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家族生活を幸福にするために自分の役割を果たすものみの塔 1977 | 12月15日
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べきものを与えること,と使徒パウロが言った夫婦関係などがそれです。(コリント第一 7:3-5)こうした問題を考慮するのも有益でしょう。それでこの後につづく記事では,わたしたちのために,こうした点がさらに詳しく取り上げられています。
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協力し合って家族の一致を図るものみの塔 1977 | 12月15日
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協力し合って家族の一致を図る
1 (イ)クリスチャンの家族はどんな表現や態度を避けるべきですか。(ロ)コロサイ 4章6節にはどんな良い助言がありますか。
「それみろ,言った通りだ!」,「私の言うことをちっとも聴かないからだ!」,「そうなるって言わなかった?」 これは,夫婦や子供たちなど,家族の間のやりとりで非常にしばしば口にされる表現です。何かがうまくいかなかったとき,そしてそれが相手の考えであったとき,うんざりした調子でこうした言葉を口にします。賢人は,「口やかましくて短気な妻と一緒にいるよりは,一人で荒野に住むほうがましだ」と書いています。(箴 21:19,新英語聖書)口やかましくて短気な夫と共に住むことについても同じことが言えます。英語の辞典は「ナギング(口やかましい)」という語を,「欠点を見つけ出して悩ませる; 絶えず叱っていらだたしい気持ちにさせる」ことと定義しています。クリスチャンの家庭には,この種のいらだちが占める場は確かにありません。夫婦双方がこの点に注意すべきです。コロサイの会衆に対する使徒の言葉には,わたしたちすべてに役立つ助言が見られます。「あなたがたの発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけられたものとし,ひとりひとりにどのように答えるべきかがわかるようになりなさい」。(コロサイ 4:6)配偶者に対してそういうふうに答えることは,確かに双方のためになるでしょう。
2 過去において,親切に関するどんな時宜を得た情報が当誌の読者に提供されましたか。
2 先ごろこの雑誌に,親切のことを取り上げた記事が載りましたが,その記事にはとりわけ次のことが述べられていました。「クリスチャンであると公言する人なら,神のしもべと称していない人が時折示す親切……よりも自分の親切のほうが劣るということのないようにしたいと願うはずです。……わたしたちは,神の献身したしもべと称する人々の中のある人々よりももっと親切と言えるかもしれない,非常に人間味のある親切な行為を見たり,そういう行為について読んだりします」。もしエホバの献身した崇拝者から成る自分の家族の中で,お互いを親切に扱わないとすれば,それはなんと悲しいことでしょう。
3 「同じように」という語は,夫が妻を扱うべき方法にどのように当てはまりますか。
3 使徒ペテロは,夫たる者に対して,妻に正しい関心を示すことにつきこの立派な助言を与えています。「夫たちよ,同じように,知識にしたがって妻とともに住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい。あなたがたは,過分の恵みとしての命を妻とともに受け継ぐ者でもあるからです。そうするのは,あなたがたの祈りが妨げられないためです」。(ペテロ第一 3:7)ペテロが「同じように」と言っている事柄は,彼の手紙の2章から始まる,その前の彼の言葉の中で概説されています。そこでは彼は正しい服従とそれに関係した問題に関して助言を与えています。主イエス・キリストについて述べるに当たっては,イエスはその追随者たちに彼らが従うべき模範を残されたとペテロは書きました。イエスについて彼はこう述べました。「彼は,ののしられても,ののしり返しませんでした。苦しみを受けても,脅かしたりせず,むしろ,義にそって裁くかたに終始ご自分をゆだねました」。(ペテロ第一 2:23)それは本当に親切な行ないでした。それは夫が同じようにして従うべき真に価値のある模範でした。
4 妻はどのようにして「同じように」親切を示しますか。
4 もちろんペテロは,妻も「同じように」従うべき賢明な助言を持っていました。「神の目に大いに価値のある」「もの静かで柔和な霊」を持つ婦人たちのことをペテロは語りました。それは確かに,エホバまたキリスト・イエスのしもべと称する妻たちにふさわしい親切の示し方です。―ペテロ第一 3:1-4。
5 ペテロの助言が親切を実行する点ですべての人にどのように当てはまるかを示しなさい。
5 しかしそれだけではありません。家族という範囲の中でその種の親切心を示すということになると,口やかましく言うことやあらさがしを慎むように求められるのは両親だけではありません。ペテロはさらにこう言いました。「最後に,あなたがたはみな同じ思いを持ち,思いやりを示し合い,兄弟の愛情を実践し,優しい同情心に富み,謙遜な思いをいだきなさい」。この助言に従うことから得られる益についてはペテロは数節あとでこう述べています。「エホバの目は義人の上にあり,その耳は彼らの願いに向けられるからである」― ペテロ第一 3:8,12。
子供に対して正しい関心を払う
6 (イ)子供に関心を払う点で,父親と母親はどのように責任を負わねばなりませんか。(ロ)子供のしつけについて聖書はどんな助言を与えていますか。
6 さらに,家族という範囲の中には,子供の人格を築き上げるという問題があります。このことを論じた前の記事の中でわたしたちは,主の懲らしめ
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