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  • 全人類に影響を及ぼす取り入れ
    ものみの塔 1970 | 8月15日
    • 知っており,イエスが天の父にささげた献身の生活において明示された完全な模範に従うことができます。救いの希望を持つ人々に対する必要条件の一つは,真理を『公に言い表わす』ことです。(ロマ 10:10,新)そのために,神を愛するよりも,現在の古い体制下の快楽を愛する人々から憎まれても,驚くには及びません。なぜなら,イエスがご自分のしもべたちに対して,彼らは「我が名のためにすべての人に憎まれん。されど終まで耐へ忍ぶものは救はるべし」と警告されたことを,わたしたちは知っているからです。―マタイ 10:22。

      18 エホバの是認を求めるのは,今きわめて重要なことです。なぜですか。

      18 ゆえに今は,ゼパニヤ書 2章2,3節の次の良い助言に従うべき時です。「エホバのはげしき怒のいまだ汝らに臨まざるさきエホバのいかりの日のいまだ汝らにきたらざるさきに……この地のへりくだるものよ 汝らエホバを求め 公義を求め 謙遜を求めよ さすれば汝らエホバのいかりの日にあるひは匿さるゝことあらん」。神の側には,なんら義務がありません。すべてが神のあわれみにかかっているのです。ですから,エホバのあわれみを受けるために,エホバを求め,そのみことばに従い,エホバに仕える真剣な努力をするなら,わたしたちはエホバの過分の恵みによって,現在の体制の終わりを生き残る他の人々とともに隠され,ハルマゲドン後の体制下の清められた地上で,信仰の人々が享受する祝福のすべてにあずかるでしょう。

      19 取り入れの時に,わたしたちは,何を思い起こすべきですか。

      19 ゆえに今日,収穫期に作物の取り入れに携わっている人々を見る時,わたしたちはイエスのたとえ話を思い起こし,今が聖書の述べる取り入れの時,つまり,「終わりの時」もしくは「事物の体制の終局」の時であることを悟らねばなりません。しかし,このことは,すべての物質的なものの終わりを予示してはいません。それどころか,わたしたちには強い希望があるのです。ゆえに,エホバの過分の恵みに感謝しなければなりません。なぜなら,現存する邪悪な事物の体制が終わる時,きたるべき,エホバの正義の新秩序は確立され,生きてそれを目撃する人すべては,豊かに祝福されることになるからです。

  • 広まる同性愛行為
    ものみの塔 1970 | 8月15日
    • 広まる同性愛行為

      現代を対処しにくい危機の時代としているものの一つに,同性愛行為が広まっているという事態があげられます。『1,200万人のアメリカの男女は同性愛者であろう』と言われています。(タイム誌,1969年10月24日号)オランダにおける同性愛のまん延ぶりは著しく,この国は「同性愛者のメッカ」と言われています。そして,今日の演劇,映画またテレビにいたるまで,同性愛を主題としたり,背景とするものが段々と多くなってきています。

      こうした事態を助長するものに,同性愛行為を合法化しようとする動きがあります。英国は数年前,成人が合意の上でなす同性愛行為を合法化しました。カナダと西ドイツも昨年,同じ措置を講じました。また,アメリカの二つの州も同様な法律を制定しました。

      この問題に関して無視できないのは,僧職者の間に顕著に見られる態度です。数年前のことですが,監督派教会の90人の僧職者は成人が合意の上でなす同性愛行為はそれ自体悪いものではない,という見解を公にしました。同性愛行為に対する僧職者の態度が柔軟になってきたことは,新教の牧師3,000人を対象に行なわれた調査の結果からも明らかです。その調査を伝えた,1968年2月号のマッコール誌はこう述べています。

      「寄せられた3,000通の手紙を,一つの論旨に要約することは容易ではない。しかし,それに相当するとも言える,一つの明白な点が印象的であった。つまり,同性愛者に対する驚くべき同情心が見られることであった」― 147ページ。

