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メシアは苦しみに遭い,死ぬことになっていたのか目ざめよ! 1983 | 6月22日
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イエスの1世紀のユダヤ人の弟子たちは,やがてこれらの聖書預言をそうした仕方で理解するようになりました。ですから,イエスの苦しみと死は,イエスがメシアではないとする根拠とはもはやみなされなくなりました。事実,そのような出来事はイエスがメシアであることを確かに示す証拠とみなされるようになったのです。
どうして受け入れるのがそれほど難しいのか
しかし,当時のユダヤ国民の大半は,苦しみに遭って死んでゆくメシアというこの概念を受け入れるのを難しく感じました。これは当時民衆の間でもてはやされていた信条のためだったに違いありません。例えば,モーセの律法,トーラーを守ろうとする自分たちの努力を通して,邪悪へと向かう生来の傾向を完全に克服することは可能であると信じるユダヤ人は少なくありませんでした。そのような人々は自分たち自身で,「罪の終わりをもたらし」たいと願っていました。その結果,メシアが死んで,自分たちの罪を贖ってくれる必要を認めなかったのです。
民衆の間でもてはやされていた別の教えは,ユダヤ人は単にアブラハムの子孫であるというだけの理由で神により義と宣せられることになるという教えでした。ここでも,ユダヤ人が自動的に義とされるなら,メシアが「多くの人々を義に導(く)」必要もないわけです。確かにクラウスナーの述べたように,「死に処せられることになるメシアという概念全体は……ユダヤ人にとって……理解しかねるものであった」のです。
イエスの死後100年ほどの間,ユダヤ民族は死に処せられるメシアというものを信じようとしませんでした。ところがその後,そうした考え方を変えるある出来事が起こりました。それは何でしたか。
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ユダヤ人の期待はどうなったか目ざめよ! 1983 | 6月22日
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ユダヤ人の期待はどうなったか
バビロニア・タルムードとして知られる,古代ユダヤ人の著述を集大成したものには,2世紀初頭にまでさかのぼる,メシアに関する次のような注解が含まれています。
「『そしてその地は嘆くことになる』(ゼカリヤ 12:12)。この嘆きの理由は何であろうか。……ラビ・ドサはこう述べている。『[彼らが嘆くのは]打ち殺されることになるメシアのためである』」。
奇妙なことに,このくだりはメシアを打ち殺される者として語っています。しかし,そのような概念は1世紀のユダヤ人には理解しかねるものであったことをわたしたちは見てきました。見解がこうして変わったことにはどんな原因があるのでしょうか。
死んでゆくメシアという概念は,西暦2世紀になってから,それも特にシメオン・バル・コクバの死後,民衆の間で広く受け入れられるようになったと思われます。バル・コクバは武人で,政治的な革命家でした。そして,メシアとして広く歓呼して迎えられました。「ラビの聖人すべての中でも最も影響力の強い人物」と呼ばれているラビ・アキバ・ベン・ヨセフでさえ,バル・コクバをメシアとして迎えました。
やがてバル・コクバはユダヤ人の反乱軍を率いてローマ政府に対して立ち上がりました。ローマの軍団に対して当初勝利を収めた後,バル・コクバは戻ってきたローマ軍を3年にわたって追い払いましたが,その戦いで50万人のユダヤ人の命が失われました。しかし,西暦135年にその反乱は鎮圧され,バル・コクバは殺されました。
そうなってしまって,バル・コクバを心から支持した世代の人々は奇妙な状況に置かれているのに気付きました。バル・コクバの死はメシアの希望だけでなく,ラビ・アキバの名誉にも疑問を投げかけるものとなりました。エルサレムにあるヘブライ大学のヨセフ・ハイネマン博士は,バル・コクバの死が当時の人々に及ぼした影響を次のように説明しています。
「この世代の人々は,バル・コクバが失敗したにもかかわらずメシアであったことを擁護するという不可能な事柄を,どんな手段に訴えてでも成し遂げようとしたに違いない。この矛盾した状況にぴったりの説明として,戦いに倒れる運命にありながら,なおかつ真の贖い主としてとどまる闘争的メシアという,高度に二面性を持つ伝説以上のものは考えられなかった」。
しかしユダヤ人は,死んでゆくメシアというこの概念とメシアが王として支配するという事実とをどのようにして両立させることができたのでしょうか。ラファエル・パタイは次のように述べています。
「このジレンマはメシアという人物を二つに分けることによって解決された。そのうちの一方は,メシア・ベン・ヨセフ[すなわち,ヨセフの子]と呼ばれ,イスラエルの敵に対してイスラエルの軍を起こし,数々の勝利と奇跡の後に,犠牲になる。……もう一方は,メシア・ベン・ダビデ[すなわち,ダビデの子]で,前者の後にやってきて……イスラエルを導き,最終的な勝利,勝利の喜び,またメシア時代の祝福へと至らせる」。
死にゆくメシアというこの特色はバル・コクバの死後幾年かにわたってさらに発展し続け,戦場で死ぬことになる,さらに将来に現われるメシアに当てはめられるようになりました。パタイはこの点をはっきりさせるためこう説明しています。「人は次のようなことを理解しなければならないのかと疑念を抱く。……すなわちヨセフの子としての[メシア]は日々の終わりの門口で死ぬが,ダビデの子となって生き返り,先に肉体を着けていた時に自ら始めた任務を完成させる,ということである」。
これは1世紀のクリスチャンの信条と実に奇妙な対応をなしています。いずれのグループも,予告された平和の時代の前に死んで,それから復活させられることになるメシアへの信仰を言い表わしていました。
新たな異議が唱えられる
西暦後の最初の数世紀間に,異教のローマ帝国はローマ・カトリック教に改宗しました。そしてイエスに従うと唱える人々の間にユダヤ人排斥主義が広まりました。それに続く歳月の間に,ユダヤ人は十字軍や異端審問などの残虐行為を目撃しました。そうした行為は,「汝の隣人を己のように愛せよ」という神の律法に明らかに違反するものでした。(レビ記 19:18)さらに,イエスに従うと唱える人々は,三位一体の神を崇拝するというような非キリスト教的な信条を取り入れました。ところが,モーセは,「主は一つなり」と教えていたのです。(申命記 6:4)ですから,メシアであるのに死んでゆくというイエスに対する従来の異議はもはや正当なものとみなされなくなりましたが,新たな異議が唱えられるようになったのです。それは,イエスに従うと唱える人々の非聖書的な行動や信条に対する異議でした。ですから,ユダヤ教はキリスト教を退け続けたのです。
メシア ― 現実か理想か
古代イスラエルのメシアに関する希望は,幾世紀もの間続きました。例えば,中世のラビ,マイモニデスは“13か条の信仰告白”を制定した時,次のような言葉を含めています。「私は,メシアが
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