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  • 日々の交わりにおいてエホバをたたえる
    ものみの塔 1972 | 10月1日
    • 21 わたしたちは交わりのすべてにおいて何をすることを求めるべきですか。それは聖書のどの原則を果たすものですか。

      21 この主題の討議を通して,わたしたちは自分の活動や交わりすべておいてエホバを賛美する必要を認めました。生活上の責任を果たすために,信仰を持たない人々と交わらなければならないとしても,そうした機会を神に誉れを帰するために用いることができます。仕事をしているときには,そうした交わりを,職場の同僚に分別のある親切な態度でエホバとその目的を知らせる機会とみなしてください。学校にいる人なら,自分の有利な立場を利用して,級友や先生に誠実な証言を大胆に行ないましょう。兄弟として集い合うときには,会話によって互いの信仰や認識また熱意を新たにすることができます。そしてひとりでいるときには,歌と祈りを通して,また過去の忠実な神のしもべたちのことを親しく考えることにより,エホバとの交わりを求めましょう。わたしたちの生涯を通じて,また日々のすべての交わりにおいてエホバをたたえ,そうすることによって「凡て神の栄光を顕すように」しましょう。―コリント前 10:31。

  • 「わたしは集合した群衆の中でエホバをたたえます」
    ものみの塔 1972 | 10月1日
    • 「わたしは集合した群衆の中でエホバをたたえます」

      1 (イ)ダビデが「エホバをたたえます」といった,その集合した群衆はなんですか。彼はどうしてそう言いましたか。(ロ)何がわたしたちの心からの願いであるべきですか。

      「わたしは集合した群衆の中でエホバをたたえます」と言ったときのダビデは,心からの願いを表わしていました。(詩 26:12,新)ダビデは,明らかにエホバ神の崇拝者たちをさして集合した群衆と表現しました。なぜなら,彼はこう述べたからです。「われ虚しき人とともに座らざりき 悪をいつはりかざる者とともにはゆかじ 悪をなすものの会をにくみ悪者とともにすわることせじ」。(詩 26:4,5)わたしたちの心からの願いはダビデと同じものでしょうか。そうであるなら,わたしたちは集合した群衆の中でエホバをたたえるはずです。それは,王国会館で毎週開かれる会衆の集会に忠実に参加することをはじめ,毎年開かれる巡回大会,地域大会,全国大会,国際大会に出席することを意味します。

      2 定期的にエホバの民と集まり合うべき理由をいくつかあげなさい。

      2 しかし,わたしたちはなぜエホバの民と集まるべきなのでしょうか。どんな益が得られるのですか。個人の家であろうと,王国会館であろうと,毎週開かれる会衆のすべての集会に出席する強固な理由を,聖書からどれほど考え出すことができますか。では,その理由のいくつかを考慮し,集まり合うことの重要性を認識することにしましょう。集まり合うことは崇拝の一部であり,聖書に命令されています。そして,わたしたちは,受け入れられる賛美の犠牲をささげるよう集会において訓練されます。さらに,自分がキリストの弟子であることを実証することになり,集会にはエホバの霊が臨んでいます。わたしたちはクリスチャンの仲間によって建て起こされ,一方,わたしたちは彼らを建て起こすのです。会衆の集会は豊かな霊的食物の源であり,平和な安息の場でもあります。

      3,4 (イ)わたしたちが集まり合うことには,どんな聖書的根拠がありますか。どんな目的をもって集まりますか。(ロ)集まり合うことは,現在,以前にもまして肝要です。なぜですか。

      3 会衆として集まり合うことは,わたしたちの崇拝の中で肝要な一部となっています。これは新しいことではなく,クリスチャンにとっては常のことでした。使徒行伝は,初期クリスチャンにとって,いっしょになることが崇拝の重要な一部であったことを明らかにしています。こう告げられています。「日々,心を一つにして弛みなく宮に居り…神を讃美して一般の民に悦ばる」。(使行 2:46,47)では,初期クリスチャンの型にならい,わたしたちも神を賛美するために集まらなければなりません。

      4 さらに,仲間のクリスチャンの間でエホバをたたえることは,単に人間の考えから起こったのではなく,聖書の中に命令されていることです。その命令はパウロによってはっきり述べられています。「互に相顧み愛と善き業とを励まし,集会をやむる或人の習慣の如くせず,互に勧め合ひ,かの日のいよいよ近づくを見て,ますます斯の如くすべし」。(ヘブル 10:24,25)その日は近づいています。わたしたちはそれを見ています。ですから,わたしたちは集まり合ってエホバをたたえ,互いに建て起こし合うよう命令されているのです。

      5 わたしたちの宣教は,エホバの民と集まることによってどのように影響を受けますか。

      5 それに,賛美の問題が関係しています。各集会に出席するたびに,エホバの意にさらにかなった賛美の犠牲をささげるよう訓練を受けます。集まるたびに,くちびるの実,つまりその宣教をエホバにさらに喜んでいただけるものとするための実際的な訓練を与えられます。どの集会も,そうした宣教を通してエホバをたたえたいというわたしたちの願いを強くしてくれます。―ペテロ前 3:15。

