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すべての人が主の晩さんに出席するように励ます王国宣教 1974 | 3月
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すべての人が主の晩さんに出席するように励ます
1 主の晩さんの式はきわめて重要な催しです。それは単なる例年の集まりではなく,昔のできごとの単なる記念でもありません。イエスは,「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」と言われました。(ルカ 22:19。コリント第一 11:24)それは,一個人としてのイエス・キリストを自分の思いに想起することです。それは,イエスがなさった事柄そしてイエスが今おいでになる立場に関心を向けます。それは,イエスが今日生きて活動しており,その忠実な歩みと自己犠牲の結果として栄光と王権とを得ておられることを認めることです。クリスチャン会衆の頭として,イエスはクリスチャン会衆の物事と活動とを指揮しておられます。わたしたちは,イエスの払われた犠牲と,神のお目的におけるイエスの立場,それらがわたしたちとどのような関係を持っているかという点に関心をいだいています。主の晩さんは,エホバの取決めの中で自分がどのようなところに立っているかを考える機会になるのです。
2 神は,ご自分のクリスチャン証人すべてがこの催しを大切にし,その式に出席することに深い関心をいだいておられます。そのことは,わたしたち,特に会衆内の牧者たちに,会衆に交わるすべての人を励まし,それに出席するように助けることの大切さを銘記させます。
3 このために,兄弟たちが,会衆の区域内にいて,幾らかの関心をいだいていることが知られている人,あるいは過去に出席したことのある人すべてと連絡を取るような取決めを,長老たちが設けるのが良いでしょう。たいていの場合は,それはいろいろな伝道者の知っている人たちでしょう。それぞれの書籍研究の群れがこの点で自分の群れの地域を調べ,そうした人たちを訪ねる取決めを作ることができるでしょう。そのほか,「ものみの塔」の予約者に対しては特別の招待を差し伸べることができます。
4 印刷された招待状を差し出すことに加えて,関心を持つ人々の心に訴えるために何を言うことができるでしょうか。考えるべき一つの点として,それらの人たちはまだ王国会館の中に入ったことがないかもしれません。また,特に,エホバの証人の会衆の成員となっていない人の場合には,なぜそこに行くべきかを理解していないかもしれません。そして,関心をいだいてはいても,天への希望をいだいていない者もなぜそれに出席すべきなのかが十分にわからないかもしれません。
5 ですから,ある人たちには,形式的な行動や儀式などに参加することは何も求められていないという点を話すのが役だつでしょう。感情的に人を動かそうとするような展示物は何もありません。王国会館は聖書の教育という目的に資するものであり,それにふさわしく,像・十字架・祭壇・ろうそくなどの飾り付けはありません。イエスの死の記念式は,キリストの命じたただ一つの式典であるという点を説明してください。それは特別に守るべき唯一の日です。そのために,神への崇拝を受け入れるすべての人が関心を持つべきなのです。
6 しかし,大切なのは,なぜこの命令が与えられたのか,そして,記念式は何を意味しているのか,わたしたちがそれに出席したいと思うのはなぜか,という点です。この点について言えば,記念式はわたしたちの命そのものと関係があるのです。それは,世界の平和と,そうした平和な世界での幸福な生活というわたしたちの希望とつながっているのです。わたしたちがどのような立場にいるとしても,贖いの犠牲を払ったキリストは,わたしたちを買い取ったかたであり,そのゆえにわたしたちの所有者です。キリストはわたしたちの裁き主でもあります。(ヨハネ 5:21,22)彼はもはや単なる人間ではなく,強大な霊者であり,主また王としての地位に就いており,キリストの政府はごく近い将来に地を完全に管理するようになるのです。確かにわたしたちは,自分たちを治める政府に関心を持っています。わたしたちの所有者,裁き主,王の前で,わたしたちはどこに立つことになるでしょうか。
7 キリストのささげた犠牲の恩恵は,まもなく,すべての従順な人々の病気を実際にいやすというかたちで与えられます。ですから,神に信仰を持つすべての人は,より深いより広い理解を得,どうしたらイエスの犠牲の益を受けられるかを知るために,ぜひともこの集いに出席すべきです。エホバの証人が年ごとに行なうこの式は,今年は4月7日の晩に行なわれますが,そのさい話し手は,主の晩さんの意味と,今日のわたしたちの生活におけるその意義とについて説明するでしょう。パンとぶどう酒を用いることについては,ルカ 22章19,20節の記述に綿密な注意が払われます。簡素であっても,深い意義のある儀式です。
8 わたしたちは,神とみ子に対する愛のゆえに主の晩さんに出席します。そして,他の人たちへの愛のゆえに,その大切さに気づいていないかもしれない人々を助けます。
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奉仕会をあなたの会衆に適合させる王国宣教 1974 | 3月
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奉仕会をあなたの会衆に適合させる
