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    ものみの塔 1985 | 11月1日
    • 結婚の賜物に喜びを見いだす

      「神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」― マタイ 19:6。

      1 聞き慣れたイエスのどんな言葉はキリスト教世界において広く知られていますか。しかし,それに関してどんな質問がありますか。

      上記の言葉はあなたにとって聞き慣れたものですか。世界人口の大部分を占めるキリスト教世界の幾百万という人々にとって,この言葉はきっと聞き慣れたものでしょう。というのも,この言葉は主イエスが,当時の宗教的なパリサイ人に語られた時の言葉だからです。この言葉は聞き慣れたものかもしれませんが,イエスの言われたことの意味についてはどうですか。人類一般はこのような助言の意味するところに従っているでしょうか。調べてみましょう。

      2-4 (イ)マタイ 19章6節に記されているイエスの言葉に注意を払うことに関して,今日多くの国々ではどんな状況が見られますか。(ロ)結婚の永続性に関する聖書の助言を無視する人々はどんな態度を示していることになりますか。

      2 今日,多くの国々で,人々は結婚の取り決めと,神がくびきで結ばれたものを持続させることに対し,ほとんど敬意を払っていません。ここかしこの国々で,離婚は流行病と言えるほどの割合にまで増えてきています。離婚が政府によって法的に許可されていない国々でも事態は変わりません。そのような国の人々はしばしば配偶者の元を去り,別の人と生活を始めるからです。ですから,キリスト教世界の内外を問わず,幾百万という人々はマタイ 19章6節のイエスのこの価値ある助言に注意を払っていません。そうなったのはイエスの助言が間違っているからでしょうか。あるいは,人々がイエスの語られた言葉に耳を傾けようとせず,その点に関するイエスの助言をほとんど意に介さなかったからでしょうか。

      3 事実からすると,自分自身の生活様式や欲求が妨げられる場合には結婚を生涯にわたる契約とは考えないという人が大きな割合を占めています。そのような人たちにとって結婚は,自分の楽しみや好き嫌いが妨げられるときにはほんの一時的な取り決めでしかないのです。それで人々は,結婚関係に入る人々に対してイエスがお与えになった助言を少しも考えることなく,まるで外とうや帽子を脱ぎ捨てるかのように安易に配偶者を見捨ててしまっているように見えます。

      4 だれでもやっているのだから,という態度が広く浸透しているので,聖書の堅実な助言に従うことを望む人々も,神の言葉の良い教えから逸脱してしまうような仕方で影響を受けることがあります。印刷物により,また口頭で優れた諭しが与えられていても,聖書の助言に注意を払わないなら結婚に関連した問題が生じかねません。(詩編 19:7-11と比較してください。)何であれ結婚生活の中で自分の生活様式,自分の楽しみ,自分の欲求を妨げるものは,結婚に関する神の指示を差しおいて変えることができるという態度を取るなら,わたしたちは危険な立場に立たされます。そのような態度を取るとすれば,人類の最大の問題の一つ,つまり利己心の問題に面と向かうことになります。一般に,結婚に関係した諸問題の根底にあるのは利己心だからです。なぜそう言えますか。

      罪の役割

      5 使徒パウロはローマ 7章15-20節で,わたしたちが罪のうちに生まれた結果もたらされた問題をどのようにはっきり示していますか。

      5 アダムとエバの子孫である男女は罪と不完全さのうちに生まれました。それは,罪を受け継いでいるゆえに人間は的を逸しており,ある程度不法な者となっていることを意味します。(ヨハネ第一 3:4)使徒パウロは罪が人類に課している甚だしい重荷について語りました。というのは,自分自身,望まない事柄を行ない,行なうべき事柄は行なっていないことに気づいたからです。(ローマ 7:15-20)だれであれ,神の律法を破る人は利己的です。ある人の場合,利己心は取るに足りないほどのものかもしれませんが,別の人の場合は生き方そのものとなり,その利己心は甚だしいものとなります。

      6,7 利己心のため結婚生活に生じる二つの問題を挙げてください。その問題から当然どんな質問が生じますか。

      6 神が制定された結婚の取り決めにおいて,配偶者間の問題の根底にあるのは,大抵の場合,利己心です。母親か父親に甘やかされたのかもしれませんが,文字通り手とり足とり他の人に仕えてもらうことを望む女性は本質的に利己的です。結婚したあとも“男友達”といつも一緒にいるような独身の生活様式を続けたいと願う男性は,本質的に利己的です。夫と妻の相違点を一通り考えてみれば,利己心が問題の大部分の根底にあることが分かるでしょう。

