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  • 命の音信を携えて水路密林地帯に分け入る
    目ざめよ! 1979 | 6月22日
    • これら“開拓者”たちの主要な二つの目標は,できるだけ大勢の人々に命の音信を伝えること,そして自分たちの高い霊性を保つことでした。そこで,エル・レフーヒォ号は小さな会衆として活動し始め,巡回監督の訪問から益を受けることさえありました。

      乗組員のためにきちんとした日課が決められました。台所仕事などの決まりきった仕事は,“家族の監督”として任命された一人の監督の下で交代で順番に行なわれることになりました。この取り決めには調整と改善が加えられ,その結果,次のような日課が定まりました。起床時刻は午前四時で,まず川の中で運動量の激しい入浴を済ませます。運動量が激しいと言うのは,もし体を動かすのをやめるなら,ピラニア(この魚はさらに奥地にすむピラニアほど大食家ではありません)などの魚がかじりに来るからです。ベルが鳴ると全員が集まり,日々の聖句を討議するために食卓に着き,それから料理当番が朝食を出します。主に出されるのはタカーチョという料理で,これはバナナとオートミールと揚げ魚でできています。

      そして午前六時に,文書を積んだ船外機付きの小さなモーターボート,ペケペケに乗り込んで一日の奉仕に出掛けます。そのころまでにたいていの人は一日の活動をすでに始めており,夜の七時か八時ころにはすべての活動を終えているので,早い時刻に奉仕を始めるほうが良いとされています。

      経験

      この船で命の音信を宣べ伝えることにより,何が成し遂げられてきたでしょうか。1976年9月から1977年7月にかけて,プカルパの南にあるニュー・サン・ホァンという村が本部として用いられました。開拓者たちはウカヤリ川とその支流を上下しながら,両岸の町々や村々を訪問しました。セパ川流域の人口のまばらな地域にまで行ったこともありました。“宣教者の船乗り”たちはこれらの場所に到着すると,土地の責任者と話し合い,村人たちが公開講演に集まれる時間を取り決めます。講演の後,関心を示した人々には聖書文書が配られます。集会を開くために,教室や個人の家,ホテルのロビーなどが使われました。

      ニュー・サン・ホァンの村には500人の人が住んでおり,その大半はプロテスタントです。兄弟たちが到着したとき,村人たちはこの新参者たちを自分たちの宗教に改宗させることに自信を持っていました。ところが,しばらくすると全く反対のことが起きたのです。エル・レフーヒォの船乗りたちは関心ある人々と多くの聖書研究を行なうようになり,やがて平均23名の人々が集会に出席するようになりました。

      この地域にはシピーボ族とコニーボ族が住んでいますが,“宣教者の船乗り”たちは原地の人々と奇妙な取り引きを行なうことができました。彼らは言葉を交換したのです。ものみの塔協会の出版物を使いながら,原地の人々は宣教者に彼らの方言を教え,宣教者は彼らに母国語のスペイン語を教えるのです。

      1977年8月に,その屋形船は北へ向かって移動し,コンタマナに到着し,そこに新しい本部が置かれました。コンタマナの人々は聖書に大きな関心を示しました。彼らは日夜宣教者を訪ねては質問したり文書を求めたりしました。聖書研究が幾つも取り決められ,これらは一つに集められ会衆の集会となるまでに発展しました。六人の宣教者が「川の危険」という使徒パウロの言葉を鮮明に思い浮かべたのは,このコンタマナでのことでした。(コリント第二 11:26)どのようなことがあったのでしょうか。

      暴風を伴った激しいあらしが突如その地域に吹き荒れ,川の水かさが急に増したのです。増水した水は船をつなぎ留めておいたロープを引きちぎり,見張りに当たっていた乗組員はロープを固定させるために岸へ上がりました。しかし,自然の力によってロープはどれも切れてしまい,エル・レフーヒォ号は川の上で漂う状態になりました。船の中で眠っていた三人の乗組員は目を覚まし,急速に水かさの増す流れの中で船を操ろうとエンジンをかけました。ところが,彼らは川の水の猛烈な勢いで下流に流され,ちょうど川岸の崩れた所にぶつかって,川の中に転覆しました。このため,船は右側に傾き,兄弟たちは船内に閉じ込められた形になりました。数分後には船は沈み始めました。しかし,引き戸が開いていたため,中にいた人々は荒れ狂う水の中にはい出し,岸まで無事に泳ぎ着くことができました。

      それは川岸にいた四人の宣教者にとって幸福な再会の一瞬でした。仲間の働き人の命を非常に気遣う余り,目に涙をためている者もいました。だれ一人命を失わなかったことを彼らはどれほどエホバ神に感謝したことでしょう。エル・レフーヒォ号はどうなりましたか。それは竜骨を上に向けて完全にひっくり返っていました。「有り難い,わたしたちの家はまだ引き揚げられる」と,彼らの監督,フランシスコ・エチェガライは言いました。

      船が水面下に沈んでしまわないうちに復旧作業を行なうため,午前四時にすぐに準備が始められました。七時には,地元の材木会社の持ち主が親切にも貸してくれた二台のトラクターを使って船を川岸へ引き揚げることができました。乗組員たちは船を元の位置に戻そうと幾度も試みましたが,それがやっと元通りになったのは,近所からクレーンを貸りてきてからのことでした。この作業が完了したのは午後四時で,それは12時間にわたる重労働を済ませた後のことでした。彼らはやっと小休止を取り,食事をすることができました。すべての物を失い,疲れ果ててはいましたが,彼らはその日の終わりに,自分たちの目的を果たすために不可欠な家,つまりその屋形船を元通りにできたことを喜びました。幾らか修理を加えるなら,この船は,命に関する聖書の音信,「良いたより」を携えて,ジャングルの住人たちのもとへ行くのに再び使えるようになるでしょう。ここペルーのエホバの証人から財政面の援助を受け,修理に数か月間を費やした後,エル・レフーヒォ号は再び旅に出られるようになりました。

      この“宣教者の船乗り”たちの行く手には何が待ち受けているのでしょうか。それは,マラニョン川とその幾百もの支流の全域に密生するジャングル,途方もなく広大なアマゾン流域に広がるジャングルです。わたしたちは,この勇敢な乗組員たちがエホバの祝福と保護の下に,割り当てられた地域すべてを回り,ペルーのジャングルに住む大勢の人々が偉大な創造者エホバに仕える機会を得られるよう援助できることを祈っています。

  • 閃光を放つ魚
    目ざめよ! 1979 | 6月22日
    • 閃光を放つ魚

      ◆ イスラエルのエイラート湾に,フォトブレファロン・パルペブラタスという学名で呼ばれる体長7,8㌢ほどの魚がいる。閃光魚という名で広く知られているこの魚は,水中を進む際に進路を明るく照らす。そうした光線源は何だろうか。光を発するバクテリアがこの魚の目の下にある器官内にいる。閃光魚は,常食としている小さな甲殻類動物を見つけるのにこの光線を用いる。しかし,攻撃をしかけてきそうなものに出会った場合には,まず光を照らしたまま進み,それから光を透さないまぶたを閉じてしまう。光が消えたら,別の方向へ一目散に泳いで逃げようとする。

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