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  • あなたの命はどれほど貴重ですか
    ものみの塔 1975 | 9月1日
    • ます。そして最も幸いな前途を望み見るようになるのです。エホバは命すなわちご自身が人類を創造して楽しませようとされた真の命の源です。この理由で,「あなたがたは,ヤハを賛美せよ!」という詩篇作者の叫びを,わたしたちは全くふさわしいものと認めることができます。この表現はヘブライ語の「ハレルヤ」であり,ヘブライ語聖書中に何回も現われています。そのギリシャ語の形は聖書巻末の本である啓示すなわち黙示録の終わり近くに出ています。(啓示 19:1-6)神のみ名を宣明している人々は,エホバの尊厳,愛に満ちたご親切と崇高さの証人です。

      今日,クリスチャンはエホバの霊的な神殿にあって彼らの偉大な大祭司イエス・キリストを通してこの賛美をささげています。これは地上の建物ではありません。しかし彼らは「王国会館」と呼ばれる建物で聖書研究と崇拝のために集まります。彼らはまた関心を持つ人々と無料で聖書研究を行ないます。命を愛する人はだれでも彼らに加わり,神のことばを深く調べ,神の目的と約束についてさらに学び,彼らと一致して真の崇拝をすることができます。生き残って永遠の命に至る大いなる前途が,彼らの受ける幸福な分となることでしょう。

  • 神の主権を認めることには益がある
    ものみの塔 1975 | 9月1日
    • 神の主権を認めることには益がある

      今日,207の土地や海洋の島々で幾百万もの人々が真の神エホバについて学んでいます。彼らは神の主権を認めてその生活を改め,神の規準に基づいて善悪を判断し,行動するようになっています。それらの人々の中には,富んでいる人もいれば貧しい人もおり,法律をよく守る善良な市民もおれば,かつては犯罪者だった人もいます。また宗教に幻滅していた人だけでなく,宗教に非常に熱心であった人もいます。まったくのところ,「あらゆる人」がいます。―テモテ第一 2:4。

      神の主権を認めるとき,人はどんな影響を受けますか。それは人の益になりますか。わたしたちは益を期待します。というのは聖書は,『義者と悪しきものと神に仕えるものと仕えざる者との区別』について述べているからです。(マラキ 3:18)そうした区別を,わたしたちは今日目にすることができるでしょうか。

      神の主権に従う生活をするために人々が行なわなければならない調整は,多くの場合それほど大きなものではないようです。しかし時には驚くべき変化が見られることがあります。最近の例を幾つか考えてみましょう。

      重いゆううつ症を克服する

      重い病気は,人の生活をみじめなものにしがちです。そのような境遇にある人に,神に関する知識はどんな影響を与えるでしょうか。精神分裂症にかかってひどく苦しんでいたエルサルバドルのある婦人は,次のように経験を語りました。

      「人に会いたくないためにわたしはいつも,山の中のような人気のない場所を求めて歩いたり,一日じゅう寝室に閉じこもって過ごすのが常でした。一人になるとわたしは,自暴自棄になり,地面に身を投げ出してごろごろころがり回ったものでした。家族はわたしを診療所や病院に連れて行ったり専門医に見せたりしてくれましたが,病状は少しも良くなりませんでした。犬のほうがまだましな生活を送っている,とさえ感じるほどでした。

      「そんなある朝,エホバの証人が家に尋ねてきて,わたしと話をしたいと言いました。一応承諾したものの,わたしは不安で心が落ちつかず,終始顔を隠していました」。

      ほどなくしてこの婦人は,定期的に聖書を勉強することに同意しました。「しかし,証人たちが勉強にやってくる時間が近づくと,彼らに会うのが恐ろしくて胸がどきどきしました。勉強をやめてしまおうかと考えたことさえありました」と,その婦人は語っています。しかし彼女は,聖書の勉強を中断しませんでした。なぜでしょうか。

      「自分が真理を学んでいることに気づいた時にわたしは,祈りによって神に助けを請い,人を避けてひとりぼっちになろうとする自分の性向を克服することに全力を尽くそうと決意しました。王国会館の集会にも出席するようになりましたが,初めのうちそれは非常に困難なことでした。時には,正面の入口まで来ていながら,くびすを返して家に帰ってしまったこともありました。しかしそうしないで会館の中に入った時には,最初のうちは,あいさつしてくれる人の顔を頭を上げて見ることすらしませんでした。しかし,祈ることにより,また仲間のクリスチャンの愛のこもった助けにより,わたしは少しずつ進歩しました。

      「今では宣教学校の研究生として,会衆全体を前にして簡単な聖書の話ができるまでになりました。わたしは自分の命をエホバに捧げました。そして今,わたしの生活をこれほど祝福あるものにしてくれた聖書の真理を他の人々に伝えるよう人々の家を訪問することに,喜びを見いだしています。

      「神のことばがわたしに及ぼした強力な影響を目にした家族は,自分たちにも聖書を教えて欲しいと言いだしました。わたしの家を訪問して聖書の真理を語るだけの豊かな愛をいだいた人がいたことを,わたしは本当にうれしく思っています。もう,人から逃げ隠れするようなことはなく,むしろ喜びをもって他の人々を助ける業に活発に携わっています。これもひとえにエホバ神の恵みと感謝しています」。

      生活の導きとなるものを持たない人は今日少なくありません。このことは多くの場合家族の問題をいっそう深刻にしています。みことば聖書に従い神により頼むことは,この場合も助けとなりますか。アメリカに住む一婦人はこう語っています。

      「わたしの生活は危機を迎えていました。夫との間がうまくゆかないので途方に暮れ,ゆううつな気持ちでいました。事実わたしたち夫婦は,離婚の手続きを取っていました。

      「こうなる前に,わたしはカトリックの司祭のところへ行って助けを求めたのですが,司祭は,自分には何の助けも与えることができないと言いました。帰り道にわたしは,失望のあまり,車を木にぶっつけてしまおうかと思いました。でも,隣りのシートに寝ていた赤ちゃんの顔を見て,その気持ちをやっとのことで押しとどめました」。

      その後,絶望の淵に沈んでいたこの婦人に変化をもたらす出来事が生じたのです。彼女はこうことばを続けています。「わたしの兄弟がカリフォルニアから長距離電話をかけてきました。その電話によると,弟は聖書を勉強していました。そして聖書には,新しい事物の体制がまもなく到来し,人々は楽園になる地上で永遠の命を得るということが予告されているとのことでした。しかしその時には,弟の話にあまり注意をとめませんでした」。

      しかしその後彼女は,弟の結婚式がエホバの証人の王国会館で行なわれたので,その弟と会うことになりました。以前は麻薬常用者であった弟が,穏やかな満ち足りた様子でいるのと,出席している人々の誠実で友好的な態度とに,婦人はひどく驚きました。しかしそれでも,弟が新たに見いだした宗教には依然懐疑的でした。

      「わたしをほんとうに動かしたのは結婚式の話でした」と彼女はことばを続けます。「話し手が聖書を直接読むことに気づきました。また話の中で,妻は『自分の夫に服』さなければならないという原則も述べられました。(エフェソス 5:22)わたしの結婚式のときに,なぜこのことが言われなかったのだろうか,とわたしは考えてしまいました。

      「家に帰るとわたしは聖書の勉強を始め,学ぶ事がらを実際に行なうようにしました。その結果夫は,『おまえが,わたしの妻として,また子どもたちの母親として落ち着いて仕事に励むようになったのはうれしいことだ。王国会館でみんながおまえに何をし

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