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若い時にも年老いた時にもエホバに奉仕するものみの塔 1971 | 9月15日
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に細分されました。各巡回区は一群の会衆からなり,巡回のしもべはその各を定期的に訪問することになりました。
1949年,ノア会長は今度は秘書のミルトン・ヘンシェルを伴って再びアルゼンチンを訪れました。わたしたちはブエノスアイレスの中心にある施設で大会を開くことを計画しましたが,僧職者の影響を受けた当局はそれを許可してくれませんでした。それで協会が所有している自分たちの会館で大会を開くことにしました。警察はまたしても干渉して大会会場を閉鎖し,ノア会長を含む約400名のエホバの証人を数時間にわたって監禁しました。他に何度も経験したことですが,その時にもわたしは証人のわざを説明するため警察署に連行されました。僧職者が思いどおりにふるまっていたなら,わたしたちはもっと激しい迫害の犠牲になっていたかもしれません。しかし,エホバの真理のために苦しみを受けるのはいつも喜びでした。
祝福を感謝する
エホバの証人のひとりとしての歩みを通して,わたしは王国のわざの発展と,ほかならぬ王国の良いたよりを広める目的で神が人類の中に存在させておられる組織の拡大を見る大きな喜びを味わいました。わたしはここアルゼンチンに王国伝道者がわずか20人だったころを覚えていますが,現在では1万8,700名を上回るエホバの証人が一致して奉仕しているのです。またわたしは1953年,1958年,そしてつい最近には1963年と,ニューヨークで開かれた三つの国際大会に出席しました。そうした特別の祝福に対しエホバ神に深く感謝しています。
ブエノスアイレスにあるこの美しくここちよいベテルに住み,多くの仲間の証人たちとともに今なお楽しく奉仕できることもわたしにとっては大きな特権です。今や80歳を越え,しかも短期間に手術を3回受けたため,昔ほど体力のないことは確かです。しかし,エホバの過分のご親切により,引き続き全力を尽くして奉仕する喜びを得ています。わたしは今でも週中の朝はいつも食卓に着き,ベテルの家族が毎日行なう聖書からの貴重な聖句の討議に参加できます。
わたしのせつなる願いは,わたしがこれまで望んできた天的な相続権をエホバが与えてくださるまで,エホバのご援助によってその奉仕を完遂することです。わたしは若くしてエホバの奉仕を始めましたが,今は老齢になりました。長い経験ゆえに,わたしが円熟したクリスチャンの助言を与えることのできる者とされるなら,老若を問わず,エホバの組織内のすべての人々に,愛とあわれみに富む神に献身した時に自分が選んだ道を忠実に歩み続けられるようお勧めします。わたしが王国の活動に携わった全期間を通して祝福を受けたように,神の好意によってもたらされる平和と満足をみなさんも楽しむことができるのです。
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夫婦げんかものみの塔 1971 | 9月15日
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夫婦げんか
● 結婚は神の取り決めによる制度であるにもかかわらず,敬けんとはとてもいいがたい結婚が少なくありません。(創世 2:18-24)聖書中に述べられている,クリスチャンの生活に関する義にかなった原則を適用しないために,けんかや不和の絶えない結婚生活が生まれるのです。
オランダに住むあるエホバの証人はそうした問題を持つ一組の夫婦を知っていました。その夫婦は彼と同じアパートの上の階に住んでいました。ふたりは毎週毎週“猛烈”なけんかをしました。激高するとよく皿を投げ合うので,ときどきコーヒーセットやディナーセットを買い直さねばなりませんでした。さらにこの夫婦には,けんかの直前とか直後の緊張した時に,ま夜中でも自分たちのへやに電気掃除器をかけるくせがありました。
しかし,ふたりはたいへん優しく親切な時もありました。クリスマスの時期,クリスマス・ツリーを買いに出かけようとしていたその夫は,階下の証人にあなたのツリーも買ってきてあげましょうかと言いました。その機会を利用して,エホバの証人の奉仕者は上の部屋の隣人と聖書について話し合いました。「とこしえの命に導く真理」と題する本を用いて,神のことばの定期的な家庭聖書研究が始まりました。その本の中の「幸福な家庭生活を築く」と題する章は特に適切でした。なぜならそこには神のことばのすぐれた原則が説明されており,それに従うとき夫婦には真の幸福と平和がもたらされるからです。わずかな期間で,この夫婦げんかは終わりを告げ,夜中に電気掃除器をかけることもやみました。現在,この夫と妻はともにバプテスマを受け,神の奉仕者として一致し,幸福を味わっています。あなたも夫婦げんかで悩まされておられるなら,同じ解決策を試みてはいかがですか。どうすれば人間が結婚の取り決めに平和と喜びを見いだせるかを最もよく知っておられるかたが結婚の創始者であるのは当然ではありませんか。
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