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ニサン14日 ― 記念すべき日ものみの塔 1985 | 2月15日
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なります。―ルカ 22:28-30。ヨハネ 6:53。啓示 5:9,10。創世記 22:15-18。
13 今,ニサン14日に記念すべき事柄とは何ですか。
13 確かに,記念すべきこの日にイエスが語られた言葉の深い意味を調べてみると,エホバが愛するみ子を備えてお示しになったその愛を思い起こさざるを得ません。信仰を持つ人間すべてに対する贖いとしてご自分の命を提供されたイエスの愛も思い起こさせられます。(ヨハネ 3:16。ローマ 5:8。テモテ第一 2:5,6)とはいえ,その晩イエスが追随者たちと話し合われた貴重な真理はほかにもあります。この極めて親密な会話を記しているのは,聖書筆者の中でも使徒ヨハネだけです。
栄光,愛,一致
14 (イ)記念式ごとに,どのようにエホバに栄光が帰せられていますか。(ロ)イエスを記念することにおいて,愛はどんな役割を果たしますか。このことは,表象物にあずかる人すべてが思いの中で,どのような自己吟味をするよう促すはずですか。
14 「今や人の子は栄光を受け,神は彼に関連して栄光を受けておられます」と,イエスは言われました。(ヨハネ 13:31)イスラエルがエジプトから救出された時以来,ニサン14日は,神のみ名,神の主権,神の力の立証と結びつけられていました。死に至るまで示されたイエスの忠実さと,のちにイエスが神の力によって復活させられ,栄光を受けられたことによって,今や神のみ名に一層大きな誉れと栄光が帰せられました。(箴言 27:11と比較してください。)イエスはご自分の弟子たちに,「わたしがあなた方を愛したとおりに,あなた方も互いを愛する」ようにという「新しいおきて」を守るなら,弟子であることが証明されると言われました。(ヨハネ 13:34,35)わたしたちの兄弟愛の深さは,イエスがその時わたしたちのために表わされた愛に対するわたしたちの認識を反映するものです。―ヨハネ第一 4:19。
15 (イ)表象物にあずかるのにふさわしい人々すべての前に,どのような命の希望が置かれていますか。(ロ)イエスに対する愛はどのように示されますか。
15 いつの日か天の住みかで生活することになるという希望は,キリストの共同支配者になるよう選ばれた人々の前に置かれている喜びの一部です。(啓示 20:6)イエスはこの希望を紹介し,「わたしはあなた方のために場所を準備しに行こうとしているのです……わたしは再び来て,あなた方をわたしのところに迎えます」と,言われました。(ヨハネ 14:2-4)終わりまで忠実を保つ人々すべてには,何とすばらしい形の帰宅が待ち受けているのでしょう! そのためイエスは,「もしわたしを愛するなら,あなた方はわたしのおきてを守り行なうでしょう」と,訓戒しておられます。このおきてとは,教えて弟子を作るようにとの命令を含む,イエスのおきて全体を意味します。―ヨハネ 14:15,21。マタイ 28:19,20。
16 (イ)イエスは追随者たちの間の一致の必要性をどのように強調されましたか。この一致が非常に重要なのはなぜですか。(ロ)イエスの追随者はみな,何に直面しなければなりませんか。しかし,そうするのに何が助けとなりますか。
16 イエスの追随者にとって,イエスとの一致,および互い同士の一致は非常に重要なものです。イエスはこの事実を強調するために,ぶどうの木とその枝の例えを用いておられます。一致があれば,実を産み出すことになり,それが今度はみ父に栄光をもたらすことになります。(コリント第一 1:10。ヨハネ 15:1,5,8)迫害と反対はイエスの追随者すべてに臨みます。しかし,イエスがサタンの攻撃すべてをものともせず,世を征服する者として忠誠を保たれたことを知ると,本当に信仰が強められます。―ヨハネ 15:18-20; 16:2,33。
17 ヨハネ 17章に記されているイエスの祈りにある求めの幾つかを説明してください。
17 イエスは,その晩の終わりに,み父に対する心からの祈りをささげます。み父に栄光を帰すことがイエスの請願の中で第一の場所を占めています。ご自分の追随者たちが世から離れているとき,邪悪な者サタンから守られるようにとイエスは祈っておられます。さらに,ご自分とみ父の間に存在するその同じ愛ある一致が,いよいよ数を増す,イエスの足跡に従う人々の間で成長し続けるようにとも祈っておられます。―ヨハネ 17章。
18 1984年の記念式の出席者の合計を考えるとき,表象物にあずかった人々が非常に少ないのはなぜですか。
18 わたしたちは,イエスが1,952年ほど前のその夜に弟子たちに分かち与えた貴重な真理と考えをごくわずかながら考慮してきました。しかし,これらの事柄は,なぜニサン14日がまさしく記念すべき日であるのかを理解する助けとなるに違いありません。ですから,昨年,主の晩さんを守り行なうために集まる重要性を理解したエホバの証人とその友が,741万6,974人に達したのも少しも不思議ではありません。それでも,その膨大な数の群衆の中で,表象物にあずかったのはわずか9,081人でした。なぜでしょうか。なぜなら,今日,エホバの証人の大多数は,自分自身を,「み座の前と子羊の前に」立つ「大群衆」の一部とみなしているからです。それらの人々は,14万4,000人が「千年のあいだ[キリスト]と共に王として支配する」天で生活することではなく,永遠の住みかとして地球上で生活することを待ち望んでいます。―啓示 7:9; 20:6。詩編 37:11。
19 次週の研究の基盤となるのは何ですか。すべての人が出席するのはなぜ重要なことですか。
19 しかし,主の晩さんと「ほかの羊」の「大群衆」との関係について幾つかの疑問が生じました。(ヨハネ 10:16)ですから,今年もまた記念式が近づいている今,誤解する人が一人もいないように,それらの問題を次の記事で討議するのはふさわしいことでしょう。―テサロニケ第一 5:21。
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「ほかの羊」と主の晩さんものみの塔 1985 | 2月15日
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「ほかの羊」と主の晩さん
「[イエスは]わたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたちの罪のためだけではなく,全世界の罪のためでもあります」― ヨハネ第一 2:2。
1 『王国の良いたよりを宣べ伝える』業からどんな明確な結果が生じてきましたか。
イエスは言われました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)1914年の世代の人々の中には,今なお生きていて,エホバの証人が忠実にこの命令を果たしてきたことを証しする人がいます。その業の結果,この世の失敗に幻滅した,正直な心を持つ幾百万という
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