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価値ある宝に心をとめなさいものみの塔 1963 | 12月1日
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はすべてのことがうまく行って,神への奉仕を楽しんだのに,あとで反対されるようになったのかも知れません。家族の者があなたに反対したか,職場や近所の人が白い目を向けるようになったかもしれません。とにかく事は容易ではなくなりました。そんな状態のところへ,もっと給料の多い,多くの機会にめぐまれた新しい職が与えられて,あなたは徐々に脱落し,物質主義のわなに捕えられてしまいました。もしこれがあなたの場合にあてはまるなら,神の預言者の言葉に注意を向け,西暦前6世紀にその言葉に耳を傾けた多くのユダヤ人の模範に従ってください。事実,だれにせよ,またどこに住んでいようと,神の言葉に照らして自分の状態をよく考えてみることは,すべての人の義務です。それは私たちが自分の歩む道を正しくし,命に通ずる真の宝を追い求めることからくる祝福を受け,かつそれを保つためです。
どうすべきか
「汝らおのれの行為をかんがふべし」とエホバは預言者ハガイを通して戒められました。「山に上り木を携へ来て殿を建てよさすれば我これをよろこびまた栄光を受けんエホバこれを言ふ」。(ハガイ 1:7,8)これは『エホバへの奉仕を熱心に行い,神の御国に関する事柄を第一にしなさい』という意味です。あなたが第一にしなければならないことは,自分の家を建てることでもなく,この世での将来を考えたり,地位を築くことでもありません。それは真の崇拝を築き上げることです。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは添えて与えられるであろう」と言われたイエスの言葉を忘れないでください。(マタイ 6:33,新口)この古い世はその輝きや持物と共に間もなく過ぎ去ります。では結局なんの益にもならないものをなぜ「かんがえる」のですか。使徒ヨハネも次のように言っています。「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は永遠にながらえる」。(ヨハネ第一書 2:17,新口)ですから「おのれの行為を査察」て,エホバに奉仕する力をエホバに求めましょう。タビデ王と同じ心構えをもちましょう。彼は「神をおのが力となさず,その富のゆたかなるをたのむ」者について所見を述べ,それから自分のことを次のように言っています。「然はあれどわれは神の家にあるあをき橄欖の樹のごとし,我はいやとほながに神のあはれみに依頼まん」。―詩 52:7,8。
イスラエルの復興当時の状態を考えてください。エホバ神に仕えるために捕囚から戻ったユダヤ人はどんなに喜びにみちていたでしょう。彼らは共通のけだかい目的のために,すなわちエホバ神の富を建てるために共に働いていました。そして彼らは愛と目的において一致していました。しかし「おのおの己の室に走り至」るにおよんで,彼らは分裂し,利己的になり,喜びをなくし,信仰を失いました。そして何よりもエホバの恵みを失ったために,幸福と安全にかえて,かんばつ,飢えその他の苦しみを経験することになりました。ところが多くの者は,預言者ハガイの勧告を受け入れて,宮におけるエホバへの奉仕に復帰し,幸福を取り戻しました。
そういうわけで,今日でも,エホバの崇拝に熱意を傾けることにより幸福を取り戻すことができます。実際のところ私たちはこの世の富からどれほどのしあわせを得ますか。たぶん一時の間にすぎません。そして人は再び,より多くを求めて「走り回る」でしょう。賢明なソロモン王は,物質の富とこの世の宝の価値を計ろうとして,多くの物を得,彼以前のだれよりも偉大になったのち,それが「みな空であって,風を捕えるようなもの」であることを知った,と私たちに告げています。(伝道の書 2:1-11)世界には,この世の宝を追い求めて苦労するために,精神病とか潰瘍で苦しんでいる人がたくさんいますが,それは富によって幸福になろうとすることの愚かさを証明するものです。
それよりも,心を一つにして神の民と交ることからくる喜びを考えてください。エホバの証者の集会に出席し,神と隣人を愛する柔知な人々に囲まれて,正しい健全な聖書の教えに耳を傾けるほうが,新しい家,自動車あるいはテレビジョンを買うために残業するよりどんなによいでしょう。イエスの次の言葉を忘れないでください。「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても,人のいのちは,持ち物にはよらないのである」。(ルカ 12:15,新口)真のしあわせというものは,そとから,つまり持物からくるのではなく,内部から,すなわち心からくるものです。自分は神のみこころを行なっている,そして神の恵みを受けている,という自覚が,真の安定と心の平和をもたらすのです。御国奉仕,戸別伝道,隣人が命の道を学ぶのを援助すること,神の民との交り ― これらは確かに,物質の富がもたらしうるいかなるものよりも遙かにすぐれた,永続する宝です。そしてそれらがエホバの祝福をもたらして「人を富ます」ということを忘れないでください。
