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結婚関係に忠節であるゆえに神はあわれみを示されるものみの塔 1976 | 7月1日
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結婚関係に忠節であるゆえに神はあわれみを示される
『われ……〔義と公平と愛のこもった親切[忠節な愛]〕とあわれみとをもてなんじをめとり かわることなき真実をもて汝をめとるべし 汝エホバを知らん』― ホセア 2:19,20,〔新〕。
1 この20世紀においては,姦淫の罪を犯した妻に対する夫の処置についてどんな疑問が起きますか。
姦淫の罪を犯した不貞な妻が,法律上の夫のあわれみを期待できる理由はありません。配偶者以外の恋人たちがいつも養ってくれることを当てにして安心感を得る確実な理由もありません。長期間性的満足を得たあとは,情熱的な恋人たちでさえそのようなみだらな姦婦にいや気がさし,他の肉欲を求めるかもしれません。そうなった場合,彼女はどこへ行くことができますか。結婚契約に忠節であるなら,法律上の夫のもとに戻る気になるはずです。しかし,夫は姦淫を行なった妻を,あわれみをもって受け入れてくれるでしょうか。この20世紀のあわれみの薄れた世の中で,そのようなことがどれほどあるでしょうか。
2 だれの思いと行動が人間のそれよりも優れていますか。それでその方はご自分の契約の民のために西暦前537年に何を行ないましたか。
2 しかしながら,人間に対して次のように言っているかたがいます。『わが思いはなんじらの思いとことなり わが道はなんじらのみちと異なれり 天の地よりたかきがごとく わが道はなんじらの道よりも高く わが思いはなんじらの思いよりもたかし』。そのような卓越した思いと行動のかたとはだれのことでしょうか。それはわたしたち人間の上の高い天にいますかたです。このかた,すなわち前述のことを語ったかたは,ご自分がエホバであることを明らかにしておられます。ご自分の古代の預言者,アモツの子イザヤを通してそれを明らかにされました。(イザヤ 55:8,9; 1:1)流刑の身である契約の民を,異教の地バビロンから中東にあるご自分の与えた地に帰還させることを予告する際に,神はこれらのことを語られました。人間のすべての思いや推論に反し,このあわれみの神は,西暦前537年に,その帰還を実現させられました。
3 この帰還は,どんな問題を扱うことに関連して生じましたか。アラビアのシナイ山はこのこととどのように関係していましたか。
3 流刑の身であった民はこうして,彼らの故郷が無人の地と化して70年を経たのちそこへ戻りましたが,そのことはエホバがかかえておられた結婚上の問題を扱うことと関連して生じました。1,000年ほど昔に,エホバはその流刑の身の民,すなわち古代のイスラエル国民と結婚しておられました。その結婚が行なわれた場所は,アラビア半島の西端の低いところにあるシナイ山の近辺でした。結婚当事者の間に立って司式したのは預言者モーセで,彼は神と人々の間の仲介者の役を務めました。結婚関係を支配する基本的な規則として神は十戒を発表されました。その最初の戒めはこれです。『我は汝の神エホバ汝をエジプトの地その奴隷たる家より導きいだせし者なり 汝我が面の前に我のほか何物をも神とすべからず』― 出エジプト 20:1-3。
4 それら解放されたイスラエルの12部族は実際にはだれのものでしたか。彼らはどんな関係を,どのように,結ぶことを選びましたか。
4 エホバはイスラエルの12部族を,古代エジプトにおける不当な抑圧と抑留から解放することにより,この「妻」なる国民をご自分のために実際に買い戻されました。(イザヤ 63:7-9)彼女は正当にエホバのものでした。それでエホバは,夫なる所有者として,この妻のような国民と結婚契約を結ぶことにされました。それは神の法典に基づいた厳粛な契約で,一般にモーセの律法契約と言われています。神を自分たちの天的所有者とすることから来る祝福と安全を得るために,イスラエル人はその結婚関係に入りました。彼らはその結婚契約,すなわちモーセの律法契約に忠実であることを約束し,地上における唯一の,神の契約の民となりました。それでエホバは,『我かれらを娶りたり』と仰せられました。―エレミヤ 31:31,32。
5 不道徳な世の中で,イスラエル国民は何に忠実であることのむずかしさを知りましたか。ホセアの妻ゴメルは,だれの行状を示す例として用いられましたか。
5 バアルその他の多くの偽りの神々を愛する不道徳な世のただ中で,イスラエル国民は,その結婚契約,神また夫なる所有者エホバとの契約に忠実であることが非常に困難であるのを知りました。それで国民一般はそれにくじけ,エホバに対し霊的姦淫の罪を犯しました。(ヤコブ 4:4)西暦前997年,12部族のイスラエル王国内で分裂が生じました。10部族イスラエル王国と呼ばれた部分の不貞な行状は,預言者ホセアの妻ゴメルの例によって示されました。
6,7 (イ)どんないきさつからエホバは10部族のイスラエルに対して正当な言い分を持たれるようになりましたか。(ロ)そのイスラエル王国はだれの後を慕って思いを果たすことができず,だれのところへ戻ることを望みますか。
6 ゴメルは「淫行の婦人」に変わり,「淫行の子等」を産みました。(ホセア 1:1-3)このことは10部族のイスラエル王国が,偶像崇拝を行なう国々と政治同盟を結んだことを示しました。妻のようなイスラエル国民は,その夫なる所有者エホバに頼ることをせずに,そのような異教の国々に頼り始めました。経済的に豊かな生活ができることをエホバの恩恵とは考えずに,そうしたこの世的な国々の恩恵と考えるようになりました。彼女はそれらの国の神々を崇拝し始め,自分の贖い主である夫なる所有者エホバとの結婚契約を破るという破廉恥な行ないをしました。そのためエホバには,霊的姦淫にふけるこのイスラエル王国に対して正当な言い分がありました。結婚契約の条件に従えば,エホバには背教したイスラエルを処罰する法的権利と義務がありました。最後にエホバはそれを実行されました。エホバは彼女に次のように仰せになりました。
7 『この故にわれ荊棘をもてなんじの路をふさぎ垣をたてて彼にその径をえざらしむべし 彼はその恋人たちの後をしたいゆけども追及ことなくこれをたずぬれども遇うことなし ここにおいて彼いわん 我ゆきてわが前の夫にかえるべし かのときのわが状態は今にまさりて善りきと 彼が得る穀物と酒と油はわがあたうるところ 彼がバアルのために用いたる[または,彼らがバアルの像を作った]金銀はわが彼に増しあたえたるところなるを彼はしらざるなり』― ホセア 2:6-8,[新世訳脚注]。
8 それでエホバはだれを懲罰する決意をされましたか。しかしどの決定を取り消す意図はお持ちになりませんでしたか。