      同性愛者たちが独自の世界とも言うべきものを築いて,そこで生活している場合さえあります。たとえば,6万ドル相当の家を2軒所有する,ロスアンジェルスのある実業家は,はばからずにこう語りました。「私は陽気〔同性愛的〕この上もない社会に住んでいる。私の弁護士,医師,歯科医,みんなが陽気な連中だ」。

      いったい何か

      同性愛が何かについてはっきりした考えを持っていない人が多いようです。一般に同性愛と言えば,人々は,ソドミー,つまり男性間の性交だけを連想するようです。ソドミーは同性愛ではありますが,同性愛はソドミーに限りません。ウェブスター第3新国際辞典によると,同性愛は「同性の者との性的行為。……同性の者の間で求められる愛欲〔性・肉欲〕的な満足」です。

      したがって,同性の相手の欲情をそそるような行為は,接吻,愛撫,抱擁のいずれを問わず,いっさい同性愛行為です。同性愛者といえば,たいていの人は男の場合を考えますが,このことばは,同様な行為にふける女性にも等しく当てはまります。しかし,女性の同性愛者に限って用いられることばがあります。それはレスボス愛です。

      合法化は正当化か

      各国の政府が次々に,合意に基づく成人間の同性愛行為を合法化するからといって,それは正当な行為になりますか。同性愛行為を私的な事柄とするか,あるいは風俗を乱す犯罪とみなすかは,政府が責任を取るべき問題であり,各人は,同性愛行為に対する態度を自分で決めねばなりません。神および真理と正義を愛する人々は,使徒パウロと同じ立場を取ります。「人をみな虚偽者とすとも神を誠実とすべし」― ロマ 3:4。

      エホバ神のみことば聖書は,3,800年昔のソドムとゴモラの住民を例にとって,警告を与えています。現代の刑務所にいる多くの同性愛者がするように,それらの住民は男に性的な暴行を加えて,自分たちの色情を満足させようとしたのです。その対象となったのはふたりの天使であり,彼らは,アブラハムのおいである族長ロトの家にやってきた訪問客でした。ソドムとゴモラについて,弟子ユダはこう告げています。その住民は,「不自然な肉欲に走ったので,永遠の火の刑罰を受け,人々の見せしめにされている」― ユダ 7,口語。創世 19:1-29。

      イスラエルの国民に与えた律法の中で,エホバ神は,同性愛行為を,憎むべきものとして,あからさまに非難し,それに対して死刑を規定することさえされました。「汝 女と寝るごとくに男と寝ることなかれ これは憎むべき事なり」。「人もし婦人と寝るごとく男子と寝ることをせば これその二人憎むべき事をおこなふなり 二人ともにかならずころさるべし その血は自己に帰せん」。―レビ 18:22; 20:13。

      同様にクリスチャン・ギリシア語聖書も,エホバ神のみ前に同性愛行為がいかに憎むべきこととしてうつるかを明示しています。「それゆえ,神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち,彼らの中の女は,その自然の関係を不自然なものに代え,男もまた同じように女との自然の関係を捨てて,互にその情欲の炎を燃やし,男は男に対して恥ずべきことをなし,そしてその乱行の当然の報いを,身に受けたのである……こうした事を行う者ども(は)死に価する」。このように書き送った使徒(パウロ)は,さらにはっきりと告げています。「男娼となる者,男色をする者は……いずれも神の国をつぐことはないのである」。―ロマ 1:26,27,32。コリント前 6:9,10,口語。テモテ前 1:9,10。

      そうです,たとえ同性愛行為が合法化されようと,たとえそれがますます流行しようと,たとえ全世界がソドムとゴモラのようになろうと,クリスチャンの指針となるのは聖書の真理であり,それによると,同性愛行為はエホバ神と道徳心のある人間の両方にとって憎むべきものです。

