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    王国宣教 1974 | 10月
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      10月 ― 待望の「目ざめよ!」予約運動の月

  • 良いたよりを伝える ― 人々が耳を傾けるように促すものは何ですか
    王国宣教 1974 | 10月
    • 良いたよりを伝える ― 人々が耳を傾けるように促すものは何ですか

      1 あなたを最初から,ほかの人に対する以上にある人に引き付けてしまうものは何ですか。それはその人の持つ親しみ深さですか。確かにそれは一つの要素です。そして疑いなく,わたしたちが野外奉仕で会う正直な心を持つ人々も同様な反応を示すことでしょう。ある兄弟たちはこの親しみ深さを他の人よりももっと進んであらわすでしょう。これらの方々の顔の表情はすぐ暖かい笑顔として輝き,信頼と確信とを引き付けます。いわゆる「なれなれしい」といった,過度なところがなく,もっと親しみ深くなることが可能ですか。第一印象は大切で,多くの場合にこれは家の人が聴くかどうかを決定するものとなります。

      2 わたしたちが人々の福祉に関心を持っており彼らを助けたいという誠実な願いを持っていることが明らかであるので,ある人々はわたしたちに耳を傾けます。わたしたちはみなそのような願いを持っています。さもなければ他の人々を訪問するようなことはしないでしょう。しかしそのような感じを早く家の人に伝えるためには,そのような感じをわたしたちの考えの中できわだったものとする必要があります。ある兄弟や姉妹たちはその国の言語で自分自身を十分に言い表わすことはできませんが,自分たちの誠実さを早く人々に伝えることができます。時々人があまり流ちょうだったり滑らかだったりすると,家の人は早口でまくしたてるセールスマンを思い出し疑わしく思うようになります。そしてもしわたしたちが同じ紹介をあまり何度もくり返すなら,わたしたちは機械的な響きを持つようになるかもしれません。しかしもしわたしたちが家の人に誠実な関心を持ち,心から話すのであれば,わたしたちはもっと早く家の人の心に達することができるでしょう。

      3 あなたが家の人に関心を持っているということを人々に示す一つの方法は,人々の語る事柄に耳を傾けることです。これは人々が話している間,ただだまって行儀良く立っていることを意味するものではありません。それは誠実な関心を抱いて聴くことを意味しています。そしてあなたは人々が語ったことに関し物わかりの良い意見を述べ,あなたが人々の見地に関心を示しそれを理解することを示してください。これは人々の見方を思いにとめて証言を行なえるようあなたを助けるでしょう。わたしたちは,一人で話すのではなく質問を行なって家の人を会話に引き入れるように長年にわたりすすめられてきました。巡回および地域監督は伝道者たちがこのことをとても良く行なっていると示しています。しかしこれら監督たちは質問を行なった後に,本当に家の人に耳を傾けるという事柄に関しある方々がもっと考慮を払うことは良いことであると考えています。

      4 しかしほとんどの場合,人々はわたしたちの語ることのゆえにわたしたちに耳を傾けます。あなたの語られることは王国の良いたよりで,イエス・キリストは羊が彼の声を聞きそれに応じるといわれました。(ヨハネ 10:4,16)あなたが紹介なさる主題は人々を引き付けます。あなたが表明なさる考えは彼らにとって真理の一環であり,あなたは自分が話していることを本当に信じておられるのです。それであなたは確信に満ちて語られるのです。あなたが話されることをあなたははっきりと理解しておられるので,あなたが話す事柄は人々に理解しやすいものなのです。

      5 それで戸口で人々がわたしたちに耳を傾ける多くの理由があります。普通,正直な心を持つ人々を引き付けるのは音信それ自体です。しかし時々,それはわたしたちの親しみ深さであったり,彼らに対する関心であるかもしれません。また時には,どんな音信であるか聞くために十分に長く戸口のところにとどまるよう家の人を動かしているものは,何か別のものであるのかもしれません。なぜある機会には人々が耳を傾け,別の時にはそうしないのか見極めるために,わたしたちがしたことを分析して見るのは良いことです。そうすればわたしたちは改善を行なったり,必要なところである特質を強めたりし始めることができるでしょう。エホバがわたしたちの中に望んでおられる特質を培うということだけでなく,わたしたちは伝道し教えるわざにおいて,自分自身をエホバのより良い代表者とすることができるでしょう。

