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異国なる,この世における神権的な結婚ものみの塔 1956 | 12月15日
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異国なる,この世における神権的な結婚
『彼らと婚姻をなすべからず,汝の女子を彼の男子に与うべからず。彼の女子を汝の男子に娶るべからず。そは,彼ら汝の男子を惑わして我を離れしめ,これをして他の神々に事えしむ。』― 申命 7:34
1 なぜ結婚は極めて尊厳なものですか。何によつて結婚は安全となり,幸福が保証されますか。
人間の結婚は,最高の神の高尚な御考えに由来しています。人間の結婚は神により完全に結ばれた一組の夫婦によつて,地上の楽園で始められました。その由来は,清いもの,神のものである故に,人間の結婚はきわめて尊厳なものです。その根源にふさわしい,人間の結婚は,この結婚の契を祝福された神の御意に従つて行われ,そして成し遂げられねばなりません。すると,結婚は神権的なものになる,つまり,神の規則に従うものになることが必要です。そうするならば,神の祝福を頂くようになつて,結婚は安全となり,幸福が保証されます。
2 (イ)結婚の幸福や,結婚問題を取扱う知恵を得るために,私たちは何をしなければなりませんか。なぜですか。(ロ)何の故に事柄は極めて複雑になりましたか。私たちは,どのように神とカイザルにそれぞれの属するものを捧げることができますか。
2 結婚したすべての人と,結婚を考えているすべての人のために,神の御意と規則は愛の御心から霊感を与えて書かせた神の言葉,聖書の中に記されています。結婚の真実の幸福を求めるなら,また結婚問題を正しく取扱うための知恵を欲するなら,神の言葉から学び,そして結婚に関して聖書の述べている原則の導きをうけるべきです。罪と死が入つて結婚が不利になつて以来の数千年のあいだ,この事柄は極めて複雑なものになりました。なぜなら,ちがつたいろいろの儀式や,習慣や,取極や,法律が多くの国民,人々,そして種族のあいだに生じたからです。私たちを導いて,結婚についての神の原則に従わせる神の言葉がないなら,私たちは全く当惑してしまい,はつきりとは分らなくなります。それらの原則は,例外なしに地上にいる神の民すべてに適用するものです。それらの原則に固く従い,かつ人間のすべての取極よりもそれらの原則を重んずることによつて,私たちは神に属するものを神に捧げます。同時にカイザル(すなわち,異国なるこの世の人間政府)に属するものをカイザルに与えます。これは,クリスチャンの行為の規則です。―マタイ 22:21。
3,4 (イ)神はイエスの前に,どんな種類の父親の地位を置きましたか。そして,何時イザヤ書 9章6,7節は成就し始めましたか。(ロ)イエスは,どのように,又どんな道を追い求めた為に,アダムよりも勝れた私たちの父になりますか。
3 いまから1900年前に地上にいたイエス・キリストは,結婚しませんでした。天から遣わされた彼は神の完全な子であつて,この地上に来たのは,結婚して家庭を持ち人間的な父親になつてこの地上に制束される為ではなかつたのです。ヱホバ神は御子イエス・キリストの御前に,ずつと素晴らしい父親の地位を置かれました。その父親の地位は,生きている者も死んでいる者も,数え切れない程に多い人間家族に恩恵をもたらすでしよう。イエスが,ベツレヘムの小さな町で敬虔なユダヤ人の処女から生まれたとき,彼についての神の予言は成就し始めました。そして,地上にいた神の民は,神の予言の言葉を用いて,こう言うことができたのです,『ひとりの嬰子われらのために生れたり。我らはひとりの子をあたえられたり。政事はその肩にあり,その名は奇妙,また議士,また大能の神,永遠の父,平和の君ととなえられん。その政事と平和とはましくわわりて窮りなし。……万軍のヱホバの熱心これを成し給うべし。』(イザヤ 9:6,7)彼は議士そして永遠の父という名にふさわしい生活をしなければならない,ことに注意しなさい。イエスが人間の花嫁と結婚して,人間の家族を養うならば,彼は私たちの永遠の父にはなれません。私たちは,罪を犯して私たちを死に陥れた最初の父親アダムの子供たちなのです。
4 しかし,イエス・キリストは今やたしかに天に居られ,そして生命の授与者なる父親を欲するすべての人間の永遠の父になる用意は整つているのです。父となる彼は,彼らに永遠の生命を与え,そして永遠にわたつて彼らの父になることができます。イエス・キリストは,地上で結婚しなかつたために,その素晴らしい地位を持つことができました。彼は御自分の人間としての生命を私たちの為に棄てることにより,人間的な家族の父親になる機会を持たなかつたのです。全能の神は彼を死人の中からよみがえして,天に高め,そして私たちの為に捧げられた彼の人間としての犠牲をうけいれました。天的な栄光につつまれているイエス・キリストは,私たちが受けいれるなら,永遠の生命を私たちに与えることができます。このように,彼は私たちにとつてアダムよりも良い父になります。
5 神は報いとしてどんな種類の妻を御子に与えますか。
5 ヱホバ神は,天における大きな栄光をイエス・キリストに与えるだけでなく,愛の心から自分自身を犠牲にした御子に,花嫁なる『妻』を与えて報われます。その花嫁とは,ひとりの御使でもなければ,ひとりの被造物でもありません。ヱホバの『女』なる『妻』が,被造物たちの制度である宇宙的な制度であるように,神が御子に与える『花嫁』も,忠実にして聖なる被造物で成り立つひとつの制度です。すなわち,イエスの足跡に従う14万4000人の弟子たちです。彼らは,人類の中から選ばれて,自分たちの為に捧げられたイエスの犠牲をうけいれます。そして,住民のいる栄光に輝く天的な都にたとえられています。(黙示 21:2,9-23)これらの者たちが,イエス・キリストにたいする純潔な忠実を死にいたるまで証明した後には,神は彼らを天的な生命に復活せしめ,そして一つの群として彼らを御子に結婚させます。―黙示 2:10; 19:7; 20:4-6。
許婚(婚約)の条件
6 誰がキリストの花嫁の成員をその頭に交らせることをしましたか。それは,人間のどんな習慣に適応するものですか。
6 洗礼者ヨハネは,イエスの最初の弟子をイエスに紹介しました。ヨハネは,神の子の結婚にみちびく最初の手段を取ることをたいへんよろこびました。ヨハネは,次のように言つています,『花嫁を持つ者は,花婿である。花婿の友人は立つて(花嫁級に語る)彼の声を聞き,その声を聞いて大いによろこぶ。こうして,この喜びは私に充ち足りている。』(ヨハネ 3:29,新口)それで,ヨハネは花嫁級をイエス・キリストに渡しました。使徒パウロも,花嫁級の成員をキリストと結ばせることによろこびを持ち,そしてキリストと共になる天的な結婚の準備をしたのです。パウロは彼らをキリストに許婚させるつまり婚約させてから後,彼らに深い関心と気がかりを抱いていたのです。彼らは汚されてはならず,忠実を保ちつづけて,婚約の期間が終つてから,キリストに加わるのにふさわしいものでなければならないからです。パウロは次の言葉を語りました。『私は神の熱情をもつて,あなたがたを熱愛している。あなた方を,きよい処女として,ただひとり(二人でなく,二人以上でもない)の男子キリストにささげるために,婚約させたのである。ただ恐れるのは,エバが蛇の悪巧みで誘惑されたように,あなた方の思いが汚されて,キリストに対する純情と貞操とを失いはしないか,ということである。』(コリント後 11:2,3,新口)このことは,婚姻を結ぶことに対する人類一般の仕方にも良く適応するものです。妻を盗むということはなく,娘を男に婚約させる,許婚させる,結婚の約束を与える,ことが行われます。それからは,娘が実際に男に与えられ,二人の者が人目のない自分たちの住居で契を結ぶまでの期間が設けられます。