      7 結婚生活で生じる問題に対処する努力を払う上で,利己的なこの生まれつきの傾向をどのように克服できますか。行なえること,そして適用すれば崩壊しつつある結婚生活を助けることのできる事柄は数多くあります。しかし,結婚の取り決めのもとにある配偶者各自は,進んで自分の分を果たさなければなりません。それは一方通行ではないのです。では,関係する要素を幾つか調べてみましょう。

      結婚生活における利他的な態度

      8 結婚はどのような意味で分け合うものですか。

      8 結婚とは分け合うことであり,夫婦のいずれも配偶者の存在を当然と考えてはならないこと,また夫婦の一方が与えており,他方が受けている限り万事うまくゆく,と考えてもならないことを意味しています。そのような方法はどちらにとっても祝福とはなりません。例えば,両方の側の親族のことを考慮に入れなければなりません。その点が結婚の取り決めの問題点となり,自分の親や親族のことだけを考慮して配偶者の親や親族のことを考慮しないようであってはなりません。家族が休暇などのくつろぎの時間を過ごすときは,いつも一方的な決定を下さないようにすべきです。そのような問題について思慮深い配慮を示すことは,結婚生活を成功させるのに役立ちます。互いに相手を当然の存在と考えることをせず,利他的な態度を示しましょう。―フィリピ 2:4。

      年齢の要素

      9 結婚に関する軽率な見方のためにどんな不幸な結果が生じますか。

      9 この世代の大勢の人々の間には,結婚生活がうまくゆかなければ離婚で片をつけることができるという見方が広まっているため,多くの若い人々は結婚の取り決めに関するそうした軽率な見方をもって生活を始めます。そのため多くの人が十代で結婚して破局を迎えるという結果が生じ得ますし,実際にそうした結果が生じています。さらにまた,望まずして産んだ子供たちが数多く世に出ることにもなります。そのような子供たちが,自分を深く愛し気遣ってくれる母親と父親を持つことの意味を全く知らずに成長することも珍しくありません。

      10 結婚を考慮している人々にとって,ガラテア 5章22,23節はどのような点で助けになりますか。

      10 人は一体何歳になったら結婚を考えてもよいのでしょうか。この点について規則を作るのは知恵の道ではないでしょう。しかし聖書は,結婚生活に入ろうとする人々にとって必要な円熟,つまり精神的・霊的円熟を遂げるのに不可欠な事柄について良い助言を与えています。ガラテア 5章22節と23節をお読みになれば,霊の実の並んでいるのが分かるでしょう。そこに挙げられている霊の実の一つ一つを注意深く吟味してください。それこそ,生活の中で培わなければならない特質なのです。それらの特質は結婚したあとに示し始めるべきものではなく,そのずっと前に,クリスチャンとしての日常生活の中で示すべきものです。

      11 結婚を考えている人々はどのような自己吟味を行なえるかもしれませんか。

      11 例えばあなたは,人生に喜びを感じ,生きることが楽しく,キリストの王国の関心事に仕えている人ですか。他の人と平和な関係にあり,他の人との平和的な関係を促進していますか。それとも争いを好み,激発的な怒りを表わしたりののしりのことばを使ったりする傾向がありますか。辛抱強く,自分の兄弟や姉妹,母親や父親の弱点を耐え忍ぶことができますか。それとも,他人がすぐに自分のして欲しいようにしてくれないと短気になったり,腹を立てたりする傾向がありますか。自分は他の人と接する際に親切を示し,温和であり,相手に良いことを行なっていると思いますか。それとも利己的で自己中心的になり,自制心を失い,ほんの少し刺激されただけで他の人に食って掛かる傾向がありますか。他の人に対して真の愛を持ち,他の人を助けたいと願い,自分のしたいことを二の次にして,他の人々に幸福をもたらすため自分自身や自分の資産を与えますか。それとも,他の人から愛を示してもらいたい,他の人の資産をいつも与えてもらいたいと思っていますか。

