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忠実を守つた者たちの例ものみの塔 1957 | 12月15日
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ではありません。それは,最高の天にあるヱホバの真の座位であり,その場所はヱホバの右にあつてイエスのために保たれました。―詩 110:1,2。ヘブル 10:12,13。
14 私たちのすべてをもつてヱホバを愛するなら,私たちはまた誰を愛して倣わねばなりませんか。そして,なぜ?
14 私たちのすべての心,魂および思でもつてヱホバを愛せよと命ぜられています。故に,ヱホバの生ける像,イエス・キリストをも愛さねばなりません。(ヘブル 1:2,3。コロサイ 1:15。ヨハネ 14:9)それですから,クリスチャンはその指導者なるイエス・キリストに倣わねばなりません。彼に倣うことは,献身した追随者の生活の中で指導的な原則でなければなりません。私たちは正しい崇拝の民でなければならないのです。私たちが,そのような者であつてこそ救われるでしよう。
新しい世の交わり
15 (イ)詩篇 26篇の中で,ダビデは,ヱホバ崇拝の原則の中に歩んだことを証明するため何と言いましたか。(ロ)それで,彼に対しては何をしないようにと,ダビデはヱホバに祈ることができましたか。
15 ダビデは,ヱホバの御国代表者として,ヱホバを崇拝する原則の中に歩きました。ダビデはそのことを証明する次の言葉を述べています,『私はあなたの真理の中に歩きました。私は偽りを語る人々と共に坐らず,自分の実体をかくす人々と交わりません。私は悪を行う者の会衆を憎み,悪しき者と共に坐りません。ヱホバよ,私は手を洗つて罪のないことを示し,あなたの祭壇のまわりを廻つて感謝の言葉を声を高くあげ,あなたのすばらしい業をことごとく宣べ伝えます。罪人とともに私の魂を取らないで下さい。それらの人々の手にはふしだらな行があり,その右の手は賄賂で充ちています。』(詩 26:3-7,9,10,新世。)ダビデ王は,その生存中,そのような人々と交わることを欲しなかつたのです。彼らが支配者であろうと,政治の役人であろうと,または普通の市民であろうと,それらの者と共に死ぬことさえも欲しなかつたのです。この欲求を心に有した彼は,その生涯中彼らを避けました,そして偽りや偽善,流血やふしだらな行,そして賄賂を受けたり要求したりすることから遠ざかりました。このわけで,彼は罪深い人や流血の罪を持つ人と共に,彼の魂と生命を取らないようにと,神に願うことができたのです。そのような罪人や流血の罪を持つ人々には,神の御手から亡びが来ます。彼はそのような亡びから救われることを欲しました。彼の支配したイスラエルの神権的な王国は中東にあつて,この世の中にありました,しかしダビデ王は彼の国がこの世の一部になることを欲しなかつたのです。
16 したがつて,大いなるダビデに従つている私たちは,誰との交わりを避けるべきですか。このことは,イエスの述べたどんな原則によるのですか。
16 このことは,大いなるダビデ,すなわちイエス・キリストに従う私たちを導く原則を指し示しています。彼は,肉によつてはダビデの子でしたが,天で楽しむ霊の生命によつて今はダビデの主であります。彼の追随者になろうと主張するならば,私たちはこの古い世との交わりを避けねばなりません。この古い世は,いまはダビデの避けたような人々で一杯なのです。私たちは,他の人間のように血肉の者ですから,この『終りの時』のあいだこの世に生活しなければなりません。しかし,この古い世のものであると同時に,私たちの伝道する神の新しい世のものであることはできせん。イエス自身も,この原則を次のように述べました,『もしあなたがこの世から出たものであつたなら,この世は,あなた方を自分のものとして愛したであろう。しかし,あなた方はこの世のものではない。かえつて,私があなた方をこの世から選び出したのである。だから,この世はあなた方を憎むのである。』この同じ原則に従つてイエスは神に次のように祈り,こう言いました,『私は彼らに御言葉を与えましたが,世は彼らを憎みました。私が世のものでないように,彼らも世のものではないからです。私がお願いするのは,彼らを世から取り去ることではなく,彼らを悪しき者から守つて下さることであります。』― ヨハネ 15:19; 17:14,15,新口。
