-
「彼らの中から出なさい」ものみの塔 1969 | 7月15日
-
-
れました。そしてこう説明されました。「我よりも父または母を愛する者は,我に相応しからず。我よりも息子または娘を愛する者は,我に相応しからず」。(マタイ 10:32-37)これはそうした人を以前よりも愛さなくなるということではなく,エホバとエホバの真理のみことばをどれほど深く愛しているかという問題なのです。
初めのうち正しい歩み方に反対する親族がいても,その親族のために永続する益を真に願うなら,人は真理に対して確固とした態度を取らねばなりません。圧迫に屈すれば,真理に対する親族の反対を助長する結果となるにすぎません。他方,神のみことばの真理を堅く守り,それに従いつつ生活して忠実に行動するなら,あなたには祝福と幸福とがもたらされるでしょう。これはあなたのひととなりを向上させるものともなります。時たつうちに身近な人々はあなたの歩み方の知恵と正しさとを認め,真理を悟るようになるかもしれません。わたしたちが抱き,目ざすべきものとして聖書が勧めているのはこのような希望です。―コリント前 7:12-16。
たとえばクリスチャンの妻は,未信者の夫に従うことをすすめられています。それは夫が「言によらず妻の行状によりて救に入らん」ためです。(ペテロ前 3:1,2)もとよりこれには忍耐,神の道が最善であるという信仰,また特に愛が必要です。しかし,もしあなたが生活の中でエホバを第一にするなら,エホバはあなたをささえ,あなたを強くしてくださるでしょう。エホバは愛の心から,そのことを保証しておられるのです。―ロマ 8:38,39。
またある人は,自分はすでに年寄りであり,今さら自分の歩み方を変えることはできないと思うかもしれません。しかし,「日の古い者」と呼ばれるエホバ神ご自身が,老齢の人々に対しても神を賛美するわざに加わることを勧めてこういっておられるのです。「老たる人 をさなきものよ みなエホバの聖名をほめたたふべし」― ダニエル 7:9。詩 148:12,13。
神のみことばは,神が非とされるものから離れないなら,老齢の人でもとがめを免れないことを示し,また「義の道に見られるしらがはうるわしい冠である」と述べています。(箴言 16:31。エゼキエル 9:4-6)自分が知った真理と一致した立場を取り,とこしえの命の道をしっかりと歩みはじめるのに,年を取りすぎているということはありません。過去においてどれほど多くの年月を誤用していようと,わたしたちが神の新しい秩序のもとで用い得る終わりのない命の年と比較すればわずかなものに思えるでしょう。―箴言 10:22。
偽りの宗教を奉ずる者の中から出るため,いま積極的に行動するならば,わたしたちはエホバ神との幸福で祝福された関係にはいることができます。(コリント後 6:17,18)なぜなら,神のみことばに反する事柄を教えたり行なったりする者の中から出ることが求められていることのすべてではないからです。ヘブル書 10章24,25節(新)が述べるとおり,神は『集まり合うことをやめない』ようにとも命じておられるのです。
では,わたしたちはだれと集まるのですか。霊と真理とをもって神を崇拝し,真のキリスト教,すなわち聖書の宗教を実践する人々とです。そのような人々について,神はこう語っておられます。「わたしは彼らの中に住み,彼らの中を歩む。わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう」― コリント後 6:16,新。
エホバの証人のクリスチャン組織を構成するのは,キリスト教国および非キリスト教国内の幾多の宗教から離れてきた人です。彼らはこうして大いなるバビロンからのがれてきました。彼らの御国会館で開かれる集会に行ってごらんになれば,あなたはこのことによる大きな相違をご自分の目で見ることができます。エホバの証人が他の宗教と全く異なっていることを示すのは,単にその集会の場所,あるいは寄付集めが行なわれないということではなく主として,集会そのもの,またそこに出席する人々の態度です。