7,8 (イ)配偶者を注意深く選ぶということについて,どんな聖書の例がありますか。(ロ)こうすることは,なぜ賢明であり,また聖書的ですか。
7 神の御言葉によると,神の民のなす結婚は,息子と娘の両方の両親か,または仲人によつて取極められました。洗礼者ヨハネは,その仲人のことを『花婿の友』と呼んでいます。洗礼者ヨハネは,キリストの花嫁を選ぶに当つては注意深く行い,ヱホバ神に献身した者たちを選んで洗礼を施しました。―すなわち,悔い改めたユダヤ人たちで,彼らは約束されたメシヤなるキリストの来るのを待ち望んでいたのです。使徒パウロも注意深く行つて,献身して洗礼をうけた人々のみを選びました。結婚の招待は,ユダヤ人だけでなく異邦人にも差し伸べられたため,パウロはユダヤ人の他に非ユダヤ人をも選びました。それは神権的な行でした。異教のカナン人の地には,多くの娘がいましたが,アブラハムは自分の息子であり,嫡子であるイサクの為に,カナン人の娘を選ぼうとしなかつたのです。アブラハムは,家の一番古い僕に命じて『花婿の友』にならせ,そしてカナンの地を出て,北方にある親族たちの家,すなわち自分の兄弟の家族のところに行かせました。そして,イサクの為にひとりの娘を選ばせたのです。なぜなら,アブラハムの親族はヱホバ神を信じていたからです。
8 このことには,十分もつともな確かな理由がありました。それは,仲間の信者と結婚させることによつて,真の神に対する息子の信仰を守る為でした。『悪い交わりは,良いならわしをそこなう。』(コリント前 15:33,新口)信者が不信者と親密な夫婦生活をするなら,神にたいする信者の信仰はそこなわれ,霊的な死をもたらします。そして,神に忠実を守らなかつた故に,神より永遠の亡びをうけるようになります。丁度アダムがエバによつて影響されたように,その者は結婚配偶者によつて悪い影響をうけるでしよう。この悲しい結果を始めた者たち,そしてその基を置いた者たちは,結婚の契約者たちでした。神はこの可能性,否むしろこの見込を,前もつて御存知でした。それで,御自分の選民である昔のイスラエルの国民をカナンの地に定住させる以前に,神は律法の一つに次のいましめ ― それは,助言ではない ― を与えておられます。『(異邦人の住民)と婚姻をなすべからず。汝の女子を彼の男子に与うべからず。彼の女子を汝の男子に娶るべからず,そは,彼ら汝の男子を惑して我を離れしめ,これをして他の神々に事えしむ。』― 申命 7:3,4。
9 ヱホバに忠節を保つとき,結婚配偶者を選ぶことと結婚式を行うことには何を必要としますか。
9 その後の苦難に充ちたイスラエル人の歴史から,その警告の正確さと,その律法の正しさが,分ります。『不信者と,つり合わないくびきを共にするな。』(コリント後 6:14,新口)そのわけで,あなた自身にせよ,あなたの子供にせよ,あなたの友人にせよ,結婚配偶者を選ぶときには神権的でありなさい。そしてヱホバ神に忠節を保ちなさい。霊的な破船に対する責任をはつきり自覚しなさい。結婚配偶者を選ぶに当つては,軽々しく非神権的に手を置くべきではありません。『ほかの人の罪に加わつてはいけない。自分をきよく守りなさい。』(テモテ前 5:22,新口)新世社会の結婚媒介者が,つり合わないくびきを共にする男女の結婚を挙式するか,否かは媒介者自身の良心によつて決定されます。もしも,御国会館か又は別の場所で結婚式を行う,と決定するなら,彼は国家政府の代理人として行うに過ぎないのです。そして,この世の人である献身していない人に向つて,クリスチャンと結婚することの責任を是非とも指摘すべきです。さらに,配偶者のごとくヱホバの証者の一人になるように,その人を励まします。
10-12 (イ)結納についてどんな習慣が生じましたか。(ロ)結納が悪いものでないことを示すどんな聖書的な例がありますか。(ハ)しかし,何が悪いのですか。そして,なぜですか。
10 アブラハムの結婚媒介者は,娘のリベカとその兄弟や母親に貴重な贈物をたくさんしました。それから,リベカを家に連れてきてイサクに渡しました。(創世 24:22,30,50-53)或る国々では,また或る人々の中には,女に対して花嫁金を払う,つまり結納を送る習慣があります。そして,それぞれの地方的な法律はその習慣を認可しています。或る人々の中では,結納は花嫁の両親から花婿に送られているところもあります。しかし,一般に言つて,花婿またはその両親は,結婚の報償として花嫁に結納を送ります。アフリカの或る種族の中では花嫁金は『ロボラ』と言われています。そして,花嫁の父か,或はその最年長の兄である伯父は,『ロボラ』を要求して,受け取ります。ロボラは,お金か又は,家畜か,或はその両方のものです。地方の習慣法に従い,村の記録所で結婚登記をするために,このロボラは必要かもしれません。
11 本質的に見て,結納は悪いものですか。悪くはありません。イサクの息子であるヤコブは,妻のレアとラケルを得るために,妻の父親であるラバンの為に14年間働きました。(創世 29:18-28)巨人を殺したダビデは,サウロ王の娘であるミカルを自分の妻にするため,敵なるペリシテ人の200の陽皮を支払つたのです。(サムエル前 18:20-27)イエス・キリストでさえも,14万4000人で成立つクリスチャン会衆,すなわち自分の『花嫁』の為に自分の生命を捧げました。(エペソ 5:25)ヱホバは,御自分の『女』に何も与えません。ヱホバは,神聖な宇宙的制度である彼女の造り主だからです。(イザヤ 54:5)それですから,花嫁の父に花嫁金を払うことが悪いのではありません。それは,今まで育てて教育した娘を手離すことを償うものとなるからです。花嫁金であるロボラの悪いのは,それが濫用されることなのです。それを償いのものとして取扱わず,子供や子供たちを用いて金儲けの手段となし,多額を要求したり,不当なものを略奪したり,そして苦しい働きを必要とするような事を要求したりすることは悪いことであり,非クリスチャンの行であり,非神権的な行です。
12 神はすべての略奪者を憎みます。略奪者の中には,自分の娘を商売にする花嫁金略奪者もいるのです。クリスチャンと自称するそのような貪欲な者は,花嫁金であるロボラに関して略奪をするなら,何時如何なる場合でも,必らずクリスチャン会衆から除名されます。パウロは次のように言いました,『私が実際に書いたのは,兄弟と呼ばれる人で,不品行な者,貪欲な者,偶像礼拝をする者,人をそしる者,酒に酔う者,略奪をする者があれば,そんな人と交際をしてはいけない。食事を共にしてもいけない,ということであつた。その悪人を,あなたがたの中から除いてしまいなさい。』(コリント前 5:11,13,新口)略奪者の値段は,不当に高く,まわりの状態を無視したものです。そして,娘を手離すことに対する正しい償い以上を要求します。次のような場合に,金を得たいと欲する人の貪欲は,はつきり示されます。すなわち値段が高すぎるためにクリスチャンはその娘を得ることができず,かつその人は法外な値段を引下げず,その値段を払うことのできる異邦人に娘を結婚させる時です。それは,兄弟愛の足りないことを表わすと共に,有害な金銭愛を表しています。―テモテ前 6:10。