8 この言葉によると,エホバは10部族のイスラエル王国の民を懲罰する決意をされました。しかしそれによってこの国の王政が救われるということではありません。前にホセアの預言の中で言ったことを取り消すことなどエホバはされないからです。『我……イスラエルの家の国をほろぼすべければなり その日われエズレルの谷にてイスラエルの弓を折るべし』― ホセア 1:4,5。
9 (イ)イスラエル王国に対する懲戒処分からだれが益を受けることができましたか。(ロ)どんな出来事があった時に,イスラエルとエホバの結婚契約は終結しましたか。
9 それでも,背教の国民に加えられた懲戒処置から益を得た個々のイスラエル人がいました。例えば,バアルにひざをかがめなかった7,000人のイスラエル人がそれです。(列王上 19:18。ローマ 11:1-5)次の事実を見逃さないようにしましょう。それは,西暦前740年にイスラエル王国を終わらせ,生き残ったイスラエル人をアッシリアに追放した時に,エホバは全イスラエル国民との結婚契約を解消されなかった,ということです。西暦前607年,エルサレムを滅ぼし,生き残ったユダヤ人をバビロニアに捕囚として連れ去ることを許した時にもエホバは,モーセの律法契約,すなわち12部族のイスラエルがエホバを天的夫として結婚関係を結ぶ基礎となった契約を,廃止されませんでした。エホバと全イスラエルとの法的婚姻関係は,西暦33年にユダヤ教の指導者たちがイエス・キリストを殺させる時まで,解消されなかったのです。―コロサイ 2:14。
10 イスラエル王国の「情熱的な恋人たち」はどのように彼女を見捨てましたか。しかしだれがエホバの懲戒処分から益を受けられましたか。
10 10部族のイスラエル王国は,かつて彼女の情熱的な恋人たちであったこの世の諸国に助けを求めましたが,イスラエルに言い開きを求めるエホバの時は容赦なく彼らの上に臨みました。彼女が心を熱くして慕い求めた「恋人」の中には,彼女を助け得る者は一人もいませんでした。通り抜けられないいばらのやぶで囲まれたかのように,彼女は有力な助けを垣でさえぎられました。かつての恋人たちは,たとえ助けたいと思ったとしても,必要な助けをイスラエルに与えることはできませんでした。アッシリア人による三年にわたる包囲の後,イスラエルの首都サマリアは西暦前740年に陥落しました。生き残ったイスラエル人は,彼らを捕えた者たちの国に追放されました。その10部族のイスラエル王国が,神から与えられた土地に復帰することはありませんでした。ではだれが,エホバの懲戒処分から益を受けることができましたか。アッシリアに追放された流罪人の中の個々の人だけでした。彼らは問題を熟考しました。先祖たちが,天的夫また神としてエホバに仕えていたとき,物事がいかに良い状態にあったかを思い出しました。今や彼らは以前の状態のほうが良かったことに気づき,バアル崇拝から離れて,エホバとの契約関係を回復することに努めました。
11,12 エルサレムにおけるエホバの崇拝に戻る機会が,アッシリアで流刑の身になっていたイスラエル人に与えられたのはいつでしたか。それはどのように実現しましたか。
11 アッシリアで流刑の身となっていたイスラエル人には,エホバの指定された場所で行なわれるエホバの崇拝に一致して戻る機会がいつ差し伸べられましたか。最初は西暦前537年に,新しい世界強国により与えられました。なぜそうですか。西暦前632年ごろ,アッシリアの首都ニネベはバビロニア人の手に落ち,世界強国バビロンは最高の地位を獲得しました。そのため,流刑の身のイスラエル人がいたアッシリアの諸州は,バビロニア帝国の州となりました。それから約25年後,今や背教者となったユダ王国の上に,エホバの刑罰の裁きが執行されました。こうして西暦前607年,エホバはエルサレムとその神殿を滅ぼすことを許されました。生き残った何千ものユダヤ人はバビロニアに追放され,かつてのアッシリアの諸州に流刑の身となっていたイスラエル人に加わりました。
12 その時から70年目にエホバは,ご自分のわがままな妻のような地上の組織は十分に懲罰を受けた,とお考えになりました。エホバはそのあわれみにより,予告されていたペルシャ人クロスを起こし,西暦前539年,バビロンを覆させました。その後まもなく,すなわち西暦前537年,エホバはこのクロス大王を動かし,悔い改めたイスラエル人を解放してその愛する故国に帰還させる,という宣言を行なわせました。
13 申命記 24章1節から4節に照らして考えるとき,なぜこれはエホバの妻のような契約の民に対する神の側の特別のあわれみであったと言えますか。
13 それは,契約の民である12部族のイスラエルに対する天的夫の特別のあわれみある措置ではありませんでしたか。確かにそうです。なぜなら,モーセの律法契約によればそれは期待できないことだったからです。律法には次のように記されています。『人妻を取りてこれを娶れる後恥ずべきところのこれにあるを見てこれを好まずなりたらば離縁状を書きてこれが手にわたしこれをその家より出すべし その婦これが家より出たる後ゆきてほかの人に嫁ぐことをせんに 後の夫もこれを嫌い離縁状を書きてその手にわたしてこれを家より出しまたはこれを妻にめとれるその後の夫死ぬるあるも これはすでに身を汚したるによりて これを出したるその先の夫ふたたびこれを妻にめとるべからず これエホバの憎みたまうことなればなり 汝の神エホバの汝に与えて産業となさしめたまう地に汝罪を負わすなかれ』― 申命 24:1-4。
14 エホバはエレミヤ記 3章1節の中で,イスラエルを永久に離婚する理由があったことを,どのように述べておられますか。
14 エホバは預言者エレミヤの時代に,ユダ王国に住む契約を破ったユダヤ人に対してこの律法を強調されました。イスラエルを永久に離婚する理由がご自分にある事実を強調し,エホバはエレミヤに霊感を与えて次のように語らせました。「『もし人がその妻を離婚し,女が彼のもとを去って,他人の妻となるなら,その人はふたたび彼女に帰るであろうか。その[ユダの]地はおおいに汚れないであろうか。あなたは多くの恋人と姦淫を行った。しかもわたしに帰ろうというのか』と〔エホバ〕は言われる」― エレミヤ 3:1,口〔新〕。
15 結婚関係はいつどのように断たれましたか。そしてエホバのあわれみは個々のユダヤ人に対してどのように表わされましたか。
15 こうしたことを前にしながら,西暦前607年にエルサレムが滅ぼされた後も幾世紀もの間,全イスラエルとの結婚契約が引き続き保たれて来たのは,ひとえにエホバの極めて優れたあわれみによりました。しかし西暦33年,その契約が破棄される時が来ました。それは同国民がメシアなるイエスを退け,エルサレム城外でイエスを殺させた時でした。その時,同国民とエホバ神との結婚関係は断たれました。それ以後のユダヤ人の歴史はそのことを証明しているでしょうか。証明しています。しかしエホバはあわれみ深くも,メシアであるイエスを信じた個々のユダヤ人が,新しい契約,すなわちメシアなるイエスの仲介による契約において,エホバとの関係を新たにすることを許されました。