      12 結婚する前に人格を陶冶した男女にはどんな利点がありますか。

      12 正確に言えば,完全な意味でこれらの特質を身に着けている人は一人もいません。しかし,人生の幾年かを費やして人格を陶冶し,そのような霊的な特質を培う機会を与えられていた男女は結婚を成功させる優れた立場にいます。結婚の誓いをするまでそれらの霊の実を体得するための努力を払おうとしない人よりもはるかに良い立場にいるのです。―ペテロ第二 1:5-8と比較してください。

      13,14 (イ)時間がたつうちに,霊的な価値判断を身に着けることに関してどんな機会が生じますか。(ロ)親は子供たちを助けるために何を行なえますか。

      13 自分自身,そして自分の好き嫌いを正直に調べてみてはどうでしょうか。時間がたつにつれて人生に対する評価が高められてきたことに気づくのではないでしょうか。13歳の時の価値判断は5歳の時と同じでしょうか。20歳の時の価値判断は13歳の時と同じでしょうか。人生に対するあなたの理解と評価は,経験が深まるにつれ,幾年もの間に高められてきましたか,それとも低められてきましたか。大人となった現在,子供であった時に期待したのと同じ特質を他の人々に期待しますか。多くの場合,十六,七歳の少女の生活における“一人の特定の”少年のことは,少女が一人前の女性となり,男性の敬虔な特質や人格に一層重きを置くようになる時,全く忘れ去られてしまうというのが本当ではないでしょうか。二十二,三歳のころの女性の男性に対する見方は,身体的な特色よりも,霊的,精神的,感情的な面を中心としたものとなるでしょう。同じことが一人前の男性に成長しつつある少年についても言えます。妻に関するその希望とあこがれは当人が成熟するにつれて円熟してきます。年齢を重ね,価値判断が変わってくると,理解力があって親切,主婦また母親となる能力があり,まず第一に創造者であるエホバを喜ばせ,そのご意志を行ないたいという深く根ざした欲求を心に収めていることを配偶者に期待するようになります。―箴言 31:10,26,27。

      14 要は,時がたつにつれて人の価値判断も変わるということです。ですから,若い年齢で急いで結婚することには数多くの危険が潜んでいます。結婚生活に入る前に少し待つよう非常に若い二人を説得することは不可能かもしれませんが,親の皆さんは,特に子供がまだ小さいころから,行く末長く連れ添うという生涯にわたる契約関係に入る前に,人生について,また結婚のため霊的,感情的,精神的に備えることについて真剣に考えるよう子供たちを励ますことができます。

      15 遅く結婚することが必ずしもすべての問題に対する答えになるわけではないので,正しい見方を保つことに関してどんな諭しが与えられていますか。

      15 だからといって,年齢が進んでから結婚することが完全な答えになるという意味でもありません。そのような場合でも,とりわけ利己的な態度が入り込み,二人の間にくさびが打ち込まれるのを許してしまうなら,やはり問題が生じ得ます。結婚のきずなで結ばれた各人の精神的,感情的,霊的必要を考慮に入れなければなりません。あるクリスチャンたちは,集会に出席することや,宣べ伝え弟子を作る業にあずかることを含む会衆の活動が締め出されるほど世俗の仕事に深く足を踏み入れてしまいました。そして,気晴らしとなる多くの事柄に没頭し,自分の生活の中で欠けているように思える事柄を埋め合わせようとします。そのような人たちは,忙しくしていればさしあたって自分たちの問題はともかく解決されるだろう,事物の新秩序を迎えてから感情的,精神的,霊的な互いの必要を考慮すればよい,と考えているようです。しかし,そのようにして生活がうまくゆくわけではありません。男性は自分自身の体を気遣うように妻を気遣うべきである,というのがパウロの助言でした。(エフェソス 5:28)それは,毎日自分の必要に注意を払うように配偶者の必要にも今注意を払うことを意味します。女性についても同じことが言えます。

      結婚生活に対する釣り合いのとれた態度

      16-18 (イ)人生と結婚に関する釣り合いのとれた態度が必要なのはなぜですか。わたしたちが欲するものと他の人の必要に関し,どのように警告が与えられていますか。(ロ)結婚する前にこうした事柄を熟考するのはなぜ良いことですか。

