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神の御心に従う洗礼ものみの塔 1960 | 8月15日
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です。エホバの僕の行なつている霊的な戦争では,これは他の人々に私たちの大いにしてすばらしい神のことを告げ,そして生命に通ずる道を示すことです。クリスチャンは集会のときだけ真理を考えるのでなく,真理を心の中に持たねばなりません。詩篇記者は次のように書きました,「いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしよう。わたしはひねもすこれを深く思います」。(詩 119:97,新口)それは日中だけでなく,夜でもそうでなければなりません,「神よ,あなたはわたしの神,わたしは切にあなたをたずね求め,………わたしが床の上であなたを思い出し,夜のふけるままにあなたを深く思う」(詩 63:1,6,新口)心が真理でみちるとき,他の人に真理のことを告げるのはむずかしくありません。人はそのことをするべきです。なぜなら,「人は………口で告白して救われるからである」とパウロはロマ書 10章10節(新口)で語つています。クリスチャンは自分のうちにある「望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい」と,ペテロは語つています。―ペテロ前 3:15,新口。ルカ 6:45。
19 献身と洗礼の動機は何でなければなりませんか。その動機の力は,私たちの時代にはどのように表われていますか。
19 愛の気持から献身しそして洗礼を受けなさいという命令に従うなら,信仰を公に告白するとか集会に出席することについての神の他の命令を守ることも,容易でしよう。なぜなら,それらも愛のむすぶ実だからです。仲間のクリスチャンと交わりつつ愛を実際に行使するとき,神の要求をいつそう深く認識できます。箴言は次のように語つています,「鉄は鉄をとぐ,そのように人はその友の顔をとぐ」。(箴言 27:17,新口)洗礼をうけた後に活発な奉仕をさし控えることは,ちようど洗礼そのものをさし控えるのと同じように,神に近い状態から外に出されてしまいます。使徒行伝 2章46節と47節(新口)には,次のように書かれています。すなわち「日々(使徒たちと他の初期クリスチャンたちは)心を一つにして,絶えず宮もうでをなし………神をさんびし,すべての人に好意を持たれていた」。今日,キリストの共同相続者の残れる者と交わる「他の羊」の大いなる群衆は,みな心をひとつにして洗礼をうけ,御国の良いたよりの伝道に心をひとつにして参加しています。
20 (イ)いまクリスチャンは,サタンに対してどんな歌を歌つていますか。(ロ)ゴグが最終的な攻撃をしかけるとき,誰が救われますか。
20 そのように行なうこれらのクリスチャンなる霊的な戦士たちは,この古い世の圧制の支配者,サタンに対するあざけりの歌をも歌つています。そして,エホバの大いなる立証者,王の王にして主の主が,サタンとその悪鬼たちで構成される軍勢全部を底のない坑に投げこむまでの時は短いと人々に告げます。しかし,そのことが生ずる前に,エゼキエルの預言に述べられているゴグなるサタンは,エホバの民に対して最終的な死にもの狂いの全面攻撃をしかけてきます。預言者は,それについては,第38章と第39章の中で述べています。そのとき,『人の前で,王なるキリストに対する信仰を認めた者』だけが救われるでしよう。―イザヤ 14:3-20。ルカ 12:8,9。
21 洗礼をうけようと思いめぐらしている者が,自分自身を調べることはなぜ適当ですか。その人は,何をたしかめねばなりませんか。
21 さて,洗礼をうけるにふさわしいかどうかについては,次のことを記憶しなければなりません,すなわちエホバは心を調べて,洗礼をうける者の気持をしらべる,ということです。箴言 21章2節は,次のように述べています,「ヱホバは人の心をはかりたまふ」。私たちは,エホバの前で立つか倒れるのであつて彼に対して責任を持ちます。それで,洗礼について思いをめぐらしている各人は,神の御言葉と照らし合わせつつ,自分自身を調べ,はたして洗礼をうけるのにさしつかえるものがあるかどうかをたしかめねばなりません。このことは,次の記事で更に論ぜられています。
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スリナムで忠実は報われるものみの塔 1960 | 8月15日
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スリナムで忠実は報われる
会衆の集会に対するあなたの認識は深いものですか。その認識が深いので,集会に出席するため,自分の仕事をよろこんで変えたいと思う程ですか。ヒンズー人の兄弟のひとりは,砂糖会社で働いていました。しかし,収穫の期間中は,すべての人がほとんど昼夜つづけて働くことが必要です。この会社は一回教徒の所有物であつたため,金曜日の夜には勤務者全員が仕事を1時間中止して,回教寺院の礼拝に参加することは許可されていました。それで,この兄弟は会社の所有者のところに行き,もし勤務者全員がアラーを崇拝するために時間がもらえるなら,自分もエホバ神を崇拝するための時間をいただきたい,そして集会に出席するための時間をいただきたいと願い出ました。しかし,その兄弟の要求は拒絶されました。それでもこの兄弟は集会に出席しました。そのため失職しました。しかし,別の仕事を見つけて,御国の事柄を前よりも良く行なうことができます。全部の集会に出席するため,あなたはどれほどの努力を払つていますか。
― 1960年のエホバの証者の年鑑(英文)より
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