宙的な制度で,アダムとエバはそのとき,その制度に属していたのです。
4 (イ)エバはどのように答え応ずべきでしたか。しかし,彼女は誰の言葉以上に誰の言葉を取入れましたか。(ロ)なぜエバの例は結婚における不従順の例でしたか。何が彼女をしてそうせしめましたか。
4 自分の結婚関係を尊重したエバは,いま次のように答えましたか,「私の夫の語つた言葉と矛盾することが言えるなどとは,いつたいお前にどんな権利があるのか。また,私を夫に与え給うた神の言葉と矛盾することが言えるなどとは,いつたいお前にどんな権利があるのか。私は神の定め給うた私の頭である夫に従います。単なる獣に過ぎないお前に従う,などということは決してしない。」エバはそのようには答えなかつたのです! またエバは自分の夫の言葉以上に,神の言葉と律法に従つた,というのでもありません。エバは,ヱホバの言葉と一致している自分の夫の言葉よりも,先ず蛇の言葉に従つたのです。ひとりの偽りの証者,大いなる蛇に対して,ヱホバ御自身とアダムという2人の証者がいました。自分の人間的な頭を尊重して安全を図るために,エバは最初自分の夫と相談してみて,はたして夫は禁ぜられた木の実を食べて神のいましめに反することを許すか,どうかをたしかめてみる,と言うべきでした。アダムはエバよりも神を良く知つていたからです。エバは自分の夫に頼つて,一緒に神の律法を検討することをせず,むしろ獣の示した新しい見地から禁ぜられた実を見ました。彼女はその実に対する欲望を生ぜしめましたが,その欲望は,彼女を誘惑に導いて行を為さしめ,かくして罪がはらまれたのです。この罪がはらまれたことは,死の刑罰を間ちがいなく生ぜしめました。(ヤコブ 1:14,15)『(女)遂にその実を取て食い』(創世 3:6,新世)彼女は自分の夫に先駈して,頭である夫の叡智よりも自分の叡智を重んじました。彼女は非常な惑しにかかつたのです。いずれにせよ,それは結婚における不従順の例でした。
5 エバがその実を食べても,どんな直接の結果が生じませんでしたか。反つてどんな結果を生じましたか。
5 エバは,天的な至上者である神と自分の頭である夫に全く背き,その禁ぜられた実を食べました。直ちに彼女は良心の苛責を感じ,自分が丸裸でいるのを悟つて愕然とし,異性である夫から隠れようと欲した,とは聖書の記録に述べられていません。シンゲン 9章17,18節は,こう述べています,『盗みたる水は甘く,密に食う糧は美味ありと。かしこにある者は死し者,その客は陰府(人類の共通の墓)のふかきところにあることを是らの人は知らざるなり。』それで,エバは全く欺かれてしまい,死の刑罰にも恐れを感ぜず,また性の羞恥をも知らなかつたのです。そして,禁ぜられた木から盗んで,夫にかくれて食べたその実の甘さを賞味しながら,うぬぼれた気持になつてアダムのところに行き,その禁ぜられた実のいくらかを彼にすすめました。さて,アダムは何を為すべきですか。
6 後に述べられたどんな神権的な律法は,アダムの取るべき行を示していますか。なぜそうですか。
6 アダムは,エバが蛇によつて欺かれ,罪を犯したことを直ぐに知りました。神の言葉は,次のように述べています,『アダムは惑わされなかつたが,女は惑わされて,あやまちを犯した。』(テモテ前 2:14,新世)エバは自分の頭であるアダムを代表して語つたり行つたりしたのではありません。頭は決定を下すべきであり,アダムは意識的に故意にエバと共に盗んだ実を食べて彼女の罪を是認するか,あるいはエバの行を否認して,家族内の行にならないように直ちに中止させなければなりません。後になつてイスラエルの国民に与えられたヱホバの神権的な律法は,このことと一致していました。その律法は,こう述べています,『女……ヱホバに誓願をかけ,又はその身断物を為ことあらんに……夫に適く身にして自ら誓願をかけ,またはその身に断物せんと軽々しく口より言いだすことあらんに,その夫これを聞くもそのこれを聞る日にこれにむかいてもの言うこと無ば,その誓願を行い,その身に断し断物を守るべし。されど,夫もしこれを聞る日にこれをゆるさざるなればこれがかけし誓願またはこれがその身に断物せんと軽々しく口に出ししところの事を空しうするを得べし。ヱホバはその女をゆるし給うなり。』(民数紀略 30:3,6-8)それで,アダムはエバを叱責して神を真実な方とし,蛇なる悪魔を偽り者にすることができたはずです。そしてエバが神の律法を破つたことに,自分は加担しないということを立証し得たはずです。神はアダムを頭に任じました。彼は神よりの任命を尊重し,頭のごとく振舞つて決定をつくつたエバの行を抑止すべきでありました。
