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聖書は家族生活を向上させるものみの塔 1969 | 11月1日
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「どんな面で聖書はあなたの家族生活を向上させたと思いますか」。
家族生活における一致と暖かさ
「いまはもうすっかり変わったと言えます。エホバの証人になる前,わたしは妻のサラを家庭の必需品くらいに考え,彼女が果たすすばらしい役割に気づきませんでした。白状しますと,わたしは彼女を,子供を産んでくれる使用人程度に見ていました。妻に思いやりを示さず,また妻の骨折りや,妻が子供の世話をしてくれることに対して何の感謝も表わさなかったことを思うと,いまさらながら恥ずかしくなります。コロサイ書 3章19節の聖書の助言にわたしは大変教えられました。その聖句は夫に対し,『妻を愛しつづけなさい』とさとしていますね」。
「サムエルさん,あなたは家族生活がすっかり変わったと言いましたね。以前はどんな生活をしていたのかもう少し話してくれませんか」。
「そうですね。妻の父親にロボラ(花嫁金)を渡して妻を手に入れてから,わたしは,これで彼女もわたしのために働く者になったと考えました。われわれ男は自分を妻よりすぐれていると思っていましたから,妻と一緒にすわって食事をすることはありませんでした。また何事か話し合うときにも,妻の同席を許さないのが普通でした。妻は夫に先に食事を出し,それから別の場所で子供と一緒に食事をするのが習慣でした。子どものしつけも妻の仕事でした」。
「でもけさは,あなたとサラさんと子供さんたちが一緒にいてすばらしいですね。サラさん,あなたはまだ何も話してくれませんね。聖書があなたの家族の生活を改善したことについてどう感じますか」。
彼女は考え考えゆっくりと答えてくれました。「聖書のために,わたしたちの家族生活は多くの面で向上しました。一生懸命に働かねばならないのは前と同じですが,以前よりずっと働きがいがあります。わたしたちは今心から愛し合っています。そのために,使徒パウロがコロサイ書 3章14節で言ったとおり,家族の中に強い一致のきずなが生まれました。いまはほんとうに幸福です」。
「サムエルさん,あなたはさきほど,子供をしつける責任を妻にゆだねていた,と言いましたね。家族生活のこの面であなたを変えたのはなんでしたか」。
「わたしは以前,子供のしつけを家族生活の大切な部分とは考えなかったのです。長女のマリアは10歳にもならぬうちから,弟や妹の世話やしつけをほとんどまかされていたかたちでした。そのころわたしは,子供に会うことがあまりありませんでした。子供たちがどうしているか気にもとめず,病気でなければそれでいいと考えていました。時間がなかったというか,まあ結局,子供と時をすごしてくつろぐことを望んでいなかったのですね。仕事のないときには近くに住む男たちのところへ遊びに行って,自家製ビールをあおったものです。この酒宴には妻も時々参加しましたが,そういう時には子供たちはひとりで家にいました。そのような酒宴では,夜がふけてからけんかが始まり,たいへんあと味の悪い思いをしたこともあります」。
「ごめんなさい,サムエルさん。わたしたちの質問が昔のことを思い出させ,いやな気持ちにさせたら許してください。でもわたしたちがもっと聞きたいのは,何があなたにこうした変化をさせたか,ということです」。
「それはもうはばかることなく言えます。聖書の真理について明確な理解を得たためです。わたくしたちは,エホバがご自分の道とお目的を学べるようにしてくださったことを心から感謝しています。わたしたちの家族生活になによりも大きな変化を起こさせたのは,家族のかしらにかんする聖書の真理でした。エペソ書 5章28節,6章4節にしるされている聖書の原則をわたしははっきり教えられ,自分が家族に対し,それまで考えていたより多くの責任を負っていることを悟りました。妻や子供にもっと関心をもたねばならないことも明白でした。そのことを実行しはじめてから,わたしは家族生活が以前より楽しくなったことに気づきました。わたしたちはいま共通するものをたくさんもっています。子供たちはわたしが関心を示したのでたいへん喜びました。これは,わたしが神のことばに従うように進んで必要な調整を行なったことに対して神が祝福してくださったものだと思います。
「また妻も,わたしが子供を導き,必要な懲らしめを与えるという神から与えられた責任を果たすのを,実によく助けてくれました。さきほどお話ししたとおり,わたしは近所の男たちと話したり酒盛りをすることに多くの時間を費やすのが常でしたが,それもいまでは過去のことになりました。もの足りないと思うことはひとつもありません。この家族生活の向上は,家族と楽しみ,くつろぐ時間も与えてくれました。いまわたしはかつての自分がどれだけ多くのものを得そこなっていたかをよく理解できます」。
「あなたが,ご自分の生活に生じた変化について話して下さったことをわたしたちは大変楽しく聞きました。しかしもうひとつお聞きしたいことがあるのですが。わたしたちは村やその周囲の畑の中を通ってきましたが,家の回りにも,畑の中にも,働き盛りの男の人が目につきませんでした。そういう人たちはどこにいるのですか」。
「この村のほとんどの男は町や都会に出て働いています。いなかで働くよりも都会で働くほうがずっとお金になるからです。けれども,聖書の原則を学んで家族の大切さがわかってくると,霊的にもっと平衡がとれてきます。わたしたちの会衆でも,数人が家を離れて働いていました。しかしその仕事をやめてもどり,ここに住むようになってから,霊的にずっと強くなり,家族生活も大きく向上しました。そのためには彼らはエホバにより頼んで実によく努力しました。しかし彼らはそうした変化を行なったことを喜んでいます。いまでは会衆の全部の集会に定期的に出席していますから,わたしたちも喜んでいます」。
訪問の時間はまたたくまに過ぎました。わたしたちは帰らなければなりません。ソールズベリにもどる途中,わたしたちは,もし人々が必要な時間をかけて,聖書がいかに人の生活を向上させるかを考えさえすれば,アフリカ全土の,そして地上のあらゆる国の家族にどんなに多くの善果が生まれることだろうと考えました。
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アダムのろっ骨ものみの塔 1969 | 11月1日
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アダムのろっ骨
◆ 聖書はこう述べています。「エホバ神アダムを熟く睡らしめ 睡りし時その肋骨の一つを取り肉をもてそのところをふさぎたまへり エホバ神アダムより取りたる肋骨をもて女をつくり これをアダムの所に連れきたりたまへり」― 創世 2:21,22。
このことから,アダムはろっ骨が1本足りないため,彼は不完全な人間だったのではないだろうかと考える人もいます。しかしそうではありません。これは必ずしもアダムが,神によって創造された時に持っていたろっ骨を1本失ったままで生活したという意味ではありません。ろっ骨は他の骨とちがって,再生能力を持っています。ベルン大学からの返事の中で,K・レンゲンハーガー教授はこのことに関して,つぎのように述べています。
「つぎのようにご報告いたします。ろっ骨は,取り除かれても,骨膜が残されていれば,再生[つまり再び成長]できます。しかし,ろっ骨とともに骨膜が取り除かれると再生できません。普通,外科手術でろっ骨を取り除く場合,悪性の腫瘍がなければ,医師は骨膜を残しておきます」。
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