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  • あなたは『地上に宝を蓄えるのをやめましたか』
    ものみの塔 1975 | 12月15日
    • 緊急なわざ,すなわち神の王国の良いたよりを宣べ伝え,すべての国の人々を弟子とすることに没頭するのが当然です。(マタイ 28:19,20。使徒 1:8)どれほど多くの富があっても,それによってきたるべき「大患難」を通過することはできないことを,忘れないようにしましょう。箴言 11章4節に記されているとおりです。『宝は震怒の日に益なし されど正義は救うて死をまぬかれしむ』。

      26 天を仰ぎ,神の王国とそれに関係した事柄を,生活の中で第一にすることを,わたしたちの決意としましょう。もしそうするとすれば,わたしたちは自分のために今,物心両面における数え切れない,言い表わしがたい祝福を,そしてまたハルマゲドン後の神の新しい事物の体制における永遠の命を,確実なものにしつつあることになります。それは,世界の全部の金をもってしても買うことのできないものです。あなたが望むのはそれですか。では,キリストの王国下の神の正義の新秩序における水道の命と平和と幸福は,自分のために今日地上に宝を蓄えることをやめた人すべてに与えられる報いであることを知ってください。―イザヤ 9:7。テモテ第一 6:17-19。

  • 「何も持っていないようですべての物を所有している」
    ものみの塔 1975 | 12月15日
    • 「何も持っていないようですべての物を所有している」

      「貧しいようでいて多くの人を富ませ,何も持っていないようですべての物を所有しているのです」― コリント第二 6:10。

      1 金銭はどんな面で必要を満たしますか。

      日々の生活にお金が欠かせないものであることは確かです。お金なしで,どうしてこの事物の体制の中で生きてゆけるでしょうか。どうして生活必需品を得ることができるでしょうか。世界の多くの場所で,お金は病院での治療,輸送,電気,熱,水道の水など,人間にとって有用なものを買うことができます。しかし,もしお金がないとしたら,どうして自分自身や家族に衣食を与えることができるでしょうか。またどうして住居を得てそれを維持できるでしょうか。伝道之書 10章19節(口)は,このことを極めて巧みに表現しています。「食事は笑いのためになされ,酒は命を楽しませる。金銭はすべての事に応じる」。

      2 クリスチャンは何に対して常に警戒していなければなりませんか。なぜですか。

      2 ですから,この事物の体制が存続する限り,クリスチャンは,日常の必需品をまかなうのに,とりわけ王国奉仕を遂行することと関連して,金銭を非常に有効に利用することができます。しかしながら,金銭が有用で多くのものを買えるだけに,クリスチャンは絶えず自制心を働かせて,金銭(富,物質の所有物)にそのあるべき場所,すなわち一つの道具,一人のしもべとしての場所を常に保たせるようにしなければなりません。決して自分の愛の対象,「心の望み」とならせてはなりません。ですから,わたしたちの住んでいる今の時代を考えるとき,富に対する正しい見方を得てそれを保つことは,クリスチャンにとって今日なんと必要なのでしょう。

      3 (イ)パウロは,物質の富をどう見るようわたしたちを助けますか。(ロ)彼の心はどこにありましたか。

      3 パウロは,ベニヤミンの支族の出でヘブライ人であり,ユダヤ教に関してはパリサイ派(『金銭を愛する者』という評判があった)の一人だったので,わたしたちが正しい霊的平衡を保つよう助けるのに,経験を背景にして語ることができました。(フィリピ 3:5。ルカ 16:14)博学のパリサイ人ガマリエルの教えを受け,教育と能力がありましたから,パウロはその気になれば,物質の富を築くことに大いに成功したにちがいありません。(使徒 5:34; 22:3)しかしパウロは,真の富がどこにあるかを示しました。全時間宣べ伝えるわざを25年以上行ない,そのために投獄された後,彼は自分の確信,すなわち物質上大きな利得を得るであろう生き方を捨てる自分の決意について,次のように書きました。「わたしは実際のところ,わたしの主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに,いっさいのことを損とさえ考えています。彼のゆえにわたしはすべてのものを損失しましたが,それらを多くのあくたのように考えています。それは,自分がキリストをかち得て彼と結ばれた者とみなされるためです。……なんとかして死人の中からの早い復活に達しえないものかと努めるのです」。パウロは,自分の心をどこに置いているか,また自分の生活の中で何がほんとうに重要であるかを示しました。(フィリピ 3:8-14。ヘブライ 6:10-12)物質の富に対する彼の態度は健全なものでしたから,彼は健康な見方を保つことができました。彼はその生涯中に,富への愛が多くの人々に破壊的な影響を与えたのを見ました。―テモテ第二 4:10。

      利己的な欲望というわな

      4 テモテはどんな危険を警告されましたか。

      4 パウロは青年テモテに対して純粋の関心を抱いていましたから,テモテが小アジアのエフェソスにいた時に,彼に手紙を書き送りました。エフェソスは当時,非常に富んだ商業都市でした。物質の富に対する渇望を育てることの危険とその悲惨な結果について彼に警告を与え,次のように注意します。「富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥り,それは人を滅びと破滅に投げ込みます。金銭に対する愛はあらゆる有害な事がらの根であるからです。ある人たちはこの愛を追い求めて信仰から迷い出,多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」。(テモテ第一 6:9,10)あなたはこの助言の真の価値を認めますか。これを守っていますか。今日の多くの人々の生活の中に,その真実さを見ましたか。

      5 (イ)物質の富に対する欲望は,どのように「わな」となり得ますか。(ロ)人はなぜ二人の主人に仕えることができませんか。

      5 生活必需品を備える際の金銭に対する関心が,富みたい,あるいは必要以上に物を得たいという激しい欲望に変わるときには,お金はもうあなたの道具でもしもべでもなくなり,反対にあなたの主人になります。今やそれは「わな」となります。イエスは言われました。「だれもふたりの主人に奴隷として仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛し,あるいは一方に堅くついて他方を見下げるようになるからです。あなたがたは神と富とに奴隷として仕えることはできません」。(マタイ 6:24)聖書は富を非とはしません。富の奴隷になることを非とするのです。なぜでしょうか。なぜなら物質上の利得に対する欲望がむやみに大きくなり過ぎてその奴隷になると,あなたはもはやエホバ神を自分の主人とはしなくなるからです。そうなると,『心をこめ,魂をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛する』ことはできなくなります。(マタイ 22:37)「金はものを言う」とある人々は言います。しかし,あなたがその奴隷になると,金はあなたの代わりにものを考えることすらするようになるでしょう。

      6 (イ)金銭を愛する心は,クリスチャンにどんな害を及ぼす恐れがありますか。(ロ)ある人々は金銭をどのように見ますか。

      6 金銭(富)に対するこの渇望は魂を消耗するほどに強くなって,クリスチャンの特質を腐食する危険があります。人を堕落させて獣のようにする恐れがあります。公正,真実,正直,寛大であること,あわれみを示すことなどを忘れさせてしまいます。(申命 16:19,20。出エジプト 23:8)物をたくさん得ることに対して強い欲望を抱いていると,この世で行なわれているような不正直な商行為をわけなく行なうようになります。『忠信なる人は多くの幸福をえ 速やかに富を得んとする者は罪を免れず』。(箴 28:20)しかし,「わたしの場合はそういうふうではない。わたしはそれ

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