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モアブ碑ものみの塔 1962 | 1月15日
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モアブ碑
「モアブの王メシヤは羊の飼育者で,十万の小羊と,十万の雄羊の毛とを年々イスラエルの王に納めていたが,アハブが死んだ後,モアブの王はイスラエルの王にそむいた」。(列王紀下 3:4,5,新口)モアブの王メシヤのこの反逆は,聖書以外の古代の書き物で,モアブ碑と呼ばれている石碑によって証明されています。碑文は,聖書のベブル語とは少し異なった方言で書かれており,メシヤ王がこの反逆を記念する積りもあって建てたものです。この石碑は,1868年に,モアブの領内で発見されました。ジェームス・ビー・プリッチャードは,これについて,「考古学と旧約聖書」の中につぎのように書いています。
「モアブ碑と呼ばれるカナン人の石碑は,聖書の歴史の最も顕著な詳述である。モアブ碑は,90年まえ,死海の東岸を約半分ほど北上した所の,トランスヨルダン地方のディバンというアラブ人の村で見つけ出された。この有名な黒玄武岩の厚板には,モアブの王メシヤの戦争と建設計画の記録が刻まれている。…碑文は34行の長いもので,一人称単数で書かれており,モアブの王メシヤの,イスラエルの王オムリの家に対する勝利についての,いく分誇らしげな詳述で始まっている。…
「敵イスラエルが勝利を収めたのは,メシヤの神が彼の国に対して怒りを抱いていたためであったとメシヤは説明している。『イスラエルの王オムリにつえて言えば,彼はいく年もモアブを押えていた。それはケモシが自分の国に対して怒っていたからである。オムリのあとを継いだ息子もまた,「私はモアブを卑しめよう」と言った。彼は私の時代にこう言ったが,私は彼と彼の家を打ち負かした。そしてイスラエルは永久に滅びたし』。
「メシヤは,彼の神ケモシから戦いの方法を指示された。〔彼はそう言っている〕彼の神が彼に勝利を与えた時彼は ― 碑文には,エリコの戦利品をヤウエにささげたヨシユアに関するヘブル人の記録に出てくるのと同じ言葉が使われている ― ネボの町のすべての住民を彼の神アシユター・ケモシに『ささげた』。ネボを攻略した時の事をメシヤは記述している。『そしてケモシは私に言った,「行って,イスラエルからネボを取れ!」 そこで私は夜に乗じて行き,あかつきから正午にかけてネボを攻め,それを攻略して7000人の男,少年,女,少女,はしためをすべて殺した。それは私が,彼らを殺して神アシユター・ケモシにささげることを約束したからである。また私はそこから,ヤウエ〔エホバ〕の…を取って,ケモシの前に引きずってきた』。パレスチナの外で,イスラエルの神の名ヤウエが正しく述べられているのは,この短い節の中だけである」。
モアブの王は全くおごりたかぶっていました。彼の誇りに満ちた言葉は,モアブの偽神ケモシが,真の神エホバに勝ったことを示しているように思えるかもしれません。しかし,モアブ碑は,事のすべてを述べてはいないのです。メシヤが反逆したあと,イスラエルの王ヨラムは,ユダの王ヨシャパテの加勢を得て,モアブを遠征しました。しかしながら,この同盟軍は,乾燥した荒野で,水不足のためにほとんど全滅にひんしました。この危機に臨んでヨシャパテは,預言エリシヤを呼びました。エリシヤはエホバは,ヨシャパテのためだけに,モアブに対する戦いにおいて助けを与えられるであろうと説明しました。エリシヤはイスラエルの王に言いました,「わがつかふる萬軍のヱホバは活く我ユダの王ヨシャパテのためにするにあらずばかならず汝を顧みず汝を見ざらんものを」。エホバはモアブを打ち負かされるであろう,「これはエホバの目には小さい事である。彼はモアブを確かにあなたの手に渡される」とエリシヤは言いました。エホバの約束された通り,モアブ人は屈辱的な敗北をなめました。―列王紀下 3:14,18,新世。
偽神ケモシは,モアブを救うことができませんでした。そして,メシヤ王の書いたモアブ碑の言葉も,モアブに対するエホバの勝利をかくすことができません。なぜなら聖書は,多くの預言を記録しており,歴史はそれらの預言が成就したことを証明しているからです。エレミヤは言いました,「モアブはヱホバにむかひてほこりしゆえに〔モアブ碑にあるメシヤのように〕滅ぼされて再び国を成ざるべし。ああわざわひなるかなモアブよケモシの民は亡びたり」。またゼパニヤはこう預言しました,「この故に万軍のヱホバイスラエルの神言たまふ我は活く必ずモアブはソドムのごとくになりアンモンの子孫はゴモラのごとくにならんこれは共にいらくさのはびこるところとなりしほあなの地となりてとこしえにあれはつべし。…この事の彼らに臨むはそのたかぶりによる即ち彼ら萬軍のヱホバの民を嘲りて自から誇りたればなり」。―エレミヤ 48:42。ゼパニヤ 2:9,10。
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妥協しない!ものみの塔 1962 | 1月15日
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妥協しない!
