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  • 全人類のための完全な政府
    ものみの塔 1959 | 4月15日
    • 入れました。神は忠実なアブラハムにこう告げました。すなわち神はアブラハムをして地の全家族への祝福となし,そしてアブラハムと彼の子孫なる裔にあつて地のすべての家族と国民は祝福を受けるということです。(創世 12:1-3; 22:17,18)アブラハムが100才で彼の妻サラが90才のとき,神はイサクという名の息子を家長アブラハムに奇蹟的に与えました。イサクは王になりませんでした。しかし,神がアブラハムの妻サラによりアブラハムにこの息子を与えると告げたとき,サラは王たち,支配者たち,統治者たち,王なる君主の先祖になると語りました,『我かれを祝み,彼をしてくにぐにの民の母とならしむべし。もろもろの民の王たち彼より出ずべし。』このわけで彼女の名前は王妃という意味のサラに変えられたのです。(創世 17:15,16)それで,予定の時に現われて,地の全家族と諸国民が祝福を受けると神の言われたこのすえは,王なるすえでした。それは王になるものでした! 王の政府はできるのです!

      27 ヱホバは誰たちを,設立した政府を持つ一つの国民に形成しましたか。この国民のどの部門を通して約束された王は来ますか。

      27 家長のアブラハムは12人の孫を持つていました。これら12人はイスラエルの12の支族をつくり出し,エホバ神はそれらのものを一つの国民につくり上げました。ヱホバ神は,彼らの上に神権政府を設立したのです。彼らの神なる王および律法の与え主であるヱホバは,彼らに十戒を与えました。(申命 33:1-5)神は,イスラエルのこの12支族の中から,全人類を祝福する支配者を生ぜしめる特定な支族を選びました。それはユダの支族でした。そしてユダの父親は,彼に次の祝福を与えたのです,『杖ユダを離れず,法を立る者その足の間をはなるることなくしてシロ(大いなる平和な者)の来る時にまでおよばん。彼にもろもろの民したがうべし。』(創世 49:10)それでは,ユダのどの子孫が王になりますか。

      28 アブラハムとサラに告げられた王についての神の約束は,実際には誰に成就し始めましたか。この者とむすんだ神の厳粛な契約は,実際には何を意味しましたか。

      28 神はアブラハムとその妻サラにむかい,もろもろの王は彼女から来ると約束しました。その約束は,ベツヘレムの小さな邑にいた羊飼の若者ダビデに成就し始めました。ダビデはユダの家系の11番目にあたります。時経てダビデは,油注がれた王になり,イスラエルの12支族を支配するようになりました。間もなくして彼は,エルサレムの聖都内に政府の座を設立しました。神の聖なるけいやくの箱はその場所にたずさえ入れられ,ダビデ王の宮殿近くに置かれました。それから神はダビデ王と厳粛な契約をむすび,その国はダビデの家族,彼の家系,彼の家,彼の血統から離れることがないと約束しました。(サムエル後 7:12-16)詩篇 89篇の中で神は次のように述べられました。すなわち神はダビデとこの契約をむすび,神はこの契約を決して破らないと言われました。この理由の故に,ダビデから出る完全な王は,日と月のつづくかぎり,つまり永久につづいて終ることのない御座を持つでしよう。そして政府内に後継者を持つ必要はないでしよう。―詩 89:3,4,19-37。

  • 人類の政府の為の完全な支配者
    ものみの塔 1959 | 4月15日
    • 人類の政府の為の完全な支配者

      1 今日の地的エルサレムには王国がないのに,神はその約束された王を持つているとはどういうわけですか。なぜ彼はその誕生地に生まれましたか。

      それでは,エルサレムのダビデ王の家系から約束されたこの完全にして永遠の王についてはどうでしようか。人間は幾千年もの年月をかけて政府に関する実験をして来ました。そして今日では,イスラエルの地のエルサレムの邑に王国はありません。しかし,神は約束された御自分の王を持つておられます! その王はダビデ王の王統を通して来ました。この事実を支持するために,私たちはヘブル語聖書からクリスチャン・ギリシャ語聖書に目を向けます。ギリシヤ語聖書のいちばん最初の言葉は次のようです,『アブラハムの子であるダビデの子,イエス・キリストの系図』(マタイ 1:1,新口)まつたくのところ,アブラハムからダビデ王を通しての王統は,イエス・キリストで最高潮に達し,キリストより先には行かないのです。このイエスは,ダビデ王の生れたところと同じ邑すなわちベツレヘムの邑に生まれました。それは偶然ではありません。これはヱホバの予言を成就するものでした。―ミカ 5:2。マタイ 2:1-16。

