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「目をさまし,しつかりと立ち強くなりなさい」ものみの塔 1957 | 6月15日
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に告げています。すなわち,目を覚まして,しつかりと立つことです。『よく注意していなさい。……これらの起ろうとしているすべての事からのがれて,人の子の前に立つことができるように,絶えず目を覚まして祈つていなさい。』(ルカ 21:34-36,新口)私たちは賢明に振舞つて,この救のすばらしい道をなおざりにせず,むしろ『聞かされていることを,いつそう強く心に留めねばならない。そうでないと,おし流されてしまう。』(ヘブル 2:1,3,新口)ヱホバは私たちを向上させるこれらの原則を備えられました。それは,この終の時に私たちを導いて信仰にかたく立たせ,霊的な力を持たせるためです。ヱホバの援助と過分の御親切をいただくことにより,私たちのすべてが,使徒のごとくこう結論し得ますように,『私は戦をりつぱに戦いぬき,走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした。』― テモテ後 4:7,新口。
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「奉仕を良く果すように気をつけなさい」ものみの塔 1957 | 6月15日
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「奉仕を良く果すように気をつけなさい」
『主にあつて受けた奉仕を良く果すように気をつけなさい。』― コロサイ 4:17,新世。
1 (イ)ヱホバは,どのように男らしい方ですか。(ロ)ヱホバとともに勝利を得るため,ヱホバの証者はどのような面で男らしいことを証明しなければなりませんか。
『ヱホバは軍人』である,と救い出されたイスラエル人は歌いました。(出エジプト 15:3)ヱホバは,力のある戦争の神であるだけでなく,また信頼し得るという意味において,そして責任を果されるという意味において,男らしい方であられます。(イザヤ 55:11。マラキ 3:6)創造の時から栄光に輝く新しい世の設立の時にいたるまで,ヱホバは御自分のすべての行に対して責任と誉を取られます。ヱホバは,間もない中にこの地上に新しい世をつくられます。パロの軍隊を紅海で溺死させた時のように,一国家の戦闘力を亡すことによるのでなく,現在の組織制度の全部を亡すことによるのです。ヱホバの望まれることは,御自分の僕たちが,同じく責任を持ち,ヱホバの奉仕に対して忠実を守り,信頼に足り得るようになることです。かくして,ヱホバの僕たちもヱホバと共々に勝利を得ることができるでしよう。
2 キリスト・イエスは,どんな精神をもつて地上における自分の割当てられた仕事をいたしましたか。なぜそれに倣わねばなりませんか。
2 神に従つた忠実な子,キリスト・イエスも,常に責任をよろこんで取りました。キリストは,多くの苦しみや,迫害や,また恥辱の死を受けても,御父の御意を為すのによろこびを感じたのです。(ヘブル 10:9。マタイ 26:38,39,42,44)仕事を避けて,自分だけを富ます,という偽りの宗教の道は,イエスの常に拒否するところでした。(マタイ 23:4; 20:28)イエスは,真の謙遜さをもつて奉仕しました。そして,自分に課せられたつらい仕事を敢然と果して行つたのです。それは,全国民に証言する,という極めて大きな世界的な業を始めることでした。それで,地上における短期間の宣教生涯の初期に,イエスは自分といつしよになる者たちを招いて,その活動に参加させ,多くのいましめと共に奉仕の責任を与えました。(マタイ 10:1-42。ルカ 10:1-16)これらの者たちは,イエスの精神に良く倣いました,『私は柔和で心のへりくだつた者であるから,私のくびきを負うて,私に学びなさい。そうすれば,あなた方の魂に休みが与えられるであろう。私のくびきは負いやすく,私の荷は軽いからである。』― マタイ 11:29,30,新口。
3 クリスチャンが『男らしくある』とは,どういう意味ですか。
3 義務をともなう奉仕の業が課せられるとき,しりごむような人々は,イエスの男らしい模範に従つていません。また,『男らしく強くなりなさい』という使徒の健全なさとしにも注意を払つていないことになります。(コリント前 16:13,新口)イエスは伝道して群を飼うことに,すべての注意を傾倒して生活したのです。その他の義務をも,イエスはよろこんで受けいれました。イエスは,いまは地上における御国の事柄を,信頼し得ると共に,よろこんで業をなす『忠実にして慧き奴隷』級の手に委ねました。この級は,従順にも自ら進んで,課せられた業を成し,大きなよろこびを得ています。ぐずぐずしていて,無責任な悪しき奴隷は偽善者と共々に外に出され,泣き叫んだり,歯がみをしたりします。―マタイ 24:51。
