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「彼らは一致の中に伝道する」ものみの塔 1961 | 7月15日
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「彼らは一致の中に伝道する」
― 1961年のエホバの証者の年鑑より ―
メキシコ
人口: 34,625,903人
伝道者最高数: 22,916人
比率: 1,511人に1人
エホバはメキシコにおけるわざの上に豊かな祝福を加えられました。その地のエホバの証者はクリスチャン円熟に向かって大きな進歩をとげました。メキシコでは,人々を援助して,読み書きを教えることが必要です。文字の読める人々は,エホバの証者のわざに良く答え応じます。そして,スペイン語の「失楽園から復楽園まで」は大よろこびで受けとられました。奉仕年度中に書籍配布の数が6万5763冊から9万3631冊に飛躍的に増加したことは良いことです。メキシコ中でこの本は好評でした。そして,メキシコの人々の家庭でいままでにないほどの多数の聖書研究が始められたひとつの要因であったことは疑いありません。いろいろの会衆や特別開拓者は,いままでに伝道されたことのない孤立した区域,町や村に行くため,良い努力を払い,人々のところに神の御国の良いたよりをもたらしました。支部の僕は年次報告のなかで,非常に興味ぶかい経験をいくつか知らせています。
カトリック教会が幾世紀ものあいだ絶対権力をにぎってきたこの国では,聖書教育はいままで行なわれませんでした。そして,人々が神の御国のことを学ぶのを妨げるためにカトリック教会は組織的な妨害運動をしています。たとえば,ひとりの特別開拓者は次のように書いています,「私がこの町で特別開拓者の奉仕を始めたとき,司祭は反対運動を始めました。最初,彼は看板を使用しましたが,これにはこんな言葉が書かれていました,『ここはカトリック教徒の家で,我々はグアダルーペの処女を崇拝し,キリスト・イエスをうけいれる。我々は新教徒や共産主義者の宣伝を受けいれない』。キリスト・イエスについて伝道することによりこの反対は克服され,多くの人は文書を取りました。司祭のとった第2の手段は,私に石を投げつけるため女たちをつかわすことでした。ある日,私が伝道していると,ひとりの女が狂暴な犬を私にけしかけました。そして人々は大声をあげて私をののしりました。しかし,ひとりの親切な人が,私を守ってくれました。私はその人に伝道し,いまでは「楽園」の本を用いてその人と研究しています。司祭の使用した第3番目の手段は,町長に1通の手紙を書いて,私を町から出すための署名を願うことでした。町長はその手紙に署名するのを拒絶しました。それで可祭は州知事に手紙を書きましたが,知事は私のことを妨害してはいけない,さもないと,司祭を町から出してしまうと彼に告げました。私には他の人と同じく多くの権利があると,知事は彼に告げました。最後の手段として,私が雑誌のわざをしていたとき,彼は運転手を用いて私をおどそうとしました。これもだめでした,なぜかと言えば町長は彼を叱り,警察は私を保護したからです。また,私がカトリック教会前で働く警官のところを再訪問したとき,警官は事務所にくるよう私を招待しました。私たちは「天の御国による完全な武装解除」という主題を考慮しました。司祭は私を見て,私が警官に話している言葉を聞いたのかも知れません。それで彼は私たちの会話を中断して,『ははあ,お前さんがわしのことを馬鹿にしているんだな!』と言いました。ところが,私よりも先に警官が返事をして,そんなことはない,私はすべての人に親切だと告げました。カトリック信徒は聖書を読むべきではないと,司祭は彼に告げました。ところが,警官はこう答えたのです。『道理でカトリック信徒は,たいへん無知の人たちだ。法王ヨハネス23世が聖書を読むようにとすすめているのも納得できる』。私はわざのことを簡単に説明しましたが,司祭はそれに反論することができず,その場から去りました。その警官は,ものみの塔誌を予約して,「楽園の本を取り,いまでは私のいちばん良い研究のひとつになっています。ここに5月いて,いまでは8人の新しい伝道者を報告するのはよろこびです」。このことからもいまはエホバの真理がひろめられ,カトリック教会の反対にもかかわらずエホバの制度内に「他の羊」が集められる時であることが分かります。