その集会はほんとうの意味での聖書の勉強であり,聖書の原則をどのように日常生活にあてはめ,また神のみことばをどのように他の人に教えるかという面に重点が置かれています。あなたは,誠実な態度で『御国と神の義とを第一に求め』,神の霊の実を結ぶためまじめに努力する人々をそこに見いだされるでしょう。―マタイ 6:33。ガラテヤ 5:22,23。
一,二度出席すれば,あなたの好奇心は満たされるかもしれません。しかし,神への奉仕において真の進歩を目ざすなら,あなたは初期クリスチャンたちのようになるべきです。真理の価値をほんとうに認めた彼らは,「その後も使徒たちの教えに専念し…心を一つにして,毎日絶えず宮に」いました。(使行 2:42,46,新)会衆の集会に定期的に参加してはじめて,あなたは神の是認を受けるに必要な信仰をつちかうことができるのです。
現代の大いなるバビロンから離れることによって,あなたはそれまでの交際という面で何かを失うかもしれません。しかし,エホバの民の集会に定期的に出席するなら,それをはるかに上まわるものを得られるのです。イエスに従うために多くのものを捨てたイエスの初期の弟子たちと同じように,あなたは,兄弟,姉妹,またあなたを喜んで迎え入れる家庭という面で「今の時代に百倍を得る」という約束が果たされるのを見るでしょう。あなたは,自分が純粋で誠実な愛と友情をもつクリスチャン兄弟たちの大きな家族の一部になったことを知るでしょう。そして,これらすべてに加えて,あなたは「きたるべき事物の体制の下で」の永遠の命の希望をも得るのです。―マルコ 10:28-30,新。詩 27:10。
今日エホバ神は目に見える組織をもち,正義の新しい体制下での命に備えてわたしたちを訓練するためにそれを用いておられます。現存する邪悪な体制が過ぎ去ったのちは,神の道があらゆる所にゆきわたるでしょう。そのとき残るのは神の政府だけです。(ダニエル 2:44)そのとき地上に残り,人が交われるのは,神の是認を受けた民だけです。正邪については神の標準だけが許されます。その時,宗教はただ一つしかないでしょう。
それゆえ,賢明なのは,今わたしたち自身を神の道にあわせ,文字になったみことばである聖書を通して神が備えておられる訓練を十二分に活用することです。こうしてわたしたちは,神が建てる正義の新しい体制下でのとこしえの命を得たいとの願いを実際に表わすことになるのです。―詩 86:10,11。箴言 4:10-13。
-
-
親切の結ぶ実ものみの塔 1969 | 7月15日
-
-
親切の結ぶ実
★ 宣教で親切を示すことは非常に大切です。戸別伝道をしていたポルトガルの一人の男の伝道者は,忙しいながらも興味を示した一婦人に会いました。婦人はカトリック教会の活発な信者でした。それで伝道者は,たとえ忙しくても神のお目的について二,三分でも話し合えば心はさわやかになるものです,と述べました。すると婦人はこれに同意し,数分間話に耳を傾け,小冊子を1冊求めました。翌週,伝道者が再び尋ねると,その婦人はもうすぐ教会に出かけなければならないけれども,二,三分間なら喜んで話し会いたいと言いました。短時間の話し合いが終わってから,伝道者は婦人がすぐ出かけねばならず,また,合唱隊の一員であることをも知っていたので車で婦人を教会に送りたいと申し出ました。その婦人は彼の申し出を受け入れ,伝道者の示した心づかいに深く心を打たれました。その後,何回か話し合いが行なわれましたが,婦人のあいている時間は教会に行くことになっている日曜日だけでした。伝道者は定期的に訪問し,毎週日曜日,婦人が教会に行く時間が来ると,教会の入口の前まで車で婦人を送り届け,遅れないように取り計らいました。こうして聖書の定期的な研究が始まり,婦人はすぐに真の宗教と偽りの宗教のちがいを認めました。婦人は集会に出席するようはじめて招待されるとこれに応じ,心からそれを感謝しました。またその年のうちに教会を脱退し,その後,献身してバプテスマを受け,今では彼女の家は会衆の集会所として使用されています。
― エホバの証人の1969年度年鑑より
-