16 霊的イスラエルの残りの者はなぜキリスト教世界と共に滅びませんか。ほかにだれがエホバのあわれみを利用していますか。
16 今日,キリスト教世界は新しい契約の下にあると主張します。しかし,彼女のその主張や,カトリック教会の1975年聖年,また他の宗教的リバイバルにもかかわらず,キリスト教世界は,この不敬虔な世に迫りつつある「大患難」の間に滅びる定めにあります。それにもかかわらずエホバは,その愛情深いあわれみにより,悔い改めた霊的イスラエルの残りの者を,バビロン的なキリスト教世界から呼び出されました。このようにして彼らは,彼女と共に滅びることを免れます。(啓示 18:4)しかし,霊的イスラエルの残りの者だけが彼女から出て来たのではありません。ほかにも羊のような人々の「大群衆」が,西暦1935年以来,エホバの拡大されたあわれみを利用してきました。彼らは大いなるバビロンのあらゆる部分から出てきて残りの者に加わり,エホバに専心の献身を行ないました。―啓示 7:9-17。ヨハネ 10:6。
霊的姦淫に対する刑罰
17,18 (イ)キリスト教世界は神ののろいを受けないわけにはいきません。なぜですか。(ロ)その警告として,エホバはホセア 2章9節から13節でなんと言われましたか。
17 キリスト教世界の宗教組織は,聖書の神と契約関係にあると主張しているので,政治家や軍事家との交友によって売春を行なったことに対する刑罰を受けなければなりません。古代イスラエルが,妻のような組織の天的夫であるエホバと結んだモーセの律法契約を犯し,その罪に対する刑罰として間違いなく神ののろいを受けたことを,彼らは忘れてはなりません。その警告としてエホバはホセアにさらに次のように仰せられました。
18 『これによりて我わが穀物をその時におよびて奪い わが酒をその季にいたりてうばい またかれの裸体をおおうに用ゆべきわが羊の毛およびわが麻[または亜麻]をとらん 今われかれの恥ずるところをその恋人等の目のまえに露すべし 彼をわが手より救うものあらじ 我かれがすべての喜楽すなわち祝筵新月のいわい 安息日およびすべての節会をしてやましめん また彼のぶどうの樹といちじくの樹をそこなわん 彼さきにこれらをさしてわが恋人の我にあたえし賞賜なりと言いしが われこれを林となし野の獣をしてくらわしめん われかれが耳環 くび玉などを掛けてその恋人らをしたいゆき 我をわすれ香をたきて事えしもろもろのバアルの日のゆえをもてその罪を罰せん エホバかく言いたまう』― ホセア 2:9-13。
19 律法契約によると,エホバには,姦淫を行なう国民に対してどんな義務がありましたか。
19 イスラエルがエホバを忘れたことに注目しましょう。彼女はどんな刑罰に値しましたか。イスラエルとの結婚契約に含まれているエホバの明確な警告によると,彼女は天的夫としてのエホバに忠実でなかったのですから,エホバは物質面で祝福することを差し控えざるを得ませんでした。姦婦,つまり契約を破ってバアルの像の崇拝に転じ,この世的な恋人と不倫な関係を結んだ国民を,エホバが養う義務はありませんでした。エホバは当然同国民の道徳面での頼りなさ,放縦さを衆目にさらすことができました。その結果,同国民のこの世的な同盟国さえさげすんで敵対しました。
20 エホバは姦淫を行なう国民を,どのように林のようにされましたか。どんな方法で彼女をエホバの刑執行の手から奪い取ることは,だれにもできないことでしたか。
20 エホバはそれを,野獣からの保護と安全をだれにも与えない無人の林のようにされました。同国民は,忠実な族長アブラハム,イサク,そしてヤコブ(イスラエル)の息子であった12部族の頭たちの子孫であるというだけの理由で,罰の免除を主張することはできませんでした。そういう人々との血縁関係は,エホバが不利な裁きを執行される時に同国民をエホバの手から奪い取るための力とも功ともなりません。
21 イスラエルは,その家系にもかかわらず,昔のどんなエホバの契約の成就にあずかるのにふさわしくないことを示しましたか。
21 といってもそれは,エホバが,西暦前1943年という昔にご自分の友アブラハムと結ばれた契約を忘れて守らなかった,ということではありません。エホバはその契約が真実であることまたそれを破らないことをご自分をさして誓われました。しかし不倫なイスラエルは,アブラハムの生来の子孫ではありましたが,その契約の成就の一端にあずかる価値のあるものであることを証明しませんでした。エホバは彼らの先祖アブラハムに言われました。「あなた自身祝福となりなさい。そうすればわたしは,あなたを祝福する者たちを祝福し,あなたに災いを下す者を呪う。地のすべての家族はあなたによって必ず自分の祝福を得る」。(創世 12:2,3,新)「わたしは必ずあなたを祝福し,あなたの胤を殖やして天の星のように,海辺にある砂粒のようにする。あなたの胤はその敵の門を手中に入れるであろう。そして,あなたの胤によって地のあらゆる国民は必ず自らの祝福を得るであろう」― 創世 22:17,18,新。
22 イスラエル王国とユダ王国を覆すことをお許しになったにもかかわらず,なぜエホバはアブラハムの胤を保存されましたか。またその残りの者に何を行なわれましたか。
22 アブラハムの胤の主要な者,すなわちメシアは,西暦前740年のサマリアの滅びの時にはまだ到来していませんでしたし,西暦前607年のエルサレムの破滅の時にもまだ到来していませんでした。それでも,アブラハムのメシアなる子孫は,アブラハムの自然の,骨肉の家系から出なければなりませんでした。確かにエホバは敵がイスラエル王国とユダ王国を滅ぼすことを許されましたが,それでも生来のアブラハムの胤を保存しなければなりませんでした。なぜなら,この家系から地のあらゆる国民の祝福となるメシアが来なければならなかったからです。(マタイ 1:1-3。ガラテア 3:8-29)そういう目的があって,エホバはあわれみ深くも悔い改めたイスラエル人の残りの者を,エルサレムのユダ王国の破滅後続いた70年の捕囚期間中ずっと保護されました。エホバは忠実な残りの者との結婚契約を忠実に守られました。次いでエホバはメシアを予表していた者,すなわちバビロン征服者クロスを起こされました。この解放者を通してエホバは,アブラハムの胤の残りの者をユダの地に帰還させました。
23 ご自分と妻のような契約の民とのきたるべき和解を予告するために,エホバはホセア 2章14節から16節でなんと言われましたか。
23 それでご自分の妻のような契約の民との和解を予告するために,エホバは預言者ホセアに霊感を与えてさらに次のように語らせました。「それゆえ,見よ,わたしは彼女をいざなって,荒野に導いて行き,ねんごろに彼女に語ろう。その所でわたしは彼女にそのぶどう畑を与え,アコルの谷を望みの門として与える。その所で彼女は若かった日のように,エジプトの国からのぼって来た時のように,答えるであろう。〔エホバ〕は言われる。その日には,あなたはわたしを『わが夫』[ヘブライ語: イシ]と呼び,もはや『わがバアル[所有者]』とは呼ばない」。(ホセア 2:14-16,口,〔新〕)あるいは文語訳から引用するなら16節は次の通りです。『エホバ言いたまう その日にはなんじ我をふたたびバアリ[わが主]とよばずしてイシ(わが夫)とよばん』― ホセア 2:18。