たしかに多くの人は物質主義のわなにかかって,この世の富に心を向けました。しかしエホバとエホバへの奉仕に心を向けるのにいまからでも遅くはありません。天に宝を積むことを始める時間はまだあります。イエスは言われました。「あなたがたは自分のために虫が食い,さびがつき,また,盗人らが押し入って盗み出すような地上に,宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため……天に,宝をたくわえなさい」。(マタイ 6:19-21,新口)この記事でとりあげた例とその結果をよく考えてください。いく人かの者は心をひるがえして『自分の行為をよく検討し』エホバの祝福を受けました。(ハガイ 2:15-19)それらの賢明なユダヤ人にならい,また『真のいのちを得るために,良い行いをし,良いわざに富み,惜しみなく施し,人に分け与えることを喜びなさい』という使徒パウロの助言に従いましょう。(テモテ前 6:18,19)真のいのち? 神に奉仕する充実したいまのいのち,また正義の新しい世における永遠の生命です。ですから物質主義的なこの古い世で平衡を保ち,物質の宝を「かんがえる」のではなく,神の御名の立証と,神の御国に関係のある価値ある宝を「かんがえ」ましょう。そうすればあなたは,物質主義というわなにかかることなく,エホバの祝福を得かつそれを保って,真の生命をとらえることができるでしょう。真の生命は,いま,そしてきたるべき新しい世において永遠に,喜びと満足をあなたにもたらすのです。
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刑務所で広がった真理ものみの塔 1963 | 12月1日
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刑務所で広がった真理
◇ アメリカ,バージニア州ピータースバーグで開かれた巡回大会で,一人のエホバの証者が話した経験。「自分の町にある刑務所の囚人から私のところに電話がかかって来ました。その人はなんとかエホバの証者に会いたがっていました。彼はすでに他の刑務所で8ヵ月を過し,さらに理由があって,この町の刑務所に移されて来たのです。以前の刑務所にいた時,彼は刑務所図書館に行き,宗教書を多く読みました。彼がとくに興味を感じたのは緑色の表紙の本でしたが,周囲の人はみな,「止めとけ,止めとけ,それはエホバなんとかの本だ」と言いました。しかし,それはただ彼の関心をいよいよ高めるだけでした。14日の間に,彼はこの『神を真とすべし』初版の本を読み上げ,また読みなおし,一つ一つ聖句を聖書から引きくらべてみました。これこそ神の真理だとの確信を強めた彼は,エホバへの献身の決意をしました。
「しばらくして別の男が刑務所に来ましたが,その男は赤い表紙の『これは永遠の生命を意味する』の本を持っていました。『表紙がとれてしまいました』と言うほど,彼はこの本を良く読みました。こうして真理の基礎的知識を固めた彼は,ものみの塔協会に何通かの手紙を書き,心あたたまるような返事を受けました。その後,日曜日に一人のエホバの証者が彼をたずね,『楽園』の本と『新世界訳聖書』を1部ずつ置いて行きました。喜びの希望にあふれた彼は,同囚の仲間をつかまえては学んだ事柄を話し,それに応じた者もすくなくありませんでした。聖書の勉強を望んだ人は17人にもなりました。彼の努力により,このうち5人が特に真理を認めるようになり,自由の身になって御国のわざに十分に加われる日を待っています。
「私は毎日午後町の刑務所に行き,この男の人と勉強しています。彼がこちらの刑務所に移って来てから,それほどの日がたっていませんが,すでに多くの真理の種をまき,芽さえ出ています。4人ははっきりと問題の大切さを認めており,7人はエホバの証者と聖書研究をすることを望んでいます。神の真理を学んで以来のこの人の態度は多くの人の注目するところとなり,同囚の人々に強い感化力を持っています。かつてはみだらな話しかなかったような所に,今では,『ものみの塔』や『目ざめよ!』を読み,聖書を引きくらべて勉強する人がたくさんいるようになりました」。
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