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  • あなたの結婚には神が関係していますか
    目ざめよ! 1972 | 5月22日
    • というのは,結婚関係に神が加えられるからです。―エペソ 4:32。ガラテヤ 5:22,23。

      結婚関係を律する神の原則

      結婚の創始者であられる神は,結婚が大きな祝福となり,多くの幸福をもたらすものとなるよう意図されました。しかしそれは,神がお定めになった,結婚にかんする規則を守ることによって初めて実現します。その規則とは配偶者おのおのが,自分の役割を果たすことを意味します。

      夫の役割は,愛あるかしらとしての権を行使することです。「女[妻]の頭は男なり」とあります。(コリント前 11:3)家族は小さな組織です。どんな組織でも,それが存続し,その目的を達成するには,かしらがいなければなりません。円熟した男子は,知的にも,肉体的にも,感情的にも,また生物学的にも,家族を指導するのに適しています。

      しかしこれは決して,利己的で気ままな独裁者になる権限を夫に与えるものではありません。絶対にそうではないのです。それは神をないがしろにすることです。というのは,神は次のように戒めておられるからです。「夫たる者よ。キリストの〔会衆〕を愛し,これがために己を捨て給ひしごとく汝らも妻を愛せよ。……かくのごとく夫はその妻を己のからだのごとく愛すべし,妻を愛するは己を愛するなり。己の身を憎む者はかつてあることなし,皆これを育て養ふ」。無私の愛の最も偉大な模範のひとつは,夫たる者が従うべきキリストのそれです。―エペソ 5:25-29。

      この夫のかしらの権にかんする問題は,旧式で時代おくれな考えとして一蹴するわけにはいきません。かしらの権は,神の定めにしたがって男子が受け継ぐ権利なのです。

      なかには,家庭の運営方法にかんして家族の者すべてに賛否を表示させ,家庭を民主的に運営したいと考える人もいます。しかしそれは決して創造者の定めたやりかたではありません。アメリカの一流の教育家のひとりエルトン・トルーブラッドは,「聖書の創造の物語に示されているとおりに男のかしらの権が結婚当事者双方によって全面的に受けいれられるときにのみ,男子の真の威厳のみならず,女子の威厳もその真価が認められるのである」と述べています。―「家族生活の回復」89ページ。

      さらに要点をついているのは,五大陸の結婚問題を研究してきたデイビッドとベラ・メイスaの次のことばです。

      「すべての人を同等の人間として扱うことはできない。なぜなら,実際に同等ではないからである。社会人としては男女は同等かもしれないが,夫とし妻として,結婚生活における男性,また女性の役割を果たすにさいしては,男と女は異なっており,互いに補足し合うものである。ここで男女を同等と考えるのは無意味である。親子はどう見ても同等ではない。なぜなら,子どもは自分の身の安全を確保してくれる保護者としての親の権威を必要とし,それなくしてはおとなへの健全な成長は困難だからである。

      「したがって西洋では,家族の中の夫の権威をくつがえすことによって夫を害するばかりか,他のすべての者をも害するという事態が生じはじめているのである。もし夫から男性の役割を取り上げるなら,妻は女性の役割を果たすことはできない。

      「西洋では,夫婦の互恵的な相互作用の型がくずれているゆえに,さまざまな結婚問題が生じている。もし夫が指導者および首唱者としての役割をもはや果たすことができないとすれば,それに呼応する妻の働きはまひしてしまう」―「結婚・東と西」(1960年)297ページ。

      これらの識者は,聖書が夫に付与しているかしらの役割を支持することにより,聖書が妻に付与している役割をも支持しています。その役割は生物学的にいっても健全なものなのです。神から与えられた母親としての役割は,確かに報いが大きい一方,それ相当の代価を要求します。毎月の生理的変化,妊娠,出産,育児,子どもの世話などはすべて,母親が身の安全を保証されていなければならないことを強調するものですが,そうした身の安全を図るのは夫です。子どもの(感情的,精神的,肉体的な)必要をすべて正しく満たしてやるには,男性の積極的な性質とは正反対の,きわめて優しい,こまやかな,女性的性質が要求されます。

      妻は,夫であり父親である男子に従うべき者,と定められたのは,確かに創造者の知恵と愛の表われです。実際に夫は,妻が自分に従順であって初めて,妻を自分自身のからだのように愛せるのです。自分のからだは自分に従順だからです。だからこそ聖書は,「妻たる者よ,主に服ふごとく己の夫に服へ」,また,「妻も亦その夫を敬ふべし」と命じているのです。夫と妻が,神の定められた役割を果たすことによって,結婚のきずなは強化されます。―エペソ 5:22-33。

      男と競争し,男の占めるべき地位を占め,男の果たすべき役割を果たす女は,実際には自分に不利なことをしているのです。そういう人は,自分が女性であることを自分で否定しているのです。なるほど男は生来導く者であり,積極的な性質をしています。しかし愛のある夫や父親の場合,その性質は自分の妻子をしあわせにするために用いられるのではないでしょうか。ですから,ニューヨーク市に住む,ある有名な女流精神分析家である作家は,婦人たちとの結婚問題にかんする討論で,とりわけ,「妻は,夫の莫大なエネルギーと気力に対し,日々神に感謝することを学ばねばならない」と述べました。

      また,結婚のきずなを強化するのは,神が聖書の中で,結婚関係の親密な面について述べておられる事柄です。つまり,夫も妻も,自分のからだを自分ひとりで支配することはできず,夫婦は互いに性の基本的必要を満たすために,相手のからだを要求する権利を持っているということです。(コリント前 7:3-7)夫婦はまた,性的関心を互いの間だけに限るよう戒められています。離婚して再婚の権利をもてる唯一の理由は,配偶者の不貞です。―マタイ 19:4-6,9。

      神とともに歩む

      結婚のきずなを強めるために,結婚関係に神を加える方法がもうひとつあります。それは夫と妻の両方が『神とともに歩む』ことです。(ミカ 6:8)それはどういう意味ですか。それは神と有意義な関係をもつということです。その関係は,知恵と力を常に神に求め,とくに祈りをしばしばささげ,神に語りかけることによって示されます。それはまた,「見えざる者を見るがごとく耐ふる事を」したモーセのようであるという意味であり,また『何ごとも思いわずらわず,ただことごとに祈りをし,願いをし,感謝して自分の求めを神に告げる』ということです。―ヘブル 11:27。ピリピ 4:6。

      たしかに『二人は一人にまさり……二人が倒れたら,一人がその伴侶を助け起こし』ます。しかしそれよりもさらに良いのは「三根の縄」です。三根の縄は『たやすく切れない』からです。結婚のきずなを三根の縄のように強くし,そして結婚生活を幸福にするのに,何よりも,まただれよりも助けになるのは,神を結婚のきずなの3本目の縄とすることです。―伝道 4:9-12。

  • 何に関心がありましたか
    目ざめよ! 1972 | 5月22日
    • 何に関心がありましたか

      ● フロリダ,フォート・ピアスの一婦人はエホバの証人の一人に,彼女の夫はもう決して教会に行かないと語った。その理由を彼女はこう説明した。ある日牧師が二人の家を訪問した。そして医療費の支払いで教会に寄付ができないことを知ると,牧師は「寄付ができる余裕ができたら,教会で会いましょう」と言って帰ってしまった。

      エホバ神の忠実な奉仕者使徒パウロとはなんというちがいだろう。人々に対するパウロの主要な関心事はその霊的福祉であった。―エペソ 1:15-19。

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