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御国宣教者は最善のたよりを伝える者ものみの塔 1959 | 8月15日
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御国宣教者は最善のたよりを伝える者
『「彼は高いところに上つた時多くのものをとりこにし,人々に賜物を分け与えた」そして彼はある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を宣教者(福音宣明者)として与えた。』― エペソ 4:8,11,新世,欄外。
1 今日,何が最善のたよりですか。
誰でも良いたよりを得たいと望みます。それですから,良いたよりを伝える者は,よろこんで受け入れる人にとつては,歓迎すべき人です。しかし,今日のこの混乱した世界ではある人にとつて良いたよりも,別の人にとつては,良いたよりでないことがあります。それでは,国籍とか,人種とか,または言語の相違にかかわらず,生命を愛し,また仲間の人間を愛するすべての人をよろこばすたよりは,すばらしいたより,最善のたよりではないでしようか。全くそうです。信ぜられないと思えるかも知れませんが,今日そのような良いたよりはどの場所でもいたる処で宣べ伝えられているのです。
2 そのようなたよりを持つている者たちは,それについて何をしていますか。昔のギリシャ人によると,彼らは何と呼ばれますか。
2 すでにその良いたよりを持つている者は,自分だけが持つには良すぎると感じています。彼らは無私の気持からそしてよろこびの中にそのたよりを全地の人々,すべての種族,国民,人種,皮膚の色,そして言語の人々に伝えています。なぜなら,それは全部の者のためだからです。彼らは,クリスチャン時代以前のギリシャ人が言う『福音宣明者』または『福音を宣明する』者です。例えばクリスチャン時代よりも前につくり出されたギリシャ語70人訳の中では,『福音を宣明する』という言葉はギリシャ語訳文の中で次のように2度出ています,『私は臨在している。平和のよろこびの音信を宣べ伝える者の足,良いたよりを伝道する者は,山にあつて美しい。私は汝の救いを公に告げ,シオンよ汝の神は統治すると言う。』(イザヤス 52:6,7,バグスター)この一般的な良いたより,最善のたよりを自分のものにするため,私たちはこれらの福音宣明者とそのたよりの源を識別したいと欲します。
3 異教のギリシャ人は,たよりの源としてゼウスを何と呼びましたか。しかし,今日の福音宣明者の持つている良いたよりは,どのくらいの期間つづきますか。そして,なぜそうですか。
3 昔の異教のギリシャ人は,その主神であるゼウス(又はジュピター)に,エバンジェリオスという称号を与えました。それは,『良いたよりを与える者』という意味です。(西暦2世紀のアリウスアリス・タイデスのオラーション〔53・5〕)ゼウスがギリシャ人に与えた良いたよりがどんなものであるにしても,そのたよりはゼウスと共々に朽ち果てました,なぜならゼウスはもはや存在していないからです。ゼウスは異教の偽りの神であつて,不滅ではありません。国際的なたよりを集めて通信を行つている現在において,いちばん良いたよりを宣明する者は,異教の神ゼウス・エバンジェリオスのごとき信用のできぬ偽りの源にはたよりません。彼らは永遠につづくたよりの源を持つています。将来に対するその方の予告は,100パーセント正しいと証明されているのです。『彼は永遠の良いたより』の源です。この良いたよりは,幾千年もむかしに先ず宣明され,いまなお数え知れぬ多数の人々に元気と希望を与えているのです。
4 ヨハネは,誰が永遠の良いたよりを持つていると見ましたか。神が良いたよりの源になるのは当然ですか。
4 いまから19世紀の昔,諸国民に裁きが行われる現在を前もつて予言的に見こした一記者は,次のように書きました,『私は,もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者,すなわち,あらゆる国民,部族,国語,民族に宣べ伝えるために,永遠の福音をたずさえてきて,大声で言つた。「神をおそれ,神に栄光を帰せよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを,伏し拝め。」』(黙示 14:6,7,新口)私たち叡知を持つ者が楽しむ良い事柄すべてをつくられた神が,良いたよりをつくり,そして良いたより又はよろこびのたよりの源になるのは,当然のことでありましよう。
5 中空を飛んでいた御使は,何を持つていましたか。その源から判断してなぜ良いたよりは,永遠のものですか。
5 クリスチャン使徒ヨハネの見た預言的なまぼろしの中で『中空を飛ぶ御使』は,良いたよりを伝える者でした,すなわち福音を宣明する者でした。正しい歴史の告げるところによると,実際に福音を宣明した御使がいました。中空を飛んでいた御使のごとく,福音を宣べ伝えたそれらの御使たちは,あるところから良いたよりを受けました。どこからですか。ひとつの宇宙的なたよりの源,すなわち創造主なる神からです。神は今にいたるまで御自分のすべての創造をささえて来られました。神は常に生きておられる不滅の方です。この理由からも,彼は永遠の良いたより,すなわち今日でも最大の価値を持つたよりの源です。―エレミヤ 10:10-12。
6 神が福音の宣明者であることについては,何と言えますか。良いたよりはどのように永遠のものですか。
6 創造主なる神が福音を宣明する者という意味ですか。そうです,神は福音を宣明する者の中で最大の御方です。彼は神であると共に福音を宣明する御方です。彼は良いたよりの最初の源であられる故に,福音を宣明する宇宙的な制度を組織します。そして,善意者の心をよろこばせるために福音を宣明する者を派遣します。彼からの良いたよりは,『永遠のもの』です。なぜなら,神は幾千年もの昔人類歴史の最初のころにその良いたよりを与えましたが,それは預言的なものだつたからです。それは,現在に成就すべき良い事柄を予めに告げました。神のたよりは,聖書の中に記録され綴じられています。
7 どんな良いたよりは,エデンで発表されましたか。なぜすべての善意者は,検閲を受けない真理により,間もない中に自由にされますか。
7 正義の人は次の事柄を良いたよりの発表と必ず言うでしよう,『私はうらみをおく,おまえと女とのあいだに,おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き,おまえは彼のかかとを砕くであろう。』(創世 3:15,新口)その言葉は,良いたよりの最初の源が,偽りの宣伝の最初の源に向つて告げたものです。すなわち,人間と楽園を創造したヱホバ神が悪魔に告げた言葉です。この悪魔は,エデンの園にいた蛇を用いて,最初の人間の母親エバにそしりと偽わりを語つた者です。そのたよりの発表によると,『偽りの宣伝』の源は,いつの日か砕かれてしまうでしよう。そうです,この偽りの報道者の頭は踏まれて砕かれます。彼は致命的な毒を持つ蛇のようだからです。偽りの宣伝を告げたこの悪魔は,まだ滅ぼされていないことは明瞭です。なぜなら,地は人間の歴史上かつて無い程に偽りの宣伝,そしり,そして恐喝で一杯になつているからです。しかし,エデンで告げられた神の良いたよりは駄目になつたというわけではありません。それとは反対に,神の女のすえは派遣されました。それは偽りのたよりをつくる者,最初の蛇,サタン悪魔を滅ぼすためです。間もない中に,生きている善意者はみな正しい真理,そして矛盾のない真理を知るでしよう。この真理は彼らを自由にします。(ヨハネ 8:32)そのとき,利己的な理由のために真理を検閲するということはありません。
