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  • 王国の真理は“北のジブラルタル”に広まる
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
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  • 無益な,宗教の統制
  • 全時間奉仕者はその役割を果たす
  • 物質的繁栄の中でも王国は拡大する
  • 「あらゆる人」に達する
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 9/1 9–13ページ

王国の真理は“北のジブラルタル”に広まる

ルクセンブルク大公国がどこにあるかを知らない人は少なくありません。しかしエホバ神はご存じです。どんな国や町あるいは島であっても,また他のどんな場所であっても,創造者の目に留まらないほど小さなところはありません。神は,キリスト・イエスの下にある「王国の良いたより」を「人の住む全地で」宣べ伝えさせておられます。(マタイ 24:14)そうです,エホバは現代にかかわるご自身の言葉がルクセンブルクでも宣べ伝えられることを望んでおられ,そうした音信はこの国ですばらしい発展を遂げています。

ルクセンブルクは西ヨーロッパの陸地に囲まれた国で,ベルギー,フランス,ドイツ連邦共和国に接しています。この大公国は,少なくとも130もの城があることで有名です。実際ルクセンブルクは,モーゼラニアの伯爵,ジゲフロイトの買い取ったルキリンブルークという小さな要さいから始まった国で,それは10世紀のことでした。それ以来ルクセンブルクは,首都にあった要さいが1867年に崩されるまで,難攻不落の“北のジブラルタル”として重要度を増してゆきました。

無益な,宗教の統制

ローマ・カトリックの信者たちは,軍事上のとりでが攻撃して来る軍隊に打ち破られなかったように,ルクセンブルクが他の宗教上の教義に打ち破られないようにと長い間努力してきました。ジョセフ・メイヤーズ博士は著書「ゲシヒテ・ルクセンブルクス」(ルクセンブルク史)の中でこう書いています。「スペインのハプスブルク家の者たちは教会に完全な保護を与え,あらゆる手段を尽くして人々の宗教心を高めようとした。自由主義者や反対者は迫害された」。(下線は本誌による)

こうした「手段」の中には,15世紀から17世紀にかけて行なわれた,少なくとも3万件に上る“魔女裁判”が含まれていました。こうした裁判の約三分の二は,告発された者の死刑で終わっています。メイヤーズ博士はさらに,「地方議会は人々の手に禁書が渡らぬよう,出版者や書籍商に統制を加えた」と述べています。

そうしたはなはだしい霊的な暗黒時代の後,ルクセンブルクの政府の発展や,ヨーロッパの諸問題における同国の役割の進展によって,人々を宗教的なつんぼさじきに置こうとする試みは効を奏さなくなりました。政府はしだいにローマ・カトリック教会以外の宗教団体にも,公平で寛容な態度を取るようになってきています。さらに観光事業に関連して行なわれた,またニュースの報道機関を通して生じた,政治,金融,商業面での諸外国との接触は,ルクセンブルク人一般の視野を広げる結果となりました。

とは言え,比較的最近になってからでもカトリックの聖職者は,他の宗教の文書の配布をやめさせようとしました。1958年10月4日,聖職者の勢力下にあるルクセンブルガー・ヴォルト紙は,「自分たちを呼ぶ名称が何であろうと,熱心な聖書研究生」― 実際にはエホバの証人をさしている ― に警戒するよう,警告しました。「彼らの文書はローマ・カトリック教会の禁書目録に載せられている。それらを読むことも,所持することも,また他の人に回覧することも許されていない」と同紙は述べています。

ルクセンブルク人の約95%はローマ・カトリック教徒です。したがって,ある“外国の”宗教(つまりローマ・カトリックとは違って,歴史の進展により人々に押し付けられなかった宗教)がこの国で大きな成功を収めるといったことは,全く期待できない事柄なのです。しかし,神は「王国の良いたより」がルクセンブルクを含む「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で」宣べ伝えられることを決めておられます。そして確かにエホバは,ご自分の意図されたことを行なう力を持っておられます。(イザヤ 55:11)それでこの国において,人類の唯一の希望として王国の良いたよりを宣明する業はこれまで非常に拡大しており,現在も前進し続けています。

全時間奉仕者はその役割を果たす

ものみの塔ギレアデ聖書学校で訓練を受け,この国に派遣された宣教者たちは,こうした拡大に計り知れない貢献をしています。例えば,ある二人の宣教者は,以前共産主義的で無神論的な考えに傾いていた男の人に出会いました。その人は次のように報告しています。

「私にとって神は存在していませんでした。しかし戸別活動の際に訪ねて来るエホバの証人は,非常に良い人たちだと思いました。それで私は,何でも自由に話してもらったものです。ただし,神の話は別でした。ですから私は,証人たちの書籍の入ったかばんを家の中には入れさせなかったのです。ところがある夏の日,一組の夫婦が戸口にやって来ました。私の家は,おいしい新鮮な空気を十分に吸える,樹木の茂った地域の真ん中にありました。そこでその夫婦は,私の住んでいる場所はすばらしいと話し始めました。言葉のアクセントから,二人は外国人であることが分かりました。男の人はアメリカ人で,女の人はカナダ人でした。私にはカナダに住む息子がいるので,話がはずみ,私は二人を家の中に招じ入れました。

