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あなたのためにキリスト教国は何をしましたかものみの塔 1966 | 3月1日
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の証人の仕事に反対していた者で今日その音信に耳を傾け,自分の命をエホバ神にささげている人が多くいるからです。事実,昨奉仕年度には浸礼を受け,エホバ神への献身を示した人が6万4393人いました。今これらの人々は神のことばを学ぶことによって,エホバとみ子とエホバの仕事とについて正確な知識を得,エホバの証人と長年まじわってきた人々と同種の愛をもっています。人類に対する愛のしるしとして,エホバの証人は1965奉仕年度の12ヵ月間に1億7124万7644時間を費やして家から家に尋ね,また家庭聖書研究を司会しました。エホバの証人は関心をもつ人に5916万5475回の再訪問をし,また関心をもつ人々の家庭で1年を通じて毎週77万595の家庭聖書研究を司会しました。これらの研究は聖書と聖書研究手引とを用いて司会されています。
21 毎週1回1時間の勉強をするひまもない人々を助けるため,164の言語の人々に数百万冊の書籍や冊子が配布されました。エホバの証人が全世界で配布した書籍は445万687冊,小冊子は1232万6066冊,雑誌は1億3539万7426冊です。このほかエホバの証人は二つの優れた雑誌「ものみの塔」と「目ざめよ!」の購読予約161万4146を得ることができました。
22 無償で宣教に従事するだけでなく,エホバの証人一人一人は伝道のためにどんな犠牲を払いましたか。
22 1965奉仕年度の間,ものみの塔聖書冊子協会はその印刷施設を用いて1億1923万8970冊の「ものみの塔」誌と,1億1037万9879冊の「目ざめよ!」誌を印刷することが必要でした。すなわち合計2億2961万8849冊の雑誌が協会によって印刷され,予約購読と1冊ずつの配布とによって全世界に頒布されたことになります。エホバの証人によるこの大規模な証言の仕事はすべて自発的に行なわれています。エホバの証人は家から家に行くことに対して給料の支払いを受けるわけではありません。このほかエホバの証人はいたるところの人々をたずねて福音を広めるため,ガソリン,電車やバスなどの乗物などのために多くの費用をかけました。エホバの証人は御国の福音を人々に語るために,村,町,いなかなどの道を歩いてくつの底をへらしました。神の愛は人類全体に及び,真のクリスチャンとなり,神のクリスチャン証人となることを願うなら,わたしたちも愛を示さねばなりません。
23 エホバの証人が迫害されても伝道をつゞけるのはなぜですか。
23 エホバの証人はこの仕事を続けます。それは彼らが神を愛し,友なる人間を愛し,敵や迫害する者をも愛するからです。たとい迫害によってエホバの証人のある者の死ぬことがあっても,残っている者たちは神の国の福音を伝えつづけるでしょう。
24 1965年4月16日の記念式には何人が集まりましたか。キリストの天の「花嫁」となる者であることを告白したのは何人ですか。
24 エホバの証人が行なっている仕事に対する人々の関心の度合いを示すものとして,1965年4月16日の,イエス・キリストの死の記念式には,193万3089人が御国会館その他のエホバの証人の集会場所に集まりました。このうち,パンとぶどう酒の象徴物を食べて,キリストの「花嫁」となり,天の栄光にあずかってキリストと共同の相続者,またイエスと共同の王また祭司となるとの期待をいだいていることを示したのはわずかに1万1550人です。これはキリスト・イエスが黙示録の中で,全人類から選ばれてイエスと共に天の栄光にあずかり,キリストと共に1000年の間地を治めると言われた14万4000人の残りの者たちです。その1000年の間に陰府にいる者のすべてがよみがえります。その期間には大きな教育の仕事が行なわれるでしょう。
25 すべての宗教の人々にはどんなことがすゝめられますか。
25 キリスト教,ヒンズー教,仏教,回教,塔その他いずれの宗教であるにしても,あなたの宗教はあなたのために何をしましたか。それは真の愛,隣人に対する愛,敵に対する愛,迫害する者たちに対する愛をあなたのうちに起こさせましたか。それはあなたを行かせ,すべての国民を弟子とさせ,神に対する愛とみ子キリスト・イエスに対する愛とを教えさせましたか。あなたの宗教は全人類に対する愛をそなえた新しいひととなりをあなたに与えましたか。もしそうでないなら,御国会館に行ってエホバの証人と共にエホバ神を崇拝し,神と全人類に対する愛を学ぶことをおこたってはなりません。それによって,キリスト教国ではなく,キリスト教があなたのために何をするかを知るでしょう。
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真実の自由への道を開くものみの塔 1966 | 3月1日
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真実の自由への道を開く
1 イエス・キリストは,ユダヤ人にむかってどんな印象的なことばを述べましたか。それを聞いたユダヤ人の心は,なぜおだやかではありませんでしたか。
「この故に子もし汝らに自由を得させば,汝ら実に自由とならん」。全能の神のまことの崇拝者であり,世界中で自分たちほど自由な者はないと自負していた人々にとって,これは耳を驚かすことばでした。これより5世紀前に彼らは神の手によってバビロンから解放されていたのです。政治的な独立を望んだ彼らはローマの支配の下で束縛を感じてはいましたが,自分たちがどれいであると考えたことは一度もありません。崇拝と義について言えば,自分たちは自由であると彼らは考えていました。彼らはメシヤが現われてローマの支配というくびきを砕くことを期待していました。また自分の義を過信した彼らは,特別な恵みをもってメシヤに受け入れられると考えていました。それで宗教的な改革の必要を認めていなかったのです。彼らを驚かす前述のことばを語ったのは,エホバの最も偉大な預言者イエス・キリストでした。イエスはどんな根拠に基づいてこの事を言われましたか。―ヨハネ 8:36,文語。
2 (イ)紀元前537年に復帰したユダヤ人の残れる者は,宗教的にどんな状態にありましたか。(ロ)政治支配について言えば,次の5世紀の間ユダヤ人はどんな状態にありましたか。(ハ)紀元前1世紀の末までに,彼らはどんな状態に陥りましたか。
2 紀元前537年にバビロンから解放されると,忠実なユダヤ人の残れる者はエルサレムの荒廃の跡に戻ってきました。彼らは悔い改めており,神の不興を招いてこらしめを受ける原因となった偶像崇拝から身を清めていました。彼らは町と宮を再建し,宗教の面では自由な民として,神から与えられた土地に再び住むことができたのです。しかし事情は以前と同じではありません。その時まことの崇拝は回復されましたが,ダビデの家系の王朝
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