13 (イ)父親は,なぜこの世の人からクリスチャンの娘に対する金を受け取つてはなりませんか。(ロ)両親が聖書の規則を破るとき,息子や娘はどんな道を取ることができますか。そして,なぜですか。
13 この世の人から,多少なりとも花嫁金をもらい,献身したクリスチャンの娘をその者に結婚させることは,神権的なことでありません。それは,イスラエルに与えられたヱホバの厳格な律法に倣つていません。それは娘の永遠の福利を危険なものとし,献身していないこの世の人に娘を従わせてしまうことになります。その兄弟は,すくなくともクリスチャン会衆内の特別な奉仕特権を得る資格を無くします。その行をしたからといつて,この兄弟が徐名されるようなことはありません。丁度,息子や娘が新世社会外の者と結婚するのを許可する親や,また「主の外」,つまり,真理の外にいる者と結婚する息子や娘が除名されない,のと同じ具合です。しかし,そのような人々は会衆の監督や宣教上の僕になる資格を失しています。それらの人々は,信者たちに対する悪い模範になつているのです。息子や娘が,異邦人であるこの世の人との結婚を拒絶しても,父母を敬え,といういましめを破つたわけではありません。父母は,この世と婚姻関係を結ぼうとしたために,『主にあつて』ないことを示しているからです。拒絶する息子や娘は,『主にあつて』いようと努めており,それは正しいことです。―エペソ 6:1-4,新口。
14 (イ)クリスチャンが花嫁金を支払うのは,どのような時に適当ですか。(ロ)しかし,両親が花嫁金の要求を止めるのは,なぜ賢明ですか。
14 クリスチャンは花嫁金を支払うべきですか。もし,それが普通一般に行われている習慣であり,花婿やその両親が,他の方法によつては,その求めている娘を得ることができないならば,花嫁金を支払うべきです。花嫁を得たいと欲する人の能力に従つて贈物がなされ,それが花嫁に対する感謝と愛情のしるし,として受け入れられるなら,極めて結構なことです。花嫁を盗む,というようなことは,あつてはなりません。それですから,もしあなたのクリスチャンとしての立場を納得させることができず,しかもいくらかの収入があるなら,自分の欲しているものを得る為に支払いなさい。それとも,無料で得なさい。品物を買う時には,普通にはこの世の値段を払います。花嫁金であるロボラが濫用されているといつても,それ自体が悪いわけではありません。全時間奉仕者であつたパウロは,彼の奉仕した会衆から生活の扶助をうける資格を有していました。しかし,彼はそれを受け入れず,また要求しなかつたのです。それは,自分の特権を濫用して,神の是認を失いたくなかつたからです。パウロは,ピリピの会衆から送られた贈物を受けとりました。(コリント前 9:6-18。ピリピ 4:15-18)パウロは,ローマの総督ペリクスに金を与えるのを拒絶しました。それは,賄賂を行いたいとは欲せず,公正な裁判によつて自由に釈放されることを欲したからです。(使行 24:26,27)そのようなわけで,クリスチャンの両親は,花嫁金または結納の要求を止める方が賢明です。それは,この世に倣うのを避けるためと,特権を濫用して霊的な問題をひき起さないためです。しかし,このことは,各人の良心によつて決められねばなりません。
15 (イ)クリスチャンであるアフリカ人は,花嫁金についてどのような見解を持つべきですか。(ロ)花嫁金の支払いがないという理由のために村の登記が拒否されるなら,どうすべきですか。
15 自分の娘にたいする花嫁金を要求する不信者に結婚しているクリスチャンの妻は,事態を思うままに処置することができません。しかし,その妻が夫に提案をすることはできます。花嫁金が支払われて結婚が行われた場合に,クリスチャンの花嫁は,その花嫁金が多かつたといつて誇りを感ずべきでなく,また少かつた,といつて恥ずかしく思うべきでありません。クリスチャンの妻は,自分の花嫁金は安いものでしたなどとほのめかして,他の人に恥ずかしい思をさせてはなりません。また,クリスチャンの夫は,自分の妻に恥ずかしい思をさせようとして,同様なことをしてはなりません。夫は妻を愛し,妻は夫を愛しなさい,という神のいましめに従わねばなりません。(エペソ 5:25,28-33。テトス 2:4)兄弟愛があるなら,愚かにも自分を他の者と比較してみるとか,あるいはお互いを嘲笑し合うことは,行われないでしよう。花嫁金の支払いなしに妻になる人の数は,花嫁金の支払いを受けて妻になつた人の数よりもずつと多くなつています。だからといつて,それらの多くの妻たちを非難してはなりません。アフリカ人が,ロボラである花嫁金の支払いなしに結婚を行つた場合,村の登記所では,花嫁金の支払いがない,という理由でその結婚を記録しなくても,その夫婦は心配すべきでありません。夫婦は,地方の会衆にその結婚を登記することができ,また登記すべきです。特に地方の会衆でそうすることが一番重要なものです。かくして,結婚した夫婦は新しい世の社会にあつて正い立場を保つことができます。
試験結婚は許されず,清い婚約
16 (イ)花嫁金に基づく結婚は,どの位続きますか。(ロ)その故に,花嫁の父親は,何をしてはなりませんか。しかし,どんな条件のときに,そうすることができますか。
16 両親が花嫁金を受領して,娘を嫁がせるとき,その結婚は永久のものとなります。花嫁が妻の義務を破つて姦婦にならないかぎり,その結婚が解消されるようなことはありません。たとえ,夫が花嫁に不満を感じて,花嫁を追出して父親のところに帰し,花嫁金を戻して貰いたい,と思つても,その理由だけでは結婚は解消しません。神の言葉の律法によると,娘を引取つて,花嫁金を戻しても,結婚は解消しません。それで,クリスチャンの父親は,ロボラを得るためにせよ,または花嫁金を一切求めない場合にせよ,娘を再婚させることは決してできないのです。もしそうするなら,娘に姦淫を犯させることになります。しかし,その間に彼女を追出した夫が再婚するか,或は他の婦人と性関係を持つか,または死んだ場合には,娘に姦淫を犯させることにはなりません。
17,18 (イ)花嫁金を全額払わない場合,何時の時になつて男は女と交接することができますか。(ロ)神の律法は,婚約している処女と,婚約していない処女の区別を,どのようにはつきり示しましたか。(ハ)処女を誘惑すると,どういう罰をうけますか,なぜですか。