「その男の人がエホバの証人の宣教者であることを知ったとたん,私は入ってもらわねばよかったと思いました。しかし礼儀に反しないよう,とどまってもらいました。また,彼らの話している事柄が真理であることを私は認めざるを得ませんでした。彼らはその後も何度か訪問して来て,私と聖書研究を始めるようになりました。それ以来,私の態度は全く変化しました。喫煙や大酒をやめ,エホバの証人の集会に出席し始めたのです。妻は私の生活上の変化をだれよりも喜び,新しい崇拝の形式に共に加わるようになりました」。

ルクセンブルクの王国宣明者775人のうち30人余は,宣教奉仕もしくは“特別開拓”奉仕に携わっています。ものみの塔協会のこの国の支部事務所は,ベルギーのドイツ語を話す地域をも監督しています。その地域では,合計60人ほどの伝道者に対し10人の特別開拓者が働いています。

これらの全時間奉仕者つまり開拓者たちは,証言活動や,また区域内の人々を愛しています。しかし彼らにも,様々な問題のために,今開拓奉仕をやめねばならないのだろうかと考えることがしばしばあります。例えば,特別開拓奉仕を行なっていたある女の人は足を複雑骨折し,医師から,普通に歩けるようになるまで六か月位かかるだろうと言われました。彼女はどうしたでしょうか。その答えは次の通りです。

「私は祈りのうちに問題をエホバに聞いていただき,自分で何か行動し始めることを決意しました。会衆の他の兄弟姉妹が戸別活動の際会えなかった人々の住所を活用して,私は手紙を書くことにしました。また,新聞には他の人との手紙のやり取りに関心を持つ人々の住所が載せられていました。私が手紙を書いていることや,その手紙の内容が病院中に広まりました。その結果,そうしたことを話しかけてくる医師たちに良い証言を行なう機会が与えられました。

「院長は私の手紙を一,二通読みたいと言いました。また,研究職に携わる別の女医から,質問したいことが二,三あるので,車椅子を使えるようになったらすぐ自分のところに来てほしいと言われました。後日,私はその医師のところへ何度も訪ねて行ったものです。他の病室から多くの患者がやって来たので,私は彼らの質問に聖書から答えました。私は病院の中で多くの出版物を配布することができ,しかも毎日,証言活動のために個人的な計画を設けることができました。こうして私は,六か月にわたる回復期間中もずっと特別開拓奉仕を続けることができました」。

物質的繁栄の中でも王国は拡大する

こうした熱心さのために,そして何よりもこの国の王国宣明の業をエホバが支持しておられるゆえに,現在ルクセンブルク大公国には461人に一人の割合で,またベルギーのドイツ語を話す地域には967人に一人の割合でエホバの証人がいます。さらに1977年には,主の夕食の祝いに合計1,709人が出席しました。この国の支部の管轄下にある地域全体としては,248人に一人の割合で出席したことになります。それで,ルクセンブルクの人々すべてが,「現状を維持しよう」というこの国のモットーに固く付き従っている訳ではありません。これら友好的で暖かな人々の思いの中で,『強固に守り固めたいろいろな推論や,神の知識に逆らって立てられたいっさいの高大なもの』がいよいよ覆されつつあります。―コリント第二 10:4,5。

人口はわずか35万7,000人ほどしかいませんが,ルクセンブルクは非常に裕福な国です。この大公国は海外貿易に関しては,欧州経済共同体の中で第一位を占めています。1973年の国民一人当たりの電話機と病院のベッドの数も,ルクセンブルクが第二位でした。1974年の初めには,人口に対する自動車保有台数が欧州経済共同体の中で一位を占め,住宅戸数や所得額も生活水準の高いことを証明しています。アメリカン・オーバーシーズ・ショッピング・アンド・サービシズ・ガイド誌はその点についてこう述べています。「裕福な知識人と卑しい貧乏人との間に著しい違いが見られないので,すばらしい繁栄の空気がみなぎっている。だれもが十分に所有し,だれもが満足している」― 第20版,389ページ。

そうした物質上の繁栄のために気を散らすものは少なくありません。しかし,この国のエホバの証人はどんなに小さな機会でも,あらゆる機会を利用して神の王国の音信を広めています。特に,家族や友人,知人,職場の同僚などに非公式の証言を行なうことによって良い結果が得られています。このことは,エホバの証人を妻に持つある男の人の次の言葉にも示されています。

「ある日妻は,エホバの証人の旅行する監督を夕食に招待してもよいかと尋ねました。彼女の“奇妙な考え”にはこれと言って反対するところはなかったので,私は,いいだろうと答えました。そこで,巡回監督がやって来ました。

