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  • キリストの再臨の目的
    ものみの塔 1954 | 4月1日
    • 年以来の出来事の意味を説明して,世の人の注意を向けさせ,そしてすべての人は,世の王としてキリストを迎え入れるべきであると呼びかけました。大英国の或る数名の著名な牧師さえも,世界の出来事に注意を向け,多分キリストの再臨が非常に切迫している徴候であると述べました。しかし,牧師達はその述べたことを直ぐ否認し,キリスト教国はキリストの代りにシーザー,すなわち国際連盟を選びました。丁度イエスの時代に,不忠実な僧侶達がしたのと同じです。

      それから,真のクリスチャン達に対する迫害が来ました。その迫害のために,また神の言葉を解明する増し加わる光りによつて,真のクリスチャン達の中より悪い者達は除去されました。そして,残つた者達は一層清められましたので,彼等は清い手と増し加わる熱心と知識でもつて神に奉仕することが出来ました。(シンゲン 4:18。マラキ 3:1-3)それ以来,事実は次のことを示して居ります。すなわち,忠実な者達は増し加わる光り・よろこび,そして繁栄でもつて,祝福されましたが,それに反して不忠実な者達は益々暗闇にと入り,忠実な者達に対して歯がみをして居ります。

      キリストの体の成員であつて,未だ地上に居るこの忠実な遺残者達は,その時以来,神の天的御国が設立されたという良い音信を伝道して居ります。そしてその結果,地上に大きな分離の業がなされて居ります。そのことは,羊と山羊の譬話の中でキリストが予言した通りでした。(マタイ 25:31-46)それで,新しい世の社会は設立されて居ります,それは,この悪い古い世がハルマゲドンの戦いで滅ぼされた後,その後を引き継ぐためであります。(黙示 16:14,16)ヱホバの怒りのその日に隠される為には,彼等は今ヱホバと,柔和と,正義を求めなければなりません。―ゼパニヤ 2:1-3。

      ハルマゲドンの時,キリスト,イエスはヱホバの首たる執行者として行動を取られるでしよう。こう述べられています『ヱホバを最高者として認めるのを拒絶する者達に対して,燃える火の中に,報復を加えられる。』(テサロニケ後 1:7,8)この様にして,イエスは,彼の父の至上権を完全に立証するでしよう。そしてヱホバのみが全地を支配する最高者であることを,すべての者に知らせるでありましよう。―詩 83:18。

      新しい世でキリストは『永遠の父』となりましよう。それはこういう意味に於いてです。キリストは,従順な者達を導いて,永遠の生命を与え,そして死んでいるが神の記憶の中にあるすべての者を甦すということです。『その政事と平和とは,まし加わりて窮りなし。』そして終には,もはや死もなく,悲しみ叫びも,また苦痛もなくなるでしよう。何故ならば,前の事は過ぎ去つて仕舞うからであります。地が正義の人々によつて充たされ,楽園となつた時,キリストはその政府を彼の父に渡されるのであります。―イザヤ 9:6,7。コリント前 15:25-28。黙示 21:4。

      その時,キリストの再臨の目的は全く実現されます。ヱホバの御名は,すべての人によつて崇められるでしよう。神の御国は,全く来て,神の御意は天に於けるように地にも行われるでありましよう。―マタイ 6:9,10。

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1954 | 4月1日
    • 読者よりの質問

      ◎ 或る人が,油そそがれた級の者であつて記念の象徴に与るべきであるというのは,どのようにして決定されますか?

      五旬節の後,第1世紀の時,神の聖霊を受けた人々は,聖霊の賜物を一つかそれ以上持ち,油そそがれた級の者であるということは容易に決定出来ました。というのは,その時は天的相續者を生み出すため,他の時とは違う全く特別な時であつたからです。此の固い基礎にもとづいて,その時のクリスチャンは天的な希望を心に持ちました。今日では,事情が変りました。神の御意をするために,或る人は自己を献身し,その献身を象徴しましよう。そして,神の愛にしたがつてヱホバの御意を行い,また神と神の愛子に模倣しようと努めることによつて,或る人は神の聖霊を持つていると示すかもしれません。しかし,その人は,神の聖霊を持つているからとて,天に行くことは確かなことであるということを,どうして知り得るでしよう? 神の聖霊はまた『他の羊』の上に注がれているのであつて,油そそがれた遺残者の上だけに注がれているのではありません。それでは,今日私達はどのようにして,このことを決定出来ますか?

