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神のあわれみはあなたのすべての罪を覆いますかものみの塔 1974 | 11月15日
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あわれみをヨセフが当初十分に悟っていたかどうかは聖書に記述されていません。しかし,ヨセフはエホバの救出に全くより頼んでいました。そして,エホバの導きに従い,父ヤコブから学んだエホバの義の要求を堅く守るという決意からそれることはありませんでした。また,ヨセフが最大の窮状にあった時,彼のために表わされたエホバのあわれみが常に彼を助け,やがてそれが彼をして当時の世界で二番めに高い地位に就かせました。それは非常な権力を伴う地位であり,望むなら,自分を虐待したすべての者にうらみをはらしてもとがめを受けないで済む地位でした。あるいは逆に,その地位を生かしてそれらの人々に大きな祝福をもたらすこともできました。ヨセフは,悪行の責めを負う人々だけでなく,優しい同情と感情移入とによって,窮状にある人々に対してもどのようにあわれみを働かせたでしょうか。また,『あわれみが裁きに対し勝ちを得て歓喜する』ということを,この真実な生涯の物語がどのように示しているでしょうか。そうした点は次の記事から学びます。それを取り上げるに先だって創世記 37章から47章までを注意深く読んでおくなら,そこから得られる興味と教訓は非常に大きくなるでしょう。
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あなたはどれほどあわれみ深い人ですかものみの塔 1974 | 11月15日
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あなたはどれほどあわれみ深い人ですか
1 広い範囲にわたってあわれみの欠けた今の世代はその事についてなぜ言い訳ができませんか。
不寛容で私利本位なこの時代にあって,あわれみ深く行動する人は,他の人にさわやかなものを与える祝福です。真の神についてこう述べられています。『エホバは恵みふかく なさけにみち また怒りたまふことおそく あはれみおほいなり エホバはよろづの者にめぐみあり そのふかきあはれみはみわざの上にあまねし』。(詩 145:8,9)またイエスは,「あなたがたの父があわれみ深いように,あなたがたも常にあわれみ深くなりなさい」と訓戒しました。(ルカ 6:36)それで,いろいろな民や国民の間のさまざまな疑り,対抗,敵意などによる今日のきわめて不寛容な状態は,今の世代に対する厳しい告発となるではありませんか。
2 神のあわれみはどのような人にのみ及びますか。なぜ?
2 箴言 28章27節はこう述べます。『貧しき者にほどこすものは乏しからず その目をおほふ者はのろひを受くること多し』。このことばから明らかなように,神のあわれみは,『その目をおおう者』には及びません。神は感傷的なかたではありません。神があわれみを働かせる場合,それは常に,正義や神聖さなど,神の他の資質や義の規準と調和を保っています。(ホセア 2:19)何を行なおうといつまでも神のあわれみを受けられると考えて神のあわれみに付け込む人は,必ず苦い失望に至ります。行動や生活態度によって神の義の道に対する故意の不敬を示す人は神の不興を受けます。神が『怒りをもてそのあはれみをとぢたまふ』のも当然です。―詩 77:9。ローマ 2:4-11。
3 わたしたち自身のあわれみの質を判断する上でどんな問いが役だちますか。
3 イエスの異父兄弟ヤコブは健全な警告を与え,同時に再保証のことばをも書きました。「あわれみを実践しない者は,あわれみを施されることなく自分の裁きを受けるのです。あわれみは裁きに対し勝ちを得て歓喜します」。(ヤコブ 2:13)あなたはどれほどあわれみ深い人ですか。あなたは,自分の感情を害する事が何かなされてもそれをすぐに見過ごすことができますか。それとも,そうした事を思いから消し去るのが難しいですか。周囲の人が必要としているものについていつも積極的な関心を払っていますか。それとも,そうしたものについて常にあなたの注意を促すことが必要ですか。あなたは他の人の動機を疑う傾向がありますか。それとも,誠実さや,偽りのない気持ちを認めたり受け入れたりすることができますか。あなたは,目だった人や何かの点で特に能力のある人にこびる傾向がありますか。それとも,厳密に霊的な資質の中に真の喜びを見いだすことができますか。こうした点を考えながら自分を吟味してみるとき,あわれみの欠けていることが明らかになるでしょうか。どのような結果が明瞭になるかは重要です。なぜなら,わたしたち自身が関心を払っていてもいなくても,わたしたち個人に対するエホバの裁きは,ヤコブを通して示されたとおりになされるからであり,裁きに立つ場合には,あわれみを実践している人だけがあわれみを施されるからです。
4 あわれみ深い人とはどんな人ですか。
4 あわれみ深い人は恨みを抱いたりせず,事情がそれをよしとする場合にはすすんでとがめや処罰を控え,物質面でも霊的な面でも寛大であり,窮状にある人に注意して積極的な方法で関心を払い,偏った見方をせず,誇りやねたみのことばを口にせず,あわれみの施しその他博愛的な行為をする場合でもそれを誠実で謙遜な気持ちで行なって自慢したりせず,自分の仲間と接する場合でも,その人々をただ“組織機関”の一部とするような能率本位の見方をしません。寛大な気持ちで自らを与えるなら,自分の所有物を与える場合にもまして必ず報いを受けます。そうです,エホバがその人に報いないでいることはありません。神のことばはこう述べます。『貧しき者をあはれむ者はエホバに貸すなり そのほどこしはエホバ償ひたまはん』。そしてイエスはこの箴言のことばにさらにこう付け加えました。「あわれみ深い人たちは幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです」。―箴 19:17。マタイ 5:7。
正しい原則に対する献身は恵みをもたらす
5 ヨセフはどんな人でしたか。彼が父親から特に愛されたのはなぜですか。
5 エホバのあわれみに見倣った際だった例は,ヤコブすなわちイスラエルの息子で,アブラハムのひ孫にあたるヨセフです。ヨセフは,ヤコブの愛した妻ラケルによる二人の息子のうちの長子としてシリアで生まれました。(創世 30:22-24; 35:24)ヨセフの誕生の時ヤコブは91歳でしたから,ヨセフはヤコブの年寄り子として,その年上の兄弟たち以上に愛されるようになりました。ヨセフが六歳前後のころ,ヤコブは,親類の中から妻を得る目的で自分が来ていたパダンアラムを離れ,自分の全家族を連れてカナンに帰りました。(創世 31:17,18,41)彼はしばらくの間サコス,シケム,ベテルなどに住みました。後に,ベテルからベツレヘムに至る道の途中で,ヨセフの母親ラケルは,その二番めの息子ベニヤミンを産む際に死にました。こうしてベニヤミンは,ヨセフにとって,父母を同じくするただ一人の兄弟となりました。ヤコブの他の息子たちはヨセフにとって異母兄弟でした。それらは,ラケルの姉レア,および,レアとラケルのはしためであった二人の女ジルパとビルハが
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