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  • クリスチャンとしての円熟性 ― 命を得るために必要なもの
    ものみの塔 1974 | 6月1日
    • 教える者として与えました。それは,奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的としてであり,こうしてわたしたちはみな,信仰と神の子についての正確な知識との一致に達し,十分に成長したおとな,キリストの満ち満ちたさまに属するたけの高さに達するのです。それは,わたしたちがもはやみどりごでなくなり,人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振りまわされたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすることのないためです。そうです,わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう」。それゆえ,個人的な勉強,および神のことばを自分に当てはめることに加えて,クリスチャンの長老たちの,聖書に基づく教えに答え応じることが,円熟を目ざしての進歩のための真の助けとなります。

      円熟した,また円熟過程にあるクリスチャンに臨む危険

      13 (イ)円熟したクリスチャンが未熟になることができますか。(ロ)円熟したクリスチャンが自分の行動に注意しないとどのようなことが起きますか。

      13 ひとたび円熟に達したクリスチャンは,誤った道に行き,あるいは過ちに進むことのないように注意しなければなりません。人は子どもじみた振舞いをしたからといって子どもになるわけではありませんが,同じように,円熟したクリスチャンが誤った行動によって未熟になることもできません。しかし,円熟したクリスチャンも,堕落して神のみまえでの是認された立場を失うことはありえます。したがって,クリスチャンはみな,次の霊感のことばを心に留めていることが必要です。「立っていると思う者は,倒れることがないように気をつけなさい」― コリント第一 10:12。

      14 どのような意味でクリスチャンはみどりごのようであり,また同時におとなのようであるべきですか。

      14 わたしたちは,世の影響を受けて自分の考えを曇らせ,愚かな行動に陥ることのないように警戒していなければなりません。聖書はこう勧めています。「兄弟たち,理解力の点で幼子となってはなりません。しかし,悪に関してはみどりごでありなさい。そして,理解力の点では十分に成長した者となりなさい」。(コリント第一 14:20)明らかにクリスチャンは悪や悪行などの経験は必要でなく,またそうしたことを願ったり求めたりすべきでもありません。他の人々との不正な取引き,偽善者のような振舞いをすること,また性的に不道徳もしくは倒錯した交わりを求めることなどについて,クリスチャンはみどりごのように潔白で経験を持たない者であるべきです。しかし,正邪を識別する点では,毅然とした態度で正しいことを守り,甘言によって容易に動かされることのないおとなのようであるべきです。

      15 「悪い交わり」はどのようなかたちを取ることもありますか。円熟したクリスチャンでさえそれによって堕落させられることがあるのはなぜですか。

      15 汚れて不道徳なこの世的な考え方は円熟したクリスチャンをさえ堕落させます。誘惑に対して免疫となっている人はいません。だれもが肉の罪深い傾向と戦い,肉的な欲望を駆り立てる事がらを避けなければなりません。したがって,「惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣をそこなうのです」という,神のことばの助言に注意を払うのは知恵のあることです。(コリント第一 15:33)これは,信仰を持たない人々,また,よこしまなあるいは倒錯した欲望や性癖の人,またそうした行動の人 ― 淫行や姦淫や同性愛行為をする人,大酒する人,残虐な人 ― などとの交友を避けることを意味しています。またそれは,そうした人々について思いめぐらしたり,感覚的な楽しみのためにそうした人々を扱う書物を読んだり,また娯楽のためにそうした人々に関するテレビや映画を見たりすることを避け,そうした人々に関することを自分の考えの中に入れないようにすることをも意味していると言えるでしょう。また,卑俗なことばを使ったり,卑わいな話や冗談を口にしたりすることを“おとな”の行為と見る世の人が多くいますが,それらも円熟したクリスチャンを弱め,クリスチャンとしての円熟に達しようとしている人たちに有害な働きをします。神のことばが助言するとおり,そうした事がらは避けるべきです。「聖なる民にふさわしく,あなたがたの間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事がらがあってもなりません」― エフェソス 5:3,4; 4:29-31。コロサイ 3:5-10。

      16 (イ)物質に対する世のどんな態度に警戒しなければなりませんか。(ロ)物質的な富のはかなさを知るだけでは金銭に対する貪欲さと闘うのに十分でないのはなぜですか。

      16 金銭や物質上の利得に対する世の飽くことを知らない貪欲さも,わたしたちがその影響を受けないように抵抗すべきものの一つです。しかし,物質的な富のはかなさを認めているだけでは,この種の貪欲さと闘ううえで十分ではありません。世の多くの人も,生活上の基本的必要物以外には,金銭によって,喜び・健康・人間的理解などほんとうに大切なものを買えないことを十分に知り,またすすんで認めます。それでもそうした人々は物質主義的な目標を熱心に追い求めています。クリスチャンがこうした霊のとりことなるなら,霊的な物事に対する認識は気づかぬうちに弱められるでしょう。それはその人の信仰をさえ滅ぼしかねません。聖書はこう述べています。「金銭に対する愛はあらゆる有害な事がらの根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」― テモテ第一 6:10。