8 後日,どんな良いたよりがアブラハムに告げられましたか。パウロは,それについて,どのような注解の言葉を述べましたか。
8 ここに重要な良いたよりがあります。それは,エデンの園でヱホバが前述の福音すなわち良いたよりを告げてから,2000年以上経つて後に発表されたものです。クリスチャン使徒パウロは,後に告げられたこのたよりについて次のごとく注解の言葉を述べ,忠実な族長アブラハムについて言及しています。彼はこう語つています,『アブラハムは「ヱホバに信仰を働かし,それは義なるものと見なされた。」信仰による者こそアブラハムの子であると,あなた方はたしかに知る。聖書は,神が諸国の民を信仰によつて義とされることを前もつて知り,アブラハムに「あなたによつて,すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを,予告したのである。このように,信仰による者は,信仰の人アブラハムと共に祝福を受けるのである。』(ガラテヤ 3:69,新世)全国民が祝福を受けることは,良いたよりすなわち福音です。
9 信仰によつて人々を正義と言明することは,どうして祝福ですか。それではなぜ忠実なたよりを記録し,報告することは肝要ですか。
9 神が国民の中の特定な民を正義なる者と言明するとき,それは祝福です。それは良いたよりです。なぜなら,諸国の民を正義と言明すること,すなわち義とすることは彼らが幸福の中に永遠の生命を得るための基礎となるからです。この特定な場合,神が諸国の民を正義なる者と言明したことは,神への信仰,神の約束への信仰によるものでした。人々はいま神にたいするそのような信仰を証明するよう命ぜられています。それで,その信仰の故に彼らを正義な者と言明することは,人間が実際に完全になる前の今おこなわれるのです。この信仰は,神の良いたよりの約束に対してなされねばなりません。それで,私たちは真実のたよりの源を持つこと,および絶対に信頼し得るたよりを記録し,報告することが,極めて価値あるものと認識することができます。人間は,福音を宣明された最初の方,すなわちヱホバ神によつてつかわされる忠実な福音宣明者を必要とします。偽りの宣伝を確信すれば,私たちは偽りを語る者に捕われることになり,不義と死にみちびかれます。
10 エデンで,偽わりを語つた宣伝者は,どのように論じましたか。神の律法を信じなかつたエバは,何を失いましたか。
10 神の約束に信仰を持つ民を正義と言明することが,どんな祝福を意味するか見てごらんなさい。エデンの園で偽りの宣伝をしたサタン悪魔は,創造主なるヱホバ神をそしりました。悪魔は女のエバにこう語りました,すなわち神は彼女の生命を奪うというような罰を加えることはできない,善と悪は神御一人だけが裁くわけではない。男と女は何が善であり何が悪であるかについて自分自身の判断の標準により生きることができる,と告げたのです。悪魔は蛇を用いて,こう語りました,『あなたがたは決して死ぬことはないでしよう。それを食べると,あなた方の目が開け,神のように善悪を知る者となることを,神は知つておられるのです。』(創世 3:4,5,新口)エバは神の律法を信じなくなりました。彼女は悪魔の偽りの宣伝に信仰を置きました。この理由で彼女は正義を失い死の道を歩みました。彼女は神に対してそむいたからです。
11 アダムは神への信仰が足らないことを,どのように示しましたか。このことの故に,私たち全部には,どんな結果がおよびましたか。
11 エバは,自分がその実を食べて後,夫のアダムにも禁ぜられた実のいくらかを食べるようすすめました。アダムは,食べてはいけないと知つていましたが,エバをよろこばすため,蛇の偽りの宣伝をあからさまに暴露し,非難しなかつたのです。かえつて,彼自身もそしる者の側につきました。彼は神をそしる者の側に加わり,この危機のときに援助を備え給う神の力に信仰を持つていないことを示しました。信仰と従順がなかつたために,彼は正義から離れあやまちに入りました。神がアダムとエバをさばきに召して最初の良いたよりを与えた時(創世 3:15)エバとアダムは不義の者であると言明しました。神は彼らを死,すなわち生命が失われると宣告し,アダムがもといた塵にもどるように告げました。私たちはみなアダムとエバから不正を受けつぎました。それで処罰の状態,死の隷属を相続したのです。たよりについての解説者使徒パウロは,こう報じています,『このようなわけで,ひとりの人によつて,罪がこの世にはいり,また罪によつて死がはいつてきたように,こうして,すべての人が罪を犯したので,死が全人類にはいり込んだのである…アダムから…死の支配を免れなかつた。』― ロマ 5:12-14,新口。
神は福音宣明者
12 どんな約束により,アブラハムの信仰は特に験されましたか。
12 族長アブラハムは,罪人アダムから21代目の人です。(ルカ 3:34-38)それで,彼はアダムからの不義を当然に受けつぎました。しかし,彼は又,蛇のかしらを砕くべき神の女のすえについて,神がエデンで告げられたたよりも知つていました。アブラハムは,この良いたよりを受けいれて信じました。しかし,この約束のすえとアブラハムとのあいだに関係を持たせようと神がなされたとき,全能の神にたいするアブラハムの信仰は験されました。福音を宣べ伝える大いなる神,ヱホバ神は,彼にこう告げました。『私は(あなたにすえなる子孫を与えることによつて)あなたを大いなる国民とし,あなたを祝福し,あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者を私は祝福し,あなたをのろう者を私はのろう。地のすべてのやからは,あなたによつて祝福される。』(創世 12:1-3,新口)そのような約束は信仰を必要としました。
13 この約束を与えるに際して,神はどんな資格で行いますか。そして,諸国民は神によりどのように祝福を受けますか。
13 たよりの解説者パウロは,次のように述べています。すなわち聖書の著者ヱホバ神はこの約束を与えることにより『アブラハムに良い知らせを,予告した。』神は,すべての家族と国民に福音を宣明する者,そして良いたより,よろこびのたよりを与える者でした。この良いたよりは,先ず次のことを意味しました,すなわち神の女のすえが蛇のかしらを砕く前のいま,神はアブラハムに行つたことを他の人々にも行うでしよう。それは何ですか。アブラハムの子孫でない国々の人々をも,神にたいするその信仰のゆえに,正義と言明することです。これは彼らにとつて祝福です。なぜなら,それは彼らが神の来るべき正義の世において永遠の生命を得る基礎となるからです。
14 信仰の故にアブラハムはどのように祝福されましたか。間もない中に彼は何を持ちますか。
14 アブラハムがカナンの約束の地にしばらくいてから,ヱホバ神は数え切れぬ星を見上げるように彼に告げて,『なんじの子孫はかくのごとくなるべし』と言われました。アブラハムはこの良いたよりを信じましたか。聖書は,こう答えています,『アブラム,ヱホバを信ず。ヱホバこれを彼の義となしたまえり。』(創世 15:3-6)それで,アブラハムは肉の割礼を受ける前でも,正義の者と言明されました。その正義のわざで表明したごとく,アブラハムは神に信仰を持つていたゆえに祝福をうけ,正義なる者と言明されたのです。いままで3802年間死んでいるこの族長アブラハムは,そのような信仰を持つていたため,間もない中に神の御国の支配下にある地上の生命に,死人の中から復活されるでしよう。(ヤコブ 2:21-23。ロマ 4:9-14)それで,ヱホバ神は神こそ大いなる福音宣明者と信じる者たち,そしてアブラハムに予告せられた良いたよりに従つて活動をなし,その信仰を証明する者たちに報います。