17 若干の花嫁金,すなわち結納を送ると同意して,その一部を払い,そして将来の花嫁を自分のものにして性関係を結び,試験結婚をする,などということは許されません。満足しなかつたから,という理由で娘を実家に帰し,そして自分の払つた花嫁金の一部を戻して貰う,などということは神の律法によつて認められたものではないのです。花嫁金を支払い終るまでは,その娘と性関係を結ぶ権利はありません。男は,その娘と婚約しているだけであり,もしこの婚約期間中に娘と性関係を結ぶなら,娘を汚し,不道徳な淫行を犯すことになります。昔のイスラエルの場合,イスラエル人に婚約している娘は,そのイスラエル人に捧げられたものと見なされ,結婚している者と同じように取扱われたのです。彼女は,男と関係を結んだ婚約していない処女,とは,違つた取扱いをうけました。『人もし許婚あらざる処女を誘いてこれと寝たらば,必らずこれに贈物して妻となすべし。その父もしこれをその人に与うることを固く拒まば,処女にする贈物にてらして金を払うべし。』― 出エジプト 22:16,17。申命 22:28,29。
18 しかし,婚約している娘の場合は違います。『処女なる女すでに夫に適の約をなせる後,ある男これに邑の内に遇いてこれを犯さば,汝らその二人を邑の門に曳いだし石をもてこれを撃ちころすべし。是その女は邑の内にありながら叫ぶことをせざるに因り,またその男は(誰を?)その隣の妻を辱しめたるに因てなり。』(申命 22:23,24)それで,処女マリヤが,ヨセフとの婚約の期間中に,子を身籠つたとき,ヨセフはマリヤを秘かに離縁しようとしました。つまり,婚約していながら操を破つた処女として,マリヤが石撃ちされるのを防ごう,と思つたのです。(マタイ 1:18,19)メキシコやシンガポールでは,婚約中の女が不道徳な行をしたならば,結婚を解消することができます。男が処女を誘惑して,その処女を犯し,そして犯した男と結婚せねばならぬというような感じを娘に抱かせるのは,結婚についての清いクリスチャン的な行ではありません。犯した男は,クリスチャン会衆から除名されます。また,もしその処女が犯されることに進んで同意したならば,彼女もクリスチャン会衆から除名されます。
19,20 (イ)婚約者たちは,なぜ性関係を結んではなりませんか。このことについて,両親にはどん責任が課せられていますか。(ロ)淫行に対して,会衆のどんな処罰がなされますか。そのような者は,何時になつたら宗教的な結婚をすることができますか。
19 婚約の期間中に婚約している男と女が互に性関係を結ぶなら,これは不法な関係です。なぜなら,結婚は未だ合法のものになつておらず,二人は結婚の特権を全部持つ夫と妻と宣言されていないからです。婚約している二人の間だけの性行為である,といつても何の弁明にもなりません。それは道徳的に汚れた行であり,淫行だからです。それは,合法の許可なしに,勝手に或る事柄を為すものです。それは性欲にたいして節制の欠如していることです。それは,婚約している二人のふしだらな行であつて,御霊に逆う肉欲の業です。両親がこのことを許したり,または幇助してそのことの段取りをするなら,その両親は有罪であり,神権的な義務を果していません。婚約している二人が淫行を犯すなら,たとえその結果に女が妊娠しようと,しなかろうと,その二人を除名すべきです。また,淫行に賛成して,是認した両親をも除名すべきです。
20 会衆の結婚媒介者は,除名されているそのような汚れた婚約者たちの結婚の挙式をしません。不道徳を行つた婚約者たちは,次のことをして,始めて霊的に癒されます。すなわち,自分たちの罪を神と会衆の委員に告白して,悔改めたことを述べ,そして今後は二人の間に汚れた関係を結ばぬことによつて悔改めたことを証明しなければなりません。そして,会衆の委員の命ずる試験期間と要求に従うことも必要です。そうしてから,会衆の委員は初めてその両人に宗教的な結婚を許可します。
21 若い者たちを淫行から守るために,両親は何を許してはなりませんか。
21 そのようなわけで,15歳か16歳の娘を家からずつとはなれた場所に行くのを許したり,またはすすめたりして,職を得させ,そしてその娘の婚約者の近くに部屋を借りさせる,というのは,分別の無い両親の行です。同じく,1週間か2週間のあいだ青年と娘の二人だけの休暇旅行や,自転車旅行や,また天幕<キャンプ>旅行を両親が許すなら,その若い二人を淫行に誘つていることになります。休暇を楽しむ若い二人が,いつしよに天幕<キャンプ>旅行をするなら,誘惑を感じ往々にして淫行をなすからです。徒徒パウロは次のように言つています,『あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。』― テサロニケ前 5:22,新口。
22 どのような時に,主の外の者と結婚しようとする特別な誘惑が生じますか。しかし,どんな責任と罪をともないますか。
22 御子イエス・キリストに忠実に従う,ヱホバ神の献身した民の中の者同志で結婚せよ,と神は諭しています。この神の諭しの言葉に特別の注意を払つて,従うのは各人の義務です。結婚できる兄弟の数よりも娘の数がずつと多いところでは,娘をこの世の人々のところに嫁がせて,娘に夫を持たせたり,または,両親の重荷を軽くする,というような誘惑が生じます。またこれとは反対に,兄弟たちの数よりも結婚できる娘の数が少いところでは,神の律法や警告を無視して「主の外の者」,すなわち新世社会外の者と結婚し勝ちです。そのような事を行つたり,または他の者に手助けしてそのようなことをさせたりする人は,みな清い神権的な結婚を始められた神の御前で責任を取らねばなりません。そして,このような釣合わないくびきを共にすることから悪い結果が生ずるなら,それはその者の罪であります。
23 (イ)幸福で神権的な結婚を確かなものとするために,どんな段階を取らねばなりませんか。(ロ)結婚の婚約をするなら,それをどのように保つべきですか。
23 結婚という厳粛な取極めには,重要な事柄がたくさん結びついています。それで,各人は,自分の欲する配偶者の背景を十分に調査し,そして結婚を申し込んだり,または結婚の申込みを受諾するのは神権的であるか,また,幸福な結婚になるか,ということを決定しなければなりません。結婚の約束をするなら,道徳的に清い行を為すことによつて,婚約を清いものに保たねばなりません。かくして,イエスとその花嫁の場合のように,汚れのない配偶者として身を捧げることができます『しみも,しわも,そのたぐいのものがいつさいなく,清くて傷のない栄光に輝く会衆を御自分に迎えるためである。』― エペソ 5:27,新世。
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結婚式と要求ものみの塔 1956 | 12月15日
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結婚式と要求
1 イスラエル人の中では,どんな結婚の習慣が行われていましたか。
特にクリスチャンの為に書かれている聖書は,結婚の儀式については何の形式をも述べていません。しかし,聖書の示すところによると,両親や仲人が結婚を取極めた後,処女の娘の場合には1年ぐらいの婚約期間が設けられました。それから,結婚式の晩に花婿は花嫁の家に行つて,花嫁を新居に連れて来ました。二人が家に行く途中,よろこびに溢れる祝賀者たちが両人を取り囲んでいたのです。それで,結婚は,一般公共のものであり,人々はその結婚を認めました。そして,花嫁を家に連れてきてから,花婿の両親の準備した結婚の祝宴が開かれ,招かれた人はみなその祝宴に列席しました。結婚の夕食に招かれた人々は,幸福でした。花嫁は,愛人である婚約者を待たせてから,現われるということをしなかつたのです。彼女はいちばん美しく着飾つて,彼を待ちました。そして,彼女の父または後見人は彼女を,彼に与えたのです。―マタイ 1:24; 22:1-11; 25:1-10。ヨハネ 2:1-11; 3:29。マルコ 2:19。イザヤ 61:10; 62:5。黙示 19:7,8; 21:2,9-11。