24 エホバはその妻のような組織に「荒野」の中でなんと言われましたか。彼女に「そのぶどう畑」を与えるということにはどんな意味がありましたか。
24 イスラエル人はバビロン捕囚の間,「荒野」にいるかのようでした。エホバはあわれみ深くも残りの者をそこへ『いざない』,『ねんごろに彼女に語られ』ました。愛情をもって懲らしめることにより,そして預言者エゼキエルとダニエルにより,エホバは彼女に語られました。エホバは,ご自分の妻のような懲らしめられた組織に「そのぶどう畑」を与える約束をされました。その意味は,エホバが彼女をバビロンの「荒野」から連れ出して,長期間荒廃していたユダの地とエルサレムに帰還させるということでした。
25 エホバがご自分の妻のような組織に「アコルの谷を望みの門として」与えるということは,彼女にとってどんな意味がありましたか。
25 エホバが「アコルの谷」のことを語られたとき,その谷は次のことを思い起こさせました。進撃するイスラエル人がカナンの都市エリコを滅ぼした後,貪欲なアカンは,エホバの命令に背いたために家族と共に石打ちの刑に処せられました。そのようにアカンは,戦利品を取るという利己的で不従順な行ないをして,イスラエルを悩ませました。アカンが石打ちにされた谷は,それにふさわしく「アコルの谷」と呼ばれました。アコルという名称には「悩み」という意味があります。(ヨシュア 7:10-26)したがって,妻のような組織に,「アコルの谷を望みの門として」与えるというエホバの約束は,彼女がその谷のある故郷に連れ戻されることを意味しました。
26 「荒野」の妻のような組織はエホバにどのように反応しましたか。結婚関係が新たにされたことをエホバはどのように証明されましたか。
26 ところで,エホバの妻のような組織の,悔い改めた残りの者はどうでしたか。彼らはエホバの説得するような態度や,「ねんごろ」な話し方に対して「答え」ましたか。あるいは反応しましたか。聖書の歴史によると彼らはそれに答えました。ずっと昔,彼女がイスラエル国民として「若かった」時に,彼女は心をこめて「答え」ました。または反応しました。モーセの律法契約をエホバと結ぶことにより,エホバの妻のごとき組織になるようにとのエホバの招きに応じました。それと同様に,バビロンにいた悔い改めた残りの者も,イスラエルと彼女の天的夫エホバとの結婚のきずなを新たにするため,その招きに応じました。この結婚関係を新たにした証拠として,エホバは予表的メシアなるクロス大王を用い,忠実なイスラエルの残りの者をユダとエルサレムの地に帰還させました。
27 残りの者は今やバアル崇拝に対してどんな道を取りましたか。その妻のような組織はエホバを「わが夫」と呼ぶことにより何を明らかにしましたか。
27 復帰したエホバの契約の民は,もはやバアル崇拝や他の形の偶像崇拝に逆戻りすることはありませんでした。元の状態に戻された残りの者は,彼らに与えられていた土地で,熱意を傾けて,彼らの神であるイスラエルの天的夫の崇拝を復興しました。彼らの先祖が,エジプトとその軍隊から救出された時に感じたのと同じ深い感謝の念を彼らは感じました。イスラエルの天的夫がより身近に,より親密な者に感じられました。妻のような組織は自然と,より親密な,愛情のこもった言葉でエホバに呼びかけました。その組織はエホバを「わが所有者」と呼ぶよりもむしろ,霊的に言って,「わが夫」と呼びました。彼女はもはや,奴隷所有者のものとしてただ「所有されている」という感じを好まなくなりました。最初の女エバがその夫アダムの助け手とされたように,エホバの助け手のような気持ちになることを望みました。(創世 2:19-24)それはなんとうるわしい情景だったのでしょう!
28 昔の神のあわれみの表明のように,今日でも同じようにうるわしいのは何ですか。
28 この20世紀の現代に起きたそれと同様の出来事も,うるわしいものです。エホバのあわれみは今日でもなんとすばらしい効果を生み出しているのでしょう。エホバは,霊的結婚契約に忠節であるゆえにあわれみを示されるのです。今エホバのあわれみを経験している人々は本当に幸せです!
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ハルマゲドン前における,神のあわれみによる和解ものみの塔 1976 | 7月1日
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ハルマゲドン前における,神のあわれみによる和解
1 西暦1919年以後エホバは霊的イスラエルの残りの者と和解されましたが,その結果はどんな例えで示すことができますか。
わがままで離れて行った妻が,法律上の夫のあわれみによって再び受け入れられたなら,妻はその夫に対してどのような態度を取るべきですか。そして受け入れた後夫が妻に愛を惜しみなく表現するなら,妻は夫をどのように見,夫に対してどのような気持ちを抱くべきですか。夫が過分の親切を示してくれたのに対し,夫に非常な尊敬の念を抱くはずです。かつてないほど夫に引き付けられるのが道理です。夫をより深く尊敬し,夫との新たにされた結婚のきずなを強く,断ち切られないものにする根拠があります。妻にふさわしいそのような反応は,エホバが地上の契約の民と和解されたことから生じました。そして西暦1919年以来,和解した霊的イスラエルの残りの者にも同じ結果が生じました。
2 夫を「バアリ」と呼ばずに「イシ」と呼ぶようになったことは,妻に関して何を暗示していますか。このことは,西暦前537年後のイスラエル人の残りの者に関連してどのように事実となりましたか。
2 遠い昔の聖書時代の妻が自分の配偶者を「わが所有者」と呼ばずに「わが夫」と呼ぶには,確かに妻の側が態度を変え,感謝の念を深める必要がありました。彼女は夫をヘブライ語で「バアリ」と呼ばずに「イシ」と呼びました。(ホセア 2:18)その昔サラは族長アブラハムを『わが主』,すなわちヘブライ語でアドナイと呼んで,アブラハムに敬意を示しました。彼女はアブラハムの正妻でしたから,自分の夫としてアブラハムを尊敬しました。彼女は自分をアブラハムの奴隷,彼女の仕えめで金で買われた,そしてアブラハムの家から追い出されなければならなかったエジプト人ハガルのような奴隷であるとは考えませんでした。(創世 18:12。ペテロ第一 3:6)サラは,神を恐れた夫に献身的に協力したので,エホバはサラが90歳の時に奇跡的に独り子を授けて,彼女に報いられました。(創世 21:1-7)和解したイスラエル人の残りの者が,西暦前537年にエホバによりバビロンから解放された後エホバに対して示した敬意は,サラがアブラハムに対して示した敬意と同じでした。残りの者は再びエホバの真の妻なる組織のように感じました。エホバのあわれみに残りの者は感動し,エホバをイシ,『わが夫』と呼びました。