1 イザヤ 54章13節は,『なんぢの子らはみなエホバに教へをうけ,なんぢの子らの安きは大いならん』と約束しています。奉仕会は,そうした教えが与えられる取決めの一つです。それを楽しく有益な集会とするために会衆内のすべての人が貢献できます。
2 たいていの奉仕会は,「王国奉仕」に概略されている資料と時間の予定で行なわれます。しかし,時おり,会衆によっては,その資料の内容が必ずしもあてはまらない場合があり,そうした場合,その資料を扱う長老や奉仕のしもべは,弾力性をもってそれを扱うことが必要です。例えば,1973年8月号「王国奉仕」の「挑戦となるが報いの多い区域」という記事は,主として大都市にあてはまるものでした。それで,小さな町や農村地区の兄弟たちは,そこにある提案を自分たちの地域にあてはめながらも,その資料を扱うためにそれほどの時間をかける必要はありませんでした。
3 「王国奉仕」の記事の内容が会衆に直接にあてはまる場合であれば,その部分を担当する人は,その資料について徹底的な準備をし,聴衆が,それを十分に理解し,会衆にどのようにあてはまるかを認識できるようにすべきです。ときおり,割当てを受けた人が,会衆はみなその記事を読みその内容に十分に通じているから,自分は少しほかの研究をし,「王国奉仕」にあることの“言い直し”ではなく,自分独自の“新鮮な”ものを提出しよう,と考える場合もあるようです。そして,これがときに,長々とした前置きのことばでなされます。しかし,その時間を,割当ての記事そのものの討議と,その記事の内容を実際にどのように用いることができるかという点で会衆を助けることにあてるなら,そのほうが有益でしょう。
4 「あなたの奉仕会」の欄にときおりある,聖書的な主題に基づく討議をどのように扱ったらいちばん良いだろうかと尋ねてきたかたたちがいます。資料が多すぎて,半分ほどで時間が来てしまうと感じられる場合があるかもしれません。一例として,11月号「王国奉仕」の「あなたは組織のことをどれほどよく知っていますか」という部分には,出版物の引照のほかに,聖句の引照が約15ほどあります。司会者は,その資料全体にわたる平衡の取れた討議ができるように取り計らうべきです。すべての聖句を開いて討議の間に読むことは意図されていません。出版物の引照についても同じです。それらは,伝道者たちが家で予習のさいに調べ,そこに含まれる考えを討議のさいにできれば手短に述べることを目的として,そこに挙げてあるのです。こうすれば,すべての質問に幾らかの時間を当て,またあらかじめ選んだ鍵となる聖句を読むこともでき,討議は活発に進行し,すべての点が平衡の取れたかたちで取り上げられるので,会衆全体が益を受けるようになります。
5 11月18日の週の奉仕会の場合のように,わずか10分ほどの閉会部分に,閉会のことばや会計報告などのすべてをどうしたらうまく織り込むことができるだろうか,という問いも寄せられました。そうした部分を扱う兄弟は,時間をどのように配分するかを決めなければなりませんが,ここで取り上げた例の場合には,会計報告のうちおもな点だけを述べることができるでしょう。その兄弟は奉仕会を時間どおりに終わらせる責任があります。
6 聖書に基づく話や文書の提供,そのほか良いたよりをどのように伝えたらよいかに関する実演のためにどのような人を選ぶべきですか。それは普通,有能で経験のある伝道者であるべきです。そのうえ,そうした実演を依頼する人に対しては,そのプログラムの司会者が必要な指示を与え,またその実演の練習を行なうべきです。新しくて経験のない伝道者にただ壇上に出る機会を与えたいという理由でそうした伝道者が業の行ない方に関する実演をするように取り決めるのは概して最良の方法ではありません。もっとも,そうした新しい人の中には,家の人として参加してもらえる人もいるでしょう。そうした新しい人々には,集会での注解や,宣教学校での研究生の話,また野外奉仕への参加など,実地の経験を積む機会がいろいろあります。
7 会衆独自のプログラムを組むように提案されている週の場合,長老たちは前もって良く考慮し,会衆が最も必要としている事に関し共に考慮できるでしょう。もし,奉仕会がときに興味に欠け,それほど教訓的でないと思える場合があるなら,主宰監督,そして長老の一団がその問題を検討し,ここに挙げた考えのどれかをあてはめることが助けになるのではないか,という点を考慮するのがよいでしょう。聴衆も演壇に出る人も,前もって考えることと準備とによって,奉仕会を励みと喜びの多いものとすることに貢献できます。
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良いたよりを伝える ― あらゆる機会に予約を提供することによって王国宣教 1974 | 3月
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良いたよりを伝える ― あらゆる機会に予約を提供することによって
1 人が「ものみの塔」か「目ざめよ!」を予約する場合,どのようなことがなされるでしょうか。その後12か月の間,その家の人たちが永遠の命を得るのを助けることのできる音信が,毎月2回ずつその家に届けられるのです。
2 毎号の雑誌に載せられる記事は,エホバの民を霊的に養うだけでなく,一般の心の正しい人々に訴え,そうした人々の心を動かすことをも目的として特別な配慮が払われています。「ものみの塔」誌のある記事は一般の人たちには難しすぎるだろう,とは考えないでください。過去一年に受け取った古い号にもう一度目を通してみる場合,一般の人には理解できないと思える記事をあなたはどれほど見つけるでしょうか。深い内容の記事でさえ読み易く,理解し易いのです。
