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生命を守る為に物質主義と戦いなさいものみの塔 1959 | 1月15日
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ともなる真実の基礎をつくり上げることになります。両親よ,この事柄を充分ふかく考えなさい,そしてあなた自身およびあなたの家族のために言葉に言いつくせぬ祝福を得なさい。たしかに,コロサイ書 3章23節の精神『何をするにも,人にではなく,ヱホバに仕えるように心から働きなさい。』の中に,物質主義に反抗しなさい。これには物質の富についての平衡の取れた見方を持つことが含まれています。なぜなら資源を賢明に用いることが要求されているからです。そのことは,シンゲン 30章8節にある指示と一致しています,『我をして貧しからしめず,また富ましめず。』
16 (イ)兵士のごとく,私たちは物質主義に対してどのように戦いますか。(ロ)或る者を巧妙にも攻撃し易い立場に引きこむサタンの策略の仕方を示しなさい。
16 真のクリスチャンは,次のことを認識しています,すなわち物質主義はその哲学と共に行われており,この世の人々全部を打ち負かそうとしているのです。当然,その勝利は短いものでしよう。しかしながら,多数の犠牲者は生じます。それですから,私たちは真の兵士のごとく物質主義に対して情けようしやなく戦わねばなりません。パウロはこう言いました,『兵役に服している者は,日常生活の事に煩わされてはいけない。ただ兵を募つた司令官を喜ばせようと努める。』(テモテ後 2:4,新口)ここで二つの教訓を学び知ります。第1に,兵士は気持を二つに分けることができません。兵士は自分の目的に専念しなければならないのです。さもなければ,真実の戦士とは言えません。第2に,良い兵士は勝利に鋭い関心を持つています。兵士は自分自身を訓練して戦い,勝利を得る為に敵に対しては情け容赦なく戦います。同じように私たちも物質主義に対して戦わねばなりません。真実の敵である悪魔サタンは,戦術にかけては巧妙で利口な者です。悪魔は或る者たちに物質欲を強く抱かせてから孤立の立場に引きこむという作戦を用いて勝をえています。それらの者たちは辺の所にたされて,サタンの狙撃をまともに受けて倒れ,その結果は災いものです。それですから,何人も一瞬といえども気を弛めるべきではありません。物質主義に対する最大の武器『御霊の剣』の用い方を学ばねばなません。それに対しては,物質主義的な哲学は決して成功しないでしよう。それは物質主義を支持する最も賢明な論議をこなごなに打ち砕き,その正体を暴露してしまうからです。
17 なぜヱホバの御言葉は,物質主義に対する強力な武器ですか。貪欲に対して,私たちはどのように戦うことができますか。
17 この事柄についてパウロは次のように書きました,『神の言葉は生きていて,力があり,もろ刃のつるぎよりも鋭くて,精神と魂と,関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして,心の思いと志とを見分けることができる。そして,神のみまえには,あらわでない被造物はひとつもなく,すべてのものは,神の目には裸であり,あらわにされているのである。この神に対して,私たちは言い開きをしなくてはならない。』(ヘブル 4:12,13,新口)私たちは心ひそかに物質主義的な考えを抱いて,他人の持つているものに対してしつとを感ずるようになるかも知れません。このことは,時経つ中に私たちの考えに影響を及ぼし,私たちは平衡の取れた考えを持たず,むさぼりの気持を抱くかも知れません。ヱホバは御自分の御言葉の中で,むさぼりを忌嫌うと示しています。なぜならヱホバはこのことを十のいましめの一つに入れられたからです。むさぼりとは,悪い欲望の力が実際に働いているものであつて,時の経つにつれて人の考えは行いに表われて来るものです,なぜなら「宝のある所に,心もあるからです。」物質主義的な不適当な欲望に心を思いめぐらさないことは,まつたく有益なことであります。私たちは生活の必要品だけで満足し,ヱホバに奉仕するよろこびを私たちの真実の満足としなさい。神の御言葉の原則を私たちの考えの導きとしないなら,私たちは物質主義の海でおぼれ死んでしまうでしよう。
18 (イ)もっともらしい考え方は,私たちの反抗をどのように弱めますか。(ロ)或る者が利己主義の気持から物質の必要物について不適当な評価をするようになる仕方を示しなさい。私たちはどのようにそんな利口な考え方を切り断つことができますか。
