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  • 生涯の仕事としての宣教
    ものみの塔 1961 | 8月1日
    • なってしまいましたか。宣教よりほかのことをもっと重んずるような傾向がありますか。宣教を生涯の仕事とするなら,今まで定期的にそれを行なってきてきまりきったことになったからと言って,その重要性を見失うというようなことがあってはなりません。かえっていつも宣教に従事することによってその価値と重要性を認めるべきであり,それを減じるべきではありません。テモテに対する次のパウロの助言に注意して下さい,「あなたに注意したい……内にいただいた神の賜物を再び燃えたたせなさい」。(テモテ後 1:6,新口)それで宣教の賜物を燃えたたせなさい。

      心がクリスチャンの宣教に向けられているなら,あなたの宣教は年々進歩します。そしてほかの活動を第一にして宣教を第二次的なものにいたしません。もしそうするなら,キリスト教国の人々が宗教に対してとっている態度と同じく,宣教というものが生活の中で付随的なことがらになってしまいます。そうならぬように宣教に対する興味を常に燃えたたせておきなさい。宣教に進歩してそれが常に生涯の仕事となるようにしなさい。自分の生活の中でそれが一番大切な活動になるようにしなさい。

      すべての者は宣教を生涯の仕事とすることができる

      使徒ペテロは宣教に全時間を捧げるために自分のしていた漁師の職業をすてました。これについてペテロはこう言いました。「ごらんなさい,わたしたちは自分のものを捨てて,あなたに従いました」。イエスはそれに対してこう答えました,「よく聞いておくがよい。だれでも神の国のために,家,妻,兄弟,両親,子を捨てた者は,必ずこの時代でその幾倍もを受け,また,きたるべき世では永遠の生命を受けるのである」。(ルカ 18:28-30,新口)

      この言葉とペテロのとった行動から,クリスチャンの宣教にどれほど重きがおかれているかということを察することができます。宣教は縁者とか財産よりももっと大切です。

      今日献身した神の僕が開拓者として自分の住んでいた町を離れ,文字通りの意味で自分の縁者や家を離れて全時間奉仕にたずさわるということもできるでしょう。しかし献身した僕が別の意味でイエスの言ったことをすることができます。それはどのような意味ですか。宣教を自分の生涯の仕事とすることにより,妻や子供,親類の者あるいは家に宣教に対するほどの重きをおかぬようにするということです。つまり家族に対する責任を果たしながらも,家族を離れていると言えます。自分の妻よりも宣教を第一にするというこの立場はパウロがコリント前書 7章29節(新口)ですすめていることです,「だから,妻のある者はないもののように……すべきである」。パウロはここで妻の面倒をみたりまた妻に対する適当な心づかいをすべきでないと言っているのではなくて,宣教の仕事に比べれば妻が第二の場所におかれるべきだと言っているのです。

      開拓者として大部分の時間を宣教に費やす人であろうと,自分の経済的な責任を果たすために少しの時間を宣教に用いる者であろうと,宣教を自分の生涯の仕事にすることができます。伝道に費す時間の多少に関係なく,全時間奉仕者であると考えるべきです。宣教は第一の職務であり,世俗の仕事はそれに対して第二次的なものです。神に献身している主婦のばあいでも同じことが言えます。その生涯の仕事は家庭の仕事ではなくて宣教です。

      多くの若い人たちは学校にかよっている時,生涯の仕事にたずさわれる時を待ち望み,そのためにいろいろな教育課程を経て自分自身を訓練します。生涯の目的を特別に考えずに学校に行く人はたくさんいます。しかし神に奉仕しようとして自分の生命を捧げた若い人々はそうではありません。献身により,彼らはすでに自分の生涯の仕事を選んだのです ― つまり宣教というのがその生涯の仕事です。彼らは卒業の時を待ち望むべきです。その時十分にその仕事にたずさわれるようになるからです。その時たぶん開拓者として全時間を費すことができるかもれません。年齢的に言ってそれができる時になったら,文字通りの意味でイエスの言ったようにしなさい ― 御国のために両親,兄弟,姉妹,家を離れなさい。神の真理を聞く必要の大きな所で奉仕することにより,こうすることができます。これは進歩を目ざして奉仕の他の特権を得るのに一歩ふみだしたことになります。