      欲求不満に終わる不自然な行為

      エホバ神の律法は人間の最善の益を図るものですから,同性愛行為を批判する声が医学関係の人々の間に盛んにあがっても,クリスチャンは別に驚きません。しばしば聞かれるのが同性愛行為者の欲求不満です。ロンドンに住む権威者で,合意に基づく成人間の同性愛は容認されるべきだと考えている,D・J・ウェスト博士はこう述べています。「医師は,まず,同性愛の生活にしょっちゅうつきまとう深刻な欲求不満と,みじめさについて警告しなければならない。それをせずに,同性愛について必要なことはこれだけだから安心しなさい,と若者にいってはならない」。

      これが単に異性愛者の見解でないことは,ふたりの同性愛者が最近出版した本からも明らかです。会合の場所に階級があること,つまり最も品位のあるのは『陽気』なバー,最も低劣なのは街路であることを指摘したのち,著者は次のようにしるしています。

      「街路で相手を見つけるやり方は,他のやり方より一層機械的である。会話も短く,あまりぶらつくこともしないまま,粗暴な残忍さともいうべき速さで行なわれる。そのため,なんとか長びかないかと,当人同志が望むほどである。

      「会って,性交を行なう。相手の名前さえ知らない。する前からわびしかったが,性交をした後の孤独感はさらにひどく,絶望と失望とに襲われる。……あてどもなく夜の町をさまよい歩く。……たぶん最も低劣な場所を求めて……それは,自分自身と自分の追い求めている性生活のありかたとを,まったく下劣なものと考えているからにほかならない」― D・W・コーリー,J・P・ルロイ著「同性愛者とその社会」。

      すべての同性愛者の生活がこのとおりではありませんが,これは大多数の同性愛者の生活を描き出したものでしょう。ウェスト博士が述べたように,同性愛の生活には欲求不満とみじめさがしょっちゅうつきまとうのです。

      ウェスト博士のことばを裏書きしているのは,現在同性愛行為を続けているある人の発言です。「私の生活はめちゃくちゃです。私が幸福だなどと思わないでください。とんでもないことです。私はみじめです。そして抜け出そうともがいています。…みじめですし,欲求不満で苦しんでいます」。

      同性愛行為がしょっちゅう欲求不満に終わるのは不思議なことですか。創造者は,互いに補い合うように二つの性を設けられました。両方とも,『地を満たす』目的のために,そして相手に満足と幸福を与えるために造られたのです。男と女がそれぞれ異性のために意図されたことは,性器の構造そのものから明らかです。夫婦関係が,相手に思いやりを示しつつ保たれるならば,互いの人格ばかりか,結婚のきずなも強められます。夫と妻の双方が,神の定めた標準に従って,それぞれの務めを果たすなら,結婚はうるわしいものまた徳を高めるものとなるのです。―コリント前 7:3-6。エペソ 5:22-33。

      性愛の対象を異性に限る聖書の立場が健全であること自体,同性愛の不健全さを強調するものです。同性愛関係において,一方の人は異性を装い,肉体・精神・感情面でも異性の役を演じますから,それは虚偽に基づいた行為と言わねばなりません。精神分析学者たちが組織している医学協会の調査委員会が著わした,「同性性欲倒錯症」と題する本が述べているとおり,「性交の相手となる男性に女性の特質を見いだそうとするのは不合理」です。

      同性愛行為が広まっている事態は,欲求不満とみじめさをしょっちゅうもたらす生活を送っている人が多いことを意味しています。神の目から見ても,また正義を愛する人々の目から見ても,それは憎むべきもの,そして,けんおすべきものです。神から非とされる,そうした不幸な結果を避けるすべを知っておくのは,賢明です。次の記事は同性愛行為の原因と,それを避ける方法について取り上げます。

      [504ページの図版]