結婚義務の不履行による悪い結果
7 アダムがエバの提供した実を拒絶したならば,彼は何を示したことになりますか。その実を受け取ることにより,何を示しましたか。
7 アダムが自分自身を愛し,また,自分と自分の子孫の生命を愛したなら妻の手によつてすすめられたこの禁断の実をうけとらなかつたことでしよう。アダムは拒絶することにより正しい道をエバに示し得たはずです。なぜなら,エバはアダム自身の肉だつたからです。彼が自分自身や妻を愛する以上に神を愛したならば,アダムは妻のすすめを断つて,神のいましめを守つたでしよう。神と分れるよりは,自分の妻と分れる方を望んだでしよう。アダムは,真実の夫の責任を果し,神より任命された自分の頭の地位を尊重して,自分と家族のために正しい決定をつくつたことでしよう。そして,力のあることを示して,自分の責任を遂行し,神に対する忠実を守つたことでしよう。しかし,アダムは神のことを考えなかつたのです。彼は実をさし出している自分の妻を見ました。いまや,彼女に対する欲望を感じました。アダムは,エバを産めよ殖えよ,と言われた神の命令を成就するための自分の援助者または補助者と見なさず,むしろ自分の肉の思を満足させる手段に見なしたのです。アダムはその欲望に誘われました。彼は神のいましめに従うよろこびに思と注意を払うよりも,その欲望に多くの思と注意をかたむけたため,心が弱まりました。彼は夫としての自分の頭の地位を否認して棄てました。彼は神の声に耳を傾けず,自分の妻の声に耳を傾けたのです。彼は禁断の実を受け取つて,食べました。
8,9 アダムが自分の神よりも妻を好んだ結果は何でしたか。彼らはどのように神に答えましたか。
8 彼は,たしかに悪しき事柄において妻にかたくつきましたが,自分の父である神とは分れました。アダムは惑わされたのでなく,故意に蛇である悪魔サタンに加わつて神に反逆したのです。聖書は,必然的に生じた精神的な葛藤や感情のことを述べていませんが,簡潔にこう記しています,『(女)これを己とともなる夫に与えければ,彼食えり。』このようにして,両人は罪を犯しました。しかし,アダムの罪はエバの罪よりも重いものでした。彼には多くの責任が課せられていたからです。両人は,もはや清い自然の仕方でお互を見ることができなくなりました。『ここにおいて,彼らの目ともに開けて彼らその裸なるを知り,すなわち無花果樹の葉をつづりて裳をつくれり。』― 創世 3:6,7。
9 無花果樹の葉をつづつたもの,ということからも示されるように,アダムとその妻とのあいだには障壁がつくられたのです。妻の前に立つて自分は潔白であるとは感じなかつたアダムは,神の御前に立つても潔白であるとは感じませんでした。アダムは,神と話をすることにもはやよろこびを感じなくなりました。アダムは,神と話をすることを熱心に待望むどころか,いまでは逃げてかくれてしまいました。それで,見えない状で神の近よるのを聞いたアダムとエバは,木のうしろに身を隠したのです。神は,アダムの妻を呼ばずアダムを呼びました。アダムは,神の前に身を表わせない,と神に告げました。それはなぜですか。アダムは禁ぜられていた実を食べましたか。その木から直接に実を取つて食べたわけではありませんが,妻の手からその実を受け取つて,妻をよろこばす為に食べました。すると,なぜ女は禁ぜられた木から直接実を取つて食べましたか。女は,自分の行の愚かであつたことを認めました。こう語つています,『蛇われを誘惑して,我食えり。』(創世 3:8-13)その結果がこのようになる,とはエバはすこしも考えなかつたのです。
