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増えつづける犯罪と暴力目ざめよ! 1980 | 1月22日
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増えつづける犯罪と暴力
ご自分を,仕事を終えて帰路についたイタリアの男の人の立場に置いてみてください。その人は,不注意にも車の中にキーを残したまま車を降りて,ある品物を取りに近所の店へ入りました。車を離れていたのはほんの数分のことでしたが,戻ってみると,お察しのとおり,車はなくなっていました。
眠れぬ夜を過ごし,翌朝,自分の車がアパートの前のいつもの場所に駐車してあるのを見て,この人は躍り上がらんばかりに喜びました。ワイパーの所に一枚のメモがはさんであり,そこにはこう書かれていました。「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。場合が場合だったものですから。私のささやかな感謝の気持ちをお受けください。当方の負担で,一晩を楽しくお過ごしください」。そのメモには,その晩上演される劇の切符が二枚,それも特等席の切符が添えられていました。人間に対するその人の信頼感はよみがえりました。
劇場で実に楽しい一晩を週ごした後,この人は夫婦そろって帰宅しました。家の鍵を捜すのに少し手間取りましたが,ドアを開けて中に入ったところ,部屋は空でした。何から何まで持ち去られていたのです。人間に対する,よみがえったばかりの信頼感はあえなく消え去りました。
極めてまれな事例とはいえ,この実話は,犯罪の厚かましい手口を示す数多くの事件の一つに過ぎません。もちろん,この犯罪は他の犯罪と比べれば,比較的おとなしい方です。他の犯罪には残忍さやサディズムが色濃く表われているため,とても信じられない,と頭を横に振る人がいるほどです。多くの人が人間不信に陥り,恐れのうちに生活しているのも,不思議なことではありません。
犯罪の犠牲になっていない人はいません。組織的な犯罪は,すべての人の財布からお金をかすめ取ります。シカゴ市の当局者の推定によると,マフィアの直接のゆすりのため,あるいは余分の盗難保険やマフィアの活動に対処するための保安要員の増加などのために,普通の米国市民は1㌦使うごとに2㌣ずつ余分の支払いをしています。
従業員の不正や万引などが原因で,企業は損失を埋め合わせるために値上げを余儀なくされます。他の人の不正のつけがあなたに回ってくるのです。例えば,ドイツ連邦共和国では,職員の不正のため,納税者には年間10億マルク(約1,000億円以上)もの負担がかかってきます。犯罪は実に高くつきます。たとえ犯罪者には高くつかないとしても,少なくとも被害者には高くつきます。被害者はいつも支払う側だからです。
憂慮すべき新たな傾向
犯罪は今に始まったものではありません。しかし,最近になって,犯罪は新たな様相を呈するようになりました。犯罪と暴力の波がじわじわと高まってきており,一つの国や一部の地域に限られたものではなくなってきたので,警察や一般の人々も一様に,犯罪やそれに首尾よく打ち勝つ対策をより真剣に考えるようになりました。
“理由なき犯罪”,つまり本当の動機の見当たらない犯罪が増加しています。そうした犯罪が,公共の建物に落書きをするとか,公衆電話の電話帳のページを破ったりするようなものにすぎない場合もあります。
しかし,そうした犯罪がもっとゆゆしい形を取り,いわれのない残虐行為を特徴とするものになる場合が余りにも多くなっています。一例として,最近,17歳になる二人の少年がドイツのある都市の郊外で33歳の男の人を襲い,その人を代わる代わる刺しました。警察は後ほど,80か所に刺し傷があったことを発表しました。「どうしてそんなことをしたのか」と尋ねられて,二人の若者は,「ただだれかをむしょうに殺したくなっただけさ」と答えました。別の事件では,それより少し年上の若者のグループがフランスのシェルブールで公証人を襲い,残酷な仕方で打ちのめしたため,その人は意識を失い,三日後に息を引き取りました。その少年たちの動機は何だったのでしょうか。「面白いからやっただけ」なのです。
憂慮すべき別の傾向は,女性の犯罪者の増加です。例えば,ドイツのテロリストの事情は他に類のないものです。そのメンバーのうち名の知れた者の大半は女性だからです。1979年の2月を取ってみると,テロリストと目され,警察の緊急指名手配を受けた16人のうち,12人までが女性でした。
