-
実を結ぶクリスチャンは敬虔な満足を示すものみの塔 1967 | 5月15日
-
-
いたなら,そこに帰ることもできたでしょう。しかし彼らは帰りませんでした。「だから神は,彼らの神と呼ばれても,それを恥とはされなかった」。(ヘブル 11:8-16)神はあなたの生活の進路を同じように喜んでおられますか。
19 (イ)なぜ今は非常に緊急な時代ですか。(ロ)このことを知りながら,神の新しい事物の制度で祝福を受けられない場合のあるのはなぜですか。イエスはどんな適切な警告をしておられますか。
19 わたしたちは今,重大な時代に住んでいます。これは現存する悪い事物の制度の「終りの時」です。御国が1914年に天で立てられて以来すでに52年以上たちました。人間6000年の歴史は今まさに終わりを迎えようとしています。いまは「事物の制度の終結」の時であり,それを裏づける事実は明白です。(マタイ 24:3,新世訳)今は非常に緊急な時代です。そのことを信じますか。実を言えば,それを信ずると言う人の中で,神がもたらす新しい事物の制度での祝福を受けそこなうかも知れない人がいます。それは自分の心と思いを前途の希望から離しているためです。その人々は信仰を守り,「衣食」があるだけで満足することをせず,この世の物質主義的な渦に吸い込まれています。そして神への奉仕より,この世の楽しみを熱心に求めています。それでイエスは警告されます。「あなたがたが放縦や泥酔や,世の煩いのために心が鈍っているうちに,思いがけないとき,その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように,よく注意していなさい。その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。これらの起ろうとしているすべての事からのがれて,人の子の前に立つことができるように,絶えず目をさまして祈っていなさい」― ルカ 21:34-36。
20 どうしたらいつも実を結ぶクリスチャンになれますか。
20 神に対する愛を深め,神のことばの正確な知識をもつなら,この世の事柄に引き込まれることはありません。むしろ自分の生活をいつも「重要」な事柄に向けるようになるでしょう。こうしてわたしたちは実を結ぶクリスチャンとなり,「イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光とほまれとをあらわすに至る」でしょう。―ピリピ 1:9-11。
-
-
神の全時間のしもべものみの塔 1967 | 5月15日
-
-
神の全時間のしもべ
1 (イ)エホバの証人のうちどれだけの人が全時間奉仕者ですか。(ロ)イエスが示されたとおり,真のクリスチャンに対する神のみこころは何ですか。初期クリスチャンはそれにどう応じましたか。
バプテスマを受けたクリスチャンであるエホバの証人はすべて全時間奉仕者です。彼らはみこころを行なうため自分の命を神にささげています。そして,聖書を学んでいるので,そのみこころが何であるかを知っています。イエス・キリストはエホバの証人のおさたる者として,彼らに手本を示されました。(黙示 3:14)イエスは神の国の福音を伝道する者となり,どこに住む人にも福音を伝えました。(マルコ 1:14,15。ルカ 8:1; 4:15,16; 5:27)また弟子を訓練し,その仕事に加わらせました。弟子と別れるにあたり,イエスは「地のはてまで」ご自分の証人となるよう命じられました。(使行 1:8)弟子たちは,選ばれた少数の者だけがその仕事をし,他の者はただ見ているべきだとは考えませんでした。キリスト教を冷笑した世俗の歴史家さえ,初期クリスチャンが,「労働者,くつ屋,農夫」として自活するかたわら,福音を熱心に伝道したことを示しています。a 「文明の歴史」という本(C・ブリントン,J・クリストファー,R・ウォルフ共著)はこう書いています。「クリスチャンは自らの救いの見込みだけで決して満足しなかった。彼らは神のみこころをただ受動的に受け入れたのではない。クリスチャンは初めから熱心な宣教者であり,他の人を改宗させ,救おうとしていた」。
2 その精神が今でも生きていることを示すどんな証拠がありますか。
2 この精神は衰えておらず,現代の,エホバのクリスチャン証人の間に今でも生きています。彼らは,今の時代に対するイエスの預言的な宣言,つまり「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」ということばに注意を払っています。(マタイ 24:14)エホバの証人はイエスの予告されたこの仕事のため,世界の200近くの土地で,月々1400万時間もささげています。そして,こうした伝道に加え,会衆の集会にも定期的に出席しています。
3 バプテスマを受けたエホバの証人はすべて全時間奉仕者であるとどうして言えますか。
3 「福音」の伝道と集会の出席のほか,自宅でする個人的な勉強や読書があるにしても それでもってエホバの証人の一日が終わるわけではありません。それでは,エホバの証人がすべて全時間奉仕者であるとはどうしていえますか。それは,宣教奉仕がその生活の全面を支配しているからです。労働者,農夫,事務職員などのいずれであっても,彼らはまず第一に神の奉仕者です。彼らは奉仕者として自分が信じ,教える事柄に応じて仕事を選びます。そして,そのことのゆえに彼らは良心的に働きます。(コロサイ 3:22,23)従事する世俗の職業が変わっても,宣教奉仕をやめることはありません。何をする場合でも,彼らは自分が神の奉仕者であることを忘れません。子供のしつけ,市場での買い物,学校での勉強,あるいはくつろぐ時や食事の時など,すべては神の奉仕者であるとの自覚をもってなされます。「飲むにも食べるにも,また何事をするにも,すべて神の栄光のためにすべきである」。(コリント第一 10:31)彼らはことばだけでなく,行ないにおいても『光を輝かす』ことに努めます。それを見て,ほかの人も神をあがめるようになるためです。(マタイ 5:14-16。ペテロ第一 2:12。コリント第二 6:3,4)それで,エホバの証人は全時間奉仕者であり,毎日,そして1日24時間,神の奉仕者です。あなたは自分をそのように,つまり神の全時間奉仕者として考えていますか。
4 (イ)清い崇拝を押し進める面で,わたしたちすべては同じことを,同じ程度にできますか。(ロ)奉仕におけるどんな動機が神のみこころにかないますか。
4 もとより,清い崇拝を押し進める面で,他の人より多くの事をできる立場にある人もいます。すべての人に監督の資格があるわけでなく,またすべてが講演者としてすぐれているわけではありません。しかし,自分のできることを誠実に果たすなら,だれでも会衆の霊的な繁栄に大きく貢献できます。(ローマ 12:6-8)同じように,すべての者が野外宣教に同じ量の時間をささげられるわけではありませんが,惜しむ心からではなく,しいられてでもなく,また人を喜ばすため
-