3 「ものみの塔」運動の残りの月の間,予約を提供する機会を,家から家の伝道,予約を得られるかもしれない再訪問,自由なかたちでなされる証言の機会,贈り物の予約など,あらゆる方向に求めることにしましょう。
4 4月以降,「ものみの塔」誌の特色の一つとして,イエスの臨在とこの事物の体制の終わりを示す「しるし」のいろいろな面を論ずる記事が掲載されます。4月には,そうした記事のどれかの点を戸口での話し合いの中に取り入れることができるでしょう。そうした点を用いて,予約する価値を認識できるよう人々を助けてください。
5 次号の内容を紹介する囲いも広げられ,のちの数号のきわだった記事をも含んでいることに気づくでしょう。「ものみの塔」を予約することがその先ほんの数号だけをみてもいかに益になるかを示すために,それを活用してください。
6 「ハルマゲドンの勝利の側に立って生き残る」という記事を載せた,「ものみの塔」の4月15日特別号,および,「進化論は最大の挑戦に直面する」と題する「目ざめよ!」4月22日特別号には,野外の話し合いで取り上げることのできる,優れた点が数多くあります。しかしながら,そうした点について話し,しかも簡潔に,説得力をもって話すためには,わたしたち自身が雑誌を「知る」必要があります。自分の個人の分を受けしだい,できるだけ早く自分自身その内容を「知り」,野外で効果的に予約を提供できるようにしてください。
7 わたしたちは,「ものみの塔」運動の4か月の間すべての人が予約のことを常に意識しているように勧めます。両方の雑誌の予約が一方の雑誌の予約と同じほど簡単に得られる場合も少なくありません。それを試みて,それがあなたの区域にあてはまるかどうかをみてください!
[8ページの拡大文]
「ものみの塔」と「目ざめよ!」をすべての人の前に置く
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神権的ニュース王国宣教 1974 | 3月
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神権的ニュース
◆ 最近の巡回大会の出席者数とバプテスマを受けた人の数は次のとおりです。調布: 1,247人,61人。堺・西: 1,472人,108人。八幡浜: 620人,45人。福山: 1,403人,71人。北九州・戸畑: 1,808人,118人。
◆ 新しい王国会館と献堂式出席者数: 石巻: 72人。福井: 232人。福山・深津: 254人。
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質問箱王国宣教 1974 | 3月
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質問箱
● 必要の大きな所に移って奉仕することを考えている人は,どんな点を考慮すべきですか。
魂をこめてエホバに仕えたいとの願いをいだいてこうした業に携わってきた伝道者たちにより,多くの良い事がらが成し遂げられてきました。そして,熱心な伝道者を大いに必要としている地域は今でも多くあります。
もちろん,すべての人の情況がこの種の業に適しているわけではありません。普通,助けを必要としているのは,人口の少ない地域にあり,神権的な面で経験を積んだ兄弟のあまりいない小さな会衆です。ですから,最近バプテスマを受けたばかりの人は,十分の経験を積むまで比較的大きな会衆に留まるほうが賢明でしょう。深刻な個人的問題をかかえていたり,審理委員によってなんらかの制限を課せられたりする人は,必要な霊的援助を受けることのできる場所に留まるほうが有益です。親あるいは他の年長の人たちの導きや助けなしにこうした孤立した地域にいる若い人々は,ときに問題に直面することもあります。大きな家族を扶養する務めを持つ兄弟は,経済事情の難しい地域に移り,なおかつその責任を果たしていくことはできない,と感じるでしょう。他の場所に移ることを決める前に,自分の霊的な状態に影響するこうした点を考慮するのは良いことです。
自分は移転できる情況にあると考えるかたは,家族の他の人や会衆の長老たちとそのことを相談してください。そして,エホバの奉仕に関連してより多くのことを行ないたいという願いに動かされてそうしたいのかどうか,自分の動機を現実的に分析し,それを確かめてください。必ずしも遠くへ行く必要はありません。今住んでいる地域に必要な場所があるかどうか,巡回監督と相談してください。その上で,支部事務所に手紙を書き,提案を求めることができます。そのさい,「組織」の本の135ページにあげられている必要な事項すべてを知らせてください。
場所を決めたら,その土地の気候に関する知識を得たり,土地の兄弟たちと知り合ったりするために,そこに行ってみるのはよいことです。そうすれば,教育施設について尋ね,また住まいや新しい仕事を見つける見込みについて調べることもできます。他の場所に移ることによりエホバの奉仕に関連してほんとうにいっそう多くの事を行なえると考えておられるなら,エホバに全幅の信頼を置いて,ぜひそうなさってください。しかし,その場合でも,もしそうした移転が賢明でないように思われるなら,現在住んでいる場所でも,エホバの奉仕に関連して多くの事を行なえるという点を忘れないでください。
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