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恋愛 ― 幸福な結婚に通ずるとびらですか目ざめよ! 1970 | 12月8日
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といえるでしょう。このことは,結婚科学協会の得た結果からもわかります。同協会はこれまでに,およそ1万組の結婚をあっせんしてきましたが,その離婚率はわずか0.001%です。アメリカ人の多くは,「全力を集中して,過度の期待を慎しみ,自制を回復し,恋愛は人生経験の最も美しいものの一つではあっても,神の保証を得た生き方ではないことを認識するよう努力するほうが賢明で」あろうと,この国の著名な一歴史家が評したのも,もっともです。
聖書の立場
神のことば,聖書は,恋愛そのものを非とはしていません。事実,聖書には,たいへん美しい恋愛の実例がしるされています。それは,『美しくて顔よし』と述べられている,美しいおとめラケルと,77歳のヤコブの恋物語です。ヤコブはラケルに恋をしましたが,それは,ヤコブが彼女を得るために,その父ラバンに仕えた7年間を「数日のごとくみなせり」とあるほど熱烈な恋でした。―創世 29:11-20。
しかし同時に,神のことばは,偶像崇拝の危険のあることを警告しています。抑制されない恋愛は,人間を偶像視する事態を容易に引き起こしうるのです。そのうえ,若い人は恋愛感情や肉体的な魅力に動かされて,ともすれば,それよりもっと重要な精神的また霊的な資格を軽視するおそれがあります。人間の造り主であられるエホバ神に仕えることを真剣に考えている人は,自分の生涯の伴りょにしたいと考えている相手も,同様に,エホバ神に仕えることを真剣に考えている人かどうかを確かめるべきでしょう。とくにクリスチャンは,どんなにロマンチックで魅力的と思える相手であれ,不信者に感情的に夢中になることを,一瞬といえども考えるべきではありません。霊感を受けた使徒パウロは率直にこう命じています。「不信者と軛を同じうすな,釣合はぬなり」。『ただ主にある者とのみ』結婚しなさい。―コリント後 6:14。コリント前 7:39。
神のことばに耳を傾けるなら,恋愛がしばしば引き起こす幻滅や失望そして失意などに陥らないですむでしょう。また,恋愛は人間の味わう無上の喜びとみなすべきものでないことを理解できます。それとともに,結婚は種々の試練や問題を必ず伴うものであることもわかります。使徒パウロは,結婚する人は,「その身,苦難に遭はん」と述べましたが,この冷静なことばは,結婚の喜びに対する若い人たちの理想主義的な考えや熱狂的な感情をさまさせるものでしょう。(コリント前 7:28)人間の本性に対する鋭い観察を行なった,ある識者は,かつてこう言いました。「結婚を容易なことと見る,とてつもない考えは,だれかがこっそりと世の中にまぎれ込ませたものである」。
恋愛は美しいもの,そして,幸福な結婚に通ずるとびらとなりうるものです。しかし,分別や自制,またすぐれた判断力を伴わないかぎり,たいてい,不幸に通ずるとびらとなるでしょう。ですから,たとえ恋愛感情を伴わなくても,分別や自制,またすぐれた判断力などの特質のほうが,そうした肝要な徳性を伴わない恋愛以上に幸福をもたらすものと言えます。それで,恋愛を過大評価してはなりません。恋愛は,幸福な結婚に通ずるとびらとなりえない場合があるからです。まして,恋愛が結婚生活の幸福をもたらす唯一のとびらでないことは確かです。
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崇拝の簡素さ目ざめよ! 1970 | 12月8日
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崇拝の簡素さ
◆ 今日,キリスト教世界の宗教は儀式に大きな重きを置いている。しかし,初期クリスチャンの間ではそうでなかった。彼らの中のある者が述べているとおりである。「日曜日と呼ばれる日に,都市やいなかに住む者全員が一つの場所にともに集まり,時間の許すかぎり,使徒の言行や預言者の書物が読まれる。次に,読み手が読むのをやめると,司会者は口頭で教訓を述べ,これらの良い事柄をまねるよう勧める。それから,われわれ全員は起立して祈りをささげる」。―ジャスティン・マーターの第一の釈明,第67章,前ニケア教父,第1巻186ページ。
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