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“自己主義”の犠牲にならない者はいない目ざめよ! 1979 | 7月22日
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に,外国口座を使っていた」。そういうことをしていた人々は,「自分の家の近所で強盗や追いはぎがあると,まっさきに苦情を言う者たち」でした。
だれを訴えてやろうか
米国では一年間に,700万件以上の提訴があったと推定されています。それらの訴訟はなだれのように押し寄せて来て,法廷を埋め尽くすほどです。法的に根拠のある訴訟も多く,取るに足りないような訴訟も多く,貪欲なものも少なくありません。ある法律家の言葉を借りて言えば,“触発訴訟”の蔓延です。患者は医師を,依頼人は弁護士を,学生は教師を,従業員は上司を,消費者は製造業者を,人が人を訴えます。この風潮は家庭にも影響を及ぼしています。「子供が親を法廷に引き出し,夫婦は互いに訴訟を起こし,兄弟同士,また友人同士が訴訟し合う」,とUS・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌,1978年12月4日号の一記事は述べています。
その記事は,訴訟しようとする衝動の行き着いた幾つかの極端な事例を挙げています。一人の元学生は,ミシガン大学を相手取って85万3,000㌦(約1億7,060万円)に上る損害賠償を求めています。その理由の一部は,自分がドイツ語で“A(優)”を取ると思っていたのに,“D(可)”しかもらえなかったために精神的な苦痛を味わったというものでした。一人の服役者は,脱走して,再び逮捕されると,保安官と看守を相手取って,自由に逃がしたという理由で100万㌦(約2億円)の賠償を求める訴訟を起こしました。自分の刑期が延びたからです。一人の母親は,公共の遊泳プールの傍らで子供に母乳をやろうとしたらそれを止められたという理由で,当局者を相手取って50万㌦(約1億円)の訴訟を起こしました。ある若い男性は,両親が自分をきちんと養育しなかったため,現在,自分が社会に適合してゆけなくなったとして,両親を相手に35万㌦(約7,000万円)の訴訟を起こしました。学校のソフトボールの試合で小飛球を取ろうとして自分の娘が指を骨折すると,その両親は,教師が捕球法をきちんと教えなかったとして,訴訟を起こしました。
専門家たちは,「訴訟を起こされるのではないかという恐怖心が,生産性,創造力,そして人間の信頼を弱め,社会の多くの階層に,『行動することへの不安』をつのらせている」と嘆いています。また,こうした訴訟は,社会を結び付けるのに役立ってきた,人間関係や制度をさらにむしばむであろうと考えられています。
このように,人々は自分の好き勝手な事をしたがりますが,その後始末はほかの人にしてもらおうとします。愚行や放蕩という種をまいておきながら,その結果として生じる問題は別の人に刈り取ってもらいたいと考えます。これは自己主義<ミーイズム>の指示するところです。だれもがその犠牲者なのです。
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罪?―それは一体何ですか目ざめよ! 1979 | 7月22日
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罪?―それは一体何ですか
「罪悪妄想を捨て去れ」と,ある自己<ミー>の唱道者は語りました。実を言えば,罪悪感を抱かない人は病気なのです。
罪は終わったという宣言を出せば,罪を終わらせることができますか。それは体温計を壊して熱に終止符を打ったり,すべての法律を破棄することによって犯罪を終わらせたりするようなものです。罪を定義している聖書を捨てたところで,罪を除くことにはなりません。聖書がなくても,罪はやはり存在しており,その自覚もやはり存在します。神の律法に通じていない人々に関して,聖書はこう述べています。
「彼らが律法の命ずるところを本能に従って行なう場合,彼らは律法を持ってはいなくても,自分が自らの律法なのです。その行為は,律法の命ずるところ
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