「食事中,私たちは様々な事柄を話し合いました。しかし会話が聖書のほうに傾きかけるたびに,私は話すのをやめました。そのうち,趣味の話になりましたが,私は歴史,それも特に古代史に関心を持っていました。巡回監督の頼みで,私が古典語辞書をお貸しすると,監督は何人かの皇帝やその帝国の名前を読んでくれました。私はそうしたものについて話すことには興味がありましたが,監督は一人の名前が出るたびに聖書を手に取っては特定の人物や国家についての詳しい説明を私にしてくれました。このようにして,神の言葉が信頼できるものであることを証明したのです。ついに話し合いが終わり,旅行する監督が帰ったのは午前三時でしたが,そのとき私は聞いた事柄からすっかり衝撃を受け,やっとの思いで腰を降ろすと泣き出しました。『良いたより』に信仰を持ち始めていた私は,これを続けることを決意しました」。

「数か月後,エホバとみ子キリスト・イエスの名前と王国に対する新しい証人として,私はバプテスマを受けました。新しく得た信仰のおかげで,とりこになっていたたばこもやめることができました。以前は一日に50本ずつ位吸っていましたが,バプテスマを受ける一か月前に完全にやめました。真理のうちにいるのはこの上なく幸福なことだと思っています」。

「あらゆる人」に達する

真の追随者に対するイエスの命令が成就していることは,ルクセンブルクにおいても容易に認められます。イエスはこう語られました。「行って,すべての国の人びとを弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し(なさい)」。(マタイ 28:19,20)リュクサンブール・ペイザージュ・ドゥ・グランドゥシェ(ルクセンブルク大公国のながめ)と題する本に報告されているように,1975年にすでにこの国の外人居住者の数は全人口の23%を上回っていましたが,欧州経済共同体加盟国の中で外人労働者の比率がこれほど高い国はありませんでした。この国ではこれら外人労働者のせいでしょうか,以前からあった非常に国際的な雰囲気が一層強くなってきています。

ここルクセンブルクでは,ルクセンブルク語,ドイツ語,フランス語の三か国語が大体一般的に用いられています。また,かなり多くの人々は英語も話すことができます。したがってこの国の証人たちは,他の国からやって来るフランス語,ドイツ語,英語を話す人々を援助するのに良い立場にあります。それで王国の業は,すべての言語を話す人々の間ですばらしい進歩を遂げています。私たちの支部の管轄下にある区域には,エホバの証人の王国会館はどれほどあるでしょうか。ドイツ語の会衆が13,イタリア語の会衆が三つ,ポルトガル語の会衆が二つ,そしてフランス語の会衆が一つあります。確かにこの国では,『あらゆる人』に真理が広まっています。―テモテ第一 2:3,4。

他の人を霊的に助ける面でどれほど努力を払うにしても,私たちは自分が「神とともに働く者」であることを認識せねばなりません。確かに私たちは真理の種を植え,水を注ぎ,耕しますが,エホバが増加をもたらしてくださるのです。(コリント第一 3:6-9)このことは繰り返し実証されてきました。例えば,ある兄弟は次のように書いています。

「ある日,エホバの証人の中年の婦人が二人私の家の戸口にやって来ました。私は長い間,真の宗教を見いだしたいと願っていましたが,非常に不親切な態度を示しました。彼らが帰った後,私は本当の真理が見いだせるよう神に祈りました。しばらくしてその二人の婦人はまたやって来ました。私は彼らの音信を再び拒絶しました。あらゆる人々の中で真理を持っているのがエホバの証人だということが信じられなかったのです。ところがその婦人たちは再び訪ねて来ました。彼らの粘り強さに,私はあきれて物が言えませんでした。そして,この婦人たちは,私の祈りに対する答えとして神が遣わされた人々なのだと考えざるを得ませんでした。そこで今度は様々な事柄を質問し始めたところ,彼らは一人の兄弟が私の家に来て,家庭聖書研究を始めるよう取り決めてくれました」。

そうです,こうした場合,人の語学力は重要な要素ではありません。増加をもたらされるのは神なのです。そしてエホバ神は,どんなに遠くの,どんなに身分の低い人の呼び声も見過ごされません。真理を求め,ご自分に誠実により頼む人々すべてに耳を傾けられます。―使徒 10:34,35。

ルクセンブルクがここヨーロッパにおいて果たした経済,金融,政治面での業績にもかかわらず,多くの人はこの国がどこにあるかをあえて知ろうとはしません。しかし,エホバがご存じであることは明らかです。確かに神は,この国の真理と正義を愛する人々の呼び声にいつも注意を払っておられます。神は最終的な証言として,また喜んで受け入れる人すべてに対する命の音信として,「良いたより」をその忠実な証人たちを通してあらゆる国で宣明させておられます。反対者によって築かれる物質的なとりでであっても,宗教的なとりでであっても,エホバが心の正しい人々に接するのを妨げ,またその業を輝かしい実り豊かな最高潮に至らせるのを阻むことはできません。―マルコ 13:10。ローマ 8:38,39。

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