2 結婚についてのどんな事実は,聖書の記録から分りますか。
2 最初のクリスチャンたちは,イエス御自身がユダヤ人であつたように,ユダヤ人すなわちイスラエル人であつた,ということを忘れてはなりません。それで,これらのユダヤ人のクリスチャンたちは,結婚の習慣や取極を以前のユダヤ教的な社会制度から新しいキリスト教的な制度に持ち越したことは,尤もなことと言えます。しかし,一つのことに注意して下さい。すなわちアブラハムの時代,以降,レビ人にせよ又は他の宗教的な奉仕をする者にせよ,祭司が結婚の儀式を執行うことはなかつたということです。しかし,結婚は有効であり,ヱホバ神より認められました。その結婚は,邑また村の記録所で登記せられ,その結婚によつて生まれる子供の誕生もそこで記録されました。マタイとルカは,イエスの二つの系図を,恐らくベツレヘムの町の記録から写したのでしよう。すると,有効なクリスチャンの結婚は,誰によつて挙行されるか,という質問が生じます。民事上の非宗教的な結婚は,宗教的な結婚と同じく有効なものですか。それとも,結婚は宗教儀式ですか。また宗教的な結婚だけが有効ですか。
3 イサクの結婚の行われた仕方について,聖書は何を示していますか。
3 結婚は,宗教儀式ではありません。それで,結婚の場合に宗教的な牧師やクリスチャン奉仕者の出席と挙式は必要でないのです。神の予言者であつたアブラハムは,自分の大家族に対しては神より認められた祭司でもありました。しかし,彼の年老いた僕がリベカをメソポタミアから,パレスチナのネゲブにいたイサクのところに連れて来たとき,アブラハムがその場に居合わせた,という記録はありません。イサクは,考えに耽けりながら一人で歩いていました。そのところへ僕はリベカを連れて行き,そして,どのようにリベカを見出したかをイサクに語つたのです。『イサク,リベカをその母サラの天幕に連至り,リベカを娶りて,その妻となし。』イサクがリベカを自分の妻にしたことについては,多くの人々がその証者になりました。すなわち,アブラハムの結婚代理者や,彼の『徒者等』や,またリベカの『乳母』や他の『童女』たちでした。(創世 24:2,54,59-61,66,67)今日の或る国々でも必要としないように,イサクは,結婚許可証というようなものを取り出しませんでした。神権制度の頭であり,イサクの父であるアブラハムは,その結婚を認可し,そして僕たちを導いたヱホバ神は,その結婚の手続きのすべての段階をみな指示したのです。それで,結婚の許可証は,イサクの場合に必要でありませんでした。しかし,イサクがリベカを娶つたことは,4人以上の人々に証され,アブラハムの神権的な制度の記録につけられ,そして,勿論今日の聖書の中に記録されています。終始,神の御意が求められ,そして認められましたが,それについての宗教的な儀式はひとつもなかつたのです。
4 (イ)結婚について,律法は何を記述しませんでしたか。(ロ)結婚はどんな種類の事柄であり,その結び合わせる性質は,どのように強調されましたか。
4 イサクの息子であるヤコブが,レア及びラケルと結婚したときにも,宗教的な儀式が行われた,という記録はありません。(創世 29:18-30)選民であるイスラエルに幾百という律法を与え給うたヱホバ神は,イスラエルの為に宗教的な結婚の儀式を規定したり,記述したりすることを,されなかつたのです。結婚を挙式する権利や義務は,アロンの祭司族やレビ人の宮の僕たちにすこしも委ねられませんでした。婚約の時から花嫁と花婿が父親の家で契を結ぶ時にいたるまで,結婚はみな個人的な家族の取極であり,(レビの支族でなければ,)祭司とかレビ人は介入しなかつたのです。結婚は,すべての人に告げられて,正しく証せられ,それから地方の記録所で登記せられました。このわけで,ローマ皇帝カイザル・アウグストのとき,ヨセフはベツレヘムで生まれたマリヤと共に,故郷の町に行き登記をしたのです。―ルカ 2:1-6。
5 カナの結婚のとき,イエスはどんな役割を果されただけですか。弟子たちの中の結婚について,イエスは,何をしませんでしたか。
5 ガリラヤ地方のカナで,イエスが最初の奇跡を行つたとき,彼は婚礼に招かれたときでした。しかし,挙式者として結婚式を行うために招待されたのではありません。彼はアロンの祭司族の者でもなければ,レビの支族にも属さず,宗教的な挙式者とは認められなかつたからです。彼は母親と弟子と共に,お客として招待されていました。その町は,むかし大工の仕事をしていたところに近かつたからです。イエスは,そこにいる時に結婚を潔めず,ただ出席者たちを楽しますために最上の葡萄酒を与えられただけです。(ヨハネ 2:1-11)12人の使徒たちや福音伝道者たちに与えたすべてのいましめの中で,イエスは結婚の挙式をせよ,などと告げもしなければ,命じてもいません。結婚の事柄は,ヱホバの民の中で取極めるものとされたのです。イエスは,結婚を宗教儀式 ― 使徒たちや,クリスチャン奉仕者だけの行うもので,その賛助を必要とするもの ― にしませんでした。
6 法律の要求する民事上の結婚についての聖書的な立場は何ですか。
6 宗教的な結婚は是非とも必要ですか。必要ではありません。民事上の結婚は,神の本である聖書によつて是認せられますか。是認されます。そして,このことに関しては,クリスチャンは「カイザルに属するものはカイザルに与え」ます。キリスト教国の多くの国々では,国家の任命した役人によつて取り行われる民事上の結婚は,許可されるものか又は絶対的に要求されています。それですから,民事上の結婚に社会的な非難や宗教的な非難をかけることは,間ちがいです。そして,最高の神は御自分の献身した民の民事上の結婚を認められ,二人はその結婚に結ばれたもの,と見なします。キリスト教国内にせよ,またはキリスト教国外にせよ,或る国々の政府はローマ・カトリックの牧師または他の認可されている宗教牧師の司会する結婚を認めます。これらの牧師たちは,政府からの認可を受けて,宗教的な建物や,または特定な登記所で結婚式を執行うことができます。これらの牧師だけでなく,ヱホバの証者の任命された奉仕者たちも結婚を挙式することが,承認せられており,認可されています。このような場合には,宗教的な挙式者は,国家の僕としての行をなし,結婚を公認するのです。それで,そのような結婚も有効なものであり,神の承認をうけます。認可されている宗教の宗教儀式によつて結婚した人が新世社会に来るとき,ヱホバの証者はそのような人の結婚は有効である,と認めます。ヱホバの証者の中に,権限を持つ奉仕者が居らないために,結婚の挙式ができない場合は,良心に従うヱホバの証者は任命された政府の役人のところに行き,国家の役人によつて,神の認める有効な結婚をいたします。
7 ローマ・カトリック教会は,民事上の結婚をどう見なしますか。それは,最近のどんな出来事で示されていますか。
