-
今生きている幾百万もの人々は,決してこの地球から死に絶えませんものみの塔 1984 | 1月1日
-
-
地上に戻って来る死者を迎える
18 今日,幾百万もの証人たちは,啓示の書に描写されている,地上の死者の復活を予示しているどんな事柄に歓びを覚えていますか。
18 今日,『神と共に歩む』幾百万というエホバの証人は,啓示 20章11節から14節に予示されていた事柄に歓びを覚えています。そこにはこう記されています。「またわたしは,大きな白い座とそれに座っておられる方とを見た。その方の前から地と天が逃げ去り,それらのための場所は見いだされなかった。そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,数々の巻き物が開かれた。しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた。そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている」。
19 復活させられる死人はどんな状態にある地上に戻って来ますか。そして彼らはどのような扱いを受けて,新たな生活を始めますか。
19 その聖書預言によれば,死人のうちから復活させられた人々は,人の住まなくなった地上に戻って来るのではありません。献身してバプテスマを受けた幾百万というエホバの証人たちは,ひゆ的な古い天と地が逃げ去る時を生き残って,復活させられた死者を,全世界的な楽園のために耕されている地へと迎えることを期待しています。(ルカ 23:43)その時,新しい事物の体制は始まってからかなりたっているでしょう。この古い世の終わりを生き残った人々は,贖われた人間の死者が戻って来る時のために愛のうちに十分な準備をすませていることでしょう。
20 イエスがラザロとヤイロの娘を死人のうちからよみがえらせた後に与えたどんな指示は,生き残った人々が,復活させられる幾十億という人々のために行なわねばならない事柄を示していますか。
20 これらの生き残った幾百万もの人々は,イエスがエルサレム近くのベタニヤで,愛していた友ラザロを墓からよみがえらせた直後,ラザロの埋葬用の巻き布を解くようにとこの奇跡を目撃していた人々に命令されたことを思い起こすでしょう。同じように,ユダヤ人の支配者ヤイロの娘を死人のうちからよみがえらせた時,イエスは『何か食べ物を与えるようにとお命じになりました』。(ルカ 8:55。ヨハネ 11:44)生き残った人々に対しては,幾十億人という死者が戻って来る時のふさわしい備えをするよう天からの指示が与えられるに違いありません。
21,22 (イ)生き残った人々は,どんな計画により,復活させられた死者がキリストの死による益を十分に適用するように助けますか。(ロ)「新しい地」がまさにその始まりから義にかなったものとなるのはなぜですか。
21 大々的な教育の業も行なわなければなりません。これは,戻って来る死者がイエス・キリストの贖いの犠牲の益を十分に活用するという神の目的と調和しています。そのようにして初めて,彼らは完全な人間としてエデンのような地上で生きることを許されるのです。「大患難」を生き残る見込みのある「大群衆」は,既にそのすばらしい教育計画にあずかるための準備を行なっています。彼らは個人的に「神の子羊」イエス・キリストの犠牲の死の益を自らに適用しました。(ヨハネ 1:29)このことは啓示 7章9節から14節に示されており,そこでは特に,彼らに関し「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と述べられています。それで,キリストの贖いの益を受けているので,彼らは『白くて長い衣を着ている』と描かれています。
22 この「大群衆」に関しては,ひゆ的な意味で,「その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている」と言われています。(啓示 7:15)目前に迫った「大患難」の間,彼らの白い衣は彼らから取り去られることはなく,彼らは神の保護のもとでエホバ神に神聖な奉仕を確固とした態度でささげ続けます。(啓示 7:17)彼らはその象徴的な「白くて長い衣」を身に着け,「新しい地」の最初の部分となるため,そこではまさにその始めから「義が宿ります」。―ペテロ第二 3:13。
-
-
幾百万もの人々が,地上における途絶えることのない命のために備えるものみの塔 1984 | 1月1日
-
-
幾百万もの人々が,地上における途絶えることのない命のために備える
1 (イ)幾百万もの人々にとって,ベタニヤのマルタに語られたイエスのどんな言葉を思い起こすのは非常に時宜にかなったことですか。(ロ)今これらの言葉のどの部分に,幾百万もの人々は胸を躍らせますか。なぜですか。
今生きている幾百万もの人々にとって,イエス・キリストがベタニヤのマルタに語られた,「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです」という言葉を思い起こすのは非常に時宜にかなったことです。(ヨハネ 11:25,26)義の世における終わりのない命を求めるこれら幾百万もの人々は,「生きていてわたしに信仰を働かせる者はみな決して死ぬことがありません」というイエスの言葉がいま適用されることを知り,本当に胸を躍らせます。
2 (イ)イエス・キリストはまだ地上におられた間,どの人々に関して「復活」でしたか。(ロ)マルタに語った言葉の中で,イエスは特にどの時期を指し示しておられましたか。イエスが,その時に生きている幾百万もの人々にとっても「命」でなければならないのはなぜですか。
2 イエスは地上におられた間でさえ,ラザロや,
-