しかし,司法および立法府の首脳部が特に憂慮しているのは,恐らく若い人々による犯罪の著しい増加でしょう。タイム誌は米国の状況についてこう述べています。「人々は,子供が殺人をやりおおせているとして,常々非難してきた。今やまさにその言葉が真実になっている。米国全土に,複雑で,ぞっとするような犯罪の傾向が生じてきている。多くの若者たちは,映画へ行ったり草野球に加わったりするのと同じほど平然と,盗み,強姦,傷害,殺人などに携わっているようだ」。
若い人々の間に見られるこうした傾向のために,将来には暗雲が垂れ込めています。ハンブルガー・アーベントブラットは,ドイツの情勢について論評し,次のように述べています。「犯罪に関する最新の統計によると,1975年以降に逮捕された14歳から18歳までの容疑者の数は25.1%増加した。14歳未満の子供の場合,その増加率は30.8%であった。……この傾向に終止符が打たれる見込みはない。我々は,非行に走るティーンエージャーや子供がさらに増加することを考慮に入れなければならない」。
疑問の余地はありません。犯罪は問題,それも真剣に考えてみるべき問題となっています。フランス政府はこれを重視し,事態を調査するための11名から成る委員会を設置する認可を出しました。これらの委員たちは16か月間にわたって審議を重ねた末,問題を緩和するための103か条の提案を載せた700ページの報告を提出しました。
国際連合組織は事態を重く見て,15人のメンバーから成る犯罪防止・抑制委員会を設立しました。この委員会は,世界的な規模で犯罪に首尾よく対処する方法を検討するための世界会議を五年おきに開催します。1975年の会議の一般テーマは,「犯罪防止と抑制 ― 過去四半世紀の挑戦」というものでした。第六回の会議は,1980年にオーストラリアのシドニーで開かれることになっています。
今日,犯罪と暴力が絶え間なく増加していることにはどんな意味があるのでしょうか。犯罪は,回復の見込みがなくなるほどに増加してゆくのでしょうか。それともこの問題は誇張されているのですか。事態は本当にそれほど深刻ですか。あなたはどう思われますか。
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犯罪 ― 事態は本当にそれほど深刻ですか目ざめよ! 1980 | 1月22日
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犯罪 ― 事態は本当にそれほど深刻ですか
生まれながらの楽天家はいるものです。そうした人は,事態がどれほど悪化しているように見えても努めてほほえみを浮かべ,今はまだいい方だ,と論じます。楽天主義を擁護する言葉には事欠きませんが,だからといって楽天主義に目をくらまされ,物事を現実的に見られなくなるようなことがあってよいはずはありません。問題を無視したからといって,決してそれを解決することにはなりません。問題を認めようとしないなら,自分がその犠牲者になる可能性を高めることになります。
では,犯罪と暴力に関して,事態は本当にそれほど深刻なのでしょうか。
「そんなことはない」と言う人がすかさず指摘するのは,犯罪や暴力は何も今に始まったものではない,ということでしょう。実際のところ,現存する最古の歴史書,聖書は,人類の最初の家族が最も悲惨な暴力事件を経験したことを告げ,「カイン(は)自分の弟アベルに襲いかかってこれを殺してしまった」と述べています。また,今から4,000年以上も昔のノアの時代に見られた状態を描写するに当たって,聖書は,「地は暴虐で満ちるようになった」と述べているではありませんか。―創世 4:8; 6:11,新。
「犯罪は統計が明らかにするところよりも悪化している」
犯罪が今に始まったことでないのは認めるとしても,統計の示すところによれば犯罪は現在悪化しつつあります。統計ですか? 統計と聞いて,19世紀後半の著名なアイルランドの劇作家,オスカー・ワイルドがかつて語った次の言葉を引き合いに出す人がいるかもしれません。「うそには三つの種類がある。普通のうそ,悪意のないうそ,そして統計である」。ワイルドの趣旨は,統計に信頼を寄せすぎるなら,欺かれることがある,という点にありました。統計の解釈には様々な方法があり,時にはその解釈が相反するような場合もあります。しかし,しばしば誤用されるとはいっても,統計を全く否定することはできません。
わたしたち自身の益のために,「事態は実際のところそれほど深刻ではない」と主張する人々の論議の幾つかを簡単に考慮してみましょう。そうすれば,自分でどちらが正しいか確かめることができます。
「犯罪の増加の原因は,人口の増加にある」