神の御子は福音宣明者
15 神は,人間以外の誰を福音宣明者に用いましたか。ガブリエルは,この事実をどのように述べましたか。
15 大いなる福音宣明者ヱホバ神は,天の聖なる御使たちを用いて福音を宣べ伝える者,良いたよりを伝える者としました。それはなにか事新しいように思えるかもしれませんが,実は昔からの事実です。神は,独り子をこの地につかわす前に,御子のための先駆者を起しました。この先駆者は,年老いたレビ人の祭司ザカリヤの子,洗礼者ヨハネでした。この場合,神は御使ガブリエルを用いて福音を宣べ伝え,良いたよりをもたらしました。(キリスト前)3年ガブリエルはエルサレムにあつたヱホバの宮の至聖所で,子供を持たない祭司ザカリヤに現われました。ガブリエルは,ザカリヤが年老いた妻エリサベツによりひとりの子を持つこと,およびその子の名前をヨハネと呼ぶようにと告げました。ガブリエルは,自分が福音を宣明する使明を帯びていることを告げています。そして疑いの心を持つていたザカリヤにこう語りました,『私は神のみまえに立つガブリエルであつて,この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために,つかわされたものである。』― ルカ 1:8-19,新口。
16 ガブリエルは,更に大きな良いたよりを,どのように与えましたか。
16 ガブリエルには,更に大きな良いたよりがゆだねられました。それから約6ヵ月の後,彼はユダの支族に属するユダヤ人の処女マリヤに現われました。彼女は神の子の母になるよう選ばれたと告げることにより,ガブリエルは彼女の心をよろこばしました。(ルカ 1:26-38,45-56)9ヵ月の後には,ひとりの御使は選ばれて福音宣明者になり神の約束された子が人間としてベツレヘムで生まれたという良いたよりを告げました。
17 この御使は,自分が福音宣明者である,という職務をどのように示しましたか。
17 大いなる福音宣明者からの良いたよりを伝えたこの御使について,聖書はこう記しています,『さて,この地方で羊飼たちが夜,野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると,ヱホバの御使が現れ,ヱホバの栄光が彼らをめぐり照したので,彼らは非常に恐れた。御使は言つた,「恐れるな。見よ,すべての民に与えられる大きな喜びを,あなた方に伝える。きようダビデの町に,あなた方のために救主がお生まれになつた。この方こそ主なるキリストである。あなたがたは,幼な子が布にくるまつて飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが,あなたがたに与えられるしるしである。」』それはなんと良いたよりでしよう! そうです,聖書は更にこう述べています,『するとたちまち,おびただしい天の軍勢が現れ,御使と一緒になつて神をさんびして言つた,「いと高きところでは,神に栄光があるように,地の上では善意者(み心にかなう人々)に平和があるように。」』― ルカ 2:8-14,新世,欄外。
18 イエスの誕生も,どのようなことになつてのみ良いたよりですか。彼の先駆者は何になりましたか。
18 しかし,この神の子が生まれたことも,もしすべての人に益を及ぼして,人々に大きなよろこびをもたらさないなら,特別に良いたよりと言うことはできません。神の子イエスは,辺ぴなナザレの町の大工であつて,すべての人に特別なよろこびをもたらしたわけではありません。彼の地的な母親マリヤの家族にさえ特別なよろこびをもたらさなかつたのです。しかし,彼の先駆者ヨハネが良いたよりを宣べ伝える者,福音宣明者になつて後は,イエスに対する事態は変化しました。『そのころ,バプテスマのヨハネが現れ,ユダヤの荒野で教を宣べて言つた。「悔い改めよ,天国は近づいた。」』(マタイ 3:1,2,新口)神の御言葉は,神の御国の伝道を福音宣明または良いたよりを伝えることと呼んでいます。それで,報道員のルカは福音宣明者であるバプテスマのヨハネについてこう述べています,『こうしてヨハネは,ほかにもなお,さまざまのすすめをして,人々に良いたよりを宣べつづけた。』― ルカ 3:18,新世。ヤング訳,ロザハム訳。アメリカ訳。
19 ヨハネは,なぜイエスに洗礼を施すことをためらいましたか。イエスは油を注がれることにより,何になりましたか。
19 洗礼を施していたヨハネは,次のように語りました,『私のあとから来る人は私よりも力のあるかた』『私のあとに来る方は,私よりもすぐれたかたである。私よりも先におられたからである。』(マタイ 3:11。ヨハネ 1:30)このわけでヨハネは最初イエスに洗礼を施すことをためらつたのです。しかし,イエスはそれが正しいことであるとヨハネに納得させました。この証明として,イエスは天からの神の御霊で油を注がれました。イエスが洗礼をうけたヨルダン河の水から出られると,『神の御霊がはとのように自分の上に下つてくるのを,ごらんになつた。また天から声があつて言つた,「これは私の愛する子,私の心にかなう者である。」』(マタイ 3:13-17,新口)油注がれたイエスは,バプテスマのヨハネよりも強いということはなく,また福音宣明者としてヨハネより劣るということもありません。それでイエスは福音宣明者になりました,すなわち彼に油を注いだヱホバ神により任命されつかわされた者になつたのです。
20 イエスは,福音宣明者の職に変つたことを自分の町の人々に,どう証言しましたか。
20 大工の職業を止めて福音宣明者の職にかわつたことを証明するため,イエスはナザレの町にもどり,町の会堂に立つて聖書の朗読をしました。イザヤ書(61:1,2)の預言は,彼が良いたよりを伝える者として来ることをあらかじめに告げました。そして,その時にイザヤの預言の本はイエスに渡されました,『彼はその巻本を開いて,こう書いてある所を開きました,「ヱホバの御霊は私にのぞんでいる。ヱホバは貧しい者に良いたよりを宣べ伝えるため,私に油を注いだ。捕われ人のゆるしを伝道し,めくらの目を開き,打ちひしがれた者に自由を得させ,ヱホバの受けいれ給う年を宣べ伝えるために,ヱホバは私をつかわした。」イエスは巻本を巻いて,係りの者に返し,席に着かれると,会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは,「あなた方のいま聞いたこの聖句は,今日成就された。」と言われた。』― ルカ 4:14-22,新世。
21 ナザレ人の行いにもかかわらず,イエスは御自分が何であると証明しましたか。彼は自分の弟子たちを何にならせるよう訓練しましたか。
21 すべての人が,良いたよりを良いものと受けいれるわけではありません。それの証明として,ナザレ人はイエスの伝道したことに怒りを感じました。彼らはイエスを町から追い出し,彼を殺そうとさえいたしました。(ルカ 4:22-30)しかし,イエスは福音宣明者としての自分の任務を守り,神からの良いたよりを心から受けいれる人々を探し求めました。聖書はこう述べています,『そののちイエスは,神の国の福音を説きまた伝えながら,町々村々を巡回し続けられたが,十二弟子もお供をした。』(ルカ 8:1,新口。マルコ 1:14,15)イエスは神の御国の福音を宣べ伝えました。彼は御自分の12使徒をこの御国の福音宣明者にならせるべく教えて訓練しました。彼は次の指示を与え,宣教者として彼らをつかわしました,『行つて「天国が近づいた」と宣べ伝えよ。』― マタイ 10:1-7,新口。
福音を宣べ伝える宣教者
22 イエスが何を行つたため,イエスの敵共は彼を殺しましたか。彼はどのように御自分の福音宣明のわざを行いつづけることができましたか。誰を指導者として用いることによつて?