      17 生活上の煩いに伴う過度の心配や富に対する欲望によって破滅させられてしまうことのないように何を行なうべきですか。

      17 こうした事が自分に起きないようにするために,わたしたちは,はるかに大きな価値のある霊的な富について,深い認識をいだいて考えつづけなければなりません。そして,生活上の必要物に対する過度の心配のために,エホバ神がご自分の民を顧みてくださるという,慰めとなる確信を失うことのないようにすべきです。イエス・キリストは次の保証のことばを語りました。「あなたがたの天の父は,あなたがたがこれらのもの[衣食住]をすべて必要としていることを知っておられるのです。それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなたがたに加えられるのです。それで,次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです」。(マタイ 6:32-34)そうです,わたしたちは生活上の必要物を得て満足すべきです。滅び去る物質上の富ではなく,敬神の専念こそ永続する利得をもたらします。敬神の専念は霊的な健康と満ち足りた気持ちとを得させ,永遠の命の約束を差し伸べます。―テモテ第一 4:8; 6:6-8。

      18 (イ)円熟したあるいは円熟過程にあるクリスチャンの思いの中にどんな疑念の起きることがありますか。(ロ)そうした疑念はクリスチャンにどんな影響を与えますか。

      18 疑いの気持ちも,円熟したまた円熟過程にあるクリスチャンを損う方向に働きます。円熟したクリスチャンであっても,聖書のある点を十分に理解できないことがあるかもしれません。そのことのために満足感や平安な気持ちを失ってしまうなら,真に大切な事がら,つまりエホバ神に忠実に仕えるという目標から容易にそれてしまうでしょう。ある聖句の解釈について個人的な説を立てる人もいます。今日の神の民の会衆がそうした解釈を真理としては認めないために,そうした人たちは不平を言い,ご自分の民に対するエホバの支持を疑うようになります。(ヨハネ 6:53,66-69; ルカ 12:42-44と比較)さらに,だれか仲間の信者の態度や行動について過度に気にかける人もいます。そうした人たちは不完全な人間を見はじめ,それに基づいて会衆全体を裁き,真理を他の人に教えることの喜びをすぐに失ってしまいます。そうした人たちは,快い霊的な交友をともに楽しんできた人々が実際には神に献身した民であることを疑うようになります。―コロサイ 3:13,14と比較。

      19 クリスチャン会衆について何か疑念の起きた場合何を行なうことができますか。

      19 この種の疑念が自分の思いの中に起きた場合,どうしたらよいでしょうか。謙遜な態度でエホバ神に知恵を求めてください。試練となるどのような事態についてもそれと取り組むに必要な知恵をエホバが与えてくださることを確信していることができます。弟子ヤコブはこう書いています。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての者に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば,それは与えられます」。(ヤコブ 1:5)また,エホバのクリスチャン証人の会衆内にいる長老たちの援助も受けてください。神のことばについての深い理解を持つ人と話せば,その人の客観的な注解があなたの疑念を除き去るのに役だち,神への奉仕に再び真の喜びを見いだせるようになる場合も多いでしょう。

      20 円熟したクリスチャンおよび円熟過程にあるクリスチャンは,永遠の命を望み見るがゆえに何を行なうべきですか。

      20 ですから,まだクリスチャンとしての円熟に達していない人がいるなら,その人はそれを目ざして『進み』,この世の不健全な影響に対して警戒しなければなりません。すでに円熟したクリスチャンとなっているのであれば,「その同じしかたで整然と歩んでゆき」,他の力に負けて堕落してしまうことのないようにしましょう。自分の得た円熟性を活用し,「雄々しくあり,力強い者となり」,クリスチャンとしての円熟性という目標にこれから達する他の人々を助けましょう。それは,わたしたちすべてが最終的な目標,すなわち,神の是認とそれによって得るとこしえの命に達するためです。―フィリピ 3:12,14-16。ガラテア 6:1,2。コリント第一 16:13,14。

  • 「あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」
    ものみの塔 1974 | 6月1日
    • 「あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」

      1 霊的に円熟したクリスチャンがさらに進歩できるかどうかについて,テモテにあてた使徒パウロのことばは何を示していますか。

      エホバ神の献身したしもべの場合,クリスチャンとして円熟に達することはその人の進歩の終わりではありません。使徒パウロは円熟したクリスチャンであったテモテにあてて次のように書きました。「公の朗読と説き勧めることと教えることにもっぱら励みなさい。……これらのことをよく考えなさい。それに打ち込んで,あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい」― テモテ第一 4:13-15。

      2 人の普通の生活は円熟が進歩の終わりでないことをどのように示していますか。

      2 円熟が進歩の終わりでないことは,人の普通の生活にも明らかに見ることができます。結婚して自分自身の家族を持つ人は円熟したおとなとみなされるのではありませんか。それでも,成人としての責任を果たしてゆく過程でその人は引き続き知恵を増し加えてゆくのではありませんか。自分の過ち,また人の成功や失敗を通していろいろなことを学ぶのではありませんか。まさにそのとおりです。そして,自分の父親や他の年長の人々の経験や知恵を認め,そうした人々に助言や導きを求める場合さえあるでしょう。

      3 円熟したクリスチャンはどのように進歩を続けることができますか。

      3 円熟したクリスチャンについても同じことが言えます。神のことばを学びそれを当てはめてゆくことによって,クリスチャンは,知識や認識や分別の面での成長を続けてゆくことができます。また,家族の中にりっぱな精神を築き上げたり,他の人々に良い感化を与えたりする点でさらに進歩することもできます。円熟したクリスチャンは互いどうしからも多くのことを学べます。同じクリスチャンでも霊的な資格の表われという面ではそれぞれに異なるからです。ある人は知識の点できわだっています。親切さやしんぼう強さの点で特に目だつ人もいます。さらにまた,難しい問題

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