10 (イ)サタンは,どんな結婚を破ることができませんか,そしてなぜですか。(ロ)神は,サタンとその裔に対して何を定めましたか。
10 それで,神は大いなる蛇,悪魔サタンに注意を向けられました。この悪魔サタンは,アダムとエバの結婚を極めて難しいものにしたのです。しかし,蛇なる悪魔サタンが,ヱホバの『女』― つまりヱホバの独り子の支配下にあつたヱホバの天的な宇宙的な制度,― とヱホバ神の結婚を破れる,などと一瞬でも思うなら,それは全くの間ちがいです。大いなる夫ヱホバ神は,サタン悪魔を詛い,サタンは塵だけを食べて生きて行くような卑しい存在をしなければならぬ,と言われました。そして,そのときに御自分の『女』のことを述べられたのです。ヱホバの定めにより,ヱホバの女はエバの取つた行とは違う行をします。ヱホバは次の言葉を言われました,『我なんじと女のあいだ,および汝の裔と汝の裔のあいだに怨恨をむかん。彼はなんじの頭をくだき,なんじは彼の踵をくだかん。』(創世 3:14,15)ヱホバの天的な制度的な妻は,ヱホバを愛して,ヱホバにかたくつき従うでしよう。しかし,欺瞞者なる蛇,すなわちサタン悪魔を憎みます。彼女の子孫である子供たちは,惑しを行う蛇の子孫,すなわち裔に反抗するでしよう。彼女の子孫が大いなる蛇にくわえる傷は,蛇が彼女の子孫にくわえる一時的な跛行という傷よりも,はるかに悪いものです。その傷は,一番の急所になされるのであつて,サタンの頭は打砕かれ,サタンの裔はみな亡ぼされてしまいます。神の制度的な妻である『女』は,その夫なるヱホバの御名を負う実を永遠にわたつて結びます。
11 それ以後の人間の結婚に対して,神は何を予言しましたか。女の地位は,なぜ特に難しくなりますか。
11 このとき以後の,人間の結婚には難しい問題がくわわり,夫婦は『その身に苦難』をうけるであろう,とヱホバは予言しました。結婚における女の立場は,特に難しくなりました。ヱホバがそれについてエデンで語つたことは,6000年の経験から照らして真実である,と証明されています。『女に言たまいけるは,我大になんじの懐妊のくるしみを増すべし。なんじは苦みて子を産ん。また汝は夫をしたい,彼はなんじを治めん。』(創世 3:16)夫が妻を治めたいという欲望を感じて,また,妻がよろこんでそれに服従したいというときだけに夫が妻を治めるものではありません。妻が懐妊のくるしみを増して,苦しんで子を産むのと同じように,夫は,たしかに妻を治めるのです。このすべてのことにもかかわらず,女は夫を持ちたいと切望します。夫を持たないことは,気まずいことであり,恥ずかしいことである,と女は考えます。もし子供を産まないなら,女性の目的が失敗して駄目になり,自分自身と自分の夫に失望をもたらす,と考えます。夫を所有者,支配者にしてまでも女は結婚と子供を切望します。
12 自分の妻をよろこばせよう,と努めたために,アダムにはどんな結果が生じましたか。
12 神は『なんじその妻の言葉を聴きて,』と語ることにより,アダムに死の宣告を述べられました。それは,任命された夫婦の頭にとつてなんと面目のないことだつたのでしよう。たしかに,すべてのことは,これに起因したのです。彼は,善悪を知るの木の実を食べてはいけない,と命じた創造主の言葉に聴き従わず,つくられたものの言葉に聴き従いました。夫であるアダムは,自分の妻を失いたいとは思わず,妻をよろこばせようと努めた結果,反つて妻を悲しませる事柄をしてしまつたのです。アダムは,妻から立派に思われ,尊敬されるものと確信していました。彼に智恵の欠如していたことは,その結果に表われました。彼は妻の故に楽園の住居を失い,または神の御旨にかなつた子としての立場を失いました。故に,惑わされた女である妻のために神に取なしを願うこともできず,妻に対する情状酌量をお願いすることもできなくなつたのです。今後の惑や,サタン悪魔の目論む悪い支配に対して,アダムは十分な保護を妻に与えることができなくなりました。もしエバが先に死なないなら,アダムは死んでエバを,夫がいない未亡人にするでしよう。神より否認された状態で死ぬために,エバはアダムといつしよにエデンの園から追払われました。―創世 3:17-24。