7 政府が民事上の結婚だけを認可して要求し,かつ承認する国々があります。そのような国々では,ローマ・カトリック教会は民事上の結婚を有効なものと見なさず,カトリック信徒は,後日になつて牧師のなす宗教的な結婚式をしなければならない,と命ぜられています。例えば,カトリック信徒であるモナコの王候が,最近カトリック信徒であるハリウッドの映画女優と結婚したとき,ニューヨーク・タイムス紙(1956年4月20日)は,次のように報じました,『昨日,宮廷内において民事上の儀式で結婚した32歳の王候と26歳の花嫁は,モナコの司教,ギレス・バース閣下により,教会の承認の中に結ばれた。両人は,パリーの使節パオロ,マーレラ閣下を通して,伝えられたピオ12世の祝福を受けた。……彼女は最初に白い大理石の祭壇前の自分の場所に行つた。人々に仕えられるという主権者の権利には,習慣も歩を譲つた。王候は,すこし経つて後彼女に加わつた。』
8 民事上の結婚後に,花嫁と花婿の出席して行われる宗教的な集会には,どんな価値がありますか。
8 もちろん,民事上の結婚式が行われた後にされるローマ・カトリックの宗教的な結婚は,法律上の価値をすこしも持つていません。同じように,後になつて他のいかなる宗教制度のなす宗教的な儀式も,法律上の価値をすこしも持つていないのです。しかし,もしできうるなら,或はもし求められるなら,ヱホバの証者は花婿と花嫁の出席する宗教的な集会を後に開くことができます。この集会は,必要なものではなく,また結婚でもありません。そして,すでに行われた民事上の結婚になんらかの法律上の価値をつけ加えるために行われるものでもありません。新婚の夫婦に時機に適つた健全な聖書のいましめを与え,そして結婚の機会と義務についての助言を述べ,かつ地方の会衆にその結婚をはつきりと知らせ,出席しているすべての善意者たちにヱホバの結婚の取極について証をするために,その集会は開かれるのです。またこの時は,その結婚を会衆に登記し,その届けを会衆の記録の中に綴るのに良い機会です。
9 法律に従えば,新婚の夫婦には不便な遠い町で登記せねばならないようなとき,それについてどのような処置をすることができますか。
9 会衆の前でなされることは,『神の前』でなされることです。丁度むかしのイスラエルで裁き人または司の前でなされたことは,神の前でなされたことと同じでした。(出エジプト 21:6; 22:8,9,28)アフリカ人のクリスチャンたちが結婚する際に,結婚は町か村で行われます。しかし,遠い都市に所在している政府にその結婚を登記せねばならず,しかも新婚の夫婦がすぐにそのところに行くことが難しい,という場合はどうすべきですか。ヱホバの証者の御国会館で『結婚宣言書』を作成することができます。これは法律上の価値はなく,また民事上の登記を代用するものでありません。しかし,それは神の民の中では確かに認められるものです。それは新世社会の前に次のことを証示します,すなわち新婚の夫婦は,自分たちの結婚がたしかに効力を有しており,また都合のつく限りできるだけ早く民事法に従つて結婚を登記する必要を認めていることです。この『結婚宣言書』は,それから会衆の記録とものみの塔協会事務所の記録に綴じられます。そして,新婚の夫婦は民事上の登記をするまでの期間中でも,結婚関係に入ることができます。このようにして,国家の政府が結婚の記録を持たない期間中でも,協会は結婚の記録を持つことができます。しかし,しばらくして後に,協会はその僕たちを用いて,果して民事上の登記が正しく行われたか,そして結婚した両人は法律通りに行つたであろうか,ということを調べることができます。
10 (イ)部族の習慣に従つて結婚する者たちは,何をするのが適当ですか。(ロ)新しい世の社会に属する部族民には,どんな種類の結婚がすすめられていますか。そして,なぜですか。
10 部族の者が,御国の真理を知つて新世社会に入る以前に部族の習慣に従つて結婚していた場合,その結婚は有効であり,認められるものです。結婚をし直しすることは必要でありません。しかし,政府に民事上の登記がなされていないなら,結婚宣言書に署名することによつて,その部族結婚を新世社会内の記録に綴じることは適当です。しかし,特定な国では,そのような部族民が国家の民事法に従つて,結婚をし直すときに,夫や家族の者は大きな恩典をうけることがあります。まだ結婚していない部族民で新世社会の一部になる人々には,民事上の結婚をすすめます。なぜなら,その結婚には大きな恩典がともない,そして法律からの大きな保護をうけるからです。それで,夫が死んだ後にも,妻や子供たちには生活の保障がなされるのです。以前に異教の者であつたものが,異教の習慣に従つて結婚することは,たしかに後戻りした行であり,もしそれに非聖書的な異教の儀式が結びついているなら,それはこの世と妥協していることになり,信仰を否定するものです。それですから,除名されるでしよう。
11,12 (イ)真理に入つた後でも,なぜ花嫁金結婚をし直す必要はありませんか。(ロ)会衆は,民事上の結婚をすることにたいしてどのような援助をさしのべることができますか。(ハ)御祝品,招待,結婚式,祝宴について,理性と神権的な規則は何を必要とせしめますか。
11 クリスチャンになる以前に,結納結婚,つまり花嫁金結婚をした者も,莫大な費用をかけて結婚をし直す必要はありません。真理に入つて神に献身をしても,以前の結納結婚が無効になるわけではなく,また,部族の風習に従つて結婚した者や,その結婚を続けている者たちが,淫行者になるわけではありません。結婚をするときの費用を軽減させるために,新世社会の要求する記録は無料で作成されて保管されます。もし会衆内の人が結婚する際,その民事上の登記費用を会衆が支払う,または,その費用を補助する,ということは極めて実際的なことです。しかし,このことは,よろこんでその費用を負担したいと欲する人々が為すべき事柄です。『御祝品』を与える,つまり,結婚後に使用したり楽しんだりするための沢山の贈物を集めて花嫁に与えることは,会衆内の人に決して強いるべき事柄ではありません。『御祝品』は,個人的な事柄であつて,それをするかどうかは各人の自由に任さねばならないのです。
12 『御祝品』や結婚の発表は,個人的にします。御国会館の演壇からしたり,御国会館内の他の告知によつてしてはなりません。結婚式やその後の祝宴に,印刷した正式な招待状を送るときには,十分の考慮を払うことが必要です。親しい知己でない人々,或は一寸話し合うだけの知己という人々,または遠くにいる人々は,結婚式の招待状を受け取つても,それに応ずるのが難しい,と感ずるでしよう。そして,結婚招待状を送られたために,なにか強制的なものを感じて不快に思うかもしれません。結婚式は,集会とか他の奉仕の取極めの邪魔にならない時は,御国会館で開くことができます。結婚式の後の祝宴は,御国会館でしてはなりません。それは御国会館を宴楽の場所にしてしまうからです。
13 結婚式のときに,どのような衣服を着なければなりませんか。指環が用いられなくても,なぜ恥ずかしいことでありませんか。