      6 集合した群集とともにいるように励ますだれの模範がありますか。そうすることによってわたしたちは何を実証しますか。

      6 キリスト・イエスが出席されることがわかっている集会に,あなたは出席すまいなどと考えるでしょうか。キリスト・イエスは次のように言われたとき,わたしたちが集合した群衆とともにいるべき強固な理由を与えられました。「二,三人わが名によりて集る所には,我もその中に在るなり」。(マタイ 18:20)そうです,キリスト・イエスは地上にいる集合したご自分の弟子たちとの集まりに欠かさず出席なさいます。エホバのクリスチャン証人が開く五つの会衆の集会全部に,ご自分の霊的な臨在を通して出席しておられるのです。であれば,わたしたちは当然出席すべきではありませんか。それは,わたしたちが彼の弟子であることを実証する肝要な方法です。エホバの民が集まる所には,エホバの霊があります。このことを知っているなら,エホバの民といっしょにいたいという願いをいだくようになります。わたしたちがエホバの霊を感じるのはこの場所においてです。そこにおいて,エホバの霊は強力な探照灯のように,一定の場所を照らし出し,そこに集まっている人々に光と導きを与えます。

      7 わたしたちが集まり合うためのどんなすぐれた理由がありますか。例をあげなさい。

      7 集合した群衆の中にあって,わたしたちは兄弟たちとの良い交わりにより建て起こされますし,わたしたちも他の人々を建て起こします。わたしたちは集会に出席するごとに,励まし合えますし,仲間のクリスチャンとの健全な交わりに対する愛を表わし,また,仲間のクリスチャンの自分に対する愛を感じる機会を得ます。これは集まり合うためのなんとすばらしい理由ではありませんか。見ることも聞くこともできないあるエホバの証人は,仲間のクリスチャンと集まる機会を一度も欠かしたことがありません。彼は次のように言いました。「わたしは兄弟と会衆の集会で集まることをいつも楽しみにしています。気分がよくなるからです。兄弟たちに手をにぎってもらったり,触れてもらうだけで,わたしの気持ちはこのうえなく高まります」。演壇で行なわれている事柄を見ることも聞くこともできない人がそれほどの啓発を受けるなら,見ること,聞くことのできるわたしたちは,エホバの賛美者の中にいるときどれほど多くの啓発を受けることでしょう。―ロマ 1:12。

      8,9 真理の水にあずかるようにとの聖書の招待はだれからまただれのために出されていますか。集合した群衆の中にいることから,どんな直接的な益を受けられますか。

      8 集会はわたしたちにとって豊かな霊的食物の源でもあります。ですから,集会は霊的な成長にとって肝要です。エホバは,そうした霊的な食事のたびごとに主人役をつとめてくださいます。わたしたちの前にテーブルを広げてくださったのはエホバで,エホバはご自分の霊を通して,わたしたちが来て真理の水を飲むよう招待しつづけておられます。ヨハネによってしるされたとおりです。「御霊も新婦もいふ『来りたまへ』聞く者も言へ『きたり給へ』と,渇く者はきたれ,望む者は価なくして生命の水を受けよ」― 黙示 22:17。

      9 最後に,エホバは集合したご自分の民を平和をもって祝福されます。会衆の集会は,戦争で引き裂かれた世界にあって,静穏地帯ともいうべき所です。わたしたちはそこで,すべての思いにすぐる神の平安をもつクリスチャン兄弟や姉妹と交わるのです。平和を愛し,それを望むなら,わたしたちは集合した群衆の中に自分を置くことでしょう。―ピリピ 4:7。

      集合した群衆の中で与えることに魂をこめる

      10 仲間のクリスチャンと交わることについて,どんなことを自問できますか。聖書のどの原則が当てはまりますか。

      10 ここまでで,わたしたちは集合した群衆の中でなぜエホバをたたえるべきかを考慮しました。今度は,この問題の別の面,つまり,集合した群衆の中で与えることに魂をこめる,という点を取り上げます。言いかえるなら,兄弟たちと交わっているときに,エホバをたたえ,また賛美するために自分個人としては何を与えることができるか,という問題です。「与ふるは受くるよりも幸福なり」という原則がここで当てはまります。与えることに魂をこめるなら,その報いとして豊かな祝福を受けます。―使行 20:35。

      準備によって

      11 (イ)会衆の集会から最大の益を得るため,どんな提案に従うことができますか。この点でだれの模範に従うのは良いことですか。(ロ)前もって準備することはなぜ必要ですか。例を使って説明しなさい。

      11 与える面での最初の方法は,五つの集会全部のために徹底的な準備をすることによってです。それは何を意味しますか。来たる週のために割り当てられている資料を読むために,前もって時間を定めておくことを意味しています。それは個人として,または家族としてできますが,「ものみの塔」研究や書籍研究のためにかぎとなる個所に傍線を引いたり,神権宣教学校や奉仕会の資料を予習して,考慮される資料の概要を頭に入れたりすることができるかもしれません。集会の準備のために計画を立てるという点で,世界各地のベテル家族は良い模範です。毎週月曜日の晩が,「ものみの塔」誌の家族研究,そして神権宣教学校の資料を考慮するための時間として当てられています。前もって準備することの重要性を次のような例で説明できるかもしれません。1日中働いて疲れて帰宅した夫は,妻の準備してくれたおいしくてあたたかい料理をほんとうに楽しみにして

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