      16 人生に対する釣り合いのとれた態度は,結婚に対する釣り合いのとれた態度を保つ助けになります。釣り合いのとれた人は,受け継いだ利己的な傾向ゆえに絶えずそうした欠点を克服する努力を払わなければならないことを悟ります。自分の欲しいものよりも優先されるべき他の人の必要を全く考えないということはごくありがちなことです。小さな子はおもちゃを独り占めしたがり,親から正しい訓練が与えられないと,一般に他の子供におもちゃを貸そうとしません。その利己的な態度は後になって他の分野にも及ぶことでしょう。例えば,ひたすら自分のしたい方法で物事をしたがり,欲望を満足させるためなら他の人が傷つけられようが苦しもうが構わないという十代の若者や20代前半の若者をしばしば目にします。そのような人たちは,大人になって時間がたっても他の人の必要には少しも構わず,自分たちが好むものを常に欲しがります。

      17 釣り合いのとれた人は自分からすべてを奪い取ってしまうことはありませんが,他の人のことも考慮に入れるよう自分個人の生活を管理します。他の人を助けるため,また他の人の益となるよう自分や自分の持っている物を与えるため自分に何ができるか自問します。終始自分のやり方に固執するようなことはありません。「寛大な魂は自分も肥え,他の者に惜しみなく水を注ぐ者は,自分もまた惜しみなく水を注がれる」と,箴言の書は述べています。―箴言 11:25。

      18 独身者として生活する時にそうした道に従うなら,後に結婚生活を送る時に大きな益が及びます。どんな決定を下す際にも配偶者のことを絶えず考慮に入れるようになります。そのような人は,結婚を実験,あるいは一時的な取り決めとみなすのではなく,エホバ神がエデンで最初の二人の人間をめあわせた時に考えておられた永続的な取り決めとみなします。(創世記 2:22-24)神と互いに対する認識が二人のうちで成長するにつれ,結婚生活を一緒に続け,配偶者を助けるために絶えず努力を払うようになります。

      要約

      19-21 (イ)どうすれば,わたしたちが確かに結婚を単なる実験的な取り決めとみなしていないことを示せますか。(ロ)老若を問わず,結婚における真の幸福を求める人は皆,何を念頭に置くべきですか。

      19 「神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」。そうです,イエスによるこの諭しの言葉は真のクリスチャンに対する多くの意味を含んでいます。結婚は,たとえ継続するのが難しいように思えるときでも取りやめにできる実験的な取り決めではありません。わたしたちは,利己心に流されやすい人間の傾向を押しとどめ,神の是認を得るために不完全な肉と絶えず闘わなければなりません。(ローマ 7:21-25と比較してください。)結婚の契約を成功させるため,夫と妻は与えまた受けること,備えまた備えられること,相手の存在を当然のものと考えないようにすることを学ばなければなりません。―エフェソス 5:21-23,28,33。

      20 また,結婚を希望している人のため,政府の定める法定年齢以外に,一定の年齢を法規として主張することはできませんが,各人が十分な資格を備えた配偶者となるため,ガラテア 5章22節と23節と調和して霊的に成長する必要を銘記しておくことは確かにできます。時がたつにつれて人の考え方は本当に変わります。ですから,だれも急いで結婚すべきではありません。第一に,一人一人が結婚のくびきに正しく備えるためクリスチャンの人格を培いましょう。そして,神が結び合わされたものをだれも離すべきではないということを決して忘れてはなりません。―マタイ 19:4-6。

      21 人生そして結婚に対して釣り合いのとれた態度を保つなら,エデンにおける最初の結婚に示されているように,エホバ神ご自身が男性と女性のために命じられた取り決めに真の喜びと幸福を見いだすことができます。(箴言 5:18)しかし,夫あるいは妻の役割を担う備えがあることを示すため,一人一人はさらに生活の中で何を行なえるでしょうか。では,クリスチャンの男性と女性の人格に関するこのあとの記事をお読みください。

  • クリスチャン人格の美しさ
    ものみの塔 1985 | 11月1日
    • クリスチャン人格の美しさ

      『神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けなさい』― エフェソス 4:24。

      1 ここでわたしたちが説明したいと思っているのはどんな美しさですか。

      『美は見る人の目の中にある』ということわざがあります。美しさは相対的なものであるという意味です。ではクリスチャンの男性あるいは女性の美しさとは何でしょうか。これからその点について討議したいと思います。