4 ヱホバは,忠実な残れる者の勤勉をどのように報いましたか。
4 ヱホバは,一致している残れる者たち,真実に『小さな群』を,なんと豊かに繁栄せしめられたのでしよう! そして,主の所属物を委ねられたのです! それは,残れる者たちが,この仕事の割当をよろこんで受け取り,そして果しつづけてきたからではありませんか。今日では,全国民からの大多数の群衆が,この残れる者のまわりに集まつています。このことは,次のことを示す実です。すなわち,一寸見たところでは,とうてい出来ないと思えるような大きな責任の荷を,残れる者たちが男らしく背負つたことを示すものです。幸いなことに,全世界において良いたよりを伝道する重荷は,いまや多くの人の肩に課せられています。ヱホバは,多数の「漁る者,狩る者」を遣して,この業に協力せしめられました。(エレミヤ 16:16)そして,ヱホバは全地にいるこれらの者たちを組織して各人が自分の割当てられた地位と義務を持つようにせしめました。それは,大いなる分配の業,飼育の業に十分の参加をなさしめるためです。
5 手をしなえ垂れる代りに,すべての者はいま何を為すべきですか。
5 それですから,今は手を弛めて怠ける時ではありません。『なんじの手をしなえ垂るるなかれ』と予言は述べています。(ゼパニヤ 3:16)私たちの持つすべての力を要求する,より大きな責任が課せられるでしよう! しかし,報も大きいものです。『忠実にして慧き奴隷級』の指示に気をつけ,与えられる割当には,自らすすんで熱心に受け入れなさい。あなたの手に委ねられる御国の事柄に良く気をつけ,骨身を惜しんではなりません。むしろますますもつと増加いたしなさい。ヱホバとキリスト・イエスの是認は,あなたに大きなよろこびを与えるでしよう。そして,次の言葉が自分に述べられているように自覚するでしよう,『良い忠実な僕よ,よくやつた!……主人といつしよに喜んでくれ。』― マタイ 25:23,新口。
6 奉仕のどんな機会が開いていますか。献身しているヱホバの僕たちは,どのように答え応ずべきですか。
6 今日,献身しているすべての僕たちに対して,今までよりも大きな広い奉仕の機会が広範囲に開かれているのです。これらの機会を探し求め,それからそれを自分のものにするようにしなさい。それらの機会をしつかりと保ちなさい,『主人のこころを知つていながら,それに従つて用意もせず勤めもしなかつた僕は,多くむち打たれるであろう。』(ルカ 12:47,新口)何度もすすめられて,遂にはむち打たれるまで,なぜ動こうとせず,待つているのですか。自分から進んで行きなさい。それは,すばらしい機会を意味するかもしれません。すなわち,開拓奉仕をすること,ギレアデに入学すること,または協会の支部で奉仕することになるでしよう! また,資格を有する各人は,地方の会衆内にあつて,個人の野外奉仕を拡張した仕方で続けて行く特権をも有しているのです。
責任を取る
7 (イ)或る兄弟たちは,会衆内の奉仕の機会に対して,どのように答え応じますか。(ロ)何をするのが正しいことですか。
7 すべての会衆において,奉仕に関する事柄を多くなさねばなりません。すなわち,御国と兄弟たちに対する奉仕であつて,それは熱意と熱心をこめてなされるべきです。ところが,或る兄弟たちは,責任 ― 地方の会衆内の僕になるというような責任かも知れません ― を取ることを非常にいやがります。そのような人々は,仮病をつかう,つまりそのような責任を避けるように見えます。それは,ラクダに荷をのせるのと似ています。ラクダは,自分が使われそうだと知るや,悲しい鳴き声を立てます。鞍がかけられた後でも,また駁者が大きな声を出して叫んでも,ラクダは起きようとしません。ただ,悲しい泣声を声高に立てるだけです。烈火のごとくに怒つた駁者が太い杖を用いると,やつとラクダは起きます。でもどきつとさせるような大きな叫声を出し,やたらに唾を吐きかけます。それから一歩一歩いやいや歩いて行きます。あなたも,ヱホバとあなたの会衆内の兄弟たちに対する責任の荷を負うことについて,ラクダと同じような奇妙な考え方を持つていましたか。もし,そうなら,祈の中にヱホバの前にその事を告白し,矯正を求めなさい。
8 会衆内の兄弟たちが,大きな責任の地位について考える正しい態度とは何ですか。
8 大きな責任の地位について,ヱホバに用いられることを欲するのは,正しい
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