22 イエスは神からの良いたよりを宣明し,また忠実な福音宣明者でした。そして無実の死をとげました。神の御国の良いたよりの敵共は,彼を殺してしまつたのです。彼らはイエスを非難して,彼はローマのカイザルに反対する王になりたがつていると語りました。(ヨハネ 19:12-16)しかし,全能の神は3日目にイエスを死人の中からよみがえし,40日の後には天に帰らせ,神の右にすわらせました。そのところから,イエスは福音宣明のわざをひきつづき行い,地上の福音宣明者たちをみちびきました。この地上では,イエスの12使徒は,御国宣明のわざを率先しておこないました。良いたよりの宗教的な敵たちは,はげしくて強い反対をいたしました。しかし,イエスの使徒については聖書にこう書かれています,『毎日,宮にいて,又家から家へと行つて,彼らはキリスト・イエスについての良いたよりを引きつづき教えたり宣べ伝えたりして止めなかつた。』― 使行 5:42,新世。
23 使徒たちだけが福音宣明者でしたか。この質問に対する答は,いつ明白になりましたか。
23 クリスチャン会衆の福音宣明者は使徒たちだけではありません。献身して洗礼を受けていた会衆内の人々,そして良いたよりを持つていた者は,みな良いたよりを他の者につたえ,良いたよりをひろめて,福音宣明者として振舞う責任が課せられていたのです。この事実は,宗教的な迫害の時にも明白に示されました。迫害の時には,たよりを広める者がそのわざを中止して,苦難をうけるたよりの回付を止めるだろうと人々は考えました。
24 このことの証明として,迫害を受けた者たちについて聖書は何と述べていますか。
24 このことは,ユダヤ人がステパノを石打ちして殺した後でした。ステパノはエルサレムの会衆で使徒たちを特別に援助するよう任命された7人の中のひとりでした。はげしい迫害の下で行われたこの福音宣教については,次のように書かれています,『(タルソの)サウロは,ステパノを殺すことに賛成していた。その日,エルサレムの会衆に対して大迫害が起り,使徒以外の者はことごとく,ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行つた。信仰深い人たちはステパノを葬り,彼のために胸を打つて,非常に悲しんだ。…さて,散らされて行つた人たちは,御言葉を宣べ伝えながら,めぐり歩いた。ピリポはサマリヤの町に下つて行き,人々にキリストを宣べはじめた。ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで,男も女も信じて,ぞくぞくとバプテスマを受けた。』(使行 8:1,2,4,5,12,新世)この場合,エルサレムにとどまつた使徒たちが福音宣教をしたのでなく,散らされた弟子たちがその仕事をしたのです。彼らはみな福音を宣べ伝える者というほまれとよろこびを持つていました。
25 『福音宣明者』に任命されたクリスチャンたちは誰でしたか。これらの者の賜物は,どのように予告されましたか。
25 率先指導する福音宣明者イエス・キリストの弟子となり,そして献身して,洗礼を受ける者たちは,みな彼にならい,福音宣明者となります。彼らのことを福音宣明者と正しく語ることができます。しかし,第1世紀の会衆には,福音宣明者として特に選ばれて任命された者がいました。『福音宣明者』という称号で特別に他の者から分けられたこれらの人々は,主イエス・キリストからの賜物でした。それは彼が死人の中から復活して,天にのぼり大いなる福音宣明者ヱホバ神の右に達せられた後のことです。人々というこの生ける賜物は,詩篇 68篇18節に次のごとく予めに告げられていました,『あなたは高いところにのぼり,とりこをひきい,賜物を人々の中に,そむくもののなかにとりました。ヤハの神がここに住むためである。』
26 パウロはどのように論じながらこの預言を適用していますか。
26 良いたよりの解説者であるパウロは,この預言を適用し,クリスチャン会衆なる『キリストの体』に向つて次のように語つています,『キリストから賜わる賜物のはかりに従つて,私たちひとりびとりに,恵みが与えられている。そこでこう言われている,「彼は高いところに上つた時,とりこを捕えて引き行き,人々に賜物を分け与えた」。さて「上つた」という以上,また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。降りてこらた者自身は,同時に,あらゆるものに満ちるために,もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。そして彼は,ある人を使徒とし,ある人を預言者としある人を伝道者(または福音宣明者)とし,ある人を牧師,教師として,お立てになつた。それは,聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ,キリストのからだを建てさせ………るためである。』― エペソ 4:7-12,新口。
27 それらの人々は,『福音宣明者』とどのように正しく呼ばれますか。それでは,なぜ彼らは『宣教者』と言われるのですか。
27 ここで次のことに気づきます。すなわち栄光を受けたイエス・キリストにより神が与えたもうた福音宣明者すなわち宣教者は,使徒たちと預言者の後に来ていますが,牧者(羊飼)と教師の前にきています。会衆の賜物として与えられているこれらの人々は,なぜ良いたよりを宣べひろめて福音宣明のわざをした会衆の他のものと区別されましたか。彼らは特別顕著な仕方で,また大規模な仕方で福音宣明のわざをしたか,大きな区域あるいは特別な区域で福音宣明のわざをしたからにちがいありません。彼らは良いたよりを宣明するという特別な使命をうけて派遣されました。この理由から,彼らは良いたよりの宣教者と言われます。
28 ピリポの場合,それらの福音宣明者は特別な級であると,どのように言われますか。
28 彼らは特別な級であり,天に上られたキリストを通して神からの特定な級でした。そのことを示す事柄として,前に述べたピリポは福音宣明者と呼ばれました。パウロの旅行同伴者ルカは,パウロの最後のエルサレム旅行について述べた際次のように語つています,『翌日そこをたつて,カイザリヤに着き,かの七人のひとりである伝道者(または福音宣明者)ピリポの家に行き,そこに泊まつた。この人に四人の娘があつたが,いずれも処女であつて,預言をしていた。』― 使行 21:8,9,新口。
29 ピリポが小羊の使徒でなかつたということはどのように示されましたか。しかし,彼は福音宣明者として,どのように用いられましたか。
29 このピリポは,パウロのごとき使徒ではありませんでした。パウロが次のような手紙を書き送つた若者テモテも使徒ではありませんでした,『あなたは,……伝道者のわざをなし,自分の務を全うしなさい。』(テモテ後 4:5,新口)この理由で,ピリポが迫害のためにエルサレムから追いはらわれ,サマリヤの町に行つたとき,彼は割礼を受けていた信者のサマリヤ人に水の洗礼をほどこすことができただけでした。彼は,洗礼をうけた者たちに手を置いて聖霊の賜物を与えることができなかつたのです。しかし,彼らが神の御霊で油そそがれず,天的な御国の希望を持つ神の霊的な子供たちにならなかつたというわけではありません。彼らは預言をしたり,奇蹟を行つたり,異国の言語で語つたり,そして異国の言語を解き明かしする御霊の奇蹟的な賜物をいただかなかつた,という意味です。それらのサマリヤ人が御霊の奇跡的な賜物をいただくため,ピリポはエルサレムにとどまつていた使徒たちに通知しました。ペテロとヨハネはサマリヤに下り献身して洗礼を受けたサマリヤ人に手を置きました。そのとき,彼らは聖霊をいただいたのです。『ふたりが手を彼らの上においたところ,彼らは聖霊を受けた。』ということが明らかに示されました。(使行 8:12-18,新口)しかし,福音宣明者であるピリポは,神の御国の良いたよりを割礼を受けたサマリヤ人に伝えるため,神によりキリストを通して,特別に用いられました。
30 パウロの訪問に関連して,ピリポが預言者の『賜物』でなかつたことはどのように示されましたか。
30 ピリポはクリスチャン預言者ではありませんでした,すなわち仲間のクリスチャンたちに利害のある事柄を予めに告げる御霊の賜物を持つていなかつたのです。しかし彼の4人の処女の娘は,神の御霊により女預言者でした。会衆の制度内でピリポがこれらの婦人よりも劣つていたのではありません。彼らは頭をおおつて預言をいたしました。会衆内の献身した婦人たちは,神の御霊のはたらきの下にあつて,そのように行つたとパウロは述べています。しかし,その父親ピリポと同様に,彼らも預言的な知らせを使徒パウロに与えませんでした。(コリント前 11:4,5)しかし,カイザリヤに下つてきたアガボという預言者は,エルサレムでパウロに生ずることを前もつて告げました。(使行 21:10,11)アガボは霊感を受けた預言者であつたということから,『人々に分け与えられた生ける賜物』のひとりでした。
31 サマリヤでの仕事を終えた後,ピリポは任命された『福音宣明者』という『賜物』なることを,どのように示しましたか。
31 しかし,特別に任命された福音宣明者ピリポも,天に上つたキリストからの賜物でした。彼はエルサレムにいた使徒たちを援助していましたが,ヱホバ神の御使により福音宣明という特別な使命をうけて派遣されました。ピリポがそのようなよいわざをサマリヤで行つたのち,『ヱホバの使がピリポにむかつて言つた,「立つて南方に行き,エルサレムからガザへ下る道に出なさい。」』ガザの道のところで神の御霊はピリポをみちびきピリポは近づいてきた馬車に乗りました。そこにはエチオピヤの女王カンダケの宝物をつかさどつていた閹人,ユダヤ教に改宗した忠実なエチオピヤ人が乗つていたのです。その馬車の中でピリポは,イザヤの預言を研究していたこの人に福音を宣べ伝えました。『ピリポは口を開き,この聖句から説き起して,イエスのことを宣べ伝えた。』信仰を持つた閹人の願いに応じて,ピリポは彼に水の洗礼を施しました。
32 その閹人は,エチオピヤでどんな仕事をしましたか。しかし,ピリポはどんな使命を行いつづけましたか。
32 閹人は御霊の奇跡的な賜物を受けませんでした。しかし,この閹人が神の御霊で産み出され,天的な御国でキリストと共に共同相続者になるために,使徒の働きは必要ではなかつたのです。洗礼を受けたその閹人は,おそらくエチオピヤで,献身して洗礼を受けたすべてのクリスチャンに命ぜられている福音宣明の仕事をしたことでしよう。しかし,ピリポは福音宣明の使命に派遣された者としての旅行をつづけました。『ピリポはアゾトに姿をあらわして,町々をめぐり歩き,いたるところで福音を宣べ伝えて,ついにカイザリヤに着いた。』(使行 8:26-40,新口)彼は,後のテモテに命ぜられたように,宣教者の仕事をしました。―テモテ後 4:5。
『終りの時』の良いたより
33 今日の特別な福音宣明のわざは,イエスによりどのように予告されましたか。そして,誰により彼の預言は成就されていますか。
33 今日,私たちは特別な福音宣明のわざをする時に生活しています。それは,この世の終り,すなわちこの組織制度の終りについての預言の中で,イエスが予めに告げたわざです,『この御国の福音(又はルーテル訳では良いたより)はすべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)この預言は,福音を宣明する御使たちによつて成就されていますか。ヱホバの御使ガブリエルによつて成就されていますか。あるいは人間イエスの誕生を羊飼に告げた御使または『いと高き処では神に栄光があるように,地上の善意者のあいだには平和』と言つた御使の大軍によつて成就されていますか。否であります。西暦1914年以来,御使が現われたことを示す証拠はありません。その年に『苦難の最初』は諸国民に降りかかりました。それでは,第一次世界大戦が終了して以来,誰がイエスの預言を成就していますか。その預言は,人類の歴史上かつてないいちばん大きな福音宣明のわざです。それはヱホバの証者によつて成就されています。ヱホバの証者は175の国々やそれ以上の国と島々で,神の設立された御国の良いたよりを全地にわたつて伝道しています。彼らは合法の僕および行政の僕であるペンシルバニヤ州のものみの塔聖書冊子協会の85の支部の下にあつて働いています。
34,35 (イ)今日,私たちは『人々の賜物』として何を持つていませんか。しかし,私たちは福音を宣明する宣教者をどのように持つていますか。(ロ)宣教者生徒の最大の卒業式はいつ行われましたか。どんな状況の下で?