13,14 エデンの外における彼らの生活はなぜ幸福なものでありませんか。このことに対する原因は何でしたか。
13 神の言葉は,エデンの楽園外におけるアダムとエバの結婚生活について殆ど述べていません。それが幸福な生活でなかつたことはたしかです。お互に見つめ合いこの悲しい結果をもたらした各自の行を想い起したとき,両人のどちらも幸福に感じなかつたのです。アダムは,完全な自制力を失いました。エデンの園から追出されてから初めてアダムは妻と性関係を持つたのです。長男を産む際の妻の出産の苦痛を見て,アダムは決して幸福に感じませんでした。この子,カインは殺人者になり,自分の兄弟を殺しました。カインは,ヱホバの最初の証者,忠実な人間アベルを暗殺したのです。カインは,アベルが証を立てた神の呪をうけるようになりました。カインは,神御自身によつて処刑され,亡ぼされるしるしをうけたのです。カインは,自分の姉妹の中の一人と結婚していましたが,さすらいの地における結婚生活は,幸福なものでありませんでした。―創世 4:1-17。ヨハネ第一書 3:12。ヘブル 11:2,4; 12:1。
14 アダムとエバは長生きして,自分たちの不完全な結婚生活によつて生じた多くの悪い結果を目撃しました。子孫たちの結婚生活の中で,ひとつとして完全に幸福なものはなかつたのです。このすべてのことに対する責任は何でしたか。先ず第一に,最初の男と女が一致した愛を神に捧げず,またお互同志を愛する以上に神を愛さなかつたことによるのです。神にたいする愛が不足していたことと,またその結果のために,両人とも結婚の取極内における夫と妻という神の定め給う立場を尊重することに失敗し,かつその立場の責任と義務に沿う生活をし得なかつたのです。頭であつたアダムは,すべてのことに対して一番重い責任を持ちます。彼らの害われた結婚の結果に生まれた私たちには,罪や死が伝えられました。裁き主なる神の言葉は,このすべてのことの主要な責任者はアダムである,と指摘しています,『ひとりの人によつて,罪がこの世にはいり,また罪によつて死がはいつてきたように,こうして,すべての人が罪を犯したので,死が全人類にはいり込んだのである。アダムから……死の支配を免れなかつた。』(ロマ 5:12-14,新口)最初に神の設立し給うた結婚の取極を不適当に取扱つたため,害がひき起されました。その害の影響は極めて大きく,災をもたらすものです。
15 (イ)ヱホバご自身の結婚については,どう言えますか。(ロ)人類の結婚についてのヱホバの目的は何でしたか。ノアの日に,しるしとしてヱホバは何をしましたか。
15 ヱホバ神の制度的な妻,すなわち天にある宇宙的な制度と結ばれていたヱホバ神御自身の結婚は,破れることなく幸福な状態を保ちつづけました。そして,悪意を持つ結婚妨害者のなすあらゆる企みにもかかわらず,最も多くの実を結んだのです。ヱホバの女の裔は生み出されました。そして間もない中に蛇の頭を砕き,最高の神の宇宙的な至上権を正しく証明するでしよう。ヱホバ神は御自身の結婚に幸福を見出されていることから,地上にいる御自分の忠実な息子や僕たちの結婚生活も『身に苦難』をうけないよろこびに充ちるように,という目的を最初立てられました。しかし,今ではどの夫婦も不完全になつており,また悪魔サタンを神とするこの世の組織制度に生活している故に,『身に苦難』をうけることは避けられないものになつています。(コリント前 7:28,新口)そのことを示すものとして,ヱホバ神はノアの日のとき腐敗して暴力に充ちていた『その時の世』に属するすべての夫婦を亡ぼされたのです。ヱホバ神は,丸1年のあいだ山をも覆つた世界的な洪水の中に,彼らを沈められました。当時には,『ノアが箱舟にはいる日まで,人々は食い,飲み,めとり,とつぎなどしていた。』しかし,神はヱホバの証者であつた4組の夫婦だけを洪水から救われました。すなわちノアとその妻,そして妻を一人ずつ持つていたノアの3人の息子たちでした。―ルカ 17:26,27,新口。
