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「エホバの証人への賛辞」目ざめよ! 1970 | 4月22日
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か。聖書は今が「終わりの日」であり,現在の邪悪な体制がまもなく終わろうとしていることを示しています。(テモテ後 3:1-5,新)今だれもが行ない得る最も重要な奉仕は,このことを人々に知らせることです。なぜなら,それは人々の永遠の福祉にかかわる事柄だからです。―エゼキエル 3:18-21。
宗教組織の会員を木にたとえたイエスは,言われました。「すべて善き樹は善き果をむすび,悪しき樹は悪しき果をむすぶ」。そしてこう警告しました。「すべて善き果を結ばぬ樹はきられて火に投げいれらる」。(マタイ 7:16-19)あなたの交わっておられる教会の会員を“木”にたとえて,吟味してください。それらの木は,神が求めておられる実を生み出していますか。
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必要なのは食物だけですか目ざめよ! 1970 | 4月22日
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必要なのは食物だけですか
懸命に働いて,かろうじて暮らしをたてている大ぜいの人にとって,食物以上に価値あるものがありますか
あなたは自分自身と自分の家族に必要な食物を得るため,毎日の大半を費やして働いておられますか。さらに多くの重荷を負って働かねばならないと考えておられますか。生活水準を高めるため,もう一つの仕事をも持たねばなりませんか。そのような人は決して少なくありません。
世界の人々の大半は生活に必要なものを備えるために一生懸命に働かねばなりませんが,そうでない人は,それが首尾よく行こうが行くまいが,概して無関心です。生きるために食物は不可欠だから,何よりも日々の糧を得ることを第一の目的にするのが現実的である,と多くの人は考えているようです。しかしそうでしょうか。
そうすることによって,当面の物質上の必要はまかなわれるかもしれません。しかしそれが実際的な生き方かどうかは疑問です。香港の新聞,スター紙,1968年12月19日号は,「働き過ぎは墓への道のりを縮める」と題する思い切った見出しのもとに,香港の住民の大半は家族を養うのに相当の苦労をしなければならないことを報じました。二つかそれ以上の仕事についたり,昼夜二交替の仕事をかけ持っている人もいます。ある医師は警告しました。「こうした状態は人々の健康をそこなうものとなるでしょう」。
よく考えてみてください。日々の糧を得ることに自分の時間のすべてを費やして,死を早めるような人生に,なんの益がありますか。ところが,それ以外の生き方はいっさい現実的でないとして,とにかく一生懸命に働く人が大ぜいいます。そのような人は,神のみことば聖書の勉強など,時間の浪費だと考えます。具体的な益が直ちに得られるわけではないと思うからです。ある中国人の主婦は言いました。「だって,お米が手にはいるわけではないでしょう」。同様な態度を持つ人は,世界中どこでも,物質上のものを得ることに,ほとんど全精力を注いでいます。
失望に終わる人間の努力
「一生懸命に働いてお金をためれば,万一に備えることができる」,とよく言われます。しかしこうした勧めに従っても,ひどい失望に終わることがあります。
香港の繁華街で一生懸命に野菜売りをしてきた,ある中国婦人のことを考えてください。40年間も懸命に働いたのちのある日,夜遅く帰宅してみると家は泥棒に荒らされ,婦人が長年たくわえてきた360万円相当のお金は盗まれていました。彼女は語りました。「自殺したいような気持ちです。生きる望みがなくなりました」。なかには,突然の平価切り下げで,銀行預金に大きな打撃を受けた人もいます。ですから,このような生き方をする人でも,一夜のうちに多くの物を,あるいは持ち物全部を失ったりすることがあるのです。
これはイエス・キリストの次の助言の正しさを示していませんか。「あなたがたは自分のために,虫が食い,さびがつき,また,盗人らが押し入って盗み出すような地上に,宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため,虫も食わず,さびもつかず,また,盗人らが押し入って盗みだすこともない天に,宝をたくわえなさい」― マタイ 6:19,20,口語。
ここでイエスは物質以上に貴重な宝があることを示されました。「人の生くるはパンのみによるにあらず,〔エホバ〕の口より出づるすべてのことばによる」と言われたイエスのことばどおり,人間には文字どおりの食物以上のものが必要です。(マタイ 4:4,〔新〕)霊的な食物,すなわち天の創造者エホバ神に関する知識も必要なのです。実際の食物を重視しすぎていたと思われる当時の人々に,「朽つる糧のためならで永遠の生命にまで至る糧のために働け」とイエスが勧めたのはそのためです。―ヨハネ 6:27。
今日,食物や,食物を買うお金だけを追い求める人は,失望に陥る以外にありません。どうしてですか。それは前途の事態のためです。現時点でさえ,南米・アフリカ・インド・中国大陸の合計15億もの人々は必要最少量の食事にことかき,栄養不良に陥っています。事実,南中華モーニング・ポスト紙,1969年1月2日号は,世界では毎分およそ66人が飢えのために死亡していると報じました。しかもこれは前途の事態からすれば序の口にすぎません。
著名な一科学者はリーダーズ・ダイジェスト誌1969年2月号でこう述べました。「飢えとの戦いで人間が完敗したことは火を見るよりも明らかである。……餓死者の恐るべき増加を食い止めるのはすでに手遅れである。関係資料を豊富に引用した『飢きんの年,1975年!』の著者ウィリアムおよびパウロ・パドックは,世界の飢きんは1975年に猛威をきわめるであろうと予測している。……打つべき手はすでに打たれた。生き残る者がいてほしいと思うが,ほとんどいないことであろう」。
どんな対策を講じようと,世界的な悲惨な飢きんは回避できないと科学者は見ているのです。なんと暗たんたる見通しでしょう。では,人類の諸問題の解決策はほかにあるのでしょうか。十分の食物を備え得るかたが,おられるのでしょうか。このことを考えないわけにはいきません。
考慮に価する権威者
考えてみてください。美しい風物に恵まれたこの地球と,無数の星のきらめく天を造ったのはだれですか。これらの創造物を見て人は深い喜びを味わいます,しかし創造物をそれぞれのところに置いて,人に喜びを与えておられるのはだれですか。聖書はそのほんとうの答えをしるしています。「エホバは……その能をもて地をつくり,その知恵をもて世界を建て,そのさとりをもて天をのべたまへり」― エレミヤ 10:10,12。
今日,人間の創造者の崇拝を心にとめないため,豊かな祝福にあずかれない人が大ぜいいます。エホバ神はご自分に信頼を置く人を必ず顧みてくださるからです。古代のひとりの王はいみじくも述べました。「われむかし年わかくして今おいたれど義者のすてられ
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