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  • 神権的な要求に従い歩調を揃えよ
    ものみの塔 1956 | 9月1日
    • ことを示しました。そのわけで,御使は彼に次のように語りました,『私は神のみまえに立つガブリエルであつて,このよろこばしい知らせをあなたに語り伝えるために,つかわされたものである。時が来れば成就する私の言葉を信じなかつたから,あなたはおしになり,この事の起る日まで,ものが言えなくなる。』ガブリエルはヱホバの代表者でした。彼の言葉に疑念を抱くべきでなかつたのです。この権威に尊敬を示さなかつたため,神から厳しい罰を受けました。―ルカ 1:19,20,新口。

      15 アナニヤが,パウロの口を打つようにと命じたとき,パウロはこう言いました,『白く塗られた壁よ,神があなたを打つであろう。あなたは,律法にしたがつて,私をさばくために座についているのに,律法にそむいて,私を打つことを命じるのか。』そばに立つている者たちが『神の大祭司に対して無礼なことを言うのか』と言いました。パウロは謝つて次のように語りました,『兄弟たちよ,彼が大祭司だとは知らなかつた。聖書に「民のかしらを悪く言つてはいけない」と書いてあるのだつた。』この世の王や支配者の前に立つた別の時に,パウロはいつも注意深く振舞い,正当な敬意を示しました。それであるなら,ヱホバが権威を委ねている者に対しては,猶更いつそうの敬意を示すべきでありましよう!―使行 23:1-5,新口。

      16 サウロ王は,しばしばダビデの生命を脅かしました。しかし,ダビデはサウロの生命を取り得る場合でも『誰かヱホバの油注ぎし者に敵して,その手をのべて罪なからんや。』と語りました。サウロを殺そうとしなかつたダビデは,神を恐れ又神の任命した者に対する深い尊敬を示しました。(サムエル前 26:9。詩 105:14,15)ユダはソドムとゴモラやそのまわりの町のような人々の行と,ミカエルの行とを比較対照しています。彼は悪しき者について,次のように述べていました,『これらの人々は,夢に迷わされて肉を汚し,権威ある者たちを軽んじ,栄光ある者たちをそしつている。御使のかしらミカエルは,モーセの死体について悪魔と論じ争つた時,相手をののしりさばくことはあえてせず,ただ「ヱホバがお前を責めるように」と言つただけであつた。しかし,この人々は自分が知りもしないことをそしり,また分別のない動物のように,ただ本能的な知識にあやまられて,自らの滅亡を招いている。』ペテロは尊敬の念を持たない不法の者に対して,同様な非難を述べています,「こういう人々は,大胆不敵なわがまま者であつて,栄光ある者たちをそしつてはばかるところがない。しかし,御使たちは,勢においても力においても,彼らにまさつているにかかわらず,ヱホバを尊敬している故に,彼らをそしりの言葉で訴えることはない。これらの者は,捕えられ,ほふられるために生れてきた,分別のない動物のようなもので,自分が知りもしないことをそしり,その不義の報いとして罰をうけ,かならず亡ぼされてしまうのである。』― ユダ 8-11。ペテロ後 2:6-13,新世。

      17,18 権威にたいして不敬な態度を示すときのどんな重大な結果は,アナニヤとその妻サッピラ,コラ,ミリアム,そしてアロンの場合に示されていますか。

      17 忠実な僕は,いつでも権威に対して正当な敬意を示すよう注意を払います。そして,これらの代表者たちがヱホバの御名によつて語つていることを,認識しています。アナニヤとサッピラがペテロに偽つたとき,使徒は『あなたは人を欺いたのではなくて,神を欺いたのだ』と告げました。彼らは,ヱホバとその代表者たちに対する敬意が欠如していたため,自分の生命を失いました。コラはモーセとアロンの指導権に反逆しました。モーセはコラの不敬な態度は極めて重大事であることを示して,こう語りました,『なんぢらヱホバがこのすべての事をなさせんとて我を遣し給えること,また我がこれを自分の心にしたがいて行うにあらざる事をこれによりて知るべし。すなわち,この人々もしすべての人の死るごとくに死に,すべての人の罰せらるごとくに罰せられなば,ヱホバ我を遣し給わざるなり。されどヱホバもし新しき事をなし給い,地その口を開きて,この人々と之に属する者を呑みつくして生ながら陰府に下らしめなば,この人々はヱホバを瀆ししなりと汝ら知るべし。』コラとその群の者たちは,反逆の行をなしたために『罪を犯して生命を失い』ました。そのような人々は,人間に反対するのでなく,神に反対するのです。―使行 5:1-6。民数紀略 16:1-38。使行 5:38,39。

