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  • 「わたしは集合した群衆の中でエホバをたたえます」
    ものみの塔 1972 | 10月1日
    • 知りました。18歳のときにふたりの人を殺した彼は,死刑の宣告を受け,処刑の日を待ちつつ8年間過ごしました。服役してから9年目に彼は真理を知り,非常に熱心な伝道者となって,同じ刑務所にいる囚人や,外部の人にできるかぎり手紙で伝道しました。真理に対する彼の喜びに満ちた感謝の念は,日本のエホバの証人にとって力強い励みとなりました。この証人はどんなことをしてでもよいから,たった一度だけ会衆の集会に出たいと言いましたが,それは許されませんでした。彼は集会に一度も出ることなく死にました。わたしたちクリスチャンは毎週5回,この人が慕っていたまさにそのことを行なえるのです。それぞれの集会に出る大切さを認識するなら,わたしたちは心をこめて聴き,エホバの次の命令に従うことでしょう。「われに聴従へ さらばなんぢら美物をくらふをえ脂をもてそのたましひをたのしまするを得ん」― イザヤ 55:2。

      18 集会で注解することにより何を得ますか。何に動かされてわたしたちはそうしますか。

      18 集合した群衆の中で与えることのできる4番目の方法は,集会で注解したり,参加したりすることです。たとえ,短い注解をするといった方法で,集会の小さな部分にあずかった場合でも,集会からより大きな満足と喜びを得られるのではありませんか。そうです,真の満足は,クリスチャン兄弟の間でエホバに対する自分の信仰を表明するときに得られるものです。これは,義務感から注解をし,注解したあとはくつろいで,集会の残りの部分は他の人に任せてしまう,というような問題ではありません。そうではなくて,エホバに対する愛がわたしたちを満たし,あふれるほどになるからこそ,わたしたちはエホバをたたえ,彼に対する愛を表わしたいと願うのです。わたしたちはこのようにして,一致した崇拝のうちにエホバの民と集まりながらエホバにくちびるの実をささげるのです。―ヘブル 13:15。

      歌うことによって

      19 たとえわたしたちの歌い方が洗練されたものでなくても,エホバに対する賛美の歌をどう考えるべきですか。

      19 心と思い,それにくちびるを使って王国の歌をうたうのは,与えることに心をこめる5番目の方法です。会衆とともに歌をうたうときには,その歌詞の意味を考えたいと思います。耳慣れたことばをうたうとき,思いがさまようことのないよう注意しなければなりません。さらに,感情をこめてうたい,わたしたちの感情と心が美しいメロディーに鼓舞されてエホバをたたえるようでなければなりません。確かに,中には声の美しい人もいます。しかし,洗練されていないわたしたちの歌でも,大いなるバビロンのあらゆる教会の中で最もすぐれた歌手または聖歌隊より,エホバとわたしたちの兄弟にとってはもっと美しく快いものなのです。集合した他のクリスチャンとともにうたうことだけからでも,毎週数回エホバをたたえる機会が得られます。

      一致した祈りによって

      20 (イ)会衆でささげられる祈りに,ひとりひとりが注意を集中しなければならないのはなぜですか。(ロ)どうすれば集会での祈りにおいて個人的に与えることができますか。

      20 最後に,会衆の祈りに対するわたしたちの態度は,与える精神を反映すべきです。会衆を代表して祈るように指名されたのが自分でない場合でも,それは,同じです。集会の始めと終わりに祈りがささげられるとき,祈りのことばに真に「アーメン」と言えるよう,全神経を集中してその考えに耳を傾けますか。それとも,わたしたちの思いは祈りからさまよい出て,集会中に,または集会後にしなければならないこと,たとえば研究の資料をしまったり,ある兄弟に会ったりすることや,家での問題などを考えますか。全宇宙の中で最も重要なかたであるエホバが祈りを聴いておられるのです。エホバはご自分に関係のある重大な問題があるにもかかわらず,言われるすべてのことに注意を払っておられます。わたしたちのためにささげられる祈りに,エホバがそれほど深い関心を示されるのであれば,祈りに同意して「アーメン」と言えるように注意を集中すべきではありませんか。わたしたちの心と思いがその祈りとともにあるなら,エホバはそれがわたしたちひとりひとりから来たものとして受け取ってくださいます。わたしたちはこのようにして,集会での祈りにおいて個人的に与えることができ,それはエホバをたたえる一致した祈りとなるのです。

      21 (イ)集合した群衆の中でエホバをたたえることのできるいろいろな方法をかいつまんで述べなさい。(ロ)ダビデが詩篇 27篇4節に述べているように,わたしたちの願いはどんなものであるべきですか。

      21 こうしてわたしたちは,集合した群衆の中でエホバをたたえるために,どれほど多くの肝要な理由があるかを考え,会衆として一致のうちにエホバをたたえるさい,どのようにして与えることに魂をこめることができるかを検討しました。わたしたちは,徹底的な準備をする,すべての人を集会に歓迎する,心をこめて注意深く聴く,注解に参加する,心と思いをもって歌と祈りに加わることによってそうします。これらすべての方法によって与えるとき,わたしたちは集合した群衆の中でエホバの美しさを味わい知ることができます。そうすれば,次のように言ったダビデと同じ気持ちを常にいだけるでしょう。「われ一事をエホバにこへり我これをもとむ われエホバの美しきを仰ぎその宮をみんがためにわが世にあらん限りはエホバの家にすまんとこそ願ふなれ」。(詩 27:4)そうです,集合した群衆の中でエホバをたたえ賛美することを,常にわたしたちの熱烈な願いとしましょう。

  • 自分の健康を管理する
    ものみの塔 1972 | 10月1日
    • 自分の健康を管理する

      若い人々が知りたいと願っている有益な事実

      賢人ソロモンはそれを窓や戸のある家になぞらえました。何世紀かのち,使徒パウロはそれを『住所』と呼びました。ふたりは何のことを言っていたのでしょうか。人体のことを言っていたのです。(伝道 12:3-7。コリント後 5:1,2)ですから,家と同様に,人がそれから十分の益を得るには,からだをふさわしく管理することが必要です。

      自分の健康の管理ということになると,あなたはどんな管理人ですか。あなたは自分のからだの真価を知っていますか。

      あなたはそれを知るべきです。なぜなら,人体は実に,地上のあらゆる創造物中の傑作だからです。からだはこれまでに発明されたどんなコンピューターや機械製品よりも複雑です。しかも,円滑に働き,すばらしい効果を発揮し,すぐれた適応性を備えています。206の骨(中には一

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