「神の言は生きていて,力があり,もろ刃のつるぎよりも鋭く」そして「要塞をも破壊するほどの力あるものである」。(ヘブル 4:12。コリント後 10:4,新口)兄弟たちは,いまは「羊」を集める時であると知っており,新しい区域を開くために確信をもって出かけます。神の言葉のこの力は,カトリックの尼僧になるために研究している人々が,その制度から去って真理に来るのを助け,かつエホバ神に忠実に仕えることを助けます。このことは,グエレロ,イグアラで起こりました。ここでひとりの若い娘は尼僧になる研究に5年を費しました。真理について彼女にお話しすると,彼女はあたまと顔を覆いましたが,その耳は聞いていました。間もない中に,彼女は5年間の神学校の研究からは何ひとつ学ばなかったと認めました。彼女は聖書を買って,それを神学校に持って行きました。他の尼僧たちは,聖書を持つと罰をうけますよと言いました。しかし,彼女は聖書を研究しました。ある日,彼女は神学校を経営していた司祭のところに聖書を持って行きました。司祭は彼女を私室に連れて行ってから,それは真理である。そして彼女はそれを研究すべきであろうと怒りながらも認めました。彼女は神学校をやめて,数ヵ月のあいだいっしょうけんめい研究し,反対していた母親からはなれ,野外奉仕に出かけて多くのよろこびを感じ,そして最近洗礼をうけました。そして,いまではエホバの祝福された奉仕に全時間をささげたいとのぞんでいます。
読み書きを習う級は良く進歩しています。289名の級があり,昨年中には582名が読み書きを習いました。これらの人は,読み書きを習ってから神権宣教学校にはいり進歩をつづけています。
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ハイチからの報告ものみの塔 1961 | 7月15日
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ハイチからの報告
カリブ海の中のこの小さな国にも,昨年中,政治や経済をめぐるいろいろな問題がありました。こうした動きは,正義を愛する人々をして,物事をより真剣に考えさせ,また,クリスチャンと称する人々をして聖書と,聖書を理解するように援助したいと思う人々に注意を向けさせます。ハイチのエホバの証者は,昨年中も,聖書研究や,この国の人々が真理の知識を得るよう援助する点においてよい成果をおさめました。私たちは確かに,嘆く者がなぐさめられ真理を求めている者が見出される時代に住んでいます。つぎに支部の僕の報告から二,三の経験を拾い出して見ましょう。
「北部のある町でのこと,新教のある牧師は,エホバの証者が彼の家に伝道に来たとき,憤激のあまりその証者をなぐり倒しました。それから彼は,当協会の出版物をいく冊か手に入れて読みました。エホバの民に反対する説教をしてやろうという下心からです。ところが彼は,政治にも手を出していたので,政治上の変動期間中に反対者たちに危く殺されそうになりました。ひどい衝撃を受けた彼は,ふかく考え,まえにひどい仕打ちをした伝道者の家に来て言いました,「あなたの言ったことを聞き入れていたなら,こんなことは起こらなかったでしょう。あなたたちの本を読み,あなたたちを観察してから,多くの団体の中で,ほんとうに政治に手を出さないのはエホバの証者だけだということが分かりました」。彼との聖書の研究がはじまりました。彼は教会からしりぞいて活発な伝道者になり,洗礼を受けて休暇開拓者の名簿にその名をつらねています。奉仕年度の終りには,彼の名は正規開拓者のリストにのっていました。
ある巡回の僕は,「特別開拓者のパラダイス」に行ったことについて書いています。これは,特別開拓者の区域で,そこの人々はほとんど全部が御国の音信に耳を傾けました。ボコルス,すなわち魔法医師さえ真理に関心を示し,3人が魔法を捨てて,いまでは伝道者です。特別開拓者と聖書を研究している他の3人のボコルスも正式な結婚の手つづきをとっています。そうすれば,9月には洗礼を受けて奉仕に参加できるようになるからです。まわりの山々に住んでいる人々も真理のことを聞き,特別開拓者のところにやってきて,「ミス・ジーン,いつ私と聖書の勉強をしにきて下さるんですか」と聞きます。
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