17 もし私たちがこの世から取られるのであるなら,私たちは神の支配の下に何をすることができませんか。
17 私たちがこの世から取られるのであるなら,神であるヱホバの証者になることもできず,1914年以来統治している神の油注がれた王イエスの証者になることもできません。それで,私たちはこの世から取られていず,神の御国に証を立てるためにこの世に止まることが許されているのです。しかし,天の御父が,悪しき者,サタン悪魔から私たちを救われるようにと,イエスは私たちの為に祈りました。彼はいま天からこの地上に追い落されてしまつたのです。
18 どんな宇宙的な争いにおいて,私たちは中立でいることができませんか。そして,ロマ書 10章9,10節の原則に従い,私たちが中立でないことをどのように示しますか。
18 叡智を持つ全創造物の前で立証せられる主要な事柄は,ヱホバ神の宇宙的至上権です。それですから,神の御国,すなわち天の御国は神の書かれた御言葉,聖書の中で一番大切な教えとなつています。献身したクリスチャンはみな,最善のたよりとして,その御国を伝道するよう命ぜられています。西暦1914年に天で設立された神の御国と,この古い世の国のあいだには,大きな争いがいま白熱化しているのです。この宇宙的な争いの中にあつて,私たちは中立でいることはできません。たしかにカイザルの終りの時であつても,私たちはカイザルに税を払つてカイザルに属するものを彼に帰さねばなりません。しかし,何時いかなる時であつても,私たちは常にキリストによる神の御国を支持しなければならないのです。私たちは,カイザルや他のすべてのものに神の御国を伝道することにより,御国を支持していることを公けに知らせねばなりません。亡びに面しているこの世の政治政府の中で,御国証言の伝道が閉されている国はひとつもないのです。(マタイ 24:14)復活されたキリストはいま王であることを私たちは心から信じています,同時に救われることを欲するなら,救い出されることを欲するなら,私たちはその信仰を公けに知らせねばなりません。それは,ロマ書 10章9,10節に書き記されている不変の原則です。
19 ペテロと,更に以前のヨエルは,それと同じ原則をどのように述べましたか。
19 19世紀前の五旬節の日に,使徒ペテロは同じ原則を次のように述べました,『ヱホバの大いにして輝かしい日の来る前に……誰でもヱホバの御名を呼ぶ者は救われる。』(使行 2:20,21,新世)ペテロが言葉を引用した予言者ヨエルは,ヨエル書 2章31,32節でペテロの時よりも幾百年もむかしに同じ原則を語つていたのです。今日,私たちはこの原則に従つて行うとき,またはヱホバの御名を呼んで公けに宣べ伝えることによつてのみ忠実を保つことができます。
20 それと同じ原則に一致して行うため,ダビデはどんな家を好みましたか。それで,彼の詩篇はどんな益をもたらしますか。
20 ずつと以前のダビデ王は,その原則に従つて行いました,そして同時に悪しき者と共に処刑されないように,そしてヱホバ神にあがなわれて恵みを示されるようにと祈つたのです。このわけで彼は悪しき者との交わりや交際よりもヱホバの崇拝の家を好んだのです。彼は次のように言いました,『ヱホバよ,我なんじのまします家となんじが栄光のとどまる処とをいつくしむ。』神の家で崇拝することによつて,彼は神の犠牲の祭壇をめぐり,感謝の言葉を声高く上げ,ヱホバのすばらしい業をことごとく宣べ伝えることができたのです。このことを自分の目的としたダビデは,詩篇 26篇を結ぶにあたつて次のように言いました,『われもろもろの会のなかにてヱホバを讃めまつらん。』(詩 26:8,12)ダビデは公けに宣べ伝えて,それから詩篇の中に書き記しました。それにより,ダビデは救を得て神の新しい世に入ることができます。またダビデの詩篇を読むクリスチャンも救を得ることができます。
21 良いたよりを伝道する私たちの義務と権利に落度を生ぜしめるため,何が為されますか。なぜパウロは,自分の裁判を上訴する際に賄賂しませんでしたか。