      同性愛行為を助長するものに,それを容認する態度を取る牧師がふえていることがあげられる。

  • 同性愛のわなを避ける
    ものみの塔 1970 | 8月15日
    • 同性愛のわなを避ける

      悲惨な結果をもたらす事柄を避けるためには,その原因となるものを知っておくことが賢明です。同性愛の原因に関しては,不明な点が多く,現代一般に認められているところでは,からだつきやホルモンなどの肉体的な要素がおもな原因ではありません。では,その重要な原因と考えられているものはなんですか。

      アルバート・エリス博士は,自著「同性性欲倒錯症 ― その原因と治療」(1965年版)の中で,原因と思われる事柄を幾つか取り上げて,ある種の恐怖感がおもな原因になっているのではないかと述べています。そうした潜在的な恐怖感を取り除かせることによって,多数の同性性欲倒錯症の患者を治せたと同博士は報告しています。アメリカにおける同性愛運動の指導者のひとりであった,ドナルド・W・コーリーの勧めることから察すると,エリス博士の見解には真実性があるようです。

      「治療は,性関係その他の関係を異性と持つことに対する抵抗と恐怖の感情を緩和することを目ざすべきである。……これには二つの理由がある。つまり……問題の核心に同性性欲倒錯症の患者を導き,単に症状だけの処置に終わらないようにする。同性性欲倒錯症の患者の問題は,男性にひきつけられるというより,女性から逃避しようとするところにある」。

      また,同性愛者にそそのかされて,少年が同性愛行為を始める場合もあります。その悪質な例は,カナダのバンクーバーで起こった事件です。幾人かの同性愛者が,10歳から14歳までの少年35人をそそのかし,彼らに同性愛行為をさせて商売をしていたのです。

      たいていの場合,年配者が少年にぶどう酒その他のアルコール飲料をすすめます。そうすれば,少年は不道徳な誘いに十分に抵抗しえないことを知っているからです。神のみことばはこう述べています。「淫行と酒と新しき酒はその人の心をうばふ」。(ホセア 4:11)預言者ハバククも,人を誘惑に陥れる手段としてアルコール飲料をすすめるやり方を非難して,次のように警告しています。「人に酒を飲せ……これを酔せ しかしてこれが陰所を見んとする者はわざはひなるかな」。(ハバクク 2:15)ですから,見知らぬ年配者が,酒を飲ませてあげようといって少年に近寄るときには,ほかに意図するところがあると思ってよいでしょう。

      親の責任

      青少年が同性愛行為に走る場合,その不自然な行為の基礎を作り出したのは両親である,という見方が今日一般的です。権威者たちは,子どもが6歳になる前に,両親が同性愛の基礎を作ってしまうこともあると信じています。たとえば,この問題に関する世界的な権威者,アービング・ビーバー博士はこう述べています。『無関心な父親と,おうへいな母親は,むすこを同性愛者に仕立てる完全なコンビである』。そして,さらに次のように付け加えています。「父親が妻とむすこに愛情を示し,むすこに男らしい態度をつちかわせるならば,男娼が生まれることはありえないと思う」。

      ビーバー博士によると,「父親はむすこが同性愛者になる傾向をとどめる,絶対的な力を持っているよう」です。正しく育てられた少年が女性をこわがることはありません。

      こうして見てくると,人生に伴う他の多くの問題と同様,同性愛行為に関しても,「予防が最善の治療薬」という古いことわざが当てはまります。父親は各々自分のむすこに積極的な関心を示し,力強い男性的な性格を築くよう援助してやる必要があります。それはどのようにすればできますか。最も重要なのは,良い模範を示すことです。使徒パウロはこうしるしました。「目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく,強くあってほしい」。(コリント前 16:13,口語)基本となるのは,自制を働かすことです。力強い男性的な性格の持ち主は,容易に興奮せず,落ち着いており,感情的である代わりに理性的で,家族の者を保護する態度を示します。また,女性をとうとび,敬意を示すことを,父親はむすこに教え込まねばなりません。それは,父が自分の妻に愛ある態度で接することによって教えられます。