3,4 (イ)西暦1919年以来,霊的イスラエルの残りの者は,どんな関係に対してより深い認識を示すようになりましたか。どの契約について長い間誤解していましたか。(ロ)1934年に「ものみの塔」誌はどんな記事を掲載しましたか。
3 20世紀におけるこれと同様の出来事においては,霊的イスラエルの残りの者が,西暦1919年に大いなるバビロンから解放されました。その時まで,それらの霊的イスラエル人は,メシアであるイエスとその花嫁であるクリスチャン会衆を偏重していましたが,今や彼らはメシアの天の父エホバ神に対してもっと感謝を示すようになりました。天的夫としてのエホバ神と霊的イスラエルとの関係は,特に西暦1892年以来なおざりにされていました。エホバ神の新しい契約は誤解されていたのです。
4 「だれがエホバを敬うか」。これは,「ものみの塔」誌の1926年1月1日号に掲載された主要記事の主題でした。その時以後,神に対する霊的イスラエルの関心は高まりました。そして1934年となり,「彼の契約」という題の連続記事が「ものみの塔」誌に掲載されました。この記事は八部から成り,1934年4月1日号から7月15日号まで掲載され,「ものみの塔」誌の読者に供給されました。この連続記事は,メシアなるイエスの仲介によるエホバの新しい契約が霊的イスラエルの残りの者に適用されることを,彼らにはっきり思い起こさせました。
5 (イ)1934年の終わりに,「彼の契約」と題する記事をそのまま載せたどんな本が発行されましたか。(ロ)エホバのあわれみを受けた者はそのあわれみに感動し,エホバをその組織と関連させて何と呼びましたか。
5 その後まもなく,すなわち1934年11月15日に,「エホバ」という題の本が,ニューヨーク市ブルックリンにあるものみの塔聖書冊子協会の印刷機で印刷されました。その本の4章から11章には,その年の初めに「ものみの塔」誌に掲載された「彼の契約」という記事がそのまま載せられていました。そうです,霊的イスラエルの残りの者は,エホバと新しい契約を結んでいたのです。それ以後,エホバの霊的イスラエルに対する夫のような関係に,徐々に注意が払われてきました。解放され,和解した霊的イスラエルの残りの者に対するエホバのあらゆるあわれみ深い扱いにこたえ,妻のような組織は感動してエホバをイシ,『わが夫』と呼びました。自分が属すべき唯一の正当な組織は,サタンの組織ではなくてエホバの組織でした。専心の献身は,宇宙の主権者としてのエホバのものでした。このことを残りの者は認めました。
霊的繁栄と安全
6 ホセア 2章17節から20節に詳述されている通り,残りの者は天的夫であるエホバに献身的な愛を示し,その結果どんな祝福を得ましたか。
6 和解した残りの者が天的夫エホバに示した献身的な愛は,すばらしい祝福につながりました。預言者ホセアを通してさらに語られたエホバの言葉は,そのことを予告していました。『我もろもろのバアルの名をかれ[回復したイスラエル人]が口よりとりのぞき重ねてその名を世に記憶せらるることなからしめん その日には我かれら(我が民)のために野の獣そらの鳥および地の昆虫と誓約をむすび また〔弓と剣と戦争とを地〕よりのぞき彼らをして安らかにおらしむべし われ汝をめとりて永遠にいたらん〔義と公正と愛のこもった親切〕とあわれみとをもてなんじを娶り かわることなき真実をもて汝をめとるべし 汝エホバをしらん』― ホセア 2:17-20,〔新〕。
7 復帰した残りの者はなぜイスラエルの天的夫をもはや「バアリ」と呼ぼうとしませんでしたか。またどんな崇拝に再び戻ることはありませんでしたか。
7 復帰した残りの者が,バビロン捕囚から帰還した後も,エホバを引き続きバアリ,「わが所有者」と呼ぶとすれば,それによって彼らは,バアルの像を崇拝した先祖たちの罪と自分たちの罪を思い出すでしょう。悔い改めた残りの者に対するエホバの態度は,彼らのうちにバアルへの嫌悪感を生み出させました。そのようにしてエホバは彼らの口からバアル像の名前を除かれました。彼らはもはやそのいやな名前によってそれらを思い出そうとはしませんでした。当然のこと彼らはイスラエル国民の天的夫を,「わがバアル」,すなわちバアリという名称で呼ぼうとはしませんでした。(ホセア 2:16,新英語聖書; エルサレム聖書; リーサー訳)バアルに対するその嫌悪感にふさわしく,彼らは,人間の作った物質の像の崇拝に二度と戻りませんでした。
8 メシアを受け入れたユダヤ人の残りの者は,バアル崇拝に対してどのように反対を示しましたか。また霊的イスラエルの残りの者は今日どのようにして,キリスト教世界に加えられる神の罰にあずからないようにしていますか。
8 イエスをメシアとして受け入れたユダヤ人の残りの者も,あらゆる種類の偶像崇拝に対して同じように反対の態度を示しました。その残りの者はイエス・キリストを仲介者とする新しい契約に入れられました。現代においては,霊的イスラエルの残りの者が,偶像的なものの崇拝すべてに反対の態度を取っています。西暦1919年に,エホバはメシアであるイエスを用いて彼らをバビロンから解放されました。彼らは自分たちの神であるエホバに専心の献身をすることに努め,どの国の国旗であろうとそれに敬礼することを拒否します。(出エジプト 20:1-6。コリント第二 6:15から7:1まで)彼らは,バアル崇拝に似たところがあるものは一切避けて,自分の身を汚さないようにします。偶像の神々がエホバに対抗することを許さないのです。このようにして彼らは,エホバがキリスト教世界に問われる責任にあずからないようにします。エホバはこう言われます。『われかれが耳環 くび玉などを掛けてその恋人らをしたいゆき 我をわすれ香をたきて事えしもろもろのバアルの日のゆえをもてその罪を罰せん』― ホセア 2:13および8節。
9 神は「大患難」のときにキリスト教世界を昔のどの王国のように扱われますか。しかしホセア 2章18節によると,バアル崇拝を捨てた残りの者には何を約束しておられますか。
9 10部族のイスラエル王国の現代の対型であるキリスト教世界の前方には「大患難」が控えています。(マタイ 24:21,22)神は彼女に責任を問われます。そしてイスラエルに対して行なわれたのと同じことを彼女に行なわれます。『我……イスラエルの家の国をほろぼすべければなり その日われエズレルの谷にてイスラエルの[戦いの]弓を折るべし』。(ホセア 1:4,5)彼女は神との和解にあずかりません。しかし,バアル崇拝を捨てた悔い改めた残りの者はどうでしょうか。彼らにはホセア 2章18節〔新〕のエホバの次の言葉が適用されます。『その日には我かれら(我が民)のために野の獣 そらの鳥および地の昆虫と誓約をむすび また〔弓と剣と戦争とを地〕よりのぞき 彼らをして安らかにおらしむべし』。安全を保証するなんとすばらしい約束でしょう!