      クリスチャンの男性の美しさを定義する

      2 身体的な特質のみが神に属する男性を形造るわけではないとなぜ言えますか。

      2 まず最初に,一緒にいて快いと感じさせる,気持ちの良い外観をクリスチャンの男性に付与する特質から考慮することにしましょう。身体的な特質のみが「神の人」[神に属する男性]を形造るわけではありません。(テモテ第一 6:11)その推論するところにおいて無能な者であるなら,男性の表面的な外観は,見栄えをよくするとしても,ほとんど意味をなしません。その人が誇り高くて不作法な,また下品で無知な人であるなら,人を引き付けるどころか遠ざけてしまいます。感謝の気持ちを持たない人であることが態度に表われていれば,その人はほかの人々のつまずきの元となるに違いありません。自分自身のことや,自分の外観,あるいは他の人に与える自分の印象ばかり気になるとすれば,その人は他の人が交わりたいと思うような人ではありません。

      3,4 (イ)男性イエス・キリストが実証しておられる通り,神に属する男性の特質にはどのようなものがありますか。(ロ)神に属する男性の幾らかの特色をどのように説明できますか。

      3 むしろ,神に属する男性は公正・憐れみ・愛・親切などの特質を培っています。イエス・キリストはその完全な体によってではなく,原則と真理に対する忠節によって知られました。その教え方によって,イエスが神から権威を与えられて語る人であることが見分けられました。(マタイ 7:28,29。ヨハネ 7:46)神に属する男性は権力や目立った立場を手に入れたいという欲望のために堕落させられることはありません。特定の地位に伴う利点もその人の買収には役立ちません。その人には意志力が備わっています。謙遜さを愛していますし,うそをつきません。エホバに対する健全な恐れを示します。(箴言 22:4)これが,神に属する男性に見られるべき特質の幾らかです。

      4 神に属する男性には,良心,良い心,正しい動機があります。(テモテ第一 1:5。箴言 4:23)義にかなった原則を無視して,良心に反するようなことは行ないません。良い心と正しい動機を持っているので,他の人と接する際に不正な手段を用いることはありません。(ヘブライ 13:18)自分の良い動機が汚れた行為や活動によって不純なものとなるのを許しません。(ホセア 4:11)心が不実にならないよう常に自分を鍛錬します。原則を曲げない人として,言行両面で際立っています。―詩編 15:1,2。

      5 神に属する男性の生活において,同情心はどんな役割を果たしますか。

      5 神に属する男性は,他の人への同情心を持ち,快く許し,親切です。同情心のある男性は思いやりがあります。他の人が,扱いの難しい,不安を生じさせる問題を抱えているときには,感情移入と理解を示すことができます。それにとどまらず,だれかから悪いことをされたときには,快く許すことができます。危害に危害,ののしりにののしりを返すという本能的な欲求を超越することができます。まさにペテロ第一 3章8節と9節の言葉が当てはまる人です。のろいではなく祝福を与えることにより,自分が親切であること,また他の人に同情心を示したり,快く許したり,親切にしたりすることのできない狭量な人の特色であるさもしい欲求を抑えていることを示します。―エフェソス 4:31,32

      6 (イ)神に属する男性の際立った特質として,ほかに何がありすか。それらの特質は何を意味していますか。(ロ)そのような男性の妻や子供たちは,その人をどう見ますか。

      6 神に属する男性の特色となるもう一つの際立った特質は,その寛大さです。また,もし結婚しているなら,その人は誠実な夫,正直な父親です。既婚者の立場にある,神に属する男性には,妻にも子供たちにも良い影響を与え手本を示すという実にすばらしい機会があります。(コロサイ 3:19,21)そのような男性は寛大さを示すという問題において,主イエス・キリストのりっぱな助言に従います。イエスはこう言われました。「いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう。彼らは押し入れ,揺すり入れ,あふれるほどに量りをよくして,あなた方のひざに注ぎ込んでくれるでしょう。あなた方が量り出しているその量りで,今度は人々があなた方に量り出してくれるのです」。(ルカ 6:38)そして,家族関係の中では,家の者たちに真の気遣いを示しますが,同時に,「自分の手で良い業を行ない,窮乏している人に分け与えることができるようにしなさい」というエフェソス 4章28節の優れた訓戒にも従います。誠実な夫として,神に属する男性は,結婚の取り決めにおいて忠信な態度を保ちます。妻は,結婚のきずなで正に一つに結ばれている男性として夫を完全に信頼し,信用することができます。(箴言 5:18,19)それに加え,子供がいるならば,自分が他の人と接する際にずるいことや不正直なことをせず,正直な父親であることを示します。そのようにして,子供たちに正直に関する原則を教え込むのです。(箴言 4:1-5)そのような男性は,影響を受けやすい子供の思いにとって,実にりっぱな手本です。子供たちは,忠節な人,忠誠を保つ人としてそうした男性に頼ることができるでしょう。―箴言 11:3,4。