      同様に,母親も夫の頭の権を尊重し,あれやこれやに指示を与える,出過ぎた態度を取らないように注意すべきです。母親の出過ぎた態度を見るなら,むすこは女性から遠ざかるようになるかもしれないからです。

      さらに,同性愛行為の害について,両親は子どもにはっきりと警告を与えることもできます。そのようにして与えられた知識は,身の守りとなります。ところが,両親が正しく教え,また,警告をしないむすこは,同性愛者の思うままになってしまうかもしれません。

      個人の責任

      両親にも責任があるとはいえ,主要な責任は個人にあります。若者は同性愛のわなに陥らないように注意していなければなりません。強い性的な衝動と性欲,さらに,そのためにあやまちを犯す危険性のあることを,だれも軽々しく考えてはなりません。制御の作用をなす,神に対する恐れ,また善に対する自然な愛がなければ,人の心は情欲の充足を求めて,不自然な手段を求めるかもしれません。官能的な人ほど,正常な事柄からはずれたものに,引きつけられるようです。(創世 8:21。エレミヤ 17:9,10)そうした強い傾向は同性愛者に限ったことではありませんが,同性愛行為のとりこになっている人が非常に多い理由を明らかにしているようです。

      言うまでもなく,たいていの青少年は,同性愛行為を忌みきらっていると思われますが,そうした傾向が少しでもあるなら注意し,この点に関する好奇心を払いのける確固とした努力をしなければなりません。使徒パウロの次の忠告に留意する必要があります。『悪は憎み退けなさい』― ロマ 12:9,口語。

      ですから,若い人々が,欲求不満を伴う同性愛行為の生活に陥らせるような行ないを憎むのは賢明なことです。この点について,D・J・ウェスト博士はこう述べています。「男にしろ女にしろ,同性性欲倒錯症の生活を始める糸口となる一般的な性愛行為は,接吻・愛撫・親密な肉体的接触また相互的自慰行為などである」。

      このことから,次の点を認識すれば,身の守りとなることがわかります。すなわち,自己色情や自慰行為は,害のない単なる慰みではなく,同性愛行為に導く行ないになりうるという事実です。なぜそう言えますか。それは,自慰行為にみずからを誘う人は,一種の同性愛行為である,相互的自慰行為にふける誘惑に陥りやすくなるからです。青少年がこの行ないを避けるため誠実な努力をすることは身を守るのに大きな助けとなるでしょう。

      同性愛行為のわなを避けるのに同じく有益なのは,それがいかに不自然で,欲求不満をもたらすかを明らかにした見解を心に留めることです。同性愛者が,見知らぬ人をしつこく悩まし,少年をそそのかし,あるいは同性愛者による暴行が刑務所で絶えないことから,同性愛行為がいかに利己的で,無情なものであるかがわかります。証拠の示すところによると,異常な性欲は,正常な性欲よりもはるかに制御しがたいものです。

      その束縛からのがれるには

      多くの同性愛者は,自分を変えることができないと主張します。しかし,真に願うなら,自分を変えるのは可能であることを,医学に携わっている人々の多くが明らかにしています。精神分析学者協会の調査委員会の著わした「同性性欲倒錯症」という本は,「すべての同性愛者は,潜在的異性愛者である」と述べています。また聖書も,人間は,いまわしい汚れた行ないをやめて,みずからを変えることができると,あかししています。たとえば,同性愛者は神の御国を相続することができないと述べ,使徒パウロは,こう付け加えています。『あなたがたのある者は,かつてそのようであった。しかしあなたがたは洗い清められたのである』― コリント前 6:9-11,新。