34 今日,キリストの12使徒とか,霊感を受けるクリスチャンの預言者とか,また使徒との交わりを持つていたピリポとかテモテのごとき福音宣明者というような『人々の賜物』はありません。しかし,福音を宣明する宣教者は存在しています。どのようにそうですか。
35 1943年,ヱホバの証者はニューヨーク州に宣教者を訓練する学校を設立しました。その主要な学校の建物は,『証しの塚』という意味のギレアデと呼ばれたことから,その学校はギレアデのものみの塔聖書学校と呼ばれました。この学校は,1943年2月1日以来,現在にいたるまで毎年二つの群れの福音宣教者を卒業させてきました。1958年の夏,ギレアデはいままでの卒業式の中で最大の卒業式を行いました。これは1958年の7月27日,日曜の午後ニューヨーク市のヤンキー野球場で103人の奉仕者生徒で成り立つ31回生の卒業式でした。この31回の級には64の国々や島々からの生徒が来て,彼らは52の国々で福音宣明の仕事をするよう任命されました。ヱホバの証者の神の御心国際大会に出席した18万291人の代表者たちは,ヤンキー野球場と近くのポロ野球場の両方に溢れ出ました。その聴衆の前で,多くの講演者は卒業証者を頂く前のこの卒業の級に話をしました。講演者のひとりは,宣教者すなわち特別な奉仕の任命を受けて派遣される福音宣明者についての前述の論議に適切な次の講演をしました。
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支配している神の御国の宣教者ものみの塔 1959 | 8月15日
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支配している神の御国の宣教者
1 ギレアデから卒業したそれらのクリスチャンたちは,何として派遣されましたか。しかし,多くの場所の敵共は,彼のことを何と呼びますか。
あなた方クリスチャンたちは,この卒業の後に使命を帯びて派遣されるでしよう。それで,あなた方は宣教者なのです。なぜなら,基本的に言つて宣教者とは使命を帯びて派遣される者だからです。使命とは,人が代理者として行うよう課せられた仕事であつて,その人を派遣する理由となるものです。たいていの場合,宣教者は自分の宗教的な信念を異教の地または新しく開拓した所で拡張するために遣わされる者,という意味です。この事実から,宣教者という言葉は単なる宣伝者を意味するようにもなりました。多くの国々で,敵はギレアデのものみの塔聖書学校の卒業生をクリスチャン宣教者と呼ばず宣伝家と呼んでいます。
2 なぜそれらの卒業生が,派遣される使命を留意することは良いことですか。なぜ私たちは,カイザル・ウイルヘルム2世がかつて話したような種類の宣教者になりたいとは欲しませんか。
2 あなた方は,派遣される使命をいつでも留意するべきでしよう。そのとき,他の種類の宣教者からはつきり区別することができるのです。多くのちがつた種類の宣教者がいます。ドイツのウイルヘルム2世皇帝がドイツ帝国を第一次世界大戦に介入させる10年前に,彼はドイツのブレーメンで語りました。1905年3月22日に行われたこの演説で,ウイルヘルム皇帝は臣下であるドイツ国民全部に話しかけてこう語りました,『神は世界を文明にするため我々を呼んだ。我々は人間進歩の宣教者である…我々は地の塩である。』a さて,今日の私たちは帝国主義的なドイツの『人間進歩の宣教者』に恩をこうむつていますか。すべての人に恩恵をもたらす仕方の中に,彼らは世界文明を進歩せしめましたか。『地の塩』である彼らはその力を保ちましたか。あるいは無くしましたか。また地を保つ代りに地を荒廃せしめましたか。第一次世界大戦と今日にいたるまでの影響は最善の答を与えています。正常な心を持つ人なら,どの国であろうと,その種類の人間的な進歩,物質主義的な進歩の宣教者に恩を感ずる人はひとりもいません。私たちはその種類の宣教者になりたいとは欲しません。
3 宣教者は,どのように利用されましたか。異邦の原住民は,宣教者が伝道する通りにしていないと,どのように指摘しましたか。
3 過去において英国の宣教者や他の宗教的な宣教者は,いろいろの場所を開拓して,その場所の人々の信用と好意を得ました。しかし,宣教者は商業主義の手先および原住民を搾取するための前進的な機関として利用されるようになりました。それらの宣教者は聖書の教えをなくしました。また聖書とか,クリスチャン生活にたいする聖書の標準を十分に理解せず深い認識を持たなかつたのです。正直な心を持つていた原住民たちは,その宣教者たちの教えと生活,および聖書のあいだの食いちがいをすぐに見つけました。1897年,チャールス・ティー・ラッセルの書きあらわした『ハルマゲドンの戦』(英文)という本の72頁には,次のようなことが記されています,つまり異邦人のある者はクリスチャンの聖書を宣教者たちの前につきつけて,『あなた方の行いは,あなた方の聖書と合つていない』と言うのです。インドの一婆羅門は,『ひとりの宣教者に手紙を書きおくつたと言われる。そして「我々はあなた方を知り出している。あなた方はあなた方の本ほど良くない。あなた方が,あなた方の本ほどに良いものであるなら,あなた方は5年以内にインドを征服するであろう。」』
4 宣教者がどんな行いをすることは,悪い行いですか。彼らはどのようにそのクリスチャンの目的を悪用することができますか。
4 このことから,私たちは次のことを深く心に銘記することができます,すなわちキリスト教と言われる宗教の宣教者が自分の国の世俗主義を,キリスト教に改宗しようとする外国なり地方にたずさえることは,極めて悪い行であるということです。また宣教者が,その宣教の地で悪い行いや,不道徳な行いをするなら,それも悪いことです。そのような行いはその宣教の地では当然の習慣として受け入れられていても,聖書の教えでなく,ヱホバの証者の新世社会の教えでもありません。宣教者は,意識的にもせよ,または妥協をするためにせよ,あるいは無実であるにせよ,もし商業主義と搾取の道具として用いられるなら,その宣教者は自分のクリスチャンの目的を悪用しているのです。宣教者は,思いがけず不意に発見する商業的な機会につけこむため外国の地に行きません。また,神から与えられた仕事を止めて,物質的な利得をはかる利己的な企業というものをいたしません。宣教者がそうするなら,それは自分の使命を軽んじていることになります。彼はクリスチャン宣教者でなくなります。彼の訓練はむだなものでした。彼は,派遣した者たちの期待を裏ぎりました。
5 インドに派遣された著名なアメリカの宣教者が,最近死んだのちに,ニューヨーク・タイムス紙は彼についての賞賛の言葉を,どのように述べましたか。