      7 神に属する男性は負債に関してどのような釣り合いのとれた見方をしますか。

      7 その点に関して言えば,神に属する男性は,動きが取れなくなるほど負債を抱え込むと苦しい問題が生じかねないことを知っているので,自分と家族がそうした負債を抱え込まないようにも見守ります。言うまでもなく,それは自分自身も家族も資力を超えた生活をしないことを意味します。その人は特定の行動を取り始める前に費用を計算する人です。(ルカ 14:28-30)将来のために現在の自分自身を否定し,言わば見えないもののために見えるものをあきらめることができます。(ヘブライ 11:8-10と比較してください。)そのように生活することは,神に属する男性がその日常生活の中でクリスチャンとしての自分の道徳観念を保つための助けとなります。

      8 そのような男性は生活の中で不快な状況にどのように立ち向かいますか。

      8 人はだれも,罪と不完全さゆえに,生活の中で時として不快な状況に立ち向かわなければなりませんが,神に属する男性はそうした状況にあってもイエスの示された型に倣い,勇気を奮い起こし,原則を固守します。(ヨハネ 16:33)助けと導きを求めてエホバに頼りつつ,自分の神エホバの力のうちに難しい問題に立ち向かいます。―箴言 18:10。

      9 エホバを喜ばせようと努める男性の道徳的な生活をどのように説明できますか。

      9 真に神に属する男性は自分の体の主人です。すなわち,自分の体が極悪な主人となるのではなく,礼儀正しい僕となるべきことを知っているので,自分の欲求と情欲をよく制御します。使徒パウロが述べた,「自分の体を打ちたたき,奴隷として引いて行くのです」という霊感による言葉を絶えず思い起こします。(コリント第一 9:27)ですから,いつでもあの「霊の実……自制」を培う努力を払い,自分を腐敗させる事柄を避けます。(ガラテア 5:22,23)賢くあり,不道徳な考えにふけると不道徳行為に走りやすくなることをわきまえています。この場合も,その人の信頼は神エホバと,神が与えてくださる力にあります。―フィリピ 4:13。

      10,11 (イ)神に属する男性は判断を誤ったとき,償うためのどんな特質を示しますか。(ロ)家族研究に関し,家族の頭はどんな型に倣いますか。

      10 最後に,神に属する男性は自分の過ちを認め,謝罪の言葉を述べ,自分の不完全さゆえに何らかの点で怒らせたり傷つけたりした配偶者や他の人に,申し訳のない気持ちを言い表わすことができます。エホバのもとへ行き,妻や仲間,子供たちにも許しを願い求めたので自分の罪を許していただきたい,と清い心で願い求めることができます。「すまなかった。自分が悪かった」と言えるのは,真の男性,特に神に属する男性の証拠にほかなりません。―マタイ 18:21,22。マルコ 11:25。

      11 それだけの度量を持った男性・夫・父親であれば,エホバの助けが得られると言えるのではないでしょうか。(詩編 54:4)その人は正に,結婚また幸福な家族という単位を含め,あらゆる良いものを台なしにしようとするサタンの企てと目的ゆえに,現代のこの世界からわたしたちすべてにもたらされる様々な問題に対処する備えをすることになります。そして,家族の霊性に気を配り,聖書時代の神の忠実な僕たちの型に倣い,定期的な神の言葉の研究や祈りにおいて家族を指導します。―申命記 11:18-21。箴言 7:1-3。