      18 不敬な態度を示すならば重大な結果が引起されます。その例として,ミリアムとアロンの例もあります。彼らはヱホバの選び給うた代弁者,モーセを軽んじて無視しました。『ヱホバただモーセによりてのみ語り給わんや。また我らによりても語り給うにあらずや。』と彼らは言つたのです。彼らの非神権的な行のために,ミリアムには癩病が生じました。二人が悔い改め,またミリアムのためにモーセがとりなしたおかげで,ミリアムは医されたのです。しかし,ミリアムの行にヱホバが怒りを感ぜられたことは,モーセに告げられた次の言葉からも分ります。『彼の父その面に唾する事ありてすら,彼は七日のあいだ羞おるべきに非ずや。されば,七日のあいだ彼を営の外に禁鎖おきてしかる後に帰り入らしむべし。』兄弟も姉妹も,みなこのことから警めの訓戒を銘記すべきです。つまり,ヱホバの代表者である権威にむかつてそしりの言葉や不敬の言葉を言うことは,重大な罪であつて,神権制度なる『営の』外に出されてしまう,ということです。『生ける神の御手のうちに落ちるのは,恐ろしいことである。』を知りなさい。―民数紀略 12:1-15。ヘブル 10:31,新口。

      公正な神

      19 欠点のある肉の人間を見ることは,なぜ賢明ではありませんか。

      19 ペテロの言葉によると,ヱホバは『人をかたよりみないかたで,神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さる。』それで,ヱホバの制度は『お気に入る者たち』で充されている,という古い世の考えを棄てなさい。気に入る者たち,などはいないのです。もしあなたがヱホバを恐れ,義の業を行うなら,他の人と同じようにあなたもヱホバに愛せられる者です。会衆内の僕たちは,それぞれの資格と奉仕する能力の故に選ばれているのです。会衆は,その任務にふさわしい尊敬を僕たちに示すべきです。なぜなら,ヱホバはこの方法によつてあなた方と交りを持ち,あなた方もヱホバと交りを持つているからです。個人的に嫌いな『肉』につまづくために,神権的な関係を弱めてはなりません。パウロは次のように述べているからです,『私たちは今後,だれをも肉によつて知ることはすまい。かつてはキリストを肉によつて知つていたとしても,今はもうそのような知り方をすまい。だれでもキリストにあるならば,その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去つた。見よ,すべてが新しくなつたのである。』もし,欠点を持つ肉の人間を見る傾向があるなら,ヱホバの奴隷としてのその人の神権的な地位や責任を軽く見るようになるでしよう。神権的な代表というこの原則を明白に見るなら,私たちは自分の権利や利害を主張しようとはせず,むしろヱホバの任命者が与える賢明な助言に従うでしよう。これらはヱホバからの『人々の賜物』です。彼らは私たちを援助して救を得させ,かくして神に誉を帰すと共に,神の大いにして聖なる御名を立証するでしよう。―使行 10:34,35。コリント後 5:16,17。エペソ 4:8,新世。

      20 それでは,新世社会と歩調をそろえるとは,どういう意味ですか。

      20 このわけで,新世社会と歩調を揃えることは,多くの事柄を意味します。それは,自己を犠牲にする献身の生涯を意味します。そして,キリスト・イエスが過去および現在に為されているごとく,ヱホバ神に全く心からの献身を捧げることです。また,私たちは古い世の習慣を取除いてヱホバの御要求に従わねばなりません。そして,『忠実にして慧き奴隷』を認めて,権威を持つ者たちに正当な敬意を示さねばなりません。かつ「自分を吟味し」なければなりません。ひとまとめにして言えば,これはみな『戒めを汚すことがなく,また,それを非難のないように守りなさい』ということです。―コリント後 13:5。テモテ前 6:14,新口。

      21 新世社会と歩調を揃えることは,私たちにどのような益を与えますか。

      21 もしこのことをなすなら,私たちはヱホバの過分の御親切により円熟するでしよう。また,制度と歩調を合わせる時に得られる豊かな祝福に気づくようになるでしよう。私たちは神権的な拡大に心を躍らします。私たちは知識と理解が増し加わるにつれ御霊で燃えます。私たちは,播いたものをよろこんで刈り取るでしよう。私たちの確信は強く,信仰は動かず,認識は深いものでしよう。そして,神の新世社会と歩調を揃えているという確信は十分なものであるため,私たちは喜びに溢れます。神の導きと指示は,この古い世の終の日に私たちを霊的に良く養うだけでなく,永遠に存在する正義の新しい世に私たちを生き長らえさせることでしよう。

  • 持ち物の誇
    ものみの塔 1956 | 9月1日
    • 持ち物の誇

      多くの人は持ち物について隣人に負けまいと努めています。ベンジャミン・フランクリンは,このことについて次のように語りました。

      『みえをはつてなんの益があるか。そうしたところで,苦しみを受け,危険を冒すだけなのだ。みえをはつても健康を促進せず,苦痛を無くさない。人の善を増しもしない。ただしつとをひき起し,不幸を増し加えるだけだ。』この言葉は真実です。隣人に負けまいと努める人々は,必らず不幸になり,災をうけます。そのことは,悪鬼の支配するこの世がハルマゲドンで過ぎ去るのと,全く同じぐらいにたしかなことです,『すべて世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,持ち物の誇は,父から出たものではなく,世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる。』― ヨハネ第一書 2:16,17,新口。

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