  • 神権的ニュース
    王国宣教 1974 | 10月
    • 神権的ニュース

      ◆ 多くの王国会館が献堂されています。場所と献堂式の出席者数は次の通りです。登別 139人。札幌・西 280人。盛岡 92人。我孫子 159人。木更津 127人。国分寺 319人。井の頭と吉祥寺 223人。川崎・中央 167人。長野篠ノ井 237人。四日市 210人。神戸・兵庫と長田 222人。明石 338人。姫路 258人。熊本・西 140人。延岡 71人。

      ◆ 世界各地では相次いで福音宣明者の新最高数が得られています。象牙海岸とパナマは11か月連続の新最高数,インドネシアは13か月連続の新最高数。

      ◆ ナイジェリアの9万9,867人の伝道者新最高数は4か月連続のものです。

      ◆ エル・サルバドルの4,535人の伝道者新最高数は昨年の平均を59パーセントも上まわるという驚くべきものです。

      ◆ メキシコは昨奉仕年度最初の10か月で1万1,082人がバプテスマを受けたことを報告しています。―これは前年度の合計より約4,000人も多いものです。

      ◆ アメリカ合衆国は1974奉仕年度の最初の10か月間に6万3,569人がバプテスマを受けたことを報告しています。これは前年度合計より7,794人の増加に当たります。

  • 質問箱
    王国宣教 1974 | 10月
    • 質問箱

      ● 会衆の集会がいつ開かれるかを決定するどんな要素がありますか。

      固守すべき集会の時間の定められた型はありませんが,なぜある時間に集会を開くかということは,いつ集会を開くかということよりもある点でもっと重要です。集会の時間に関連して会衆が考慮するいくつかの質問は: 同じ王国会館を他のいくつの会衆が使用しなければならないか,それでどんな時間の選択が可能か。どんな時間に新しい人々は最も良く出席するであろうか。その土地での仕事と学校の予定はどんなものか。集会をある時間に望むわたしたちの動機は一体何か。会衆が全体として益を受けるためにわたしたちは何らかの個人的な好みを喜んで後まわしにするであろうか。

      使徒パウロが述べたことを考慮してください。「すべての事は許されています。しかし,すべての事が益になるわけではありません。すべての事は許されています。しかし,すべての事が霊的に築き上げるわけではありません。おのおの自分の益ではなく,他の人の益を求めてゆきなさい」。(コリント第一 10:23,24)この原則と一致して,長老たちは,会衆に可能な集会の時間をすいせんすることを考慮するとき,次のように自問できるでしょう: そのような取決めは会衆にも新しい人々に対しても霊的に有益で,集会に出席するよう彼らを助けるものとなるであろうか。そのような予定はわたしたちが王国の関心事を第一にするのを本当に助けるであろうか。それとも王国の関心事はなおざりにされるであろうか。

      関係している諸要素と長老たちのすいせんを考慮した後,その地方での集会の時間を決めるのは各会衆がなすべきことです。「組織」の本102ページ,1節に示されている通り,会衆は「その成員の大多数にとって都合の良い時間を決める」でしょう。自分の予定が集会の時間とぶつかってしまう人々は喜んで調整を行なうでしょう。そうすれば自分たちの霊的な関心事をなおざりにすることはないでしょう。もしいくつかの会衆が同じ王国会館に集まって集会を開くなら,集会の時間は愛あるクリスチャンの方法で自分たちで決めなければなりません。

      一会衆内の会衆の書籍研究の時間はその書籍研究の群れを構成している人々の情況に応じて違うかもしれません。

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