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世界展望目ざめよ! 1980 | 12月22日
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世界展望
血の売買
◆ イタリアのナポリでは,マフィアが血液の売買を一手に握っていると言われる。ナポリの公訴官ルッジェーロ・ピッラ博士によれば,“吸血鬼ビンチェンツォ”として知られる一ギャングが血しょうの入ったびんを買い集めているという。この男は一びんにつき20㌦(4,800円)を支払い,需給関係によって定まる値段でその血液を販売する。その値段は,一びん200㌦(約4万8,000円)になることも少なくない。ナポリ警察はこの件につき次のように述べている。「この地区の血液提供者は犯罪組織の構成員によって取りしきられており,血を必要とする患者の家族は法外なお金を支払わなければならない。これはたちの悪いゆすりであり,しかも増え続けている。我々は撲滅に全力を尽くしているが,難しい。自分の血を売る人々は,殺すと脅かされているので,その犯罪組織以外の人に血を売ることを恐れている」。
孤独感をいやす方法
◆ 「心の痛み: 孤独は医学的に何をもたらすか」という本を著したジェイムス・J・リンチは最近インタビューを受け,孤独感を克服する幾つかの方法について次のように説明した。「私の方法は非常に基礎的な方法だ。その方法は何千年も前から知られていて,主要な宗教すべての一部となっている。根本的に言えば,愛を探したければ愛を与えなければならないということだ。古臭いと思われるだろうがこれは真実である。……こんなことを言っても信じてもらえまいが,ペットを飼うといった簡単なことがその解決策となることもある。動物を扱う商売が巨万の富を築く産業になっているのは変わり者が多いからではない。それは本質的な生物学的欲求を満たす。退院して一人暮らしをしている心臓病患者を調べた結果,ペットを飼っている人は,そうした相手がいない人よりもかなり長生きすることが判明した。我々は“独立的な人”に関する神話を破壊しなければならないとも考える。依存関係には健全なものも不健全なものもあるが,生物学的に独立している人は一人もいない。自分には他の人が必要だと言う人を攻撃する人が多いのは,確かに大変おかしなことである」― US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌,1980年6月30日号。
腹をたてたあげく死を選ぶ
◆ 横浜の21歳の学生の例は所有欲が人を死に至らせることを物語っている。英文毎日紙の伝えるところによると,「この学生は昨年の2月に運転免許を取得し,ほとんど毎日のように,自動車を買ってくれるよう親にせがんでいた」。親がそれに応じなかったので,この若者は借りた車の排気ガスで自殺を図ったものと思われる。
サウンド・オブ・ミュージック
◆ 米国ニューヨーク州ロングアイランドに住む一建築業者は,ラジオが鳴っていないにもかかわらずロック音楽が聞こえ続けて眠れず,警察を呼んだ。調査を行なった警察官は,かすかな音がこの人の頭から聞こえ,耳をその人の顔に当てると音楽がはっきり聞こえることを突きとめた。警察官は試しにラジオのいろいろな放送局にダイヤルを合わせてみたが,案の定,ぴったり合う放送局があった。48㌔遠方のコネチカット州ハムデンからの放送である。この建築業者の生活にはロック音楽以外にも何か新しいものがあっただろうか。それは一組の入れ歯である。その入れ歯の金属がラジオ受信機の働きをし,建築業者のあご骨が音楽を増幅して直接耳に伝えたものと見られている。
かすめとられる国連都市
◆ ウィーンの新国連都市の建設期間中に,厳重な警戒にもかかわらず,「くぎで留められて」いない物が全部運び去られた模様である。すでに敷いてあるじゅうたんから,カーマット大の断片がなくなっていることが突然明らかになった,とオーストリアのディー・プレス紙は報じている。会議室の高価なマイクロフォンや電灯のスイッチだけでなく,大きな発電機やトイレの備品までも姿を消していた。被害額は1,500万シリング(約2億8,800万円)に上るという説もあった。重要な容疑者として,国連都市の建物の一部を事実上自由に行き来できたさまざまな工事請負人があげられている。
腎臓病の治療法
◆ 医師たちの語るところによると,これまで人工腎臓装置につながれていた幾千人もの人が,簡単な治療を受けることによって体を自由に動かせるようになっている。その治療法はCAPD(continuous ambulatory peritoneal dialysis[病院外継続腹膜透析])と呼ばれている。この治療は「複雑な機械装置や電気や抗血液凝固物質もしくは血管を傷つけることを要せず,本物の腎臓と同様,四六時中機能を果たす,とCAPDの考案者の一人,ミズーリ大学のカール・ノルフ博士は語った。この治療では患者の腹腔に2㍑近くの無菌生理的食塩水を常時満たし,1日に4度その食塩水を入れ替える。食塩水はプラスチックの袋に入っており,体内に半永久的に植え込まれた管を通って重力によって流れるようになっている。液を入れ替えてから次に入れ替えるまでの間,プラスチックの袋は包まれて衣服の内側に隠される。この方法によると排せつ物は胃と腸を覆っている腹膜から溶液に散っていく。血液中の排せつ物の量は絶えず低く保たれるが,人工腎臓の場合には排せつ物のレベルは治療と治療の間に上昇する。医師たちの語るところによると,この治療は,現在人工腎臓で6時間に及ぶ血液透析を週に3回必要とする患者の約3分の1に,それに代わる治療を提供するものとなる。