      聖書を研究して見ますと,神は1931年の時まで,霊的な級の者を特別に取り出されて居られたようです。このことは,今研究中の事柄と大きな関係を持つて居ります。しかしながら,そのことが全部であつて,決定的なものではありません。1931年以来,奉仕を始めた人々で,聖霊によつて生み出されたという証拠を示し,そして天的相續者達の希望と同じ希望を持つ人々が居ります。それで,このことから,1931年以来或る人達は天的級に入つているということが判ります。これはすべての人に当て嵌るというのではなくごく,僅かな人々に限られているのです。その人達は,神に対して不忠実になる人々の後を補充するために召されるのです。

      次のことに基いて,あなたは自分自身を験し調べてごらんなさい。『神の御意を永遠に行うために,私はイエス・キリストを通じて,私の生命を神に献身しましたか? 私は神の聖霊を持つていますか? 神は私と関係を持たれていますか? はい,神は私と関係を持たれているということについて,私は証拠を持つて居ります。神は私を用いて,彼への奉仕に従事させて居ります。神は私に給与されて居られます。その制度に関して,神は私に一つの地位を与えられて居られます。そして私は多くの祝福を認識し,神の言葉に就いての理解は深まつて居ります。私は神の聖霊を有しているということに関するこれらすべての証拠を持つて居ります。そして私は,真のクリスチャンすなわちキリスト・イエスの追随者が,主の聖霊をそのように示して行う如く努力して行おうと努めて居ります。』このように自らを験して,前述のような結果を得ましたならば,それは,その人が油そそがれた級の者であろうと,あるいは『他の羊』の者であろうと,その人は主の聖霊を持つていることを示すものです。

      それでは,何でもつて二つの級の間に区別の線が引かれ,『大いなる群集』の側に属する者と,油そそがれた遺残者の側に属する者とが区別され決定されるのですか? あなたが自分自身を験し調べる時,あなたの希望は何であるかを決定しなければなりません,何故ならば神はあなたと関係を持たれあなたの中に,ある種類の希望を吹き込まれ培われているからです。ロマ書 8章でパウロはこのように論じて居ります。『聖霊それ自身,私達が神の子達であることを,私達の霊とともに証しを立てているのである。』神の子達とは,天的御国に於いて,キリストと共に共同相続者になるよう呼び召された者です。パウロは更につけ加えてこう言いました。『私達はこの希望によつて救われた。しかし見える希望は希望ではない。人は物を見る時に,それを希望しますか?』 ― ロマ 8:16,24,新世。

      それで,或る希望によつて,あなたは救われねばならぬということが判ります。今,神はあなたと関係を持たれて居ります。あなたとの関係により,そしてあなたへ真理を啓示することによつて,神はあなたの中にある希望を培われねばなりません。若し神が,あなたに天へ行く希望を培われるならば,その希望はあなたの固い確信となります。あなたは,その希望で充たされ,天に行く希望を持つ人のようにあなたは語ります。あなたは,その希望を尊重し,その希望を考え,その希望を述べて,神に祈りを捧げます。あなたは,その希望をあなたの目標としています。その希望はあなたの全身に充ち充ちます。その希望を,あなたの身体から無くすことは出来ません。あなたはその希望に全精力を集中します。それで,神はその希望を,あなたに生ぜしめ,あなたに培われたのに違いありません。何故ならば,その希望は自然の希望ではなく地上の人間が持つようなものではないからです。

      若しヨナダブ級の一人,すなわち善意者の『大いなる群集』の一人であるならば,此の天的な希望であなたが充たされることはありません。或るヨナダブ級の人は,主の業に於いて非常に著名であり,重要な地位を持つて居ります。しかし,彼等はその天的な希望を持つて居りません。あなたが彼等と話すときに判ります。彼等の願いと希望は,地的な事柄に強く惹かれて居ります。彼等は美しい森林に就いて語り,そして現在でも森林の民となつて,森林を彼等の永続の環境としたいということを語ります。彼等は動物と共に交ることを好み,動物を支配することを好みます。また,空の鳥や,海の魚,そして地上の表面を匍うすべてのものを支配することを好みます。そのことは,彼等が愛するものであつて,それらの事柄からよろこびを得ようと彼等は非常に期待して待つて居ります。勿論,彼等は聖書を理解します。聖書の教理と真理について,彼等は非常に進んだ認識と理解を持つて居ります。しかし,あなたが彼等に話しをする時,彼等はその様に自分自身を表明します。天的事柄について,彼等は全然願いを持つて居りません。彼等は天使のようになろうとは欲しませんし,天の栄光の中にあられる神と,相面して見ようとは欲しません。そのことは素晴らしいでしようと彼等は認めます。そのことは,恐らく地的な祝福よりも素晴らしいことでしよう,と彼等は認めます。しかし,彼等はそのようなことに対して願いを持つて居りませんし,希望も持つて居ないのです。

      時のことについて,そして神の聖霊を有しているかどうかということ,神はあなたと関係を持たれているかということ,を良く調べた後で,あなたは次のことがらを深く考えなければならないようです。『此の事柄に就いて,私の真実であり,誠の,心から感ずる希望は何でしょうか?』 それで,あなたは自分の地位を決定します。あなたのために,他の人は誰も決定することが出来ません。あなたに,燃えるような霊的な強い希望があるかどうかを決定しなさい。若しそうならば,それらの希望に従いなさい。その希望は,あなたの身体の中にあり,あなたはその希望を無くすことが出来ません。それで,あなたはその希望に従つて行いなさい。記念のの象徴に与りなさい。しかし,若しあなたがその希望を持たず,はつきりとしない時,あなたは地的級に属する者のようです。それですから,記念の時に象徴に与つてはなりません。

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