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「目ざめよ!」の非常にすぐれた号王国宣教 1971 | 4月
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「目ざめよ!」の非常にすぐれた号
1 4月22日号の「目ざめよ!」を念を入れてご覧ください。表紙に,「あなたは永遠に生きられます」と書かれていないことに気づかれるでしょう。「あなたは永遠に生きられますか」という質問さえ載せられていません。どうしてですか。なぜなら,多くの場所では,その種の問いには否定的な答えが返ってくるだけだからです。神と神のみことばに対する純真な信仰に欠けているため,この問題について考えてもらう前に,多くの人々は背を向けてしまうものです。それで,この特別号の表紙は,そのような障害を克服する助けとなるような仕方で印刷されています。
2 雑誌を提供する際,その表紙を活用することができます。次のように言ってみてはいかがですか。「こんにちは,お会いできてうれしく思います。先日とても興味深いものを読みましたので,あなたにもそれを読んでいただきたいと思っています。それは『目ざめよ!』のこの特別号の記事のことです。(表紙を示す。)人間はわずか70歳か80歳しか生きないのに,150年生きるカメや,また,3000年も生育する木があるのをご存じでしたか。人間の寿命はどうしてそんなに短いのでしょう。そうでなくなる時が来るでしょうか。この雑誌は,そうした質問に対し,わたしたちすべてに重要な事実をあげながら答えています。この雑誌は『ものみの塔』とともに50円でお求めになれます」。お気づきのように,提供の際,主として表紙に注意が向けられています。
3 家の人に聖書から話をして予約を提供する際,次のような方法を用いることもできるでしょう。「こんにちは,わたしは ―― と言います。わたしたちすべてが大いに関心を持っている事柄のために,少しの時間訪問しています。それは命のことです。人生から得たいと願うものをほんとうに得ているだろうかとおそらくあなたは自分に尋ねたことがあると思います。(「目ざめよ!」特別号の4-5ページを開く。)おもな問題の1つは時間です。実際にやりたいと思っても全部のことをする時間はとてもないものですね。(家の人に意見を述べてもらう。)この点について,聖書はとても興味深いことを述べています。(ヨハネ伝 17:3を読む。)永遠に生きることはほんとうに可能ですか。興味深いことですが,人間の頭脳には,現在使用されているより10億倍もの能力があることが解明されました。しかし,どのようにしてそんなに長く生きることができるか,しかもただ生きるのでなく,生きることを楽しむことができるかを人間に告げているのは,聖書だけです。そのような将来は調べるに価しませんか。『目ざめよ!』に載せられているこのような知らせは貴重なものです。この雑誌は,姉妹誌の『ものみの塔』と交互に,月4回,予約者の所に送られてきます。両方の雑誌の1年間の予約購読料はわずか1100円のご寄付です」。
4 聖書に対して敬意を表わす人に話すのであれば,永遠に生きることについての話をより具体的に話すことができるのは言うまでもありません。「とこしえの命」とは何を意味するのかを家の人に尋ねることもできます。ある場合には,要点を取り違えて,それは天における将来の命のことにすぎないと決めつける家の人に会うかもしれません。そのようなとき,論理的に考えを進めるように援助し,それは天的な命を得る人に関しては確かに真実であるが,同時に,黙示録 21:1-4に示されているように,この地上で命を受ける人に対しても真実であることを理解させてあげましょう。その人は,おもに現在の事物の体制での生活の諸問題からのがれる場所として,天のことを考えているのかもしれません。しかし,地上で住む人のために神が備えておられる事柄を知ると,その問題が理にかなっていることに気づき,その人の関心は高められるでしょう。
5 あるところでは,生活に対する熱意を全く失った人がますます増加しています。敬けんな原則を顧みないで生活しているため,挫折感を味わっています。家族の問題に悩み,経済上の苦しみや不正のために気落ちしたり,苦々しく感じたりしています。そのような人は,永遠に生きたいとは思わないと言うかもしれません。しかし,その人を会話に引き入れて,なぜそう感じているかを見いだせるなら,聖書を用いて生きる願いを再びその人の中に燃えたたせることができるでしょう。それから,「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌の購読者になることを勧めます。両誌は,彼らの家族の問題に対して助けを提供し,経済的な圧迫だけでなく,社会の不正に対処するための提案を載せています。その雑誌に助けられて,やがて彼らはとこしえの命は可能なばかりでなく,きわめて望ましいものであることを理解するでしょう。
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提案王国宣教 1971 | 4月
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提案
「真理」の本を使って聖書研究を司会することにまだ慣れていない伝道者が多い,と報告されています。あなたの会衆でこの問題があるなら,会衆の書籍研究で一度「真理」の本を用いて,1週に1章ずつ研究するよう提案されています。これは「偽わることのできない」の本の研究が終了した時か,「永遠の生命」の研究中の章が済んだ後に行なえるでしょう。会衆の書籍研究の司会者は,伝道者が家庭聖書研究を司会する際の良い手本となるような仕方でこの集会を司会すべきです。各研究で司会者は必ず,2,3の要点や聖句が印象に残るよう,最初と最後の復習は簡潔であるよう,学んだ真理を適用する援助を与えるようにしなければなりません。もちろん,すべての節を読むべきですし,準備をよくすれば1時間で資料をもうらできることを示すような研究であるべきです。現実には,個々の研究生に応じて,それほど早く進まない家庭聖書研究があるかもしれませんが,会衆の書籍研究での研究は,出席している人全員が良い模範としてそれから学べるようなものでなければなりません。「真理」の本の資料を,1969年6月の「王国奉仕」の折り込みに略述されている要領で,一連の公開講演を通してもう一度取り上げるのは有益かもしれません。都合がよければ,それらの公開講演を再び6月あるいは7月から催してもよいでしょう。
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それらを全部持っていますか王国宣教 1971 | 4月
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それらを全部持っていますか
1 何をですか? 公開講演です。あなたの会衆はそれらを全部持っていますか。協会は非常に興味深い資料を,筋書きの形式で提供してきましたが,それを用いて毎週話をするなら,全部で2年間かそれ以上かかります。
2 過去2年の間に,多くの新しい人が定期的に交わりはじめました。そればかりか,さらに多くの人が集まってきています。2年以上たっていれば,同じ話をくり返して行なうことは,それら新しい人々はもとより,会衆全体にとって益となります。2年の期間を考えて,講演者が話を修正し,現在のできごとや事情に関するかぎり,資料を現状に合わすことが可能でしょう。さらに,多くの新しい講演者がそうした話をする資格を身につけてきていますから,新しい講演者が新鮮な仕方で資料を提供することでしょう。新しく割り当てられた兄弟が最初の公開講演をするのを聞くのは,いつでもたいへん楽しいことではありませんか。たとえ二度聞く話でも,常に新しい点があって,聴衆はその点を興味深く聞けるものです。
3 講演者は大きな責任を負っています。注意深く準備をし,ほんとうに良い話ができるよう,あらゆる努力を払って練習しなければなりません。だれが集会に出席するかを考えなさい。筋書きに示唆されているように,すべての人が把握できるようなことばを使い,話のある部分を聴衆の中の特定の人たちに当てはめることが重要です。講演者は自分の思いの中で,主題を明確につかみ,それを見失わないようにし,要点を主題と関連させて徹底的に理解しておかねばなりません。地図,写真,スライドやその他の補助資料を使用しても構いません。それは話の内容に重みを加えます。が,要求されていることに適合したものでなければならず,要点を明確に銘記させるものであるべきであり,話自体をあいまいにしたり,ただ聴衆を楽しませるためだけに用いるべきではありません。
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