16 (イ)結婚に関して見るとき,洪水直後の状態はどのようなものでしたか。(ロ)神は生残者たちにどんな祝福を与えましたか。これはいまに至るまで何を意味しましたか。
16 4組の夫婦がアララテ山上に止まつた箱船から出て,清められた地における新しい生活を始めようとしたとき,洪水前の世は全く過ぎ去つていました。その時の状態は,アダムとエバがエデンの中にいたのと殆ど同じようでした。エデン外の地上には,人はひとりも住んでいなかつたため,神はアダムとエバを祝福し,そして子供を産んで地を子供で充たせ,という命令を与えられたのです。アララテ山上の4組の夫婦以外には,人間は地上にひとりもいませんでした。神は地に対する御自分の最初の目的を証明ずけられるために,洪水を生残つた4組の夫婦を祝福しました。それは彼らが乾いた地でヱホバ神の崇拝を再興した後です,『神ノアとその子らを祝してこれに言たまいけるは,生よ増殖よ地に充よ……汝ら生よ,増殖よ,地に多くなりてその中に増殖よ。』(創世 9:1-7)このことは,今日にいたるまでの幾千年ものあいだに多くの結婚が行われる,ということを意味しました。その結果,今日では地は人々で充ち,結婚は増加し続けています。夫婦の不完全さが多くなるばかりでなく,生活のいろいろな状況ということからも,こみ入つた結婚問題がたくさん生ずるようになりました。ヱホバ神をよろこばすと共に,結婚に関係している人々に永続の平和をもたらす方法によつて,これらの事柄をどのように取扱いますか。新しい世の社会内にあつて,これらの事柄をどのように取扱うかは,次の『ものみの塔』の中で詳細に説明されます。
[457ページの囲み記事]
『人はいでて工(わざ)をとり,その勤労は夕にまでいたる。ヱホバよ,なんぢの御業はいかに多(さわ)なる。これらは皆なんぢの知恵につくり給えり。汝のもろもろの富は地にみつ。』― 詩 104:23,24。
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韓国の素晴らしい大会ものみの塔 1956 | 12月1日
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韓国の素晴らしい大会
韓国の御国の業は,まつたく大進歩をとげています。1956年の4月には,1506人の伝道者たちは大都市や孤立した多くの地区で熱心に伝道していました。新しく興味を感ずる人々は,ひつきりなしに会衆に来て,業のことを知ろうと欲し,またヱホバの証者がそんなにも異つている理由は何であるかを知ろう,と欲しています。人々は,アメリカ人の宣教者が家から家に伝道して,韓国語で人々に話すことに,たいへん驚いていますが,同時に深い感謝の念を抱いています。キリスト教国の牧師,特に韓国内で一番強い勢力を持つ教会(長老派とメソヂスト派)の牧師が,ヱホバの証者の業を非難するとき,人々はかえつて好奇心を持つようになつています。不信仰な人々でさえも,聖書には尊敬を払つています。路を歩く人々の手中に聖書がある,というような光景は,珍らしいものでありません。このような理由の故に,韓国における業は極めて多くの実を結んでいるのです。
韓国にいるヱホバの証者は,みな4月27日から29日まで行われる京城の大会を幸福な気持で待つていました。兄弟たちは熱心に働き,いろいろな取極をテキパキと終了させました。本当に兄弟たちはすべてのことを敏速にいたします。韓国語でしばしば使われる表現は『時間がない』と『早くしなさい』という二つです,兄弟たちは,日曜日の公開講演以外のすべての集会用に学校の講堂を借りました。大群衆が集まると見こまれていたために,京城競技場内にある水泳競技場をも借りたのです。京城内のどの市電にもポスターがつけられ,市内のいたるところに窓ポスターがはられました。何日も前から姉妹たちは多量の御飯や,魚や,いろいろな韓国の料理を忙しく準備していました。取極めがはかどるにつれて,興奮も高まり,兄弟たちの話は,大会
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