13 民事上の結婚をするのに,豪華な衣服を着る必要はありません。大切な事柄は,適当な衣服をキチンと着ることです。そして,クリスチャンとして,愛,謙譲,従順,信実という霊的な衣服を着けるべきです。結婚の指環の使用は,習慣のものでなく,また自分の財力では買えない場合がありましよう。結婚の状態は,どの場所であつても結婚の指環では象徴されません。指環は,結婚式の大切な要素ではないのです。結婚の指環を与えないから,といつて,恥ずかしく思うことはありません。婦人が結婚している者であることを示し,そして情欲を抱く人に,そのことを知らせるのに結婚の指環が用いられているところでも,或る良心的な人々は結婚式の際に指環を用いません。それは,キリスト教国内で習慣的に行われている結婚指環の異教的な起源を考えるからです。或る場所では,婦人が結婚しているということは,その婦人の着ている衣服の様式や,衣服に何か新しいものをつけることによつて示されます。地方によつては,これは指環と同じぐらいに効果的であり,実際のところ指環よりも人目につきやすいものです。もし真実のきずながないなら,又は結婚のきずなが尊敬されないならば,結婚の指環は何の役にも立ちません。情欲に燃える婦人は,指環をしていても姦淫を犯すでしよう。それで,結婚式のときに指環を用いるかどうかは,良心に従い,また地方の習慣を考慮して各人の決定によるのです。
14 (イ)一夫多妻の人は,真理に入るとき何をしなければなりませんか。(ロ)一夫多妻が合法なことで,習慣になつているところで,多くの妻を持つ夫に結婚している女が真理を受けいれるとき,その女は何をしなければなりませんか。
14 一夫多妻についての国家の政府あるいは部族の政府の規定がどのようなものでも神の言葉は,クリスチャンの一夫多妻を禁じています。クリスチャンの男は,多くの妻を持つてはならず,クリスチャンの女は多くの夫を持つてはなりません。もし多くの妻を持つ者が新世社会に入ることを欲し,キリストを通して神に献身したいなら,結納またはロボラなる花嫁金で得た妻たちのひとりだけを持つことができます。そして他の妻たちを去らせて実家に帰さねばなりません。それは,祭司エズラとユダヤ人の総督ネヘミヤが,異邦人と結婚して神の律法を破つたイスラエル人に行わせた仕方です。(エズラ 10:1-44。ネヘミヤ 13:23-31)一夫多妻が法律でも認められ,また習慣に行われているところで,真理を受け入れた婦人が,多くの妻を持つ夫に結婚している場合,その婦人はどうすべきですか。その婦人は,自分の取ろうと決定した段階や,また神の証者クリスチャンとして自分に課せられる神への義務を夫に説明しなければなりません。それから,自分の取つた立場についての結果を引受けねばなりません。多くの妻を持つ男が彼女を両親のところか後見人のところに帰して,彼女の為に払つた花嫁金の返還を要求し,そして彼女を自由にさせるようにしなさい。神の律法によると,多くの妻を持つ男と関係を結ぶことは,淫行であつて結婚ではない,と述べられています。この関係を続けるならば,その婦人は集会に出席して神の言葉の真理を他の人に語ることができても,洗礼をうけることは禁ぜられます。
合意結婚と不文法結婚
15,16 (イ)不文法結婚とは何ですか。合意結婚とは何ですか。(ロ)どんな環境や考え方の為に,多くの人はそのような状態に生活していますか。
15 このことから,不文法結婚の問題が生じます。それは,不文法(民事法や教会法ではない)に従う結婚で,合法の民事上の儀式や宗教的な儀式のない結婚です。つまり,男と女が秘かに夫と妻の関係で生活しよう,と決定したものであつて,合意の結婚です。そのような場合には,結納もなければ花嫁金というものもありません。教会法の支配下にあつて,合意結婚が正式に認められない場所では,そのような同意の取極をする男女が合法の結婚を欲しても,儀式を司会する牧師の要求する結婚手数料が高過ぎる為,二人には払えない場合がしばしばあるのです。二人は,非常に貧乏だからです。また,実際には存在していない出生証明証を提出する,というような合法上の必要な手続きが,できない場合があります。或は,国家の政府が,如何なる事情であろうとも,合法の離婚を一切認めぬ場合があります。また,聖書的な理由に基く正しい離婚をすることが,極めて多くの費用を要し,しかも長びくことがあります。それで,離婚せずに再婚を欲する人は,異性の相手と秘かに関係を結び,夫婦の生活をします。これは,結婚をしない同棲です。しかし,多くの場合は,女を低い地位に保つて男に依存せしめるために,男は合意結婚をします。女が男の準備する家に居て男の扶助を欲するならば,女はその男に操を立てなければなりません。しかし,男は自分に対する女の節操を欲していながら,常に扶助しようとは欲しません。結婚をしていないため,法律的には彼女と結ばれていません。それで,男は自分の好きな時なら何時でも,この合意して配偶者になつた女と子供たちを捨てて,別の女とそのような生活をすることができます。このわけで,女は自分と子供たちの保護を得る為に,合法の結婚を欲します。しかし,男は利己的に振舞つて,合法の結婚を拒絶します。
16 大戦後,多くの人々は結婚せずに同棲していますが,その理由はこうです。婦人は戦争未亡人とかその他の名目で政府から手当を受取つていますが,もし再婚するならその手当が貰えなくなります。それで,その婦人と男は,政府の手当を受けるため結婚せずに同棲しようと決定します。そして,この同棲によつてできる私生児は,ごまかしを続けるため男を『父』と呼ばず『叔父』と呼ぶように教えこまれます。
17 (イ)不文法の結婚は,しばしばどのように始まりますか。なぜこれは悪いのですか。(ロ)不文法結婚のひとつの結果は何ですか。これらは,或る国々でどのように合法化されていますか。
17 多くの場合,結婚するという口約束だけを聞いて,娘が男に身を任すために合意結婚が始まります。娘と関係を結んだ後に,男は娘と同棲しますが,法律上の手続きはしないのです。結婚の約束だけで交接を始めるのは,聖書的に見て正しくありません。許婚者同志でも,その婚約期間中は交接をしてならない,と聖書は命じています。二人が果して旨く暮して行けるかどうかを試す非合法の試験結婚は,正しいものでありません。神の律法は,試験結婚を明白な淫行,不道徳と述べています。或る州では,不文法結婚を認めているため,それは法律上の義務を持つ真実の結婚になつています。しかし,不文法婚を認めない多くの州や国(カトリックの国々でも)も,同意結婚については何もしていません。その結果,同意結婚は多くの国々で広く行われ,たいていの場所では当然至極なものと考えられています。そして,多くの私生児が生まれています。或る国では55パーセントの子供たちが私生児で,別の国では80パーセントの子供たちが私生児です。或る国々では,同意結婚をしている男女が,最少限の年月を同棲するか,または子供が一人生まれた後になると,二人は合法の民事上の結婚あるいは宗教的な結婚をした者の資格を持ちます。法廷は,その合意結婚を自動的に合法の結婚と裁定します。同意結婚者の片方または両人が願い出るならば,『事実上の』結婚は政府に登記されるでしよう。
18 私たちは,不文法結婚をしている者に証言せねばなりませんが,どんな聖句はそのことを示していますか。