      進歩するためのチャンス

      神の民の神権制度にあっては,新しい人も長い間制度にいた人も,奉仕の面で更に大きい特権を得るというチャンスがたくさんあります。野外奉仕はそれ自体すべての者にとって改善,進歩するための限りなきチャンスを提供しています。それから開拓者として全時間を伝道に捧げるというチャンスもあります。または特別な奉仕者として旅行し,献身したエホバの民の会衆や大会のために働くこともできます。近代におけるこれらクリスチャンを励まし助ける仕事は,第1世紀のクリスチャンの会衆にいた監督のある者によってなされた仕事と比較されるでしょう。これらの人は会衆から会衆へと旅行しクリスチャンの兄弟たちを建ておこし奉仕のわざを組織しました。クリスチャンの制度における統治体の代表者として旅行し奉仕するということは,資格を備えている者にとって真に大きな特権です。これは奉仕の面で大きく一歩ふみだし,進歩を示したことになります。

      国内の奉仕のわざを指示するベテルの家で奉仕することもまた,奉仕の面で進歩をはかる大きなチャンスです。この奉仕の地位を得てからでも,奉仕における進歩は続きます。ベテルの家で奉仕する者には更に大きな責任や奉仕の機会がたくさん開かれています。会衆でもあなたが求めることができる監督の地位があり,奉仕の面で進歩することができます。このような地位を求めるようにと聖書ははげましています。「もし人が監督の職を望むなら,それは良い仕事を願うことである」(テモテ前 3:1,新口)会衆の中で責任のある地位につくように進歩したいと願わなかったり,責任の地位が与えられた時それを拒絶するようなら,宣教をあなたの生涯の仕事としたと言えますか。進歩するよりじっと立ちどまっている方を選んでいるのではないでしょうか。

      宣教の面でだれかを訓練するようにとたのまれたならば,あなた自身がその面で進歩している証拠だと思って元気をだしなさい。また一歩ふみだして向上するために自分の国あるいは別の国で宣教の必要なところで奉仕するチャンスについて考えなさい。神権制度の中には奉仕の向上をはかる機会がたくさんあります。向上する機会があるたびにそれをとらえるようにしなさい。静止した状態で満足せず,イザヤのように進んでするようにいたしなさい,「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。―イザヤ 6:8,新口。

      自分の目標をたてて,神の御言葉を取り扱い,かつ伝道する能力を向上させるようにしなさい。この目標というのは,もっと上手に聖書の話をすることかもしれません。あるいは神の御言葉の真理に対する反論を打ちくだくために聖書的な論議を学ぶこと,理解しがたい聖書の教えの説明の仕方を学ぶこと,聖句をおぼえること,再訪問のしかたを改善すること,聖書研究の司会の仕方を改善することなどかもしれません。ひとつの目標に到達できたら別の目標をたてるようにして,いつも進歩しつづけ,じっと立ち止っていないようにしなさい。

      神の進歩的な僕となりなさい。そして常に奉仕を最大の関心事かつ職務といたしなさい。物質的なものを得ることに気を使い過ぎるということがなく,「まず神の国と神の義とを」求めなさい。(マタイ 6:33,新口)宣教をあなたの生涯の仕事にしなさい。

  • 不きげんと妨害
    ものみの塔 1961 | 8月1日
    • 不きげんと妨害

      ラグレイ州リンコルンシェヤー村の牧師ウイルキンソン・フォックスは,英国国教会から引退したあと,オーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙の記者にその理由を説明した。「教会は,私が参加した仕事をすることを許してくれない。……牧師というものは,無数の小さな仕事をすることによって,自分の存在を正当化しようと,きちがいのようにかけずりまわり,自分自身と戦っているにすぎない。……母の会,バザー,際限のない委員会などがすなわちそれである。私は何回となく自分の仕事をさせてくれるように頭を下げて頼んだ。しかし私の願いは,人々を不きげんにしただけでなく露骨な妨害をもたらした。数年まえ,1年に350ポンドの牧師の給料から分割払いで1台のふるい自動車を買い,田舎を回って堅信礼の志望者を集めたり,へんぴなところにいる人々に神の御言葉をたずさえて行った。成果はあった。しかし,車がこわれた時教会は,神のわざのためなのに,2個のスプリングの値段が高すぎると考えた」。

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