ここ数十年の間に,わたしたちが人口爆発を目撃してきたことに異議を唱える人はほとんどいません。世界人口が10億の大台に達するまでに,ノアの日の洪水のときから(1830年まで)4,200年かかったのに対し,世界人口が20億に達するまでには1930年までの100年しかかかりませんでした。30億に達するまでには30年(1960年),そして40億に達するまでには15年(1975年)しかかかりませんでした。地球に40億以上の人が住んでいる現在,1985年には人口がほぼ50億になると推定され,今世紀末には60億をはるかに超えているであろうとされています。
人口の増加が犯罪の増加の一因となっていることは確かですが,それは根本的な原因でも,唯一の原因でもありません。もし人口の増加だけが犯罪の増加の原因であれば,論理的に言って,人口の増減は犯罪の数の増減と比例するはずです。ところが,必ずしもそうではないのです。
ドイツ連邦共和国の場合を考えてみるとよいでしょう。同国は近年人口の減少を示した数少ない国の一つで,1975年から1977年までの間に人口は60万人以上減少しました。前述の論議に従えば,犯罪件数もそれに応じて減少して然るべきです。ところが,政府筋の発表によると,1975年には291万9,390件の犯罪が発生したのに対して,1977年には328万7,642件の犯罪が発生しました。これは12%以上の増加に相当します。このことは,人口が減少している所でも,犯罪が増加することを示しています。
犯罪の増加は人口爆発の生んだ当然の結果であるという人々には,安心感を抱く根拠など全くないばかりか,将来に暗い見込みしかありません。その人たち自身の論議に従えば,今日の犯罪の波は,世界人口の増加と共に高まってゆくことになります。一体どれほど悪化すれば,そうした人々は,「本当に深刻な事態だ」と進んで認めるようになるのでしょうか。
「今では犯罪に関してより正確な統計が保たれている」
今日のほうが百年前よりも犯罪の記録が一層充実している,ということに疑問の余地はありません。ですから,百年前にあった犯罪と今日の犯罪を,正確に比較することは不可能です。しかし,1977年の記録を1975年,あるいは1970年の記録と比べる場合には,そのような論議は成り立たないのではありませんか。また,論じられているように,現在,記録がよりよく保たれているのであれば,それはなぜなのだろうか,と自問してみるべきです。より正確で,徹底的な記録を保つ必要が生じたということはそれだけ,事態が悪化していることを示唆しているのではありませんか。
警察はどのようにしてその種の記録をまとめ上げるのでしょうか。警察職員自身が発見し,通報する犯罪の件数はごくわずかにすぎません。ドイツのマックス-ブランク研究所の行なった世論調査は,警察の犯罪統計の九割までが犯罪の被害者か目撃者によってなされた通報に基づくものであることを明らかにしています。ですから,正確な記録を保てるかどうかは,警察よりもむしろ,自分たちの目撃した犯罪を通報する一般の人たちの意志と目ざとさにかかっています。
人々は昔と比べて,より正確かつ良心的に犯罪を通報するようになったと言える証拠が何かあるでしょうか。この世論調査の結果を信ずるとすれば,そのような証拠はありません。調査の対照となった人々が被害を受けた犯罪のうち,通報されていたのは46%に過ぎませんでした。被害者が,損害額はごくわずかなので通報するまでもないと考えたり,その犯罪が解決される見込みはほとんどないと考えたりしたため,あるいはほかの個人的な理由があったために,半数以上は通報されずに終わってしまったのです。
この数字は,スイス,米国,カナダ,オーストラリア,フィンランドなどにおける同様の調査結果とほとんど変わりありませんが,犯罪の実情は統計の明らかにするところよりもさらに深刻なことを示しています。ドイツのシュピーゲル誌もこの結論を支持して次のように述べています。「実際のところ,その[一年間の窃盗の]数は,[通報された数の]10ないし12倍に上る」。同誌は,ノルトライン・ウェストファーレン州刑事捜査局のウェルナー・ハマヒャー局長の言葉を引き合いに出しました。同局長によれば,通報される犯罪の件数は,犯罪総数という体を覆う点で,「露出度の一番あらわなビキニとほとんど変わらない」とのことです。
では,論理的に言ってどんな結論に達しますか。統計,つまり犯罪に関する記録はまだまだ不完全で,統計はせいぜい一定の傾向を示しているにすぎないということです。それで統計は,事実を誇張するどころか,実際には真相のごく一部を語っているにすぎません。では,あなたはどう思われますか。事態は本当にそれほど深刻なのでしょうか。それとも,さらに悪化しているのでしょうか。
「犯罪の深刻な所もあるかもしれないが,私の住んでいる所ではそんなことはない」
もしそうであれば,それは喜ぶべきことです。
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