21 献身したクリスチャンである私たちは,キリストの命じたごとく御国の良いたよりを伝道する責務と権利に落度があつてはなりません。キリストと彼の弟子たちは,私たちにこう警めました,すなわちこの世の政治的な権力や宗教的な権力は,伝道せよとの神から与えられた権利を私たちから取り去るように努めるであろう,そして音信を中止させるようにつとめるだろう,そしてもしそれが駄目なら私たちを殺して私たちの声を沈黙させるように努めるだろう,ということです。この権利に関しては,使徒パウロは妥協しませんでした。主なる神を崇拝すると主張した人々をも含めて,宗教的な人々はピリピや,テサロニケや,ベロアや,そして遂にはエルサレムでパウロに反対を惹き起しました。パウロはついにカイザルに訴え出て宗教家によるこの干渉を中止するよう願い,神の御国を伝道する合法の権利を確立しようとしました。それは妥協という意味ではけつしてありません。それでは,なぜパウロは訴えましたか。一番最終にいたるまで,ローマ帝国の最高法廷にいたるまで戦をなすためであり,敵に命乞いをするとか,また敵に助命を与えることではありません。カイザルの律法でさえも,その時の宗教家が神の御国の伝道に干渉することを認可しなかつたのです。さらに,神の律法はことごとくこの伝道を支持しました。それで,パウロは使用し得る権利のあつたすべての武器を用いて戦いました。自分自身の便宜を図るために,彼は不正な手段を用いませんでした。不正な手段は,論争を未決定にして合法的に確立されない状態のままにするでしよう。それで彼はフェリックス総督に賄賂して,牢から出してもらうことを拒絶しました。―使行 24:26,27。
22 このことに関して,パウロはどんな目的に専念しましたか。
22 ローマ市民であつたパウロは,当時の地上における最高法廷権威,カイザルに訴え出ることにより,御国の音信を威厳あるものにいたしました。パウロはクリスチャンとしてそのカイザルに税を払つたのです。(使行 25:10-12)パウロは全く『良いたよりを(伝道する権利を)弁明し,合法的に確立する』ことに専念いたしました。(ピリピ 1:7,新世)この行は,マタイ伝 10章18節に述べられているイエスの予言の成就を果すものです。
23 それで,パウロのごとく,禁止のされていないところ及び禁止のされているところでは,ヱホバの証者はどのようにいたしますか,そして誰からの救を待ち望みますか。
23 今日でも私たちは,クリスチャン使徒パウロの従つた正しい原則に則ります。ヱホバの証者に対して禁止がなされていないところでは,税金を払う市民としての私たちは現代のカイザルに訴え出て,カイザル自身の律法により御国伝道の敵を中止させます。禁止のなされている所では,禁令下にいるヱホバの証者は自分の国のカイザルに訴え出ることはでさません。しかし,御国を伝道せよ証と者に告げたヱホバのいましめに関するかぎり,彼らは人間の課した禁止よりも支配者なる神に従います。それらの人間は,神に敵対する者たちであり,現在に朽ち果ててしまうか,又は遅くともハルマゲドンの宇宙的な戦争のときに亡びてしまいます。(イザヤ 51:12)神の新しい世での永遠の生命に達する救は,間もない中に必らず亡びるカイザルを通しては来ません。それは,神ヱホバと統治している王イエス・キリストを通して来るのです。
24 それでは,詩篇 26篇でダビデの述べるごとく,私たちはどのように行うべきですか。その故に,私たちの祈はどのように答えられますか。
24 神の御国相続者の残れる者および,神の御国に善意を持つ大いなる群衆の伴で成り立つ私たちは,ヱホバの家の住居と彼の栄光の止まる場所を愛します。ヱホバは私たちのクリスチャン行為をみちびき,支配するため御言葉の中に原則を書かれました。私たちは愛の気持からその原則につき従いつつ,そのところでヱホバを崇拝しつづけます。ヱホバを崇拝する者の集まりの中で,私たちは現在および永遠にわたつてヱホバを讃えます。この古い世の終りにいたるまで,私たちは聖書的に定義された神への忠実を保ちつつ良心的に歩きます。私たちはそうする故に,私たちの祈は彼に受け入れられるものであり,彼はキリストを通して私たちを救われるでしよう。神が,この世の罪人や,また流血の罪を持つ人の魂や生命を取るとき,神は悲惨な終りの中にあつても私たちを生き残らせるでしよう。彼を熱心に求める者を報い給うヱホバは,私たちを救つて約束されたその新しい世に入れられます。それは敬虔な原則と忠実の世です。