18 神の御言葉の原則を適用することによつて偽りの考え方を打ちくだくことは是非とも必要です。そのことを更にこう説明しましよう。ここに,集会はちよつと多すぎると感ずる兄弟が一人います。この兄弟は,こんな風に信じているのです。つまり集会を1回か2回欠席しても真理にはけつこうついて行けるし,その集会の夜の時間にはいつもより長く働いてもつと多くの給料を得ようというのです。一度や二度集会を欠席しても多くのものを失うわけではないと,その人は考えます。しかし,その兄弟は次のことを認めるのには失敗しているのです。すなわち貫木を外ずしてしまい,物質主義の入りこむことを許して,自分の考えとか生活の仕方に影響を及ぼしているということです。この兄弟とその妻は,もつと衣服が必要だと感じます。しかし,両人は必要な衣服に事欠いているわけではありません。奉仕を行うときとか,集会のときにはちやんとした服装を身につけています。しかし,今ではもつと多くの衣服を欲しているのです。それぞれの場合に相応しい衣服を持つて,始めて全部が整うのだと考えます。しかし,ヱホバは特定な目的の為にそれぞれの集会を設けられたのであつて,その取り極めを嘲弄することはヱホバの御霊を失うことです。この世の美しい衣服か又は静かにして温和な精神の朽ちざる衣服か,ヱホバの御前においてどちらの方が一層重要ですか。(ペテロ前 3:4)目の欲と生活の誇りにつけ込んで,人をヱホバの制度から引き離そうとするサタンは,なんと巧妙に行うのでしよう! この兄弟がする行いは,見たところ害のないものであつても,ついには深く根づく習慣となります。物質主義に対する戦いで勝利を得るためには,180度の転換が是非とも必要です。『御霊の剣』を効果的に用いることにより物質主義を支持するそのような巧妙な考え方を切り断つてしまいなさい。不適当で不必要な欲望の根づくのを食止めなさい。霊的に豊かになるため,物質的にはすこしのもので満足しなさい。
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物質主義との戦いに肝要な物は自分を調べる事ものみの塔 1959 | 1月15日
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物質主義との戦いに肝要な物は自分を調べる事
1 自分を調べることは,なぜそんなにも必要ですか。それは何処から始まらねばなりませんか。
前の記事からも分る通りに,物質主義は狡猾なもので,恩恵者のように見せかけます。それで,私たちは自分の動機を調べねばなりません。自分を調べることは極めて必要なものです。自然の気持として,私たちは自分自身を良く思いたいと欲します。しかしヱホバは自分自身を調べるすばらしい手段を与えられました。先ず第一に,『私たちの心は何処にあるか』と私たちは自問しなければなりません。エレミヤは,心がどれ程悪いかを理解していました,『心は万のものよりも偽るものにして,はなはだ悪し。誰かこれを知るを得んや。われヱホバは心腹をさぐり,腎腸を試み,おのおのに其の途にしたがいその行為の果によりて報ゆべし。』― エレミヤ 17:9,10。
2 私たちが新しい愛を持つているか,いないかは何が証明しますか。
2 あなたの心は何処にありますか。あなたの最初の愛は,今でも貴重な真理を持つていることですか,それともあなたは新しい愛である物質主義を持つていますか。新しい愛を持つていないと口では言うかも知れません。しかし私たちの行いは何を示しますか。野外奉仕から今でも他のものと比べることのできぬよろこびを得ていますか。あるいは気楽にすることに多くの時間を費して,物質主義的なたのしみとか,持ち物に満足を覚え,野外奉仕にすこしの時間しか費やさない為に,野外奉仕のよろこびを押し除け始めましたか。忘れてはなりません,むさぼりの心は物質主義を求めます。しかし忠節な心は物質主義を避けます。
3 制度の資源は,物質主義に対する戦いにおいて私たちをどのように助けますか。この資源のいくらかは何ですか。
3 自分自身を調べて行くとき,『私たちは物質主義と戦う為に,制度の資源を利用しているだろうか』と尋ねます。そのような資源とは,『忠実にして慧き奴隷』の持つ資格であつて,私たちを援助して円熟に進歩せしめ,かつ物質主義に反抗する場合に成功を収めるものです。健全な知らせを出版する制度の智恵を,あなたは認めますか。その知らせは私たちを援助して物質主義の入りこむのを上首尾に防ぎます。例えば,私たちが今日恩恵を受ける制度の資源の中に,クリスチャン進歩の年月や,制度の経験および時間,能力,そして才能の正しい使用についての手本があります。また,制度がヱホバの御言葉についての深い詳細な理解を与えていること,かつ正しい教理と制度についての適切な了解を与えていることもあります。これらのものは,貴重な資源であつて,これがあるからこそヱホバの新しい世の社会は私たちを助けて物質主義に対する戦いをなさしめることができるのです。
4 なぜクリスチャン進歩と経験は,物質主義と戦うときに貴重なものですかこの点を説明しなさい。
4 ものみの塔協会の出版物で学ぶ良い事柄を,私たちは毎日適用しますか。それらの良い事柄の助けをえて,心を入れ変えていますか。その点をいま説明しましよう。10歳台の若い兄弟は,頭が良く,学校でも良い成績を取つて,たくさんの質問に答えることができると感じます。しかし,経験に欠けており,人生の諸問題を取り扱つたことがないため,正道から外ずれてしまいます。成熟して十分の資格を持つ彼の父親はこれを認めて,息子と共に坐り実際的な智恵を息子に与えます。その智恵は息子に正しい道を歩ませます。その父親はヱホバの御言葉を適用しつづけて来たので,健全な原則を学びました。これらの原則は,息子には大きな価値を持つものであり,息子をして人生に成功をさせ,自分自身の理解に頼らせないでしよう。
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