      12 次にどんな重要な役割について考慮しますか。

      12 しかし,さらに考慮すべき事柄があります。家族の問題に対処する上で妻にも役割が課せられています。今度は妻がその生活の中で培う必要のある特質に注意を向けてみましょう。―箴言 19:14。

      クリスチャンの女性の美しさを定義する

      13,14 女性はエホバと,もし結婚しているなら自分の家族の是認を得るためにどんな方法を取ることができますか。ペテロ第一 3章1-5節にある,女性一般に対する使徒ペテロの諭しはどのようなものでしたか。

      13 箴言の書は神に属する女性について次のことを述べています。「麗しさは偽りであることがあり,美しさもむなしいものとなることがある。しかし,エホバを恐れる女は自分に称賛を得る」。(箴言 31:30)では,女性はどのようにして,夫や子供,また独身であるなら他の人に慕われ,一緒にいるのは楽しいと他の人に感じさせる特質を身に着けるのでしょうか。まず最初に,神に属する女性は親切な人です。つまり,寛大であり,何にせよ物質的また霊的に可能なところで他の人を助けることを願うという意味です。困っている人がいれば,他の人の必要に純粋な関心を示し,まっ先に助けたいと望みます。しかし,言うまでもなく,そうした関心と,もし結婚しているなら,自分自身の家族に示すべき世話や注意との釣り合いが保たれるようにしなければなりません。―テトス 2:3-5。

      14 さらに,そのような女性はごう慢ではなく謙遜な思いを持ち,無愛想ではなく親切で,だらしのないところがなくきちんとしており,けんか腰ではなく思いやりがあります。また,もし結婚しているなら,使徒がペテロ第一 3章1節から5節で与えている諭しに従うよう努めます。

      15 (イ)神に属する女性はどんな目標を持つべきですか。どのようにその目標に到達できますか。(ロ)妻はどのように夫の支えとなりますか。(ハ)妻がいつまでも家族に愛されるのはなぜですか。

      15 それに加え,神に属する女性はこの世的に賢い人ではなく,霊性を培うように努めます。聖書の熱心な読者であり,生活に聖書の原則を当てはめることに関心を向けます。(詩編 119:66)ただ自分のために知識を得たいと願う利己的な気持ちでそうするのではなく,クリスチャン宣教においても,近所に住む人々や親族,友人と日々接する際にも自分の学んだ良い事柄を分かち合うという意図を持ってそうするのです。クリスチャンである夫は,自分を補うものとして一緒に霊的な事柄について会話することができ,また霊的な事柄を高く評価し,夫とともにエホバをよりよく知るようになりたいと願う妻を好みます。(箴言 9:9,10)したがって,神に属する女性は識別力と理解力を備えています。もし結婚しているなら,夫を補うものとしての自分の役割をわきまえ,とりわけ夫が家にいない時には,子供に霊的な教えを施す面で,夫の支えとなります。(テモテ第二 1:2,5; ヨハネ第二 1,2と比較してください。)ずっと前に若者としての美しさが衰えてしまったとしても,相変わらず優しく,いつまでも家族に愛されます。夫としては,妻が気立てがよく,思慮分別があるので,妻の至極適切な観察や,健全な意見,誠実な励ましを信頼することができます。(箴言 25:11)アビガイルが識別力を働かせ,敏速に行動した時,ダビデは「あなたの分別がほめたたえられ……るように」と言いました。―サムエル第一 25:32,33。

      16 神に属する女性はどんな言葉と行動によって見分けられますか。

      16 妻が夫の支えとして慎みをもって良い影響を及ぼすときには,鋭く辛らつな言葉や皮肉を決して口にすべきではありません。夫からの好意は,上品な外見,適切に語られる言葉,愛を表わす思いやりある振る舞い,勤勉さ,優しい親切,深い理解によって得られるのです。(箴言 25:11; 31:10-28; テサロニケ第一 2:7と比較してください。)柔和,信仰,慎み ― 神に属する女性はそれらによって,いつまでも慕われるのです。―詩編 37:11。ヘブライ 11:11,31,35。箴言 11:2。