動物に関連した契約
10 第一世紀においてのみならず,西暦1919年以後も,エホバが霊的イスラエルの「地」から,弓や剣を折り戦争を断たれる,ということはどのように真実となりましたか。
10 この約束が与えられてから約八世紀後,生来のイスラエルの残りの者は,イエスをメシアとして受け入れました。神のこの約束は彼らにおいて実現しました。彼らは,ユダ,ベニヤミン,レビ,アセルなどの12部族から取られていました。にもかかわらず,イエス・キリストのそれらイスラエル人の弟子の間には,部族間の戦争など起こりませんでした。西暦1919年以来エホバが大いなるバビロンから解放した霊的イスラエルの残りの者についても同じことが言えます。あらゆる国民の中から取られたとはいえ,この現代の残りの者の間には,戦争に狂ったこの世界にありながら国際戦争など一度も起きたことがありません。(マタイ 28:19)エホバが彼らの「地」,すなわち彼らの霊的地所から「弓と剣と戦争とを」断たれたのは事実です。(ホセア 2:18,新)彼らはエホバを天的夫とする霊的イスラエルの成員として,自分たちの間に平和を保つことに極めて熱心です。―マルコ 9:50。
11 契約の民の霊的地所から弓と剣と戦争とを断つことはどのように可能でしたか。
11 これはどのようにして可能になっているのでしょうか。それは彼らが,メシアなる指導者,平和の君の性格に倣って自分の性格を変えたからです。(イザヤ 9:6,7)エホバはその聖霊と文字に書かれたその言葉とによって彼らの性格を変え,地の野獣が持っているような凶暴で人を害する傾向を除かれました。(ローマ 12:1,2)エホバは,和解した残りの者に関して言われたことを象徴的な意味で成就されました。『その日には我かれら(我が民)のために野の獣 そらの鳥および地の昆虫と誓約をむすび……彼らをして安らかにおらしむべし』。(ホセア 2:18)西暦1914年から1918年の第一次世界大戦以来,一般の世界はますます動物的になり,野獣よりも悪くなりました。しかしエホバは,和解した残りの者を,エホバとの是認された関係という霊的パラダイスに入れられました。疑う人はだれでも,その事実を自分で確かめるために,エホバのクリスチャン証人の王国会館に行って,そこにある神の平和の霊を見さえすれば分かります。
12 キリスト教世界の地の宗教的地所は,和解した残りの者のそれと比べてどのように目立ちますか。
12 霊的繁栄と安全のそのパラダイスと鋭い対照をなしているのは,エホバ神と契約関係にあると主張するキリスト教世界の地上の宗教的地所です。彼女の上には,ホセア 2章12節のエホバの破壊的な言葉が成就しつつあります。「われこれを林となし 野の獣をしてくらはしめん」。霊的姦淫にふけるキリスト教世界は,安心感も,霊的危険やキリスト教徒と自称する野獣のような国々からの保護も与えない,無人の林のようになりました。キリスト教世界の教会員は,「地的,動物的,悪霊的な」この世の知恵の犠牲になるがままに放置されています。(ヤコブ 3:15)彼らは霊的にむさぼり食われています。エホバは,野獣と鳥に関する契約の約束をキリスト教世界に与えておられません。彼女を『安らかにおらしめ』てはおられません。
永続的基礎の上に立つ新たにされた婚約
13 エホバはどんな崇高な特質を心にかけて「妻」なる組織を再び娶ると言われましたか。
13 エホバは霊的イスラエルの天的夫として,霊的イスラエルの残りの者に非常なあわれみを示されました。そして引き続きその残りの者に忠節な愛と忠実さを示しておられます。エホバは,残りの者によって代表される「妻」なる組織に対し,極めて崇高な精神を抱いて次の預言をされました。『われ汝をめとりて永遠にいたらん〔義と公正と愛のこもった親切[もしくは忠節な愛]〕とをもてなんじを娶り かわることなき真実をもて汝をめとるべし 汝エホバをしらん』― ホセア 2:19,20,〔新世訳[脚注]〕。
14 (イ)エホバが『われ汝を娶り』と三回言っておられる事実は何を示していますか。(ロ)エホバが霊的イスラエルと結婚関係を新たにされたことは,なぜあわれみ深い行ないであるのみならず義かつ公正でもありますか。またむだに終わることがないと言えますか。
14 エホバは残りの者に向かって三回,『われ汝を娶り』と言っておられます。これによってエホバの言葉は非常に力のこもったものになっています。このことは,エホバの愛が熱烈であるために,エホバがそのあわれみを顕著な方法で示されることを物語っています。エホバが結婚契約関係を新たにされたことは,あわれみ深い行為であるばかりでなく,義と公正の行ないでもありました。なぜそうですか。なぜならエホバはその契約を,メシアなるイエスによってささげられたなだめの犠牲,公正の条件を満たす犠牲に基づいて新たにされたからです。(ヨハネ第一 1:7から2:1)ですから,霊的イスラエルの残りの者が,エホバとの是認された関係に戻されたことは,エホバの忠実さと忠節な愛が真実のものであることを証明しています。またエホバが義と,公正と,愛のこもった親切,あわれみ,忠実さとをもって残りの者を娶られるとすれば,それがむなしくなることはありません。忠節な者たちは皆,そのような忠節な神に,不定の時まで,永遠に,忠実さと専心の献身とをもって答え応ずるでしょう! これは,ハルマゲドンで終わる来るべき「大患難」をも通過して続くことを意味します。―啓示 16:14,16。
15,16 (イ)和解した残りの者がエホバを知るのは何に起因しますか。(ロ)ホセア 2章21節から23節で,エホバは,ご自分がわたしたちの必要とするものすべての供給者であることを示すためになんと言っておられますか。
15 エホバは,ご自分が娶る悔い改めた残りの者に対して,「汝エホバを知らん」と述べておられます。(ホセア 2:20)この意味は,エホバがもたらされた,あわれみに満ちた和解のためだけでなく,その後神がなすべく意図されたことの故にも,彼らが神を知るようになる,ということです。残りの者はかつてないほどに神を知るようにされ,彼らの上に絶えまなくそそがれるすべての祝福の源はエホバであるという認識を深めました。それでエホバが,生活に必要なものすべての供給者として,愛を込め喜びを込めて,次の詩的な言葉をつけ加えておられることに注目しましょう。
16 『その日われ応えん 我は天にこたえ 天は地にこたえ 地は穀物と酒と油とに応えまたこれらのものはエズレル[神,種まきたもう]に応えん 我わがためにかれを地にまき あわれまれざりし者を[ヘブライ語: ロルハマを]あわれみ わが民ならざりし者に[ヘブライ語: ロアンミに]むかいて汝はわが民なりといわん かれらは我にむかいて汝はわが神なりといわん』― ホセア 2:21-23[新世訳脚注]; 新英語聖書; エルサレム聖書。
17 この一連の答えすなわち応答はどのように作用し,最後に創造者エホバに達しますか。