      自分を変えたいと願う同性愛者は,その行ないがたとえどんなに安易で,官能的に快いものであっても,それが悪いことを自分自身に絶えず言い聞かせねばなりません。次の助言を心に留めるべきです。「エホバを愛しむものよ悪をにくめ」。そうです。心から悪い“快楽”を憎まねばならないのです。そればかりか,『徳といわれるもの,純真なこと,称賛に値するものを心にとめ』続けることが必要です。神の真理で心を満たすことは助けとなります。イエスも「真理は,あなたがたに自由を得させるであろう」と言われました。―詩 97:10。ピリピ 4:8,ヨハネ 8:32,口語。

      同性愛者が,その憎むべき行為を続けるなら,神を喜ばしえないことを悟るのはたいへん重要です。それは神の目に著しく汚れた行為であるため,そのような,道徳的に不潔な人は,聖書の中で犬と呼ばれています。イスラエルに与えられた神の律法は次のように述べています。「あそびめの得たる価およびいぬの価〔“男娼”,アメリカ訳〕を汝の神エホバの家に携へいりて何の誓願にも用いるべからず,これらはともに汝の神エホバの憎みたまふ者なればなり」。(申命 23:18)街路で腐肉をあさる犬のように,ソドミーやレスボス愛などの憎むべき行ないを常習とする人はすべて,神の新しい事物の体制における永遠の命を得ることはできません。(黙示 22:15)ですから,同性愛行為とまったくかかわりを持たずに,誠実に神を喜ばせようと努めることはきわめてたいせつです。

      神を喜ばせようとする願いにおいて進歩を遂げている人は,いろいろな悪い考えや感情を自分の思いと気持ちから一度にぬぐい去ることができないからといって失望すべきではありません。しかし,使徒パウロの告白から励みを得て,戦い続けねばなりません。彼でさえ自分のしたいと望むことを十分になしえないと語っています。でも,パウロはその戦いを放棄しませんでした。彼は肉に屈せず,「自分のからだを打ちたたいて服従させ」たのです。それゆえに,「わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる」と言うことができました。―コリント前 9:27,ピリピ 4:13,口語。ロマ 7:13-25。

      この戦いにおいて大きな助けとなるものの一つは,エホバ神にささげる祈りです。神の許しと援助を求め,特に,神の聖霊がさらに多くそそがれることを願って,祈りをささげてください。そうです,「たゆまず祈り続けなさい」。―ロマ 12:12,新。ピリピ 4:6,7。

      同性愛は,それが欲求不満を伴う,悪い不自然な生き方であるにもかかわらず,盛んになっています。たとえそのとりことなっていても,心から望む人は,そうした行為からみずからを解放することができます。とこしえの命が危険にさらされているのです。ですから,どんなことがあっても,同性愛行為のわなを避けるために最善の努力を払ってください。

  • 『すべての国の人々を弟子とする』
    ものみの塔 1970 | 8月15日
    • 『すべての国の人々を弟子とする』

      エホバの証人の1970年度年鑑より

      南アフリカ

      人口: 19,167,000人

      伝道者最高数: 20,445人

      比率: 937人に1人

      南アフリカでは,エホバの奉仕という点で,昨奉仕年度は深い喜びと興奮にみちた年でした。昨奉仕年度は,「すべての国の民のための福音」地域大会をもって始まり,また,「とこしえの命に導く真理」と題する,小型のすばらしい本が発表され,さい先のよいスタートを切り,二,三年来停滞気味だったわざは,いよいよ動きはじめました。伝道者数は急速に増加し,4月までに新最高数に達しました。また,うれしいことに,これまでのどの奉仕年度よりも多くの人がバプテスマを受けました。この国から500人の兄弟たちが,ロンドンで開かれた,「地に平和」国際大会に出席する計画を立てたことは,いっそう大きな刺激をもたらしました。さらに,この国のアフリカ人の兄弟たちが,海外での大会に出席するのに必要な旅費を初めて交付されたことが明らかにされるに至って,興奮はいっそう高まりました。そのうちの10人は全時間奉仕

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