      17 愛という特質は神に属する女性にとって,どのような価値がありますか。

      17 神に属する女性のもう一つの際立った特質は思いやりと愛情を示す能力です。(ローマ 12:10)女性の最も美しい飾りは愛であり,愛があればささいなことで気むずかしくならずにすみます。コリント第一 13章4節から7節にはその愛が実に見事に描写されています。日本聖書協会発行の口語訳聖書によれば,こう記されています。「愛は寛容であり,愛は情深い。また,ねたむことをしない。愛は高ぶらない,誇らない,不作法をしない,自分の利益を求めない,いらだたない,恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして,すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてを耐える」。

      自分はどんな者だろうか

      18 ここでわたしたち一人一人は,どんな個人的な質問に直面しますか。自己吟味によって何が分かりますか。

      18 ここで重要なのは,わたしたち一人一人は,結婚しているにせよ独身であるにせよ,クリスチャンである人間とみなされるだろうか,という質問です。エホバと仲間の人間を喜ばせようと努めるとき,さらに調整を加える必要があるとみなせる分野があるでしょうか。少しでも自己吟味をすれば,改善できる分野が明らかになることは確かですが,自分自身のうちに改善がみられること,いや,それ以上に,神の言葉とその教えにわたしたちが堅く従ったために遂げた変化に他の人々が気づき,その変化を指摘してもらうのは本当にうれしいことです。―コリント第二 13:5。テモテ第一 4:15,16。

      19 平和で敬虔な生活を送ろうとする際に直面する問題をわたしたちはどのように解決すべきですか。

      19 独身の生活を送りながら,人はこれらの特質を培うよう努めることができます。(コリント第一 7:32)結婚を決意する日が来た時,それらの特質はそれを培った人にとって大いに役立つものとなるに違いありません。すでに結婚している人々には,クリスチャンの徳を培い続けることにより,大きな幸せと喜びが訪れます。(フィリピ 4:8,9)問題を解決するには,結婚の取り決めのもとにある配偶者双方に努力が求められます。人を不愉快にさせる癖が自分にあることを進んで認め,その癖を進んで変えることは,喜ばしいクリスチャンの人格を着るのに大きく貢献します。(コロサイ 3:8-10)クリスチャンの男性あるいは女性の特色は,「すみません,許してください」と言えることでしたが,そのことも忘れてはなりません。わたしたちはみな間違いをします。その間違いを認めるとき,わたしたちは慎みと謙遜さという特質を十分に培った証拠を提出しているのです。―ミカ 6:8。ヤコブ 3:2。

      20 コロサイ 3章12-17節にある使徒パウロの適切などんな言葉は,すべての人に役立ち,当てはまりますか。

      20 コロサイの会衆に宛てたパウロの次の言葉は何と適切なものなのでしょう。「だから,あなたがたは,神に選ばれた者,聖なる,愛されている者であるから,あわれみの心,慈愛,謙そん,柔和,寛容を身に着けなさい。互に忍びあい,もし互に責むべきことがあれば,ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから,そのように,あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの上に,愛を加えなさい。愛は,すべてを完全に結ぶ帯である。キリストの平和が,あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは,このためでもある。いつも感謝していなさい。キリストの言葉を,あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして,知恵をつくして互に教えまた訓戒し,詩とさんびと霊の歌とによって,感謝して心から神をほめたたえなさい。そして,あなたのすることはすべて,言葉によるとわざによるとを問わず,いっさい主イエスの名によってなし,彼によって父なる神に感謝しなさい」― コロサイ 3:12-17,日本聖書協会 口語訳。

      21 わたしたちの振る舞いと活動は他の人々をどのように励ますことができますか。

      21 聖書中の,そしてこの20世紀のクリスチャン会衆に見られる優れた模範は,だれにとっても新しい人格を身に着けるよう努力を続けるための励みとなるはずです。(エフェソス 4:22-24)そうすることによりわたしたちは,交わるすべての人々にとって祝福となります。さらに,わたしたちが王国の音信を携えて訪ねる大勢の人々は,わたしたちの言葉だけではなく,エホバの証人の全地の家族のうちに見られる熱心さと良い振る舞いから感銘と励ましを受けることでしょう。―ヨハネ 13:34,35。

      この記事の要約として,どのように答えますか

      □ 神に属する男性はどのような特質を培うべきですか

      □ クリスチャンの男性は自分の妻と家族をどのように顧みますか

      □ クリスチャンの女性はどんな徳によって見分けられますか

      □ 独身の人はどのように賢明に将来に向けて生活を築くことができますか

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