「因襲というものの小指一本でも入れさせたら,その怪物全体が ― 角も尾も何もかも ― はいりこんでくることを私はよく知っている」。―トーマス・アーノルド。
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読者よりの質問ものみの塔 1962 | 1月15日
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読者よりの質問
● 姉妹が,献身している兄弟 ― 夫ではない ― の前で祈るとき,頭にかぶりものをつけることは必要ですか。そのような状況の下で,たとえば彼女を訓練している会衆のひとりのしもべの前で聖書研究を司会するときあるいは巡回のしもべがいっしよに行くとき,あたまにかぶりものをつけることが必要ですか。―アメリカの一読者より。
献身している大人の男子のいるところで献身している婦人が祈りをささげる理由はすこしもないでしょう。(コリント前 11:3)ブルックリンのベテルの家では,姉妹が家族を代表して祈りをささげることは一度もありません。会衆や家庭で献身した大人の男子がいるかぎり,彼が他の者たちを代表してエホバ神に祈りをささげるべきです。献身していない夫が妻に祈りの言葉を言ってもらいたいとのぞむなら,彼女は祈りをささげることができます。しかし,彼女は彼のかしらの地位を尊重して,かしらを覆うべきです。(コリント前 11:5,10)夫が不在で,献身した男の子たちが在宅のときも,母親は祈るときにかしらを覆わねばなりません。そのようなときには,彼女は自分自身が祈りをささげるか,または献身している息子のひとりに祈りをしてもらうかを適宜に判断して決定することができます。しかし,洗礼を受けていない息子が献身している家族一同を代表して祈りをささげるようなことがあってはなりません。献身している母親と献身している娘たちだけが在宅しているとき,母親は献身している娘のひとりに祈りをしてもらうように頼むことができます。そのような場合,かしらを覆う必要はありません。
しかし,質問の中に述べられているように献身した兄弟の前で姉妹が家庭聖書研究を司会する場合があるでしょう。また,姉妹が,洗礼を受けたばかりの兄弟,そして援助を必要とする兄弟の家庭聖書研究を司会することがあるでしょう。そのときはどうしますか。そのような場合,献身した兄弟が祈りをささげるべきです。姉妹はかしらを覆って研究を司会することができます。彼女は神権制度に対する敬意からこのことをします。なぜなら,彼女と同じく彼も神の会衆の一員であって,会衆内では男子が教えるわざをしなければならないからです。(テモテ前 2:11,12)献身している姉妹が献身していない夫と研究を司会するなら,あるいは献身していない夫の前で他の人と研究を司会するなら,同じくかしらを覆うべきです。このことは妻によって代表されている家族の前で聖書教育を与えるのは夫であるという事実を認めることです。
モーセの律法は,いろいろの仕方の中に男子がエホバの御前に持つ優先的な立場を,イスラエルの婦人に思い起こさせました。イスラエルの婦人は男のかしらの地位を忘れず,エバの犯したあやまりを避けることができました。エホバの契約の民を他の民族と区別させた身体的なしるしは,男子だけに適用するものすなわち割礼でした。また,母親が女の子を産んだときの不浄の期間は,男の子を産んだときより2倍も長いものでした。イエスが大群衆を奇跡的に養ったとき,彼の使徒たちは男子だけを数えました。「食べた者は,女と子供とを除いて,おおよそ五千人であった」「食べた者は,女と子供とを除いて四千人であった」。―出エジプト 12:48。レビ 122,5。マタイ 14:21; 15:38,新口。
同じくクリスチャン会衆内でも,かしらを覆うという準備によって,男子に対する婦人の神権的な地位は強調されています。その象徴的な意味の他に,それは調和と平和をもたらします。それによってクリスチャンの婦人が女性の影響を不当に行使することを防ぎ,またアダム,サムソン,ソロモン王およびテアテラの会衆内の男子たちのしたごとく,注意深いクリスチャンの男子が女性の影響にくっするのを防ぎます。―黙示 2:20-23。
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