17 ではこのつながった一連の答え,すなわち応答が,どう作用するかを考えてみましょう。古代において,悔い改めた残りの者はエホバにより彼らの故国ユダの地に種のようにまかれ,穀物や甘いぶどう酒,油などを必要としていました。生活をうるおすそうした良い物の直接の源は地にあります。必要に迫られている残りの者のために,穀物と甘いぶどう酒と油は,地に向かってそのミネラルを穀物の茎に,またぶどうの実をならせるぶどうの木に,油を供給するオリーブの木に放出するよう求めます。それをするには,地は発育中の植物が干ばつで干あがることのないよう,天に雨を降らせてもらわねばなりません。そこで地は,しかるべき時季に雨を降らせてくれるよう天に訴えます。天は自らを閉ざすことなく地の求めに応じます。しかし天は自分でどうすることができますか。天は,地に水滴を落とすことのできる雨雲を創造者が作り出してくださることに依存しています。創造者は偉大な雨製造者であられます。―エレミヤ 10:12,13。
18 それでエズレルに対する答えで終わる多くの作用のサイクルは,どんな主要な答えまたは応答で始まりますか。
18 そこで最後に天はエホバに向かい,雨雲を起こしてその中にある水を空けるようにお願いします。今や故国の土を踏んだ和解した妻のような民のために,エホバは天に答えられます。直ちに自然の作用の全サイクルが働きを開始し,その結果エホバの民は穀物や甘いぶどう酒,油などを得ます。こうしてそれら地の産物はエズレル,すなわちエホバが彼らの故国に植えられた残りの者に答えます。
19 このように,復帰した残りの者はどんな点でエホバを知るようになり,バアルに誉れを帰すことをやめましたか。
19 このようにして,エホバの復帰した残りの者は,彼らの自然環境の中の有益な作用すべてが神の計らいであることを知るようになります。それらは,偶像崇拝者たちが恥ずべき忌まわしい多産の儀式によって毎年礼拝する,想像上の産物であるバアルもしくはあるバアルたちによるものではありません。それで今や正確な知識によって啓発された残りの者は,真の神に専心の献身をしました。
20 (イ)霊的パラダイスを設けた者がだれであることを,今日,霊的イスラエルの残りの者は知っていますか。(ロ)他の人々の「大群衆」は,残りの者と霊的パラダイスを楽しむためにどのようにそこに足を踏み入れましたか。
20 ところで,今日の霊的イスラエル人の復帰した残りの者はどうでしょうか。彼らも,大いなるバビロンから解放してくださった神が豊穣と平和と安全の霊的パラダイスを設け,西暦1919年以後自分たちをそれに入れてくださった,ということを認めるようになりました。神を恐れる人々が多数,霊的イスラエル人のこの霊的パラダイスに注目しました。エゼキエル書 36章35,36節の言葉の通りでした。『人すなわち言わん この荒れたりし地はエデンの園のごとくに成(る)……に至れりと 汝らの周囲に残れる国々の民はすなわち我エホバがくづれし者を再興し 荒れたるところに植え付けすることを知るにいたらん』。それで正直な観察者の「大群衆」は,和解した残りの者と共に霊的豊穣,平和,安全を楽しむためにその霊的パラダイスに足を踏み入れました。
21 (イ)したがってエホバはだれをご自分の民と宣言されますか。そしてエホバが彼らの神であることを公に宣明することにだれが加わりますか。(ロ)ここでエホバはエズレルの名の意味をどのように成就されますか。
21 第一次世界大戦中大いなるバビロンに流刑の身となっていた,そしてその間エホバのあわれみを失っていた残りの者に,エホバはこういう霊的に有益な方法であわれみを示されました。ご自分の民でなかった者たちに向かってエホバは今『なんじはわが民なり』と言われます。残りの者は心を込めて『なんじはわが神なり』と言います。(ホセア 2:23)現在やはり霊的パラダイスの中に住んでいる羊のような仲間の「大群衆」は,残りの者に加わって,エホバが自分たちの神であることを公に宣明しています。(啓示 7:9-17。ヨハネ 10:16)こうしたことは皆,「神,種まきたもう」というエズレルの名前の意味を実行するためにエホバが霊的イスラエルの残りの者を種のようにまかれた,地上の再興した地所の中で起きています。
神のあわれみを示す実際の例
22,23 ホセア 3章によると,彼は何をするように指示されますか。それにはどんな目的がありますか。
22 エホバは,心温まるあわれみを示しながら,契約の民との結婚に関する問題の解決に成功されました。そのことをはっきりと示すために,エホバは預言者ホセアに一つの人生劇を演じさせられました。ホセアは彼の預言書の第三章の中で,そのことにつき次のように述べています。
23 『エホバわれに言い給いけるは 汝ふたたび往きてエホバに愛せらるれども転りてほかのもろもろの神にむかい[それと関係のある]ぶどうの菓子を愛するイスラエルの子孫のごとく そのつれそうものに愛せらるれども姦淫をおこなう婦人をあいせよ われ銀十五枚おおむぎ一ホメル半をもてわがためにその婦人をえたり 我これにいいけるは汝はおおくの日わがためにとどまりて淫行をなすことなく他の人にゆくことなかれ 我もまた汝にむかいてしかせん イスラエルの子輩は多くの日王なく君なく犠牲なく表柱なくエポデなくテラピムなくしておらん その後イスラエルの子輩はかえりてその神エホバとその王ダビデをたずねもとめ 末日におののきてエホバとその恩恵とにむかいてゆかん』― ホセア 3:1-5。
24 (イ)ホセアはだれを,だれから,いくらで買い取りますか。(ロ)西暦前537年と西暦1919年に,エホバはどのようにこの預言を成就されましたか。
24 ホセアは,彼が従順に演じた預言劇の中でエホバを表わしていました。ホセアは彼の正妻ゴメルを,彼女の不倫な同棲生活の無名の相手から買い戻しました。ゴメルはその男の奴隷になっていました。彼女を買い戻すためにホセアは銀30シケル,つまり一人の奴隷の値に相当する額を支払いました。(出エジプト 21:32)それと同様に,エホバは西暦前537年,流刑にされ奴隷にされていたバビロンの地のイスラエル人を買い戻されました。イザヤ書 43章14節に示されているように,エホバはバビロンの征服者であるペルシャのクロス大王に贖い代を与えられました。(イザヤ 44:26から45:4)同様に,西暦1919年,エホバは天的夫として霊的イスラエルの残りの者を,大いなるバビロンと彼女のこの世的な政治上の仲間への隷属状態から買い戻されました。あわれみ深くもエホバは,大いなるクロスすなわちイエス・キリストによって残りの者を解放され,キリストに『もろもろの国を嗣業としてあたえ地の極を彼の有として』お与えになりました。―詩 2:8,9。
25 (イ)ホセアが例で示したように,エホバは昔その契約の民をどのように懲らしめましたか。(ロ)「彼らの王ダビデ」はどのように探し求められましたか。そしてどちらの探求者にエホバのあわれみは示されましたか。