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聖書理解の助け ― 捕囚(その二)目ざめよ! 1980 | 12月22日
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聖書理解の助け ― 捕囚(その二)
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
捕囚(その二)。
追放された者の状態
捕囚は一般に虐げと隷従を意味するものとされました。イスラエルにあわれみを示すかわりに,「老人の上にあなた[バビロン]はあなたのくびきを非常に重くした」と,エホバは言われました。(イザヤ 47:5,6,新)追放された者からは,他の捕虜から取り立てられたのと同様,生産したり,働いて得たりすることができるところにしたがって,確かにある程度の支払い(税金・貢ぎ物・使用税)が要求されました。(エズラ 4:20)また,エルサレムにあったエホバの偉大な神殿の物品は奪い去られ,神殿は破壊され,その祭司たちは殺されたり,捕らわれて追放されたりし,崇拝者たちは捕囚の身として連れ去られ,外国の臣民とされたりしていたので,人々は確かに虐げられた状態にありました。
しかし,異国の地に追放されたからといって,果てしなく続く,か酷な奴隷状態のもとに売られたり,アッシリア人やバビロニア人征服者の典型的な残酷な方法で処刑されたりする程ひどい目に遭った訳ではありませんでした。(イザヤ 14:4-6。エレミヤ 50:17)捕らえられたユダヤ人は,動き回る自由をある程度享受し,また自分たちの事柄はある程度自分たちの間で管理することができました。(エズラ 8:1,16,17。エゼキエル 1:1; 14:1; 20:1)「追放された民すべてに」エホバはこう言われました。「わたしがこれらの者をエルサレムからバビロンへ追放の身として行かせたのである。家を建てて[そこに]住み,園を設けて,その実を食べよ。妻をめとり,息子や娘の父となれ。自分の息子のために妻をめとり,自分の娘を夫に与え,息子や娘を産むようにせよ。そこで多くなり,少なくなってはならない。また,わたしがあなた方を追放の身として行かせた都市の平安を求め,その[都市の]ためにエホバに祈れ。その平安のうちに,あなた方のための平安があるからである」。(エレミヤ 29:4-7,新)そのうちのある人々は,捕囚が終わった後に役立った,種々の職業技術を身につけました。(ネヘミヤ 3:8,31,32)交易事業や一般的な商売は彼らの得意な職業となりました。ニップールで得られた,ある有名なユダヤ人の一族に関する発見物は,銀行業や不動産業および保険業が盛んに営まれていたことを示しています。彼らの営業記録には多数のユダヤ人の名前が見つかりました。このようにユダヤ人以外の人々と通商および社交上の接触があったので,やがてアラム語がヘブライ語に浸透するようになりました。
この捕囚の期間は一部の人々にとっては80年にもなったので,地域社会におけるまことの神エホバの崇拝は当然影響を受けました。神殿もなければ,祭壇もなく,組織立った祭司職もないのですから,日ごとに犠牲をささげることもできませんでした。しかし,忠実な人々は他の人々から軽べつされ,嘲笑されても,割礼を守ること,汚れた食物を避けること,安息日を守ること,絶えず祈ることなどを行なうことができました。捕らわれの身であったダニエルはその神に「常に仕えている」ことで,ダリヨス王や他の人々によく知られていました。王以外のいかなる者にでも請願をする人は死刑に処されるという禁令が法制化された時でさえ,「日に三度も,[ダニエル]はそのひざでひざまずき,その神の前に祈り,賛美した。彼はそれ以前もいつもそうしてきたからであった」とあります。(ダニエル 6:4-23,新)崇拝が制限を受けながらもこのように忠実を保ったからこそ,それら追放された者たちは国民としての独自性を失わずに済みました。また,エホバの清い崇拝の簡素さと,偶像崇拝を事とするバビロンのはでな物質主義との間に見られる対照からも益を得ることができました。それに,エホバの預言者,エゼキエルやダニエルがいたことからも,確かに彼らは益を受けました。―エゼキエル 8:1。ダニエル 1:6; 10:1,2。
ユダヤ人の間で地方の会堂の取決めが発達するにつれ,メディア,ペルシャ,バビロニア全域のユダヤ人追放者の各地の共同体では,聖書の写しに対する必要性が増大しました。エズラは「モーセの律法に通じた熟練した写字生」として知られていましたが,これは,エホバの律法の写しがユダから運ばれており,その複製が作られていたことを示しています。(エズラ 7:6,新)それら過去の世代の貴重な巻き物には詩篇が含まれていたに違いありません。詩篇 137篇,それに恐らく詩篇 126篇も捕囚の期間中,またはその後まもなく作られたと考えられるからです。いわゆる賛美の詩篇六篇(113-118篇)は,バビロンからの残りの者たちの帰還の後の大いなる過ぎ越しの祝いの際に歌われました。
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