5 最近(1958年6月15日),ニューヨーク・タイムス紙の社説欄は,『宣教者とは何か』と題する記事を出版しました。その記事は,前の週に死去したインドに派遣されていた著名な宣教者について述べていました。その記事によると,彼は『インドに派遣された我々の宣教者のうち最もぬきん出たもの,そして最も成功をおさめたひとりである。彼はインド人,英国人,そしてアメリカ人により尊敬され,愛された。彼は君侯の信用を受け,質朴な村人にとつては聖人であつた。ヒンヅー教徒,回教徒,パーシス教徒,ジャハッツ教徒,ジャイン教徒そしてクリスチャンたちは,彼を崇めた。モハンダス・ケー・ガンジーは彼の仕事を擁護し,全インドからの人々は彼の仕事を見るために来た。』あなた方宣教者たちは,インドに派遣されたこの著名なアメリカの宣教者を御存知ですか。
6 タイムス紙の社説によると,なぜ彼は,インドでそれほどまでに尊敬と相談を受け,ひろく愛せられましたか。
6 なぜその人は,あらゆる種類の人々により,それほどまでに尊敬され,敬意を表せられ,相談をうけ,そして愛せられましたか。タイムスの社説は,次のように答えています,『彼がインド人に教えていたものは(何ですか。聖書ですか。いいえ),アラハバッドの農楽大学で等高耕作と輪作のようなものであつた。彼は家畜を選択して飼育することを強調した。彼は空腹に対する戦いで大きな仕事をなしとげた。彼は,それぞれの環境内でどのように生活を良くするか,そして遂にはどのように生活を変化すべきであるかを若い人々に教えた。彼は口で説くよりも行いでもつて教えたのである。彼は自分の宗教的な信仰以外の他の宗教的な信仰を理解し,尊敬した。彼は信用されたのだ。』イエス・キリストにならつたというようなことについては一言も述べられていません。イエス・キリストは,いろいろの場所に行き,公にもまた人々の家庭でも霊的な事柄について教えたり,伝道したりしました。その霊的な事柄は,人々をクリスチャンに改宗せしめ,そして急速に近づいている神の新しい世で人々に生命を得させるでしよう。
7 そのような宣教者の必要について,タイムス紙は何と言いましたか。しかし,誰はそのような宣教者を必要としませんか。またそのような必要に応ずるための訓練を与えませんか。
7 タイムス紙の社説は,次のように結論しています,『我々はその種類の宣教者を多く必要としている。そのような宣教者を見出すことはやさしいことではない。しかし,エッチ博士の記憶はたえず我々に対する挑戦となるであろう。』現在『その種類の宣教者を多く』必要としている者は誰ですか。ものみの塔聖書冊子協会ではありません! ヱホバの証者の新しい世の社会ではありません! たしかに,ギレアデのものみの塔聖書学校の所在している御国農場で,卒業して行くあなた方宣教者の多くの者は放課後いちごをつんだり,他の農業の仕事をしたり,また牛小屋で手助けをしました。しかし,ギレアデの聖書学校は宣教の任命地で『その種類の宣教者が多く』必要になつているからという理由で,農業の仕事をしたり,酪農の教育をする訓練を施しましたか。進歩のおそい国々で西洋に対する経済的な戦いを行つているロシヤの共産主義者でさえ,共産主義の宣教者として,その種類の教育者を送ることができ,そして現に送つているのです。
8 共産主義者たちは,ギレアデの宣教者たちが訓練をうけたわざを行い得ないと,どのように証明しましたか。これらのギレアデ卒業生が得がたい宣教者であるのはどういうわけですか。
8 しかし,経済的な計画を押しすすめているロシヤの共産主義宣教者は,あなた方宣教者がギレアデで訓練を受けた特定なわざをすることができますか。ある共産主義者の間諜は,鉄のカーテンの背後にあるヱホバの証者の地下制度の中に潜入しようとする目的で,そのことを偽善的に努めました。しかし,それらの間諜は,自分の正体をばくろして,失敗しているのです。あなた方宣教者たちは,インドに派遣されて物質的な面で有名になつたそのキリスト教国の宣教者をあなた方に対する『絶えざる挑戦』と考え,あなた方も同様なことをしたいと考えますか。それを『挑戦』と考えず,むしろ避けねばならぬ警告とあなた方は考えます。それは,聖書の明確に述べる使命を専心して行うためです。実際のところ,あなた方こそ『探すのに容易でない』宣教者です。あなた方は自分の家や母国を去つて,徹底的な学校訓練を受けるためにギレアデに行き,そしてこの広い世界のどこへでもいちばん必要と思われるところならどの場所でも,ものみの塔協会の派遣する場所へ行くからです。それは,『すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によつて,彼らにバプテスマを施し,あなた方に命じておいたいつさいのことを守るように教えよ。』という仕事をするためです。―マタイ 28:19,20,新口。
9 『宣教者』と訳された言葉は,実際にはどういう意味ですか。私たちは,誰のごとき宣教者をさらに多く必要としますか。
9 あなた方は,真の意味でクリスチャン宣教者である者の真実の使命を知つています。あなた方は,宣教者(ある現代の翻訳の中で)と訳されているこの言葉は,実際には『福音宣明者』という意味であることを知つています。ちようど弟子のピリポのごとく,また広く旅行した使徒パウロのごとく,良いたよりである福音を持つている者です。ピリポやパウロの記憶は,宣教者がどんなものでなければならないかという点で,あなた方にとつて『絶えざる挑戦』です。私たちは彼らのような宣教者をさらに多く必要とします。私たちは,あなた方を見出したことをよろこんでいます。そして,あなた方がピリポやパウロそしてテモテのごとき宣教者になるためギレアデの教訓と訓練を心から進んで受けたことに,私たちはよろこんでいます。パウロは,告別の言葉でテモテにさとしました,『宣教のわざをなし,あなたの奉仕を全うしなさい。』― テモテ後 4:5,新世。
10 クリスチャン宣教者の使命は,どのように経済援助計画ではありませんか。
10 クリスチャン宣教者の使命は後れているいろいろの国々や,劣つている国々に経済的な援助の計画をすることではありません。私たちの使命は,神の聖なる御言葉に示されているごとくさらに重要な宗教的な授助の計画です。全国民の羊のような人々にイエスが山上の垂訓の中で教えた事柄を教えるのです。すなわち,地上に宝を貯えることを止め,何を食べ何を飲み,何を着ようかというような物質的の必要物について必配するのを止め,むしろ『まず神の国と神の義とを求め』つづけるとき,これらの必要なものを備えていただくよう天的な御父に頼ることです。(マタイ 6:19-33)私たちの宣教者は,永遠の生命を得せしめるこの教育のわざをいたします。私たちの宣教者は,その地の人々の用いる言葉で,そのことをしようと努めます。それは,彼らを理解するためであり,また彼らが宣教者を理解するためであります。
11 原住民の言語で仕事を行うことの増加した結果について,ニューヨーク・タイムス紙はどのような論評を述べましたか。