25 ホセアは,彼の正妻ゴメルを愛をもって受け入れたのち,性に関する制限を加えて彼女を懲らしめました。その制限には,彼自身夫として彼女に注意を向けるのを差し控えることも含まれていたようです。それで流刑にされたイスラエル人も懲らしめを受け,イスラエル人の王たちや王子たち,偶像崇拝の祭司たち,あるいは偶像崇拝の他の道具などを持つことを許されませんでした。(ホセア 13:11)西暦前537年,エホバは背教の宗教から自分のもとへ戻った悔い改めた残りの者を,愛をもって受け入れられました。彼らは,異邦人の支配から解放するメシアなる解放者を期待しまた待つようになりました。このメシアは,ダビデの王統から出ることになっていた王でした。(ダニエル 9:24-27)神の定めの時その王は確かに出現しました。西暦33年,エホバはメシアなるイエスを天において王となし,栄光をお与えになりました。信仰を持つイスラエル人の残りの者は,天のメシアなる王として彼に従いました。(コロサイ 1:13)彼らはエホバのあわれみを得ました。―ローマ 9:24-26。ペテロ第一 2:9,10。
26 当時,ロルハマ(あわれまれぬ者)だったのはだれですか。
26 信仰のないイスラエル国民はロルハマ(あわれまれぬ者)となりました。悔い改めなかったエルサレムは,西暦70年にローマ人に滅ぼされ,生き残ったユダヤ人は世界中に散らされました。―マタイ 24:15-22。ルカ 21:20-24。
27 (イ)この「終わりの時」に,残りの者は震えながらどのようにエホバのところへ来ましたか。「彼らの王ダビデ」を見つけた後彼らは何をしてきましたか。(ロ)このことからエホバのあわれみが他のだれに差し伸べられる結果になりましたか。
27 今や19世紀が経過しました。キリスト教世界を含めこのあわれみに欠けた世界は,西暦1914年以来その「終わりの時」にあります。(ダニエル 12:4)第一次世界大戦後,新しい契約の下にある真の霊的イスラエル人の残りの者は彼らの神エホバを探し求めるようになりました。彼らは契約関係を是認していただくよう,震えおののきながらエホバのみもとに来ました。(詩 50:5)そして「彼らの王ダビデ」,すなわち今や即位したイエス・キリストが,1914年における異邦人時代の終了以来天において権能を与えられた王として統治しておられるのを知りました。彼らは清純な熱意を抱いて,マタイ 24章14節の時機にかなったイエスの預言を成就することに着手しました。それ以来彼らは何をしてきたでしょうか。それは次のことです。つまりハルマゲドンで大詰めを迎える「大患難」がぼっ発しないうちに,「あらゆる国民に対する証しのため」「王国のこの良いたより」を全地に宣べ伝えることです。その結果,神のあわれみは,特に1935年以来,やはり唯一真の神エホバとその下にあるメシアなる王大いなるダビデを求める羊のような人々の「大群衆」に差し伸べられています。
28 残りの者と「大群衆」に対してすでに働いているエホバのあわれみは,いつその最大の輝きを発しますか。どのように?
28 エホバは現在まですでに残りの者およびメシアの羊のような臣民に対して偉大な,そしてすばらしいあわれみを示してこられました。しかしそのあわれみは,残りの者と「大群衆」を,ハルマゲドンの「大患難」の最初から最後まで守られる時に,最大の輝きを発することでしょう。エホバが全宇宙の前で示される比類のないあわれみの対象として,エホバは彼らをハルマゲドン後の新秩序に入れられます。「わたしたちの主イエス・キリストの神また父,優しいあわれみの父またすべての慰めの神がたたえられんことを」― コリント第二 1:3。
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「大群衆」を集めるものみの塔 1976 | 7月1日
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「大群衆」を集める
● 使徒ヨハネは,すべての国民と部族と民と国語の中から来た「大群衆」が神のみ座の前に立ち,神の神殿で昼も夜も神聖な奉仕をささげているのを見ました。(啓示 7:9,15)地的な希望を持つそれらの人々は,イエス・キリストの油そそがれた追随者たちが神から与えられた,王国の良いたよりを宣明するというわざを行なって彼らを助けてきました。その結果,幾千幾万もの人々が流れのように「エホバの家の山」につくのを見るのはなんと感動的なことでしょう!―イザヤ 2:2-4。
「エホバの家」の中庭に集まったそれらの人々はエホバ神に献身し,そのことを水のバプテスマによって象徴しました。1958年7月30日のこと,ニューヨーク市で,「神の御心に従うバプテスマ」という話に続いて7,136名の人々が浸礼を受けました。それは西暦33年のペンテコステ以来の出来事でした。(使徒 2:41)1958年に行なわれたそのバプテスマは確かに世間の人々が無視することのできない事柄でした。その証拠に,H・L・フィルブリクは最近このように書きました。「大ぜいの人々がバプテスマを受けている場面の,とても良い写真が新聞に載りました。……新聞の読者はだれも,もはやエホバの証人を小さな『宗派』であると見なすことはできないと感じざるを得ませんでした。真理は進行していたのです!」
エホバの民は単なる数に関心を払ってきたのではありません。たいせつなのは,バプテスマ希望者が自分たちの行なっている事柄を理解していることです。ですから,1967年に「あなたのみことばはわたしの足のともしび」と題する本が発表された時には大いに喜ばれました。その本の7ページから40ページには,円熟した兄弟たちがバプテスマを希望している人々と討議するための,聖書に関する80の質問が載っていました。アール・E・ネウェル兄弟と姉妹は次のように述べました。「会衆の委員の援助で80の質問を学ぶと,彼らは献身とバプテスマが一生涯歩むべき道であり,それに伴う責任を軽く見るべきではないことを認識しました」。もっと最近になって(1972年)出版された「王国を宣べ伝え,弟子を作るための組織」という本にも,バプテスマを受けることを考えている人々と討議するための聖書に関する質問が載っています。会衆のいろいろな長老たちは,各人とのそうした討議を司会するので,バプテスマを考慮している人々は,聖書に関する自分の考えを言い表わし,エホバ神との関係をよく考える機会が与えられます。このような取決めは真の弟子を作ることに貢献しました。
弟子を作り,バプテスマを施すことがどのように増加したかを少し考えてみましょう。1968年にバプテスマを受けた人は8万2,842人でした。1969年から1973年にかけて79万2,019人がバプテスマを受けました。「大群衆」を集める努力は引き続き熱心に続けられ,年々何万人もの人々がバプテスマを受けています。1974奉仕年度だけでも,実に29万7,872名の人々が浸礼を受け,エホバ神への献身を象徴しました。エホバの賛美となるこのすばらしい集めるわざにあずかれるのは,神の民にとってなんと心の躍ることでしょう! 今日,神の王国の良いたよりを伝道するエホバのクリスチャン証人は二百万人を上回ります。―「エホバの証人の1976年の年鑑」より
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