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教会の角笛ものみの塔 1957 | 12月15日
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教会の角笛
教会の鐘のことはだれでも聞いて知つていることです。英国の人々は最近,角笛が鐘と同様の目的で使われたことを耳にしました。それは,日曜日の朝の礼拝に出席する人が非常に少いのにいらいらした或る牧師が,日曜日に自動車で教区をまわりながら,教区民を起すために角笛を吹いたのです。
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囚人が正しい立場を取り実を結ぶものみの塔 1957 | 12月15日
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囚人が正しい立場を取り実を結ぶ
使徒パウロは,コリント人に次のようなことを思い出させました。即ち,彼らの中の或る者は以前不法な者であつたが,しかしキリストの血と,神の聖霊の力によつて,彼らの生活をすつかり変えてしまつた。(コリント前 6:9-11)これらの要素は,私たちの時代でもまた,正義と実を結ぶことを助長するものであることが,1957年3月に或る囚人から受け取つた報告によつて明白に分ります。
『私はつい最近,サウス・カロライナ州コロンビアにある州の刑務所から釈放されました。……実は私がどのようにして,ヱホバの証者の一人になつたかをお話したいと思います。
『私は刑務所内で不従順であつたため,3ヵ月間独房にいれられました。隣の独房にいた囚人が,私に本が読みたくないかどうか尋ねました。どんな種類の本か聞きますと,彼は宗教の本だと答えました。ヱホバの証者である彼の妻が彼にと送つたものです。私は,宗教に関するものならば何でも興味を持つていないと彼に言いましたが,しかし,他に何をすることもなかつたのでその本を受け取りました。それは1949年のヱホバの証者の年鑑でした。私はそれに非常に興味をそそられましたので,この種の本がどこで手に入れられるか彼に尋ねました。すると彼は,私のために,彼の妻にたのんでもう二,三冊持つて来させようと言いました。彼女は,「神を真とすべし」,「これぞ永遠の生命を意味する」とクリスチャン・ギリシャ語聖書の新世界訳を送つて来ました。
『すべての宗教的書籍を検閲する,刑務所の教誨師がやつて来て,ギリシャ語聖書は持つていても良いけれど,他の2冊の本は,国の法律に反対するものであるから所持することはできないと言いました。しかし私は他の2冊の本をかえしてくれないかぎり,それを受けいれるのを拒絶しました。それから1週間たつて私の独房監禁の期間はおわりましたが,しかし私の本を返してくれるまでは仕事に帰るのをことわりました。そのような立場をとつたため彼らは私をもう少しひどい独房にいれ86日間というものはただ水とパンを与えて呉れただけでした。そのため体重は165ポンドから94ポンドまでに減りました。しかし彼らはついに全部の本を私に返すことに決心しました。私がこのような態度をとつたので,他の二人の囚人が色々な質問をしはじめました。それで私はこの二人と聖書の研究をはじめましたが,今は彼らもヱホバの証者です。ついでに,書籍に反対してあらそつた教誨師は,クリスマスのキャンデーと野球のユニフォームを盗んだので解雇されました。新任の教誨師は真理に興味もありませんが,しかし以前の者より気前がよく,書籍を持ちこむのを許します。
『私は洗礼を受けました。そして,神の制度内でヱホバにいつまでも忠実を保ち,奉仕しつづけることができるように祈つています。』
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