11 その地の人々の用いる言葉で仕事をする結果は,ますます痛感されています。アメリカの一社説記者は,次のように語つています。すなわち経済援助の戦争で共産主義者の挑戦に対処するため,アメリカの経済援助の計画は,共産主義者の手腕でもつて行われねばならない,そして原住民の言葉で行われ,原住民の生活程度と同じになつて行わねばならない,というのです。それから,その社説記者は次のように述べています,『たとえば,ソビエトの技術者たちは原住民の言葉を語り,原住民と同じ程度の質素な生活をしている。それでは,なぜ我々はビルマ人の言葉を話し,彼らと同じ程度の質素な生活をいとわない技術者たちが送れないのか。アメリカ人たちは,ねたみと憎しみをひき起す「ぜいたくな場所」でいつでも生活しなければならないのか。』― 1958年7月7日,ニューヨーク・タイムス紙。
12 その面において,ギレアデの卒業生は『この組織制度の子ら』に劣らない賢明さでどのように行いますか。
12 このようにすることは,賢明に行うことです。なぜなら,私たちは望んだ通りの結果を得るからです。イエスは,先のことを見透して良く準備して行うことについての特定なたとえ話をされてから,次のようにつけ加えました,『この組織制度の子らは,時代の実際的な仕方では光の子らよりも賢明である。』(ルカ 16:8,新世)ギレアデのものみの塔聖書学校の卒業生は,物質主義的な目的を果すこの組織制度の子らよりも劣つたはたらきをなし,宣教の仕事でクリスチャンの目的を果す光の子らが賢明さにおいては劣る,というようなことがあつてはなりません。そのクリスチャンの目的は,ヱホバの正しい羊飼,イエス・キリストの『他の羊』全部を全国民から集めることです。ギレアデの生徒はギレアデの聖書学校にいる時から,宣教任命地の原住民の言語を十分に話せるだけの良い基礎の準備研究をするか,または宣教の任命地に到着して直ぐ後に彼らは新しい言葉を実際に使用するためはげしい訓練を受けます。彼らは心地良くて簡素な宣教者の家で生活して,宣教という激務をいたします。しかし,宣教者の家で安易な生活をするため,または救いをもたらす御国の音信を伝えるため,原住民をして宣教者の家に来させるとか,また御国会館に来させるようなことをしません。
13 (イ)ギレアデ宣教者は,どの程度まで原住民と同じ水準に下りますか。(ロ)宣教者の与える聖書の真理は,信ずる原住民にどんな力を及ぼしますか。与えられる訓練は,何にみちびきますか。
13 人々を来させることとは逆に,あなた方宣教者は人々のところ,人々の家庭に出かけます。そして,人々に聖書の真理を伝えて感銘を残すため,人々と同じ水準で仕事をいたします。ギレアデで楽しんだ現代の快適な生活とか,あるいは宣教者の家で或る程度まで楽しむ快適な生活で,甘い考えを持つてはなりません。イエスの行われことを想いおこすでしよう,彼はこう言われました,『きつねには穴があり,空の鳥には巣がある。しかし,人の子にはまくらする所がない。』(マタイ 8:20,新口)それで,伝道を受ける原住民は,キリストのごとき宣教者がキリストにならつているのを見るでしよう。彼らは感銘を受けます。彼らは宣教者と聖書のあいだの調和を見ます。彼らは宣教者のつじつまの合わぬ行いでつまづくということがなく,さまたげもなしに神の御言葉を受け入れることができます。原住民が聖書の真理を受けいれるとき,彼らの人格を変化させる力を生ずるだけでなく,家庭の状況や環境を改善して,聖書と神の見える制度の高くて清い健全な標準と一致させようとします。さらに,彼らは宣教者から訓練を受けて,訓練されたヱホバの証者として出かけ,同じ言葉を話す同胞の国民に生命を与える真理,そして生活を変化せしめる真理を伝道します。
14 宗教について,ギレアデの宣教者は何を尊敬しますか。しかし,原住民をよろこばすために彼らはどんな妥協をしませんか。
14 ギレアデの宣教者は,原住民の選ぶ崇拝の自由を尊敬します。しかし,正しい宗教すなわち聖書の宗教が何であるかについては妥協しません。彼らは人々の利己的な気持にうつたえて,改宗させるための目的で,物質的な恩恵を約束せず,また提供しません。彼らが人々にうつたえるものは,正義と真理の誠実な愛です。彼らは全部の宗教とまじりません。そして,救いに必要な事柄は宗教的な信念に誠実でさえあれば良いとか,私たちの崇拝する神は同じ神であつてただ名前がちがうだけとか,または儀式がちがうだけである,などと考えません。彼らは次のことに同意しません,すなわちすべての宗教のあいだに兄弟の関係があるということ,および創造主はただ御ひとりで生命を与える御方である故,私たちは宗教的な信仰や行いにかかわらず,みな兄弟であるという考えです。彼らは,神がすべての者の父であられることについては妥協しません。彼らは,聖書の次の教えにかたく従います。すなわち神はキリストを通して御自身に来る者そして天的な御父に献身する者だけの父である,ということです。
15 マサチューセッツ州大学の卒業学生の集会で語つた講演者の指摘したごとく,『人間の兄弟関係』を人類に呼びかけても,なぜそれは成功しませんか。
15 神はすべての人の父である,というような不たしかなことを教えたり,また創造者は御一人である故すべての人は兄弟の関係であると教えたりして,人類全体に呼びかけても,それは成功しませんでした。また決して成功しないでしよう。なぜですか。なぜなら,それは人々の宗教的な態度,信仰,そして行いを無視するからです。一般的に広い兄弟関係の必要は,今日つよく感ぜられています。マサチューセッツ州,アムハストにあるマサチューセッツ大学で卒業の学生に対する一連の集会が開催され,インドとパキスタンにおける国際連合の代表者エフ・ピー・グラハム博士は,主要な講演者でした。彼は現在の原子時代における一般的にひろい兄弟関係をうながしすすめ,これだけが核爆弾による人類の滅亡を救うものであると,語りました。しかし,ニューヨーク大学の哲学者,シドニー・フック博士は,神を否定する考えが存在しているかぎり,この理論は実際的でないと反駁しました。彼の語つた言葉は,次のようです,『あなたが交渉している人々の中のある者は,神を信じていないのに,どうして人間が兄弟であるとか,神が父であるなどと言えますか。』それで,宗教的な根拠に立つて事柄を取り扱うよりも,科学的な根拠に立つて事柄を取り扱う方がはるかに効果的であると,彼は考えました。かりに,私たち全部が理想的な教育は何であるかについて同意したにせよ,『盟約に従おうとしない者の非妥協的な態度から判断すると国際連合の直面している問題には,すこしの影響をもおよぼさないであろう。』(1958年,7月15日,ニューヨーク・タイムス紙)それで,この世の考えや理論,キリスト教国の考えや理論でさえも,うまく行われず,実際的ではありません。
16 なぜ兄弟関係は,この世に可能ではありませんか。それは実際の行いをする誰により可能であると証明されていますか。そして,なぜ?