18 新しい世の社会は,同意結婚や不文法結婚を全きものと認めません。といつて,そのような結婚生活している者に真理を伝道しない,という意味ではありません。サマリヤのスカルの町にあるヤコブの泉のところで,イエスは一人のサマリヤの女と話をされました。その女には夫が5人までいて,その時関係を持つていた男は,彼女の夫でなかつたのです。イエスはこの女に救を伝道され,そして自分は約束されていたメシヤなるキリストである,とさえ告げました。(ヨハネ 4:4-30)もし,真理を不道徳な者に伝道してはならない,というのであるなら,パウロが淫行者,姦淫を為す者,男色をする者は神の御国にふさわしくない,と言つて後に,忠実なクリスチャンたちに向つて『あなた方の中には,以前はそんな人もいた』などと述べることは,できなかつたはずでしよう。―コリント前 6:9-11,新口。
19 新しい世の社会は,不文法の結婚と合意の結婚について,その成員に何を要求していますか。
19 新しい世の社会に入つている人は,ひとりとして同意結婚または不文法結婚を行うことが許されません。御国の音信を聞いたときに,すでにそのような状態にあつた人々は,適当な合法の儀式を行つてその結婚を合法なものとしなければなりません。そうしてから,はじめて神に対する献身を象徴する水の洗礼を受けることができます。それで,結婚を登記して法律上の認可をうけることにより,結婚の法律上の義務を明白に認めねばなりません。同時に法律の保護や他の恩恵を受けるようになります。子供たちの出生を法律的に認証し,そして自分たちがその両親であることを認めねばなりません。そのとき,新しい世の社会もこの合法の結婚についての記録をつくり,保管します。聖書にこう書かれています,『兄弟たちよ。各自は,その召されたままの状態で,神のみまえにいるべきである。』(コリント前 7:24,新口)しかし,汚れたままの状態では,神のみまえにいることができません。
20 (イ)どんな条件の下に合意の結婚は認められますか。このため,その女にはどんな義務が課せられますか。(ロ)どんな環境にいるときに,女は一時的な合意結婚している夫と関係を結ぶことを拒絶しますか。
20 仮に,同意結婚している妻が真理をうけ入れて,その結婚を合法なものにし,登記しようと欲しますが,男は利己的な理由からそれを絶対に承諾しない,という場合はどうでしようか。新しい世の社会は,その結婚を『事実上』のもの,と認めますが,しかし,それには次の条件をともないます。すなわち,この無力な婦人は,夫に対するように同意結婚している男にも操を守り,そして結婚を合法なものにすることを男に承諾させるなら,すぐにそれを行うと約束し,かつそのことを記す書類に署名しなければなりません。それで,この婦人は自分から男と離れて,この『事実上』の結婚を解消することができないのです。彼女の『事実上』の結婚をこのように一時的に認めるにしても,その婦人に法律上の恩恵が与えられるわけではありません。この婦人には,霊的な恩恵が与えられて,神に対する彼女の献身は,神に認められます。そして水の洗礼を受けて会衆の一員となり,御国の音信を伝道する特権に与ることができます。使徒ペテロが妻たちにすすめているごとく,彼女も男を真理に導いて,その事実上の結婚を合法なものとし,登記させるように努めるでしよう。夫婦は,自分たちの住んでいる社会に対して,その結婚を登記せねばならぬ,という義務を負つています。そして,社会全部と自分たちの所属する政府の前にあつて,二人が法律による夫と妻である,と発表しなければなりません。自分の妻を愛する人は,誇りをもつてその結婚を合法なものとし,登記するでしよう。同意結婚している夫が結婚を合法なものとせず,またその婦人が夫の扶助に依存せず,それに神の会衆の前で自分が彼に結ばれた妻である,と言明したくないなら,その男に向い,離れて頂きたい,と言わねばなりません。そして,今後はその男とすこしの関係をも持つてはならず,合法の結婚をするまで独身でいなければなりません。法律によつて不文法の結婚が認められている国や州では,結婚配偶者の片方または両方のなす合法の手段によつてのみ,この結婚を廃棄することができます。
21,22 (イ)二人の妻と合意結婚している男は,真理を受けいれるとき何をしなければなりませんか。(ロ)ひとりの女,または両方の女が真理を受けいれるとき,その責任は何ですか。
21 カトリックの支配している多くの国々では,一人の男が二人かまたはそれ以上の女と合意結婚を同時に行つています。すると,女二人が神の御国の音信を受けいれたり,また男も音信をうけ入れる,という場合が生じます。或は男は音信を受けいれないかもしれません。それらの人の献身は神に認められるものでしようか。また,献身の象徴である水の洗礼を受けることができるでしようか。もし男が真理を受けいれるなら,二人またはそれ以上の女のうちの一人を選んで自分の妻となし,その女と合法的な結婚をして,今後は他の女と関係を結んではなりません。もし男が真理をうけいれないならば,二人の女が事柄を決定します。両人が一人の男と関係を続けて,淫行を支持してはなりません。二人の女の中の一人は,その男の妻になるよう取極め,その男をして結婚を合法なものにさせなければなりません。または,結婚が合法になるまで,自分はその男の妻としてその男に結ばれている,と会衆の前で宣言することが必要です。別の女はこの取極めを認めて,今後はその男と関係を結んではならないのです。もしこのようにならないなら,そして特にこの男が他の女と合意結婚をしているなら,両方の女はこの男と関係を持つてはなりません。一夫多妻の男に妻の分を与えることはできません。
22 結婚の諸問題についての研究や,独身についての聖書的な見解は,次号の『ものみの塔』に記されています。
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男の正しい地位ものみの塔 1956 | 12月15日
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男の正しい地位
最初の男であるアダムが家族の首としての正しい地位を守らず,妻の声に従つたときに,人間種族の問題が始まりました。父親が家族の首としての正しい地位を保たないため人類の問題は今でも続いています。ワシントンの一精神病医師は最近そう語りました。1956年3月14日のニューヨーク・タイムス紙の報ずるところによると,ジョン・アール・キャバナ博士は,父親たちに,家族の首としての『正しい地位』を『再び持つ』よう呼びかけました。『男子は,神と自然より委ねられたこの責任を受け取らねばならない。』と,同博士は語りました。また,こうも述べていました,すなわち,多くの妻は,決定をつくる際に援助を必要としている,というのです。『この時代の不適格で,従属的な男子』たちは,そのような決定をつくることもできなければ,つくろうともしないのです。その精神病医師は,今日の多数の家族が陥つている難しい状況を次のように述べていました,『男が家庭内における自分の責任を棄てたとき,無理やりに妻をして指導者の地位につけてしまつた。妻には,そのような地位は合わないのである。同時に,男の子供たちには両親の監督がなされなくなつた。』
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