      2 そこで生まれたこの者は,どうして実際には『天の子』でしたか。彼が約束された王であるということは,そのときどのように確証されましたか。

      2 たしかにこのイエスの先祖たちの中に家長のアブラハムやダビデ王がいました。しかし,実際には彼は天的な御父を持ち,そして処女なる母親は,どうしても人間であることが必要でした。彼の母親は,ダビデを通してのアブラハムからの子孫のひとりだつたのです。(ルカ 3:23-34)それで,ベツレヘムに生まれて聖書の予言を成就したこのイエスは,実際には『天の子』でした。彼は実際には神の子であつて,天的な御父は奇蹟によつて彼を地につかわしました。それは人類の為に完全な支配者を備えるためです。不完全で罪深く,そして死に行く人類の中から完全な王を見つけることはできません。この子供のイエスがベツレヘムで生まれたとき,天からの御使は,野原に出ていた羊飼たちに次のように告げたことを思い出しましよう。『今日ダビデの町に,あなたがたのために救主がお生まれになつた。この方こそ主なるキリストである。』その御使は『すべての民に与えられる大きなよろこびを,……伝え』ました。そして,ベツレヘムで生まれたこの子供をキリストと呼びました。すなわち,彼はメシヤ,油注がれた者でした,彼は予言を成就する王になる者でした。―ルカ 2:8-11,新口。

      3 この子供は何処で成長しましたか。そこで彼は何になりましたか。

      3 ローマ帝国の代表者としてエルサレムで統治していたヘロデ王は,この子供を殺そうとしましたが,彼はまぬかれました。ヘロデの死後,イエスはナザレの町に連れて行かれ,そこで成人しました。彼の先祖であつたダビデ王は羊飼でしたが,彼は大工になりました。イエスはナザレの町で人目につかぬ生活をなし,働いていたのです。いわば地下にひそむような生活でした。

      4 イエスをその仕事場から召したものは,何でしたか。彼のとつた次の段階が偽りのものでなかつたことは,どのように示されましたか。

      4 それでは,イエスを大工の仕事場から召したものは何でしたか。全人類を支配する御国の道に彼を歩ませたのは,何でしたか。ああ,それは神の御国の宣明でした。そのときヱホバ神はゼカリヤの子,予言者ヨハネを起しておられました。時経て洗礼者ヨハネは,罪の悔い改めと,その悔い改めを象徴する洗礼について伝道しました。彼は,神の政府が近づいている故に悔い改めよとユダヤ人に告げました。ヨハネは,『天の御国は近づいた』と宣明したのです。ヨハネの宣明についてのニュースが,ナザレの大工の仕事場にいたイエスのところに達すると,イエスはすぐに仕事を止めました。彼は道具を残して,洗礼者ヨハネのところに行き,ヨハネから洗礼をほどこしてもらいました。ナザレのイエスは偽りの道をとつたのではありません。なぜなら彼がヨルダン河で洗礼を受けて水から上がられるとすぐに,天の永遠の王であるヱホバ神からの言葉がありました。信頼し得る記録の告げる光景を心に思い浮べてごらんなさい,『イエスはバプテスマを受けるとすぐ,水から上がられた。すると,見よ,天が開け,神の御霊がはとのように自分の上に下つてくるのを,ごらんになつた。また天から声があつて言つた,「これは私の愛する子,私の心にかなう者である。」』― マタイ 3:1-6; 13:17,新口。

      5,6 (イ)イエスの油そそがれたことは,ダビデの油注がれたこととどのようにちがいましたか。(ロ)利己的なユダヤ人は,イエスを何にしようと欲しましたか。なぜ彼は拒絶しましたか。

      5 それより幾世紀もむかしに,ダビダは油を注がれてイスラエルの王になりました。しかし,このイエスは神の御霊によつて油そそがれ,約束された御国,すなわち全人類のための完全な政府の王になりました。使徒ペテロは,次のように報じています,『神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは,神が共におられるので,よい働きをしながら,また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら巡回されました。』(使行 10:38,新口)彼の弟子たちは彼のことを『神の子』そして『イスラエルの王』と認めました。(ヨハネ 1:49。マタイ 16:16,新口)彼は大きな試験を通り抜けたのです。イスラエルの指導者たちからの大きな反対にも耐え忍びました。

      6 この反対や迫害のすべてにもかかわらず,彼は神の真の御国に忠実を保つたのです。サタン悪魔が彼を全人類の支配者にしようとしたことは,彼により拒絶されました。同様に人間であるユダヤ人たちが彼をユダヤ人の王にしようとすることは,イエスの拒否するところでした。(ルカ 4:5-8)彼が無料で5000人の男や女および子供たちに食物を与えたときを思い起します。彼は5つのパンと2匹の魚という少年の昼食を倍加して,全群衆に食べさせました。イエスが一国民に食物を与えるだけの奇蹟の力を持つていると見たユダヤ人は,イエスを王にしようという利己的な欲望を心に持ちました。しかし,聖書によると,彼らがイエスを無理やりにも王にしたいと欲しているのを見ると,イエスは彼らからしりぞいて,ただ御一人で山に行かれました。(ヨハネ 6:1-15)なぜ? イエスは,神によつて王にしてもらいたいと欲したのです。神の指定した時に全人類の為の完全な政府の王冠をいただくのは,神にしてもらおうと,彼は神に待ちのぞんだのです。このことについて私たちはうれしく感じませんか。

      7,8 (イ)なぜイエスは,人類を支配する完全な政府以下のもので満足しませんか。(ロ)その目的のためにイエスはどんな道を追い求めましたか。このわけで彼は何処に坐りましたか。

      7 イエスは欠点のない支配者になる能力を持つています。彼はこの地上の非常

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