16 しかし,人間の兄弟関係は,人種が違おうとも国家が違おうとも,言語や皮膚の色が違おうとも,現在において可能であり,実際的なものです。それは肉と血のむすびつきによつて,可能になるのでなく,神の御霊と御言葉により可能です。そのわけで,この世は人々のあいだ,およびこの世の人々のあいだにかたく結ぶ人間の兄弟関係を建ておこすことが決してできないのです。この世は,兄弟関係の基礎として神が自分たちの父であることを正しく主張できないからです。この世はこの組織制度の神である悪魔が父であることを示しています。イエスに反対した者たちが,『私たちにはひとりの父がある。それは神である』と言つたとき,イエスは次のように答えました,『あなた方は自分の父,すなわち,悪魔から,出てきた者であつて,その父の欲望どおりを行おうと思つている。…神からきた者は神の言葉に聞き従うが,あなた方が聞き従わないのは,神からきた者でないからである。』(ヨハネ 8:41-44,47,新口)兄弟関係は,この世には可能でありません。しかし今日神の言葉に耳を傾ける者には可能です。そのわけで,父なるヱホバ神の下にあるこの霊的な兄弟関係は,世界中を取りかこむヱホバの証者の新しい世の社会によつて実現され,享受されています。
17 ギレアデの宣教者は,ヱホバ神の下にある真の兄弟の関係を,どのように拡大しますか。
17 あなた方宣教者は,私たちの天的な御父ヱホバ神の下にあるその兄弟関係を拡大するために出かけて行くのです。あなた方は神の言葉に耳を傾ける者たちを探すために出かけて行きます。かくして,これらの者たちは愛のみちる兄弟の関係に入ることができます。しかし,この目的のために,これらの羊のごとき人々が聞く事柄は,真実に『神の言葉』,聖い言葉である聖書の教えでなければなりません。それは,これら他の羊がただひとりの天的な御父ヱホバを認めヱホバの下にある,ただひとりの指導者イエス・キリストを認めることができるためです。私たちがみな神の同じ言葉に耳を傾けるなら,私たちはひとつの思いとひとつの心を持ちます。私たちはみな同じ精神を持ち,同じわざを行うことができます。
18 これらの宣教者は実際には誰により遣わされますか。彼らは洗礼者ヨハネよりも,どれほど高い特権を持つていますか。
18 これはあなた方の使命です。これは,宣教者としてのあなた方の仕事です。そして,考えてごらんなさい。あなた方は支配している神の御国により宣教者として派遣されるのです。あなた方はなんという名誉を持つているのでしよう! 全く,あなた方宣教者は,いちばん高い地的な政府よりもはるかに高い政府の代表者として遣わされるのです。いまから19世紀のむかし,洗礼者ヨハネは,将来の王イエスが人間として来られるということを発表する特権にあずかりました。その見地に立つたヨハネは,『天の御国は近づいた』という耳目を驚かす言葉を荒野にひびき渡らせたのです。ヨハネの持つた公式な名誉と特権から判断すれば,その時以前の預言者で洗礼者ヨハネよりも大いなる預言者はいないと,イエスは語りました。(マタイ 11:11)しかし,あなた方宣教者たちは,支配している王,イエス・キリストを諸国民のあいだに発表し,紹介するという名誉を持つているのです。イエス・キリストは,不滅の方,神のごとき霊者,神の栄光を反映する方です。そして,すべての御使の名に『まさる名』を持つているのです。(ヘブル 1:3,4)あなた方は,洗礼者ヨハネよりはずつと高い特権を持つているのです! この奉仕の名誉は,宣教者のわざを尊いものにいたします!
19 いちばん貧しい家々の中で働いても,なぜ彼らの品位はひくくなりませんか。しかし,どのようなことをするとき彼らはそれをひくくしますか。
19 宣教の任命地で多くの人々は,きわめて貧しい家屋で生活しています。あなた方は,そのような家屋の中で働かねばならないでしよう。しかし,そうしたところであなた方の品位はなくなりません。たとえ政府の大使館とか,領事館,そしてこの世の支配者や政治代表者の宮殿に行かず,貧しい人々の見すぼらしい家々に行く場合でも,あなた方の御国の品位をおとすとか,軽んずる,または駄目にするということはありません。いま支配している王イエスは,地上にいたとき身分の低い貧しい,虐げられた人々のあいだに行きましたが,御自分の品位を低めませんでした。同じくあなた方も自分の品位を低めません。あなた方が従順にも,また愛の気持から,いま支配している神の御国を宣明しつづける限り,最も見すぼらしい場所であろうと,あなた方の御国の品位をひくくしません。あなた方が悪を行うなら,不道徳をするなら,この世的になるなら,そして支配している神の御国が表わし示す高貴な標準を支持しない時のみ,あなた方は御国の品位をひくくし,きずつけます。そのようなことをするのは,貴重な政府に仕えるあなた方の奉仕を失うことになります。
20 それらの宣教者たちが何の認識を増し加えるように祈りますか。そして,『他の羊』が何の認識を増し加えるように祈りますか。どんな目的のためですか。
20 あなた方がこの奉仕を失うなどということは決してないように。あなた方の御国宣教の高い名誉についての認識が,さらに増加しますように。そして,あなた方が宣教の任命地で奉仕する神権政府について,『他の羊』の認識が増加しますように。そのような認識により,あなた方が正義と清い道を保ちつづけ,天的な政府につねに忠実を捧げ得ることができますように。パウロがおこなつたごとく,あなた方は真の使命を果してふさわしく歩くことにより,あなた方の宣教をあがめることができますように。(ロマ 11:13)あなた方宣教者たちの全部が,この世の国々がなくなる時まで,そして神の御国が永遠の新しい世で勝利の支配をする時まで,王の支配する政府の奉仕を行いつづけますように。
21 私たち献身したすべての者は,今日どんな高い名誉を持つていますか。このことに関連して誰が特別に幸福ですか。
21 卒業して行く宣教者たちに告げた前述の話から判断するとき,嘆き悲しむ人類に全宇宙の最善のたよりを伝える真実の福音宣明者になることは,今日なんという高い名誉なのでしよう! それは設立した神の御国のたよりです。この御国はいま天で支配しており,この地上から,死をもたらすサタンの支配を取りのぞき,そして神の女のすえにより全国民の善意者たちに祝福をもたらします。これは『永遠の良いたより』です。それが全人類のあいだで伝道されることは,大いなる福音宣明者ヱホバ神の御こころです。いま,それに参加する人々の特権は極めて高いものです。ギレアデの宣教者訓練学校の卒業生のごとく,自分の生活を調整して,福音宣明者になり,今までのたよりの中,最善のたより,すなわち神の御国についての最善のたよりを伝えるために全時間を捧げる人はみな非常に幸福であります。神の御国は永遠にわたつて栄光の中に支配しつづけます。
[脚注]
a 「アメリカナ百科辞典」28巻,281頁,イ
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「御心が地に成るように」(その16)ものみの塔 1959 | 8月15日
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「御心が地に成るように」(その16)
『最高至上者の御こころを実施する王』イエスは,ベツレヘムでユダヤ人の処女から生まれました。彼は,ヱホバ神が永遠の御国に関してダビデ王とむすばれた契約の永久の相続者になるべきでした。イエスはナザレで成人しました。彼の先駆者である洗礼者のヨハネが,天の御国は近づいたと伝道しはじめたとき,イエスは御国の相続者として姿を現わす神の予告せせられた時であると知りました。彼は首都のエルサレムに行かず洗礼をうけるためヨルダン河のヨハネのところに行きました。そこでヨハネはイエスに洗礼を施しました。イエスがヱホバの律法に対する罪の悔い改めをしている罪人なることを象徴するためでなく,彼が神の御こころを行うために来たことを象徴するものでした。イエスは,洗礼を受けた後,神の御こころと自分の意志力を一致させようと,たえず努力しました。
22 ヨハネの洗礼は,一般的に言つて何のしるしでしたか。特にイエスの洗礼は,何のしるしでしたか。それで,何のためにイエスは神に献身しましたか。
22 魂を揺り動かすこの事実を心に留めねばなりません。すなわち神がヨハネにより始められた水の洗礼は,天の御国が近づいたことを示すしるしでした! ヨハネがイエスに洗礼を施したことは,神の御国が近づいたことを示すものでした。全くのところ,イエスが水の洗礼を受けて後に神の霊が彼の上に降つて来たときその御国はユダヤ人の只中に存在するようになつたのです。そのとき神ご自身は聖霊によつて御子に洗礼を施しました。イエスが神のみこころをする為に洗礼の場所に来て,水の洗礼により自分の献身を象徴したことは,神の御国に向つてイエスが一歩進んだことになりました。彼はナザレにおける大工の仕事を止めました。彼は今,ヨハネの宣明していた天の御国の事柄に奉仕するために来ました。彼は,その御国に表わし示された神の宇宙的な主権のために自分自身を献身しました。
23 イエスのときに始まつた洗礼は,悔い改めていたユダヤ人に対するヨハネの洗礼とは,どのような面でちがつていましたか。
23 イエスのときに始まつた洗礼は,モーセの律法を破つた罪人ユダヤ人の悔い改めのためのヨハネの洗礼とはちがつていました。イエスに始まつた水の洗礼は,彼と彼の天的な御父を信ずるすべての者の洗礼です。その信者たちは,神の御こころをするためにキリストのごとく献身いたします。それは『父と子と聖霊との名』を認めてなされる洗礼です。(マタイ 28:19,新口)それは神の御国に関連して啓示される神のみこころを行うために,宇宙の主権
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